テトラポッドの見えない足
夏休みの補習帰り、僕と健太、美咲は海沿いの防波堤横を自転車で走っていた。
西日がギラつく海面に、灰色の巨大な塊――消波ブロックが幾重にも重なっている。
「テトラポッドってさ、四本足なのに三本しか見えないよな」
健太がハンドルから片手を離し、防波堤の下を指した。
「一本は下に埋まってんだよ」
「見えない一本が、一番大事だったりしてね」
美咲が笑った。
立ち入り禁止の看板を無視して、僕らはいつものようにブロックの隙間でジュースを飲んだ。
健太が、少し前に増設された新しい一基の裏側を覗き込んだ。
「……あれ、誰かの名前書いてあるぞ」
灰色の腕の側面に、小さく刻まれた黒い文字。
《佐々木亮 8/12 17:40》
その隣の一基には、
《田村真紀8/19 16:05》
「事故で死んだ人の慰霊とかじゃない?」
僕が言うと、美咲が急に黙り込んだ。視線の先にある、さらに新しい真っ白なブロック。その見えにくい側面に、のみで削ったような字が並んでいた。
《高橋健太 8/28 21:17》
「……おい、なんだよこれ」
健太の顔から血の気が引いた。
「おい! そこのガキ、見るな!」
防波堤の上から、作業服の男が叫びながら駆け下りてきた。あまりの剣幕に、僕らは身をすくめて自転車で逃げ出した。
その夜、健太はグループチャットで強がっていた。
『21時17分まで家から出ない。自室で鍵かけて座ってる。これで俺の勝ち』
21時15分。
『あと二分』
21時16分。
『生きてたら明日ジュース奢れよ』
それが最後のメッセージだった。
21時17分。
庭から脱走した飼い犬を追って道路に飛び出した健太は、暴走してきた軽トラックにはねられた。即死だった。
翌日の午後、僕と美咲は引き寄せられるように防波堤へ向かった。昨日の作業服の男が、ブロックの間で黙々と作業をしていた。
僕らは震える声で男に詰め寄った。
「あれ……事故のあとに刻むんじゃないですよね」
男は手を止め、ゆっくりと僕ら振り返った。その目はひどく乾いていた。
「工場から運ばれてきた時点で、もう刻んである。名前も、時刻もな」
「じゃあ、予言なんですか!? 健太が死ぬって知ってたなら、なんで……!」
美咲が叫ぶと、男は深く息を吐き、煙草に火をつけた。
「昔、教えに行ったことがある。だがダメだった。家に閉じ込めても、遠くに逃がしても、警察に預けてもな。場所と死に方が変わるだけで、刻まれた時刻には必ず死んだ」
「だったら……! だったらこんな呪われたブロック、置かなきゃいいじゃないですか!」
「一度だけ、納品を拒否したことがある」
男は灰色の海を見つめた。
「その日、届くはずだったブロックは一基だけだった。だが設置を止めたら、その日の午後に遊覧船が沈んで、四十人が死んだ」
波が、低く濁った音を立てて砕けた。
「それ以来、届いたものは全部置くことにしている。一基につき一人なら……まだ損害は少ない」
僕は足元に転がる灰色の塊を見下ろした。
四本ある足のうち、一本は必ず砂に埋まって見えなくなる。見えないものほど、最初から数に入っていないのだ。この街の静かな海も、安全な日常も、あの埋もれた足の上に成り立っているのだとしたら。
その時、重苦しいディーゼル音が響き、大型クレーン車が防波堤の空地に滑り込んできた。
荷台には、工場から届いたばかりの真っ白なブロックが二基。
美咲が真っ先に、それに気づいて悲鳴をあげた。
側面に刻まれた、真新しい刻印。
《佐藤美咲 14:12》
そして、その隣のブロック。
《小林蓮 14:13》
僕が手元の腕時計に目をやると、デジタル数字は『14:10』を指していた。
あと、三分。
「逃げよう! 海から離れれば……!」
美咲の手を掴み、僕らは夢中で走り出した。自転車も捨て、防波堤の階段を駆け上がり、海岸沿いの県道へ飛び出す。
背後で、クレーン車の甲高いバック警告音が鳴り響いた。
「アームが戻らん! ブレーキが効かねえ!」
作業員の怒号と、金属が軋む凄まじい悲鳴。
振り返る余裕すらなかった。14時12分、背後で美咲の悲鳴が途切れると同時に、影が僕の上空を覆い尽くした。
翌日の地方紙の社会面には、小さな記事が掲載された。
『海岸整備工事現場でクレーン車のワイヤーが切断し、落下した消波ブロックが崩落。付近を走行中だった高校生二名が巻き込まれて死亡した。事故当時、現場では消波ブロック二基の設置作業が行われており、これにより今年度の防波堤強化工事はすべて完了した。なお、同海域における昨日の海難死亡事故件数はゼロであった』
街の平和な景色の中に、今日も新しい灰色の足が、一本深く埋め込まれている。




