励ましの真の意味
雨の降る深夜、駅前の小さな居酒屋で、佐藤真一は一人静かに杯を重ねていた。
今日もまた、重要なプレゼンでスライドの順番を間違え、クライアントの前で盛大に噛んだ。
完璧に終わった、と頭を抱えていた真一に、チームリーダーの吉村はなぜか穏やかな笑顔で言ったのだった。
「いいんだよ佐藤くん。君のおかげで、みんな肩の荷が下りた。本当に感謝しているよ」
厳しいはずの同僚たちまでが、
「佐藤さん、お疲れ様!」
と温かく肩を叩いてくれた。
それどころか、先頭で足を引っ張り続けているはずの自分の給料は、なぜか毎年のように上がっている。
真一は生真面目だが極度に自己評価が低い。
こんなポンコツな自分になぜ皆が優しいのか。
嫌味なのか、あるいは哀れみなのか。
惨めさと不気味な葛藤に身を焦がしていた。
「……浮かない顔ですね、佐藤さん」
隣に座ったのは、社内のメンタルヘルスを担当するカウンセラーの男だった。
男は温かい眼差しで真一のグラスに酒を注ぐ。
「今日の失敗、聞きましたよ。素晴らしい自滅ぶりでした」
「バカにしないでください。僕はまた迷惑を……」
「滅相もない!」
男は身を乗り出した。
「君は自分を責めすぎだ。一昨年、君が大規模な誤発注をした時、鬱病寸前だった同期の田中くんが『あいつに比べれば自分のミスなんて可愛いものだ』と正気を取り戻したのを覚えていますか?」
「え……?」
「昨年のデータ誤消去もそうだ。離職率トップだった我が部署が、君の圧倒的な不器用さを見ることで『自分はまだやれる』と自信を取り戻した。君はみんなの心を救ってきたんだ」
男の言葉に、真一の胸は不覚にも熱くなった。
今まで誰からも必要とされなかった自分が、実は人の役に立っていた。
焦りと自己嫌悪で押し潰されそうだった心に、甘い歓喜が満ちていく。
「でも、僕なんかが評価されるなんて……」
「胸を張りなさい」
男は真心のこもった笑顔で言った。
「我が社は高負荷な現場です。優秀な社員ほど潰れやすい。だからこそ、君という『絶対的な下限』が必要なんです。君が派手に失敗し惨めに落ち込んでくれるおかげで、他全員が精神的優位性を保ち、今日も笑顔で働けている」
男は真一の肩を力強く叩いた。
「君の給料が高い理由が分かったでしょう? 君は我が社で最も重要な『メンタルインフラ』なんです。だから、これからも頑張ってくださいね」
上機嫌に去っていく男の背中を、真一は呆然と見送った。
胸に満ちていた温かい歓喜は一瞬で冷め、底なしの悲哀と冷や汗が全身を駆け巡る。
あたたかい“励まし”の正体。
それは、自分が他人の自尊心を保つために飼育されているという、残酷な宣告だった。
真一はブルリと身震いし、冷え切った酒を飲み干した。




