第58話 知らぬは本人のみ
私は報告のために、父上の執務室に近い談話室の扉をノックし、返事を待って中へ入った。
「レオンハルトが、ようやく覚悟を決めました」
談話室には父上と現侯爵が座り、宰相と総長がそれぞれ後ろに控えていた。
「ようやくか」
ソファの肘掛けに頬杖をついた父上は、深いため息とともにそう漏らした。
「では、届いた釣書は開封せずに置いておきましょう。もっとも、セレナ本人の気持ちが最優先ですが」
義父として彼女を守ろうとする現侯爵の言葉に、父上は鷹揚に頷いた。
「セドリックも、レオンハルト殿を随分と気に入ったようです。あの子が家族以外に心を開くのは珍しいのですよ」
確かに、セドリックの考え方は十歳とは思えないほどしっかりしていた。光の侯爵家の嫡男として、現侯爵が厳しくも丁寧に育ててきたのだろう。
「騎士団長にして近衛騎士。家柄も申し分なく、本人の忠誠心も疑う余地はない。リヒトベルク侯爵家の令嬢の婚約者として不足はあるまい」
現侯爵と私は、揃って大きく頷いた。
「ふふふ」
急に、父上の後ろに控えていた総長が笑った。
あの騎士団総長が、珍しく満面の笑みを浮かべていたのだ。
……怖い。
戦場でも見たことのない顔だった。
「ようやく孫の顔が見られますな」
「まだ想いを伝えてすらおりませんよ、総長」
「何を言う。ここまでお膳立てが整っていて、失敗する方が難しい」
「本人は命懸けの覚悟を決めていましたがね」
「……あやつは戦場以外では本当に鈍いな」
幼い頃から剣を振るうことしか教えてこなかったのは貴方でしょう、と言いたかったが、めでたい雰囲気に水を差す必要もないだろうと黙った。
かつては誰にも頼れなかったセレナが、今では本人の知らないところで、大勢に幸せを願われている。
いつの間にか、彼女にはこれほど多くの味方ができていたのだ。
そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「では、式はいつ頃がよろしいでしょうか」
嬉しさを隠せない総長の声に、私はゆっくりとため息をつく。
「ですから——」
「何を言う。善は急げだ」
唯一、総長を止められるはずの父上が、ニヤリと口角を上げた。ああ、これは悪ノリする気だな……
「式場なら城の大礼拝堂を使わせてもよいぞ」
「陛下まで何を仰っているのですか」
「めでたい話ではないか」
「ですから……」
「陛下、まずは本人たちの気持ちを確かめてからにいたしましょう」
現侯爵が苦笑しながら窘めるが、父上と総長の勢いは止まらない。
宰相も困ったようにため息をつきながら、どこか嬉しそうに二人を眺めていた。
「では、あとは若い二人に任せるとしよう」
陛下はそう締めくくったが、どの口が言うのだろう。
背後では、総長が未だにニヤニヤとした笑みを隠しきれずにいる。
レオンハルト。早く想いを伝えた方がいい。
でなければ、告白より先に結婚式の準備が始まりかねない。
私は大事な幼馴染に再度助言することを、心に決めたのだった。




