第3話 眠れない患者と、眠らない少女
痛みに耐えられず、小さな身体を撥ね飛ばしてしまったというのに、優しく撫でられる腕と、「大丈夫、大丈夫」という穏やかで安心させるかのような言葉に、不思議な感覚を覚えた。
そして、彼女の手のひらから美しい魔法が紡がれると、俺の胸から脇腹にかけて抉られたような深い傷は、見た目はそのままに痛みだけを感じなくなっていた。
呆然と痛みを取り除いてくれた少女を見つめていると、怒鳴り散らしている上官らしき男が彼女を突き飛ばした。
なんてことだ……。俺は驚きのあまり、言葉が出なかった。「ありがとう」と言うべきだと理解はしていたのだが、彼女の扱いがあまりにも酷くて、握り締めていた拳の指が、真っ白になっていた。
どういうことだ? 怪我が治るにしろ、最悪の事態で治らなかったにしろ、「痛みを取り除く」という行為は、下手すれば傷を治す治療よりも価値があるだろう。それを分かっていないのか?
ここに来ることになったのは、俺の主である第二王子ユリウスからの依頼だった。依頼内容は裏金が動いている可能性があるから、ついでに潜入捜査を、ということだったのだが、それ以上の出来事を目にしてしまった。
これは今は騒がず、後々部屋の誰かに聞いてみれば分かることだろう。神官どもに聞いてもはぐらかされるはずだ。潜入捜査なのだから、いきなり目立ってしまうことは避けたい。
「騎士様、本日の治療はここまでとなります。もちろん、騎士様を最優先で治療に当たらせますので、ご安心ください」
手をこすりながら下手に話しかけてくる男は、媚びているようで気持ち悪く感じた。ああ、ユリウス殿下に報告しなければならないのだから名前を聞いておくか。
「……名は?」
「は、はいっ、私は高位司祭のローレンツと申します!」
「そうか。覚えておこう」
「あ、ありがたき幸せ!」
何を勘違いしているかは知らぬが、ローレンツは要注意人物だと殿下に伝えなければ。しかし、動けなければ報告もできない。
「……この程度の怪我は、どれくらいで治る」
「あ、はい。その、早くても三ヶ月はかかるかと」
やはり、かなり時間がかかるな。想定はしていたが、スタンピードは酷くなるばかりだ。前線に急ぎ戻りたいところだが、神殿の調査もしなければならない。
「……随分と考え込んでいるな」
隣のベッドから声がかかった。
「……」
今は潜入捜査中だ。軽々しく接触するべきではないだろう。俺は沈黙を貫くことにした。
「悪い。詮索するつもりはねぇよ」
軽く手を上げた男は、それ以上は何も言わなかった。
だが、その視線が一瞬だけ、先ほど少女が消えていった扉へ向けられたことを、俺は見逃さなかった。
★★★
痛みに目が覚めて、つい唸り声を上げる。
くっ、俺としたことが。誰かを起こしてしまわなかっただろうか。そんなことを心配している余裕が無いほどに、痛みが強い。歯を食いしばって耐えていると、パタパタと誰かがこの部屋に向かう音がする。
「キィーッ」と扉がゆっくりと開く音がした。
「誰だ……っ!」
痛みに耐えられず、つい低い声で問いかけてしまう。部屋に入って来たのは、昼間に痛みを取ってくれた少女だった。
薄暗い部屋の中を、キョロキョロと見渡した彼女は、身体を起こしている俺と、俺の額の汗に気づいたようで、無言のまま近づいて来た。
「痛みを取ります。大丈夫ですからね」
昼間と同じように腕をさすってくれ、痛み止めの魔法を展開すると、身体の痛みだけではなく、狭いベッドで寝返りを打てないせいで軋んだ身体の痛みまでが取れ、楽になった。
「おやすみなさい」
彼女は一言挨拶をすると、俺がお礼を言う前にそそくさと部屋から出て行ってしまった。
昼間も働いていたよな。理不尽に突き飛ばされても文句を言わず、こんな夜中に痛みを取ってくれた幼い少女。
それなのに、ここでの扱いが酷くないか? あのローレンツという男だけが彼女を虐げているのだろうか。
「うぅ……痛い……」
斜め前の爺さんが、痛みに唸り声を上げた。
すると、さっきと同じように、パタパタと足音が聞こえる。まさか、またあの子が来るのか? まさかな。あれから随分と考え込んでしまったから、数時間は経っているはずだ。
「今、行きますね」
「ああ、すまないね。ううっ……」
「大丈夫ですよ、すぐに痛みを取りますからね」
「ありがとう、本当にありがとう。いつも夜中に悪いね」
「大丈夫ですよ。おやすみなさい」
そう言って、また彼女は部屋を出て行った。この神殿には、いくつ部屋があって、彼女はいくつの部屋を担当しているのだろうか。
不可解というか、不思議なことが目の前で起こっている。
いや、まさか、こんな幼い少女に……。きっと、今晩は偶々当番だったのだろう。
「いててて……」
今度は隣の男が声を上げた。案の定、彼女がパタパタと部屋へ訪れて来る。
「大丈夫ですからね、すぐに痛みを取ります」
「いつもありがとよ、お嬢ちゃん」
……また彼女なのか。
まさか、本当に一晩中こうして回っているのか?
こんな怪我人ばかりの部屋を担当させるなんて、あのローレンツという男は何を考えているんだろうか。
……いや、この部屋が一番少ない可能性もあるのか。
身体を動かすことができない俺が見て回ることは不可能だ。調査したければ、多少は傷口が塞がってからになるだろう。
「おい、兄ちゃん。顔色が悪いぞ」
隣の男が声をかけて来た。昼間に声をかけてきた男だ。
「……問題ない」
「そうか。まあ、痛むなら呼べ。お嬢ちゃんが楽にしてくれる」
「お嬢ちゃん?」
「さっきの小さな聖女見習いだよ」
色々と聞きたいところだが、この男が信用に足るかはまだ分からない。今は曖昧な返事をする程度が良いだろう。
「そうなんだな。腕の良い聖女見習いなんだな」
俺の言葉に、声を潜めた男は、小さく答える。
「ああ、そうだな。助けられた奴は多い」
「……そうか」
これ以上は、俺から詮索すべきでは無いだろう。放っておけば、勝手に話してくれそうだしな。
俺は大きく息を吐いた。疑問は尽きない。だが、今の俺にできることは限られている。
野営で慣らした身体は、多少の懸念を抱えたままでも眠ることができる。今は回復を優先すべきだ。
こうして疑問を抱えたまま、俺の意識は眠りへと落ちていった。




