第2話 痛みに寄り添う子
セレナが神殿で祈りを捧げるようになってから、三度目の秋。
冬になると食糧が減ることを知っているかのように、魔物は活発に活動を始める。
そんな神殿も狩人も多忙を極めていたある日。この地域では数年に1度は起こるスタンピードが発生してしまった。
国への応援が間に合わず、神殿の中は怪我人で溢れかえっていた。
「ちょっと、グズね! あんたがやりなさいよ!」
蹴飛ばされたのは雑用係と決めつけられたセレナという少女だった。王都の孤児院から連れて来られたという少女は、俯いて小さく「ごめんなさい」と呟く。
最初の頃は抵抗もしていた。しかし理不尽な暴力や嫌がらせはなくならず、寝る間もなく働き続けた結果、彼女は倒れた。
それでも状況は変わらなかった。
半年も経たないうちに、彼女は「ごめんなさい」としか言わなくなってしまった。
「お嬢ちゃん、顔色が悪いよ。少し休んだらどうだい?」
声をかけたのは、魔物から村を守ろうとして怪我を負い、二ヶ月前からこの神殿でお世話になっている村人のトーマスだった。
年若い少女が、誰よりも忙しなく働いていることを、彼はずっと気にかけていた。
「大丈夫です、ありがとうございます」
そう言って頭を下げる少女の頬はこけ、顔色は青白い。
それでも彼女は、痛みに顔を歪める患者を見つければすぐに駆け寄り、汚れたシーツを抱えて廊下を走っていくのだ。
「……どこが大丈夫なんだか」
トーマスは、小さくため息をついた。斜め前の爺さんの痛み止めの魔法があと一時間もせずに切れるだろうから、その時にまた彼女は誰より早く気づき、爺さんの元へ駆けつけるのだろう。
「あんなに幼気な少女をボロボロになるまで……可哀想に」
ここでは文句を言えば追い出される。彼女の献身のおかげで何とか回っている神殿のくせにと、少なくともこの部屋の怪我人たちは思っていることだろう。
「ううっ——!」
ああ、爺さんの痛み止め魔法が切れたらしい。苦しむ声を聞きつけたセレナが爺さんの背をさする。
「今、痛み止めの魔法をかけます。少しだけ、我慢してください。大丈夫。すぐに楽になりますからね」
優しく背をさすりながら、祈りを捧げる彼女は美しい。白い魔法に金色の粒のような光を纏っていて、とても神々しく見えるのだ。
それを妬む聖女見習いや聖女たちは、有無を言わせず無理難題を彼女に押し付けているのだった。
「ふう、楽になったよ。ありがとうね、お嬢ちゃん」
「痛みが無いからと、無理はしないでくださいね」
「ああ、分かっているよ。これ以上、お嬢ちゃんに迷惑はかけたくないからね。おとなしくしているさ」
先ほどの唸り声が嘘のようにカラカラと笑う爺さんに、ホッとしたような顔を見せるセレナ。
そしてまた、誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「セレナ! どこにいるの!? 早く洗濯物を集めてしまいなさいよ!」
「……」
立ち上がり、数歩進んだ彼女の手をトーマスは無意識に掴んでしまった。どうしても、もう少し休むように説得したくなるのだ。
「少しは人に頼りなさい。嬢ちゃんは頑張りすぎだ」
「……ありがとう、ございます」
その直後だった。
「怪我人だ! 道を開けろ!」
スタンピードは益々酷くなっているようだ。今回は神殿の広間に入りきれなかったのか、この部屋のベッドの合間にまで怪我人を寝かされていた。他の部屋も怪我人で溢れているのかもしれない。
「退いてくれ! そこのベッドへ!」
一つだけ空いていたベッドに運ばれて来たのは、体格の良い、若い男のようだ。
「止血を! 聖女たちを呼べ!」
この神殿の高位司祭が大声で指示をしている。普段は神殿の仕事を聖女見習いである娘たちに押しつけ、自分は口を出すだけの男だ。何か必死にならざるを得ない理由があるのだろう。
「……っ、離せっ! 触るんじゃねえ!」
男は痛みにのたうち回り、運び入れ、押さえつけていた男たちを撥ね飛ばしてしまった。
「セレナ! セレナはどこにいる!? すぐに呼んで来い!」
近くにいた神官を怒鳴りつけると、聖女見習いたちがセレナを突き飛ばすようにして司祭の前へ押し出した。
「セレナ、早く痛みを止めるんだ! 何をしている、早くしろ! グズめがっ!」
バシッと背中を叩かれ、数歩前に進んだセレナは、咳き込みながら大男の前に立ち止まった。後ろでは「早くしろ!」と怒鳴る司祭の声に、必死で魔法を展開しようとするも、痛みで暴れる男に撥ね飛ばされてしまう。
「かはっ……!」
背中を強く打ち、セレナの喉から苦しげな息が漏れた。あまりに苦しかったのだろう、彼女は自分に魔法を展開しようとする。しかし、それを司祭が遮った。
「おい、セレナ! 自分に魔法を使うことは許さんぞ! 神殿の聖女見習いとして入った時に言っただろう! お前の魔法は神殿のものだ! 勝手に使うことは許さん!」
苦しさに胸を押さえ、床に伏せているセレナの腕を掴み、無理やり立たせて大男の前に突き飛ばした。
「早く痛みを取るんだ!」
セレナは大男の太い腕をさすり、小さな声で「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。
怯える様子もなく、ただ相手を安心させようとするかのように。
そして、魔法を展開した。パァーッと明るい光が部屋中に広がる。
「……っ!」
大男の表情から険しさが消える。
「痛みが……消えた……?」
胸から脇腹にかけて深く負った傷を、信じられないといった様子で見下ろした大男は、驚いた顔をしながらもセレナをジッと見つめる。
「退け! 聖女たち、止血と治療を!」
またもや邪魔者扱いされたセレナの小さな体は、突き飛ばされるたびに壁やベッドの角へぶつかって痣を作っていた。
追い出されるわけにもいかない私たちは、この優しい少女を救うことができずにいるのだった。
――ただ一人、あの男を除いて。
セレナを見つめる大男の瞳だけが、どこか違っていた。




