第二話 地獄の御首級
ひたすら森を歩いていた男はここに来て初めて喉の渇きに気づいた。
(どこかに川はないか)
ふらふらと水を求めさまよっていると森が開けて池が現れた。
「仏はわしと共にあるようじゃ」
男は仏の加護に感謝し水をすくった。喉が上から下へ潤っていくのを感じる。これほど心地よいのは龍の巣穴で用を足したとき以来だ。
「少し疲れたな。今晩はここで明かすか」
男はほとりの木に背を預け、太刀を抱いて寝た。曇り空はいつの間にか晴れ、二つの月が夜空に浮いている。池には動物も水を飲みに来るようで、鹿や熊から双頭の鳥や火をまとう馬まで魑魅魍魎が集まっていた。
夜が更け魑魅魍魎も各々去っていった頃、男は用を足すために目覚めた。
(ここに来てから用を足してばかりじゃな。そんなに水を飲んだ覚えはないのじゃが。それに腹も空いてきた。兎がいればとって食おう)
帯をゆるめ木陰にかがんだ時、すぐそばで何かの声がした。男は咄嗟に息をひそめて太刀に手をかけた。
(こんな夜更けに出歩いているとはまともではないの。まさか野盗か?じゃが話が通じるやもしれぬ。行ってみる価値はあるな)
自分のことはさておき、男は茂みを這って声のする方へと向かった。
近づくにつれて声ははっきりしてくるが男の知る言葉ではない。茂みからそっと頭を出して声の主を見ると、それは小柄な人の影であった。歳は十二、三といったところであろうか。5,6人はいる。それに荷馬車を連れている。
(幼いな。じゃが何故荷馬車が?話をすればわかるやもしれん)
男はざっと茂みから飛び出し、人影へと歩いた。すると人影は騒ぎ始めた。
「拙者、辰兵衛と申す。怪しい者ではござらん。少し腹が空いているのじゃが、何か食い物を恵んではくれぬか」
変わらず人影は騒いでいる。
「お主ら何者じゃ?」
雲間から漏れる月明かりが人影を照らした。顔は人のそれではないほど醜い。しかも手には弓や棍棒、血のついた剣を持っている。
男とその異形の目が合う。
「これは人違いだったようじゃ。夜分遅くに失礼つかまつった。さらばっ!」
男は振り返ると全速力で森へと駆け出した。後ろでは騒ぎ声が大きくなり男の後を追ってくる。時折、近くの木に刺さる矢が男の尻に鞭を打つ。
(あれは鬼じゃっ。ここは地獄で間違いないんじゃっ)
森を駆けながら鬼をどうすべきか考える。この太刀でどうにかなるであろうか。しばらく刀を振っていないが腕は鈍っていないだろうか。様々な不安が頭を横切る。
(せっかく頂いた命じゃ、ここでやられるわけにはいかん。それにはじめから鈍る腕などないんじゃ。武家の嫡男として戦わぬのならばどうする。真の武士は敵に背を見せん!)
池のある場所に出ると、背水の陣といったようにふぅっと息をついて太刀を握った。森の中から鬼の声が聞こえる。
(どこから来る。右か?)
二匹の鬼がわっと森から飛びかかってくる。男は抜きざまに一匹、返す刀で二匹目を斬った。斬られた鬼はよろめいたかと思うと、血を吹き出して倒れた。
(いざ、参る)
男は鮮血のつく太刀を片手に森へと分け入った。中では鬼が騒いでいるが、男を見つけられていないようだ。
風が森を吹き抜ける。男の足音はかき消された。
どさっ、どさっと何かが倒れる音が響く。鬼は仲間を呼ぶが返事はない。矢をつがえて木々の奥にある闇に弓を引くが、アイツが見えなければ狙いも定まらない。
森に入り小枝を踏んだ時、体を刃が貫いた。
「恨んでくれるな。鬼よ」
ざっと太刀を引き抜くと、死体をその場に残して太刀を池ですすいだ。池に映る月が赤く染まっていく。
返り血のついた顔を洗い、水面の男を見た。この男は命を拾ったというのに、なんとも浮かない顔である。
(初めて人ほどの大きさのものを斬ったが思っていたよりも重いな。醜い鬼であるからよかったが、もしこれが人であったらと思うと…)
震える手を見る。真の武士になるためには人を殺めることもあるだろうから、こういったことには慣れねばならない。
「ともかく、飯じゃ」
鬼が連れていた荷馬車をあさると、干し肉などの食糧が見つかった。これはありがたいと男は腹いっぱいに食った。
(そういえばここは道なのか。やけに開けておる)
荷馬車が残された場所は森が開けており、それが向こうまで続いている。獣や鬼が作ったものなのか、人が通したものなのかはわからない。
前世から数えても久しぶりに腹を満たした男は安心して眠りについた。
朝。何かが体をゆすり目が覚めた。そこには全身を金属で覆った人型の何かがいた。
「何者じゃ!」
太刀を取ろうとするも、腕が縛られている。男は必死に抵抗したが、その人型はそれを抑えて男に言った。
「おい!暴れるな!お前がこの馬車を盗んだことはわかってるんだぞ!」
(おお、言葉がわかる)と男は感動で少し黙ってしまった。しかしその言葉の意味を理解するや、すぐに反論した。
「拙者は盗みなどしておりませぬ!あれは鬼を退治したことへの褒美にござりまする」
「はぁ?この荷馬車はゴブリンに襲われた商人のものだ。それを見たお前がゴブリンから奪い取ったのだろう。今、白状すれば罰は軽くなるぞ」
「根も葉もないことにござりまする!拙者は断じてそのようなことしておりませぬ!」
「うるさい!お前には積荷代と罰金を支払う義務がある。詰所までついてきてもらうぞ」
周囲には同じように金属をまとう人型が他にも3人いる。この4人は一体何者なのだろうか。言葉の通じる鬼なのだろうか。
するとそのうちの1人が頭の金属を外してこっちに来た。まぎれもなく男の人である。鬼ではなく人であることに安心したが、なるほど、この金属は具足らしいということがわかった。確かにどの人も鞘のようなものを携え、傍らには乗ってきたのであろう馬が数頭いる。
「隊長、やはりこの馬車で間違いありません。3日前にゴブリンが持ち去ったものです」
先ほどから男に詰め寄っているこの武者は隊長と呼ばれている。鎧には花の紋がついているように見える。
「やはりそうか。ならこいつと一緒に持って帰るぞ」
「ちょっと、拙者の話も聞いて下さ…」
「黙れ!」
閻魔の沙汰の前に裁かれるのは嫌だ。しかしこの花紋の武者に気圧されて男は黙ってしまった。
そういった問答をしていた時、一人の武者が叫んだ。
「魔物が来ます!」
何を言っているのかさっぱりわからなかったが、武者たちは剣を抜き臨戦態勢だ。男は縄を解こうともがく。
突然、大きな音がした。土ぼこりがあがり木がなぎ倒され、その中から頭は牛、体は巨人の異形が姿を現した。男はあまりの光景に硬直してしまった。
「ペペ!ヤツの動きを止めろ!」
花紋の武者の指示で一人の鎧武者がぶつぶつと念仏のようなものを唱え始める。すると牛頭は何かに拘束されたようになった。
「今だ!」
他3人の武者が牛頭を囲む。牛頭は拘束されながらも腕を振るい足を鳴らしている。
「ズサール!いけ!」
1人の武者が飛びかかった。が、牛頭の拳を刃で受けきれず後ろに突き飛ばされてしまった。そこへすかさず念仏を唱える武者が駆け寄る。そのせいか、牛頭の拘束は解かれて剣を抜く2人の武者に対面した。しかし武者2人では牛頭の攻撃をかわすのがやっとで、攻撃することなどほとんど不可能であるようだ。
その様子を眺めながら、男はついに縄を解くことができた。近くにいた馬にまたがると手綱を引いた。馬のいななきに牛頭、武者達の目線が集まる。
「お前!逃げる気か!」
花紋の武者が叫ぶ。もちろん、男は逃げたかった。しかし武家に生まれた者として、真の武士を志す者として戦場に背を向けることは許されない。男は太刀を抜いた。
「我は南滝庄を生まれに持つ砂川辰兵衛重孝と申す者なり!先の乱で百人斬りをなし足軽大将に召し抱えられた砂川興孝を祖に持つ者じゃ!この辰兵衛と刃を交えること、冥土の土産とせい!」
誰も何も言わない。しかしその目は男にくぎ付けであった。
「では参るぞッ!」
ひずめの音を軽快に鳴らしながら、男は太刀を振りかぶって牛頭に向かう。状況を理解したのか、牛頭は咆哮を上げて男を迎え撃つ。
太刀の切っ先が届くより先に牛頭の腕が振り下ろされる。男は拳を太刀で受け流し、牛頭の横を通り過ぎた。やはり一筋縄ではいかないようだ。あまりにも強い牛頭の力に、太刀を持つ手がじんじんと痛む。太刀を手放さなかっただけでも褒めてもらいたいくらいだ。
「はっ!」
手綱を操再び牛頭に向かう。手の痛みが恐れを生んだが、それを振り払うように馬を急かした。
ガキンと再び太刀が鳴る。受けるので精いっぱいだ。苦戦する武者たちの姿が思い出される。
そういえば、あの武者たちはどこへ行ったのだろうか。男が初撃を入れてからというもの見ていない。まさか逃げたのか?武を生業とする者としてそんなことは許されない。
…だが、武者たちが逃げたなら仕方がない。「わしでは太刀打ちできん」と逃げようとしたとき、牛頭がよろめいた。
「今だ!やれ!」
武者たちが牛頭の足元に回り込み、足の筋を斬ったのだ。牛頭は咆哮を上げながら暴れる。武者たちは突き飛ばされた。しかし立っていられないらしく、牛頭は膝をついた。
(これならやれるかもしれない)
男は馬を駆り、牛頭の首をめがけて太刀を振りかぶった。牛頭も拳を振るうが、その動きがぴたりと止まる。1人の武者が念仏を唱えているのだ。
過ぎ去りざまに、男は太刀を力の限り振った。これまで感じたことのない重さが腕に伝わる。雄叫びを上げながら刃を進めていく。じわじわと刃は首を割き、骨を断ち、そして首を斬り切った。ひずめの音が牛頭の横を過ぎる。
どさっと地に牛頭が落ちた。続けて巨大な体も土ぼこりを上げる。歓声は起こらない。ただ森のざわめきが牛の首から流れる音を覆っていた。




