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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第七章 精霊王国編
98/103

『試練の時』


《ケイラン・マグナス、あなたがここにいるってことは、やはりウラヌスはヴェイドからつながる『世界樹』のことを知っていて、そこにあると思われた別次元世界を、いいえ、9つすべての世界を支配しようとまで考えていたのね?》

 とミーガンが深刻に尋ねると、手にしている『欠片』を見つめていたエルフの大魔道士ケイランはどこか悲しげに目元を陰らせ、頷いた。

《多少の誤認や思い込みも手伝ってはいたであろうが、この『欠片(アーティファクト)』の存在のことは確信していただろう。彼は私の研究や調査の資料をすべて見ることができる立場にあったわけだからね。事の発端は私なのかもしれない。私はエルフで、彼は人間だった。それも優秀な。人間の感覚を把握しきれず、ウラヌスに途方もない夢をいだかせてしまった…それがすぐに野望に変化してしまうという人間の特性を、私は最後までわからず、自らが引き起こしたことの始末をつけるまでに多くの犠牲を払わせることになってしまった…そして今回も…》

 ケイランのアメシスト色の眼差しが、呆然と突っ立っている龍児に向けられる。

《ロア・メナースが復活を企んでいたことにもっと早く察すればよかったと悔やんでいる…あのシャッテンの欲深さは妄念に囚われた悪霊より性質が悪い。冥界で永遠に氷漬けにされていると思い込んでいた私の失策だ》

 すると、そういった感受性にエルフ並みに薄い元古代の民であったヌーノが、何らかの計器でもって若木の檻に閉じ込められている冬の精霊をスキャンしながら、言った。

《こうなってしまったらもう誰の責任とかいう問題ではないと思うよ。この精霊体、じきに覚醒するみたいだし。いくら悪意に染まったからといって、簡単に消滅させるわけにはいかないよね? この世界は四季で回っているのだし、そのひとつをなくしたら、エーテルのバランスも、光闇のバランスも崩れる。僕たちにできることと言ったら、人工的にそういったものの粒子を生み出すことができる程度で、根本的な解決策にはならない。この精霊体は、あなたが持っているものに固執して、この場を乱すような行動に出ることは間違いないと思う》

 これを聞いた面々は、季節の大精霊を前にして、その狂った意識をどうやればもとに戻せるか全くわからないように意気をなくした。

 先ほどの地上で発動させようとしていた『天之四霊』のフォーメーションからの連続があったとしたら、龍児を加護する青龍に内包される「春」の恩恵を発揮できたのであろうが、ここにいるのは自分だけである。

 樹木の檻がわずかにきしみ始めていた。まるでそこに閉じ込めた忌まわしい怪物か何かがやたらめったらにがたがたと抵抗しているかのようだ。龍児は場違いにもそんな光景を見て、何かのホラーゲームのワンシーンみたいだと馬鹿馬鹿しいことを連想した。(彼はホラーゲームもやるらしい)

 そんな一瞬の緊迫感の緩みのおかげなのか、ミーガンがいきなり言った。

《そうよ! なんて馬鹿なのかしら、私! なんのためにこのダンピールをここに来させたか、すっかり忘れてたわ!》

 視線が、黒髪の魔性の混血に向く。

 ケイランがハッとして問うた。

《君が持っているそれは、ひょっとして「再生の卵」ではないのかね?》

 コンスタンティンは言われるがままに、大切にビロードの布でくるんだものを懐から取り出し、応えた。

《それがこのことを指すのであれば、確かに持っている》

 はらり、と彼が布をめくると、そこにはオパールのように虹色にまろやかな照りをした卵型のものがあった。

〈おお、それはいかにも「再生の卵」。本来であれば、秋の時季に、春の芽生えを冬の仮死の眠りの間、保つために生じる四季の巡りにおいて欠かせない重要な輪の一つ。しかし、この度のことで、秋は春の芽生えを守る「卵」を準備することができませんでした。ゆえに、このままであれば、春は訪れず、この四季の精霊界は夜の精霊界であるヴェイドに侵食されるか、その両方共が消滅することになったでありましょう〉

 と春のプリシラが説明をすると、失意のダンピールは乾いた涙をこぼしているような表情でその卵を見つめ、独り言のように言った。

《これは私に、人らしいくつろぎと慰めを与えてくれた…最期までこうして私を温めるようにそばにいてくれる…彼をこのようなことにしたのは、私の頑迷な意識のせいである。さきほど、幼き姫君にも諭されたが、復讐のあとには何も残らない…何もないどころか、悪意の種をまき散らしただけになった…そして、彼は犠牲になった…》

 ここでコンスタンティンはゆらっと顔をあげた。その心情が狂おしい悲哀と喪失に砕かれていることがその場にいる者たち皆にわかるほど、痛々しい表情だった。

《私にできることがあるのなら、教えてくれないか。今の私ほど、死を恐れないものはいないだろう。このような身の上になり、半ば死人の命。それでも何かの役に立つのなら、私のために命を散らせた愛しいものに対し、少しは私の罪も軽くできよう》

〈あなたはそれを愛しく思っていたのですか?〉

 いきなり、秋のフォーリアが尋ねた。

 コンスタンティンは素直に、どこか少年じみた純な仕草で頷いた。

《ああ、愛しく思っていた。これまで何人もの従者をもってきたが、彼ほど私の心を慰め、人間らしい感情を想起させた者はいなかった》

 この告白を聞き、フォーリアは応えた。

〈すでに時節は異常な真冬となっています。今更それを逆行させることはできません。しかし、あたくしの役目である、春へとつなぐ種を残し、命を冬の眠りにつかせるということをできておりません。このままでは、春が到来しても、何も芽吹くことなく、冬の中で命は枯れるでしょう。あなたは、それらを残すための土壌として、その卵と共に眠りにつく覚悟はありますか〉

 コンスタンティンは悲しく微笑み、ふわふわと輝く卵を震える指先でなぞりながら応えた。

《彼の想いが詰まったこれと共に眠れるのであれば、それほど幸福なことはない》

 すると、ケイランが静かに言った。

《そうすることで、君は完全に精霊体となり、君自体の人格を失うことになる。それでも覚悟はあるのか?》

 コンスタンティンはうら寂しい顔つきで卵を撫でながら、

《…私のような存在が世界を救う土台になれるのなら、私の存在してきた意義と言うものを実感できたと言える。これまで復讐の激情を糧にして生き続けてきたが、それが大きな過ちであり、その贖罪がそういうことならば、むしろ身に余ることだ》

 ケイランは小さく頷き、季節の女神を見やった。すると、フォーリアが一歩進み出、言った。

〈皆の者、その春節の檻から離れなさい。一時的に時節を巻き戻し、冬に卵を抱かせましょう〉

 コンスタンティン以外のものたちが距離を取ると、フォーリアは真っ白でふくよかな腕を伸ばし、ダンピールの頭上に掲げた。

〈冬のウィンダミアよ、あなたは命を奪うのではなく、三節を乗り切ったものたちを休ませる時季でもあるということを思い出しなさい。さあ、この卵をいだき、来るべき春の到来を待つのです。秋よ、豊穣と命の連環を担う小さな命たちよ、このものを土壌として根付き、卵の中で春を待ちなさい〉

見よ。

 フォーリアの手のひらからひらひらと舞い散るのは、見事に色づいた木の葉であった。それがコンスタンティンの周囲に降り注ぎ、それが次第にくるくると回り始め、ほとんど中を透過できなくなるほど、紅葉した木の葉の渦は濃くなった。

 それが突然紡錘形にきゅっと形を変え、がたがたと若木の檻の中で抵抗しているものに向かって飛んで行ったのである。

 叫びとも喚き声ともつかず、どんな形容もできないような悲鳴がその場にわんわんと響き渡った。

 すでにコンスタンティンの姿は失われた、強い秋の精霊力をもった木の葉の渦は、柔軟ながら確固とした勢いで、性懲りもなく抵抗しているかのような冬の精霊に向かって正面からぶつかった。

〈うううっ、小癪なっ! その『欠片』を返せ、エルフごときに私の宿願を邪魔されてなるものか…っ! ああああっ、フォーリアめ! そんな卵で私を弄することなど……ぐうううっ、ち、力が抜ける…っ、やめよっ、やめよっ、そのようなものを私の中に埋め込むなっ……ああっ、卵とは卑怯なっ! 私は…私は……卵を抱かずには……いられないのだ……卵よ……私の胸に抱かれて……私は…冬のウィンダミア…凍てつく息を持ちながらこの胸に抱くのは春の卵……〉

 誰もが目を見張っていた。

 魔力を持つものは、その場に溢れかえった芳醇な空気を、持たないものは、抜けるような青空と心を浮き立たせながらも冬支度を始めるときのようなせわしなさを感じた。そして共通して、静謐さを。しんしんと降る雪を思い起こさせ、暖炉ではぜる薪の炎のぬくもり。

 そして瞬きをする間に、若木の檻はくしゃっと崩れて、落ち葉の中で倒れる大精霊がそこにいた。

《…あの人の存在はもう感じられない…本当にいってしまったのね? その、卵の中に》

 ケイが銀色のスキャナらしきものを手にしながら、呟くように言った。

 ケイランは頷き、

《あの卵は奇跡的な方法で生じたようだが、そのもとになっているものとのつながりが深かったのと、あのものが半ば精霊の血を引いていることも、こうして冬の精霊の混乱状態を封じるのに手伝ったようだ。悲しむことはない。卵は春になれば再生し、きっと命の奇跡を見せるのではないかと想像する》

 と言ってから、彼は口調を引き締めて龍児に『欠片』を差し出しながら言った。

《地上の冬はいつもよりは長くなるだろうが、ひとまず卵を抱いた冬はもう荒ぶることはあるまい。むしろ、警戒されるのは、あのシャッテンたちのことだ。これは君に渡しておこう。君たちはこの世界とのつながりが薄く、魔力の影響を受けない。つまり、これが発する「もの」に誘惑もされないし、影響も与えないからだ。それに、君にはあの人物を救う必要がある。その『欠片』が役に立つかもしれない。私はまだやり残していることがあるし、ヴェイドをさまようのは慣れている。あの者らを追跡する手助けをさせてほしい。君たちには世話になったし、私自身、あの人物を虜にさせたままではいられないと思うからだ》

 すると、ヌーノが続けて言った。

《僕たちも探してみるよ。君たちより機動力はあると思うし、君の仲間の一人に僕たちとのコミュニケータツールを渡してあるから、もし何か発見があったらすぐに教えてあげられる》

 龍児は急に現実が迫ってきたかのように、彼にしては珍しく肩を落とし、沈んだ様子で言った。

《この事件を解決するためにきたのに、逆に迷惑をかけるようなことになってしまって、本当に申し訳なく…》

《何言ってるのよ、助けられたのは私たちの方よ》

 ミーガンの強気な言葉に、龍児は首を振り、

《もしかすると、この変事も、僕たちのせいかもしれないのに…》

《それはちょっとおこがましい考えだと思うわ》

 ミーガンの言葉は容赦ない。いつも筋肉頭の相棒と組んでいるからかもしれないが、龍児はぴしゃりと心を平手打ちされたような気分でベレー帽をかぶった小生意気な顔をした魔道士を見下ろした。

 ミーガンはその場にいるものたち、もちろん四季の四柱も含めて、指し示しながら続けた。

《確かにあなたたちはちょっと変わってる。だけど、それだからって、あなたたちが世界を回してるわけじゃない。この世界は、ここで存在してるひとたちのものよ。それとも、あなたたちは創造主気取りなの? 何もかも自分の手で引き起こしてるとか思ってるの? 勘違いも甚だしいわ。一人で責任をしょいこんで、被害妄想が高じたひねくれた驕りは頭を馬鹿にするわよ。あなた、馬鹿じゃないでしょ? ああ、だから逆にその落とし穴に落ち込むのね。私は筋肉馬鹿と組んでるからよくわかるのよ。素直に人の助けを借りること、そして自分にできないことが必ずあるということもしっかり認めることよ》

 これを愕然とした様子で聞いていた龍児に、夏のポーリーンが気風のある笑いを投げ、言った。

〈その小さな人の子の言葉はなかなかに立派だな。身の程を知れということだ、不思議な加護のあるものよ。心配していることは理解できるが、そういう状況になればなるほど、自身を確固たるものに保つ必要がある。この場はもう我らだけでなんとかできよう。我らはその『欠片』をおぬしに託す。その意味をよく考え、独りよがりの偏向した行動に陥らぬように。よいか、その『欠片』はこの精霊界にあったものだ。その意味の重さを理解し、慎重に動くことだ。おぬしにはそれができると信じている〉

 そして夏の精霊はミーガンにも視線を投げ、

〈そこの魔道士はヴェイドを自由に歩けるようだが、道連れに『欠片』を持つものがいては、あの邪なものたちに発見されるとも限らない。特別に私が「道」をつけてやろう。他のものたちは自力で動けるようだからな〉

《それくらいしてもらっても当然ね。こんなに人間の手を煩わせて、二人の命を使ってようやくこの災厄を鎮められたんだから。できれば、春になったらどこかで再生されてくれるといいんだけど。あんな混血だけど、やっぱり生きてきたものに変わりはないんだから》

〈それは冬が明ける時にわかるでしょう。あのものたちの思いにあたくしの何かが反応すれば、ひょっとすると…〉

 春のプリシラが言った言葉は、尻すぼみのようになってミーガンと龍児に聞こえていた。いつしか、彼らは足元をすくわれたような浮遊感と暗転の中に放り出され、一瞬のうちに人間界に戻されていたのである。


*****


 何となく目覚めたくないという気分の中、龍児は重たい瞼をのろのろと開けた。

 見たことのない場所だ。

 天井は高く、意外に緻密に削られた石レンガをドーム状に積み上げてある。

 そこは、彼がひとりでいるには広すぎるくらいの空間があり、壁にある暖炉もまるで製錬炉のごとくごうごうと炎が燃え上がっている。

 彼が安静にされていた寝台も同じく大きかった。腕利きの革職人が処理したのだろう、アザラシやセイウチなどの水生動物の毛皮を思わせるシーツと上掛けは、ごわごわした手触りはなく、むしろ、その滑らかな毛皮の肌触りと圧倒的な保温力を最大限に引き出しているように思われた。

 ここがヴォルガ族の住まう家屋の一室であることはまもなく推察できたが、彼はなぜかそこから動く気が起きなかった。

 どこか別の場所で今後の対策を話し合っていることは確実だと思われたが、今の彼はそういう会議に頭を使うだけの気力も思考力もそがれていた。

 それがなぜかは、明らかだ。

 龍児は、信頼し、全てを預けられる存在のキリルが、あくどい狡猾な顔で敵対してきた時の光景が今でもまだまざまざと瞼の裏に焼き付かせていた。それが彼を虚脱させ、心を折らせていたのである。

 どうすればキリルを救い出せるか。

 龍児は宙ぶらりんになってしまったように腑抜けて天井を見つめた。

 わかるはずもない。僕たちは僕たちをつなぐ要を失ってしまった。どうすればいいかなんて…。

 彼の心は常に凝縮された自我の核を奥深くにしまいこみ、その他の領域はまるで虚ろだった。その虚ろな部分は、どんなにつらい現実に直面しても、無感覚のスポンジに吸い込まれるようにして、彼を本当の傷心から守り続けてきた。

 しかし、レンジャーとなり、新たな自分の可能性と使命感に目覚めた彼は、その虚ろな部分を埋め合わせるものと出会った。そのひとりがキリルだった。

 キリルと言う人物の興味深さもあった。龍児は連邦アカデミーの学徒だったし、知識も追随を許さないほどだと自他ともに認められてはいたが、キリルはそれ以上の現実的な経験と知識、それから柔軟な思考力と的確な判断力、それから何よりユーモアのセンスを兼ね備えていた。彼は他の司令官のもとで動いたことがなかったが、キリルのような上官が珍しいことは、時折聞こえてくる別のレンジャー隊から伝わっていた。だから、普通の上官にはキリルのように親近感を感じるようなことはあまりないのではないかと、彼は想像した。確かに、アカデミーの講師たちやすれ違う連邦軍人たちの様子を見れば、キリルが見せるような態度は考えにくかった。

 そのことにまして、キリルは龍児の心の隙間を絶妙に埋めた。龍児のかたくななパーソナルスペースを侵害することなく、いつの間にかするりと彼の防壁を乗り越え、過剰に無感動の堀を築いていたそこを、滋養たっぷりの、耕されたばかりの柔土で埋め立てるようにしてしまったのである。

 そしてもうひとり、彼が心の扉を開いたものがいたが、そのことは今考えるとますます心が泣き出しそうになるので必死に思い出すまいと顔をシーツに押し付けて堪えた。

 そこへ、控えめなノックが聞こえ、龍児はぎくっとして身体を起こした。そしてそれが誰か感じ、低く言った。

「入っていいよ、アカネ」

 金属で補強された分厚い木の扉がそっと押し開けられ、部屋の広さを再確認させるようにいつもよりずっと小さく見える朱音が入ってきた。

 彼女の表情はぎこちなかった。彼女生来の前向きな性質をもってしても、やはりキリルの拉致は堪えているらしい。

 さらに、彼女が心を痛めていることの奥底にある感情のことは、龍児にはわからなかったし、彼女も表に出すまいと努力していたが、今後のことの会議は大牙と玄人に任せて、こうして彼の様子を見に行きたいという衝動は抑えられなかった。

 もちろん、建前は用意していた。

 レンジャーとしての立場で接する時は何のためらいもないのだが、こんなふうに私的な感情が少しでも介入する場合、彼女はいつもそうしてきた。そして、そういうことをする自分が情けなくも、悲しい気分にもなるのである。

 しかし、どれだけ建前を用意してきたとしても、彼の顔を見ることができ、言葉を交わすことができるだけで、彼女は満足してきた。それ以上は決して望めないとも半ばあきらめていた。自分たちがレンジャーであり、個人の感情が優先されるべき立場にないことを、直情的な彼女でもわかっていたし、彼にはいまだ心を大きく占める存在があることを知っていたからだ。それを侵害してまで自分の気持ちを告白することは絶対にできなかったし、したくなかった。想いを寄せるものが大切にすることを壊せるはずがない。

 朱音は、ヴォルガ族の体格に合わせた大きなベッドの背もたれに寄り掛かって身体を起こしている龍児をとても遠く感じながら、ちょっとずつ近づきながら言った。

「なんか、むつかしい話になってきちゃって、そういうのはあたし、苦手だからクロトに任せてきちゃった。あんたのことも心配だったし」

 本当の優先事項は反対だったが、朱音の拙いごまかしでさえ、龍児は見抜けず、言葉通りに受け取った。これが彼女にとっていいか悪いかは悲しいかな、秘めたる乙女の恋心をさらけ出されないですむことに繋がっていた。

「タイガは? 彼も退屈しているんじゃないのか」

 朱音は、広すぎる室内を持て余しながら、なかなか龍児との距離を詰めれないまま、応えた。

「一応、地軸の傾きを引き起こしてた暗黒物質の流出も止まったし、ゆっくりだけど正常な位置に戻ってるんだって。だからヴォルガ族の人たちが盛大にご馳走をふるまってくれたのよ。あの大食い馬鹿は大喜びでがっついてるわ」

「…あいつらしいな」

 ふうっと長いため息とともに言った龍児の顔色が晴れていないことに、朱音はどんな言葉をかけるかわからなくなってしまった。

 彼女はそろりそろりと龍児の傍に近寄りながら、微妙に顔を俯けて内心を悟られまいと本能的に表情を隠して言った。

「…こうなっちゃったんだから、どうにかするしかないのよ、リュウ。あんたがそんなに落ち込むことはないわ」

 眼鏡をかけていない龍児の眼差しが、無機質にきらりと光り、それが一瞬だけひどく鋭く彼女に突き刺さったが、すぐにそれは両頬にかかる長い黒髪の間に隠れてよく見えなくなった。

 暖炉の強い灯影に当たっていても冷え冷えとした横顔を見せて、龍児は言った。

「もちろん取り戻すに決まっている。落ち込んでなどいない。そんなことで意気地をなくしている場合じゃない」

 朱音はそんなふうに龍児が硬化した横顔をしている時、彼の中では正反対の感情が飛び交っているのではないかと想像していた。

 レイジュウジャーが結成されて三年ほどが経過している。いくら朱音が女性にしては喧嘩っ早く、しとやかでも控え目でも可愛げがあるわけでもなく絶世の美女でもなく強気と負けん気でできあがっているようであっても、むしろ心の沸点が低い分、他人の心の動きを推し量ることは意外に得意だった。特に、相手に恋心を持っていれば、その心のアンテナはより敏感になるのは当然だった。だから、こういう態度をとる時の龍児がどんな心境に苛まれているかを、彼女はいたたまれないくらい感じ取っていた。

 それに、今回のキリルの不明は、感情面を差し引いたとしてもかなりの深刻度だった。

 朱音はレンジャーとして、そして朱音個人としての気持ちに心を揺らしながら、いつの間にか龍児が上半身を起こしてじっと何かを見つめて黙り込んでいる間近に歩み寄っていた。

 なんとなく居心地が悪い。

 それが龍児の発する強い拒否感であることを朱音は知っていたが、そんなふうにひとりで抱え込む性分が彼の短所であると思ってもいたので、彼女はめげずに言った。

「もし間違ってたら謝るけど、あんたひとりじゃどうにもならなかったことだと思うわ。逆にあんたまで危なくなったかも。あたしたちはチーム。そして、今はあたしたちのチームにはこの世界のたくさんの仲間がいるのよ。その足並みを崩すのは戦法としてやっちゃいけないことよ。基本的なことだわ。秀才なアカデミー生のあんたならこんな基本中の基本をわからないはずないでしょ」

 心を硬くさせている者に対してかける言葉の選択は難しい。それに、朱音は心理学などの知識はもちろんのこと皆無だ。励ましが相手をさらに無力妄想に落とし込んだり、同情心が神経を逆なでさせたりと、ひとの心の移ろいやすさは到底朱音には理解できないことだった。が、彼女には天性のけん引力、カリスマのようなものが備わっていた。それは、彼女が夜の街で闊歩していた時にも発揮していたし、レンジャーとなっても、別のレンジャーチームとも心安くつきあえた。たいていレンジャーたち同士は互いに敬遠しあうのが常であるのにである。

 聞きようによっては、批判的な言葉にも聞こえる意見に、龍児はしばらく暗い沈黙を返した。

 朱音は、こちらの言いたいことがうまく繋がらない相手がいることも、体験していた。それがそのひとの性格のせいで決して変わらないことも知っていたし、一時的な失意の中でどんな言葉も受け入れがたい状態になることも知っていた。だから、決して彼の態度を責めたりしなかった。彼女はあっさりと言った。

「ごめん、その場にいたのはあんただし、ボスがどんなふうに連れ去られたとか見てないわけだし、あんたのショックは本当にはあたしたちにはわからないことだわね。わかったようなこと言って悪かったわ。でも、これだけはわかってほしいな。あんただけひとりにさせてるのがたまらなかったの。もちろんあっちでは大切な話し合いをしてるわ。でも、それと同じくらい、あんたのことが大切だったの。だから来てみたのよ。あんたのことだから、ほっとけって言われるのはわかってたわ。でも、顔を見たかったのよ」

 すると、龍児の表情にわずかな動きが現れた。暗い影の中に自罰的なよじれを垣間見せ、彼は言った。

「…僕はひどい顔をしているだろう? こんなに無力感を感じたのは…」

 言葉を途切れさせたその先に何があるかを、朱音はなんとなくわかり、衝動的に大きすぎるベッドの端に腰を掛けると、大胆にも龍児の手を握り、言った。

「あんたはちゃんとやったじゃない。聞いたわ。あんたの力が役に立ったって。あんたの悪い癖よ。そうねえ、あんたは自分に厳しすぎるわ。そりゃあ、あたしなんかよりずーっと頭いいし、できることも知ってることもたっくさんあるだろうけど、あんたはひとりしかいないんだし、手足だって一対ずつしかない。やれることには限りがあるってことよ。無力感なんて感じることないでしょ? あんたは自分のできることをいつもそれ以上にやり遂げてる。あたしからしたら働きすぎよ。ね、もっと気楽になんなさいよ。ボスのことを無視してるわけじゃないわよ。むしろ、あんたがそんなんじゃ、ボスのことを助け出すのに苦労しちゃうかもよ? あたしが言いたいのはね、リュウ、あんたはちゃんとやってるってこと。それ以上のことを自分にしょい込まないで。だってあたしたちはチームなのよ? たまには丸投げしたっていいじゃない。あたしは、喜んでそれを受け取るわ」

 裸眼の切れ長の瞳が、朱音に握られている手を見下ろす。

 ぽつりと彼は言った。

「……お前の手はいつでも温かいな」

 朱音は、龍児の黒髪に隠れた顔を覗き込むように見やり、少し彼女らしい溌溂さを混じらせて言った。

「当り前じゃない。あんたが冷たすぎるのよ」

 ふっと龍児の周りを取り巻いていたぴりぴりとした空気が薄くなり、彼自身も大きなピローに身体を深く寄り掛からせた。さらさらとした直毛の黒髪が頬のあたりから流れ落ち、完璧主義を彫刻にしたような尖った横顔が朱音の目に入った。彼は視線をぼんやりと中空に投げ、言った。

「お前なら、僕みたいにくよくよしないだろうし、僕みたいな失敗もしないだろう。僕は弱虫だ。なにものも顧みずに飛び込める勇気がない」

 朱音はやや凛々しい眉をひそめて反論した。

「あんたが弱虫? 冗談でしょ。それに、あんたは特攻隊長する性質じゃないわ。勇気ってね、人それぞれの現れ方をするものよ。状況判断ができるあんたにしては、ずいぶん馬鹿な事言ってると思わない?」

 龍児の唇がわずかに歪む。

「……大切なものが失われるのをまた目の当たりにして、僕は何もできなかった。これが弱虫でなくてなんというんだ」

 さすがの朱音にも、龍児のデリケートな心の琴線に抵触していることがわかった。彼女はぐい、とやや強引に握っている手を引き、龍児の気を自分に向けさせた。そしてその虚ろな眼差しをしっかりととらえ、言った。

「タケルのことを忘れろなんて言わないわ。でも、ああするしかなかったのよ。でなけりゃ、あんたが死んでた。彼の判断は間違ってなかった。彼のしたことで、あんたが滅多に出せないオーバードライヴ技が発動されて、あの戦いは終息したのよ。タケルはあんたを守ることと、そのあとに起こることで戦いを勝利に導くはずだと確信して、ああいう行動に出たのよ。悲しいことだけれど、あたしたちはひとりの人間だけど、レンジャーなのよ。それが現実。でも、あんたは幸せよ。タケルにそれだけ思われていたんだから。タケルみたいなひとが、弱虫を守ると思う? あんたは弱虫なんかじゃないわ。あたしだって、あんたが弱虫だったら…」

 微妙な話題の上に、自分の熱い心をぶちまけそうになった朱音は慌てて言葉を飲んだ。しかし、龍児と言うひとは妙なところで鈍感だった。

 彼は彼女のどこに心をほぐされたかわからないが、自分以外のものからかつての相棒のごとき存在の死について言及されたにもかかわらず、それまでのこわばった態度を軟化させるどころか、素直な苦笑まで返して言ったのである。

「まるで僕の顔でも尻でもひっぱたいて啖呵を切りたいって顔をしてるね。でもそうしてくれる方がいいかもな。今の僕は徹底的にだめなやつになっているから」

 朱音は心の中を跳ねまわる恋心で大荒れにしながらも、口ではさらりと言い返していた。

「そうね、たまにあんたにはじりじりすることあるし、そういう気分になることがないとは言えないけど、ひよってるあんた相手じゃ面白くないし、フェアじゃないわ。でもいつか、思いきりひっぱたくこともあるかもね。ねえ、リュウ、あんたを大切に思ってるのはあたしだって同じ。みんなもそうよ。だから、落ちそうになってる時、あたしが差し出した手を拒むなんてことをしないで。しっかり握ってね。あたしは全力であんたを助けるわ」

 龍児の手をぎゅっと握った朱音を、彼はやや恐縮したような顔になって見た。

「…お前は本当に強い女だね」

「もちろんよ。でなきゃ、これまで生きてなかったわ」

 と朱音は自分のこれまでの生き様を振り返って笑い飛ばすように鼻から息を吐くと、ハーフらしい薄い色素の瞳をじっと龍児に向けて続けた。

「あたしってね、男に頼られるのが好きなの。だからどんどん頼って。ただでさえあんたはオーバーワークになるほどしょい込むから」

「その重みでお前を巻き添えにするかもしれないぞ」

「忘れてない? あたしには翼があるのよ。あんたのそんなやせっぽっちの身体を支えられないとでも思うの? つくづくあんたって苦労性だと思うわ」

「…赤い髪の女性は危険だっていうのは本当なのかもな」

「そうよ。あたしは危険な女よ。でも、それくらいじゃなくちゃ、どんなことも面白くないわ。そう思わない?」

「僕にはわからないよ。まじめ人間の皮をかぶって生きてきたからね」

「じゃ、これからいろいろ教えてあげるわ」

 ふいっと朱音は顔を部屋の入り口の扉の方へ向け、言った。

「話し合いが終わったみたいね。向こうでの話はあとでクロトから聞くことにして、あたしたちは一度はファンロンに戻って今後のことを決めることになりそうね。暗黒物質の濃度が下がったから、ファンロンもちゃんと動けるようになったのよ」

 そして扉が開けられ、仲間二人が入ってきた。玄人が言った。

「ひとまずはそれぞれの場所に戻って、事後観察するようになったけえ、わしらも大陸側に戻ろう思ってな。リュウ、具合はどうじゃ? 精霊が放り込んだフィールドはよほど強烈だったみたいじゃな」

 龍児は、自分の手をずっと握っていた朱音の手をぽん、と叩いてから、大きすぎるベッドから降りて言った。

「船酔いみたいなものかな…もう平気だよ。心配をかけてごめん」

 玄人は、朱音と龍児の間で交わされた会話の余韻のようなものを感じていたと思われるが、そのことについて言及することはなく、いつもどおりののんびりとした様子で応えた。

「もちろん、一度ファンロンにも戻りたいが、ここからいきなり転送するんはちいっと不自然じゃから、ヴォルガの船で帝国領まで送ってもらうことにしたんじゃ。ま、今はとにかく成り行きに任そう。もしかすると、帝国の魔道士たちに名案が浮かぶかもしれんし、エルフの知識が必要になるかもしれん」

 確かに玄人の言うとおり、成り行きに任せるしかなかった。キリルの身体は魔道士の邪悪な精神にのっとられ、それを引き離す方法は全く不明なのだから。

 もちろんキリルのナイトたちは、これをチェックメイトにさせるつもりは毛頭なかった。しかしながらレイジュウジャーにとって、これは試練の時であることは間違いなかった。


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