『火事場泥棒』
『正義の守り人』の監督者として、この組織の内情や各レンジャーたちの能力や居場所などを漏洩させないために、キリルにもその責務と覚悟が課せられていた。
そしてまた、彼には他の監督官にはない秘密があった。それは、現在の『正義の守り人』にも決して知られてはならない、いわゆる黒歴史的なものだった。だから、彼は決して何人にもその身体の自由を奪われてはならないという強い義務があった。
だからキリルは冬の精霊に拉致され、自らの中にある特別な加護を利用されることを拒むのと同時に、万一彼の身体自体の特殊性に目を付けられることを嫌った。
もちろん、ここはどこの宙域の星であるかわからない現状であるし、いくらコンピュータのデータを分析しても、類似した惑星を見つけることはできなかったし、ディープスペースに存在すると言われる意識生命体のような先住の種族が作り上げた亜空間バリアのせいで、現在の宙域座標は全くでたらめな数値しかはじき出さなかったのだから、キリルの特異性が表面化したとしても、それはきっと正式な記録として残さなくてもよいのではないかとも思われた。
しかし、彼の頭には、若く優秀で個性に富んだ部下たちがあった。彼らに余計な疑惑を持たせてはならないとキリルは強く思った。彼らは天涯孤独だったり、物質的には満たされていながら心の孤独に苛まれていたりした若者たちだった。
もちろん、彼らの中に「四霊」の加護を見出したことが第一の理由ではあるが、キリルは彼らを見つけた時、自分がかつて全幅の信頼を置いていたものの印象を彼ら各々に感じ取り、懐かしみ慈しむような感激に見舞われたことは、『正義の守り人』の本部に提出した記録には割愛した。
彼らの発見は、キリルにとって、あと少しで踏み外しそうになっていた道に突然差し込んだ夜明けの輝きだった。それまでの『正義の守り人』の一員でありながらなりゆきに任せた投げやりな心境は、青山龍児という青年の春の嵐のように激しくも歓びに満ちたものでふき流され、鳳朱音と言う奔放な若い女性のパッと燃え上がってははぜる火花のような情熱で新たな使命感を不死鳥のように蘇らせ、白井大牙という少年の前しか見ず、決して振り返らない一本気に巻き込まれるようにして自然と自分自身の歪みをただされ、亀梨玄人というどんな時でも安定感を保ち、生まれながらの寛大な精神で仲間たちだけでなく、監督官であるキリルにさえ忘れかけていたものを思い起こさせてくれたのだった。
それほど奇跡的な出会い、そして彼らと戦いを通じてではあったが、交流を持つことにより、キリルはますます彼らの存在自体に安らぎを見ていた。キリルにとって、あの四人の若者は、自分を保つよすがになっていたのである。
そんな彼らに、自分の存在の真実が明かされた時のことを思うと、キリルは胸が痛んだ。
『正義の守り人』が支給している上級士官用の「最終手段」を使ったのは、とりあえずの逃げ道だった。しかし、彼はあくまでチェックからの逃げの一手でしかないことを自覚していた。
確かにその時にあの精霊が自分に何かしらの影響を与えるという状況にはならなかったが、この仮死状態がいずれ氷解し、目覚めることもわかっていた。
この目覚めの瞬間が、部下たちとの再会にぶつかってほしくなかった。だが、いつもそのような絶好のタイミングで物事が回るはずはない。
そんな思考だけが、死んでいるようにしか見えないキリルの中で堂々巡りをしていた。
しかしそのそれまで停滞していたその場に、ぽっかりと風穴があいたようになり、その真っ暗な穴からひょいっと姿を現したものがいた。
それは青い肌をし、細長い顔と詐欺師のようにじっと相手を凝視する黄色い目をして辺りを見回すと、すぐにベッドの端でぐったりと横倒しになっているキリルを見つけ、妙に弾んだ足取りで近づきながら言った。
《ヴェイドに真新しくて強力な小部屋ができたと思って来てみたら、これはこれは、なんと『昼のヴェイド』側に作られていたとは大きな驚きだ。そしてそこに倒れている人間はどういう意味なんだ? ふぅーむ、一見死んでいるように見えるが、俺にはわかる。これは見せかけだ。この雰囲気、どこかで感じたことがあるな……そうか、あの地底で見かけた妙な若造たち……》
尖った顎を撫で、何か狡猾な企みでも巡らせているように宙を見つめていたシャッテンのザハエルは、戯画的にぽん、と手を打つと、道具袋にぞんざいに手を潜らせ、そこから今にも血が滴りそうなほど精密な造形をした石か何かでできている心臓を取り出し、ぴくりとも動かないキリルを覗き込むようにして言った。
《おい、聞こえてるんだろ? あんたほどの潜在力を持っていたら、ちょっとは楽しんでみたくないか? ふはは、そうか、断るって言いたくてもあんたはまだその状態から脱するには時間がかかるようだなあ?》
ザハエルは、キリルの蒼ざめた頬に口を触れさせんばかりに顔を寄せると、誰もそこにはいないのに、ひそひそと悪だくみを持ち掛けるようにささやいた。
《俺は毎日が退屈でなあ? ヴェイドは陰気だし、地底回廊もくそったれだ。いいかい? 昔は俺たちの種族も地上でそれなりに華やかに生きていたんだぜ。それを兄貴が、つまり、この心臓の主だけどな、あのくそ兄貴が馬鹿ことをして俺たち一族を没落させやがった。ま、恨んだって始まらねえが、とにかく、俺は退屈で死にそうなんだ。そういうところで、あんたみたいな面白そうなやつに出会った。これは逃す手はない。あんたも、退屈してないか? 堅苦しい善人の面なんかはぎとって、鬱憤を晴らしちゃどうだ? それに俺は、あんたがド派手なことをした時の、あの若造たちの面を見たくなったのさ。あいつらはあんたの仲間なんだろ? あっはっ、仲間に裏切られたり欺かれたりした時の面を見るのは、この上なく面白いんだ。想像するだけで胸がわくわくするぜ》
キリルにはすべて聞こえていた。だがどうにもならない。
まるでチェックから逃げたと思ったらそれを先読みされたかのようだ。くそっ、部下たちに真実を知られることを恐れる以上の苦境に立たされている! そのことがわかっていて何も対抗できないこの無力感はどうだ! 最悪なことに、自殺もできない!
そんなキリルの焦燥を感じたか、ザハエルはにんまりと残酷に笑うと、手にしている心臓をかたどった石を彼に見せつけるようにして言った。
《別にあんたらに恨みとか持ってるわけじゃない。むしろ、恩を売るチャンスに巡り合えて、逆に礼を言いたいぐらいさ。そ、この心臓。こんなふうに落ちぶれても、血のつながりってもんは切っても切れないってことなのかって痛感もしたし、これがあればいろいろと楽しいことができるんじゃなかったてな。おっと、勘違いしないでくれよ。俺は単に楽しみたいだけなんだ。この心臓の持ち主だった奴、ま、つまり俺の双子の兄貴なんだがね、奴は確かに頭もよかったし、魔力も強かった。だけどちょっと強欲が過ぎた。それで冥界に封印されちまったが、ずる賢い兄貴は心臓に本体を移して、執念深く時機を待ち続けたんだな。あんたも、あの若造の仲間なら、聞いてるだろ? 一人のドワーフの欲望を増幅させて操り、復活を遂げた。それをあんたの仲間たちが阻止しようとしたところに、ちょうど俺が居合わせて、あっはっはっはーっ! こうやって俺の手に入ったというわけさ。あんたの仲間はほんと、馬鹿正直だな。契約書も何もないのに、すんなり俺の要求をいれちまった。それでだ。兄貴はすでに肉体を失っちまってる。いつまでもこんな心臓だけにさせとくのは忍びないと思ってなあ。ふっふっ、俺が兄弟思いだなんて勘違いしないでくれな。これも俺の退屈しのぎの玩具さ。そんな時に、あんたを見つけた。まさにぴったりな「入れ物」じゃないか》
キリルに突き付けられるように差し出されていた石の心臓がどくん、とうっすら血色を浮かび上がらせて拍動した。そしてそれがひとりでにザハエルの手から浮かび上がり、キリルに吸い寄せられるように滑り始めた時、その場の空気が攪拌されるように動いて、二人の人影が中空からいきなり出現してザハエルにつるっとした質感の科学的な武器を向け、警告した。
《その人に危害を加えることは許さない》
とケイが今にもトリガーを作動させんとすると、ザハエルは長い爪先をした指を意味ありげに閃かせ、にやっと笑い返した。
ケイとヌーノは問答無用に銃身の短めのレーザーライフルのような武器を発動させた。一人は心臓を狙い、一人はザハエルの動きを封じる目的で。
しかし、ザハエルの不敵な笑みは一際あからさまになった。『流浪の民』の武器から発射されたビームはことごとくはじき返されてしまったからである。
それだけでケイとヌーノはそれ以上の物理的攻撃が全く無意味であることを察し、一方のザハエルは心臓が今にもキリルの体内に吸い込まんとしているのを狂気じみた拍手喝采と喜びの感嘆に見舞われてか、どこか野卑にも見える動きでそこいらを踊るように歩き回りながら、言った。
《そうか、お前たちは地底回廊の孤立した小部屋を作った連中の生き残りだな? 残念だったなあ? この貴重な獲物は俺が先に見つけたんだ。お前らに取られてたまるか》
〔ケイ、奴の造り出した亜空間はこの場で突破することは難しいよ。あれはエルフの亜種だ。そして、地上のエルフにはない時空魔法の能力をデフォルトで備えている。彼らが造り出した『エルヴィアンの扉』は、僕たちの種族が使っていた小型のワームホールの名残で、その構造というか仕組みをエルフなりに解明してエルフにとって使いやすいツールとしてこの星のあちこちに設置したようだけど、この亜種は、ワームホールを作り上げている「もの」に着眼して、重力や亜空間素粒子を魔法として組み上げることに成功したんだと思うよ。だから、僕らの攻撃が無効にされたのは、あれが自分で作り上げた亜空間だからさ。それを破るにはシャトルのコンピュータを使わないとだめだ〕
瞬時にヌーノは相棒にこのように伝えると、ケイは無駄な努力は愚かだと言いたげに武器を下げ、無感動に尋ねた。
《それで、あなたはその人をどうするつもり?》
ザハエルは余裕たっぷりに応えようと息を吸い込んだが、突然に辺りが暗転し、寒々とはしていたが整然とした個室の光景が砂絵が崩れ流れ落ちるように消失していき、ケイとヌーノもびっくりしながらも身体の安定を図るために亜空間バブルを発生させ、宇宙空間のように360度自由で、自分の居場所を混乱させる亜空間連続体のはざまをやり過ごした。
《あれはどこにいった?》
ケイが尋ねると、ヌーノが自分の足元を指さして応えた。
《エルフの方はわからなくなったけれど、あの人は落ちていってる。あの妙な石の塊も一緒だ》
《まだそれはあの人に吸収されてないのね?》
《ああ、これだけ亜空間連続体の中を落下していたら、そう簡単に的を絞ることはできないよ。それに、あのエルフも自分にしか時空フィールドは展開できないようだし》
ケイはろくに間をおかず、まるで泳ぐように次元が折り重なる中を進みながら言った。
《あの石の造り物には生命体反応があるのよ。それも悪意に満ちたね。これは想像だけど。それに、あの人を奪われるわけにはいかないわ。なんていうか、うーん、説明できない。でも、はっきり言える、あの人は要。何かがあの人めがけて戻ろうとしている。私たちも早く向かわなければ》
《そのとおりだ。急ごう》
ケイとヌーノは、慣れた様子で亜空間の流れに乗るようにして、かなり下方にまるで明けの明星のように輝いているようなキリルを追っていった。
*****
ヴェイドから『昼のヴェイド』とでも言うべき、四季の四柱が存する空間に潜入しようとしていたミーガン、龍児、コンスタンティンは、それぞれの感覚でもって、その場に自分たち以外のなにものかが飛び込んできたのを感じた。
『夢旅人』のミーガンは反射的に、絡み合い、交じり合って、考えも及ばないグロテスクな精霊体が生じて心を蝕もうとすることに対する防御障壁を強め、灰色のヴェイド霧の中にうっすらとうかがえるなにものかにぴしりと問いかけた。
《あなたは誰? ここは私と前の筆頭魔道士くらいしか知らないヴェイドの深層であり、同時に私個人の『ヴェイド(夢)』でもあるわ。無断で立ち入られるのは不愉快ね》
すると相手は両手を肩のあたりまであげ、コミカルな歩き方で近づきながら応えた。
《おやおや、それは不躾なことをしちまったなあ。だが、ここは俺の庭でもあるし、人間よりもずっとこの空間のことを理解してるのは俺の方だと思うがね》
この声を聞き、龍児は冥府で出くわしたずる賢い顔をした青い肌のエルフを思い出していた。彼はミーガンに耳打ちした。
《あれはシャッテンと言うダークエルフです。あのものには出会ったことがあるのですが、十分気を付けてください。非常に狡猾で常識は通用しないでしょう》
ミーガンはこの忠告を聞き、納得したように片眉を上げて腕組みをすると、こつこつと足のつま先を苛立つ猫の尻尾のように上げ下げしながら言った。
《あなたたちの種族のことは、記録で知っているわ。地上エルフたちが頑固なほどに理性的であるのに反して、あなたたちは分け隔てがない代わりに、その時々で簡単に善悪の基準を入れ替えてしまえるという、悪霊もびっくりの柔軟極まりない「良心」を持っているって読んだことがあるの。それで、どうして私たちの前に現れたの?》
ヴェイドの霧の中からすっかり姿を見せたシャッテンは、非常にちゃらちゃらとした態度で応えた。
《実を言うと、事故に遭っちまってさ、こっち側に吹っ飛ばされちまった。だがここはヴェイドだ。ちょっとした接点が大きく影響する無意識の意識がまかりとおる空間だ。たぶん、そこの眼鏡の存在に引っ張られて、ここに飛ばされたんだと思うぜ》
《吹っ飛ばされた?》
用心深く龍児が尋ねると、ザハエルは急ににやにや笑いを返し、ミーガン達の周りをぐるぐると歩き回りながらなんとなく心を逆なでするような口調で応えた。
《どこから吹っ飛ばされたか聞きたいなら、協力してやってもいいぜ?》
龍児が注意しようとしたが、ミーガンはその外見の幼さから想像できない判断力ですげなく言い返した。
《私がそんな甘言に乗るとでも思ったんなら、残念ながらあなたの方が負けね。ヴェイドで出会うものがそういうふうに持ち掛けてくることの裏の意味を知らないとでも? 私が子供だからって馬鹿にしないでほしいわ》
すると、ザハエルはぴしゃりと広いおでこを叩き、おどけた顔つきで応えた。
《あっは、このザハエルが先手を取られちまったようだぜ。仕方ない、ほんとのことを言うとな、助けてほしいのは俺の方なんだ》
ザハエルはちらりと龍児に視線を投げ、ミーガンが応えるのを口笛を吹きながら待った。
ミーガンは少しの間じっとそんなシャッテンを凝視していたが、見限るように小さく首を振り、応えた。
《あなたからは誠意の欠片すら感じられない。あなたはヴェイドに巣くう浅ましい悪鬼と大差ないわ。私たちは先を急いでいるのよ。あなたと無駄話をしている暇はないの》
と、すたすたと歩き去ろうとするミーガンに、と言うより、龍児に向かってザハエルは言った。
《お前ら、あの金髪の男を助けに行くんだろ? だったら俺の話に乗る方が断然いいってもんだぜ》
ミーガンが言葉を挟む間もなく、龍児は危険を知っていながら、問い返さずにはいられなかった。
《なぜそのことを?》
それまでほとんど自分の意思を表すような行動をとってこなかったコンスタンティンが龍児の腕を強く引っ張り、厳しく忠告した。
《あれは話し合う価値もない輩だ。我らは我らの手で前に進んだ方がいい》
しかし、ザハエルは龍児の心のぐらつきを掴んでしまったようにその金色の瞳を見開いて彼を凝視し、言った。
《なぜって、あの男がいた場所にさっきまで俺もいたからさ》
《だめよ、誘いに乗っては》
ミーガンも強く警告したが、龍児はどうしても問いたださずにはいられなかった。これがザハエルの特技のせいなのか、龍児の心が繊細過ぎるせいなのかはわからなかった。頭ではわかっているのだ。シャッテンとの交渉は高いツケが伴うことを。しかし、どうにも追及する欲求を抑えきれなかった。
そんな龍児の心模様を読めないザハエルではない。青い肌をしたエルフは心底困り果てたような顔つきになって言った。
《たまたま見つけた真新しいヴェイドの小部屋さ。そこにあの男はいた。だがあまり具合がよくないように見えた。だから、俺は助けてやろうと思ったんだが、いきなりその小部屋が崩壊しちまってね。ま、新しいヴェイドは不安定なことが多いからな。だが、俺はその時、大切なものを落っことしちまったんだ。そう、それはその男と同じ方向に吸い込まれちまった。腹を割って話せば、俺はそのなくしたものを取り戻したい。そして、お前らはあの男を助けたい。どうだい、これは公正な取引だとは思わないか? え?》
《ぜんぜん思わないわね。あなたがなくしたものは自力で探せばいいわ。私たちも自力で進むつもりなの。あなたなんかの手なんか借りずにね》
とミーガンが聞く耳を持たぬといった断固とした口調で断ると、ザハエルはそんな拒絶くらいでは堪えていない様子で言った。
《だが、お前たちは正確な位置を知っているのか? 俺がどの「道」の先の「扉」から出てきたか知っているのか? そしてあの男がどこに落ちて行っているかわかるのか?》
この言葉に、わずかだがミーガンに苛立ちの色が浮かぶ。ザハエルは彼女の少しの顔色の変化を見逃さずに続けた。
《お前は確かにすぐれた『夢旅人』の才能を持っているようだが、シャッテンの俺に時空魔法でかなうはずがない。お前は「扉」の存在は知っているようだが、その先がどこに通じているかまでは知らない。だがこの俺は知っている。あの男は瀕死だった。そうだ、パッと見、死んでた。どうだい? 俺の助けが欲しくなっただろう?》
《ボスが…死んだ…?》
龍児は突然頭の中が真っ白になったような心地になった。
《嘘だ…そんなことはあり得ない…》
すっかり蒼ざめた龍児を支えるようにコンスタンティンがそっと手を添えて、ミーガンに言った。
《シャッテンとは言え、エルフだ。エルフは嘘をつけない。その表現に多少の脚色があったとしてもだ》
ミーガンは渋々頷き、親切な人柄をアピールしているようなザハエルに尋ねた。
《エルフの言葉に偽りがないのはわかってる。でもあなたを信頼することはできない。あなたは私たちをその「扉」まで案内する。そして私たちがそこからあなたがなくしたものを探してくる。あなたはここでとどまって決して動かないこと。それでどう? あなたにはなんの損もないでしょ?》
ザハエルは満面ににやけた笑いを浮かべ、
《こりゃあどうも、俺の申し出を受けてくれて感激だね。もちろん俺は何も手出ししないよ。おとなしく「扉」の前で待っているさ》
ザハエルのにこにこ顔を疑り深く見ながらも、ミーガンは事の緊急性を優先し、シャッテンにその「扉」までの案内を指示した。
《ところで、そのなくしものだけど、どういうものか教えてくれていないわね。それがわからなければ探しようがないわ》
ヴェイドの灰色の霧の中をすいすいと水先案内人の舵さばきで進むようにザハエルは先導しながら、応えた。
《それは、お前らが捜すあの男を見つければ、自ずからわかるさ》
この言葉に秘められた意味に、ザハエルは三人に背を向けて進んでいたのをいいことに思いきり狡猾な笑みを浮かべていた。しかし、同時に、それを見ていたものがあったことは、さすがのずる賢いシャッテンにも見極めることができなかった。
*****
まるでワープ速度で移動しているようだ、とキリルはやや自意識の輪郭を取り戻しつつ、思った。彼がどこかへ落下していく中からの景色は、超光速で航行しているファンロンからの宇宙を眺めているようだったからだ。
これが『世界樹』と言われている超光速をさらに超える空間移動を可能にしていたものであることは、確信していた。最も驚いたのは、なんの装備もなく、ただ放り出されてもなんの悪影響も身体に引き起こさなかったことだ。だから、ここが彼が知っている宇宙に点在しているという恒久的なワームホールとも異なっているということになる。
この世界が、稀に見る精神世界との密接な関係や科学的理論の枠を超えた魔法と言う物理現象が存在することからも、この体験は、アストラル投射に近いのではないかと、キリルは何かに引っ張られていく自分を感じながら考えた。
あながちアルファ宙域の惑星のいくつかで『創造主の神殿』があるという信仰は、的外れではないのかもしれない、とキリルは漫然と考えを続けた。宇宙時代に入り、科学は急速に発展を遂げたが、その反面、より理論的に説明のつかない現象の発見も少なからずあった。人々は、そういう説明不可能なことに対して、過去の科学者と同様、迷信だとして一蹴してきたが、今まさにキリルが体験しているのは、過去のオカルト信仰にもあったアストラル旅行に近いもので、『世界樹』は『パスワーキング』のための道筋であり、その道筋の先にあるものは、人間の(個別的自我を持つ生物)の無意識の深層に存在する個人の経験や思考を超えた先天的な構造領域、つまり集合的無意識が作り上げた世界なのではないか。だから、この惑星で常識となっている『夢幻世界』は、最も近いアストラル世界として身近に存在しているのではないか。
とすると、この『世界樹』の果てに全宇宙の歴史が時間の流れに従って配列された『アカシックレコード』が取り巻いているのではないか。事実、アルファ宙域にはそういった噂がある。『星出ずる大渦』と呼ばれる、一種の運命論だ。
もちろん、科学者たちは信じていない。過去の神智学者たちが受け入れられなかったのと同様にである。
確かに、そういった痕跡も、当然のことながら実際に体験した者もいないので、空想が過ぎて思考が偏向してしまったと思われるのは無理もない。
しかし、キリルは今、そういう論理を超えた現象の真っただ中をどことも知れず隕石のように落下しているのである。
キリルはそういう神秘的な領域に対する賛否は特に持ち合わせていなかったが、ただひとつ、嫌うことがあった。
それは自らに起きた事柄を自分の手でどうにか打開、あるいは決着をつけることができない状況である。
万物の運命を記憶しているものがあったとしても、せめて己のできる範囲で努力し、奮闘し、なりふり構わずあがくくらいの抵抗をしたかった。いわゆる運命論的な物の見方は彼の性格上、受け入れがたかった。もし彼が『一念三千』という概念を知っていたら、彼の姿勢は決して悪足掻きではないと納得しただろうが。
しかしながらその効果は、果たして良い方に向かうのか?
キリルは次第にはっきりとしてきた感覚の中、眼下にきらり、と輝く一点を見つけていた。
ただ、成り行きに任せるしかない限定された状況下では、さすがの彼でも運命に身を投じる以外の選択肢はなかった。
それとも、自らこの事件に乗り出した決断が未来を決定づけることになったのか? キリルは苦笑いをした。運命論の次は決定論か。昔の自分ならば悪態の限りを尽くして憤激していたに違いない。
まさに無意識の意識に引き寄せられるようにキリルが落ちて行こうとした時、ぐい、と違和感を伴ったなにかに引っ張られた。そしてそれがなんなのか確認する間もなく、彼は強い拒絶反応のようなものを感じた。
一瞬だけ、それが見えた。
先ほど出逢った青い肌をしたものとよく似た姿をしたなにものか。だがそれはさっきのものよりずっと残忍な優越感で満たされ、悪魔的な狡猾さを造り物の笑顔で上塗りしたような顔つきをしていた。
〔私がその身体、もらい受けようぞ。その偽りの死はお前の永遠の棺となろう。その代わり、私が素晴らしき世界を築くことの観客として招待する。光栄に思え、死人のごとき人間よ〕
キリルの身体ががくがくと痙攣し、今にも四肢が弾け飛んでしまいそうにぴん、と反り返った。
これはまるで懲罰房で拘束器具を取り付けられたようだ、とキリルは嫌な過去の記憶を呼び覚まされながらも、どうにもできなかった。
その硬直はまもなく鎮まった。
自然落下に任せていたキリルの体勢が、この亜空間連続体の中でしっかりと足場を得たように直立する。
乱れた金髪の髪の間から、金色の眼差しがしっかりとした意識をもって、足元に見える出口を示すような輝きを見下ろし、呟いた。
〔この者の潜在意識はなかなかに有益だ。存分に利用させてもらおう〕
キリルの仮死状態の身体を自らの死霊魔法でもってのっとったロア・メナース、かつて地上エルフに対して反旗を翻した傲慢なシャッテンの魔道士は、キリルの潜在波動によって引き寄せられているものの存在を感じ取り、一気に輝く一点に向かって飛ぶように進んでいった。
これを、ロアの死霊呪縛によって精神の中に幽閉されてしまったような状態になったキリルは、その苦痛をより感じさせるがごとく、ロアの見るものをそのまま感じ取らされ、強い失意と自らの決断は過ちであったのではないかと、激しい苦悩に追い込まれるのだった。
*****
その一連のことを、ものすごい勢いで追尾していたケイとヌーノは目撃していながら、何もできないでいた。
なぜなら、幾多の中にあるひとつの亜空間に監禁室のように作られたまた特別の亜空間に接近させたシャトルをそこに乗り捨ててきてしまったこともあるし、たとえシャトルに戻っても、その数分数秒の差を詰めることは難しかった。知っての通り、ワームホールの中でのワープ航行は厳禁である。もしそれをすれば、ただでさえ外殻を失い、元からあるバーテロン粒子と暗黒物質だけでこの異次元トンネルを保っているにすぎない、非常に脆弱なこの多重世界をつなぐ道はあっけなく崩壊してしまうだろう。
それに、ワームホールの出口は必ずしも同じ場所に出現するとも限らないのである。だから、二人は広大な海原のような場所を、いかにも頼りない自分自身の力だけで乗り切るしかなかった。二人は、次第に差が開いていく追跡対象をスキャン範囲から見逃さないことに細心の注意を図っていた。もし対象の存在を見失えば、二人が全く別の次元に送り出される可能性が一気に高まるからである。
〔これはまずいな〕
とヌーノが呟いたのを、ケイはその理由を問わずに頷き返した。
〔対象者のデータが上書きされているみたい〕
〔まるで体内で増殖する寄生菌のようだ。まもなく彼は自意識を食われて別物になってしまう。あの人を助けるには、バイオフィルターにかけて余計なものを取り去る必要がある〕
〔でも、私たちのシャトルに…いいえ、私たちの常識にはバイオフィルターなんていう観念はないわ。私たちには必要のない概念だもの。それより〕
とケイはだいぶ近づいてきた輝く一点と、そこへますます加速して進んでいく対象物を視界にとらえ、亜空間の折り目にでも足場にしたかのようにぐん、と推進力をつけながら続けた。
〔あれがあの中に完全に入ってしまわないうちに追いつかないと。ここで逃せば、かなり危険なことになる。急いで、ヌーノ。スキャンはいいわ。まだなんとか間に合うと思う。私たちとあれとの亜空間はまだ同期している。これ以上距離を開かせないならね〕
〔了解、ケイ〕
二人は、ぎゅん、とスピードを上げ、まっしぐらにどこかの次元世界へと通じていると推測されるワームホールの出口へと向かった。
その頃、四季の女神たちは、冬の宮殿のウィンダミアの寝所で、昏倒している冬の女神を見下ろしていた。倒れている冬の一柱のそばには、小さめの亜空間の切れ目があり、たえず凍てつき、邪意を感じさせるものが流れ出しては冬の女神の周囲にまとわりつき、そしてまたそれが裂けめの中に戻るということを繰り返していた。
〈これまで不快に感じていたのは、こういうことだったのか〉
と夏のポーリーンが厳しく言った。
〈でも、わかりませんわ…ウィンダミアもあたくしたちと同様、その存在意義をまっとうすることが役目であるということはわかっているはずですわ。それなのに、このような愚かな真似を…〉
秋のフォーリアが途方もないと言いたげにため息をつきながら言った。すると春のプリシラが不吉な裂け目を見ながら言った。
〈このようにたやすくこの世界の壁に穴をあけることができる現状も忘れてはなりませんよ。ここは昔ほど確立された場所ではなくなっているのです。つまり、外部との接触がたやすくなったということです〉
ポーリーンのいかめしい顔がますます厳格にこわばった。
〈この世界を支える支柱が虚ろになって以来、世界の境界が薄らいだのはわかっていた。そのせいで、人間の中にも私たちの世界の存在を推測させるようになった。それまでは眠りの中の曖昧な現象でしかなかった夢幻世界が足掛かりをつけてしまった〉
と夏の女神が忌々しく言い切ったところに、様々なことがほぼ同時に起きた。
まず始めに生じたのは、空中に浮かぶ裂け目から小さなものが飛び出してきたことである。
それがこつん、と床に落ちると、次にその裂け目がぐっと横に押し広げられて、三者三様のものたちが手品のように飛び出してきた。
そして最後に、ひらりと身のこなしも鮮やかに金髪の男と、必死に走ってきたような勢いで二人の年若い男女が姿を現した。
四季を司る女神でさえ、この全く協調し合わない突然の闖入者たちに驚いたが、さらに、彼らが本能的な動きを伴って口々に叫び合ったことにも、平素、平安の中で存在することしかありえない女神たちは強い違和感を持った。
《『欠片』をそいつに渡しちゃだめよ!》
《ボス?! いや、違う、お前は誰だ?!》
《ヌーノ、あいつを昏倒させられない?!》
《それは私がいただく! さあ、我が手に! 『欠片』よ、この『魂喰らいの鎌』もお前と同じ。元の姿に戻りたいだろう? さあ、来い、我がもとに!》
《だめだ、あれは二つの意識を持っている。通常の昏倒力では通じない。それ以上の強さでビームを撃てば、外側の人間自体を傷つけてしまう。できないよ》
《私のストリゴイとしての能力は弱いが、吸血行為による一時的な催眠状態にはもっていけるかもしれない》
《あら、だめよ、そんな悠長なことしてる暇はないわ! あの鎌は『欠片』なのよ。そこにあの人を操ってるやつの強烈な魔力が上乗せされてる。あなたなんか、ひと薙ぎでおしまいよ》
女神たちは足元にぞんざいに落ちている木っ端を見下ろし、それを無意識に拾い上げようとした。
その間隙、なにものかの気配がその場に切り込むように入り込み、女神たちの伸ばした手から『欠片』を掏り取るように拾い上げてその場の者たちから少し離れた場所に立って言った。
《これは悪しき欲望にとりつかれし大精霊によって穢されている。あなた方は触れてはならないものです。そしてましてや、邪念を持つ者には決して渡してはならないものだ》
この声を聞き、龍児はハッとして後方を振り返った。
《あなたは、ケイラン・マグナス…!》
白髪を長く背中に三つ編みにして垂らし、聡明なアメジスト色の瞳をした壮年のエルフは、じっとキリルの姿をした者に視線を向け、淡々と応えた。
《私が弟子としたものが引き起こした悪意の影響は、やはり少なからずこの世界のバランスを崩していたようだ。もちろん、それだけでここまで四季の一柱が自分を欲望に落とし込んだ原因ではないだろうが、この『欠片』の力を悪用せんとする悪しき欲望を感じ取ったゆえ、急ぎ駆けつけたわけだ。しかし、完全に間に合ったとは言えなかった。そこにいる金色の髪の人間の心は死霊魔法の檻に囚われてしまっている》
すると、キリルの顔をしたものが憎悪に激しく表情をゆがめ、手にしていた巨大な鎌をケイランに突き付け、乱暴にまくしたてた。
《ケイラン・マグナス! 忘れもせんぞ! 貴様は私を討伐せんとした! まさかこの場で仇と出会うことになろうとは思いもよらなかった! ちょうどいい、貴様もここで他の雑魚どもと共に死ぬがいい!》
キリルの姿で黒よりも黒い、禍々しく湾曲した鎌が大きく振りかぶられ、同時に何かの魔法が発動されんとする気配がその場に満ちた。
ミーガンが防御障壁を張ろうとしながら言った。
《あれはそこに倒れてる大精霊まで操ろうとしてるみたいよ! そんなことさせたら、この世界、ううん、どの世界もおかしくなっちゃうわ!》
龍児は無意識に霊獣チェンジャーを作動させ、青龍刀を構えていたが、敵はキリルの姿をしていて、手出しなどできるはずもなかった。
そこに、いつの間にか近寄っていた春のプリシラが驚きの中にあれど、解決の糸口を確信したかのような口調で話しかけてきた。
〈人でありながら、その心には青き春のそよ風を感じる若者よ、その剣に私の力を注ぎましょう。そしてそれで冬をこの場にとどめなさい。あの忌まわしいものが自失している冬を操る前に〉
青龍はなんの疑問も持たず、その通りにした。青龍刀にはいつになく霊獣の加護で満ち溢れていた。
《せいっ》
彼はがらんどうになっているような冬の精霊の身体に剣を突き立てた。すると、その剣の周囲に若木が生え出で、一瞬のうちに冬の精霊を囲い込んでしまった。そしてその若木が枝葉を絡めて塞ぐ頂点部分に、ぽっと一輪、淡雪のようなな色の花が咲いた。
プリシラはこれを見て微笑を青龍に投げた。
〈この冬の時季に花芽まで息吹かせるとは、人の子とは不思議な存在ですわ〉
《そこ! ほっとしてないで! 来るわよ! でかいのが!》
ミーガンが、相手が大鎌をぶぅん、と振り回してくるのを測りながら障壁を張り巡らして叫んだ。
キリルの顔をした者は哄笑して言った。
《そのような子供だましの障壁で私の一撃を無事にやり過ごせると思ったのなら、それは過信というより、全く愚かとしか言えんな。死ね!》
《いや、過信しているのはお前の方だ、ロア・メナース》
と、唐突にケイランの一言が発せられ、彼の両手にエネルギー体のようなもので浮き上がった立方体が浮かび上がった。
そこへ、そこにはいないものの声が割り込んだ。
《兄貴! 深追いはよせ! お宝はいつでも取り返せる。だが、あんたの実体はそこにあるだけだ。今は分が悪い。そのエルフの魔道士は俺たち並みに時空魔法の使い手だということを忘れちまったのか?》
皆がその声のした方に目を向けると、中空にあいた裂け目から顔をちらりとのぞかせたザハエルがいた。
ミーガンがカッとしたように食って掛かった。
《ちょっと! 約束が違うわよ!》
だがザハエルは胸糞が悪くなるようなとぼけた口調で言い返した。
《約束ならちゃんと守ってるじゃないか。俺は何も手出ししてない。ほら、この通り》
と彼は両手をひらひらと振ってみせたが、すぐにその手をこまねいて鋭く言った。
《早く来い、兄貴! せっかく自由に動ける「入れ物」を手に入れたのをぱあにしたいのか?》
《行かせるか! 『時空鏡界・封(タイムディメンション・ミラーワールド・シール)』!》
ケイランの手の中でくるくると回っていた立方体が放たれた。それは幾何学的に各面を分割したり、くっついたりしながら拡大していき、キリルの姿をしたものを取り囲もうと迫った。
しかし、その立方体が魔法の発動の完了と共にぴったりと形を固定したところには、捕縛したかったものの姿はなかった。
そして、中空に開いていた裂け目からもザハエルの姿は消えていたのである。




