《春夏秋冬、その守護のもとで』
アッラードはさすが海軍の司令官らしく、船底に伝わってきた衝撃が何をもたらすか察し、船室に残っていたものたちにてきぱきと言った。
《この凍結の勢いではいずれこの艦は破壊される。早急に退去し、あの魔法陣の中に逃げ込め!》
誰もこの指示に意見するものはなく、アッラードが一同を追い立てるようにして甲板に上がり、波頭をそのまま凍結させてしまったようなでこぼことした海面に出ると、背後で大きくきしむ音がし、オーランジュ地域では無敵艦隊とも言われる帝国の戦艦があっけなく押しつぶされ、ひしゃげて海上に残骸をさらすのを、誰もが唖然として眺めた。
〈おーやおや、まだ塵屑のようなものどもが隠れていたとはねえ! それに、そこにいるのはエルフの長の息子ではないか。これはなかなか都合がよいのではないのかねえ〉
船から脱出した面々は、精力や体力を奪われる闇の嵐から逃れるようにミーガンとマリーが張り巡らせた清浄な波動で満たされた結界の中に滑り込むと、名指しされたエリアスが厳しく言った。
《あなたは時節を司る大精霊の一柱であるということの責務を忘れたのか? この世界の釣り合いが崩れれば、その他の世界にも不釣り合いなひずみが生まれる。あなたこそ、その手にしている『欠片』の存在意義をよく知っているはずではないか。それを欲望を満たすための道具にすることは、断じて許されない行為だ》
冬の女王は顔をそらせて哄笑すると、
〈許されない? それは一体誰が決めたことなのか? わたくしは飽いたのだ。それが悪いか? わたくしは常に再生の春に備えるための準備期間として、長い夜と行動力の減衰をもたらす寒さをもたらしてきた。だが気が付いたのだ。なぜ、わたくしがこのようなちっぽけな存在のために影響力を与えなければならないのかと。その影響力は自らのために使うべきではないのかと。そのように考えていると、不意にわたくしの中で方法が浮かび上がった。それがこれだ。『世界樹の欠片』だ。わたくしが住まう精霊界は光闇に分割された世界。ゆえに夜と密接につながるわたくしにとって、常に夜が続く裏側、つまり『夢幻世界』は自らの前庭を歩くようなものであった。表側に『欠片』が見当たらないことは、他の精霊たちがわたくしの目に届かぬ結界か何かの中に隠しておらぬ限り、確実なことだった。しかし、ヴェイドと一口に言っても、さまざまな空間が入り組んで迷宮のようになっている。わたくしがヴェイド(夜の世界)をしきりに歩き回っていることが他の精霊たちに気づかれては元も子もない。それで、いっそのこと、精霊界、つまり『夢幻世界』ごと大きく揺り動かして、求めるものが転がり出るように策を練ったのだ。そして今、お前たちが行った生命力に満ちた強烈なエネルギーの放射により、不釣り合いを生じさせていた暗黒の波動が打ち消され、光闇のバランスが戻る反動で、幸運にもこれがわが手にぽとりと落ちてきたというわけだ。ちっぽけな存在にしては、なかなかの妙案であったな。エーテルの巡りを利用するとは。しかし、それもわたくしの目的を阻むことはできなかった。あいにくであったな。長話はここまでだ。邪魔者には死んでもらおう〉
確かに長話であった。そして冬のウィンダミアは『世界樹の欠片』を手に入れたことで有頂天になっていたので、「ちっぽけな存在」のこそこそとした動きに気づく神経の鋭さに欠けていた。
ケイはひそひそとその場のものたちに言った。
《始めは、ここに満ちる闇の粒子を反作用させてバランスを保とうと考えていたのだけれど、この二人の防御障壁でなんとかなりそうだから、私たちは囚われた人を取り戻しに行くわ。さっきのあれで、少しだけど極地の暗黒物質が中に戻ったようだから》
《取り戻しに? 『世界樹』と9つの世界観は信憑性はあるが、それぞれの世界をつなぐ『世界樹』が一体どのような仕組みになっているか、未知なのですよ?》
エリアスが懸念を強くもって意見すると、ヌーノが首を振り、
《この中であのひとを救い出す手段を持っているのは、おそらく僕たちだけです。あの精霊がここにいる間は、人質を助け出すのに大きな障害が一つ減ったことになるしね》
《じゃが…『世界樹』はもともと不安定じゃ。それに完全に安全なワームホールであるという確証はないけえ…》
と玄人がどちらを優先させればいいか悩むような曖昧な発言をすると、ケイがきっぱりと応えた。
《私たちは長いことさすらってきたのよ。迷子には慣れてるし、他に私たちがしようとしてることを代われるひとがいるかしら?》
玄人を始め、レイジュウジャーたちは言葉に詰まった。本来ならば自分たちがすべきことなのに、代役を立てざるを得ない状況が歯痒かった。
ケイとヌーノは頷き合うと、その場のものたちに二本の指をそろえて別れのあいさつのような仕草を投げ、ひゅっとその場から消えてしまった。そのことが、どこか近くに待機させてあった遮蔽されているシャトルに転送し、すでに極点からつながっていると思われるワームホールの中へ飛び込んで行ったということを知るのは、レイジュウジャーたちだけだった。
《ぼさっとしてるんじゃないよ! 見な! あの小汚い木っ端を!》
ファリーダの張りのある言葉で、再びその場のものたちは意識を統一させた。
まさにそれは、それを持つものの欲望や支配欲を形作ったように、よじれねじれ切った長いスタッフに変幻した。色は滲んだ藍色と氷河色がまじりあい、ところどころに不気味な浮腫のような赤黒い瘤がついていて、それは先端に向かうごとに数を増やし、先端の結晶化した何かの玉石か鉱石を飲み込まんばかりにぶつぶつととりまいていた。そしてそれはそれ自身が生きているように、その瘤が脈動し、不気味な鼓動音まで聞こえてくるようだった。
〈なんという威力か! わたくしの中に力がみなぎりあふれかえる! これさえあれば不可能なことはない! 死ね! 我が前を遮るものはみな、死ね!〉
《いけない、あれは悪意を吸収し、それ自体が悪意として存在してしまう気がします! あれは『世界樹の欠片』というより、むしろ世界樹のヤドリギのようなものに変質してしまっているようです! 見てください! また暗黒物質が集まってきています! あれを完全な悪意に堕としてはなりません!》
ルオンが障壁の中でさえがたがたと震えながら警告した。
〈愚か者で無価値なものめが! 死んだその骸でわたくしの前に平伏させてやるわ!〉
くわっと開いた口の中はまるで前衛芸術家の描く暗黒の渦のようだった。そして手に握られている毒々しいスタッフがこちらに向けて突き付けられた。今にも何かが迸りそうに、先端が白熱している。
武装が転送できないとわかっていても、レイジュウジャーたちは思わず手首の霊獣チェンジャーに手を触れていた。
そしてそれが思いがけず起動したことに驚くと同時に、みるみる四人の身体の中に英気がみなぎった。
彼らは無意識に息を合わせ、叫んだ。
《悪成すところ、どこなりと、それを断ずるが使命! 正義と平和の使者! 四神戦隊レイジュウジャー、ここに降臨!》
それぞれが極めポーズをする足元から四色のオーラが水柱のように噴き出す。
そしてその光の柱の中から、四色のパワースーツに身を包んだ戦士たちがその手に武器を持って姿を現し、その中の黒い姿をして大盾を持った玄武が性急に言った。
《みんな、わしの後ろに隠れるんじゃ! すごいのが来るけえな!》
玄武の言ったとおり、すんでの差で、一同は彼の盾の背後に回り、もちろん障壁を発動していて身動きのできないミーガンとマリーを敵の発した凍てつき、拳大の霰のようなものを伴った衝撃波を遮る位置に玄武が大盾を構え、不動の意思で立っていたため、全員が全くの無傷でやり過ごせた。
このことに、ウィンダミアはきりきりと歯噛みして悔しがった。
〈貴様、一体どうしてこのわたくしの、そしてこの万能の杖の威力を無効にできた?〉
四人は、他のものたちを手ぶりで下がっているように指示しながら、毅然と整列して武器を吃と構え、朱雀がけろりと言った。
《そりゃあ、あたしたちがヒーローだからよ》
《馬鹿だなあ~、俺たちを本気にさせるなんてよ、おばさん》
と白虎がせせら笑うように言い、玄武がどすん、と盾を打ち鳴らしながら続けた。
《それはたぶん、わしらにも似たようなもんが備わっとるからだと思うぞな、残念じゃったなあ》
《あなたは冬、だが、僕たちは四季が揃っている。それがどういうことか、おわかりでしょう? つまり、あなたの野望は僕たちの手でついえるのです》
と青龍が淡々と言った。
〈クッ、小童めが生意気な!〉
ウィンダミアの顔が歪み、次なる攻撃が繰り出されようとした。だが四人は動揺ひとつせず、悠々とさえ見える様子で身構えた。
「でも、どうして変身できたのかな?」
白虎が唐突に呟いたのを、すでに両手に炎舞扇を持ち、反撃体制になっている朱雀がぴしゃりとたしなめた。
「そんなこと今はどうでもいいことよ! とにかく、このおばさんを倒すことが先よ!」
「アカネ、相手は氷を操るが、氷も水属性だ。お前は気を付けて戦えよ。でないと、いつかみたいに弱体化させられるぞ」
「同じミスはしないわよ!」
「氷の地面が割れるぞな! 一度散開して、四方を固めよう! 四季と四方の守護の二重がけじゃ!」
分厚い氷で覆われていた海面が重い音と水音をたてて、彼らの足元で割れた。が、彼らはすでに四方に飛び退っていた。
《これが、あの若者たちの…》
ルオンが別の意味合いでぶるぶると震えながら呟いたのをひきとるように、オオワシのジグムントが言った。
《ここまで純然たる正義を持つ存在がいるとは…まさに『光の戦士』と言っても過言ではない…おお、なんという奇跡なのだ…》
そして、レイジュウジャーたちと冬の大精霊ウィンダミアとの総力戦が始まったのである。
*****
さすがにこの世の四季を司る大精霊であることを証明するように、ウィンダミアはなかなか手ごわかった。
と言うのも、これまで彼らはよほどの強敵でなければこの『天之四霊』の陣形を発動させることがなかったし、それほどの強敵とも出会ってこなかった。最近では、忌々しくもこの未知の星に転移させられた原因の一つと思っている、万魔帝国の首領妲己との戦いで使ったのが記憶に新しい。
彼らが四色の光芒をまとい、極地を中央に、正確に四方に陣取ってさらに輝き光りながら『天之四霊』の加護の発動が確認されると、それぞれのパーソナルカラーであるオーラがまるで鎧のように形を変え、彼らのパワースーツに装着された。
《東を守りし句芒、青き春の嵐を呼びし剣にて悪を断つ!》
青龍はその手にいつもより長く太くなった青龍刀を持ち、まるで剣舞のようにそれを華麗に振るってから、両脚を開いてぐっと腰を落として、頭の上で剣を掲げた。
《南を守りし祝融、紅き灼熱の風をまといし舞にて闇を払う!》
朱雀は両手に、より切っ先を鋭くし、陽炎を揺らめかせて燃え上がる扇を詩舞のようにひらひらと閃かせると、片足で彼女にしては優雅な姿勢で立ち、その扇が自分の翼でもあるかのように両腕を身体に巻き付けてポーズを極めた。
《西を守りし蓐収、白き稲妻超絶連撃(ホワイトサンダーアルティメットストライクス)にてその貪欲を打ち砕く!》
白虎は両手の虎王撃を威嚇的に突き出し、その虎の口が獰猛にカッと口を開け、何らかの波動を武器全体に付与させた。
《北を守りし玄冥、冥き風と嵐に立ち向かう勇ましき盾にて正義を正道のごとく導く!》
玄武は通常モードより大きさも厚みも増し、その表面には好戦的な棘状の突起がいくつもついた大盾を構えた。
この様子を見ているしかなかった(何かできたとしても、レイジュウジャーたちのド派手で少々無駄な演出効果のせいで、必ず意識はそちらに向けないではいられなかっただろう)エリアスが、そのエルフの特別な感覚を通して感じ取ったことを半ば独り言のように言った。
《…エーテルの影響下にもあり、なおかつ方角と季節の影響力も利用するとは、一体彼らはどういったものたちなのだ?》
《それは、彼らの到来を星が告げていたことから十分考えられることです》
とナムリスが、ヴォルガ族独特の思考で応えた。エリアスは小さく笑うと、少し離れたところでどんな強力な魔法のエフェクトよりも派手な光芒に包まれている方を見ながら言った。
《そうでした。あなた方ヴォルガの人々は星の位置と方角によって様々な現象の予知や意味を読み取ることに優れていました。しかし、この世に、四方と四季に関係できる存在を知っていましたか? エルフでもそのようなことはできません。私が『光の戦士』だと彼らのことを疑ったのは、あながち外れてはいないのかもしれない》
ナムリスは特に驚きもせず、
《星に描かれた図象は、季節の巡りによって移り変わります。春の東の空には海蛇のような身体をもったドラゴン座が、夏の南の空には不死鳥ヴェンヌ座が、秋の西空には勇猛な牙虎座が、そして冬の北の空には蛇と亀を描く巨大な甲羅を持った亀座が現れます。この状況を見て、私は確信しました。彼らは何らかの使命をもって、この世界にやってきた特異な存在だと》
外野でのちょっとした混乱をよそに、冬の女神ウィンダミアは、レイジュウジャーたちの四方固めの陣形による一種の弱体フィールドのようなものに取り囲まれてしまったことを信じられないようにさらにその表情を険しく、厳しくさせていた。
〈う、うぬら…! その「中」に何を秘しておる?!〉
当然のことながら、『欠片』を掌中におさめ、絶対的に優勢だと思い込んでいたこの大精霊の思考の中に、キリルが彼らの司令官であるという事実を知る由もなかったし、たとえ知っていたとしても、キリルと彼らとの共通点について考え及ばなかったのは無理もないことだった。
すると、朱雀が炎舞扇を手首のスナップをきかせて顔面で交差させ、それまでその武器の特色である炎が陽炎のような揺らめきに変わった。そしてキレのあるターンをしながら、片手を頭上に、もう片方は肩の高さで水平に構えると、幻影のように身体を包む霊力アーマー(ディヴァイン・アーマー)が、まるで鳥の翼のように羽化する蝶の羽根のように流れ落ちて広がった。
彼女はその態勢のまま、片足で立ち、折り曲げた片足は膝をみぞおちの辺りまでぐっと引き付け、言った。
《あたしたちに何かが秘められているとすれば、普通の人より少しだけ正義とか平等とか、そういうことに対してまじめだったことだけね。あとは、あんたみたいな胸糞悪い奴をめった蹴りにしたいってだけ。自分だけが最強だなんて思わない方が身のためね。そういう連中はたいてい自分で言ってるほど最強じゃないの。そういうことは、よぉくわかってんのよ》
そして彼女は少し上体をかがめるようにすると、極めつけるような勢いのある動きで背中をそらせ気味に身体を起こし、両腕を大きく背面から振り上げて精霊に向かって指先に覇気を込めるように突き付けた。
《『夏鳥蹴爍』!》
彼女の周囲にゆらゆらと視野をくらますほどの熱波が発生する。それが霊力アーマーについていた鳥の羽根のようなものそれぞれにも充填されたのか、朱雀の姿は高温のヴェールの向こうに隠れてしまったようになった。
《あ、あ、あ、あれはけ、決してエーテルがひ、ひ、引き起こしているものではあ、ありません! ぼ、ぼ、僕たちの知らない聖なる力としか、考えられません! 人のこから発せられるものとは、断じて、し、信じられません!》
ルオンが激しくどもりながら、レオナの背後で縮こまるようにして言うと、一方のレオナは唇の端を吊り上げて豪胆な微笑を返して言った。
《やはり旅に出てよかったと思うんだね、ルオン。こんな経験をするなんて、上等じゃないか。だけど、このままじゃただ傍観してるだけになりそうだねえ。そこがちょっと気に入らないよ》
とは言ったものの、エルフが闇の真っただ中に飛び込んだところで、たいした加勢になるとも思っていなかった。彼女の判断力も、エルフの多くを占める内省的で論理的なものから発生しているわけではなかったが、戦況の在り方を見極める目は確かで、決して勇み足をするような愚かなことはしなかった。
〈ぐううぅぅぅっ、このようなめくらましで、このわたくしが怯むとでも思うのなら…〉
次々と朱雀から放たれる熱波をまとった鳥の集団にたかられるようになっていたウィンダミアが高慢に言いかけたのを、朱雀は陽炎のこちら側からいきなり跳躍してウィンダミアの眼前に迫ると、下段からの前蹴りから順繰りに上に向かってキックを浴びせかけ、最上段に一際強烈な一蹴りを食らわせた。その勢いでウィンダミアの身体がぐらついた。
朱雀は体勢を崩した精霊に対し、いまや全身を熱気で燃え上がらせている気迫をこめて、ほとんど垂直に多段蹴りを繰り出しながら言った。
《あたし、冬って結構好きなのよ。雪合戦とか得意なんだから。それをぶち壊しにするようなことはさせないわよ》
言葉の結びに合わせるかのように、彼女の渾身のハイキックが見事にウィンダミアに蹴りこまれた。
〈うぬぅっ?!〉
驚きの声を上げたのは精霊の方だけではない。この戦いを見つめていたものたちも唖然となっていた。
《あの大精霊を…まるで手玉に取るように…》
とエリアスが戦慄にも似た心もちのこもった呟きを漏らしたのも無理はない。ウィンダミアは朱雀の蹴りで上空高く蹴り上げられていたのである。
《まだこれで終わりじゃないわよ!》
浮き上がった敵を追うように朱雀はひゅんっと跳躍すると、その勢いと速度に乗り、両脚で細かく刻むように精霊をめった蹴りにした。それはあまりに速く、残像と、彼女がまとう熱気の陽炎のせいでまるでその部分が白熱して溶けるように見えた。
《よし! タイガ、次は任せたわよ!》
と朱雀は言うと、くるっと身体を回転させてウィンダミアの背後に回り込み、その首根っこに両脚を絡めてもう一度ウィンダミアごと身体の向きを変えた。二人は頭から凍った海面に向かって落下した。
《バーニング・サン・フォーリング!》
海面に激突する寸前で、朱雀は両脚を精霊の首から解くと、今度は胸面に回り込んで両腕を首に回しかけて、敵の上体に膝を押し付けた。ほぼ垂直に落下していた体勢が水平に近くなり、その硬く冷たく凍り付いている海面がわずかに溶けるほどの熱気とともに精霊は海面に打ち付けられて、同時に朱雀の膝打ちが落下の勢いも借りて痛烈に打ち込まれた。
ウィンダミアは、その酷薄な美貌をやや損なわせ、ゆらゆらと立ち上がりながら言った。
〈冬の大精霊のわたくしにそのような野蛮な方法が通用するとでも思っているとしたら、あとでうぬらの愚かさを思い知っても後の祭りとなろうぞ〉
確かに相手は精霊なのであるし、物理攻撃が100パーセント通用するとは決して思っていなかった。
しかし、この世界の人々が魔法と物理攻撃の融合、つまり魔道連携の有効さを知らなかったように、四季と方角の密接な関連性があるという概念に薄いことは、非常に彼らの助けとなっていた。
そして、これくらいの脅し文句で意気をくじかれるような白虎ではなかった。
《そうやっていきがる奴ほど、ひよってるってるもんなんだぜ? ここらへんでギブしたらどうだよ? おばさん》
〈黙れっ!!〉
ウィンダミアは『世界樹の欠片』であった氷雪の大杖とでもいうべきものを、重い吹雪の風を薙ぎ払うようにして突き付けた。その先からごおっと強い冷気と鋭い切っ先をした氷塊がほとばしった。
白虎は前後左右に飛んだり跳ねたり転がったりして、普通の人間なら即死級の威力をもった氷攻撃をひょいひょいと避けた。彼のマスクの下の顔が見えていたら、きっとウィンダミアは憤死しそうになったかもしれない。彼はべーっと舌を突き出し、へらへらと笑っていたからである。
その挑発行為を感じ取っていたのは、ギャリオンと人熊族の兄弟、そしてワタリガラスのクラウドだった。
《さっきの娘っ子の蹴りもすごかったが、あの白い奴も場数踏んでるなあ?》
フンボルトが世界の終末になるかもしれない異常事態の中で発するには少々場違いなことを言うと、弟が頷いて言った。
《まあ確かに妙な雰囲気をまとってるが、これは純粋にバトル(ケンカ)するのが好きな奴らだな。こんな時じゃなかったら、ぜひとも力試しをしたいもんだ》
《そうだろう? 面白い奴らなのだ。冒険者の力自慢とは全く異なる、まさにその肉体の力を余すことなく使いこなせる素晴らしく優れた格闘家と言える》
とギャリオンが感心を通り越して、ほれぼれとした様子で言うと、クラウドが微苦笑のようなものを浮かべて言った。
《大精霊相手に侮辱的な態度をとれるものがいるとは思わなかった。確かに面白い》
一方の白虎は、ウィンダミアの放った凍結光線をパーフェクトにかわし、すたっと体幹をまっすぐに姿勢をきめると、右手をぴしっと頭上に伸ばし、虎王撃の口を天に向けて言った。
《『秋風冽烈』!》
すると、虎王撃の口からこおっと突き抜けるような波動がまっすぐ暗く閉ざされた空に向かって照射された。そしてそれはなんということか、最も厳冬の威力を発する中でさえ阻害されることなく、むしろ、周囲を取り巻く凍える風を自分の力に変えるように白虎の両手の武器に吸収されていったのである。
〈な、なにぃ?! わたくしの冷気を吸い取るなどっ…?!〉
白虎は、ドライアイスがもくもくと煙を吐くようになってきた虎王撃をまだ頭上に突き上げたまま、言った。
《だから言ったじゃんか。てめえがどんな御大層な奴だとしても、俺様と会っちゃ、おしまいってことなのさ》
《あっ、空が!》
ナムリスがぎくっとしてその異変に気付き、夜明けをなくした空の一点を指さし、叫んだ。
そこにはまるでオゾンホールでもできたかのような渦ができ、その中央には澄み切った秋空のような快晴の色がのぞいていたのである。そしてその真下には、白虎の突き上げた右腕があった。
〈ぐぬぅっ、この、小僧が!〉
自らの凍結の結界に少しでも裂け目を入れられたことに逆上したかのように、ウィンダミアは精霊には似つかわしくなく激情にかられた物腰でスタッフを振り回すと、がつん、とスタッフの下側を凍結した海面に叩きつけた。
途端に倒れていたドミノが立ち上がるように分厚い氷の板が起き上がり、そしてそれが反対向きに倒れ、白虎を押しつぶそうとした。
それは波状的に彼を狙ってきたが、白虎はそのドミノの上を足場にして身軽に飛んで精霊との間合いを詰めながら言った。
《だ~か~ら~、悪あがきはやめろって。こんなの、やるだけ無駄無駄無駄!》
白虎の移動は、見ている者にはほとんどコマ送りでもしているかのような、一瞬一瞬しかとらえられなかった。
そんなだから、いつの間にかウィンダミアの眼前に白虎の白い小柄なパワースーツ姿が見えた時には、決着がついたも同然だった。
彼は、しゅうしゅうと冷気を放ち、同時にほかほかとするような、矛盾した力に満ちた虎王撃を身体の前で構え、言った。
《せっかく食欲の秋がくると思ったのに、こんな変なことしやがって、そのことだけでも俺はむかついてんだぜ、おばさん。まっ、こたつに入ってみかん食うのも好きだけど、今はまだその時季じゃねえ、だからおばさんはとりあえずすっこんでてくれな》
そしていきなりの下からえぐるような正拳突きがジャストミートした。朱雀の与えたダメージはもちろん残っていたし、『天之四霊』の陣の効果もあった。ウィンダミアは愕然としたような様子で半歩ほど身体を後退させた。
《どうよ、今のでもう参ってるんじゃねえの? え? ギブしない? じゃあ、たっぷり運動さしてもらうぜ》
〈こざかしい人間風情が!〉
ウィンダミアの表情が徐々に女神ではなく、悪疫をもたらす悪霊のような形相になっていく。その周囲に何かえもいわれぬ気味の悪いものが漂い、それを察したエリアスが警告した。
《精霊が冬枯れの波動を出している! 通常であればそれは自然の巡りにかなったものであるが、今のそれは極端に高められている! それに巻き込まれれば、生気を奪われ、立ち枯れの木のようになってしまうぞ!》
だが白虎は、自分たちを見守っているひとびとの方を振り返り、親指をぐっと上げてみせた。
《へーきへーき、こんなヴァイタルドレイン系の攻撃なんか、慣れっこだぜ。見てな、俺様の妙技を》
と豪語した白虎は、まさしく楽しげにステップを踏むと、この狭い間合いではさすがに魔法を使えなくなったらしく、スタッフからチャクラムのようなものに『欠片』を変幻させ、精霊は両手からそれを投げ放ってきた。
白虎はさらに面白がるように、その高速回転をして投げ放たれる円形の武器の間を縫うようにして肉薄すると、肩口でどん、と強く当身し、わずかのぐらつきを逃さず、片方の腕をひっつかんでぐい、とひねり上げながら、体側に移動して精霊の身体をえいっとばかりに投げ飛ばした。
だがウィンダミアはそのまま凍った海面に叩きつけられることは避けたように、精霊らしくふいっと姿を消し、白虎の近接攻撃が届かない間合いに瞬間移動していた。
チャクラムは再びスタッフに変わっており、冬の大精霊は苛立ちと傲慢に満ちた口ぶりで言った。
〈おのれ、わたくしを愚弄することは許さぬ!〉
その途端、白虎の周囲にみるみる氷の壁がせりあがり、彼自身にも氷が張り付いて身体の自由を奪ってきた。
見守っていたものたちがはっと息を飲み、はらはらとしているのが伝わってきたが、当の本人は全く焦っていなかった。
〈この『永久凍土』から逃れることはできぬ! 凍り付いてはじけ飛ぶがいい!〉
ウィンダミアの裂けたような唇から哄笑が漏れそうになった寸前、大精霊はらしくもなく自信を喪失したようなショックを受けたように眼を見開いた。
それは、辺りに騒々しいまでに破壊音を大きくたてて、氷像にされかけていた白虎がそれを拳でめちゃくちゃに殴りつけて平然と飛び出してきたからである。
白虎は頭をかくような仕草をしながら、相手をあおるように言った。
《だ~か~ら~、もうやめとけば? でないと、俺、本気出しちゃうよ? めんどくなったし》
〈このわたくしに向かってよくもそのような口を…〉
この時、白虎の内線にたしなめるような口調で青龍からの通信が入った。
『これは路上のケンカじゃないんだぞ。僕たちはともかく、向こうで障壁を張り巡らせている人たちのことを考えろ。魔力は無尽蔵じゃないんだ』
白虎はちょうど対面にいる青龍にちら、と視線を向け、肩をすくめた。
『わりいわりい、最近運動不足だったからさ、ちょっと悪ノリしちまったよ。すぐかたづけてクロトにつなげる。ところで、〆の方法はわかってんのかよ? お前がラストってのはあんましないからさ』
『なんとなくはな。でも、僕だけじゃない「何か」の作用が必要かもしれないと思ってる』
『適当だなあ、まあいっか。とにかくいくぜ』
と内線で言った白虎は、重心を下にしっかりとおき、両手の虎王撃を何かの型のように動かすと、まるでネコ科の生物が躍りかかるように脚をふんばって力をためてから、しなやかでいながら一撃必殺の跳躍をしながら叫んだ。
《『グラタナス・バイツ』!》
『天之四霊』の陣により強力になった虎王撃の虎の口がくわっと開き、獰猛な牙がのぞく。それががっきと大精霊の首筋に食い込み、それから変幻自在の武器を持つ右手に叩きつけられた。
ぽとり、と意外にもあっけなく『世界樹の欠片』の武器がウィンダミアの手から落ちる。その拍子にそれは元の木っ端のような姿に戻り、どういうことなのか、ひゅんっと極点の中に吸い込まれてしまったのである。
〈おおっ?! わたくしの秘物が…!〉
白虎は必殺技を途中でやめさせられたような格好で、それまでの悪意と傲慢に満ちた精霊がみるみる情けない様子になるのを見て、うんざりと言った。
《おい、こら、おばさん、俺の見せ場、台無しにすんなよ》
しかしウィンダミアはすっかり『欠片』をなくしたことに愕然となるばかりで、今にも極点に飛び込み、落としてしまったものを探しに行かんという様子だった。
このまま欲に囚われた精霊を戻すことはしてはならなかった。
だがさすがにどうすればそんなことができるか、レイジュウジャーたちにわかるはずもなく、困惑の間隙が生じる。
今にもウィンダミアは必死に『欠片』のあとを追おうとしていた。
《そうはさせない!》
パリスだった。
彼は、血の呪縛で意のままに操れるようになった首無しの騎士と馬を従え、大精霊の前に立ちはだかるように駆けだすと、もともと極点の守護をしていた首無しの魔物を配し、まるで栓をするようにしてしまったのである。
ウィンダミアがたたらを踏むように動きを止め、焦燥と苛立ちに見舞われた様子でパリスをその長い腕で薙ぎ払うように叩きつけた。
〈下等な存在ごときが邪魔だてするとはなんという無礼! そんなものでわたくしの行く手を阻むことなど…うっ?!〉
大精霊の覇気で吹っ飛ばされたパリスだったが、その姿をみるみる勇ましい銀色の狼の姿に変えながら、言った。
《俺には特別な力があるんだ。今張り飛ばした時に俺が牙を立てたのに気づかなかったのかい?》
ウィンダミアはがくっと膝をつき、信じられないと言いたげにまだ成熟しきれていない人狼を見やり、言った。
〈うぬは…っ、大精霊のわたくしの精気を吸ったのか…っ!〉
ついに身体の支えを失った冬の大精霊を見下ろし、パリスは言った。
《この昏倒は一時的だと思うよ。いくら新たな能力に目覚めたとは言っても、この大精霊の全てを操ることはできない。こいつが気絶してる間にあの妙な武器を取り返しに行った方がいいと思うぜ》
《なんだよ、お前、こんなことできるんなら、最初から言っといてくれよ》
と白虎が不満そうに言うと、パリスはぴんと尖った大きめの耳をぴくぴくと動かしながら応えた。
《お前たちの攻撃があったから、これだけ簡単にやれたんだと思うよ。だいぶ参ってたからな、こいつ》
《でも、どうすればいいの? ここから『世界樹』の中に入れそうだけれど、どこがどうなってるかわかんないのよ》
と朱雀が困ったように誰にともなく問いかけると、ひとまずの安全を確認して、防護障壁を解いたミーガンが言った。
《それはたぶん、あたしが案内できると思うのよ》
そしてマリーが続けて言った。
《『欠片』は、中心に向かって引き寄せられていると思われます。ですが、奇妙な予感もします》
ミーガンは、この可憐なお姫様の魔力の純粋さをずっと感じていたので、素直にこの意見を認め、
《となれば、あんまりくどくど説明してる暇はなさそうね。ヴェイドは、つまり夜の側の世界。その昼側に行くのは簡単よ。でも、あたしの『夢旅人』としての力の範囲内に置けるのはせいぜい二人。さて、どの二人がいいかしら》
応えたのはナムリスだった。
《冬の暴走の始末をつけるには、すでに通り過ぎてしまった「秋」では無理だ。となれば、冬に再生の力を託して眠りにつく「春」こそ、正常な意識を見失った「冬」を正しく導くものであると考えます。それを備えているのは、そこの青い姿の君と、ここの魔性と人間の合間に生きるものです》
ここにいるのは、思考力か、逆にその肉体の力かに頼るものたちだったので、これだけで説明は十分だった。一方はその意見の真意を理解し、一方は鋭い戦いの感覚でもって感じていたからだ。
ミーガンが早速にヴェイドホールを開いて、なんのためらいもなく青龍とコンスタンティンとともにその中へ飛び込んでしまうと、さっきまでの荒れ狂っていた周囲が小康状態になっている中で、シニカルにヴァルロイが言った。
《このまますんなりいくと思うかね、元妻よ》
ユリアはむっつりと首を振った。
《全然思ってませんわ。あたくしたちは闇に棲むものですけれど、性根まで闇に染めているわけではありません。でも、感じますのよ、真っ黒なずる賢い何かが糸を引いているような、そんな感じをですわ》
すると、マリーがじっと暗い空を見上げ、言った。
《今、あたくしたちにできますことは、祈ることだけです。どうか皆さま、心を一つにして、祈ってください。祈りは決して表面的な安息のためではありません。その祈りの力がまとまり、強まれば、きっと届きます。どうか、皆さま、正しき巡りの復活を祈ってください》
マリーの言葉は妙に説得力、あるいはそうさせる催眠効果でもあるのか、一同はやや薄明るくなった極点を囲み、それぞれの思いでもって一心に祈り始めたのである。それは、いつしかマリーの周りに思念体のようになってふわふわと浮かび、少しずつではあるが、極点の中へと流れ込んでいくのであった。
届け、皆の祈りよ。




