『いと小さきものなれど』
時間は少しさかのぼる。
ファリーダは猛吹雪の中でもピンヒールのロングブーツの足音も高らかにギャリオンたちが黒々とした悪霊のようなものといたちごっこの戦いをしている場所へ近づくと、一喝した。
《そこをおどき! そんな雑魚にかまってる時間はなくなったよ! さあ、見ておいで! ファリーダ様の大地魔法の神髄をね!》
《でも、ここは海上よ? たいして魔力を引き出すことができないくらい、わかってるはずでしょ?》
ミーガンが、自信満々に魔力を溜め始めたファリーダを疑い深く見やって言った。だがもちろんファリーダは彼女の言葉を鼻であしらうように、小柄で一見ただの少女にしか見えない元賢者を見下ろして高飛車に言い返した。
《黙ってみてりゃいいんだよ、じき、わかるから》
当然、ミーガンも気が強く、自信家だったので、ムッとした顔を隠さなかったが、ファリーダの紫色の髪が荒れ狂う風雪の中で真上に逆立ち、大地魔法とは少し異なった波動の強まりを感じたので、それが何かじっと吟味するように眉根を寄せた。
一瞬、その場にずん、とした重圧が感じられ、その場にいた者たちはなんだか頭を押さえつけられているような感覚に陥った。
そこでファリーダの魔力が臨界点に至った。
両腕を空に向かって伸ばし、この大地魔法と傀儡魔法に秀でた女魔道士はこれまで使うことを自ら禁じてきたとっておきの、そしてこの状況下であるからこそ最大限の効果を引き出せる術を放った。
《『MG-FORCE 堕天蒼穹・衝撃波紋!』》
その場にいた者たちは、その瞬間、両肩をぐいっと地面に押し付けられるような圧を感じた。これだけでミーガンは、ファリーダが放った魔法がどういう性質のものかを察し、驚きと批判的な眼差しを向けた。何かとがめだてようとしたが、次の瞬間に凍った海面が目に見えない衝撃波を受けてそれが波紋のように海面に広がったので、言葉を飲んだ。それは全く不可視の波動であったが、彼らの周辺域から重苦しい悪霊の気配が消えた。
《うおっ、なんかすっげー感じがした!》
大牙が素直に驚いたのをきっかけに、ミーガンがすかさずファリーダに詰め寄った。
《あなた、いつから暗黒魔法を使うようになったの?! 暗黒魔法はエーテルを阻害するものよ?》
ファリーダは全く涼しい顔をしてミーガンの批判を聞き流すように言った。
《そんなことは言われなくたってわかってるさね。でもね、臨機応変っていう言葉を知らないのかしらねえ。今ここがどんなバランスになってるかわからないんなら、あんた、魔道士やめたらどう?》
ミーガンのふくれっ面がさらに険悪になったところに、ギャリオンが魔道士とは思えない口ぶりで仲裁に入るように言った。もちろん彼にそんな心配りがある人物ではなかったが、戦いを有利に進めることに関しては、レイジュウジャーたちともひけをとらなかった。
《今はどんな手段でも使って状況を好転させねばならん。雑魚が消えたことでよく見えるようになったぞ、あれを》
と彼は漆黒の空気をまとってこちらに近づきつつある首無し馬に乗った甲冑のものを見やった。
ファリーダは部下二人にゴーレムの準備をするように指示を出してから、ぷうっとしているミーガンを含め、言った。
《あれに対抗するためだけに力を使い果たすのは決して利口なやり方じゃない。この現象を起こしてるのはあれじゃないからね。だから、できるだけ力をセーブしながら、かつそれ以上に火力(DPS)を引き出せるやり方でいってみようと思っているのさ。ちょっとみんな、集まっておくれよ。説明するから》
この様子を船内から見守っていた龍児がびっくりしたように傍らの玄人に話しかけた。
《DPSなんて単語をこの世界で聞くとは思わなかったよ。何をするつもりなんだろう?》
玄人はのんびりと首を傾げ、
《そういうゲーム用語はわしは苦手じゃけえのう。じゃけど、さっきの衝撃波は凄かったのう?》
《あの女魔道士はなかなか鋭いわね、人間にしては》
と、唐突に二人の会話に入ってきたのはケイである。彼らがこの人形のように可愛らしくも、無機質的な雰囲気をかもす、かつては万能の種族の一員としてこの星にやってきたものであることはわかっていたので、玄人は素直に尋ねた。
《ファリーダはんの魔法は大地の属性じゃ。だが、今のはどっちかって言うと、重力波のようなもんだったんじゃないのかな? わしらは今スキャナもなんも使えんからあくまで体感したことじゃけぇどな》
ケイは、彼女にしては好奇の視線を透過された壁の向こうの様子に向けながら応えた。
《私もこの星の「魔道士」という存在の能力については掘り下げたことはないのだけれど、「無」から何かを取り出すような荒唐無稽な現象ではないと思っているの。今のはまさにそれを証明するような現象だったわ》
いつの間にか、彼らの周りには人が集まってきていた。
《あなた方二人は、もしや、『太古の民』の血統を引く方々では…? その蒼い瞳…伝承にある通りです》
エリアスがこの二人に出会ってからずっと胸に抱いていた疑念をぶつけると、意外にあっさりとケイは肯定した。
《今更隠しても仕方ないし、隠す意味もないのだしね。安心して。私たちはもう昔のような「神」気取りをするつもりは全くないの。ここはあなた方の住まう星。それで、私たちもここが好きだから、手助けしたくてここにやってきたの》
この返答に、一際感動したのはご想像通り、ルオンだった。はた目からは全く挙動不審にしか見えない様子でぶつぶつと独り言を言ったり、しきりに手のひらを握ったり開いたりしては、猫背の身体を行きつ戻りつさせながら、上ずり興奮した口調で言った。
《た、『太古の民』であれば、こ、こ、この状況をどうにかできる方法を、も、も、持っているのではないのですか?》
エルフらしくないルオンの様子を、ケイよりは情感的なヌーノが面白そうに見ながらも、首を振った。
《そうできればよかったんだけど、僕たちは『太古の民』とは袂を分けてしまったからね、ここまで大規模な現象になってしまったら、僕たちだけでは無理だよ、残念ながら。でも、この異変の核心へ近づくためのお膳立てはできると思っている。まずは外にいるあのダークマターまみれの暗黒精霊とでもいうべきものを消滅させないとね》
《しかし、あそこにいるものの闇の強さは桁外れです。もちろん、この暗黒物質の嵐の影響も受けているのでしょうが。あれを消滅させるには相当の光の力が求められます》
エリアスが懸念をもって発言すると、ケイが何の気負いもない口振りで応えた。
《そのことはあの女魔道士の頭にもあったはず。それでもあえて乗り出したってことは、勝算があるのよ。さっきの衝撃波は、ほんと、うまい考えだったわ。私でも感心するほどよ》
じっと会話を聞いていた龍児が、ハッとして顔を上げ、彼が何かしらの心的動揺があった時によくやる眼鏡のレンズを神経質に拭きながら、言った。
《これはあくまで僕の思い付きですが、この世界(宇宙と言いかけて慌てて言い直した)を支えるには、相当の質量や重力を持った物質がなければ釣り合いがとれないと言われています。つまりこれがダークマター、暗黒物質と呼ばれるものなのですが、不可視であるため、それについての詳しい研究は進んでいません。しかし、魔道士という人々には普通の人間にはない魔力と言う感覚器官というか能力があります。ファリーダさんは大地魔法の熟練者です。もちろん、暗黒物質の存在も感知できているはずです。いえ、むしろ、最も強く感じ取っているのではないでしょうか。暗黒物質は大地を堅固に固めるだけの重力と、空の星を落下させないだけの遠心力をもたらしている、と考えれば、彼女が操る大地に属する物質と密接にかかわりあっていることになります。特に今はその暗黒物質が偏り、この辺りは重力嵐に見舞われています。つまり余分な質量に満ちているということになります。彼女は、暗黒物質の質量の部分をたどり、その先にある小さな空の星を破壊し、その星に作用していた暗黒物質を地上に引き寄せたのではないでしょうか。そしてそれと同様に足元の凍り付いた海面下の海底にも似たようなことをした。自由になった暗黒物質は、極地から溢れ出している大元へ戻るか、この星の中心に戻ろうとしたことでしょう。その衝撃がさきほどの魔法なのではないでしょうか。不可視とは言え、質量があるのですから、衝撃波を発生させられると考えられます。特に、ファリーダさんは傀儡魔法にも長けている。無機物を操るのはたやすいことです》
と龍児お得意の幻想世界講義がされている間、外ではなんとも大胆に、敵が迫る中、頭をつき合わせてやいのやいのと混乱した会話が交錯していた。
《もうちょっとわかりやすく説明してくんねえかな?》
大牙が銀色のつんつん頭をかき回しながらイライラと不平たっぷりに要求した。
当のファリーダも、大牙やその他首をかしげている面々にイライラとした顔を投げながら応えた。
《全く、おつむが筋肉でできてる連中はこれだから嫌なのさ。いいかい、これっきりだよ、説明するのは。それでしっかり動けないってんなら、ここにいる価値はないからとっとと船の中にお戻り》
そして、この嵐の中ではどうしても声を張り上げなくてはならず、ファリーダは「えへん」と咳ばらいをしてから、何度目かの戦いの手順と解説を始めた。
《魔法は、ただ単に火の玉や電気ショックを発射するだけじゃない使い方もあるのさ。もちろんこれだけでも火力(DPS)として十分だけれど、ここほど闇の勢力が強い場所じゃ、普通の攻撃では力の無駄遣いになる。そこで、ずっと私が考えてきた、実用的で、さらに魔道士と戦士が協力して戦うメリットが増えるという戦法が試す時がきたってわけ。これはきちんとしたタイミングを保って攻撃を与えなければならない。この世界がエーテルの循環で成り立っていることはわかってるわね? その巡りを完成させ、その巡りの上位にある両極の魔力、ま、端的に言えば光と闇ってことになるけれど、今回はその光の威力を最大限に発動させて、あの首無しを一瞬で消し去ってやるつもりなのさ》
ここで、大牙とギャリオンがほぼそろって口を開きかけたので、両者は苦笑いをし合った。そしてギャリオンが言った。
《お前の故郷にも似たような考え方があることに驚いたことに免じて、お前に正解を譲ろう》
大牙は彼らしくもなく照れたようににやっと笑ってから、言った。
《それって、魔道連携ってやつじゃね?》
魔道士たちが、魔力が皆無の、それも自らの肉体を武器とする大牙から正解が得られたことに驚く。しかし、朱音は、その知識が別方面からもたらされていることを知っていた。
「あんたとリュウがよくやってるなんとかファンタジーとかいうヴァーチャトリップゲームにある「技」かなんかなんでしょ?」
大牙はそらとぼけた顔で頷いた。
「どういう知識も戦闘においては役に立つってことさ」
「じゃ、さっき言ってたDPSってなんのことよ? それもゲーム用語なんでしょ?」
「Damage Per Secondっていうのの略さ。一秒間にどれだけ相手にダメージを与えられるかっていう造語だよ。まっ、つまりはどれだけ相手をぶちのめせるかってことなんだけどよ。こういうのはリュウの方が好きだぜ。奴はなんでも分析しないではいられねえ奴だからな」
「あんたから英語が聞けただけで貴重だわね。で、魔道連携って?」
という朱音の質問に、船内から見守る者たちが応えるような話の展開になっていた。
《『魔道連携』ですか! それは目の付け所がすばらしい!》
ルオンが飛び上がらんばかりに興奮し、周りの目も気にせずにしゃべり始めた。
《僕も長年、魔力と物理攻撃の融合というか、協力関係を作れないかと考えていたのです。『魔法付与』に留まらない、魔力と物理攻撃の攻撃力の底上げというような関係です。特に今のような状況下では、魔道士の魔法力(DPS)は暗黒物質によって、その力の供給源であるエーテルを阻害されている状況です。それを覆すだけの威力を出すためには、魔道連携はまさに的確な作戦でしょう》
《さっきからDPS、DPS言ってるけど、それはどういう意味なんだい?》
レオナが、一気にしゃべったせいで息切れをしている一応婚約者であるルオンの背中をさすってやりながら、尋ねた。彼は応えようとしたが、げほげほっとむせ返ってしまったので、代わりに応えたのは、船室の壁によりかかって素知らぬ顔を続けていたクラウドだった。
《俺たちのような精霊族やエルフにはあまり関係のないことだが、なにせ、自然界の一部のような存在だからな。この命は自然界の盛衰とともにあると言っていい。この、俺たちの霊力に似たものを人間の一部、つまり魔道士っていう輩だが、その者たちは先天的に自然界の力を溜め込むことができる能力をもっている。そして、自然界のエーテルを人工的に結合させた時に生じるエネルギー波が魔力と言うものになる。この結合の仕方次第で、その魔法は様々な属性を持つ。
基本的に、自然界はバランスがとれている。だから、エーテルを普通に結合させれば釣り合いが取れた魔力が発生する。つまり、ヒール系や補助魔法のたぐいだな。むしろこれらの魔法はバランスがとれていなければ、対象者に有益な効果は望めない。少しでもエーテル結合のバランスが崩れていれば、癒しの魔法は毒霧になるだろうし、加速の魔法は異次元へ飛ばされる凶悪な魔法へと変じてしまう。
ここまで言えば、攻撃魔法がどうやって発生させるかわかったと思うが、物理的な攻撃を伴う破壊的な魔法は、故意的にエーテルの結合を不釣り合いにさせることにある》
《ああ!》
思わず龍児が感嘆の声を挟んだので、クラウドはいつもの厭世的な態度をやや軟化させ、口元をわずかににやけさせて言った。
《魔力の欠片も感じられない、人間とも言い切れない妙な奴が魔力の在り方を理解するとは興味深い。お前が考え至ったことを話してみろよ》
龍児はルオンの興奮の眼差しを強く感じながら、さすがに少し気後れしているかのように話し出した。
《僕の故郷に、強力なエネルギーを放出する物質があるのですが、それとよく似ているのです。僕たちの方は、純粋にそれを動力源などにしか使用していませんが、ここではそれが「魔力」という形で存在しているのではと。ラディウム鉱石が一般人には有害であるということも、僕たちの故郷にある物質と似ています。もちろん、有害なエネルギー波と魔法という差はありますが、両者をエネルギー体としてとらえれば、確かに似通っています。攻撃的な魔法を発動するにはエーテルのアンバランスさ、つまり僕たちの知る「原子核」、あるいは「核種」の不安定さから生じる強いエネルギーと似ています。DPSとは、最初は単純にDamage Per Secondだと思っていましたが、違っていたようです。Disintegrations Per Second(壊変変数)の方が近いのではないでしょうか。アンバランスなエーテルの結合により発生した強力な波動の放射で、そのエーテルは安定に向かう。その時間が長ければ長いほど、その魔力は強力なことになります。そして思うに、ファリーダさんは、このエーテルのバランスの在り方をうまく使い、連続的なエネルギーをたたき出し、最終的にはこの闇の中でも効果的な魔力を頂点で発動させようとしているのではないでしょうか。つまり、最大火力を引き出すための魔道連携をです》
《君はこの自然界のことにずいぶん通じているらしい。このような人間は初めてだ。それに…なんと言えばいいか…》
ジグムントが感嘆したようにつぶやくと、レオナが拳を握りしめながら言った。
《ほら、始まるよ、あの支離滅裂な混合部隊がどういう戦いぶりをするか、ぜひとも見ておかないと》
それぞれがその時の行動や思考を一時的にやめ、外の様子を透過した壁に見入った。
ヒヒーン、と無頭の馬がその場に響き渡るようにいななき、首無しの甲冑姿を乗せ、蹄の音も高らかに、背後にはうようよと暗黒色の悪霊を従えて迫ってきた。
《いいかい、タイミングを外したらいやっていうほどそのしりっぺたをひっぱたいてやるからね! さあ、行くよ、『魔道連携(MB)・再生輪廻(Transmigration of a new world)』!》
《行っくよー! 武器なんかなくたって、あんなぶっ壊れた馬なんかあたしの相手じゃないわ!》
朱音の陽気な声がしたかと思うと、船内からはなかなか見えづらい場所に消えてしまった。
外で何が起こるのか気にもんでいる者たちをよそに、ごうごうと吹雪が吹き付ける中、全く心を折られていない様子の者たちは、ファリーダの思い切った作戦に興じているようだった。敗北主義という言葉は、その場にいる者たちには最も無縁だったといえよう。
はたして、ファリーダの考え出した、魔道士と戦士の協力プレイが功を奏するのか。
しかしながら、この場の緊迫しながらも、勇気に満ちた空気をぶち壊していたのは、彼女が直接騎乗しているゴーレムだったのは言うまでもない。
《ちっ、全く、なんだい、この不格好な奴は…せっかく魔道連携の大成功を見るところなのに、このみっともないゴーレムじゃ、達成感も半減ってもんさね》
そんな独り言も吹雪の暴風にかき消され、いよいよこの暗黒物質に満ち満ちた場所を一掃するかもしれない大技が繰り出されようとしていた。
*****
朱音は正直なところ、ファリーダが説明した作戦をほとんど理解していなかった。だが、自分に炎の加護があることはわかっていたし、それは変身できなくても発揮できるとも確信していた。それに、きっと、そういう確信がなければ、朱音に期待されていることを十分に発動することはできないのだろう。
彼女は思った。ここにあたしとタイガがいるのは、つまり、頭の方がからっぽだからだわ、悔しいけど。リュウだったら絶対にいろいろ考え込んで、出足が遅くなっているはずだもの。それにあたしが攻撃の初手になったのは、あたしが炎属性…もう、あたしまで妙な言葉を使うようになっちゃって…だからだわ。つまり。イグニッション役なのよ、あたしは。だから他の誰にもできないことなのよ。そうとなれば、派手に点火してやろうじゃないの、鳳朱音、朱雀の名に恥じない働きを見せてやるわ。
頭無しの馬は彼女の身長より頭3つ分ほど大きかったが、そんなことに怯むはずもなく、朱音は走りこんだスピードに乗るように跳躍すると、くるっと身体を回転させながら甲冑姿のなにものかに強烈な回し蹴りをヒットさせ、その勢いを衰えさせない素早い動きで敵の身体を踏み台にして自らを一回転させると、その反動も加えた多段蹴りを蹴りこんだ。
敵は朱音のスピードにようやく追いついたように、背中に背負っていた幅広の大剣を手にし、馬は興奮したように前脚を高く上げて朱音の攻撃を阻害しようとした。
朱音の中で、本能的に感じる何かが巻き起こった。
彼女はさらに相手の身体を利用して背面に回り込みながらひねり蹴りを食らわせつつ、本来ならば頭が乗っている部分から馬の背中にかけてかかと落としを見舞うと、馬の尻の辺りを強く蹴り飛ばして退避しながら叫んだ。
《点火完了!》
彼女が本気モードの蹴り攻撃をしている間に、ミーガンはすでに補助魔法の印をほぼ終えていた。そして朱音の攻撃が完了する寸前に、絶妙のタイミングでミーガンの大地の魔法付与の術が二人の人熊族にかけられた。
このような戦い方をするのは全員初めてであるはずなのに、彼らの息はぴたりと合っていた。
超巨大サイズのグリズリーのような姿の兄弟熊は、朱音の一言が発せられる前にすでに攻撃態勢になっており、彼女が離れた場所に着地したのと同時に熊族たちは兄弟ならではの同調性でもって、その闇の人馬を両サイドから挟み、体当たりをした。
《おっ、何か手ごたえがいいな、兄者》
《エンチャントのせいかもしれねえが、こりゃ気持ちいいぞ》
闇の人馬は、遠目で見ていた時より、明らかに弱体しているように見えた。しかし、それはあくまで見た目であって、闇の魔物に人間の五感のようなものはあるはずもなかったし、何者かが操っているにせよ、それはただ邪魔者を排除することが課せられた下僕にすぎなかった。
漆黒に燃えるような大剣がぶぅん、と振り回される。人熊の兄弟はその外見には似合わない敏捷さでそれを避けると、何の合図もなく、コンビネーション技を繰り出した。
《グレンズ・ハイパー・トルネード!》
弟の方が闇の魔物の騎乗する馬の首下辺りにもぐりこんで、ぐっさりと長い爪を突き刺しながら突き上げるように腕を振り上げると、兄の方が横側からドスンドスンと足音も激しく走りこんで渾身の頭突きをぶつけ、そのまま頭無しの馬の首をがっしと抱え込んでひねり倒した。
《ヘッドロング・アンド・ロック・ザ・フンボルト・コンボ!》
これを見ていた大牙が大喜びしたのは言うまでもなかった。あと少しで大失態をするところで、彼は現実に立ち返った。いや、むしろ朱音と同様の本能的な感受性のせいだったろう。
彼は小柄な身体に力を溜めるように踏ん張ると、変身もしていないのに足元から熱気を立ち上らせながら敵に向かって間合いを詰めた。
《俺様の必殺技『百裂拳』をかわせたもんはいねえってな! 頭だけじゃなく、全部がらくたにしてやんよ!》
大牙の固めた拳がそこはかとなく輝いて見えるのは気のせいか。
いや、気のせいではない。彼が気合の声とともに打ち込む拳が、そのスピードのすさまじさに伴って生じた残像は次第に金色に強く輝き始めたのである。
この様子を見ていたエリアスが感嘆のため息とともに、言った。
《なんという機転…いや、私が魔法と言うものをあって当然のごとく身にまとってしまっていたせいか…あの女魔道士は魔法の根本を見極めている。魔力の相剋作用は、攻撃魔法を使うに当たっては重要視されるが、その逆は軽視されていた…そこを利用し、あの女魔道士はこの暗黒の闇の中では到底発しえないほどの光の作用を生み出そうとしているのだ》
この言葉を聞き、玄人がやはり納得したように唸り、龍児はつぶやいた。
《…五行相生か…! 魔道連携はまさにそれだ! 互いに力を高め合う属性の循環! だとすれば、タイガの次は…》
船内まで大牙の拳の連撃の音が聞こえてくるのではないかというくらいの激しい連打が終わる寸前に、ファリーダのきりっとした一声が響いた。
《トランスフォーム! ウォーターエレメント! 出でよ! レディ・オクトパシー!》
それまではコメディ漫画にでも出てきそうなぷよぷよとしたマシュマロのようなものだったそれが、グロテスクにも思えるうねうねとした動きで一つの塊になったかと思うと、みるみるその輪郭をはっきりとさせながら身をもたげたのである。
それは女の上半身をし、下半身は太い触手がうねる、蛸のような軟体生物のような姿をしていた。
ファリーダは、その女の顔をしている者が自分と似ていることに気づき、部下たちに叱咤したいのをようよう我慢すると、かなり疲弊しているらしい敵に向かって叫んだ。
《『愛のバブルクラッシャー』! はぁ? 何なのよ、この行動コマンドは?!》
馬鹿馬鹿しいにもほどがあると言いたげに眉を吊り上げたファリーダだったが、彼女の顔と似通った魔道人形がしなを作り、投げキッスのしぐさと供に水泡を吐き出したので、呆れて絶句した。
それはシャボン玉のように次々と吐き出され、暗黒の魔物に接触すると弾けて粘性の高そうな液体をまき散らした。
ファリーダはゴーレムの攻撃の隙に、部下たち二人に向かって噛みつくように言った。
《素体が適当なのはまだ許せる。だけどこのゴーレムの外見は一体何だい! まるで私が投げキッスしてるみたいじゃないか! 気色悪いったらありゃしない!》
凸凹コンビの部下たちは首をすくめたが、こういうやり取りは毎度のことだった。
《俺たちにとっちゃ、ファリーダ様こそが最強でいっちべっぴんでござんすからねえ》
とワリードが弁解と言うよりむしろ誇らしげに応えるのをファリーダはうんざりとして聞き流すと、トン、と自分の顔によく似た頭部をもった合成生物のようなゴーレムから飛び降り、それまでの属性の連続性により高められた威力の仕上げのコマンドを放った。
《『愛の深淵』! これがすっかり片付いたら、たっぷり話すことがあると覚悟しておくことだね、ワリード、ウマル》
どこぞの子供のなんとかごっこのような単語の羅列をコマンドとして言わされたファリーダはすっかりお冠だったが、部下たちの造ったゴーレムの性能は決して子供だましではなかった。
蛸足女は、くねくねとあざとさを感じさせる動きでその太い触手をうねらせて敵に近づくと、その触手がぬるっと伸びて魔物も馬もまとめて絡めとった。そしてまるで熱情的に抱きしめるようにぎりぎりと魔物を締め付けたのである。今度はその周囲に晴れ渡った空が湖に反映した時のように眼にも鮮やかで清浄な青色の波動が広がった。
魔物はそれでも抵抗し、大剣で触手を切り払い、何本かがぼとぼとと凍った海面に落ちたが、ファリーダは構わず叫んだ。
《『情熱の洪水』!(もう彼女は部下たちに小言を言うのが面倒になったようだ) これで十分に「地面」は「灌漑」できた! あとはあんたの腕次第!》
蛸足女のゴーレムは一際強く魔物を抱きしめると、まるで石像のように固まってしまった。そしてそれが次の瞬間、ガラスが割れるように内側から破裂したのである。びしゃっと大量の水が噴き出した。
ミーガンはそれまでずっとそれぞれの攻撃に伴うDPS数値を数えていた。つまり、魔力あるいは物理攻撃に付随するエーテルが安定するまでの時間をである。序盤の物理攻撃陣は、どういうわけか、エーテルの波動が頂点になり、それが徐々に安定していくタイミングを知っていたようだった。おそらく、彼らには敵と対峙し、常に相手の出方と自らの攻撃の駆け引きをしているから、エーテルの巡りの法則を戦いのセンスで感じ取っていたに違いない。
それに反し、魔道士はそう言った動きのある攻撃法はあまりしない。魔力をためるための時間を要するせいもあるが、基本的に物理型の戦い方をする者と協力するという思考はないに等しかった。その理由の中に、魔道士は剣で戦う者たちを下に見る驕りがあることは確かである。
しかし、眼前で、この暗黒物質が渦巻く負の領域で、ここまでエーテルの威力を引き出せたのを目撃し、ミーガンは全く考えを改めていた。
彼女は、びょうびょうと吹き付ける吹雪の中、脱げそうになっていたベレー帽を引っ張り下ろしながら、言った。
《漫然と魔法を放つしかしてこなかったなんて、なんていう時間と魔力の無駄遣いだったのかしら? さあ、お姫様、いよいよあなたの出番が来るわよ。ギャリオン、あなたの『トリプレット・クレセント』にあたしの『荒野の野ばら(Röslein auf der Heiden)』を付与するから。これで完全にエーテルの輪は閉じ、上位のエーテルが生じる場ができるはず!》
《待ちかねた!》
ギャリオンは凍える吹雪にも負けず、上気した裸の胸いっぱいに息を吸い込むと、ファリーダのゴーレムの水属性のラディウム核自爆によって眩暈でも起こしているような魔物に対し、ずさっと間合いを詰め、両腕を大きく後方に振り上げながら臍下丹田に力のこもった声で言い放った。
《『偃月・三連撃』!》
ギャリオンの両手が白熱する。
そこにミーガンの魔力の印が重なる。
《『荒野の野ばら』! あたしの野ばらは決して手折られることなんかないんだから!》
すぱっとギャリオンの両手から白熱のエネルギー波が、まるで回転鋸が地面を切り裂くように魔物に向かい、ギャリオンもそれに負けないスピードで突進した。その身体の周囲には同様の白熱した気迫がまとわれていた。
魔道士とは決して思えない身のこなしで、ギャリオンははるかに大きな闇の魔物に対してタックルをした。それと同時に両手から発せられたエネルギー波が魔物を切り裂き、その場にぼうっと緑色の魔法陣が浮き上がったかと思うと、小ぶりのバラを咲かせた蔓がにょろにょろと生えだし、魔物の周囲に茨の檻を作り上げたのである。それは幻想的とも言えたが、むしろ、この暗黒の中で棘を無数にはやし、鮮やかな深紅色をした花は、毒々しくも残酷に映えていた。
その時、その場にいた者、そして船内で外の戦いを見つめていた者のほとんどが、何かしらの奇妙な感覚を受けていた。
そして彼らは見た。
マリーが夢遊病者のような忘我状態で立ち尽くし、そのままふわりと身体を宙に浮かせたのたのを。
今や、その場は露出を間違ったような黒白の世界のようになっていた。闇の中にありながら、眩しすぎる陽光にさらされているような、そんな光景が広がっていた。
船内でこの不思議な現象を見守っていたエリアスが一人、ハッと息を飲んだ。
《このままでは姫の魔力が逆効果に…!》
どういう意味なのか。しかし、船内に残っているのは光の一族とエルフ、闇の眷属、そして普通の人間であるアッラード、それからまだ表には出るなと言われた龍児と玄人である。
そうしている間にも、マリーの身体は高く浮かび上がり、その場を無機質なモノトーンの世界から正常な世界に戻そうとしているかのように煌々とした輝きに包まれていた。
《闇と光は表裏一体の「ひとつ」なのです…偏りはお互いを傷つけます…闇に与えられし正しき真意のもとにお戻りになって…》
いつしか、人熊族の二人は変幻を解かれていた。そして、茨の檻に閉じ込められていた魔物はブリキの玩具のように力を失っていた。
《おい、見ろ、アカネ、空が…》
と大牙が薄明るくなったような空を見上げていいかけた時、がくん、と身体のバランスを崩し、彼は慌てて飛びのいた。凍っていた海面が溶けているのである。
《どういうことよ、これは?!》
ミーガンが習慣的になっているのか、ギャリオンの腕に抱きかかえられながらファリーダに詰問した。
彼女にもこういう展開は予想していなかった。まさかここまで流出した暗黒物質を相殺できるとは考えていなかったのだ。
ファリーダは舌打ちとともに、みるみる水っぽくなる足元を気にしながら言い返した。
《言ったろ? これはあくまで試験的だって。だけどあの暗黒の首無しはまだ完全に消えちゃいない。でも、これじゃこっちが先に溺れちまう。誰かあのお姫様の光の暴走を止めておくれな!》
珍しく動揺の色濃い者たちの中から、それまですっかりその存在を忘れてられていた者がきっぱりとした口調で発言した。
《何かが来る。あの魔物は俺がどうにかするから、みんなは船の甲板に戻っていてくれ》
パリスだった。
《どうにかするってあんた…》
朱音が心配そうに漏らすと、パリスは確固とした物腰で応えた。そう言えば、彼はマリーの強烈な破邪の放射にも負けず、銀色狼の姿をしていた。
《俺の存在はこのためにあるってわかったんだよ。だから、早くそのお姫様を助けて船に戻せ。「あいつ」はお姫様の光の属性が闇を打ち消す時の反動で「それ」を見つけたようだ》
と言うと、朱音の引き留める言葉を振り切るように、パリスは素早く茨の檻の中で倒れているものに近づき、驚くべきことをした。
彼は、その霊体とも精霊とも傀儡とも言えないものに深々と牙を食い込ませたのである。
ぐずぐずと足元がシャーベット状になってきた中、彼らはそのあとに起きたことにさらに驚いた。闇の不気味な魔物がゆっくりと身体を起こし、パリスの遠吠えのような鳴き声に誘引されたかのように茨の檻を破って彼の傍らに付き従ったのである。
《なんてこと…! あたくしのかわいい子が…!》
船内でユリアが愕然として慨嘆する。もちろんヴァルロイも魔性の無感動さを拭い去って目を見開いている。
《我らの血筋を混合させたことで、彼は新たな能力を得たとでもいうのか…! どんなストリゴイの純血種でも、血の通わないものを従えることはできない…!》
だが彼らはまだショッキングな現実に出会った。
彼らの目的地としていた暗黒物質が流れ出していた極地の辺りから、マリーが引き起こした光の奔流でさえ飲み込むほどの凍り付き、寂莫とし、冷徹で慈悲の欠片もなく、涸れ果て、心を絶望に追い込む悪夢を見せて蝕むような存在がぐわっと現れたのである。
〈三度目にして、それもわたくしの意図したことによらずして目的を達せた…これは感謝せねばならぬのかのう?〉
それは、モジリアニの描く人物のように面長で、そのアーモンド形の瞳はほとんど漆黒に染まっていた。
そして、その右手には、その存在が持つにしては貧弱で汚れた木っ端のようなものが握られていた。
《あっ、そいつは『世界樹の欠片』…!》
大牙が思わず呟くと、その存在は大きく一歩を踏み出してあざ笑うように言った。
〈いかにもその通り。まさかにここまであふれ出た闇の波動を覆すほどの技をちっぽけな人間ごときにできるとは思ってもみなかったが、そのおかげでわたくしの求めるものが自ずからこちらへ引き寄せられてきた…フッフッフフフフッ…慄かぬのか? なかなか手ごたえのあるものたちだのう? まずはこの『欠片』の威力をお前たちの身体で試させてもらうことにしよう〉
足元で異音がした。
ビキビキビキッと急速冷凍されるような音がし、彼らが足元を見た時には、再び氷が張り始めていた。
《くそっ、なんだい、偉そうに! 変身できればあんなやつ、一発でのしてやるのに!》
と大牙が悔しがると、半ば意識を失っていたようなマリーが浮力をなくしたようにいきなり落下してきたので、彼は反射的に彼女を抱きとめた。
《おい、大丈夫か? 俺には魔法とかそういうのは全然わかんねえんだよ。なんとか言ってくれ、マリー》
すると、マリーはうっすらと瞳を開き、弱々しくはあったが微笑み、すぐにその顔をひきしめてミーガンに向けて言った。
《あなた、あたくしの魔力を拡散するような魔法をできませんか? それができればたぶん…》
ミーガンは、ギャリオンの腕に抱かれたまま少しの間考えていたが、やや眉を寄せて応えた。
《できるとは思うけれど、あなた、魔力同調をしたこと、あるの?》
マリーは強く頷き返した。
《ありませんけれど、しなければならないんですわ。信じるからこそ、あたくしはしなければ》
《ふふ、いい度胸ね。お姫様にしとくのはもったいないわ》
ミーガンはぴょん、とギャリオンの腕から飛び降りると、マリーが立ち上がるのを助けながら、両手を互いに組み合わせて向かい合った。
マリーは感じた。ミーガンの意識を。そしてもちろんミーガンもマリーの強い想いを見た。
〔あなた、あの少年が好きなのね。だから助けたいのね?〕
〔はい。あたくしをただのお姫様でなくしてくれた大切なひとです〕
〔愛とか恋とかって、そんなにすばらしいものなの?〕
〔はい。そのように思います。あたくしの命以上に大切なものだと思います〕
〔強いのね、あなた。あたしにはそこまで言い切れないわ〕
〔いいえ、あなたもお持ちですわ。あたくしにはそれが愛なのか恋なのかはわかりませんけれど、あなたはあの殿方を深く信頼しておいでです。あなたはあの殿方に命を預けることがおできになる。信頼も愛や恋のひとつの現れだと思います〕
〔あたしがギャリオンを? まさか!〕
と念話をしていたミーガンの心の中に、ぽっと何かが灯ったように思われた。
彼女はその感じを胸の奥に押し込み、再度マリーの手を握りしめ、言った。
《『魔道障壁』発動準備よし》
マリーは慣れていない魔力の制御を試みるように瞳を閉じ、祈った。今ここに現れた悪意そのもののような存在にも救いの手が差し伸べられるほどに。
《『魔力同調! 正義の天秤』正常に拡散、光闇のバランス正常! この結界の中なら闇の波動は無効よ! あたしたちはこの結界を保つのに身動きできない。あとは任せたわよ!》
小さな命の灯は、いかにもこの自然の巡りの一端を担う大精霊の前では小さく弱く見えたが、その内面にあるものの可能性は無限大であった。




