『結集』
そこは、もともと裏寂しい北海に面した小石の浜辺がわずかに続く、ほとんどはその海岸線を切り立った白っぽい断崖で陸地と隔絶した、気風の強い漁師しか訪れないような場所にある、しっかりとした石造りの番小屋のようなところだった。
そこが今、突然最先端の流行にでもなったかのような人気ぶりでごった返しているのである。しかし、全く統一性がなく、寒いだの、狭いだの、腹がすいただのと自分勝手な不平不満を並べ立てる勝手気ままな人々ばかりで、ここに集まった理由などどこかへ行ってしまったかのような混沌ぶりであった。
これをまとめるべきオーカー魔道帝国の筆頭魔道士ギャリオン・マーズは、全くそのような責任があるとは考えてもいないらしく、旧知の仲らしい一際体格の良い二人連れと何やら話し込んでいる始末だ。
何度かミーガンがたしなめようと試みたが、手ぶりでそっけなくあしらわれ、不満もあらわに頬を膨らませていた。
《これじゃ作戦会議どころか、全くの無駄足じゃないの!》
イライラの感情が魔力の火花のようにちりちりと弾けそうになった時、隣り合った部屋から初老の、黒の執事服を着た男が、がやがやとしていた中によく通る声で言った。
《皆様方、軽いお食事とお飲み物などをご用意いたしました。どうぞ、こちらへお運びください》
どういう作用があるのか、ファリーダの家の執事バージル・ムファラスの言葉は、一瞬にしてその場の者たちの意識を一つにさせた。
ぞろぞろと人々が隣の部屋へ入っていく。そこはあくまで番小屋としての仮住まいであるせいか、荒削りの石の卓と長椅子が置かれた質素極まりない部屋だったが、ギャリオンが知っている部屋とは全く雰囲気が違っていた。
石のテーブルにはぬくもりを感じさせる薄いオレンジ色のテーブルクロスがかけられ、赤褐色のテーブルランナーの上には彩りも豊かな花が活けられた花器が置かれていた。明かりも、ここに元からあるそっけない燭台ではなく、装飾彫りされたぴかぴかに磨かれた銀の燭台がいくつも置かれ、部屋の壁側で威勢よく燃える暖炉の灯りとともに室内を心身ともに温めるような雰囲気にしていた。
そしてそのテーブルに用意された食事がまた一行を驚かせた。
山と積まれたパンのバスケット、冷めてもあまり不味くならない鴨肉の塊、暖炉で温め直したらしいイモのスープとゆでたての野菜、それから色々な種類の果実が盛られた銀の足つき皿。飲み物は黄金色で、微発泡しているかのように繊細な泡が優しくグラスの内側で踊っていた。
この、手品のような手際に、魔道士たちもそうでない者たちもびっくりするしかなかった。
ファリーダは、この代々ルルーシュ家に仕えてきた執事が盗賊ギルドに属する老練なローグであることを知っていたので、この災厄をどうにかすることに盗賊ギルドの助けも必要かと考え、念のため彼を連れてきたのであるが、まさかこのような手はずを短時間で整えていたとは全く予想外だった。
全く無駄のない、自然な動きでキルトのシートまで敷かれた石の長椅子に座るように軽く頭を下げた執事に、ファリーダは座りながら言った。
《一体お前はどういう種類の人間なんだい? まあ、確かにこの方が話もはかどるだろうけれどね》
バージルは軽く一礼をしてから、
《わたくしはお嬢様とそれにつながる皆様方をご不快なことなくお過ごしできるようにすることが務めでございます。しかし、もしこれが出過ぎたことでございましたら…》
あくまで謙虚なバージルに、ファリーダはさっとテーブルナプキンを膝の上に広げながら言った。
《もし出過ぎたことがあるとすれば、それはお前のすることが完璧すぎることだろうね》
すると、大牙が子供のように脚をばたばたとさせて訴えた。
《俺、すっげー腹減ってんだ! 食ってからじゃねえと何にも考えらんねえ!》
《食べたら食べることしか脳みそ使わないくせに。それにいつだって「考える」なんてことしないじゃない》
と朱音がじろっと大牙を見やって嫌味を言った。その隣で龍児がうっすらと笑いを堪えている。
この三人を見、ミーガンが早速爽やかな味のするシャンパンのような飲み物を飲みながら、尋ねた。
《あなたたち、四人じゃなかったかしら? もう一人はどうしたの?》
この質問に、ファリーダの眉がぴくりと反応した。
龍児がこの問いに応えた。
《クロトはちょっと別行動しているんです》
「なぜ」と問い返されると身構えていた彼だったが、ミーガンは「ふぅ~ん」と曖昧な態度で納得したのかしないのかわからない様子を見せたが、一応筆頭魔道士としての立場から上座に座るギャリオンに顔を向けて言った。
《話し合いは食べながらでもできるわ。私たちには悠長に晩餐会をしている余裕はないのよ》
そして彼女が見知った顔でない巨躯のものたちや、大牙や朱音、龍児が連れてきた者たちを見やり、
《そろそろ自己紹介してほしいところね。ここはものすごくエネルギーの波動がぐちゃぐちゃになってるわ。ほんとのところ、ヒステリーを起こしそうなくらいよ》
するとまず口を開いたのは深紅の髪を肩に垂らしたストリゴイのヴァルロイだった。
《それは私も同様だ。まさかここに生粋のエルフが同席するなどとは思ってもみなかった。私としては甚だ不愉快極まる》
これを聞き、吃とした物腰で立ち上がったのはコンスタンティンである。彼は今にも破裂してしまいそうなほどに額に青筋を浮き立たせ、甲走った声で言った。
《やはり我慢できない! そのものは我が母を忌まわしい死に導いたものを受け継いでいる! この手に杭があれば、貴様の胸に打ち込んでいるところだ!》
《中途半端な混血の出る幕ではなくてよ。どうしてこんな余計者を連れてきたのか理解不能ですわ。邪魔だから殺しておしまいなさい》
と鴨肉をもぐもぐとしていた人狼のユリアが冷淡に言った。
非常に険悪で、ともすれば本当に血を見る展開になりそうな瀬戸際を、どういう感覚のせいなのか、ギャリオンは豪快に食事をしながらさらりとこの一触即発の雰囲気をかわすように言った。
《これだけ種々雑多なものたちが集まっているのだから、そりが合わないものが鉢合わせるのも致し方ない。特に今回ここで話し合うことになった原因は、そういった反発しあうもの同士が関わっているからだと思われる。今は私事の都合はひとまず後回しにしてほしい。すべてが片付いた後で殺し合うなりすればいい》
ミーガンが驚いたようにギャリオンを見やった。その表情には、魔力よりも身体を鍛えることの方に熱心なパートナーがこのような理路整然とした発言をする思考があったのかという意外性が浮かんでいた。
すると、ギャリオンの言葉を継ぐように、頭に湾曲した角をはやしたヴォルガ族、ナムリス・ロルハーが言った。
《全くその通りなのです。極地では影の軍勢らしきものの襲撃にさらされています。これは、冬の勢力が極度に強まった証拠です。皆さんもこの海岸から確認されたと思いますが、極光が激しく出現しています。あれは、傾きすぎた暗黒に対し、光の一族が無意識に防衛しようとした結果なのです。しかし、その防衛も空しく、私は極地での異常を知らせ、助けを求めるために一人ようようここまでたどり着いたのです。ここにいる人熊族のお二人に救われなければ、私は凍結した海上で命を落としていたことでしょう》
すぐにでも本題に入っていきそうな話の流れを遮るように、ミーガンの癇癪だまが破裂したような眼差しが一堂に向けられた。
《ちょっと待って! 互いの素性もわからないままで重大な会議なんかできっこないわ! 誰が誰なのか、そしてどうしてこのごった煮みたいな集団がここに集まるようになったか、誰か説明してくれない?》
ミーガンの言うことにも一理ありとばかりに、エルフの癒し手エリアスがエルフらしい的確な洞察力で応えた。
《確かにその通りですね。これから暗黒の渦と対抗するために、私たちは一致団結して事にあたる必要がありますから。一人一人が名乗り合うのは煩雑なので、私がわかる範囲で代弁しましょう。まずは私、私は西のエルフ、エリアスです。故あってカーマインに逗留していますが、普段は「沈黙の森」で隠遁生活をしています。そしてこちらはマリー姫殿下。マリー様は現在、私の指導の下、魔力の制御を学んでおりますが、その卓越した浄化と癒しの力の潜在力ゆえ、この場にいらしていただきました。そしてこちらのコンスタンティン殿ですが、先だって、王国と都市連邦領内におきまして人狼病なるデマ騒ぎがございました。その際、聖アウロラ教団長と名乗っていたこの方と出会うことになったのですが、この異常事件について闇の眷属の影響が問題としてあがり、偶然にもこの方には闇の眷属の長たるものを追跡できるとの由、ご同行してもらった次第です》
この説明を聞き、ヴァルロイが皮肉めいて言葉を挟んだ。
《なるほどね、しつこく私を追い回せたのはそういうことか。君は私を夜の住人にさせたものの血を引いているのだな? はっ、これは面白いではないか。私はこのものと血縁関係のようなものだ》
コンスタンティンは完全に冷静さを取り戻せていないらしく、両手をばん、と卓について突っかかるように言い返した。
《面白いだと? 面白いだと? 一人の人間の女を弄んで忌まわしい因果のもとに子供をもうけさせ、放り出されたことのどこが面白いというのか? 誰が、貴様などと血のつながりがあって嬉しいものか! 呪わしい輩め!》
激怒に蒼白い顔をまだらに紅潮させているコンスタンティンの手に、マリーの手がそっと置かれた。すると、驚くほどコンスタンティンの激情は薄れ、感情の起伏を昇ったり下りたりしたせいなのか、肩で息をしながら浮かした腰を椅子の上に下ろして俯いてしまった。
すると、酒ばかり飲んでいたファリーダがじろじろと一国の王族の姫を不躾に見ながら、
《へえ、エルフの言うとおり、そこのお姫様には強い魔力の泉が溢れだしているようだね。相手は暗黒の闇。助けになるかもしれないねえ。帝国の魔道士にはあまり強力な癒し手はいないからね。みんな、どでかい攻撃的な魔法をぶっ放す方が好きなのさ。で、そっちの二人は? どう見てもただの人間には見えないけど?》
と、ファリーダはグラスを持った手で、最も離れた場所に座り、成り行きを見守っているような見知らぬ二人を指し示した。
これに応えたのは、本人ではなく、ファリーダ以上に酒を飲みまくっていた人狼の女王ユリアだった。
《闇と光は表裏一体、つまり、自分の反対側にあるものとこんなふうに向き合えることはめったにないことですわ。もちろん、あたくしは光の連中などと会えたことに感動などしておりませんよ。むしろうんざりしているくらいですわ。そこの二人は光の一族、オオワシのジグムントとワタリガラスのクラウドと呼ばれている、この世界の明暗を保つものたちの一つですのよ。もちろん、それはあたくしたち闇の眷属も担っているのですけれどね。ふん、ともすればあたくしたちは人間の敵として映るようですけれど、人間の愚かさにはもう慣れましたわ》
《我らのようにひっそり自然の片隅で暮らしておればよいのだ。自業自得だと思いたまえ、人狼のユリアよ》
と手厳しく言い返したジグムントに、ヴァルロイが自信と高慢さのまじりあった高笑いをして言った。
《ハッハッハーッ! 君たちもエルフのように黄昏の中で暮らし、徐々に存在することの意味を見失って消滅する道を取りたいのかな? そうなりたいのなら好きにしたまえ。私は遠慮するがね》
またも反発しあう磁石の両極のようにやや感情的な意見の衝突に立ち返ってしまいそうな雰囲気を払いのけるように、朱音が言った。
《ちょっと、あたしたち、助け合うために来たんでしょ? それなのに子供のケンカみたいなことばっかり言い合って。みんなが困ってることは確かなのよ、そうでしょ? えーっとあなた、何て名前だっけ? 一度、会ったことあるわよね、確かシークレストで》
と彼女はナムリスを見やった。ヴォルガの魔道士は頷き、レイジュウジャーたちを見回してから言った。
《私はナムリス・ロルハー、ええ、お会いしましたね。星があなた方の到来を告げておりました。あなた方がここにおられることは当然のことでしょう。しかし、今はなぜだか不安が私を悩ませます。あれほどにあなた方を照らしていた黄金色の輝きが見つけることができないからです》
レイジュウジャーたちは、龍児からキリルが姿を消してしまったことを聞いていた。だから、ヴォルガ族と最初に会った時に言われた言葉が何をさしているのかようやくわかったのである。彼らのボス、キリル・リムスキーにも何らかの加護があるということを。
すると、大牙並みに食事の皿に集中していた二人の巨漢のうち、やや細身の方がひっそりと座るパリスを見て言った。
《さっきから気になってたんだが、そこの小僧、一体なにもんだ? 俺の知ってる顔じゃねえ》
パリスが困ったようにさらに小さくなったのをかばうようにユリアが強く言い返した。
《この子はあたくしのかわいい息子ですのよ。軽々しく扱わないでいただきたいわね、脳筋頭の熊族なんかに》
どうやら闇の眷属同士は、光の一族とは違い、仲間意識に薄いらしい。
侮辱的な言葉を受けた人熊族のダレンだったが、この一族の中ではなかなか聡い頭を持っているらしく、痛烈に批判を返した。
《なぁるほど。そいつ、ストリゴイの血も継いでるな? 20年前の大騒動の時に一族を完全に根絶やしにさせないために、二つの血を引く種を遺したということか。そうか、このバランスの崩壊はそいつの存在にも原因があるんじゃねえのか? もしそうだとしたら、とっととその小僧を始末しちまいな。そうすりゃ、簡単に事は解決するんじゃねえか?》
いかにもその剛力と勇猛さで生き抜いている一族らしい短絡的な発言に、意外にもギャリオンが反対意見を述べた。
《それで解決するような事象ではないと思うぞ、ダレン。これはただ殴り倒して活路を開くような場合ではない。つい先日までは善とか悪とか言える立場ではなかった私だが、この暗黒には奥深い悪意がしこりのように凝り固まっているのを感じる。それはただ自然発生的に生じた魔物のようなものではなく、長年、執念深く目論まれていたことを実行に移したような、狡猾で残忍、そして欲望に満ちたなにものかの手が感じられる。そうだ、トルステン・ウラヌスのような、いや、もっとはるかに強力ななにものかの手による独裁支配の手始めだと思われる》
ミーガンが、柄でもないしっかりとした意見をしたギャリオンに何か皮肉めいたことを言いかけた時、この石造りの建物の入り口を叩く音が聞こえ、一番近場にいたクラウドが立ち上がって一旦その場から姿を消したが、すぐに三人の人物を従えて戻ってきた。
《あっ、クロト! あんた、どうしてここに? ファンロン…えーっと、それに、ケイとヌーノじゃない! どういうことなの?》
朱音が思わず言いかけた言葉を濁しながら驚くと、エリアスが不思議そうな顔をして新参の双子のように似通った顔をした小柄な二人組を見つめ、言った。
《こちらの二人は…? その湖水のような蒼い瞳…まさかとは思うが…》
その場の雑多な集団を眺め、すぐに状況を把握したように、ケイがきびきびと機械的に発言した。
《なんの招待もなくいきなり入ってきてしまって申し訳ないと思うけれど、私たちもこの事件には関心が…いいえ、見過ごすことはできないの。それに、きっと私たちはあなたたちでは考えつかないことをしてあげられると思う。例えば、この暗黒の嵐のようなものの原因が何で、どうすればこの傾いた世界を元に戻すか、ということなんかをね》
ファリーダは、この銀色の身体にぴったりとしたスーツを着ている奇妙な二人組にはあまり関心がなく、ただひたすらに懐かしも胸がうずくような思いで、玄人を見つめていた。しかし、そののんびりとした四角い顔には憔悴の影が深く落ち、彼が何か強く懸念に見舞われていることを察していた。
ギャリオンを筆頭魔道士に指名した、元筆頭魔道士のエルフ、ケイラン・マグナスの目は確かだったのだと、ミーガンは改めて知った。すでに見知っていて、その信じられない戦いぶりも目撃している四人の若者たちのこともあったが、この真っ青な瞳をした、どこか人間味に薄い二人組を見ても、ギャリオンは固定観念や偏見でもって判断力を邪魔されるような頭は持っていなかった。あるいは真っ向勝負を好む性質が、彼を自然と正道へと導いているのかもしれない。だからこそ、彼は今でこそこうして人前に出てくることができる人熊族と腹蔵なく付き合ってこれたのだと思った。そうなのだ、ギャリオンは幼いころから無鉄砲で喧嘩好きで、力試しをしたくて北の海岸の小さな入り江に村落を築いていたここにいる巨漢たちとよく交流をもっていたのである。もちろん、当時は彼らが人間族ではないことは知らなかったが、その正体を知っても、帝国の暗黒時代が訪れる前までごく普通に付き合っていたし、20年の悪逆な独裁のもとで彼らの存在を漏らすようなこともしなかった。肉体の健全さが魔力の在り方を歪めず、自然と正しさを失わず、今の彼につながっているのではないか。ミーガンは常に馬鹿だ馬鹿だと思っていたギャリオンを認め直すしかなかった。
《そのように断言するには自信があるようだな。この際、誰の手でも借りたいのが本音だ。ぜひこの談合の席に加わってほしい》
とギャリオンが何のためらいもなく言った時、また入り口が開く音がし、ブーツの足音も高らかに、毛皮が裏打ちされた防寒具に身を包んだ壮年の軍人風の男がウマルとワリード、そしてディミトリを引き連れて入ってきた。
オーカー魔道帝国海軍司令官アッラード・ミュラーは、室内の暖気でみるみる溶けていく雪片を払いのけながら、言った。
《極地へ向かうための特別船の用意ができた。して、方策は決まったのかね?》
ナムリスが驚いたように聞き返した。
《ミュラー司令官殿、海は固く凍結しています。そこに船を出すおつもりですか。無理です》
これに対して応えたのはワリードだった。彼特有のそわそわとした挙動不審な様子ながら、鼻も高々な口ぶりで言った。
《そりゃあただの砕氷船じゃねえでござんすよ。なんたって、このワリード様のアイディアが満載なんでござんすからね》
その彼の傍らでウマルが満面の自信で何度も頷き、その横で苦笑しているディミトリを見、レイジュウジャーたちは何となく予想がついた。そしてもちろんファリーダも。
ギャリオンは強く頷くと、
《司令官、その船をここまで進めてこれるか?》
アッラードは、ディミトリとウマルを見下ろし、感嘆しているように言った。
《氷は帝国の北岸まで到達していたが、ドワーフたちの力を借りてすぐ近くまで進めてきている。これほどドワーフの能力のすばらしさを見たことはないし、その団結力にも驚かされた。彼らはこのディミトリ殿のことを知っていて、勇んでこの不吉な天候の中、凍結した海に道を開いてくれた。つまり、つるはしで氷をたたき割ってくれたのだよ》
《なんたってアンティキス家の嫡男殿でがすからなあ! ドワーフにとっちゃ、崇め奉る英霊のようなもんで。その人の頼みだっつったら、やるしかないでがしょ》
ウマルが鼻息も荒く、興奮気味に言った。ディミトリは柄にもなくしきりに首の後ろの辺りを撫で、恐縮している。
《そういうことなら、ますます氷が厚くならないうちに、極地へ向かう方がいい。ここには光と闇が混在していて、ちょうど釣り合うような具合にはなっているが、外はどんどん暗黒が濃くなっている。息をするたび、手足を動かすたびに体力を削られるほどにだ》
とクラウドが指摘すると、ギャリオンは即決したように立ち上がった。
《確かに魔力の流れの歪みが増している。極地へ向かう手段ができたのなら、そこで相談の続きをするもよし、実際に目の当たりにしてから策を練るもよしだ。あいにく私はこの目で見、身体で感じなければ対策を考えつかないのでね。思慮が浅いと思われても仕方のないことだが、この事態は行動のスピードも求められていると見た。ここに集った者たちは皆優れた戦士だ。私の決断も決して完全に浅はかではないことを理解してくれると信じている》
確かにその通りだった。
その場に集まった者たちは次々とアッラードの案内で船が停泊している場所へと向かっていったが、その中で、マリーが大牙の傍にタタっと駆け寄り、ぎゅ、とその手を握りしめてささやいた。
《…あのみ使い様…キリル様…あぶのうございますわ…感じますの…あなた方を守るために御自らを投げ出しておいでです。あの方は中心、それを利用しようとしたのですわ…あの卵…それから「春」…ああ、模糊として見えません…でも、冬を覆すには春が必要です。おわかりですか? あたくしにはそれしかわかりません。どうか早くキリル様をお救いになって》
大牙の顔には大きな疑問符が浮かんだ。
マリーはもう一度彼の手をぎゅ、と握りしめてから、後ろを振り返ってマリーを待つエルフの癒し手の元へと戻って行ってしまった。
卵と春。
中心とは?
「…そうか…何となくわかってきたぞ…」
さすがの大牙にも何かの啓示が閃いたようである。
そのことは船に乗り込んでから仲間たちと話し合おうと、彼は先を行く複数の種族の混成部隊に合流するように駆けだした。
星一つ見えない真空、吹き付ける凍える雪片、冷え切った小石の浜と波の先まで凍り付いて動きを止めてしまった黒い海。
だがそこにわずかな光明の裂け目が生まれようとしていた。
*****
その船は、みるみる再凍結していく海面の氷を叩き割り続けていたらしいドワーフたちの乗り込んだボートに守られるようにして停泊していた。疲れを知らないドワーフたちの懸命な働きは、その身体から熱気となって湯気が立ち、まるでこの不吉な闇をわずかながらでも追いやっているようにも見えた。
それは三本マストのシップ型戦列艦で、二層の砲門甲板を持つ、三層艦ほどの戦力はなかったが、その代わりに小回りがきき、船の速度も出しやすいとされるものだった。外観はとてもバランスがよく、美しいと形容できるほどの帆船であったが、この船を見たほとんどの者が何かしらの失望を持ったのは明らかだった。
まずいやがうえにも目立つ衝角である。普通のラムであれば、水面下に隠れているものであるが、それはむしろ存在を誇示するかのようにまるでサイや雄牛の角のように無駄に大きく海面から反り返って伸び、馬鹿馬鹿しいほどに磨き抜かれていた。
そしてそれ以上に皆をげんなりさせたのは、せっかくの美しい曲線を描く両舷側にカエルの手足のような、奇妙なものがくっついていたことである。それは船尾まで並び、最後に何本かの短い尻尾のようなものが取り付けられていた。
長年共にゴーレムの製造をしてきたファリーダは、褒めてもらいたそうな嬉々とした顔をしているワリードとウマルを見、かつて、レイジュウジャーたちを追い回していた頃の彼女に戻ったかのようにむらむらとした不満が沸き上がり、吃と言った。
《なんだい、あれは? まさかあれを動かすのに私が必要だとか言わないだろうね?》
ワリードは当然至極といった顔で応えた。
《もちろんでござんしょ? この嵐ですぜ? それも方向も強さもまちまちときたもんだ。どんなに優秀な風読みでもここを風に頼って船を進めることなんかできやしないでござんすよ》
まあ確かに彼の言い分は的を得ていた。ファリーダはムッとした顔をしたまま、このような不格好極まりない(部下たちにデザインセンスがない、あるいはファリーダのセンスとは掛け離れた美学のもとにたいていは作られてきた)ものをそのまま装備させたアッラードを振り返り、言った。
《もう少しまともなものを造れと言わなかったの?》
アッラードは苦笑まじりに応えた。
《私には到底できない分野であるし、彼らが確信をもって造ると言うものだから、特に気にしていない。むしろ、このような荒天に船を出せるように手を加えてくれたことに感激しているが、どのように役に立つかは全くわからんのだがね》
すると、目ざとい龍児が横から会話に加わった。
《ひょっとして、船尾の尻尾のようになっているものはプロペラの代わりですか? 衝角で氷を破砕し、舷側の腕のようなもので砕けた氷を集め、それを船尾に送り出して完全に砕きながら、風の有無や強弱に関係なく推進力を得るのでは?》
ワリードは話がわかる相手に出会い、その陰気な顔を一段と歪めるような奇妙な喜び方をして頷いた。
《この氷はただもんじゃねえでござんすからね、風の推進力だけじゃすぐに閉じ込められちまうと思ったんでござんす。で、だったらそれ以上のパワーを船につければいいと言うわけでして。幸いながら俺らはそういう造り物に関しちゃ帝国随一だと思ってるでござんすからね。こいつがあれば、分厚い氷なんか屁でもありゃしませんて》
するとファリーダが舌打ちをして言った。
《こんなエーテルをかき回すような中で私にゴーレムを動かせってこと? 全く、お前たちは私を干からびさせたいのかねえ?》
ワリードはファリーダの癇癪のゲージが見えるように首をすくめながらも、長くチームを組んできた者らしい慣れた口調で言い返した。
《ファリーダ様の力頼みなのは重々わかってるでござんすが、これっくらいのことで音を上げるような御人じゃないのも知ってますんで。そうでござんしょ?》
ファリーダは痛いところを突かれたように渋面を作り、ぷりぷりとなったが、部下の言葉を覆すことはできなかった。
《当たり前だろ? 私がこの程度のことで二の足を踏むようなことがあるものかい。相手がなにものか知らないけれど、目にもの見せてやるよ》
と、さっさと浜辺に乗り上げて待っているボートに乗り込んでしまった。
ほぼ全員が船に乗り込むと、船をこの場まで運ぶのに海面の氷を叩き割ってくれていたドワーフたちが浜辺に残った。
そこにディミトリの姿を見つけた朱音が舷側から乗り出すようにして声をかけた。
《おじさん! 一緒に来ないの?》
ディミトリは大声で明るく応えた。
《魔法とか精霊とかとは無縁のドワーフは余計者だよ、アカネの嬢ちゃん。それにわしはケガ人だ。帝国は陸ドワーフにとっちゃなかなか居心地がいいところのようだし、無事を祈りながら酒でもやってるさ》
と叫び返したディミトリは、そのドワーフらしい鋭い感覚で、誰かが急いでこちらへ駆けてくる足音を聞きつけた。
《おーい、船を出すのはちょっと待て。誰か来る》
ファリーダはすでに船に取り付けられた不格好な『ワリード式砕氷システム』の制御盤の前に陣取り、彼女の傀儡魔法の魔力を注ぎ込もうとしていたし、アッラードの指示で船員たちがマストにのぼり、いつでも出帆できる態勢になっていた。
その気配を船上で最初に感じたのは、エリアスだった。
はっとしたように視線を陸地へと向け、呟くように言った。
《なんということか…砂漠エルフと対面するなど、いつぶりのことか…》
《えっ、砂漠エルフ?》
と龍児がエリアスの視線の先に目を凝らすと、そこに二人の人影が暗い吹雪を押しのけるような勢いでやってくるのが見えた。いや、片方はかなり参っているらしく、今にも倒れそうである。
そしてそのものたちの元気な方が手を振って叫んだ。
《ちょっと待った! その船にあたしたちも便乗させておくれよ!》
エリアスがしずしずと舷側に近寄り、大柄な女エルフが線の細いもう一人のエルフをぞんざいな手つきで助けてこちらに近づいてくるのを見ながら、言った。
《あなたは砂漠のエルフの長の娘御ではないですか? 一体全体、あなたのようなひとがどうしてこんなところに?》
女エルフは、この異常気象にもくじけていない様子で溌溂とした様子で応えた。
《そういうあんただって西の里のエルフの長の息子じゃないか。全く、兄弟そろって放蕩三昧してるエルフにとやかくとがめだてられるのは心外だね》
《しかし、どうしてここがわかったんです?》
というエリアスの問いに応えたのは、女エルフに支えられてがくがくする脚を必死に前進させている男エルフの方だった。
《それは僕の推測があったからです。必ず解決策は極地にあると》
これらの話を聞いていたミーガンがきっぱりと言った。
《考える頭はいくつあってもいいわ。特にエルフの知識は人間にはないものだし。その解決策っていうのをぜひ聞かせてほしいわ》
こうして、砂漠エルフの二人を加えた一行は、ドワーフたちが見送る中、不規則な風と雪が吹き荒れる凍った海原へと進み出したのである。もちろん、ワリードとウマルが造り出した奇妙な砕氷システムは正常に機能し、ファリーダの魔力によって分厚い氷を割り、砕き、ぐんぐんと船を前進させることに成功していた。
そして船内では種々雑多なメンバーが集まり、突然の同行者となったひょろっとした砂漠エルフの話を聞かんとしていた。
ルオンは、様々な波動を持つものたちに囲まれて完全に委縮していたが、レオナにばしっと背中を叩かれて我に返り、単刀直入に切り出した。
《皆さんは『世界樹』と9つの世界のことを聞いたことがあるでしょうか》
いよいよ問題の核心に近づいてきたようである。しかし、果たしてどこまで人間の力で対抗し、元の正常な世界に戻せるかということは、まだ混迷の中であった。




