表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第七章 精霊王国編
92/103

『God Save The King』

《おじさん、大丈夫?》

 と心底心配そうに朱音は傍らを歩くドワーフに尋ねた。

 仮眠を数時間取り、ローグの使う特効薬をたっぷりつけてもらっただけで、魔道帝国へと通じるドワーフしか知らないし、作れもしない地下トンネルをひた歩きに歩いてきたディミトリである。

 だが、あれだけの拷問と最悪な環境での監禁をされてきたとは思えない気力をみなぎらせ、彼は厚い胸を張って応えた。

《アカネの嬢ちゃん、ドワーフっつうもんはな、痛いだの辛いだのなんていう弱音は絶対に吐かねえもんなんだよ。そうでなきゃ、地底回廊から湧き出すグラッジスポーンどもと終わりのない戦いを続けられるかってんだ。だから、わしのことはそう心配しないでいい。むしろ、お前さんたちの方が気がかりだ。なんだかわかんねえが、ドワーフの勘てやつかね。足元がざわついて仕方ないのさ》

 仲間たちと連絡がとれなくなり、朱音は当然ながら、仲間とキリルが陥った状況を全く知らなかった。だから、ディミトリの言葉は、彼女を漠然とした不安に落とした。

 そんな彼女の顔色を見てか、ディミトリはばしん、とその太い指をした手で彼女の背中を叩いて言った。

《すまんすまん、余計な心配をかけるようなことを言っちまったよ。とにかく、わしらができることをするしかないんだしな。そら、そう言ってるうちに、見えてきたぜ、あの辻を左に行けば帝都へと続くメインストリートに出る。右に行けば、『見捨てられた湿原』の廃棄場に通じてる。あそこに住んでるラミア族ってのはぞっとしないが、帝国が出した有害な廃棄物が投げ捨てられ続けた結果、今じゃラミア族も住みにくい最低な場所になってるという話だな》

《あら、そこは行ったことあるわよ。あんまり気持ちのいい場所じゃなかったけど。でも、そのうちあそこも昔のようになるんじゃないかしら。あの腐った臭いのするうねうねした植物もぬらぬらした泥沼も、元のようになるのよ》

 ディミトリはさらっと言ってのけた朱音に、何度感嘆したかわからないと言いたげに奥まった黒目を見開いて言った。

《全く、お前さんたちが活躍しなかった場所はないって感じだな。カーマインでの王家を揺るがした事件やそれに関連しての帝国の誇大妄想狂の悪事を暴いたのにもお前さんたちが関わっていたというじゃないか。わしは陸ドワーフで、家名さえも尊重しないはみだしもんだが、お前さんたちには何かこう、神がかり的なもんを感じ始めてるよ》

 朱音は彼女らしくつまらなさそうに口をとがらせ、

《いやね、おじさんまでそんなふうに言わないでよ。あたしたちはただ自分たちの目的のために旅を続けてるだけだわ。そこにまあ、色々問題が持ち上がっちゃって、解決するしかなくなったのよ。だってそうでしょ、人生は自分で切り開くもの。進むしかないのよ。それを阻むものがあったら、仕方ないけど、取り除かないとね》

 ディミトリはにやっと笑い、

《お前さんたちの邪魔になるような立場にはなりたくないな。ばっさりやられちゃたまらん》

 朱音はじろっとディミトリを見やって不機嫌に目を細めたが、すぐにぷいっと顔をそむけ、

《まっ、確かに邪魔なものがあったら蹴散らしてやるわ。昔からそうなの。みんなからは短気だって言われるけど、嫌なものは嫌でしょ。それに、嫌なものを我慢してまで放っておくことがいいことかしら? 自分の人生の大切な時間を無駄遣いするだけよ。だから、あたしを邪魔するやつがいたら、蹴散らしてどこかへ放り出してきたのよ。それがあたし。あは、つまり、乱暴者なのよ、あたしって》

 ディミトリは、速足で歩く朱音に追いつくようにちょこちょこと短い脚を動かしながら言った。

《誰しも「自分」を邪魔するもんに対して、歓迎することはない。それに、お前さんは決して乱暴者なんかじゃないことはわかっとるさ。でなきゃ、このわしがここまでつきあうはずがない》

《そうだったわ。ほんと、おじさんには無理を言っちゃって…ねえ、あそこを左に行けば帝都につくんでしょ? だったらおじさんは戻っていいのよ? あんな怪我してたら、絶対に…》

 と言う朱音の気づかいの言葉は、左に折れるトンネルの向こうから息せき切ったような気配で途切れた。

 視線をそちらに向けた朱音は、そこにちょうど姿を見せたドワーフを見つけ、「あっ」と驚きの声を上げた。

《あら! ウマルさんじゃないの! どうしてここに?》

 陸ドワーフの常として顎髭はなく、長時間ラディウム鉱石の精錬に携わっているためにラディウム焼けとでもいうべき褐色にも近い肌色をしたドワーフが、表情に乏しいドワーフ特有の強面に例外的なほどの喜色を浮かべて走り寄ってきた。

《おおっ、ワリードのがらくた好きもたまには役に立つもんでがすなあ! こりゃあ、懐かしいでがす!》

 そして、彼は朱音の隣でじろじろと自分を観察している見知らぬ陸ドワーフを見、ハッと息をのんだ。

《ひょっとして…そちらさんはハーディの名を持ってやしませんでがすか?》

 ディミトリはぽかんとして素直に頷いた。

《わしはディミトリ・ハーディ・アンティキスだが》

 ウマルはまさに飛び上がらんばかりに驚いた。

《なんと! あのアンティキス家の?!》

 朱音がなんのことやらわからないと言いたげに尋ねた。

《そのことがどうしたの?》

 ウマルは首から下げている鎖を引っ張り出し、そこに下がる紋章のような形をしたペンダントを見せ、言った。

《これは俺の家に伝わるもんでがす。俺の家族は何世代も前に帝国に住み着き、家名も捨てた陸ドワーフでがすが、この紋章だけは捨てられなかったようで、代々伝わっているんでがす。そちらさんもこれと似たもんをさげてらしんたんで、ひょっとするとと思ったんでがすよ》

 ディミトリは自分の鎖骨の辺りに下がる何かのモチーフを抽象化したようなデザインのペンダントを見下ろし、改めてウマルを見やった。

《わしははみだしもんだからあまり古い家系のことは知らんが、確かにそれはハーディの名を持つものにふさわしい紋章だ。アンティキス家の分家であることだけは確かだな》

《へえ? じゃ、親戚ってこと?》

《そういうことになるな。まさか、こんな出会いがあるとは思わなかった》

 ウマルは嬉々として二人を見比べていたが、はたと本来の目的を思い出したように二人の手を取って言った。

《思わず俺のことばっかししゃべっちまったが、こうしちゃいられんのでがすよ。あんたがたもこの異常な天気に気づいてなさるでがしょ? そのことで、あんたたちのお仲間と話し合いたいことがありんして、それでこうして迎えにきたんでがすよ》

 朱音とディミトリは顔を見合わせた。

《どうしてあたしたちがここにいることがわかったの?》

 さすがに大牙ほど単細胞ではない朱音が問いただした。ウマルはやや恐縮したようになり、

《いやあ、それはちょっと話すのはお恥ずかしい限りなんでがすが、ワリードの奴が作ったがらくたなんでがすよ。以前、あんたがたとやり合った時にこっそり作動させておいたもんが、今になって役に立ったってわけでして。とにかく、今は一刻も早く帝都にお運びになってくだせえ。きっとファリーダ様が話を筆頭魔道士様に伝えて会談の場を設けておいでのはずでがす》

 これを聞いてピンとくるだけの記憶力や注意力は、朱音にはなかった。彼女は「ふぅ~ん?」と曖昧な顔になりながらも、時機が迫っていることはわかったので、気を張った物腰で言った。

《帝国でもこのことが重要視されているのなら、こちらにも都合がいいわ。あたしたちも帝国の人たちに助けを借りたくてやってきたんだから》

 ウマルは二人をせかすように歩き出しながら、

《ワリードがもう一人のお仲間の方へ向かってるんで、ちょうどいい感じで合流できそうでがすよ》

 と言ったのを、朱音はほとんど駆け足でトンネルを進みながら、とつおいつ考えた。

 仲間ってどの仲間かしら…玄人ではないことは確かだけれど…みんなと会えるのかしら…なんだかやっぱり嫌な予感ばっかりするわ…いやな気分…。

 朱音がキリルがいずこかへ連れ去られたことを知るのは、はたしていつになるのか…。

 帝都での会談が現状打開の一筋の光となるのか、それはまだ暗闇の中に隠されているようだった。


*****


 カーマイン王子の私室には、重苦しい雰囲気が漂っていた。と言うのも、聖アウロラ教団長と名乗ってきた魔性との混血から事情を聴き、同情すべきなのか、今まで人々を欺いてきたことに対する罪科を問うべきなのか、どうにも判断しかねていたからだ。

 とは言え、人心を惑わしてきたことは確かなことなので、王国領内からは永遠に追放するのが一番妥当だという結論を王子が下そうとした時、入り口の扉がノックされ、オクタヴィアと〈銀狐〉が姿を現した。

 オクタヴィアが機械的に言った。

《グレイウォールの教団長については、衛兵の詰所の遺体安置所に一時的に移しましたが、もう一人の遺体をどういたせばよいか困っております。今のところ、聖堂内で起きたことは街中に広がってはおりませんが、いつ噂が流布されるか、それは時間の問題です。実際に吸血族にその血を与えていたという事実は、あの少年が街の墓地に埋葬されることを阻むでしょう。魔物に魅入られたものは主要街道にはりつけにされ、野ざらしにされるのが習わしです。しかし、これはあくまで私見ですが、この少年をハゲワシや蛆どもの餌にはできない気がするのです。これは、〈銀狐〉も同意見でございます》

 ぎくりと顔を上げて、すっかりやつれ、生気をなくしているコンスタンティンの薄い灰色の両眼が訴えるようにわなないた。

《マルセルは今どこに?》

 しゃがれた低い声が問いかけると、扉の陰にいた〈銀狐〉が事もなく応えた。

《ここにいるぜ。人間の中にも心の広いのもいるってことさ。まっ、はなからローグなんていうもんになっちまったら、人間っつう範疇から逸脱したようなもんだがな》

 そう言った〈銀狐〉の肩に背負われていた麻袋が床に下ろされた。それは本当に小さく、これを見た龍児の胸はきゅうっと締め付けられるような心地になった。

《…こんな小さな命を奪うなんて…》

 思わず独り言が出る。

 そんな彼の、何かに心を奪われているような様子を見ながら、癒し手のエリアスがゆっくりと跪いて麻袋の口の紐を解いた。

 そこに命をなくし、がらんどうになった少年の遺体が現れると、コンスタンティンは衝動的に駆け寄り、魔性の血を引いているとは思えない感情の昂ぶりに襲われたように激しく掻き抱き、涙を流したのである。

《おおっ、マルセル…! 私のために…! 私がいなければお前は命を落とすことなどなく…!》

 次第に激情が喪失の失意から怒りと反撃の炎に変質しそうになった時、すっとマリーがコンスタンティンの傍により、静かに話しかけた。

《あたくしにはわかります。この少年はあなたが無事でいることを喜んでいます。あなたを救えたことに満足しています。誰しも何らかの意味をもってこの世に生まれてきます。この少年は、あなたを守れたことで、それが果たせたと思っているのです。ですから、怒りや復讐は無意味です。ましてや、あなた自身の存在を否定するような激情にとらわれるのはおやめなさい。現実を見てください。あなたの私怨を晴らしたとして、何かが変わるでしょうか? そして、あなたに何がもたらされるのでしょうか? あなたは賢明な方です。今は個人的なことを優先させる状況には決してありません。よろしいですか、私たちには闇の側の感覚を備えた者はいないのです。あなたの中にある、闇に対する感覚を、あたくしたちは頼りにしたいのです。キリル殿を連れ去ったあれが何か突き止め、必ずキリル殿を救い出さねばなりません。そのためにあなたの力も貸していただきたいのです》

 すると、すでにエリアスからその身の真実を明かされていたオオワシのジグムントが懸念に満ちた様子で口を挟んだ。

《闇の勢力が増すだけではないかね?》

 マリーはゆったりと首を振り、涙で濡れた顔をしているコンスタンティンとともに凄絶な死を受けた美少年の天使のような巻き毛を撫でながら応えた。

《いいえ、そうはならないでしょう。この方には半分ヒトの血が流れています。これまでは孤独がこの方を冷たく燃え上がる復讐の炎に包ませていましたが、今は愛することの意味を思い出されました。大丈夫、あたくしは信じます》

 と、その場にさらさらとした何かが流れ込んできた。ハッとしてコンスタンティンが意識をマルセルの遺体に戻すと、ふわっと少年の身体が抱きしめていた彼の手の中からすり抜け、空中に浮かんだのである。

 これを見てエリアスが低く唸ったのを、龍児は聞きとがめるように見た。エルフの癒し手は彼の視線を感じ、小声で言った。

《…彼女は生まれながらの誠意と慈悲に満ちた稀有な能力の持ち主だ…究極の癒しの魔法『万能再生(パナシア)』を無意識に発動している…》

 その単語を聞いたことがあった龍児は何か言おうとして口をつぐんだ。眼前でまさに奇跡のような光景が広がっていたからである。

 命をなくした抜け殻の身体から、ぼんやりとした何かがすり抜け、ふわっとその場にいるものの間を巡ってから、コンスタンティンの手元に降り、いかにもぬくぬくとする猫のようにしばらくとどまっていたかと思うと、それは突然にパッと四散してしまったのだった。空中に浮かんでいた遺体もである。

 誰もが唖然としてこの光景を見つめていたが、コンスタンティンが手の中に何かがあることに気づき、再び愕然となった。

 それはオパールのように柔和な輝きをし、卵型をした宝玉のように見えた。

 マリーがそれを見つけ、にこりと微笑んだ。

《あなたは愛されていました。それが証拠です。そしてその愛をあなたが決して穢すことのないよう、彼はあなたにそれを遺したのです》

 龍児の頭の中でさらなる思考の糸がつながった。エリアスを見やり、先ほど言いかけたことを問うた。

《…僕の知っているパナシアは、春という時節と密接につながっています。そして、あの宝玉…あれは再生を象徴する復活の卵ではないでしょうか。しかし、時節にも対極にあるものが存在するように、再生にも対極に位置するものがあります。それは暴力、もっと細かく言えば、復讐(ヴェンジェンス)です》

 エルフの癒し手は、龍児の説にいちいち納得するように頷き、

《マリー姫はあの魔性の混血の中に渦巻く憤激を相殺するという離れ業をやってのけた。それに、春か…》

 と、エリアスはじっと龍児を凝視して続けた。

《春と言えば、不思議なことに、君からも似たようなものを感じる…》

 龍児はすっかり忘れていた。自分に宿る霊力には季節を象徴するものも含まれているということを。

《確かに、そいつからは春の若葉みたいな空気を感じるな。一体お前はどういう種類の人間だ?》

 ワタリガラスのクラウドが問い詰めるようにしてきたので、龍児の適当な言い訳が飛び出そうとしたのを、マリーが助け舟を出すように言葉を挟んだ。

《今はどんな助けも必要なのです。この闇は悪意に満ちています。光は吸い込まれ、善意は飲み込まれ、正義は砕かれましょう。そしてあれはさらなる力の元となるものを手に入れました。手遅れにならないうちに行動に出るべきです》

 キリルはただの上官で、何か特別な存在でもないと言いたかった龍児だったが、コンスタンティンの発言に遮られた。

《このことが役に立つかはわからないが、私が追い詰めようとしていたストリゴイの長の行方は追える。このようなことで忌まわしい血のつながりが役に立つとは、皮肉なことだが、闇の眷属との対話も必要な気がするのだ。この現象は決して闇の眷属だけでしたこととは思えないからだ。あまりに大掛かりすぎる。そしてあのつむじ風の中にいたものはなにものか。あれはこの地上にいる闇の眷属とも光の一族とも違った》

 そのあとの少しの相談の結果、彼らは次の行動に速やかに移った。

 王子と〈銀狐〉、オクタヴィアは王国に残って教団の後始末をし、さらなる混乱が起こらないように注意をすることになった。

 一方のマリーは、かなり兄王子に反対されたものの、エリアスの自信のある説得でコンスタンティンの案内に従って闇の眷属の本陣へと向かう一団に加わった。この状況下では、彼女の急速に目覚めた癒しと浄化の魔法の力は非常に助けとなるはずだった。

 光の一族であるジグムントとクラウドは、上空から偵察を兼ねながらついてくることになった。しかし十分に注意を払ってである。時間を追ってどんどん深く暗く冷たくなる闇の侵食は、光の一族の精力を奪うに十分になっていたからだ。

 そして当然、龍児もその中にいた。彼の頭の中では一つの疑問がぐるぐると回り続けていた。

 なぜキリルなのか。

 闇の力を増すためなら、ダンピールのコンスタンティンでもよかったわけだ。

 なのになぜ?

 その疑問は解けぬまま、明けぬ朝を待って、それぞれが行動に移った。

 それから数日を置かずして、二人のエルフの男女がカーマインを訪れたのである。


*****


 何かのきっかけで、キリルは意識を取り戻した。

 そこは、氷の宮殿とでも形容できる、氷河色の壁と床、そして天井からはクリスタルではなく、切り出した氷の破片を吊り下げたようなシャンデリアがさがり、なにを燃しているものやら、蒼白い炎のようなものが蝋燭の代わりに揺らめいていた。

 身体を起こすと、寝かされていた寝台も氷のようなものでできていて、分厚い敷き皮が染みとおってくる冷気を遮断していたようであることがわかった。

 彼は思い出したように自分のわき腹を見下ろした。

 洒落たアイボリーのロングジャケットには赤黒く変色した流血のあとがありありと残っていた。

 キリルの碧眼が不機嫌に陰り、その口元に苦々しい自嘲のゆがみがわずかにのぼる。おそらく、そんな顔つきをしているキリルを、レイジュウジャーたちは見たことがなかっただろう。

 それもそのはずだった。今、彼は彼個人として苦境に立たされており、自分の手でどうにか突破口を見つけねばならなかった。ここにあるのは己のみである。部下たちの助けを待つ時間はなさそうに思われた。

 キリルはますます気難しい表情になり、ついには舌打ちまでして上掛けをはねのけて腹立たしそうに立ち上がった。

 わき腹の傷はあまり彼に影響していない様子だった。そのことも彼を苛立たせていた。

「…くそっ、忌々しい! こんな身体にした者たちを憎み続けてきたというのに、それが今となって功を奏するとはなんという皮肉!」

 いらいらとしばらくその氷でできた室内を行きつ戻りつしていたキリルだったが、思い直したように頭を振り、すとん、と氷のベッドの端に座り込んでしまった。

「…だが、ここで私がなにものかの欲得のために利用されるわけにはいかない。落ち着け、キリル…何事にも平常心を保つことだ…私には守るべき部下たちがいる…そうだ…私は二度も大切なものをなくしている…その轍を踏んではならない」

 キリルは不意に物思いから覚めたように油断のない眼差しを上げた。

 そこに、忽然と背の高い、大理石の彫像のように端然としていながら、慈悲の欠片も感じさせない神話の中の女神のような顔をしたものが、立っていた。

 それは直接キリルの頭の中に響く声で話しかけてきた。

〈さきほどまで満ち満ちていたかぐわしい復讐の香りはいずこに? 私に隠す必要はない。隠すこともできない〉

 こういう人智を超えた対話には、キリルはすでにかつて幾度も体験してきたことだったので、相手のペースに乗らず、自分という存在を相手方の手の届かない場所に避難させる術を身に着けていた。

 彼はいつもの捉えどころのない、時に人を煙に巻くような態度で肩をすくめて見せた。

「一体なんのことやらわかりませんね。それに、いきなりこのように私をさらい、幽閉のような真似をして、私が喜ぶとでも? 不愉快極まりないですな。それに加えて勝手に人の心を盗み見るようなことをおっしゃる。私が一体何をしたんですか。その理由を尋ねたい。もちろんこれはただ私の好奇心を満たすためのことであり、いずれ私は早々にこのような場所から解放されるか、それがかなわないなら、手段を選ばずここから出ていかせてもらう」

 すると、立ちはだかっていた白い彫像のようなものがサディスティックに高笑いした。

〈ここから脱出? 笑止。ここは我が『冬の宮殿』の中の、私が特別に作った空間。私以外にここの「鍵」を持つものはおらぬ〉

 キリルはこれを聞き、まもなくある推測に至った。その推測は深刻なことではあったが、キリルがわざと高飛車に言ったことで、相手がその勢いに乗せられたことに内心で会心の笑みを浮かべていた。何か大それた悪だくみをするものは、大概、傲慢で自尊心がやたらと高く、ちょっとした挑発に対して自らの優越を誇示したがる傾向があるのは、この目の前の人外のものにもあてはまったようだった。つまり、彼はこの白い、まさに冬の女王というべきものの言葉の中に「鍵」を見つけていたのである。

 その推測とはつまりこういうことであった。

 まずは、ここがかつて『世界樹』と呼ばれたワームホールのような超スピードで移動できる通路でつながっていた9つの世界のひとつ、おそらくは『精霊界』の中ではないかということ。だから、彼は脱出できないと断言したのである。確かに、現在不安定になっているワームホールの中に生身で放り出されれば、いくら彼でもいくつ命があっても足りないだろう。

 そしてさらに、この超然とし、残酷な美をまとうものが「冬」を象徴していて、現在、あの星の天候が狂ってしまっていることからも、この存在が何かしらの目的をもってあの現象を引き起こしていると考えるのは全く理にかなっていた。「冬」の支配者なら、冬の勢力が強まることはそのままこのものの力となるからだ。

 そして最後に、なぜこのようなことを引き起こし、自分を虜にしたかということである。

 キリルは、その深刻性にも関わらず、悠々と、冷酷に自分を見下ろす女神然としたものを見上げて言った。

「おそらくあなたは「冬」の支配者なのでしょう? それなのにずいぶん軽率なことを口にしてしまいましたね。私にはすでにあなたのしようとしていることが分かってしまいました。だから、あなたの要望には全く応じられませんな」

 相手はわずかに目元をしかめた。

〈人間ごときに私の何がわかるというのか〉

 キリルは、自分よりもずっと背の高いものの前に立ち上がると、底意がなさそうに見えて、その実、相手の心を苛立たせるような絶妙な微笑を返して言った。

「その人間ごときに何かさせようとしたのはあなたですよ。あなたが手に入れようともくろんでいるものは、この世界のどこかに消失してしまったのでしょう? それを見つけ出すために、あなたは思い切った手段に出た。もちろん、私たちの出現はあなたの力の制御を惑わしたことでしょうが、いくつかの負の要素が取り除かれ、世界のバランスが平衡になりかけた時に、純粋の闇に近いものが現れた。人間界は不安に包まれた。季節はちょうど秋。世界のバランスがあなたの方へと傾いてきていた。それを逃さず、あなたは行動に出た。だが、極夜が続いても、あなたの欲するものは不明のままだ。それで、あなたは私を見つけた。あなたが人智を超えた力を持っていることはわかります。だから、私の中にある「もの」を察するのは当然です。しかし、それをあなたの自由にされることは断じて許すわけにはいきません。この力は平和と正義のために使われるべきで、決してあなたがたくらむ野望に利用されるわけにはいかないのです」

 とキリルは言葉を切ると、左の小指にはめていた洒落た指輪に触れた。

 さすがに精霊界の住人らしく、冬のウィンダミアはキリルが何か仕掛けを作動させたことに気づいた。

〈貴様、なにを今した?!〉

 キリルは身体の中に神経毒が回るのを感じながら、誇り高い戦士の英断に唇をほころばせつつ、応えた。

「私がみすみすその力をあなたに渡すとでも思いましたか? 私もかつては戦いに身を投じていました。虜になり、自分の意に反する行為を強いられることの屈辱より、私はこうすることを選びます」

 ぐらっとキリルの身体から支えがなくなり、彼はベッドの端に横倒しになるように倒れこんだ。

〈愚か者が! その力を存分に使いもせずになんという愚かな真似を! あれさえあれば、世界を支配できるというに!〉

 薄れゆく意識の中に、冬の支配者の声は届いていなかった。キリルの頭の中には、愛すべき若者たちと、そして心の重しのようにあり続ける思い出が映っていた。

 そしてこの期に及んでも彼のシニカルなユーモアの感覚は生きていた。

 彼は昏倒する寸前、心から笑った。

 (キング)が動いてしまったことでキャスリングできなくしたのは全く私の落ち度でしかない。だが、彼らを捨て駒にしてしまう可能性のあるギャンビットの選択肢はできなかった…しかし、諦めるな、キリル。まだチェックされただけであるし、この私の行為は自殺ではない…そうだ、キングの自殺行為は許されないのだから…ふふ…この忌まわしき身の上がチェックから逃れる策になるとは、因果なことだ…ああ…もう何も感じない…信じている…私が信じる勇敢なナイトたちよ…期待しているぞ…。

 そうして、キリルの意識は完全に止まった。

 ウィンダミアは大精霊とも思えぬ粗暴な顔つきで動かなくなったキリルを睨みつけると、やってきたのと同じように忽然とその場から消えていった。

 そこには命の動きを止めたキリルだけが残されたが、その身体の中で微細な活動が行われていることは、科学の知識が皆無のこの地では完全に無視されたのである。


*****


 レイジュウジャーたちが初めてこの地にやってきた時の、エルダー村はずれの山間にファンロンをなんとか着陸させ、最低限のエネルギーで艦の維持をしているために薄暗い非常用照明の中で、さすがに玄人もこの状況から脱する策を思いつけず、沈鬱とした様子でパイロットシートに座り続けていた。

 暗黒物質については、宇宙世紀になった今でも、謎の多いものの一つだった。

 宇宙にはさまざまな物質、現象が存在しており、それが相互作用を引き起こす。決まった作用であればいいが、果てしない宇宙において決まりきった現象などというものは、極めて稀だった。

 しかしながら、この光学的に不可視でありながら質量を持ち、宇宙全体の動きを崩壊させないように支えているのがこの謎めいた物質であることははっきりしていた。

 そして同時に、宇宙における航行事故が、この暗黒物質がたまっていたと思われる場所で起きているという可能性もかなり信憑性があり、いわば「宇宙におけるサルガッソー」のような、宇宙時代とも思えない噂が絶えない。

 暗黒物質の正体については諸説あり、超対称性粒子ニュートラリーノであるとか、小型のブラックホールであるとか、宇宙科学者たちの頭を悩ませ続けている。

「わしの頭も限界じゃ…この世界を含めて複数の異なる世界が恒常的なワームホールでつながっていたということから、当然エキゾチックマター(暗黒物質)の存在も考えに入れておかんとならんかった…『世界樹』の話が真実なのであれば、ワームホールは今、何らかの原因で正常な位置からずれてしまった上に、『世界樹』という外殻を失っていて、エキゾチックマターによってようやく存在できているような状態になっとるんじゃ。それで、この異常な現象でついにワームホールを支えているエキゾチックマターが流れ出してきてしまった…このまんまじゃあ、偏りすぎて星ごとひっくり返ってしまうぞな」

《まさしくそのとおり》

 玄人は、突然聞こえてきた声に虚を突かれたように立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。

 すると、メインビューアの前に立つ小柄な人物がやや馴れ馴れしい態度でメインデッキを眺めまわしているのを見つけ、彼はいわれもなく救われたような心地でため息交じりに言った。

《なんじゃあ、あんさんたちか。いきなり入ってくるのはちぃと無作法じゃないのかな》

 水色と桜色の髪をし、よく似た顔立ちをした二人のうち、水色の髪をした方が抑揚のない口調で弁解した。

《悪いとは思ったけれど、この際、そんな無駄なことはしていられないことはわかっているはず》

 玄人はその少女のように幼く見える人物が決して外見通りではないことを覚えていたので、これはまさに天の助けとばかりに言った。

《確か、ケイはんと言ったなあ? ほとほと困っとるんじゃ。エンジンは止まりかかっとるし、どうやらわしらが装備しとるデヴァイスも動かなくなっとる。仲間たちとも連絡がつかん。お手上げじゃ》

 ケイは白い投影像の元は『管理者』として古代の民の復活を助ける存在として残されたものを見やりながら、応えた。

《古代の民の宇宙戦艦のシステムをまさか従えるとはなかなか凄腕ね。それにこの艦。あなたたちの宙域の文明もかなり高いようね。ああ、ごめんなさい、こんな世間話をしにきたのではなかった。あなたたちならわかると思うけれど、この星が多重構造、つまり亜空間の連続体で構成されていることは気づいているはず。その連続体がフラクタル図形のように無限に内包でき、同時に拡大もできることも》

 玄人は頷き、素直に困り切った顔をして言った。

《そのことは最近知ったことじゃが、宇宙科学的に見れば、次元軸と時間軸の違う亜空間が隣り合っていることは大いにありうることじゃ。これはわしの推察じゃが、その亜空間の一つに異常が生じたんじゃないのかな》

 これに応えたのは、桜色の髪を肩のあたりで切りそろえた少年風の方、ヌーノだった。

《この星はそれぞれの亜空間世界からの影響を大きく受けて存在している興味深い星さ。だから僕らの種族が面白半分に、まるで創造主気取りで乗り込んでいったのだと思うよ。まずはそこに原因がある。僕たちの種族が作った亜空間バリアだよ。この星は絶妙なバランスで保たれていたところを、僕らの種族の考えで作った亜空間構造で閉じ込めてしまった。もちろん、亜空間はどこにでも存在し、別の亜空間のものも「見る」ことはできる。だが、この星を取り巻いていた亜空間軸と完全に同期した亜空間ではなかった。そして君たち。君たちはこの星に存在しえないなにものかの影響力をもたらした。悪く思わないでほしいけれど、君たちも、この星にとっては部外者であり、バランスを混乱させる要因になりうる。そして今、その影響力の振幅が大きくなった。だからこうしてやってきたんだ》

《何か、重大なことでも?》

 玄人は両手をコンソールパネルに置いて、はらはらとした様子で尋ねた。

 ケイが淡々と応えた。

《あなたたちの上官が別次元空間に囚われたの》

《えっ?!》

 ケイは同情するふうもなく、機械的に続けた。

《なぜ囚われたのかまではわからないし、助けようにも、これほど暗黒物質が溢れ出している中で、この星に付随する別次元にテレポートするのはかなり危険だ。私たちは古代の民の流動生命体の能力を捨てた身。さすがに不安定になってしまっているワームホールをくぐりぬけるのは自信がない。たとえたどり着けたとしても、あなたの上官をどうやってその世界から連れ出すかも不明だ》

 玄人は事の重大さに胸をどきどきとさせながらも、くるくると思考を巡らせ、言葉につかえながら言った。

《結論から言えば、この傾きすぎた地軸を戻せばいいことになる…そして流れ出た暗黒物質を元に戻せれば、たとえかつてより不安定になったワームホールとは言え、そこそこの強度を取り戻せるかもしれん…それができれば朱雀王か玄武王で…入り口はわかっとる。極星が沈んだ極地の中央じゃ》

《なかなかいい作戦だけど、そこに行きつくための前段階がないわね》

 無情にケイが指摘すると、ヌーノがやや希望をもたせるような様子で言った。

《幸いにも、僕たちのシステムはこの艦のように自然界の元素からエネルギーを補給するようにはできていない。今、自由に素早く移動できるのはおそらく僕たちくらいだ。どうかな、ここはコンピュータに留守番をさせて、君を極地に連れて行くというのは? その途中でばらばらになってしまった仲間たちが見つけられれば、それでまた好都合だ。僕たちにとっても、この星が平和でないのは残念に思っているんだ。それに、僕たちには過去の責任があるからね。見守らなくちゃならないんだ》

 玄人はこの申し出を断るはずもなかった。今はまだ何の方法も思いつかなかったが、行動に出れば何かしら名案が浮かぶかもしれない、こうしてここで頭を抱えているよりも何倍もチャンスがあると思われた。

 彼は日本人らしく深々と頭を下げ、言った。

《ぜひわしらに力を貸してほしい。ボスはわしらにとっちゃ、肉親も同然の存在なんじゃ》

 ケイはそっけなく肩をすくめ、

《いいのよ。私たちもあなたたちに助けられた。それに、あなたたちには私たちが忘れかけていたものを思い出させてくれた。さ、そうと決まったら行動よ。はい、これ、どこかに着けておいて。私たちと離れていても話せるコミュニケータよ。シャトルに戻る時や座標指定で転送する時のポインターにもなるの》

 と渡された小さなピンバッジのようなものをパーカーの胸元に玄人がつけたのを確認したヌーノが、言った。

《コンピュータ、三名転送》

 ふんわりとした光芒が三人の周囲を包んだかと思うと、その輝きの中に身体の輪郭をぼやけさせ、そしてすっと何もかもが消えた。

 しばらくファンロンは無音に包まれていたが、一部始終を見ていたジルコンが「グゲェッ」と不満たっぷりに鳴いてからぶつくさと言った。

「キリルの野郎、間抜けな真似しやがって。起死回生の一手が打てればいいが、できなきゃチェックメイトだ!」

 ジルコンの言葉はまさに的を得ていたと言えよう。間に合うのか、レイジュウジャーたち!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ