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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第七章 精霊王国編
91/103

『求むるは復讐の快感かあたたかな母の胸か」

 マクシミリアンとキリル、そして龍児が早速に王都の中央にある聖堂に向かおうとしたところへ、予期せぬ声が彼らを引き留めた。

《お兄様、お待ちになって。あたくしも連れて行ってくださいまし》

 マリー王女だった。すでに心に決めているらしく、今もしばしば城を抜け出して自由闊達に街を散策するときに着る質素なドレスに着替えていた。そしてその背後にはひっそりとエルフの癒し手エリアスが控えていた。

 マクシミリアンは、妹の心優しい性格を知っていたし、彼女に特別な眼力があることも今では確信していた。だから、闇の魔性に対して何かしらの反応を示すのは仕方のないことであると思っていたが、さすがに国内を混乱させている元凶のもとに同行させるのには賛成できなかった。

 すると、そんな王子の心境を察しているかのように、エリアスが静かに言った。

《マリー姫殿下はいわゆる破邪の能力をお持ちです。そしてその慈悲の心は、どんな癒し手でもかなわない潤沢な湧き水のようにこんこんと溢れております。それを必要とする迷えるものを、姫殿下は感じたそうなのです》

《いつだか、お前が感じた「声」の主か?》

 とマクシミリアンが尋ねると、マリーは首を振り、

《その方は遠くの方へと行っておしまいになったようですわ。でも、その方もこの変事をどうにかしようと気を張っていらっしゃると思います。善悪の範疇を超えていると思いますの。とらえどころのない、漠然とした何かが世界の天秤を傾けて、どこかに転がって行ってしまっている神聖で大切ななにかを探し求めているような……ああ、ごめんなさい、あたくしばかりお話しして…でも、お兄様、今から会おうとなさっている方ですが、あたくしの思い違いならばいいのですが、もし当たっているならば、そこのお二方はいらっしゃらない方がよろしいかと》

《なぜだね?》

 マクシミリアンがやや怪訝に聞き返すと、エリアスが代わりに応えた。

《端的に申しますが、こちらのお二人は闇の魔性を丸裸にできる強烈な輝きを放っているからです。特にキリル殿、あなたからはエルフの目にもまぶしいほどに聖なる光で満ちています。そのような波動をまとったものが二人もいれば、闇の者と対話するどころか、反発を呼び、教団全体を混乱させ、闇の者を長らく王都に放置してきたということで王家にも悪影響を及ぼすでしょう》

 龍児はこれを聞き、傍らのキリルを見やった。彼の上司は特に動揺したふうもなく、端然と話を聞いているだけである。

 一応、キリルにも『麒麟』というコードネームがあり、レイジュウジャーたちの指令監督を任された立場であるから、レンジャーの一員としてとらえるのはおかしいことではなかったが、自分たち以上に内包する何かを秘めているとは思いもよらなかった。

 一体このキリル・リムスキーという人物はどういった種類の存在なのか。龍児の疑り深い思考が巡り始めたが、それはキリルの明朗な発言で注意力をそがされた。

《ふーむ、エルフの方にそのように忠告されたとあれば、私たちは後ろに引っ込んでいた方がよいようですね。私たちは別にそのものを糾弾し、追い詰めるつもりはないのですから。では私たちはあまり核心には近づかず、殿下たちを護衛するつもりで参りましょう》

 エリアスが物分かりの速いキリルに目礼のようなものを返し、

《私はエルフですので、もとより闇の者とは相いれない立場にあります。ですから、姫殿下の身辺をお守りしていただければ幸いです》

《お任せください》

 と、キリルは会釈しながら言うと、マリーに腕を差し出し、

《さあ、姫君、私の腕をお取りください。カーマイン王国の可憐な姫のエスコートができるとはなんという光栄》

 マリーは言われるがままにキリルの腕にそっと手を乗せたが、小さくハッと息をのんだようにしてキリルを見上げた。キリルはそんなマリーのわずかな変化に気づいているのかそうでないのか、マクシミリアンの後について歩き始めていた。

 そしてその少し後ろから龍児はついていきながら、一つの推測にいきついていた。

 それはつまり、キリルがかつてレンジャーとして前線で戦っていたのではないかという推測である。そういうことはありそうなことだったが、彼が記憶している過去のレンジャー隊の中に、キリルのような存在はなかった。

 すぐにでも調べてみたい衝動に駆られたが、ふと現実に立ち返ると、そんなことは全く無意味なことだと思われた。キリルが何者であろうと、自分たちのことを完全にバックアップしてくれるのは、このキリルだけなのだ。そう、孤独な龍児にとっては、親以上に信頼し、思慕している存在なのだ。

 龍児は思考をリセットするように一人小さく頷くと、王子たちのあとに続いて城を出た。

 しかし、マリーが意識を何かに奪われた原因をもし彼が知っていたとしたら、ますますキリルと言う人物への疑問が浮かんだことだろう。

 マリーは、その天性の善意の精神から、キリルの中に大量に、そう、通常の人間よりもずっと大量の悲哀と苦悩、それから冷え切った金属に触れた時のように肌を焼くような沈黙の中の激しい怒りを感じていたのである。


*****


 この異常気象は、魔道帝国オーカーにも少なからず混乱と支障をもたらしていた。

 たった今まで、各魔道士ギルドのセクションの代表たちが筆頭魔道士ギャリオン・マーズとその補佐役であるミーガン・ウェヌスを交え、対策会議をしてきたところである。

 トルステン・ウラヌス前筆頭魔道士の20年にわたる悪影響下から解放され、少しの熱狂的なトルステンの賛同者を排除はしたが、そろそろ魔道士全体の意識が常識的な倫理の上に戻ってきた矢先の異変である。それも、魔道士たちの魔力を十分に発揮できない不可思議な現象に、当然のことながら魔道士たちは慌てふためいた。あって当然のものがなくなればそうなるのも無理はなかった。

 ファリーダ・ルルーシュは吹きすさぶ重い吹雪の中を、ゴーレムを使役するものの常として、ラディウム滓、いわばゴーレムを操る際に出る排気ガスのようなものにさらされて紫色に変色した長髪をなぶられるままにして自分のラボのあるギルドの建物に戻りつつ、ため息をついた。

 彼女は以前は閑職に回され、ゴーレム開発セクションでは全く無視されていた。しかし、今は彼女のゴーレム使いとしての能力の高さゆえに、ギルド長のマフムート・ギランに頼りにされ、こうして会議にも同行させられたのであった。

《まっ、あの筋肉男に深い考えが浮かばないのは当然のことだけれど、逆に魔力に頼り切らなかった姿勢がこんな時に役に立つなんてね。世の中、無駄なことはないってことなのかしら》

 歴代の筆頭魔道士としては、ギャリオンは異色中の異色として記録されるだろう。トルステンについては言わずもがなだが、その前のケイラン・マグナスにしても、その魔力の強さや思考力の深さは群を抜いている。

 しかしながら、ギャリオンにはそういった資質ははっきり言って皆無で、その代わりに肉体の強さとそれに伴う魔力に頼らない確固たる自信を持っていた。

 だから、こうして魔力を惑わされ、一時的に盲目のような状態に落とし込まれている者たちの中で、彼だけは心を折られずにいられたのである。彼は必ずこの状況を打破してみせると豪語し、それを後ろ盾るようにミーガンが明言した。《このような現象は必ず過去にもあったと思われます。あたしたちの国は1000年前から優れた魔道士の集まる国だったのですから、必ず記録があるはずです。もう禁書だのと気を遣う必要もないわけで、あたしは必ず見つけ出して見せますわ》

 ミーガンも、様々なエーテルを組み合わせての補助魔法を使う、どちらかと言えばド派手な攻撃魔法を使う一派とは一線を画していた。それだからこそ、この現象を第三者的な立場で受け止め、冷静でいられるのだろう、とファリーダは思った。

 そういう彼女も、大地魔法は使うものの、基本的には無機物を使役する能力に秀でているため、この魔力を攪拌し、正常に魔法の効果を引き出せない状態に対してはあまり動揺していなかった。いや、もともとどんなことにも心乱されるような性質ではないという方が正しいだろうか。

《にしても、鬱陶しい天気だよ、これは》

 とぶつぶつと言いながらラボの扉をくぐると、そこはムッとするような熱せられた空気と、ラディウムが化合する時の喉が焼け付くような臭いが充満していた。これがいつもの彼女のラボの正常な状態なのである。

《なんや~、お帰りで。外はひどい天気だったでがしょう?》

 ラディウムの精錬をする炉の前から彼女が入り口で雪を叩き落としているのを見つけたドワーフのウマル・ハーディが身体をそらして見やり、声をかけた。

《ひどいの一言じゃすまされないね。この雪が厄介よ。大地のエーテルをすっかり覆い隠そうとしてるよ。一体どうなってるんだかねえ》

 とファリーダは言いながら、ひとつくしゃみをした。美しすぎて逆に冷酷にさえ見える顔が一瞬、少女のように巣の顔に戻る。

 そんな一瞬を見てしまって意表を突かれたようにぼけっと自分を見上げていたワリード・サレハに気づき、ファリーダは鼻をぐずぐずさせながらも、つっけんどんに言った。

《ところで、お前のくだらない実験はうまくいってんのかい?》

 ワリードは、地球的に言えばオタクっぽい陰性質な細面をデスクの上のがらくたにしか見えないものに戻し、まだ曖昧な口調で応えた。

《はっきり言えることは、これが魔力とは全く違う要素だということでござんすかね。ラディウム末とも反応はないし、魔力計の針もぴくりともしやがらねえ。でも、一つ気になるデータがあるんでござんすよ》

《気を持たせるんじゃないよ、さっさとお話し》

 ぴしゃりとファリーダに一喝され、ワリードは首をすくめながら続けた。

《じゃ、一つお聞きしたいんでござんすが、どうして毎日昼と夜が規則正しく巡ってくるか、ファリーダ様、ご存じでござんすか》

 ファリーダはきょとんとして(それがまた彼女の素の顔を垣間見せた)応えた。

《さあ? 太陽が沈んで、また夜明けがくるからだろ?》

 ワリードは、不出来な生徒を見るようにうんざりとなった。

《いけませんねえ。魔道士ってのは魔力があるってだけで、全然常識っつうもんをもってねえんだから》

 部下に頭が悪いと揶揄され、むっとなったファリーダの傍らに、いつの間にかウマルが立っており、ラディウム精製には抜きんでた者として誇りを持っているように言った。

《俺たちが造るゴーレムでがすが、実はラディウムとファリーダ様の使役魔法の他に、ちょっとしたスパイスを加えてあるんでさ。こんなこと、ちょっと前までは口にできることじゃなかったですがね、今はもう自由になったんだし、打ち明けてしまいますが、どうして俺たちが地面にまっすぐに立ち、家や木々がまっすぐ天に向かって立っていられるか、そのわけ、知ってるがすか?》

 ファリーダは優秀な魔道士だが、自然科学的な問題には全く関心も、知識もなかった。おそらく、大部分の魔道士が同じような返答をしただろう。

 ファリーダは部下の二人から問い詰められ、ますます不機嫌なしわを顔に作った。

《なんだい、二人とも。私を馬鹿扱いして》

《いいえ~、そんなつもりは毛頭…ただ、このことは魔道士連中には言えない分野っつうか、俺が精製するラディウムの特別な味付けを知られたくなかったからでさ》

 とウマルは、そのあとの説明をワリードに任すように同僚に視線を投げた。

 ワリードは、またもやコンパスや計器がごたごたとくっついているような器械を見せながら、その針の振れ方に確信するように頷いて言った。

《この世には目に見えないが、質量をもった物質があるってこと、聞いたことありませんかねえ?》

 ここにきて、ようやくファリーダは思い当たったことがあるように片眉を上げて言った。

《それは、暗黒物質(ダークマター)のことかい?》

 ワリードはあっさり頷いた。その器械の針は不規則に振れ続けている。

《まさにそのことでござんすよ。この大地を支えるのに、どれだけの基礎と言うか、重さが必要だと思います? それが全部目に見えていたら、人間が住む場所なんかありゃしませんて。その暗黒物質、つまり目に見えない質量をもった物質が、この大地をうまい具合に支えていたから、毎日昼と夜がじゅんぐりにやってきていたってわけでござんすよ。それが、いきなり極夜の連続でござんす。それで、俺はこの『ワリード式暗黒物質質量計』で測定してみたら、案の定、器械がぶっ壊れるんじゃないかってくらいに暗黒物質の比率が増えていたというわけでござんして》

《ウマル、お前は暗黒物質を何に利用したんだい?》

 ファリーダの詰問に、ウマルは肩をすくめ、

《ゴーレムの機動性と質量増加による防御力の強化でがすよ。ファリーダ様の魔力のコストも下がるし、ゴーレムにかかる材料も少なくできるでがすからね》

 ファリーダは小さく舌打ちして、魔道士の間では禁忌とされ続けてきた暗黒物質の利用を、平然と最も身近な部下たちが行っていたことに腹を立てたが、それはすぐに新たな意識に取り変わった。

《じゃ、その暗黒物質が今溢れかえっているということなんだね?》

《そういうことになるでござんすな。この状態が続けば、帝国は永遠に夜が明けないことになるでござんす》

《この状況を解決する方法はあるのかい?》

《簡単に言えば、相対する物質で相殺することが手っ取り早いでござんすが、残念ながら、可視的な質量のある物質より、はるかに暗黒物質の方が勝るのが現実でして》

《一体何の目的があってこのようなことが起きたのかねえ?》

《そんなことは俺らにはわからないでござんすよ。ただ、暗黒物質を正常な値に戻さない限り、この天気は回復しないってことでして》

 とワリードが応えた時、がらくただらけのデスクのどこからか、微かなビープ音が聞こえたのである。

《おや? おやおや? こいつぁ…》 

 他のものがデスクから落ちるのも気にせず、ワリードはジャンクパーツの山の中から手のひらにおさまる程度の大きさのまたもや何らかの計器を取り出した。それを手にしたワリードは満悦の表情をその陰湿な顔いっぱいに広げて独り言のように言った。

《まさかこいつがまた役に立つとは思ってもみなかったでござんす》

《どうしたんだい?》

 ワリードは、ファリーダにちょっとねじの緩んだようなにやにや笑いを返し、応えた。

《前にあの妙な冒険者とやりあった時を思い出してくだせえ。俺が『命のらせん』を利用して作った記憶媒体のこと。それが今になって反応したんでござんすよ。つまり、あの連中が近くにきてるってことなんで》

《それがどうして…》

 と言いかけたファリーダは、ハッとしたように部下たちを見回した。

《そうね、それはひょっとすると、大きな影響をもたらすかもしれない。私の感じることだけれど、彼らはダークマターとは完全に相反するものを持っていた…よし、こうしちゃいられない。私はギャリオンに話をしてくる。お前たちは彼らを一番に見つけて、私の屋敷に連れて行くように。この事象がダークマターに関わることだとすると、あまりことを大きくしたくないからね。またトルステンの轍を踏むような馬鹿者が現れないとも限らない》

《へい! なんだか久しぶりにわくわくしてきたでござんすよ!》

《あの若い連中、なかなか面白い奴らだったでがすしなあ! 懐かしいでがす》

 帝国が平和を取り戻し、自分たちの能力をくすぶらせていた部下の二人は喜び勇んで支度を始めた。

 そんな二人を尻目に、ファリーダは心の奥底でこっそり期待していたことがあった。

 のんびりとした四角い顔。安心して身体を預けられれる広い背中。そしてその胸は常に温かく、優しい。

 ファリーダは心の中に浮かんだ映像を無理に消すと、再び吹雪の勢いも激しい中へと歩き出した。

 一見バラバラな動きが徐々にまとまり始めようとしていた。だがそれはこの不可視のエネルギー嵐の中でどれほど相対せるかはまだ未知数であった。


*****


 二羽の種族の違う鳥が、カーマイン城の尖塔の一つに留まっている。その視線は先ほど上空から目撃してきたものを思い出すかのように遠くを見つめていた。

 小型の黒い方が唐突に言った。

〈ここはまだましな感じだが…城門で足止めされてた奴ら…何かしでかす気だぜ〉

 すると、人間的に表現すれば、力強い身体つきをした大型の猛禽が目の上にある、眉毛にも見える飾り羽根の下から賢くも勇猛さを兼ね備えているような鋭い目つきをして応えた。

〈この国は長年賢王が統治してきた歴史があるからな。怪しげな行商人が売るお守りに毛が生えたようなものを信じるより、人間自体の力を信じているのだろう。それはそれでよいことだ。城門で教団員が足止めされているということは、連中のことを疑っている証拠だし、我々ものんびりとはしていられないということだな〉

〈あんたの言う通りかもしれないが、なんだか俺たちの手じゃどうにもならねえ気がするぜ? この嵐はおかしい。おかしすぎる、ジグムント〉

〈そのことも含めて、ここまで来たのではないか。エルフの知識に頼ろう〉

 二羽の鳥はびょうびょうと吹き付ける風雪の中、尖塔から飛び立つと、しばらく城の周りを探るように飛んでいたが、ワタリガラスの方が先に気配を感じ取り、ぐいっと旋回して中庭に面したベランダに飛び降りた。続いて猛禽も。

 すると、さっとカーテンが引かれ、銀髪を長く垂らしたエリアスが扉を押し開いた。ごおっと強い風に乗って雪片が瞬間的にエルフの癒し手に打ち付けられたが、それはエルフの体温で溶けるというより、彼を取り巻く何かに反応して消滅しているように見えた。

〈懐かしい気配を感じたと思えば、君たちか。さあ、早く暗黒の力が勝るこの嵐の中から逃れなさい〉

 ばさばさっと招き入れられた室内に入った二羽の鳥は、そこに満ちる薪が燃えるあたたかな暖炉やかぐわしいハーブのアロマ、そしてエリアス自体から発散されているエルフの、混乱や迷いとは無縁であり、癒し手としての能力の一つとでもいうべき、周りの者の心を鎮静化させるような空気に全く癒されるような心地になりながら、パッと変幻して人の姿をとった。

 エリアスは深い森のような緑色の瞳を、この光の一族の二人に向けると、やや表情を陰らせて言った。

〈おそらく、君たちは西の里に行ってきたのだろう? それで、落胆し、私のところに来た。違うかな?〉

 エルフに隠し事はなかなかできるものではない。

 ジグムントは頷き、クラウドが相変わらず黒マントを身体に巻き付けて片目だけ見える顔を背けているのを見ながら、応えた。

〈その通りです。西の里の扉は固く閉じられていました。私たちの考えでは、この現象は、単に闇の眷属の勢力が増しただけではないと思っているのです。この嵐は、闇も光も構わず、侵食していくような、害成すもののように思われるからです〉

 エリアスは、彼らが危険を厭わずやってきたことをねぎらうように、精霊族を癒す特別の飲み物を用意しながら、生粋のエルフらしい冷静極まりない口調で言った。

〈私もそのように感じた。私一人の存在など、簡単に吸い取ってしまうような、強い負の波動に満ちている。これは、おそらく闇の眷属たちも感じていることだろう。これは、精霊の力を取り込み、何者かが力を増そうとしているのかもしれない〉

 甘い樹液のような味のする飲み物をありがたく飲み干すと、クラウドが言った。

〈と言うことは、エルフでもこの状況は打開できないのか?〉

 エリアスはやや眉目を曇らせ、

〈そうだねえ、私一人ではどうにもならないことは確かだ。むしろ、相手方の力となってしまうだろう。もっと強い光の力を持っているものがいれば、また話は別だがね〉

 クラウドはこの発言に飛びつくように尋ねた。

〈それさ、そのことさ。あんたたちも感じたはずだ。数か月前に「何か」が落ちてきたことを〉

 エリアスの洞察力はこれだけ聞けば十分だった。エルフにしては大きく表情を動かし、声音にも興奮の熱がこもっていた。

〈なるほど! そういうことか! それで合点がいく。確かに何らかの強い波動を私も感じた。それはすぐに消えてしまったが、今はそれがなんだかはっきりした。だが、そういうことになると、彼らは一体何者なのか…〉

〈わかるように言ってもらえないかな〉

 クラウドが、身体に染み渡るような魔法のポーションを飲み干しながら言った。

 だがエリアスはしばし考え込むように行ったり来たりしてすぐには解答せず、顔色は次第に懸念に曇った。

〈その「彼ら」とは誰のことなんです? 我々の側の者ですか?〉

 ジグムントも頭脳明晰で有名なエリアスの言葉を催促するように尋ねた。

 ようやく、エリアスは立ち止まり、二人を暖炉の傍の椅子に座るように勧めると、自分もハイバックの椅子に深々と腰を下ろし、声のトーンを抑えるようにゆっくりと話し出した。

〈この世界がいくつもの均衡の上に成り立っていることは、君たちにもわかることだろう。そして今、暗黒の勢力が急激に増殖している。それはつまり、暗黒に対する力が弱まったという推測がなりたつ。この光の勢力の減衰の一つの原因として考えられるのは、大量に光の力が消費されたということだ。我々にそのような行為をしたという痕跡はない。となれば、数か月前に感じたあの波動を発したものに疑惑が持ち上がる。私は、そのものが悪意あってなしたことだとは思わない。おそらく何らかのアクシデントだったのだと思う。だが、それがこの世界のバランスを大きく揺るがす元となったのではないか…私が思うに、その「何か」には何者かが存在していて、それはおそらく、今この国にいる…〉

 二人の光の一族は顔を見合わせ合った。そしてジグムントが尋ねた。

〈その「者」とは誰です?〉

 しかし、この返答をする前にエリアスの私室の扉が落ち着いてはいたが、わずかに性急な感じでノックされ、すぐに扉が開けられた。

《あ…申し訳ありません、ご来客があるとは思いもよりませんでした》

 オクタヴィアであった。そして彼女はそこに見たことのある黒マントの青年がいるのを見つけたが、報告の方が重大事のように口早に言った。

《一応ご連絡をと思いまして。グレイウォールからの教団一行の足止めはこれ以上できません。王都内で万一騒動が起きた場合に備えておいてください。では、私は殿下たちのもとへ参りますので、不躾のほどどうぞご勘弁を》

 すると、クラウドがふっと天井を仰ぐような仕草をし、出ていこうとするオクタヴィアに続きながら言った。

《おい、あんた、俺にも一仕事手伝わせてくれよ。シアン村のことを思うと、どうにも教団の連中に一泡食わしてやりたいし、どうやら〈銀狐〉のおやじさんも大急ぎで戻ってきてるみたいだからな》

 オクタヴィアは、クラウドの隙のない物腰に納得したように頷くと、駆けつけた時と同じようにあっという間に姿を消してしまった。

 いまだ何か心に引っかかるようにじっと床の絨毯を見つめているエリアスに、ジグムントは再び問いかけた。

〈その「者」とは、一体どういう存在なんです? 人間ですか? それとも…〉

 エリアスは思考の淵から舞い戻るようにゆっくりと視線をオオワシのジグムントに向けると、呟くように応えた。

〈エルフの起源についてを語るには、一つの大きな禁忌思想を持ち出さねばならない…『世界樹』と9つの世界…我々には考えも及ばないなにものかの意志によって生み出され、この9つの世界のうちの一つに住まっていた種族…その一つに人間界も存在し、『世界樹』はそれぞれをつなぐ大きな「道」だった…そして「彼ら」はこの9つの世界の最上界である『星河界』からやってきた、光の戦士なのではないかと…〉

 賢明なエルフが、夜空に浮かぶ星々を昔の人間が空想力を働かせて描いた英雄を信じているとは、ジグムントは少々呆れたのだが、完全に否定できないでもいた。外は重い吹雪が吹き荒れ、凍える風は命を削る。

 ジグムントは言った。

〈もしそうだとして、「彼ら」に何を期待できます?〉

 エリアスは首を振り、

〈まずはこの現象の真の意味を知らなければ、「彼ら」の力も完全に活かすことはできないだろう。漠然と、この暗黒の中に隠されている悪意の元を掴みかけているのだが…〉

 そして懸念に満ちた顔つきをしているジグムントを励ますように、エリアスはやや口振りを明るくさせ、

〈父上にはあとでこちら側の窮状を伝えておく。ただし、このことは精霊種の不均衡と、人間の予測のつかない意識と、「彼ら」の存在がからみあい、もつれあった結果のことだ。そこに余計にエルフ族の干渉があれば、問題はより面倒なことになるだろう。あくまで補助的な立場としての助力程度と思っておいてほしい〉

〈その言葉だけで少しは気持ちが軽くなるというものです。それで、私たちはどうすれば?〉

 エリアスは、椅子から動こうともせず、静かに応えた。

〈静観することも戦いの中においては大切なことだよ。ここは、人間たちを信頼しよう〉

 北の山奥で暮らすジグムントにしてみると、人間に対する信頼度はかなり低かったが、エルフの言葉に嘘偽りのないことはわかっていたので、ともすれば逸り猛る心をぐっとこらえて暖炉の炎を見つめるのだった。

 時折、ざざざっと風雪が窓をうつ中、エルフと光の一族の長は、このあと起こる人間の醜い感情と欲望に駆られたドラマを知る由もなかった。


*****


 今ではすっかり時間の観念が模糊としてしまい、手を伸ばした先でさえ灰色の吹雪に阻まれておぼつかなく、ともすればその凍える暴風に身体をすくわれてしまうような荒れ狂った中で、どれだけ信心深い人でも聖堂で祈る余裕はないらしかった。聖堂はがらんとしていて、その分より冷え込んでいるように感じられた。それが不吉な予兆を感じさせてもおかしくはないほどに。

 マクシミリアンは、わずかの教団員が聖堂の灯りを灯し直したり、ところどころに置かれている薪ストーブに薪をくべたりしているのを見ながら、広間の奥の祭壇へと歩いた。

 そこにいる教団員たちは、平服に近い姿のマクシミリアン一行に対し、特に警戒するふうもなかった。そのことから、この集団はその裏の顔を知るのには、なんらかの通過儀礼があるのではないかと、龍児が漠然と考えていた時、マクシミリアンのはきはきとした言葉が耳に入り、思念から引き戻された。

《なんの約束もなくやってこざるを得なかったことはまず先に詫びを入れよう。しかしながら、事態は是が非にもこちらの教団長殿と面会の場を持たねばらならない状況になっている》

 ここで、マクシミリアンは声を小さくし、

《シアン村での事件で国民を余計な不安に落とすことは、国を預かる身としては断じて避けたいのでね。だから、そのことも含め、今後の方針を伺いたいと思ったのだ》

 彼が話していたのは、祭壇の上の燭台のちびた蝋燭を取り換えていた年端もいかない目の覚めるほど愛らしい顔立ちをした少年だった。

 なぜこのような少年に重大な要件を持ち掛けたかは、やや後ろから歩いていた龍児にはわかっていた。広間を歩いていく間に、マリーが兄の腕を引き、何語とか話しかけていたからである。

 はたして、その美少年は、ハッとしたように彼らを眺めまわした。そしてさくらんぼのようなぽってりとした唇をわずかにわなわなとさせてから、ごくりと生唾を飲んで言った。

《…王子殿下御自らこのような悪天候の中おみ足をお運びさせたことにお詫び申し上げると同時に、大変申し訳ないのですが、コンスタンティン様はただいま身体をお悪くさせており、誰ともお話しできるようなご容態ではないのです》

《そうとわかっても、お会いしないとならないの、あなた》

 マクシミリアンは、きっぱりとした言葉を発した妹に驚いたように視線を彼女に落とした。美少年の方も、彼女が王子の妹のマリー姫であることはわかったらしく、それまで抱いていたイメージと異なっていたような困惑顔で彼女を見た。

 マリーはキリルのエスコートから自由になると、真摯な眼差しで少年を見、言った。

《あたくしたちは、あなたのご主人を救いに参ったのです。決してそれ以上の目的はないのです。どうかあたくしたちをあなたのご主人のもとに連れて行ってくださいませんか?》

 マリーの言葉のひとつひとつには、何か不思議な力でもこもっているかのように、音として空気に触れるたびにきらきらとした金粉のような細かな輝きが放たれているのを、龍児は見た。

 少年の躊躇いがあと少しで融解せんとした時だった。聖堂の扉が開き、暗い吹雪とともにオクタヴィアのしなやかな姿が現れ、厳しい顔つきで報告をした。

《グレイウォールの教団員たちが王都内に入りました。もう足止めはできません。私たちの仲間ならどうにかできるかもしれませんが、あいにくまだ〈銀狐〉が戻っておりません。長の命令なしではさすがに動きようがありません》

 この報告を聞き、一番動揺したのは、非の打ちどころのない美しい顔をした少年だった。

 彼は態度を急変させ、呟くように言った。

《グレイウォールから?! これはいけない…! 今の状態の主では…》

 すると、キリルがそっと優しく心をなだめるような口調で、しかしながら冷静さを失わず、言った。

《君、私たちなら君のご主人を悪いようにはしない。むしろ、守るだろう。私たちは様々な「命」の在り方を知っている。だから、君のご主人のことも、そのひとつでしかないと思っているし、「命」を片方からしか見ないでいることは、間違った考えに落とし込むこともよくわかっているつもりだよ》

 美少年は改めてキリルを瞬きも忘れたかのように見つめて言った。

《…もしかして、あなたが…》

 キリルは少年の困惑を取り払うように言った。

《早く私たちを君のご主人のもとに。でないと、物事が面倒なことになる》

 美少年は、びくっとしてややキリルに気おされたように怯んだが、すぐに正常な思考力を取り戻し、グレイウォールの聖堂にもあった壁面の聖人の巨大なレリーフの脇に回った。そこにはグレイウォールとは違い、ほんの人一人通れるほどの隙間が空いていた。 

 少年が先に立って入ろうとした時、聖堂の扉がまたも開き、ごお、という風雪の音とともに複数人のばらついていて、傲岸な足音が聞こえてきたのである。

《これはいけない…すみませんが、この先はあなた方だけでどうかいらしてください。僕はここであの者たちを引き留めます》

 と少年が言うと、オクタヴィアが続けた。

《私もここでなんとか時間を稼ぎましょう。相手方次第では、やむを得ない方法を取らざるを得なくなるかもしれませんが》

《それなら、僕もここで待ちます。不測の事態になった場合、頭数は多いほうがいいでしょう》

 この龍児の判断に、キリルの碧眼にわずかに迷いの色がさざめいたが、時は切迫していた。

 マクシミリアンとマリー、そしてキリルが壁面の隙間にこしらえた通路に姿を消したその時、聖堂中に響き渡るような甲高く、そして陰険で高慢の極みといったような声が一方的に言葉を発した。

《この闇の猛威と言うべき危機的状態について、我らが聖アウロラ教団の長たるコンスタンティン殿の意見を伺いたく、こうして荒天にも関わらず馬を走らせてきたというのに、その御本人がお見えにならないというのは少々怠慢ではありませんかね》

 これが、グレイウォールの聖アウロラ教団の支部長エンリコ・コルテスであることは、現在互いの連絡が途絶している龍児にはわからなかったが、その性根が歪んでいることは容易に想像がついた。そして思う。人が魔性として恐れ忌み嫌う尺度が、このような歪んだ正義と神聖性から生まれたとすれば、それは間違っていると。そしてさらに思う。争いは、人から闘争心と言うものを完全に取り去らねば決してなくなることはなく、その闘争心を人から取り除くことはほとんど不可能であるという、古くは先史時代から、人の歴史は争いによって記録され、次の歴史の転換期となったのだと。これは宇宙時代になっても変わらず、宇宙連邦に属す、地球を含めての惑星間では宇宙的視野ともいうべき平和条約が定められていたが、それ以外の星ではいまだに争いは絶えず、宇宙と言う、果てしない世界が広がったことで、人間よりもより闘争心や支配欲にとりつかれた、あるいは優越主義に凝り固まった異種族との闘争はあらゆるところで頻発した。

 龍児はともすれば思考の中に落ち込んでしまうところを、どうやらここの長の従僕らしい美少年が毅然と言い返した言葉で我に返った。

《コンスタンティン様はただいまお休みでございます。事前にお知らせいただければ、このような失礼なお出迎えはいたしませんでした》

 龍児は、オクタヴィアとともに聖堂の側壁の壁龕の暗がりに身を隠していた。どうにも嫌な予感がしてらならない。

 エンリコは「ふふん」と目を細めてせせら笑うと、美少年に近づき、唐突にぐい、と彼の細い腕を取り、白いフリルのついたシャツの袖をまくり上げて陰湿な喜びにほくそ笑むように言った。

《マルセル、私はだいぶ前からお前と教団長との関係を怪しんでいた。最初はただの愛玩対象かとも思ったが、やはりそれだけではなかったな。この傷痕、これは闇のものがつけたものだ。そうだ、お前のご主人様がつけた噛み傷なのだ》

 マルセルは真っ青になりながらも、エンリコの手から逃れようともがいたが、エンリコの強引な手で顎を掴まれ、左右に顔をひねられて首筋をじろじろと観察されるのを拒むことはできなかった。

 エンリコは墨でも引いているかのような細くて長い眉尻を嫌味に上げ、言った。

《ふむ、首に傷がないということは、お前は必要な時の「備蓄」として飼われているというわけか。しかし! 我ら聖アウロラ教団の長たるものがまさか闇に属するものだという疑いは、はっきりした。これは聖人を冒涜する大罪である。即刻断罪すべきである! そうだ、お前もだ、マルセル。闇の穢れにはまだ染まってはいないが、その穢れた牙をその身に受け、妖しい快楽に心を堕とした罪は深い》

 龍児が思わず助けに出ようと身じろぎするのを、オクタヴィアがなぜか止めた。

《…しかし?!》

 オクタヴィアは龍児の正義の怒りを感じ取っているかのように淡々と言った。

《まだその時ではない》

 エンリコはマルセルの腕をむんずと掴んだまま、聖堂中に聞こえるような大音声で言った。

《コンスタンティン! お前の正体は露呈している! よくも聖人の名を穢すような真似をしてくれたものだ! 聖人の名のもとに、私がお前を浄化してみせる! それとも、こそこそとこの暗黒の闇の中へ逃げるつもりなのか? いいか、こちらにはお前が飼っている堕落した子供を預かっている。もちろん、この者も断罪から免れるものではないが、お前がここへ出てくるならば、罪一等を減じてさらし首はしないでやる。どうだ、聞こえているだろう、コンスタンティン! この闇の穢れめ!》

 すると、わずかの間をおいて、急にその場にがやがやとした空気の乱れが生じ、蒼ざめ、やつれた白いローブ姿のコンスタンティンと、そのあとからマクシミリアン、マリー、そしてキリルが現れたのである。

 コンスタンティンは、マクシミリアンが何か言いとどめるのを拒むように首を振ると、気力を振り絞って昂然と頭を上げて言い返した。

《私にはわかる。人とはなんとあさましい生き物なのだろうかと。半分はヒトである私だからこそ、その違いに反吐が出そうになる。確かに! 私はダンピールだ。だからこそ両者の思考がわかる。そして、人がどれだけ欲にまみれ、権力を渇望しているかを知っている。かくいう私も、そういう欲望にとりつかれ、今まで生きてきたからだ。もちろん、私欲のためにこの教団を立ち上げたのは問題があるだろうが、事実、人間は闇の存在を恐れていて、私にはそれを討伐できる能力が備わっていた。そこに群がってきたのはその人間個人の責任であり、私が無理に連行し、洗脳したわけではない。そうした自己責任をどこかに置き忘れ、大きくなった教団を操り、この異常現象を利用して教団の存在意義を誇大化し、影響力を増そうとするのは、まさに人間の破廉恥で強欲な地獄の亡者もあきれるばかりの腐肉喰らい並の浅ましさだ》

 エンリコはこれだけ罵倒され、侮辱され、否定されても、なんの感情もまきおこらないばかりか、コンスタンティンの傍にいる二人を見つけ、気味悪く笑った。それを見て龍児はぞっとなった。暴力ならば力で対抗できるが、調子の狂った思考に対抗することは容易ではなかったからだ。

 エンリコは舌なめずりをせんばかりに言った。

《ほほう~、そこにおられるのはこちらの国の王子殿下と姫殿下ではありませんか。ははあ~、一体これはどういうことなんでしょうかねえ? まさか、王国全体が闇に穢れているなどとはおっしゃいませんよね? しかし、シアン村はこの王国の領内…ご承知の上で放免していたとはいいませんでしょうねえ?》

 マクシミリアンがわずかに怒気をはらんだ表情で何か反論しかけた時、ぱりん、と派手にどこかの窓が割れた音がし、天井からぱらぱらとガラスの破片と、素早い動きで舞い込んできた二つの人影が床に降ってきたのである。

《でかい口叩くのはやめとけ、この野郎が》

 白髪交じりの強い灰色の髪にたくさんの雪片を乗せた〈銀狐〉その人であった。そしてもう一人は、先ほどオクタヴィアとともに城から出ていったクラウドだった。

 〈銀狐〉は言った。

《お前が聖堂の地下でやってたことはもう全部わかってんだよ。何が聖なる行いだ! お前こそ、人間の風上にもおけない畜生だ! いや、それ以下だ!》

 さすがにエンリコの顔色にさっと焦燥の青筋が額に浮かんだが、次の瞬間、腰のベルトから護身用の幅広の短剣を抜き去ると、その刃をマルセルの喉にぐっと押し当てた。その場にさっと緊張が走る。

 エンリコはひくひくと頬をひきつらせるようにしながら言った。

《闇を浄化するには様々なやり方がある。そうだ、これもその一つ、闇の穢れに触れた者を排除すること。そしてその主たるものの本性を暴露し、聖なる樹木の力で浄化するのだ》

 それは誰の手にも止められない一瞬のできごとだった。

 すぱっと短剣がマルセルの真っ白な喉を横薙ぎに切り裂き、残酷なほどに美しい鮮血が噴き出し、マルセルは愕然と目を見開いたまま、悲鳴を上げる間もなく息絶えた。

《マルセル…!!》

 コンスタンティンの悲痛な叫びは、みるみる激しい憤りと復讐の熱情となって燃え上がった。

《よくも、罪のないマルセルを…!》

 地の底から響くような強烈な感情のこもった声で一歩、コンスタンティンが踏み出したのを、意外にもマリーがだっと駆け出して引き留めた。

《いけません! だめです! 復讐は一時的なものです。そのあとには何も残りません。復讐は人の心を食い荒らし、それを達成した後には何も残さないのです。あなたがここにいることの意味を思い出してください。その原点がなにであったかを!》

 エンリコは「ちっ」と舌打ちをすると、

《どうやらこの国の王族はすっかり闇に魅入られているらしい。よろしい、グレイウォール聖アウロラ教団支部長として許可する。この穢れと接触したものをすべて排除するように。それがたとえ王族だとしても容赦しないでよい》

 ざっと、随行していた教団員たちが彼らの周りを取り囲む。その者たちの手には剣や弓など、色々な武器があった。

 壁際に隠れていた龍児とオクタヴィアがいよいよ動きかけた時、天窓にあいた穴から何かがざぁっと飛び込んできたのを見た。

 それは大量のカラスだった。

 カラスは教団員たちを突つき回し、うるさく鳴き喚き、その羽ばたきで視界を奪った。

 エンリコはこの怪異現象にいらだちながらも、自らサンザシで作った矢を小型の弓につがえ、コンスタンティンを狙った。

《要するにお前さえいなくなればいいのだ! 教団はこの私がいただく! 死ね、忌まわしい混血め!》

 その矢の射線にはマリー姫がいた。彼女は毅然としてその場から動かなかった。

 龍児とオクタヴィア、そしてローグの二人がとっさに動いたが、一番早かったのは、キリルだった。

 ひゅんと飛んできた矢を華麗なまでに叩き落した彼は、いつもの鷹揚さを感じさせず、エンリコに近づき、ぐい、と首根っこを掴んで冷酷極まりなく言った。

《この教団の在り方に問題があるのは歴然としているが、さらにそこへ恐怖心を利用して自らの欲望を満たそうとする行いは、決して許されないことだ。もちろん、理不尽にエルダー村を処罰の対象にしたことは残念なことだが、それ以上にお前がしようとしていたことは…うっ…貴様…》

 キリルはどん、とエンリコを突き放し、片手をわき腹にあてた。そこからみるみる鮮血が染み出てくるのが、アイボリーのジャケットの布地を真っ赤に染めていくことで誰の目にもはっきりわかった。

 エンリコは、マルセルの喉を切った短剣を構え、ぎらぎらとした眼差しをして高笑いをした。

《ハーッハッハッハッ、どこの能天気なやつか知らんが、この私がやすやすと引き下がるとでも? はっ、私の聖なる使命はそんな程度で崩れやしない》

 かなりの深手であるはずだったが、キリルは薄笑いを返した。

《確かにお前は相当に欲深いやつのようだな》

 龍児は堪えきれずにキリルの傍に駆けだし、上司を助けるようにその身体に腕を回したが、その時、妙な感じを受けた。

 だがそれはマリーの必死の叫びでわからなくなってしまった。

《もう、こんな争いごとはたくさんですわ! やめて、もうやめて!!》

 その瞬間、マリーの身体から清冽ながら羽毛に包まれるようなぬくもりと平安に満ちたものが放射され、そこにいる者たちの動きを止めさせた。

 それはそれぞれの心に異なった投影を送っていた。

 マクシミリアンには亡き弟セドリックの姿が、オクタヴィアには自分を育ててくれた〈銀狐〉の若いころの姿が、その〈銀狐〉の心には遠い故郷の山と湖に囲まれたのどかな光景が、そしてクラウドにはこのエネルギーが自分に備わっているものと似ていることを気づかせ、龍児には忘れようにも忘れられない親友の面影が、それからキリルにも心の奥底に封印してあるものがよみがえろうとしていた。

 この影響は、エンリコにもコンスタンティンにも及んでいた。エンリコにははっきりとそこに聖アウロラの姿が見え、突然瘧でも発症したかのようにがくがくと激しく震え、その唇からはうわごとやよだれがこぼれ、ついには白目をむいて昏倒してしまったのである。そしてコンスタンティンはマリーに取りすがり、子供のようにわあわあと泣きじゃくり始めたのである。

《母さん…! かあさん!!》

 マリーは、その神々しい輝きの中で、少女とは思えない大人びた顔つきでコンスタンティンを、そう、闇の血を引くものと知りながら分け隔てなく、まるでいとし子を抱くようにその頭を撫でて言った。

《…そうです、それこそがあなたの帰るべき場所なのですよ…あなたを愛してくれたひとを悲しませることはしてはなりません。憎しみは、果てせばそこで終わりですが、愛におしまいはありません。あたくしはほんの少しだけ、生粋の闇のものの声を聞いたことがあります。それは決して悪意に満ちていたわけではなく、ただ、あたくしたちとは生きる世界が異なり、考え方も感じ方も違う、別のいきものであるというだけなのだと思いました。そうなのです、この世界はすべてのものに開かれた世界。だからそこを憎しみと復讐で染まった目で見続けるのは残念なことです。あなたには幸いにも人の血も受け継いでいます。ですから…》

 とその時、マリーのどこか超越した言葉を遮るかのように、突然疾風のように何者かが乱入してきた。

 それは黒い疾風の中から赤い瞳だけを爛々と輝かせてその場にいる者たちを眺めてから、超然と言った。

《闇に落ちしものの気配がしたのでやってきてみれば、このざまは一体どういうことでしょう。でも、わたくしは決して無駄な行動はいたしません。もう少しであれをこちらへ引き寄せられるのです。そして、わたくしは感じました。心の中にひそむ闇を。それをいただいて帰ることにしましょう》

 瞬く時間もなかった。

 黒い疾風は、わき腹を刺されたキリルを巻き込むようにくるくると舞い踊ると、魔法のように消えてしまったのである。

《ボス…!》

 龍児が虚空に向かって悲痛に叫んだが、どうにもならない。キリルは忽然として消えてしまったのである。それも、傷を負ったままで。

 マリーが見せた幻影のせいなのか、本当に聖人の天罰が降りたのかわからないが、教団のリーダーが突然死してしまった集団を社会紊乱罪で捕縛させることはたやすかった。これは、グレイウォールにも速達便で知らされ、都市連邦全体にも伝達されて、聖アウロラ教団の動きは一時的に監視のもとに置かれることになった。

 そして王国では、関係者たちが浮かぬ顔で王子の私室に集まっていた。そこにはエリアスとジグムントも加わっていたことは言うまでもない。

 だが、しばらくは互いの顔色をうかがうような間が空いた。それも無理はない。彼らは途方に暮れていたのである。一人の無垢な命を散らせ、もう一人の魂を救ったものの、新たに三人目の命が誰ともわからないものに人質にとられてしまったのである。

 レイジュウジャーたちにとってはかつてないほどの危機に陥ったと言っていいだろう。まさにキリル(キング)をチェック(王手)されてしまったのだから。


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