『偽りの正義』
ファンロンのメインデッキで、玄人は二つの優秀なコンピュータたちとともに、メインビューアに映し出された惑星のデータに愕然となっていた。
「なんちゅうこった…これじゃあ、まるで地軸が水平になっとるじゃないか」
これに、ジルコンがいつもの柄の悪さをひっこめて応えた。
「こんな現象は大地震がいくつ起こったってなりゃあしない。まさに天地がひっくり返ったようなもんだ」
「先日、この星の軸として象徴的に存在していたと思われる『世界樹』の話が出たでござるが、それと何か関連性があるのではなかろうか? この現象を物理学的に検証するにはあまりに突飛すぎ申す」
ヴィッキーがメインビューアの前に投影された姿で意見した。
玄人は眠そうな顔を「うーん」と考え込ませ、
「この星は亜空間バリアの中に浮かんでいるようなもんじゃ。それだけ、星自体が不安定なんかもしれんのう。それと、多重層の惑星構造と、元素の影響を及ぼしやすい環境…ちょっとしたさじ加減で、この星はまるでシーソーが傾くようになってしまうんかもしれん」
そして非常に困ったようにため息を太くつくと、彼はパイロットシートの一つにどすん、と腰を下ろした。
ジルコンが察しよく、それでいてどこか投げやりに言った。
「この異常現象にゃ、おいらたちの存在も深くかかわっちまってると思うぜ。この星は五行機構エンジンを動かすだけのエーテルに満ちてる。そこに燃料切れのおいらたちが不時着した。そこからして、エーテルのバランスは急激に偏ったと考えてもいい。もちろん、すぐにそのひずみが現れなかった理由はわからねえが、こうしておいらたちがここに居続けたことで、この星を巡るエネルギーバランスを崩すことにつながったんじゃねえかな」
「そのことだけではないと思うでござる」
とヴィッキーが別の意見を述べた。
「地軸がここまで傾いてしまったということは、極地におけるバランスが大きく崩れたと考えるのが筋でござろう。『世界樹』が地軸の役割を果たしていたと仮定し、それが今虚ろな木の洞程度の存在しか残していないとすれば、少しの比重の偏りで、このような信じられない現象を引き起こしたと考えてもおかしくはないでござる」
「つまり、わしたちが余計者になってしもたんか」
やや肩を落として言った玄人に、ジルコンが励ましなのか罵倒なのかわからない口調で言った。
「それはわからねえって言ってるだろ? ここは不思議なルールで満ちてる星だ。実際、貴様たちはこの星を救う手助けをしてきたんだ。今回のことも何か隠されたものがあるに決まってる」
「北の極地が優勢になった今、非常に手っ取り早い解決法は、ここにかくまっているものたちを解放して成り行きにまかせるか、闇の勢力の減少のためにあの生粋の魔性たちを殺すべきでござる」
こういう時、同じように優秀な頭脳を持つコンピュータの二人であったが、感情に流されないのは圧倒的にヴィッキーの方だった。
玄人はますます困惑顔になり、
「それも少しは考えた。じゃがわしらにはできん。彼らが何をした? ただひっそり闇の中で生きているというだけじゃ。光があれば、必ず闇もある。もし彼らを解放すれば、彼らをつけ狙う怪しい集団に私刑にされるのは時間の問題じゃ。たとえ、闇の勢力が抵抗したとしても、それはそれで余計な争いの火種になってしまう。それに、この傾いた地軸…『世界樹』が巨大なワームホールだと仮定すると、下手に手出しをすることはこの星自体を破壊することにもつながりはせんかのう。ここは穏便に対処せんとならんと思うんじゃ」
「しかしながら、人間と言う者は本能的に闇を忌避する傾向にあるでござる。このような異常気象や夜明けのない毎日が続けば、いずれ人々の心に隠れている迷信の種が育ち、やみくもに恐怖にとらわれ、妄信の結果、極端な行動に駆り立てられるかもしれませぬ。できるだけ早急な対策が必要かと存じる」
ヴィッキーの言う通りなのだが、玄人は人一倍気が優しく、ヴァーチャルームに避難させているものたちに同情していた。
再び玄人はため息をつき、分厚い手のひらの上に四角い顎を乗せて打つ手なしと言わんばかりに黙り込んでしまった。
一方のヴァーチャルームでは、二人の闇の魔性たちが退屈しきっていた。
それともう一つ、女人狼の機嫌を悪くさせる情景がそこにはあった。
と言うのも、彼女の息子であるはずのパリスが、一介の村娘との方がなれ合っていて、信頼の度合いも強い様子を不満に思ったのである。
《そんなあからさまな親としての嫉妬心をむき出しにしても、無駄じゃないかね》
何本めかわからない赤ワインのボトルを空にしているヴァルロイ・フォン・キルシュタイン伯爵が、皮肉にも映る薄笑いを浮かべて言った。
もちろんユリアは反発した。ぐい、と自分もワインを乱暴に飲み干し、言い返した。
《嫉妬などではありませんことよ。これは親としての愛情、当然のことでしょ》
ヴァルロイはしらけた表情で、
《まあ、確かに彼を遺すことは我々の種族の種を遺すための手段ではあったが、産みっぱなしだったことには変わりがない。パリスを見守ってくれたのはシアンの者たちだし、パリスがヒトとして生きていた間の関係を今更私たちにどうこう言う権利はない》
《冷血なストリゴイに言われたくありませんわね。ところで、そこの若者、そうよ、あなた、銀髪のあなた。あたくしたちはいつまでここにいなくてはならないのかしら? シアンの村が全滅したというのに、ただ黙って人間どもの好きにさせておけるものですか。今度こそあたくしたちを追い回す鬱陶しい蠅どもを根絶やしにしてみせますわ》
と、一族の無念に腹を立てている女人狼に、大牙は単純に応えた。
《それはちょっとまずくねえか、おばさん》
《おばさん?! あたくしは…》
直情的に立ち上がったユリアを引き留めるように、ヴァルロイが言った。
《まあまあまあ、実際、人間から見れば、君はおばさんどころか彼の曾ばあさんでもおつりがくるだろう? 彼は、今はまだ用心をしていた方がいいと言いたいんだよ、そうではないかね?》
大牙は、傍らでリナがパリスの剛毛に覆われた獣の脚を撫でさすっているのを横目に、肩をすくめて頷いた。
《俺には難しいことはわかんねえけどよ、今、あんたたちが出て行って、一族が一斉に蜂起みてえなことしたら、それこそ相手の思うつぼなんじゃねえかって思うんだ。きっとカーマインもグレイウォールもあんたたちに対する包囲網が張られてるって考えるのが当然だ》
とここで彼はがらりと態度を変え、座っている椅子にふんぞり返り、椅子の脚を前後にかたかたと鳴らしてゆらゆらと身体を揺すりながら続けた。
《しっかし、しちめんどくせえなあ? あんたたち、よっぽど嫌われてるんだな? 血を吸うとかやめて、ナポリタンでも主食にしたらどうだよ? 人間は蚊に刺されるのだっていやなんだからな》
その場にいる者たちが「ナポリタン?」と疑問符を投げたのは言うまでもない。
すると、意外にもリナが小声で言葉を発した。
《満月の夜は出歩くのは危ないからってずっと聞かされていたけれど…パリス、そしてそこのひと…(リナはなぜかまぶしそうな眼差しでヴァルロイを見た)…実際に会ってみれば、ちょっと変わってるけど、皆殺しとかされちゃうひとたちには見えないわ。何がそんなことをさせてしまうの? あたしにはわからないわ》
《その命題は1000年前の戦いで人間側が勝利し、彼らが敵としてみなしたものをいまだに「敵」「悪」として意識に刷り込まれてしまったことが一番正解に近い解答だと理解している》
とヴァルロイが達観した様子で言った。
《でも、その戦いは、エルフとかも敵対したんだろ? エルフは特に嫌われてないぜ?》
大牙が尋ねると、ユリアが甚だ心外だという調子で応えた。
《あのすました賢者面が曲者なのよ。それに、奴らは自分たちの領域に引きこもってしまった。でも、エルフにはもう一つの種族がいることをご存知?》
《うん、知ってるぜ、青い肌をした「いかにも悪い奴」って感じのだろ?》
《君はシャッテンに会ったことがあるのか》
ヴァルロイが感心したように言った。大牙は依然、椅子を無作法にカタカタと鳴らしながら続けた。
《あいつは、この俺でも狡くて悪賢いって思ったよ。いい意味じゃ、面白い奴なんだろうけど、ああいう手合いは笑いながら人を平気で裏切ったり殺したりできる》
《まさにその通りだ、少年》
《子供扱いはやめてくれねえかな、俺にはタイガって名前がちゃんとあるんだ、オッサン》
《ほほう、タイガくんか。では私のこともオッサン呼ばわりはやめて、ここはひとつ、この世界になぜ私たちのような種族がいるのか説明してあげよう》
大牙はうんざりしたような顔になり、
《年寄りの話は長いから嫌なんだけど》
とぶうたれた大牙の内線に、玄人からのパーソナル通信が聞こえた。
『しっかり聞いておけ、タイガ。今この星がアンバランスになってしまっているのを戻すヒントを得られるかもしれんけえ』
『ちぇっ、こういうのは苦手なんだよ』
『だったら、お前がこっちに来て、データのモニタリングをしとるか?』
『うげえ、そっちの方がお断りだね』
『じゃ、ハンバーガーでも食べながら聞いておくんじゃ』
『うえーい』
大牙は、イーディアス宅を再現した中で別部屋に姿を消し、そこで食べ物を用意してきた振りをしてフードサーバから取り出した大量のハンバーガーを持って帰り、床に座り込んで食べ始めながら言った。
《どうせ暇だし、聞いてやるよ、年寄りの長話を》
ヴァルロイは、大牙の行儀の悪さを気にする風もなく、すんなりとした脚を組み、深く背を持たせかけて話し始めた。
《何事にも裏表があり、相対するものが存在する。そうでなければ、世界はどちらかに傾き、いずれ自滅することになる。私たちは闇の眷属、そしてそれに対して光の一族というものが存在する。我々は決して交わることはないが、磁石の両極のように密接なつながりをもつ。だから、我々の存在が消えれば、極の片方だけが残ることになる。それがどういうことか、わかるかね?》
もちろん大牙は首を振ったが、玄人の呟きが聞こえてきた。
『なるほど、そういうことか…』
『なんだよ、俺には全くわかんねえ』
『いいから、黙って聞いとれ』
『ちぇーっ』
そのあと、大牙はほぼ内線を開きっぱなしにして、玄人にその場の講義の内容を筒抜けにした。
これを聞き、果たして何か解決策を発見できるかは、まだ判然としなかったが、そのような不明の暗闇に希望と平和をもたらすのが、レイジュウジャーたちの使命であり、それができる能力を持つ若者たちなのだった。
ヴァルロイの話は続く。大牙はハンバーガーの一つをリナに渡したりしながら、少々上の空で拝聴するのだった。
*****
ディミトリは確かに我慢強く、頑健な体力と精神力を兼ね備えていた。むしろ、ドワーフの太い指に針が突き刺されたり、白熱した焼きごてを押し付けられたりするのを見せつけられていたイーディアスの方がねを上げそうだった。
とは言え、どんなに責め立てられても、彼らには白状すべき真実はなかったのである。
《まだ言わないか? ん?》
そういうことをすることを好むような口調で、エンリコ・コルテスが焼きごてをディミトリの眼前に迫らせて言った。いやらしい舌先がちろちろと唇をなめる仕草がさらにこの者の歪んだ性癖を物語っているようである。
ディミトリはペッと唾棄し、全身が苦痛に悶えているとは思われない意志の強い眼差しを向けて言い返した。
《言いたくても何も知らねえんだよ。何度言わせりゃいいんだ? バカか、お前は。言葉が通じないのか?》
すると、魔道士の衛士マクレガーが詰問した。
《お前は例の冒険者と特に接点を持っている。知らぬ存ぜぬは通用しない。私は初めからあの冒険者たちに不審を持っていた。あの者たちには何か秘密がある。それが今回の人狼病に関する事件とどのような関連があるかはまだ不明だが、その者たちも同時に消えていることからも、あの冒険者たちの存在は非常に疑問を持たせる。お前は先日までいずこかへとあの冒険者たちと一緒にいた。彼らが何をもくろみ、何を実行しようとしているか納得ずくだったはずだ。お前は彼らがどういう者たちなのか、知っている。それを話さえすれば、これ以上の苦しみから解放されるのだぞ》
ディミトリはますます頑固に顎を突き出し、
《一緒に旅をしたからって、一から十まで知り合うことなんかあり得ねえし、わしは個人的な身の上話なんかに興味はないんでね。それに、わしが誰と旅に出たって、お前らに関係のねえことだろうが。それとも、グレイウォールは独裁者の手に堕ちたのか? わしは確かにドワーフで、お前らとは違った観点から物事を見るが、少なくとも、聖人としてあがめられているものが、こういう手段で誰かを苦しめるようなことを許すとは思えねえんだがね》
エンリコの陰湿な表情に怒気が沸き立ち、今にもディミトリの目に焼きごてが押し当てられようとした時、拷問の様子を無表情で見守っていた教団員の一人に耳打ちをする者があった。それを聞いた教団員はわずかに驚いたように眼を見開き、速やかにエンリコに近づいて今の報告を伝えた。
それを聞いたエンリコの嗜虐的に上気していた顔に、複雑な色模様が綾を成すように広がった。
《…では、教団長様はエルダー村を浄化できないまま、王国に戻られたということなのか?》
《そのようでございます》
エンリコは突然ディミトリを拷問することに興味を失ったように焼きごてを床に放り出すと、放心したような顔つきでぶつぶつと独り言を言った。
《…教団長様が撤退するなど前代未聞…しかし……ふふふ…これは転機になるかもしれん……教団が掲げる真の意義をいつまでも隠しておく必要がどこにある? 闇の脅威は人々に常につきまとう。それを排除することは人民のためであり、正義なのだ……こんなところでぐずぐずしているわけにはいかん。私の疑念を解明することができるかもしれん。この機を逃しては決して決してならん》
一人勝手にその場から立ち去ってしまったエンリコを見送ったマクレガーは、椅子に拘束された二人も含め、言った。
《そこの二名はいつ人狼病が発症するかわからない。どこか隔離できる地下牢にでも閉じ込めておけ》
《お前は上司の私をそのように…》
とイーディアスが言いかけたのを、マクレガーは酷薄な表情で見下ろしてさえぎった。
《だからどうだと言うんです? あなたは人狼と関りを持った危険人物ですよ。衛士隊長がそのような疫病の元凶になってもいいのですか? 私は一般的な観点から、あなたを隔離するだけです》
イーディアスは苛立ちと焦燥で激したように言った。
《いや、お前こそ第三者的な立場で街を守る使命を帯びる衛士としてあるまじき思念にとりつかれている!》
《さあ、早くこの二名を地下牢に放り込め。私はコルテス殿と少々談義をせねばなるまい》
《お前たちは平和な街に狂気の渦を巻き起こしたいのか? せっかく魔道帝国の脅威が取り除かれたというのに、また別の虚妄をばらまく気か? ここは陰謀と罪深い虚言に満ちるバーミリオンではないのだぞ?》
マクレガーは全く取り合わないように出ていこうとしながら、不意に振り返って言った。
《そこまで大それたことは私の中にはありませんでしたが、元から私はあなたという存在が嫌いでした。その善人面がね。だからあなたがこうして落ちぶれるのを見るのは、私をとても満足させてくれるのです。ではさようなら、衛士隊長殿。あなたの姿を見るのはこれで最後かもしれませんね》
イーディアスその人としては珍しく感情走った顔色で何か言いつのろうとしたのだが、教団員に口と鼻に白い布を押し付けられ、あっという間に気が遠くなってしまった。それはディミトリも同じで、椅子に縛られたまま二人は聖堂のどこともしれない地下へ続く階段を連れていかれるしかなかった。
その間、グレイウォールの街はいよいよ人狼病の噂が広がり、人々はすっかり意気地をなくし、疑心暗鬼になり、衛士の他に白いローブ姿の教団員たちが街の通りを不吉に監視巡回しているのを、怯えながらこっそり盗み見るような日々が続いたのである。
*****
グレイウォールの盗賊ギルドは、表向きにはご婦人たちを飾るドレスメーカーの店で、高級な部類にあったが、顧客と一対一でドレスを販売したり、試着室なる個室がたくさんあること、多くのお針子を抱えていて、他の街にも売り込みに行ったりする商売柄が、盗賊としての暗躍をうまく覆い隠していた。
そしてこの『アタートン商会』の主人、ライオット・アタートンなる者がグレイウォール盗賊ギルドの長だった。
彼は、同業者が伴ってきた風変りな服を身に着けている朱音を様々な意味合いのこもった眼差しで長々と観察してから、男にしては高くて、どこからか空気が抜けているような声音で言った。
《なかなか斬新な服を着ているのねえ、アナタ。女性がそんなに脚を出しちゃってたりして、びっくりだわ。でも、完璧な脚の伸び方してるのねえ。そうね、確かに〈銀狐〉が目をかけただけはあるわ。アタシは女性にぴったりのドレスを見繕うことができるけれど、それ以上にローグとしての能力を見極める目は確かだと自負しているわ》
ライオットならぬ〈夜兎〉は、表の商売で使う事務室に設けられた隠し扉からギルドとしての機能を果たしている、中二階のような場所に案内し、やや天井の低い個室に二人を案内していた。この隠し部屋がいくつか配置されている空間は、表通りからは完全にわからなくなっており、何か緊急のことが起きた時に屋根へと上がる羽根戸が設置されていることも、当然のことながら絶妙に隠されていた。
《それで、ここに来たのは、グレイウォールが妙な連中の言いなりになっているからでしょ? はい、これを飲むと体があったまるわよ》
と、〈夜兎〉が差し出したゴブレットには温められた赤ワインが並々と注がれており、シナモンやナツメグなどの香りが漂っていた。
《こりゃありがたい。なんせ、季節外れの…いや、それどころじゃねえ、グレイウォールでこんなに雪が降るなんて聞いたことがない》
と〈銀狐〉がふうふう言いながらワインをすすった。朱音も一口飲み、じんわりと身体の中が温かくなるのを心地よく思ったが、のんびりしていられないことを思い出し、話を切り出した。
《初めて会ったのに、いきなりこんなこと頼んでいいのかわからないんだけど、あたし、どうしても助けなくちゃならない人たちがいるの》
〈夜兎〉は、男のくせに混じりけのないブロンドを香油か何かでうねうねとしたウェーブを描いてぴったりと顔の周りに撫でつけ、目じりの下がった、まつ毛の長い紺碧の眼差しを〈銀狐〉に向けてから、朱音に言った。
《〈銀狐〉のおやじさんまで乗り出してきたんだから、だいたい想像がつくわよ。それに、アタシたちはとっくに衛士隊長の他、何人か行方知れずになってることを知ってるわ。今、衛士隊は『聖アウロラ教団』の言いなりよ。人狼病の流行が予測されるからとか街の人たちを怖がらせるようなことを言いふらしてるけれど、これには別の目論見があるわよ、絶対にね。都市連邦は君主を持たない。ここがポイントよ》
はっとしたように〈銀狐〉が言った。
《教団はこの騒動をきっかけに、都市連邦の中枢に食い込むつもりなのか》
〈夜兎〉は細い肩をすくめた。
《教団が闇の穢れを祓うことは善き行いなのは確かだけれど、それを建前にして教団の影響力を増そうとしているんじゃないかしらね。でも、今回のことはちょっと大掛かりすぎるとも思うけれど…そうね、いつまでもここでおしゃべりしてる時間はなかったわね。アタシたちだけでも、消えた隊長を探し出そうとは思ってたのよ。だからアナタ、全然恐縮することなんかないのよ》
そこへ、符丁らしい特徴のあるリズムでノック音が聞こえ、〈夜兎〉は何かの仕掛けを作動させるかのように足元の木の羽目板の一つを踏んだ。
すると扉が自動的に開き、そこにいた者が早口で報告した。
《マスター、聖堂から何台かの馬車と下っ端が出ていきましたよ。おそらく行先は王国です。手の者をつけさせましたが、今なら聖堂の警備は手薄ですぜ》
《あらま、なんて運がいいんでしょ。じゃ、運がこちらに向いてるうちに行動にでるとしましょうか。部下たちを何人か、聖堂と衛士隊詰所に回して。邪魔なら眠らすなり、陽動するなり、臨機応変に対処するように。アタシたちはまっすぐ聖堂の真の姿を暴露しに行くから》
部下は目礼だけ返してその場からあっという間にいなくなった。
〈夜兎〉は自分のデスクの引き出しを引っ張り出すと、そこから象牙かなにかでできている筒と、小ぶりな木箱を取り出しながら、さもわくわくしているような口調で言った。
《なるべく血は流したくないから、これの出番よ。〈夜兎〉には和毛の下に鋭い棘があるってことを見せてあげるわ》
この言葉は、彼らが聖堂の天窓から侵入し、シャンデリアの上から聖堂の大広間を眺め下ろしている時に証明された。
聖堂の正面の壁面には、聖人アウロラとイグナーツの像が浮き彫りがあり、大きな燭台やキャンドルが無数に灯されていた。そしてその前には一段高くなっている祭壇があり、そこで一人の教団員が何かの祈りを口ずさみ、その祭壇の前では数人の教団員や一般の街人が不眠の祈りをしているらしかった。
《確かに神頼みしたくなるような天気だけどな》
〈銀狐〉がぶるっと身震いしながらつぶやいた。外は完全に真冬の様相を呈し、降雪も強風を伴い、ひどくなるばかりだったのだ。
《でもそのおかげで、聖堂に深夜の祈りをしに来る人数が減ってよかったじゃない。悪いけど、あそこで敬虔な行いをしている人たちにはぐっすり眠ってもらいましょうかね》
〈夜兎〉は懐から象牙の筒を取り出すと、その先に毛ばりのような飾りのついたものを押し込み、シャンデリアからやや身を乗り出して「プッ」と鋭く息を吹き込んだ。
それを立て続けにすると、祭壇の周りにいた者たちは急激に気力を失ったようにぐにゃりと身体をかしげさせ、そのまま倒れこんで動かなくなってしまったのである。
《隊長さんたちを探すのにもっと面倒なことになると思ってたけど、すごいわ、〈夜兎〉さんのそれ》
朱音が心底感動したように言うと、本人はまんざらでもないような顔になり、
《ローグだからって、いつもいつも喉を掻っ切るわけじゃないのよ、娘さん。そうだったわ、アナタの名前、教えてほしいわ?》
《アカネって呼んで》
《アカネちゃんね。なんだか初対面って気がしないわ。その短すぎるズボンはいまいちだけど、そのほかは完璧。今度ドレスを作らせてほしいわ》
朱音は、〈夜兎〉が経営する隠れ蓑のドレス店に並んでいたひらひらしたドレスを思い起こし、口をへの字に曲げかけたが、どういう心の動きかわからないが、不意に顔が紅潮するような気分になった。
ドレスメーカーの顔も持つためか、〈夜兎〉はシャンデリアの灯りの中で朱音の微妙な顔色の変化を見て取ったらしかった。「ふふふ」と彼は笑い、タンっと飛び降りながら言った。
《それを着た自分を見せたい誰かでもいるのかしらん? いいわよ、アタシなら、アナタのきれいなところを完璧に引き出してあげられるから》
《そ、そ、そんなことは絶対に…》
と朱音は無様に言い訳したが、続いて〈銀狐〉に飛び降りざま、からかうように言われてしまった。
《へえっ、お前さん、あの朴念仁の眼鏡にホの字なのか》
朱音はカーっと首筋をほてらせたが、反論できず、ひとり「んもう!」と八つ当たり気味に言ってから、先に行ってしまったローグの長の後を追い、シャンデリアから飛び降りた。
祭壇の前で、昏倒している教団員を押しのけて二人のローグがかがみこんでいるのを見た朱音は、ふと、背後の壁面のレリーフに目がいった。
《…ここが地下への入り口なのは確かなんだが…》
《どこか別の場所に仕掛けでもあるんじゃないのか?》
《仕掛けって、これのこと?》
と、朱音が唐突に言ったので、二人のローグたちはそろって振り返った。そして〈夜兎〉が感嘆したように言った。
《アカネちゃん、アナタ、完璧にローグの素質を持ってるわねえ。このアタシがその程度のことに気づかないなんて、最近ちょっとぐうたらしすぎたかしらん》
朱音が指さしたのは、聖人のレリーフを飾る金色の後光のようなものの一つだった。よくよく見ないとそれが壁の彫刻と一体化していないことはわからなかったが、触れてみると、それが可動するものであることはすぐにわかった。
ほんの少しそれをずらすように動かすと、かすかにかちり、と音がした。〈銀狐〉が祭壇を覆う垂れ布をめくると、そこにはか細い壁かけ燭台がかかる緩い傾斜の通路が続いていたのである。
《善き行いをしている集団がこんな秘密めかした隠し部屋を作るなんてな。ローグ顔負けだぜ》
〈銀狐〉が嫌悪もあらわに言うのを〈夜兎〉は肩をすくめて相槌とし、朱音をこまねいて祭壇の下の通路に身体を滑り込ませながら言った。
《さすがに中まではアタシたちの情報にはないの。今、教団の人数は減っているはずだから、できるだけ気づかれないように、最深部を目指しましょ。きっと隊長さんはそういうところに閉じ込められてるはずだから。そうでしょ?》
《雑魚には用がないしな。ぶっ潰すべきは教団を操る奴だけでいい》
三人は妖しい教団の秘密の領域に踏み込んでいったのだが、この異常事態の全体像はこうした些末な問題を解決するだけでは追いつかなくなりかけていた。
*****
突然、ファンロンのメインデッキ内にレッドアラートが鳴り響き、照明が不吉に赤くかげった。コンピュータが淡々と警告した。
『…ファンロン五行機構に異常発生。過剰な暗黒物質の負荷によるものと推測される。速やかに安全な場所に着陸せよ。最低限の推進力維持のため、艦内の余分なエネルギー消費を中断する。至急対策を』
玄人は眠そうな顔を滅多に見られないほどにぎくりとさせて、自分の失念を悔いるようにつぶやいた。
「そうか、この世界がどれだけ五行機構と相互作用しているかを忘れとった…地軸の傾きが暗黒物質の増加を促すとは考えてもみなかった…だが当然視野に入れるべきだったんじゃ…この宇宙には可視的な質量よりも観測不能の暗黒物質が満ちているということを」
「では、地軸を保っていたのは暗黒物質であったと推測できるでござるな。暗黒物質は目に見えない質量をもつ物質でござる。それが地軸の傾きで流れ込み続ければ、この世界の重力だけでなく、あちこちで次元のひずみが生じる危険性があるでごさるな」
とヴィッキーが意見すると、ジルコンがやいやいと言った。
「そんなことは貴様に言われなくてもわかってる! だがその前にファンロンを着陸させねえと、また墜落してなにもかもおじゃんになっちまう。おい、ヴァーチャルームにいる連中をすぐにどこか地上に下ろせ。そうだな、ファンロンの着陸地点は、最初にここに落ちた場所にしよう。あそこならすでに前に不時着した時の痕が残ってるから、新しい痕跡を残してここの住人達に未確認飛行物体扱いされずにすむ」
玄人は赤いアラートランプが点滅する中、ヴァーチャルームの大牙に通信を入れた。
『まずいことが起きた。暗黒物質がエンジン機能を邪魔してきとる。余分なエネルギーは使えん。そこにいるひとたちをどこかに移送せんとならん。遮蔽装置の方はヴィッキーがおるから問題ないが、この事態がおさまるまで、ファンロンはどこかに着陸させんと』
『なんだよ、この展開。せっかく順調にファンロンの方は直ってきてるのに、また逆戻りかよ』
『とにかく、そこのホログラムも保つことはできん。グリッド線で区切られた殺風景な部屋を見せるわけにはいかん。ファンロンは最初に墜落したエルダー村近くの山間に降ろすつもりじゃ。今、エルダー村をざっとスキャンしてみたが、どうやらボスはうまく敵を追い払ったようじゃけえ。その娘はひとまず村に戻して、他のもんは…とにかくこのまんまでは墜落してしまう、他に方法が思いつかん、ひとまずタイガ、彼らのことを任した。うまくやってくれ』
『丸投げかよ~』
大牙の反論は、ぷつりと途切れた内線回路に跳ね返っただけだった。
そして次の瞬間、ヴァーチャルームにかくまわれていたものたちは、ようやく混乱のおさまったエルダー村のはずれに転送されていた。
その途端、彼らは予期しない風雪の夜の闇の中に放り出され、びっくりした。
《くっそさみい! 畜生、こいつは一体どうなってんだ?!》
大牙がぶつくさと不満をもらすと、ヴァルロイが周囲を見回して言った。
《この雪には全く輝きの結晶を認められない。それに、これほど重々しい空気は感じたことがないな。居心地もとても悪い》
《そうね。こんな南側で吹雪なんておかしいですわ。冬は闇の眷属にとって最も活動的になる時節だけれど、この感じは、ちょっと異常ね。これには、あたくしたちだけではない何かが関わり合いを持っているのかもしれないわ。極地の仲間たちなら詳しく感じ取っているかもしれないけれど…ここからじゃ遠すぎるわ》
《…リナが震えてる…早く火のあるところへ連れて行かないと…》
とパリスが歯の根が合わなくなっているリナの身体をかばうようにして、提案した。
エルダー村の微かな明かりが風雪の合間からのぞめた。
大牙はパリスの手からリナを引き取ると、魔性の親子をじろっと見上げ、言った。
《俺、リナを村に送ってくる。その間に逃げたり自分勝手なことをしたりしたら、とことん追っかけてぶんなぐってやるからな》
人狼のユリアはパリスの頭をなでながらつん、と高慢に顔をそらして返事とし、ヴァルロイは小気味よく微笑して応えた。
《人間ではなくなったとは言え、私は由緒ある血筋。それを穢すような真似はしない。それに、君の存在はこの異常事態の解決に欠かせないものであると確信している。安心してその娘を送ってきなさい》
大牙も、朱音と似ていて、直感的に他人の誠実さや善意を見抜くことができた。彼は一つ頷くと、リナの小さな体を抱えるように腕を回すと、丸太の柵で囲われた村の入り口を目指し、黒々とした吹雪の中に吸い込まれていった。
ステッキの持ち手の先でシルクハットの鍔をおさえて風雪で飛ばされないようにしていたヴァルロイが、独り言のように言った。
《これは私たちだけではどうにもならない状況にまで発展している気がするよ…》
ユリアが顔をそむけたまま、むっつりと言った。
《あたくし、光の一族は嫌いよ》
《そうとも言っていられないかもしれんぞ、ユリア。『氷雪の女王』は無慈悲な独裁者だよ。闇も光も飲み込む冬の闇そのもの。ひょっとすると、この吹雪は、極北の門が開き、女王の軍勢が溢れ出したせいかもしれない》
《きっと北の蛮族どもがどうにかしてるでしょ。あの角頭の連中が。それに、あたくしたちの眷属もいるのだし》
ヴァルロイは、ユリアの短絡的な応対にため息をかえし、
《最もその勢力が強い場所で、私たちの眷属がどれだけ耐えられるか、とても心もとないね。ヴォルガ族は確かに勇猛な種族だが、相手は四つの季節の一つを司る大精霊だ》
《全く…何もかも計算違いだわ。あなたなんかと出会わなければよかった》
《確かに計算違いだったのかもしれないが…》
とヴァルロイは大牙が消えていった方角をじっと見つめながら、ぽつりと言った。
《これは何か大きな意思のもとで生じたものなのではないのかと思われてならない…》
ユリアがちら、と軽侮するような眼差しをヴァルロイに向け、
《あたくしは嫌いですわ、そういう運命主義は。あたくしの命はあたくしのもの。誰かの手のひらの上で回されている駒のように思われるのはごめんよ》
《相変わらず強気だねえ、君は》
《あなたがしっかりしてなさすぎるのよ。ほら、あの若いのが戻ってきたわ。さて、あたくしたちはどうしたらいいのかしら? あたくしは今とてもくさくさしていますのよ。次に出会った人間に噛みつきたくて仕方がないくらい》
《ふむ、確かにくさくさするな。この雪のせいだ。ああ、確かにこの空気はよくない。私たちの心をぐらつかせる麻薬のようなものがあるようだ。早くどうにかしないと、私たちはおろか、多くの眷属たちが自意識をなくし、暴れまわってしまう》
しかし、そこへ大牙が小走りで戻ってくると、ぱっと明るく明瞭な視野が広がったように魔性のものたちの意識から灰色の混濁感が吹き消された。
大牙は言った。
《村はしばらく安全だと思う。教団の本体が逃げ戻ったらしいから。その隙に俺たちは次の手を打たないと。でも、こういうのって、俺、苦手なんだよな。身体を動かすのはいいけど、ああするとかこうするとか考えるのはめんどくせえんだよな》
《ならば》
とヴァルロイが気軽に提案した。
《この現象は極北でなんらかの異常が起きたせいだと考えている。北の眷属と協力して、その元凶を突き止めるというのは?》
大牙は深く考えることなく賛同し、コウモリと狼に変幻した魔性のものたちのあとを遅れることなく走り始めたのである。極北の地へと続く長い道のりを。




