表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第七章 精霊王国編
87/103

『闇の胎動』

 エルダー村の断罪を中途で切り上げ、まるで意気地なく逃げ帰った『聖アウロラ教団』の一行であったが、白塗りの箱馬車の中でその教団の長がどのような状態にあったかは、誰も知らなかった。

 いや、おそらく、彼に付き従う誰も、彼の隠された素性を知っている者はいなかったし、知られてはならなかったのだ。

 コンスタンティンは激しい喉の渇きと、むくむくと沸き上がり、内側からせりあがる欲望とにさいなまれ、葛藤していたのである。

 そうなのだ。噂は真実だった。彼は吸血族と人間の間に生まれた混血(ダンピール)なのである。コンスタンティン・グレゴリウス4世と名乗ってはいるが、実はその4世代の間、ずっと彼が教団を支配してきたのだった。

 どちらの側からも忌避され、孤独にさすらうのがダンピールの宿命とも言えたが、彼の記憶には強く抱くものがあった。

 母親の愛情である。

 彼の母親は、バーミリオンの裏通りで客をとる娼婦だった。最下層ではなかったが、「女」を売り物にすることに変わりはなく、幸薄い女だった。しかし、その美貌は娼婦という職業にも関わらず摩耗することなく、退廃したバーミリオンでならば、それだけで金満家の愛人におさまり、悠々と生きられただろう。

 いくらバーミリオンの金持ちたちが腐りきった根性を持ち、倫理観の欠片もないとはいえ、よりによって母親の美貌が魔性の目にとまってしまったことと比べれば、はたしてどちらが良かったかと悩ましい問題に突き当たる。

 しかしながら、コンスタンティンの母親は一人の純粋なストリゴイと交わり、彼をもうけた。もう数百年も前のことである。

 悲しいことに、ストリゴイに愛情とかいった人情味を求めることは無駄であったし、彼らをおいていずこかへ去っていっても、母は嘆かず、周囲からの噂になる前にバーミリオンから去った。

 そして放浪の末、コンスタンティンを空き家になった農場の厩で孤独に出産をしたのだが、その子供は母乳ではなく、生き血を求めた。

 母は拒むことなく、産褥後の疲弊した身体であるにも関わらず、愛しげに彼を胸に抱き、乳房に歯を立てて血をすする赤子をただ優しく見守った。

 当然のことであるが、母親の体力はみるみる落ちた。その代わり、コンスタンティンは魔性の力を受け継いでいるためか、普通の人間よりも数倍成長が速かった。

 そして、母親から最後の一滴の血を吸い取り、はた目からは5、6歳に見える子供は、息絶えるその時まで絶やすことなく自分を抱きしめ続けてくれた母の痩せ細った死体の傍らで誓ったのである。母の命を奪うような境遇に落とした「そのもの」を探し当て、必ず敵を討つと。

 しかし、その元凶を探し当てた時には、別の何者かによって討伐されたということだった。

 それでも、彼は諦めなかった。そして、その殺されたストリゴイ、つまりコンスタンティンの父親であったものが、血の継承をしてパートナーを作っていたことを探り当てた。

 吸血族にとって、血の継承は疑似的には親子の繋がり、つまり血のつながりである。したがって、コンスタンティンの復讐の矛先は、今に至るまでストリゴイを統括しているヴァルロイ・フォン・キルシュタイン伯爵に向くことになった。

 だが相手も愚かではない。いや、むしろ、自分を生み出したストリゴイよりも隙がなく、頭の回るものであると感じた。

 そこで、一人で憎むべき吸血族を討伐するより、うまく人間たちを操って、いくらでも補充のできる歩兵部隊(ポーン)を編成し、その中で敵陣に到達できたものがいれば、内側からも攻められることになる。チェスで例えれば、ポーンが敵陣の最奥まで到達し、昇格(プロモーション)するようなものである。

 そういうわけで、表向きは聖なる行いで聖堂を管理する集団として、『聖アウロラ教団』を立ち上げた。もとより、吸血族の不死性は、人間たちの間では聖アウロラの聖灰を盗んで得たと伝わっているため、この集団の裏の機能はすんなり受け入れられた。

 数百年にわたる吸血族や人狼などの闇の魔性との討伐戦は一進一退で、コンスタンティンも姿かたちを変えながら執拗に追い続けた。

 そして今、闇の眷属たちに乱れが生じた。まさに機は熟せり。今こそが好機とばかりにコンスタンティンは大きく動き出したのだが、いきなり目の前に予想外のものが現れた。

 コンスタンティンの自制心は非常に強く、半分は吸血族の習性をもってはいるが、これまで人前でその衝動に突き動かされることはなかった。

 しかし、あの寒村で出会ったものと対峙した時、いきなり丸裸にされたような心地になり、自らを縛っていたものが霧消してしまったのである。その場にいる人間たちから匂い立つ温かい生き血の甘美な誘惑と、そして眼前に立つ金髪の人物からの非常に強い生命力に惹かれ、なりふり構わずその喉に食らいつきたいとさえ思った。

 だから彼はみっともないとさえ思われた様子で箱馬車に飛び乗り、もう一人の自分を抑え込もうと必死になったのであった。

 がたごとと馬車は走り続け、グレートシルバー山脈の谷間の街道を車輪がはじけるのではないかと思うほど急がせた。

 そして、ようやく太陽が中天にさしかかった頃、コンスタンティンはげっそりとした顔を隠すようにフードを深くかぶって足早にカーマインの聖堂の外壁に作った自分専用の入り口から中に入ると、血の渇きに眩暈すら覚えながら、よろよろと寝所に向かった。

 その足音を聞いたか、薄暗く天井の低い通路に面した扉の一つが開き、まるでルネッサンス時期の絵画に描かれた天使のようにバラ色の頬も見目麗しい声変わり前くらいの少年が飛び出してきた。

《コンスタンティン様?!》

 主の常軌を逸した様子に驚いて駆け寄り、身体を支えるように付き従った少年にすがるようにして歩きながら、コンスタンティンはどこか自嘲するような響きを伴って言った。

《…私の自制心はこれまで一度だって崩されたことはなかった…だがあのものはやすやすと……》

 一言一言発するたびに力が抜けていくようだった。

 それを察してか、その少年は従者として許される範囲で忠告した。

《コンスタンティン様、今は速やかにお休みなさった方がよろしいかと》

 確かにその通りだった。そして、彼はかつてないほどに血が吸いたくてたまらなかった。

《……マルセル…私に許してくれるか?》

 バラ色の頬をした美少年は、ふっくらとした顔を見上げて一気に老け込んでしまったような主に素直に頷いた。

《僕はコンスタンティン様の従者です。たとえこの身が涸れても、かまいません》

《…すまぬ…》

《謝る必要などありません。僕にとって貴方様に血を差し出せることは歓びなのですから》

 二人は狭い通路を抜け、突き当りの扉を押し開けると、倒れこむようにコンスタンティンはベッドの上に横になった。

 その傍らにそっとマルセル少年は腰を下ろすと、フリルがたくさんついたシャツの袖口をまくり上げて、今にも昏倒しそうな主に差し出した。その真っ白な手首や静脈が浮き出ている腕には、うっすらと噛み傷が残っていた。

 重たげな瞼を上げ、コンスタンティンは躊躇いを残しつつ、マルセルの無垢な顔を見てから、差し出された腕を取り、成長途中の華奢な手首に心とは裏腹に飢えた獣のように牙をたてた。

《…ああ…コンスタンティン様…》

 恍惚とマルセルが呟く中、魔性の血にとらわれたコンスタンティンは流れ込む温かく甘い生き血の味に没頭するのだった。


*****


 彼女は決して認めないだろうが、朱音の思考回路は大牙とどっこいどっこいの、非常に短絡的で、龍児のように最悪の想定を準備しておくような性質ではなかったのだが、さすがに真正面からグレイウォールの街に入ることはやめた方がいいと思った。(しかしながら、この決断も、彼女のずば抜けた戦いのセンスがそのように直感させたにすぎない)

 明けの明星が新しい一日を告げる朝日の中に薄れていく中、彼女は街の中で最も高い場所、聖アウロラ大聖堂の尖塔の一つに鳥が止まるように身体をかがめて下界を見下ろしていた。

「なんか嫌な予感しかしないのよね…」

 暗いうちにディミトリの宿の様子を見てきていた朱音である。宿の扉は閉じ、その前には衛士が張り込んでいた。

 イーディアスの屋敷にも行ってみたが、しんと静まり返っており、街中に松明をもった衛士隊たちが巡回しているのを見、彼女はこうして人目に触れない場所でこの次の行動をどうするか、思案していたのである。

 まさかこの大聖堂の奥で、ディミトリとイーディアスが責苦に遭っているなど想像もできなかった朱音ではあるが、かといって、ごり押しでいくには失うものが大きすぎると思われた。

「だから信心深い連中は面倒なのよ。崇める対象がなんだろうと、馬鹿みたいに付き従っちゃってさ。確か、そんな怪人の親玉がいたっけか。洗脳とか崇拝心とかって、ほんと、危ないわ」

 何度目かのため息をついた朱音は、不意に下側から何者かの気配を感じ、多少ぎくりとしてそちらを見下ろした。そしてほっとしたように言った。

《なぁんだ、〈銀狐〉さんじゃないの! どうしてこんなところに?》

《お嬢ちゃんこそ、どうしてここに? 今、街はお前さんたちを始め、ある子供たちと接触したと思われる者たちを探し回り、拘束しようとしているぞ》

 これを聞き、さすがの単細胞な朱音でも現状がとてもややこしいことになっていることを知った。

 尖塔の、少ない足場にするすると登り、朱音の傍らに同じような姿勢で下の様子を伺うカーマインの盗賊ギルド長に、彼女は正直に言った。

《ええ、確かにあたしたち、その子たちと会ったし、その子たちを巡って起きたことも知ってるわ。だからってこんなに厳戒態勢になってしまうの? あたし、その人たちと会ったけれど、悪い人たちじゃないと思ったわ。直感だけど》

 〈銀狐〉は、達観したような様子で嘆息し、

《人間と獣との違いは、余計なことを考える頭があるかどうかだ。人間はその余分な脳みその中で、勝手に恐怖を作り出す。そして逆もしかりだ。俺は盗賊だし、元からあんまり人を信用してこなかった。だから迷信がどれほど人間の頭の中で独り歩きしてるか、わかるんだ。そして、その迷信をうまく操って、集団を扇動できることもな。それがまさにここで行われようとしている》

 と、彼は一旦言葉を区切り、改めて朱音を見やり、尋ねた。

《そうか。なんとなく知ってる気がしたのは、お嬢ちゃんたちとあの気障な優男のまとっている空気が似ていたからか。ここに来る前に、俺はエルダー村で、村人が一方的な断罪を受けそうになっていたのをとめに入ったんだが、ちょうどそこに金髪男が助太刀してくれてな。ひょっとして、知り合いか?》

 朱音は迷った。キリルの存在はあくまで裏方であり、彼らレイジュウジャーの統率者だった。それを明かしてしまうことは、彼らの存在の不可思議さを強調してしまいはしないか。

 きっと彼女の表情にはありありとそんなためらいが浮かんでいたのだろう。〈銀狐〉は苦笑し、言った。

《答えたくないんならそれでいいさ。誰だって言いたくないことはあるもんだ。それより、この街で、いや、この大聖堂の中で何が起きているか、知っているか?》

 朱音は首を振った。

《全然わからないわ。たった今ここに来たばかりだし、情報を掴むにも、こんな状態じゃ、逆に悪影響になると思って、途方にくれていたところよ》

 すると〈銀狐〉はにやっと笑うと、

《忘れちゃいけねえぜ、お嬢ちゃん。お前さんは俺の目にかなってるんだ。こういう時、頼れるのは、逆に無法者さ。一緒に来い。グレイウォールの盗賊ギルド長の〈夜兎〉に紹介してやる》

 朱音はすっかり気概を取り戻したように強く頷き、

《ありがとう、〈銀狐〉さん。あたしたち、あの子たちを助けたいの。外見とか人と違うこととかで差別されるのって、あたし、すごく嫌いなの》

《金で雇われて人殺しも辞さない俺たちだが、それなりの仁義っていうもんがある。エルダー村でなされようとしていたことは、確かに人道からそれていると感じたね。そら、お嬢ちゃん、ついてきな。そこで改めて作戦会議をしようじゃないか。この街の衛士隊長が行方不明になり、街は今、魔道士の衛士の命令で動いている。俺は魔道士ってのをどうしても信用できない性分でね。それと『聖アウロラ教団』。こいつは、からめ手で燻し出すしかねえと思ってるぜ》

 朱音は、自分たちがファンロンのヴァーチャルームに避難してまもなく、イーディアスと、おそらくディミトリ、もっと最悪の場合、イーディアスの奥さんまでもが拘束されたのではないかと、顔色を悪くさせた。

 そんな彼女の腕をつかみ、〈銀狐〉は確信をもって言った。

《心配すんな。この街を狂信者の支配になんかさせやしないから。とにかく行動だ。そうだろ、お嬢ちゃん?》

 確かにその通りだった。彼女は行動したあとに思考がついてくるのが常だった。

 朱音は、〈銀狐〉の華麗な伝い降りと屋根やベランダを飛び、駆け抜けるあとから彼に負けない俊敏さでこの街の盗賊ギルドのある場所に向かったのである。


*****


 キリルのすらりとしたスーツ姿は、どういうわけかカーマイン王都の街並みに溶け込み、別の意味で通行人たちの目にとまった。優雅で颯爽とし、自信に満ちていて、それでいて驕りのない大股の歩き方は、街人たちの好奇心と心惹かれるものをかもしていた。

 当然ながら、彼は部下たちがこの王都で繰り広げた活躍を、ファンロンの艦長席からモニタしていただけだったのだが、王都の街並みを記憶するには十分だった。だから、彼はこうして王都の住人のような顔をして悠々と王城の方向に向かって歩いていたのである。

 最初は、直接『聖アウロラ教団』に乗り込んでみようかとも思ったが、おそらく大騒動に発展してしまう可能性があったし、この問題は一般市民にはあまり知られずに処理すべきだという結論に至ったので、こうして城を目指していた。

 不思議なことに、彼は城門で門前払いされるとは思っていなかった。なぜなら、彼は数か月前に王都を襲った事件の際に出会ったこの国の王子の人柄を瞬間的に見抜いていたからである。あの王子ならば、きっと自分を覚えていて、自分のことを信頼してくれると確信をしていた。そういう人を見極める目は、特にキリルには備わっているらしかった。

「…これがカーマイン王都か…ルネッサンス時代のヨーロッパの街にタイムトリップしたみたいだ。人は宇宙時代を迎えて格段に進歩したのだろうが、こういった人間らしい「もの」を引き換えにしてしまったのかもしれないな。だから退役した『正義の守り人』や軍人たちが地球の大地を踏みしめ、昔ながらの暮らしを求めるのかもしれない。かくいう私もどこかのブドウ畑で剪定でもしているのかもな」

 にこやかになりながら足を進めるキリルを、幾人もの婦人たちが振り返り、ひめやかなささやき合いをするのを、知ってか知らずか、彼は城に通じる広小路に出た。

 眼前に瀟洒な城が見える。

 キリルは別段気負うこともなく、城へと悠々と歩いた。

 大きな階段を上がると、門兵が彼を引き留めて尋ねた。

《王城に入るには特別な許可が必要です。お持ちですか?》

 キリルは平然と応えた。

《この国の王子殿下と知り合いの者だ。殿下に取り次いでくれないか、かつて、殿下に忠告を与えた者が参っていると》

 もちろん、門兵は簡単に門を開けてはくれなかった。しかし、キリルは落胆するどころか明朗に言葉を返した。

《この通り私は何の武装もしていない。誠実な動機から殿下にお話ししたいことがあるのだ》

 キリルの様子は全く善意に満ちていた。それは門兵にも伝わったようだが、この見知らぬ、どこかの高貴な生まれらしい者の申し出を王子に進言するかどうか悩んでいるようだった。

 その時、ぎいっと重くきしみの音をたてて、城の大門が開いたのだった。なんとそこにはマクシミリアン王子とエルフの癒し手エリアス・ヴィ・シャルロー、それからマリー姫がいたのである。

 マクシミリアンはやはりキリルを忘れていなかった。彼は門兵たちをさがらせ、キリルを招き入れるようにしながら、言った。

《マリーとエリアス殿が不思議な何かを感じ取ったらしくてね。こうして様子を見に来てみたら、これはどういう巡り合わせなのか、まさかあの時の虹色の中に消えた御人だとは》

《私のことをご記憶していただき、大変光栄です、殿下。実は、ある重大な出来事について、お話しし、ご協力を願いたいと思い、おこがましい振舞であることはわかっておりますが、これはこの王都を統べる御方に直接お知らせし、対策を共に練りたいと思っている所存なのでございます》

 キリルが最敬礼の一礼をしながら言うと、マクシミリアンは親身な物腰でキリルを城門の中に招き入れ、やや声を落として言った。

《あなたがおっしゃっているのは、カーマイン辺境の村で起きた事件と関連があるのでは?》

 キリルは連れの愛くるしい姫といかにも人間離れした美貌の持ち主のエルフを眺め、心強く頷き返した。

《ええ、その通りでございます。実際にこの目で、グレイウォール側の村で起きようとしていた不条理極まる事態を目撃、阻止してきたのでございます。そして、その首謀者たるものが、カーマイン側に立ち去ったことから、私も急ぎ、後を追ってきたのです。その者たちは『聖アウロラ教団』と称していましたが、言葉に非礼が含まれるかもしれませんが、それは非常に偏った信条によって結束した秘密結社的な集団ではありませんか? その集団は表向きは信心深く聖人を崇めていて、あなた方がいくら疑いを持ったとしても足を踏み入れられないのではありませんか?》

 すると、王子は大きくため息をついた。

《全くあなたの言ったとおりです。その教団が悪霊祓いのような真似…お守りや聖水などの配布をしていることまでは周知のことですが、その背後にある真の意義は、今回のシアン村の虐殺事件で露呈しました》

 マクシミリアンが自室へとキリルを案内しながら話していると、別の回廊から黒いドレスの女性と、侍女のような姿をした人影が近づいてきた。

 マクシミリアンはやや元気づいたように顔をそちらへ向け、声をかけた。

《どうだったね、オクタヴィア? 盗賊ギルドの方の手配は?》

 きりりとした細面の王女付きの侍女であり、優秀なローグでもあるオクタヴィアは淡々と目礼し、

《ついさきほど、聖堂に箱馬車が乗り付けられ、裏口からこっそり何者かが入るのを確認したという報告を受けたところです。それと、この若者がギルドを頼ってきていたので、ここへ同行させました》

 オクタヴィアの背後でひっそりと立っていた人物にキリルは注意を向けると、「あっ」と思わず驚きの声を上げ、次には現状の深刻さなど忘れたかのようにくつくつと笑い出したのである。

《いやはや、これはまた目の保養と言うか…その目元が少々潤んでいるように見えるところなど、女装しているとは誰も気づくまい》

 キリルは用心深くそれが龍児の女装であり、上司と部下であるということを濁したが、眼鏡を常用するものの常として、それをはずした時のギャップは時にそのものを神秘的にさえ見せる。確かにその時の龍児は視力が弱いためにどこか夢うつつな眼差しをしていて、いつもの神経過敏で鋭利な思考を持つ青年には見えなかった。

 キリルの言葉に、龍児は長い黒髪を結い上げられて白々としたうなじを桃色に染めながらも、上司の曖昧な口調に合わせるように言った。

《僕の仲間の一人がグレイウォールの様子を見に行っています。僕の方は、王都の聖アウロラ聖堂に注意を向け、情報を得ようと考えています。そのために、盗賊ギルドの皆さんにお願いをしにきたのですが…》

 オクタヴィアが彼の言葉を引き取り、きびきびと言った。

《盗賊ギルドでも、聖堂内のことはなかなか情報を仕入れにくいのです。聖人に関連することなので、それを根掘り葉掘り尋ねることは、いかにも怪しい行為になりますから》

 するとキリルが簡潔に言った。

《だが私はその教団の長に出会っているし、何かあのものには弱点があるようだった。それに、付随して複雑な事情も絡んでいるような気もしている》

《とにかく》

 とマクシミリアンは、自室の扉を開け、一同を中に入れて言った。

《それぞれが持っている情報や事実を出し合って、今後の行動の方針を決定しよう。しかし、なんだか寒くなってきたような気がする。こんなに陽は高いのに…》

 そしてそのあと小半時もせずして、カーマインには早すぎる雪が降り始めたのである。


*****


 オーランジュ大陸での数々の異変は、はるか北方のクロムマイン群島でも起きていた。

 極地に近い地であるため、冬に向かう今頃からは次第に夜がながくなるのは常であったが、今年はそれが唐突に訪れ、同時に星の動きに才長けているヴォルガ族の魔道士たちは夜空を見上げ、驚嘆し、こうしてクロムマイン諸島最大の島であるガンディアの族長ザイウード・アル・ゴランの石造りの飾り気のない屋敷に集まることになった。

〔冬の常夜の到来が速すぎることは単に異常気象として片づけられるかもしれませんが、夜空の星々の位置まで変わることはあり得ない現象です〕

 ヴォルガ族の魔道士たちをまとめるナムリス・ロルハーが冷静ながら、事の重大性に青い肌をそそけだたせて話を切り出した。

 アル・ゴランはやってきた者たちに飲み物を手渡して回っていた給仕を下がらせると、深刻に太い黒眉をしかめ、言った。

〔この数日、いつもとは異なる冬の気配を感じてはいたが、星が示すこととはいったいなんだ? いつぞやの強いエーテルの流入とは違っているとは思うが〕

 ナムリスはやや自信なく首を振りながら、

〔大地が傾いたとしか考えられないのです。北の空に不動に輝く極星が信じられないほど地平線に近い位置で輝いているからです。このような異常はこれまでの記録にはないことです。したがって、これが何を誘引し、何を引き起こすか、全く予測がつかないと言ってよいでしょう〕

 すると、ナムリスに従ってやってきていた魔道士の一人が、勇猛なヴォルガ族にあるまじき恐れようでつぶやいた。

〔…『常夜の支配者』の軍勢がやってくる前触れなのでは…〕

 ナムリスはちら、と意気地をなくしているような魔道士たちを批判的に見やってから、

〔確かにこの状況は異常ですし、何の理由もなくこのようなことになったとは思えません。すべては運命の輪によってなりたっているのですから。しかし、そのような曖昧な伝聞に惑わされてはならないと思われます。これまで、そのような記録はないのですし、むずがる子供を寝かしつける寝物語を持ち出すのは不適当かと〕

 アル・ゴランはじっと話に耳を傾けていたが、ぐい、と飲み物を飲み干すと、力強く言った。

〔記録がないということは、これから絶対に起きないとも言い切れまい、ナムリス。ヴォルガの人々を余計に怖がらせることはならぬが、極星の導きが弱まり、夜の闇が濃くなれば、エーテルに満ちたこの大地は必ず何か生ずるはずだ。『常夜の支配者』か…。私も子供のころ、早寝をしないと影の軍勢に追いかけられるぞ、と言われ、慌てて目をつむったものだ…しかし、一体なぜ? 何が発端でこのようなことに? このような不均衡が続けば、いずれ世界に悪い影響が起きる。それに、今は『二重月』、ただでさえ北方の荒海は過酷であるのに、このような不安定な状態ではいつ高潮や津波が起きてもおかしくない。我が種族を再び定住地を求めての放浪の旅に出すわけにはいかぬ。ナムリス、この現象のわけを探りに、大陸へと向かってくれないか。おそらく、あちらでもなにかしらの問題が起きているものと思われる。これはこの世界に生きるものが協力してことに当たるべきだ〕

 ヴォルガ族の族長の命でナムリスが幾名かの供を連れてガンディア島から大陸へと船を出したころ、海運都市のシークレストでも似たような会議が開かれていた。

《極星があんなに沈んじまっちゃ、船を出すなんてことはできませんぜ、ドナテラさん。漁師たちはすっかりお手上げです》

 漁師ギルド長が、シークレストの首長であるドナテラ・ロドリゲスにその言葉の通り腕を振り上げて訴えた。

 これに続いたのは冒険者ギルド長である。

《このところの大時化で、都市連邦側からの冒険者の入りが激減していまして、領内を騒がす魔物を討伐する手が足りません。その冒険者たちも、この早すぎる冬の訪れに気弱になっているらしく、どうにもならない状態なんです》

 女性にしては体格のよいドナテラは、気がかりそうな視線を窓の外に向けた。シークレストは温暖な海流のおかげであまり積雪がないのだが、今はシークレスト史上類を見ない降雪が、いや、吹雪と言うべきか、雪片が横殴りに吹き荒れていた。

 彼女は各ギルド長が集まる室内を見まわし、見栄を張ることなく首を振って言った。

《こんなことは初めてよ。私にも全く解決策がない。ただ黙ってこの現象が収まるのを待っていればいいのか、それともこれは恒久的にこのままなのか…だとすれば、私たちに何ができるのか? 残念ながら、私たちには何もできない。ものを造り、生み出す才能はあっても、こうした異常現象に通じた人材は少ないからよ》

 すると、成り行きを見守っていたシークレスト自警団長のライアン・ファブローが発言した。

《今、グリアナンからやってきたというエルフの二人組が滞在している。確信はないが、私たちより彼らの方がこういう異常についての知識を持っているかもしれない。もちろん、知恵を貸してくれるかはわからないが。エルフと言うものは人間に対して高い壁を築いているものだからだ》

《そうね…それも一つの…》

 とドナテラが思案深くつぶやいた時、港の方からすさまじい破壊音が轟いたのである。それはまるで地震のように彼らのいる建物を揺るがし、誰もが手近なものに掴まった。

 それは数分でおさまり、ドナテラを先頭に、その場にいた者たちは港の方へと駆けだした。

 そこで見たものは、名うての漁師たちが暮らすシークレストでも目を疑うような光景だった。

 岸壁を突き破るように巨大なクジラやシャチが折り重なっていて、それを食らうように強烈な電撃と毒をもつ大水クラゲの集団が群がっていたのである。

《水クラゲの電撃は範囲が広い! これ以上近づいちゃいけねえ!》

 漁師ギルド長が一行を引き留めるように警告したのを証明するように、クラゲの群れから大きな火花のように電撃の飛沫が放たれ、すでに何らかの理由で絶命しているクジラやシャチに不気味な寄生虫のようにみっしりととりついていた。

《クジラやシャチはもっと冷たい海に住んでいるはず…それにこんな自殺行為のような真似をするなんて? 彼らに何が起きたの?》

 と言うドナテラの驚嘆に応えるように、背後から近づいてきたものと、クラゲの電撃をものともせず海中から這い上がってきたものが、ほとんど同時に言った。

《それは海流の向きが変わったからだ、ドナテラ》

 と言ったのは、魚類特有のぎょろりとした目と、尾びれのついた長い尾をもつマーフォーク族だった。

 そして背後からの声ははきはきとした、どこかドナテラと共通した雰囲気の女エルフからだった。

《風の向きが変わるように、この世界をとりまくエーテルも変わる。その影響を受けて、その生き物たちは狂ってしまった。水が冷たくなり、周囲のエーテルが重油のようにどす黒く重くなり、彼らは正常でいられなくなった。クラゲも正常ではなくなったんだと思う。この雪の降り方からして、おかしい。この降雪には光の要素を全く感じない。これは凍結し、不毛をもたらす闇の領域だ》

 ドナテラは、この予期せぬ登場と忠告に救われたような心地で言った。

《これは私たちだけでなく、もっと虚心にとらえて対策をたてる必要がありそうね。グンニル、早速で悪いとは思うけれど、そのかわいそうなクジラたちとクラゲをどうにかしてくれないかしら? 私たちではその数のクラゲを始末するのは無理だわ》

 北のマーフォークの族長は気軽に了解し、

《この度の異常は我らの間でも問題視していることだ。ここをきれいにしたら、そちらに合流しよう》

 と海に戻って行ったのを眺めていた二人のエルフを振り返り、ドナテラは言った。

《ちょうどあなたたちのことを話していた。勝手な頼みだとは思うが、どうかエルフの知恵を貸してはもらえないだろうか。私たちはこういうことには不得手なのよ》

 ひ弱そうな男エルフが決定を女エルフに求めるように見やり、その女エルフの方は当然だと言わんばかりに頷き、ドナテラに握手を求めながら言った。

《エルフのすべてが不人情だとは思わないでほしいね。あたしはレオナ。こっちのもやしエルフはルオン。あたしたちで役に立つなら喜んで力を貸すよ》

 ドナテラの心から少しだけ不安感が取り除かれたそのころ、隣国のバーミリオンでは全く別の反応をしている者がいることを、誰が知りえただろうか。

 その者は、金襴緞子の布張りの長椅子や紗のカーテンがひらひらとふんだんにかかる豪奢な部屋で、銀の長煙管を片手に、ひとりにんまりとしていたのである。

《…この空気…私の胸をどきどきさせる…ふふふ…もっと濃く厚く闇を垂れこめなさい…そこは悪意の温床…甘美な誘惑の陰の嗜虐的なやり取り…ああ…私の心はうずいて仕方がありませんわ…》

 ぴくっとその者の黄金色の毛が生え、尖った耳の先が震える。赤い紅をひいた唇が吊り上がるように笑んだ。

《こういう空気は、私の力をより強く、効果的にしてくれる…この世界はなかなか面白いわ…あの連中に阻まれたことをここで仕切り直すには最適かもしれない…》

 もとより退廃し、風紀の乱れたバーミリオンで、この異常事態は他の地域より重要視されていなかった。毎日のように誰かが殺され、その罪を問う者のいない場所で、世界の均衡がどうなろうと考える者はいなくて当然だった。

 そして、このバーミリオンにも、雪が降り始め、曙光はほとんどかすれて消え入りそうなほどの日が続き始めたのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ