『闇に生きるもの』
レイジュウジャーたちとディミトリがグレイウォールの宿に戻り、一階の食堂に明かりをともして何か軽く食事をしようとし始めた時はすでにとっぷりと夜が更けていたのだが、宿の入り口にいたらしい衛士が控えめながら性急なノックをしてきたので、彼らは不審に思った。
《わしの店に護衛をおくような財産はないんだがな》
ディミトリが扉を開けると、二人の衛士のうち一人が彼らに形式ばった口調で言った。
《お疲れのことかとは思いますが、あなたたちが戻り次第、衛士隊長殿のところへお連れせよとのことでして。どうぞご一緒に来てもらえませんか》
グレイウォールの衛士隊長は、レイジュウジャーたちにとって恩を感じた初めての人物であったし、その肩書を振りかざさない好人物であることも感じていたので、このような時間にも関わらず自分たちの帰りを待っていたことに、逆に何かこの街に不穏な影が迫っているのではないかとも思われ、彼らは地下トンネルを歩き通しだったことの疲れなど吹き飛ばして衛士のあとに続いた。
案内されたのは、衛士隊の詰所ではなく、詰所の壁の外側にある、家族や位の高い衛士が住まう一画で、その中のこじんまりとはしていたが、趣味のいい庭を持つ二階建ての家だったので、彼らは少々驚いた。
衛士たちはその家の門まで彼らを連れて行くと、軽くお辞儀をして夜の街の中に戻っていった。
すると、家の中に明かりがぽつぽつとともり、それが玄関の扉が開かれるとともに懐かしい声が呼び掛けてきた。
《よかった、君たちがここに戻ってきてくれて。このような夜更けに失礼かとは思ったが、何しろ私には手に負えない不思議な相談を持ち掛けられてな。それを解決できるのは、君たちだけだと、あの娘は主張して曲げないのだ》
イーディアス・グラントはナイトガウン姿でその片手に燭台を持ち、事態を飲み込めていない一行をひとまず自宅の中に入れると、エントランスの脇の客間に彼らを案内し、実用的な四角い木のテーブルの上に持っていた燭台を置くと、衛士隊長として頼りがいのある人物にしてはやや自信のない口振りで、説明を求める顔を並べている若者たちとドワーフに向かい、訳を説明した。
《おそらく君たちがグレイウォールからどこかへ…おそらく地底回廊ではないかと推測しているが…出掛けてから数日後に、『双撃の戦斧亭』の前に長旅をしてきたらしい娘と少年がやってきた。身元ははっきりしている。エルダー村の農民の娘リナとちょうどエルダー村とグレートシルバー山麓を挟んだ西側にあるシアン村の鍛冶屋の息子パリスであるという身元札を持っていたからだ》
《その二人だけでここまで来たのか? 馬に早駆けさせても一昼夜はかかるぜ?》
ディミトリが驚いたように言ったので、イーディアスは同意するように頷き、
《そのこともあるし、その少年の方が少々異様なのだ。何かの病か傷でも隠しているのか、絶対に顔を包んでいる布を取らない。私の妻が湯あみをさせてあげようとしても、絶対にその布はとらないのだ。娘の方はどうやらその布の下の事情を知っているようだったが、どんなに尋ねても君たちにしか話したくないの一点張りだ。当然のことながら、子供たちの持ち金は鐚銭程度だったし、路地裏で寝起きさせるわけにはいかないのでここにとどめていたが、これは簡単に片付く問題ではない気がしてね。リナの村をゴブリンの大襲撃から守ったのは君たちだ。それで君たちを頼ってきたのだろうが、私は何かそれ以上の事態が始まろうとしている気がしてならないのだ……ああ、妻が起こしてきてくれたようだ。さあさあ、こちらへ来なさい、二人とも。なあ、お前、何か温かい飲み物とこのドワーフのためにエールかドゥンケルを用意してきてくれないか》
イーディアスの妻は絶世の美女というわけではなかったが、しっとりした物腰でにっこりと頷いて子供たちを安心させるように頭をぽんぽんと撫でると、夫の要求をするべく台所へ消えた。
《あっ、お前! リナってなんか聞き覚えがあったんだよな! どういうことなんだよ?》
仲間たちが「今更気づいたわけ?」とあきれた眼差しを投げたのも構わず、大牙は借り物の割に身体にぴったりしたナイトドレスを着、ひらひらとしたナイトキャップをかぶって眠そうな目をしている少女に話しかけた。後で知ることになったのだが、イーディアスには子供が二人あったが、流行り病で亡くしていたのだった。だから子供っ気のない家にしては、子供の扱いには慣れていたのである。
リナは大牙の声を聴くなり、一気に眠気から覚めたらしく、わっとばかりに大牙に抱き着くと、心から安堵したように言った。
《やっぱり戻ってきてくれた! あたし、信じてたの! お願い! パリスとパリスの村を助けて!》
事情が飲み込めないように大牙が仲間たちを眺めまわした時だった。リナの少し後ろに立っていた顔を布でぐるぐる巻きにした少年が、突如、叫び声を上げ、身体と言わず、顔と言わず、何かにとりつかれたようにかきむしったかと思うと、どうっと床に倒れ、四肢をばたつかせてもがき始めたのである。
《どうしたの?! パリス、返事をして!》
リナが慌てて近づくが、それもかなわないほど、少年の悶絶は激しかった。
《う、ううっ、近づくなあ! お前らの輝きは、俺の中にあるものを…うがぁっ》
一際苦しいうめき声をあげた少年の身体が、奇妙にぐにゃりと変形したように見えた。そしてそれはぐんぐんと大きくなり、少年の来ていた寝巻がはちきれるように破れた。その布の間からにょきっと伸びたのは、少年のきめ細やかな肌の四肢ではなく、白銀の体毛に覆われた獣のものだったのである。
客間に飲み物を持って戻ってきたイーディアスの妻が短く悲鳴を上げてトレイを落とした。すかさず夫イーディアスは厳しい顔つきで妻に近寄り、早口に言った。
《ここはいいから、寝室にいなさい。お前は何も見なかった、いいかな?》
イーディアスの妻は衛士隊長の妻らしくそれ以上動転することはなく、多少震えていたが、床に散らばった陶器の破片をトレイの上にかたづけると、夫の指示通りにその場から立ち去った。
《こいつぁ…街に戻って早々に事件に鉢合わせたもんだな、なあ、若造ども》
ディミトリが、床の上でだらりと舌を出し、変幻の際の疲労感に急な呼吸をしているものの傍にしゃがみこみ、わずかに残っていた顔面の布を取り去った。そこにあったのは、人間にしては鼻先が前に突き出し、赤い口が大きく耳元まで裂けている獣の顔だった。ふさふさとしたたてがみのような銀色の剛毛が印象的で、なぜか害意を感じなかった。
《狼?! なんなの、これ?!》
と朱音が驚きと好奇心をこめて呟くと、龍児が言った。
《狼男とかの話くらいは知ってるだろ?》
《うん、それくらいは知ってる。満月の夜、変身するんでしょ》
龍児は、朱音の貧弱な空想的知識を補ってやることはせず、イーディアスにきびきびと言った。
《僕が知るところだと、こういった変幻術を持つ獣人は人間にとってあまり有益でないと思われていることが多いのですが、ここにこのものがいるのは少々不都合なのでは? あなたの衛士隊には魔道士がいましたよね? この獣人…ウェアウルフ、ライカンスロープ、ルー・ガルー、クドラグ…色々な呼称がありますが、狼に変身できる技は、おそらく魔力の波紋を波立たせたはずです。早急にこのものを魔力探知の届かない場所に避難させることが必要です。でないと、余計なもめ事を引き起こしそうです》
イーディアスは頷いたが、困ったように腕を組んだ。
《私がこの子供たちを引き取っていることは衛士隊に知れている。君たちの帰還も報告されているだろう。あの宿にかくまうこともできまい。マクレガーは悪い人物ではないのだが、魔道士であるという負い目なのか誇りなのかわからないが、こういうことには敏感でな。善悪を厳密につけたがる。この世の中、どんなことにも完全な善悪などありはしないのに》
龍児が子細に半ば意識をなくしている妖の獣人を眺めながら、言った。
《この者はかなり潜在的に力を持っていると想像できます。狼は基本的に群れで動きます。そして僕の予想が当たっていれば、この者はその群れのリーダーとなる品格を備えています》
《つまり、援軍が来るとでも…》
とイーディアスが言いかけたまさにその時、客間の窓がばんっ、と開き、黒い突風のようなものが流れ込んできたのである。大牙が思わず震えっぱなしのリナをぎゅっと抱きしめてそちらを見ると、黒い霧のようなものが輪郭を形作り、ふたつの人影を描いていた。
《まぁぁぁっ、あたくしのかわいい子! なんてハンサムボーイなのかしら? そこのなまっちろいコウモリ男に似なくてほんと、よかったわあ!》
いかにも不吉な現れ方をしたにも関わらず、飛び出たセリフがとんちんかんすぎて、一同はあっけにとられた。
その素っ頓狂なことを言ったものは、漆黒の髪を背中に垂らし、身体にぴったりとした軽装の鎧を身に着けていたが、武器は持っていなかった。その顔は端麗だが慈悲のぬくもりのない、人外のものの特異な美をまとっていた。
そしてもう一人、こちらは別の意味で目を引かれた。
ヴィクトリア朝時代の紳士でもあるかのような襟の高いマントを羽織り、その裏張りは深紅のサテン、目深にかぶったシルクハットからは夜目にも鮮やかな赤毛が優美なウェーブをして肩に垂れている。肌は蒼白いほどに白く、そこに光る碧眼は澄み切った湖水のようでもあったが、見る者を魅了し、欺く邪眼でもあった。
これからオペラの観劇にでも行くかの如き人物がステッキの持ち手でシルクハットの縁を持ち上げて床に倒れるものを見下ろし、ちら、と黒髪の妖女を見やってから言い返した。
《どうして彼がこんなところまで来なくてはならなかったか、君は考えなかったのかね? 彼は君の手には渡せないと思って同胞たちが逃がしたのだ。君が目覚め、彼を無理に従わせようとするだろうと思ってね》
《あら、何か悪いことでもしたかのよう。あたくしはあたくしの一族のために身を粉にして未来を立て直すつもりでいますのよ。全く、人間のくせにあたくしたちを狩り出すなど、もってのほかでしたわ! 今思い返しても腹が煮えくり返って…》
《君が人狼族の長としてあり続けるために、君の一族が君を人間たちに見つからないように努力したことを忘れてはならないよ。君が捕まったら、君の一族どころか、私や、他の闇に住まうものたちの平安が崩れていただろう》
黒髪の妖女は「ふん」とこじんまりとした形の良い鼻でせせら笑い、
《どこぞの棺桶好きと違って、あたくしは臆病風に吹かれるなんてことはありませんのよ》
《だがそのおかげで私の一族は君たちより犠牲を少なくできた。もちろん、かわいそうにサンザシの杭を打たれて死んでしまったものもいたがね》
このまま放っておいたらえんえんと夫婦げんかのような言い合いが続いてしまいそうな空気を感じ取った龍児が、無理に会話に割り込むように言った。
《あの、詳しいいきさつはこの際後回しにした方がいいと思うのです。あなたたちは人間とは相いれない世界の住人です。あなたたちに悪意はないと僕は信じますが、たいていの人たちはあなたたちを恐れ、無意識に反撃をするでしょう。この少年のこともあります。僕たちは少なからず、この世界が微妙な天秤の上で成り立ち、少しのぶれも傾きもあってはならないことだということを体験してきました。ですから、ひとまずこの場から姿を消したほうがいいと思うのです。あなたたちからはおそらく強烈な魔性の波動が流れ出しているはずです。この街の衛士たちに気づかれたら、街中騒然となるでしょう。そうなることをお望みですか?》
礼服を着込んだ方が感心したように言った。
《ほほう、人間の若者にしてはなかなか理解が深い。確かに私たちの存在はあまり目立たせたくはないが、ここに倒れているものをどちらが引き取るかということになると…》
龍児はこの言葉に意表を突かれたように尋ねた。
《引き取る? どういうことですか》
すると、黒髪の妖女が一歩前に進み出て応えた。
《もちろん、それはあたくしですわ。なんといったって、自らの腹を痛めた子供ですからね》
《確かに君の子ではあるが、同時にこの子は私の種で実った子でもある。それに、性急に物事を進めたがる君のもとに、人狼として未熟な覚醒をさせられたものを預けるわけにはいかない》
これを聞いた朱音が下世話な驚きに目を丸くした。
「…なにこれ、ちょっとした修羅場? おもしろくなってきた」
「魔物にも家族なんてあんのかよ。でもよ、どうするんだよ、俺たちはもうただの冒険者じゃなくなってる。こいつらを逃がしたとしても、今度はリナが問い詰められやしねえか?」
途中から震えるのをやめ、子供らしい好奇心でなりゆきを見守っていたリナを守るようにしていた大牙が言うと、玄人が眠っているような眼をわずかに開いて言った。
《わしにちょっとした考えがあるんじゃが…》
このあと、玄人が簡単な説明をしたのち、イーディアスとディミトリを残し、その場からレイジュウジャーたちとリナ、そして狼に変身したパリスと新たなあやかしのもの二人の姿は忽然と消えたのである。
《…人狼の存在は噂程度には聞いていたが…だが、それにもましてあの若者たちの離れ業には驚かされる》
イーディアスが緊張が抜けたように客間の椅子に腰を下ろして独り言のように言った。そしてドワーフの宿屋の主人を見やり、続けた。
《君も同行した方がよかったのでは? もちろん、私は君たちのことを信じているが、衛士の中には頭の固い者たちもいるのでね》
ディミトリは自信たっぷりに鼻を鳴らし、
《わしがここを離れたら、逆に奴らが戻りにくくなる。まあ、わしのことは気にすることはないさ、隊長さんよ。さあて、来たみたいだぜ、その頭の固い連中が》
客間の窓からも、松明の明かりが複数ちらついてこちらに近づいているのが見えた。
イーディアスは面倒くさそうに立ち上がると、ため息をついた。
《魔道士という連中は、自分こそが知識そのものだというような自負心に凝り固まっているものが多くてね。わからなくもないのだが、もう少し人の意見や批判に耳を貸してくれればもっと良い忠告者として扱えるのだがなあ。しかし、そのおかげで私のおためごかしな会話術は上達したがね》
イーディアスは、肩をすくめてさもありなんと相槌を返したドワーフをそこに残し、エントランスに向かっていった。一番扱いにくいのは信条や思考の方向性の違う人間を納得させることではないかと思いながら。
*****
さて、玄人が提案したこととはなんだったのだろうか?
魔道士という存在の優れた面も見てきたが、そこがまた厄介なものにすり替わることも知ってきた玄人である。
確かに、この者たちは魔性の者であることはわかったが、第一に、床に半ば失神して倒れている者を助けたいと思った。きっとこのことには何か深い事情があるのではないか、それを尋ねる前に騒動になるのはこの白銀の人狼にとって非情すぎないか。
玄人は過疎の進んだ痩せた田畑の広がる村で育ち、自然も人間も動物や虫までも、全てがリサイクルされていることを常に感じてきた少年時代を送ってきた。だから、レイジュウジャーとなっても、この信条は変わるどころか、ますます心に強く刻まれることになった。どのように防壁を築いても侵略者の絶えない惑星間をまたにかけ、戦い、平和を取り戻すたびに、「なぜ争いは絶えないのか」という疑問と、彼の育った日本の原風景のような田舎が思われ、「どうすれば人々から闘争心を鎮められるのか」という命題にぶつかるのである。
そして今も、異種族に対する偏見と固定観念の檻にとらわれようとしていた者を一時的に救い出す手段として、玄人はとんでもない方法を思いつき、ファンロンに通信したのである。『ヴァーチャルームにグレイウォールの街並みを再現してくれないかのう?』と。
ヴィッキーという遮蔽装置専門のコンピュータを搭載したことで、ファンロンはヴァーチャルームを稼働させるだけの余裕はできていた。そしてそこが、魔力や精神世界とは関わりのない科学的な亜空間であることから、魔道士やその他の精神的感応力から遮断させることができると玄人は考えたわけである。もちろん、どうやってそこに転移でき、そこがどんな空間なのか説明するのは、龍児が補足してくれることに期待していたし、何事も誠実さをもって接すれば突破口は開けるというのが玄人の信条で、彼は全くのんびりと構えていた。
果たして、彼らがファンロンからの転送ビームにより、直接ヴァーチャルームの中に正確に再現された衛士隊長の家の客間に転移されると、シルクハットをかぶったほうが違和感を感じたように首をかしげて言った。
《なんだか今、妙な感覚がしたのだが…それにさっきまでいたドワーフと人間の男はどこにいった?》
黒ずくめの女性の方もさすが魔性らしく、敏感に何かを察したように美しいが、鋭い眼差しでレイジュウジャーたちを見やり、言った。
《何かごまかしをしたわね? ほんの少し前まで人間の下等な魔力を感じていたのに、今はそれが全くなくなっている。ここはどういうところなの? ヴェイドとも違うようね》
これに龍児が応えてくれると思っていた玄人は、龍児の眼鏡の奥の切れ長の瞳が不興に細まっているのを見つけた。
龍児はひそひそと言った。
「お前のアイディアは見事だよ。だからたまには自分で説明しろよ。お前は人が思うほどにのんびり屋でも愚図でも宇宙科学に疎いわけでもない。お前は自分の能力を隠しすぎだ」
玄人は苦笑を返し、疑問を呈している二人の魔性に応えた。
《ここはいわゆる『ミラーユニバース』…ヴェイドのような別世界じゃ。しかし、魔力や精神力とは無縁の空間じゃけえ、あんさんらをひとまず避難させるのに、ここに連れてくることにした。ここはわしらの種族の秘所であり、隠れ家のようなもんで、あんまし他人に見せたくない場所なんじゃが、余計な詮索や騒動を起こすのは無益じゃと思ってのう。それに、その具合の悪そうなもんを放っとけないじゃろ? どうじゃ、わしらにできることはないかのう?》
すると、子供らしい純真さと、何事が起きたのかわからないことの興奮に頬をバラ色に染めたリナが、大牙の腕をぎゅっと掴んだまま言った。
《ここがどこだってかまわないわ。パリスを助けて? お願い。パリスは友達なの、あたしたちに危険を報せにわざわざ村まで駆け通しで来てくれたのよ。でもこんなことになっちゃって…あたし…》
大牙が異性に対して慣れていない仕草で彼女の手をさすり、言った。
《とにかく、はじめっから説明してくれねえと俺たちだって動きようがねえぜ。これは何が発端なのか、誰でもいいからきちんと話してくれよ》
すると、二人の人外の者たちは顔を見合わせ、男の方が頷いて近場の椅子に腰かけ、応えた。
《人間との余計な騒動を回避させてくれた君たちに説明をするのは当然のことだろう。どうだね、皆、ここはどうやら安全な場所のようだし、ワインでも飲みながらくつろいで話をしようではないか》
ファンタジー世界の魔性の者たちと、全く科学的な空間で話し合うことのギャップはあったが、玄人がこっそりプログラムにコマンドをし、あたかも自然にワインのデカンタとグラスを持ってきたのを機に、シルクハットを脱ぎ、朱音と似たような紅い髪をあらわにした男が優雅にグラスを傾けて話し始めた。
《発端は、20年前にさかのぼる…》
*****
《…我々の一族の起源についてまでは、残念ながら詳細にはできない。私はヴァルロイ・フォン・キルシュタイン伯爵…400年ほど前にバーミリオンに実在していた貴族だった。今もその美貌は損なわれていないが、新鮮な血の通っていた頃の私は輝くばかりだった…》
《これだからストリゴイの連中は嫌になるのよ。ナルシストばっかり! 早く本題に入んなさいよ》
黒髪の妖女がうんざりだと言いたげに辛辣な言葉をさしはさんだが、全く堪えていない様子で、自らを伯爵と名乗った妖魔は話を続けた。
《その美貌が、ある一人のストリゴイの真祖を継ぐものの目に留まり、私は選ばれたわけだ。私をストリゴイにしたものは、不死身であることに付随する完全な疎外感と孤独感に耐えかねて、私という美しいコンパニオンを求めたのだ。太陽の輝く世界からは遠のいたが、別に困ることもなかった。元から怠惰な生活をしていたし、バーミリオンに満ち満ちる不徳と退廃にも飽きてきていたから、人間をやめることにも抵抗がなかった。確かにバーミリオンには飽きてはいたものの、私たちの活力となる生き血を得るのに最も困らないのもあの国だったし、しばらくはそれまでの暮らしを続けていたのだが、私をストリゴイにした真祖が欲深い人間どもの罠にはまり、死んだことで、私は即座にその地から脱出し、放浪の生活を続けた。その際に、自らが選んだ生き方について考えるようになり、ストリゴイとは何者なのか、人間の時代になってもなお存在することの意味は何かと究明したくなった。そんな時、グレートシルバー山脈の傍の寒村で、この粗野な女と出会ったのだ》
魔性の貴族にグラスを持つ手で気障に指し示された妖女は、床に倒れて時折喘鳴のような寝息をたてている元は少年だったものの頭をなでながら、いかにも大失敗をしたことを後悔するような口調で応えた。
《あなたと出会ったことで、私の運命は狂ってしまったのよ。私たちは静かに暮らしていたのに、あなたの登場で私たちルー・ガルー一族も人間の欲の対象になってしまった。全く、一世一代の大失敗だったわ。血に飢え、血をすすることに快感を得るストリゴイと関りを持つなんて! 私たち人狼は闇に生き、月をあがめる一族よ。ほんと、大失敗だったわ!》
こくこくとワインを飲み干したヴァルロイは、鷹揚とも厚顔とも思える微笑をたたえ、言った。
《だが、私に惹かれたのも事実だろう、ユリア? 私たちは元は一つの種族だったのだよ。そのことは、二人で世界を旅して調べ上げたではないか。
そうなのだ。元は一つ、血を糧とする闇に生きるものの祖がいたのだ。いや、断言はできないな。それを存在を確証するものは見つけられていないから。しかし確かに私たちを生み出した強力な祖がいたことは疑いない。
とにかく、私たちは時が移ろう間に、狼に変幻できるもの、コウモリに変幻できるもの、そしてその他様々な獣の姿に変幻できるものとに種を分かち、生きるようになったのだと考えている。だから、そこにいる粗野な女も私と大本は同じ根につながっていることになる。
そして、このことが私たちを救う方法を見つける手助けとなった。そこの女は最後まで反対していたがね》
《そうよ、あたくしの本意のはずないでしょう? 誰がコウモリ男の軟弱男なんかと…! でも一族を救うために、私は自分の心を犠牲にして、一族の血を絶やすことのないよう、この子を宿したわ、一族の希望の星として。でもあなたに対して何らかの感情が沸き上がることなど、決してありませんわ。全く、あり得ないことよ! フン!》
人狼族の長ユリアは全身で大否定を示したが、なんとなく朱音とリナの視線が合い、二人はひっそり笑い合った。女同士の勘とでもいうべきか、愛情という複雑怪奇な難問の解答の一つである、「不平不満は愛情の裏返し」という不文律を見つけてしまったらしかった。
すると、当然のことながら、ユリアに見とがめられ、射すくめるようなまなざしを向けられた。
《人間の分際であたくしを笑うなんて、度胸のある娘だこと! よろしくて? この子はあたくしの子です。ようやく元の暮らしを取り戻せるのです。我が子と過ごしたいと思うのは母親として当たり前のことです。そこのみすぼらしい娘がどういう関りを持っていようと、関係のないことですわ。さあ、起きなさい、我が子よ。そしてこの妙な空間からあたくしたちを開放なさい。あたくしたちがこんなところに引き留められる理由がありませんでしょ》
と、前後不詳のままの白銀の若い人狼の腕をとり、無理にでも出ていこうとするのを、ヴァルロイが物静かに、それでいて断固とした様子で引き留め、言った。
《君は相変わらず短気だねえ。それに、人間を見くびりすぎている。確かに、20年前の事件はこうして回避できた。我々も種族を絶やすことなく、再び通常の日々に戻ることができるだろう。しかしだ。20年という月日は、我々にとってはひと眠りだったかもしれないが、人間にとっては、長い年月なのだよ。そしてその短い時間の中で、目まぐるしく進歩と変化を遂げる、ある意味驚異的ないきものなのだ。20年間、我々は鳴りを潜めていた。そして今、再起しようとしている。私たちのことを知らない世代がいてもおかしくない。逆に、虎視眈々と我々の覚醒を待ち構えている者もいるかもしれない。そこに、その右も左もわからない、人間の子としての記憶しか持たない大切な私たちの子供を、我ら血族の結晶とも言える彼を無防備に放り出すのか? そうすることは、母親としてあまりに短慮だな》
きいっと何か感情的に言い返そうとしたユリアの先を制し、龍児が、どこかこの眼前の吸血種族と似通った無表情で尋ねた。
《20年前の事件とは、オーカー魔道帝国で筆頭魔道士が入れ替わったことから始まった一連の悪の魔道に堕ちた者による計略のことでしょうか?》
ユリアは自分の感情の矛先をかわされて、いらいらをワインを飲み干すことでやりすごし、ヴァルロイは話がわかる相手と話せることの喜びを見出したように身を乗り出して頷いた。
《そうだ。人間のくせに精霊と契約をするなどおこがましいにもほどがある。あの者は不死身の身体を求めるために、我々の一族を狩り出し、どうやって血の継承をするのか暴こうとしたのだ。もちろん、我々は決して一族の秘儀を人間ごときにもらすはずはなかったのだが、決して少なくない一族の者たちが人間によって殺された。人狼族も同じだ。変幻できる能力を調べるために標本のごとく身体を切り刻まれた……いくら我々が闇に生きるものだとしても、この世の理の中に含まれるものをないがしろにするのは誰にも許されないことだ。しかし、どうして帝国のことを知っている?》
《そりゃあ、俺たちがぶっつぶしてきたからにきまってんじゃんか》
リナが大きな瞳を見開き、びっくりしたように大牙を見た。それは、魔性の二人も同じだったようである。
《なんと? あの筆頭魔道士には強力な精霊がついていたはずだ》
《あいつらはあたくしの一族を弱らせ、まるで奴隷のように連れ去ったのよ? それなのに、あなたたちのような人間の若者に何ができるっていうの》
《まっ、いろいろ手伝ってくれた人もいたんだけどな。とにかく、奴を片付けたのは俺たち。だからってのもなんだけどよ、この狼野郎、元に戻せないのかよ? あんたらの都合はわかったようなわかんねえようなだけどよ、こいつには何の責任もねえんだ。あんたたちの子供だってのはわかるけどさ、それだからって、何かを背負わせるようなことは大人の都合っていうか、なんか納得できねえんだ。こいつはリナの友達だって言ってた。だから、その友達に戻してやれねえのかよ? もうあんたらを追い回す悪い魔道士はいなくなったんだから》
すると、応えたのは玄人だった。
《それはどうかと思うぞ、タイガ。わしらはこれまでにいくつもの異種族と遭遇してきて、その時々の正義に合わせて行動してきた。だが今回は少々条件が異なると思うんじゃ。20年より以前から、このひとたちは人間の標的になってきたんじゃないかのう? 人間からしたら血を吸う妖魔じゃ。きっと子供を怖がらす童話にも登場するいわゆる「わるもの」のモチーフになってきたと思うけえ、今回わしらの動きは微妙なことを引き起こす可能性があるってことじゃ。衛士隊長はんは物分かりがよくて、わしらのことも知っとったけえ、ああして逃がしてくれたが、他も同じ扱いをしてくれるということはないと考えた方がええと思う。くちはばったいことを言えば、今度のことはわしらは「わるもの」側の都合が大きく作用することになりそうやと言いたいんじゃ》
《つまり、あたしたちのすることが人間にとって決して「正義の味方」じゃない場合があるってことね?》
と朱音が考え考え言ったのに対し、成り行きを見つめ、ハラハラとしてスカートを膝の上で握りしめていたリナが言った。
《パリスは絶対「わるもの」なんかじゃない。見かけが違うからって、わるもの扱いする方が間違ってると思うの。人間だけが「いいひと」だなんて、嘘よ。ねえ、タイガ、あなたならわかるでしょ? 見かけだけが大事じゃないってことを》
口下手な大牙の代わりに、龍児が生真面目に頷き、珍しくそっとリナの肩に手を置いて言った。
《確かに彼女の言う通りです。見かけにとらわれてしまうのは、正確な判断力を鈍らせます。実は、僕たちはついさきほどまで亡者の魂が浄化の試練を受ける地底の、通俗的に言えば地獄にいました。気味の悪い門番や、亡者たちのあさましい欲望の成れの果てや、異形の巨人たちにも会ってきました。人間の基準からすれば、それらはすべて「魔物」「悪」として映るでしょう。ですが、その場所がなければ、この世界は命の円環を正常に回すことができなくなります。つまり、どんなに異形に見えても、存在している限り、どんなことにも意味があるのです。
あなた方は、人間にとっては「捕食者」、脅威になる存在ですが、人間が生物の命の連鎖の頂点に立つとは限りません。そしてそれはあなた方もしかりです。善悪の基準はあいまいです。絶対ということはありません。もちろん、厳格に正義を貫くことは、時に大破壊をもたらす危険があります。そしてそれが正義の名のもとにもたらされた大罪になることも、僕たちは知っています。
それを避けるにはどうすればいいか。
僕は、誠実さだと思っています。僕は、そこで倒れている少年を見捨てられない。その一念で、あなた方が人間とどのような関係にあるかという問題はあまり重要なことには思われなくなるのです。そうでしょう? 彼も「生きている」のです。あなた方が20年前に苦肉の策として一族の希望を託した人為的な存在であることは否めませんが、それをおいても、彼は一人の命あるものです。
彼の覚醒は、おそらくこの世界の均衡を支えるものに影響したことでしょう。この世界はそういうことに敏感なようですから。そして、それに僕たちもかかわりを持ってしまったんです。なぜなら、彼に予期せぬ覚醒をもたらしたのが僕たちだからです。これは最後まで責任をとるべき問題だと、僕は思います。たとえ、人間と敵対することがあったとしてもです》
龍児の長舌に、リナがついていけなくなったように、大牙もくしゃくしゃと銀髪のつんつん頭を掻きまわし、言った。
《つまり、この狼野郎をどうにか無事になんとかしようってんだろ? 方法とかはぜーんぜんわかんねえけどっ!》
《わかってくれる人はきっといると思うのよ。ほら、カーマインの王子さまや〈銀狐〉さんとか。海にはマーフォークの人たちがいるし! 魔道帝国だって、今は常識的な国になろうとしていて、たくさん知り合いがいるんだもの。そうよ、大丈夫、きっとなんとかなるわ。そして人間にも話がわかる人がいるって、あんたたちもわかるわ》
ぱっと顔を輝かせてその場にひまわりのような開放的な空気を拡散した朱音に、魔性の二人は顔を見合わせた。
《我々と対等に話すこと自体驚くべきことだが、私は決して好機を逃すような愚か者ではないと自負している。それが人間の手を借りることになってもだ。ユリア、ここは妙なプライドは捨て、彼らの人脈を頼り、我が一族の、いや、愛する我が子の無事を図ろうではないか》
人狼の女王は渋い顔をしていたが、若い銀色の人狼を撫でさすりながら頷いた。
《そうね、私たちは決して多くはない…それに比べて人間たちの数の多さときたら…! この子を生かすためなら、あたくしはなんでもします。母親ですから!》
場所はファンロンのヴァーチャルームにホログラムで再現されたグレイウォールの衛士隊長の屋敷の一室、そこで人狼と吸血鬼が同席し、無垢な田舎娘が懇願に目を潤ませて祈るように手を組み合わせている光景は、てんでばらばらでありながら、ひとつのことに集中していた。
平和をもたらすにはまず、ひとを愛し、与えよ。
そしてここにはレイジュウジャーたちがいた。彼らは正義の戦士。その行いには一点の曇りもないのである。




