『土轟竜』
《さっき言ってた『世界樹の破片』って、なんのこと? 重要なものなの?》
亡者の身体が氷漬けにされている河面を用心ぶかく歩きながら、朱音がウィラーディヌスに尋ねた。
辺りは変わり映えのしない冥暗の景色である。博士は絶えず膨大な知識と好奇心で頭の中を回転させていたので、朱音は恰好の聞き手となった。
博士は白くて長い髭を撫でながら話した。
《わしが長年の地底回廊探索で見つけた遺物の一つだ。とは言え、ノルディスがいなければ、わしは全く見つけられなかっただろうがね。ノルディス、見せておあげ》
博士の助手は素直に荷物の袋の中から、みすぼらしい朽ちかけた木っ端を取り出して見せた。
《あら、なにそれ。薪にもならないような木の欠片じゃない》
朱音ががっかりしたように言うと、博士は別段気を悪くした様子もなく、
《そうなんじゃ。わしにもそうとしか見えんのだがね。だが、ノルディスがある回廊の袋小路の瓦礫の中に何かあると教えてくれてなあ。こやつは決して嘘は言わんし、わしをかつぐようなこともせんことはよぉくわかっとる。それで、瓦礫を掘り起こしてみたら、これがあったわけなのだ》
いつの間にか、ベアルもそばに来ていて、ノルディスの手の中の虫食いだらけのような木片を見て言った。
《『世界樹』については、我らの種族でも研究の対象に挙がっていた。というのも、この世界が幾多の星々と比べても特異な構造をしていることを解明していたからだ。冥府や奈落、地底回廊や大地の空洞など、現実・非現実世界を含めると、普通に命あるものが繁栄するには多すぎる多重構造をしているのだ。我々が栄えていた時代の人々、エルフや他のあらゆる種族にも、このような多重世界を形作ることは不可能だった。もちろん、我々が作ったわけでもない。となると、我々以前のなにものかが、このような世界構造を創造したのではないかという仮説が生じる。それを支えたのが『世界樹』として呼ばれる世界軸ではなかったのかと考えるわけだ》
すると、意外にも50頭の巨人があっさりとこの世界創造の謎の解答をくれた。
《『世界樹』はわしらがまだこのような昏い世界に暮らしていなかった時代、全ての世界を支えていた聖なるトネリコの大木だ。しかし、繁栄を極めていた地上に住むわしらの同胞が天界に住む者たちをねたみ、自らも天上に住もうという欲望のために大戦争を仕掛けた。この戦いは熾烈を極め、10年にも及んだ。わしら兄弟と、単眼の巨人の三兄弟が今存していられるのは、他の者たちより少しだけ頭の巡りがよかったからかもしれぬな。あるいは鈍かったからかもしれぬ。それに、この豊かな世界が破壊されるのを見かねたのかもしれない。叛逆した同胞たちは、後先考えずに地底の闇の魔物を呼び出して天上を覆そうともした。それを、わしら兄弟が叩き潰した。単眼の兄弟たちは天上のものたちに優れた武具を作り、勝利に貢献した。だが、その時に『世界樹』は叛逆した同胞たちにより、打ち倒されてしまったのだ。天に住めないのなら、天地、そして地底をつなぎ支える軸もいらぬ、とばかりにだ。そうして『世界樹』は9つの破片となって世界中に離散してしまった。だから現在、天地は切り離され、地上と地底も大きな隔たりができてしまった》
この説明に、博士と龍児の顔が好奇心で上気したのは言うまでもない。
話半ばで朱音がついていけないとばかりに匙を投げた代わりに、龍児が会話に参加した。
《『世界樹』の伝承は、僕たちの故郷にもあります。トネリコの木霊はメリアスといって、原初の神々が生み出した精霊のひとつです。別の神話によれば、あらゆる魔法をつかさどる聖木で、天界や地底をつなぐものといわれています。それが破壊されたとしても、その破片には神代の純粋な魔力、あるいは神通力のようなものが秘められていると想定するのは見当外れではないと思います》
《その通りだ、人間の若者よ》
と巨人は少しの懸念を込めて同意した。
《『世界樹』は聖木であるがゆえに、危険なものにもなりうる。しっかりと大地の中心に根を張っておれば揺るがない神木であるが、これは破壊された。そして今はその破片のみが存するのみ。破片になったとはいえ、もとは世界を支えていた霊木。膨大な魔力を宿しておる。人間やエルフが使う魔力などとは桁外れな魔力だ。あのロアとか申すものがあれだけの力を得たのも、『世界樹の破片』を所持していたからだろう。『破片』は根というよりどころをなくしたがゆえに、それを持つ者の意識に左右されてしまう。そこの小さなドワーフならば『破片』の力は穢されぬが、狡猾なシャッテンのもとにあることは、とても気がかりだ。もし他の『破片』も見つけたとしたらば、より深刻なことになる》
朱音が肩をすくめて投げやりに言った。
《魔法ってなんか面倒なものね》
《魔法に限らず、どんな「力」も使いようだよ、君》
博士が賢者のように聡い物言いで言った。
《それを扱うもののコントロール次第で、全てが好転もするし、悪化もする。鍛冶屋の火加減や鉱石堀りのつるはしの振るい方、金の流れを見極める目、なんでも同じじゃ》
《要するに、それを持つもんの心がけひとつということなんじゃなあ。わしらも気をつけんと》
玄人が神妙に言うと、ベアルがやや自嘲気味に言った。
《そういう性質を持ち合わせなかった我々の種族というものに、私は今になって恥ずかしさを感じている。もしかすると、この星を見舞った災厄は、私たちが招いた報いなのかもしれないな。私たちは力を行使しすぎた。そのことで多くの別の命を巻き添えにすることになったとすれば、本当に我々は罪深い》
《ところで、その『世界樹の破片』ですが、9つに分かれたうちの、いくつが発見されているんですか?》
龍児が尋ねると、博士は考え込むときの癖なのか、顎髭を引っ張るように撫でながら応えた。
《それがのう…わしらは地上に出たことがないので、はっきりしたことはわからんのだ。地底回廊でノルディスが見つけたものと、ロアが持っていたもの、それから、ひょっとするとロアの心臓をかっさらっていったずる賢いシャッテンは別の『破片』を持っているか、ある場所を推定しているかしているかもしれない。わしにはそれ以上のことは言えん》
すると、どしんどしんと地響きを立てて歩いていた50頭の巨人が言葉を挟んだ。
《『世界樹』は、9つの世界を支える聖木だ。だからそれが9つに飛び散ったとすると、それぞれの領域、つまり、『奈落』『幽冥』『地底回廊』『空洞地底』『地表』『夢幻世界』『妖精世界』『天界』『星河界』のいずこかに飛び去り、時の流れの中にうずもれ、忘れられていると考えられる。ちなみに、我らが主タロース様とエレボイア様は持っておられる。もちろん、厳重に隠されておるがな。人間よ、もしや、他の『破片』を見つけ出そうと思ってはおるまいな》
龍児はあっさりと応えた。
《僕たちは魔力のこもったものを探しているんです。僕たちの力の源は、ここの世界の魔力と似ているんです。それを集めて、故郷への道筋を探る力を得たいのです。かつて世界を支えていたという聖木の破片だとすれば、僕たちの知りたいことを示してくれる可能性さえあります。『世界樹』はすべてをつなぎ、ひとつにしていたんですから、この世界の在り方に通じていてもおかしくありません》
博士が何か言いかけようとした時、先導していた線香花火のような灯りがくるくると回り、ひゅーっと下り坂になっていた河面を滑るように速度を上げたので、一行は小走りに凍った河面を進むことになった。
巨人が言った。
《我らが住処、そして偉大なる巨神の生き残りであり、大地の盾として自らを犠牲にして戦った勇敢な我が一族の誇り、土轟竜様のおわす『奈落』の最下層ジュデッカはすぐそこだ》
彼らの眼前には、より暗い空間と、河が河口に近づくように河幅を広げていくのが見えた。その河面にはまるで河霧のようなもやが立ち上っていた。いよいよこの昏い世界の最奥の中心に到着するときがきたのである。
*****
そこは、冥府の終点らしく、非常に広々としていた。
目を凝らすと、まるで地底洞窟のようにあちこちに天井からぶら下がる鍾乳石や、地面から延びる石筍が確認された。
足元の河面は、いつしか湖面のように先が見えないほどに四方に広がっていて、やはりそこにも亡者が氷漬けにされていた。
《ここは『奈落』の最下層第四の円ジュデッカ。最も罪深い、主を裏切ったものが罪をあがなう場所であり、大地の中心点でもある》
いつの間にか元の姿に戻っていたタロースが、一行のはるか頭上から言った。
《一時的にではあるが、悪辣な魔道士の脅威は取り除かれたわけだが、あれがまたいつなんどき悪意に染まるかわからぬ。そのことも含め、我らが土轟竜様に伺いをたてようぞ。コットラ、ここまでよく生者たちを案内してくれた。お前は再び兄弟とともにこのジュデッカの守りに戻れ》
『奈落』そのものからの命令にコットラは恭しく無数の頭を下げると、巨人とは思えない礼儀正しさで暗闇の中に吸い込まれるように退がっていった。
この場所を統べ、冥府の最奥の主人は、堂々とした様子で歩を進め、広い湖面の端の方へと向かった。
《何か見えるわ。ぼんやりだけど。周りがこんなだから、すごくきれいに見えるわ。あそこだけあったかい感じがする》
朱音の言うとおり、進行方向にぼんぼりの明かりのようなものが見えた。しかし、それは一向に近づいてこず、ここが相当に広い空間であることを体感させられた。
と、どこからか、金属を鋳造するときのような音が聞こえ、ディミトリが言った。
《こんな場所で鍛冶仕事をするやつなんざ、いるのかねえ?》
《おおっ、そりゃあいるとも、ディミトリ! まさかにまさかに、これはわしらドワーフのご先祖様なのではないのかな?》
ウィラーディヌスが興奮した様子で問うと、タロースは小さな老ドワーフの喜びように漆黒の顔をわずかに緩ませて応えた。
《先ほどのコットラを長兄とする50頭100手の巨人たちと、単眼の三巨人たちは、はるか昔の大戦争の際に原初の存在たちの側についたことで、こうして今もなお健在している。ここに来るまでに土に還った者たちを見ただろうが、あの者たちも叛逆した巨人たちの考えについていけなかったことが幸いして、場所こそ地上の光溢れる実り豊かな土地ではなくなったが、存在を消滅させることを免れたのだ》
ここでタロースは言葉を切り、次第に金属を打つ音が大きくなり、ごうごうと勢いよく炎を燃え立たせている巨大な炉が見えてきたところで、そこで作業をしている三体の巨人たちに声をかけた。
《アルゲン、テロペス、ブローン、変わりはないか?》
先ほどの50頭の巨人よりはまだ奇怪な外見ではなかったが、自分たちで作ったに違いないトゲがやたらとついた肩当や脛当などを身に着けた巨人たちが間延びした動きでこちらを振り返ると、その顔にぎょろりとした目が一つしかないことの違和感に、龍児とウィラード博士以外はなにがしかの脅威を感じた。
《さっきまで100手の兄弟がぴりぴりとしておったが…》
どれが誰なのかわからなかったが、この単眼の巨人たちがあまり鋭敏な感性の持ち主ではないらしいことは、その話し方で想像がついた。今の一文節を言うだけで、朱音や大牙がイライラとするほどの時間がかかったのである。
別の巨人が言った。
《万一ここを害成すものが現れたら…》
《わしらの作った武器で応戦しておったでなあ、安心なされよ、闇の王よ》
と三人目の巨人がニタリ、と笑って手近な得物を手に取って見せた。それは長大な槍で、矛先は暗闇も切り裂くほどに清冽にぴかぴかとしていた。
《なんか間抜けっぽいけど、あの武器は凄そうね》
ひそひそと朱音が言うと、闇を統べる王が朱音の率直さを面白く思ったように言った。
《彼らの造る武器は、かつての大戦争で叛逆した巨人たちを打ち倒すのに役に立ったこの世に二つとない優れた武器だ。確かに少々のんびりしていはいるが、いざ戦いの場となれば、自らが造った武器で武神のように戦うだろう》
《そんな大戦争はもう金輪際願い下げだね。わしらは平和に生きたい》
とディミトリが言うと、タロースは頷き、
《戦争は罪なき者の命が理不尽に奪われる。それは自然の天秤の均衡を崩すもとになる。何者かに殺された罪なき者の魂はなかなかに浄化されぬ。従って、妄執や悔恨を抱き続け、ヴェイドに縛り付けられてしまう。それに、常に正しいものが勝利するとも限らない。もちろん、破壊の上に生じる再生も見逃せないが、その再生にどれだけの長き時が必要かとなれば、やはり戦は起こらぬほうがよい。さて、到着だ。これが地底の中心を支えるものだ。しかし、深き眠りは1000年余りも続いている。そのことひとつをとってみても、争いがもたらす傷跡の深さを証明している》
彼らは、タロースの頭上よりはるか上まで続く琥珀色の壁のようなものの前に立っていた。そしてその中にまるで猫が身体を丸めて眠っているような姿をした巨大な生物が透けて見えた。
頭の先は折りたたまれた太い前脚の中に突っ込まれていてよく見えなかったが、頭頂から背中、尾に至るまで、イボのような突起が生え、翼があるべき場所には甲虫の鞘翅のようにつるつるとしたものがあった。おそらくその下にもう一対のより繊細な翼が畳み込まれているのだろう。
《これじゃあ、ドラゴンに何か頼むって言っても、だめそうじゃねえか》
と大牙ががっかりしたように言うと、龍児が思いついたように尋ねた。
《この土のドラゴンが完全ではないにせよ、意識を取り戻すことができれば、この世界はどうなりますか?》
冥府の王は怪訝な眼差しを龍児に下ろし、
《もちろん、今まで以上に世界の均衡は保たれ、冥府の存在も安定するだろう。この度のような悪しきものの企みを暴けずにいるようなこともなくなるだろう》
龍児はこれを聞き、決意の頷きを返すと、バックパックから一枚の極彩色の羽根を取り出した。これを見たノルディスが声なき驚嘆の声をあげ、目を覆って博士の後ろに隠れてしまった。タロースもそれを見、驚きを隠さず言った。
《なんと、それは水竜の? ついぞ気配を感じなくなっておったゆえ、とっくに滅んでいたと思っていたが…》
龍児はクジャクの尾羽のように鮮やかな羽根を握り、応えた。
《水竜ブラウは生きています。1000年前の戦いに参加しなかったのは、すでに彼女の身体が大地と同化してしまっていたからです。彼女が動けば、その上で生きるものたちが水没していました。ですから彼女は傍観するしかなかった。決してしり込みをしたわけではなかったのです。その水竜と出会った時、彼女はこの羽根をくれました。何かの役に立つと》
すると、博士が助手の様子を気遣いながら言った。
《それには相当の魔力がこめられている。お前たちはそういうものを集めるために旅をしているんだろうが? それなのに、そんな大切なものをここで使う気か?》
龍児の決断は、すでに仲間たちには伝わっていた。深手を負ったものを治せるかもしれないものを持っていながら、助けないでいることは絶対にできない性分の四人だったからだ。それをすることによって、自分たちのゴールが遠くなってもである。
《確かにこれは僕たちにとって有益な何かをもたらすでしょうが、この世界にとってドラゴンの存在の重要性はわかってきているつもりです。たとえ今がすでにドラゴンの時代ではなくなったとしても、やはり彼らはこの世界の成り立ちを支える太い柱のひとつだと思うのです。それを助けるのは全く当然のことです》
《なんという博愛! 人間の堕落した魂ばかりを見てきたわしとしては、これほどに無欲で他愛な精神を持つ人間がいようとは驚きである》
タロースの称賛の言葉に、龍児はやや伏し目がちになり、
《そんなふうに祭り上げないでください。僕たちもここへ飛ばされた時、自分の中に渦巻く妄念にかられて冥府の圏に閉じ込められたのですから》
そして静かに琥珀色の壁に近寄り、手にしていた羽根をそっと掲げた。
それは一瞬のことだった。
極彩色の羽根は、琥珀色の壁に触れるがいなや、すうっと消えてなくなったのである。
誰もが次に何が起きるかかたずをのんで見守った。これはタロース自身も同じだった。元は神々しい鎧を着こみ、その勇猛さを示すかのような蛇尾を持った巨神の一人が、大地を守るために身を挺した結果、現在のような姿に変幻し、いまだ傷が癒えていない勇者の目覚めを待った。
それは本当にわずかの変化だった。
琥珀色の壁の向こうで、重たげな瞼の片方がゆっくりと持ち上がったのである。
《土轟竜…!》
慨嘆したタロースの言葉が呼び水となったか、琥珀色の向こう側で丸くなるものの紅い瞳が半眼ながらはっきりと見え、焦点を合わすように細長い瞳孔が広がったり狭まったりした。
《……久方ぶりに眷属の息吹を感じたぞな……わしゃあ、どんくらい眠っておったんかのう…?》
《この人間たちがそなたを目覚めさせたのだ。傷の方はいかに?》
タロースが尋ねると、土のドラゴンは再び閉じかかっていた瞼を引き上げ、応えた。
《いかんせん、両後肢を巨神どもに叩き壊されたでなあ……人間たちとの戦で破れた翼もそのままじゃ……こうして大地の中心の重し役でいることくらいしかできんわいのう……こんな這う這うの体のわしに、一体どんな用向きがあって参ったのかわからんのう? わしゃあ、落ちぶれじゃよ。この琥珀の漿液の中からは出られん。そもそも、すでにわしらの時代ではなくなっておるのではないのかな? 巨神の時代も、ドラゴンの時代も通り過ぎて、そなたら人間の時代なのではないのかのう? 人間たちの命から生じるパワーはあまりに小さい。わしがいまだ傷を癒せぬのも、世界の現実と夢幻の比重に変化が生じたからじゃ。わしはせいぜいこうして大地の支えとなっておるだけが精いっぱいだし、それ以上のなにかを期待されているとも思わん》
すると、どんな相手であろうと自らの姿勢を変えたことがないのだろう、ウィラーディヌスが大きくため息をついて言った。
《情けないのう? わしが思っていたドラゴンとはもっと威厳に満ち、生物だけでなく、精神世界にも影響を及ぼす勇壮で幻想的なものであったが、ここにおるのはただの敗残者じゃ》
タロースがこの侮辱の言葉に吃とした視線を向けたが、ドラゴンは重たい瞼をゆっくりと瞬きさせ、地鳴りのような音をたてた。おそらくそれはドラゴンの苦笑だったのだろう。
《……奈落の王よ、確かにそこなドワーフの言う通りじゃ。わしがここで何を成したか? 否、何も、だ》
そして自分を目覚めさせた龍児に紅い視線を向け、嘆息の鼻息を吐いて続けた。
《しかし、そこな若者が持っていたものは確かに水竜ブラウのもの。ということは、他にも存命している眷属がおるとな?》
龍児は応えた。
《火竜フランメ、水竜ブラウ、そして樹木竜グリューネ……はい、彼女たちは陰ながらこの世界の屋台骨のようにそっと存在し続けています。彼女たちを崇拝するものたちに守られて……あなたもこの地底で多くの存在に守られ、大地を支えてきました。決してあなたは怠惰に眠っていたわけではないと、僕たちは確信しています》
土竜テルースはわずかに紅い視線を強くさせ、龍児をじっと見つめた。
《ふぅむ? そなたには奇妙に同調を感ずる…全く瑞々しい清流を思わせる波動を感ずるぞよ。この世界の成り立ちとは異なるが、相似した何かがそなた、いや、そこな人間たちからは感ずるぞよ。一体そなたらはどこから参ったのじゃ?》
何度尋ねられたかわからない問いに、龍児がすらすらと応えた。後になっていつも「よくもまああんなふうにまことしやかに嘘八百を並べ立てられるものだ」と言われるのであるが、彼は決して嘘をついているつもりは毛頭なかった。あくまで彼の言葉は、彼自身の知識と現実に体験し、見聞したことを総合した結果であると確信していた。
《ここにやってきたのは、ドワーフの国で起きた災厄のもとを追うためでもあり、同時にあなたという存在が実在することを確かめるためです。その道々で、この地底世界の仕組みや、『太古の民』以前により人智を超えた先史があることを知るにあたり、『世界樹』がこの世界の軸としてあったことを教えられました。残念ながらそれが今は打ち倒され、9つの破片になり、散逸してしまったと聞きました。つまり『世界樹』が支えていた世界が9つあったということになります。
僕たちはどこからこの世界に飛ばされたわかりません。しかし、この世界に9つの、世界樹によって支えられた世界があったとすれば、それのどれかから、何らかのアクシデントにより、この世界にやってきてしまったという仮説も成り立つのです。ですから、僕たちはあなたに尋ねたい、あなたは大地の中心、全てを中心に向かせる重力の中央にいます。そここそが『世界樹』の根の大本ではないかと。『世界樹』は失われましたが、あなたがそこにいることで、完全な世界の崩壊を食い止めているのではないですか? あなたが身動きできないのは、『世界樹』の根があなたの身体をからめとっているからではないですか?》
ドラゴンはいまや両眼を開き、小山ほどもある高みから見ると豆粒のような龍児を見下ろして感心したように言った。
《人間にしては頭の回る若者だのう? 確かに、そなたの言うとおり、わしは『世界樹』の根をこの身に残しておる。9つに飛び散りはしたが、根だけはここに残ったのじゃ。でなければ、この世界の軸はもろくも消失し、再び『混沌』が再生を促すまで、完全なる無になっていただろう。巨神たちの強欲により引き起こされた争いで、世界を滅ぼすのは、小さくとも美しく命を生きるものたちにとって全くの暴挙であるからの。ゆえにわしは軸の起点だけはなんとか残すよう最善を尽くしたわけじゃ》
《では、あなたを中心に、世界樹はいまだ9つの世界を支えているのですね?》
《そうとも言えるが、『世界樹』の幹はすでになく、ただ、根とわしの竜力により、木の洞のような空間がこの世界の両極に通じているだけじゃ》
テルースはここでわずかに身じろぎをして、龍児の言わんとすることを察したかのように続けた。
《わしに他の眷属たちの健在を知らせてくれたことには感謝するが、残念ながらそなたが考えていることは不可能だと応えるしかない》
この会話についてこれたのは、もちろんこの暗闇の王であり、先史時代の文字通り世界を揺るがす大戦争の当事者であるタロースと、ウィラーディヌスだけだった。
《『世界樹』の支えるいずれかの世界に飛び込もうとするつもりかね? しかし、わしが思うに…》
博士は無茶だと言いたげに途中で言葉を飲み込み、その続きを引き取るようにタロースが言った。
《土轟竜はその場所から動くことはできんし、動いてはならぬのだ。ドラゴンを包む琥珀の漿液は、『世界樹』の最も大きな破片である根を守り、固定するためにドラゴンの体液から生じたものだ。それに、いくら世界軸が保たれているとはいえ、かつてのような確実さで各世界を巡ることは勧められない。『世界樹』のあった時代から数えれば気が遠くなるような時間が流れた。時間の経過による物事の盛衰は容赦がない。はたして、今も9つすべての世界が残存しているかもわからず、重力の両極がどうなっているかもわからない。第一、両極は『星河界』につながり、星々が輝く暗闇の世界だ。人の脚では到底たどり着くことはできぬ》
ここで、ようやく玄人が龍児の考えに気づき、ファンロンにも回線を開いて言った。
『そうか、『世界樹』っつうのは地上にあるワームホールのようなもんなんじゃな? リュウ、お前、世界軸の跡をたどって宇宙に出られると思ったんじゃな?』
『ああ、そうだよ。亜空間はどこにでも発生するものだし、ここが重力の中心で、それが非常に巨大なものであれば、恒常的なワームホールを発生させることは可能だからさ』
ようやく朱音が首をかしげながらも話に参加してきた。
『でもよ、あたしたちだけがここからワームホールに飛び込んだって、ファンロンはどうするのよ? それに、いきなり宇宙に放り出されるのはちょっと不用心すぎるわ』
すると、キリルの穏やかながらはっきりとした言葉が聞こえてきた。
『その『世界樹』というものが恒常的なワームホールだったとして、その幹、つまりワームホールを補強するエキゾチックマターが失われた現状で、そこに突入するのは不確定要素が多すぎる。もちろん、そこにファンロンを向かわせることもできないしね。ヴィッキーのスキャンによれば、そこに展開しているワームホールのバーテロン粒子は極めて希薄で、たとえファンロンがそこへ突入できたとしても、ワームホール事故が起きる可能性が非常に高いそうだ』
『そうですか…突破口を見つけたと思ったんですが…』
彼にしては感情的に肩を落とした龍児は、眼鏡の位置を直しながら、琥珀の中のドラゴンを見上げ、言った。
《わかりました。あなたは大地の中心、それを僕たちごときが侵すことは論外でした。出過ぎたことを言ったこと、お詫びします》
すると、じっと黙って話を聞いていたディミトリが、これまた物怖じしない様子で言った。
《難しい話はよくわからんが、この暗闇の世界を守ったのがこいつらだったのは分かってるだろ? ちょっとはそれに報いるようなことをしてやってもいいんじゃないか? こいつらがいなかったら、ひょっとして、地上に亡者どもがうようよと溢れ出してどうにもならなくなってたかもしれねえんだぜ》
タロースは漆黒の顔を頷かせると、
《確かにその通りだ。冥府をつかさどるものとして、そのようなことになることはあってはならぬのに、その危うきを見た。なんでも望みの物をもうしてみよ。わしが進呈しよう》
鷹揚な口ぶりで言ったタロースに対し、第一声を返したのは、土のドラゴン、テルース自身だった。
《その者たちの最も欲するものを与えられない代わりに、わしができることと言えば、この身体を包む琥珀の漿液と『世界樹の根』の一筋であろう。この漿液はわしを長年にわたり守り、少しずつではあるが回復を促してくれている。そして世界をつなぐ聖木の根の一部…その威力はすでに見知っているようだから詳しく述べる必要はあるまい。どうじゃ、受け取ってくれるかのう?》
ぽわん、としたほの明るい輝きが彼らの頭上から降りてきて、それは龍児の手の中におさまった。輝きが消えると、そこには不格好な形をした琥珀の塊と、漢方薬か何かと思えるような干からびた根があった。
そこへ、どしんどしん、と大きな足音をさせて単眼の巨人の一人が近づいてきた。
タロースが怪訝に尋ねた。
《どうした、アルゲン?》
単眼の巨人は手にしていたものをそっと地面に置き、のんびりと応えた。
《わしらにゃあこうして金属から武具を作り出すことしかできん、だから、これも礼のひとつにしてもろたらと思ってなあ。この場所が乱されるのは、ほんに迷惑なことじゃからのう…余計者をおっぱらってくれて、ありがたいのはわしらもおんなじじゃ》
無造作に置かれたそれらは、暗闇の中でもきらきらと、それでいてまろやかに輝く鎧兜だった。
ディミトリがあっけにとられたようにつぶやいた。
《…琥珀金製の甲冑とは! 今時琥珀金が掘り出せる鉱脈など、どこに潜ったってありゃしない》
きらびやかな防具を見やり、大牙が言った。
《すっげーかっけーけど、俺たちにはいらねえしろもんだな。オッサン、これ持って帰れば、名誉挽回できるんじゃねえの?》
《おおっ、そのとおりじゃ、ディミトリ。琥珀金は『聖銀時代』や『黄金時代』でさえも凌ぐ貴重で神聖な金属であると伝わっておる。そしてここは原初の存在が支配する場所。そんな場所にまで踏み入ったドワーフなんぞ、今までに誰一人おらんわい。アンティキス家の不名誉はこれですっかり取り払えるだろう》
博士が自らのごとく喜色満面で言うと、ディミトリはどこか複雑な表情になったが、タロースが彼らをセラドンに近い地底回廊まで転移させてくれるというので、ディミトリの表情のわけは後回しになった。
《勇敢で心正しきものたちよ、信ずればいつか必ず望みはかなう。わしも及ばずながらそなたらのことを思っていよう。そなたらに希望に輝く道が続くことを…》
テルースのゆったりとした言葉がしりつぼみになり、再び両眼が瞼の下に隠れたのを見ながら、彼らはタロースの太い腕や脛にしがみつき、原初の存在の神力の中に吸い込まれるようにして不可思議極まる冥府を後にしたのである。




