『冥府へのいざない』
ウィラーディヌス・ロンバヌス博士は、ヒストリアンの中でも五指に入る優れた学者であり、尊敬を集めていたが、同時に陰で「変わり者」だと言われ、浮いている存在でもあった。しかし、そんなマイナスイメージも、彼の研究成果や、太古の民の遺産と思しき考古学的発見の解析や解読に関してのずば抜けた才能には勝てず、歴史編纂家の間で確固とした立場を維持していた。
少しここでドワーフの「カースト」にも似た社会構造について補足しておこうと思う。
ドワーフ社会には以下の職業がギルドのような小集団を築き、国家としての骨組みを支えている。つまりそれは、『聖戦士』『職人』『商人』『銀行家』『鉱山技師』『歴史編纂家』の六種である。この枠組みの中でも細分化されているものもある。例えば、『職人』は鍛冶職人や宝石職人、石工などに分かれているし、『商人』も仕入れ専門だったり、貴金属の目利きであったりと様々だ。『銀行家』はやや特殊で、それぞれの職業に専門の金融家がいて、融資や投資の顧問のような立場にある。もちろん、外の世界とも交流を持ち、セラドン自体の財政を回す資金を捻出する能力に長けている。『鉱山技師』は主に鉱脈を探り出すチームと、鉱石を万全の状態で掘り出す技術を持ったチームに大別されている。特にラディウムの採掘はデリケートで優れた技術が必要であり、需要も多いことから、彼らの存在はこの世界にとってはかなりの重要性を持っている。そして、特筆すべきなのは、系統だってこの世界の歴史を探求しようとする集団が確立しているのが、今現在知られている限り、ドワーフ社会だけであるという事実である。『歴史編纂家』が代々収集したり、記したりした書物を収める図書館は、秘密主義のエルフの知識より実際的で、膨大な知識と記録が文字として保存されている、類を見ない学究の塔なのである。また、彼らの中には特殊な能力を持つドワーフたちが共同生活をしていた。『エンチャンター』と呼ばれる彼らは、身体のどこかしらに障害を持って生まれるが、その代わり、ラディウムを自在に細工し、魔力とは別の、地球的に言えば、科学的な元素として扱うことができ、それを物質、たとえば武器や道具に化合させ、魔力を含むアイテムとすることができる才能を持つ。彼らの派生として、ドワーフの医者は、癒し手とまではいかないが、癒しの効果のあるアイテムを用いたり、体内の病巣を見分けたりする道具を使う。なぜ、このような能力を持つようになったかは不明だが、ラディウムとは切っても切れない関係にあるドワーフであるから、長い時の間で一種の進化を遂げたと考える者が大半で、むしろ実際的なドワーフたちにとっては大きな価値を持つ少数派になっていた。
確かにそこは学究の塔と呼ぶにはぴったりの外観をしていた。
六角形か八角形かをした白っぽい石でできた塔は、その中でこつこつと知識の記録と研究が積み上がる様を表すように、上へ上へと高くなり、今にも赤く霞むセラドンの岩の天蓋に到達してしまいそうに見えた。
ウィラード博士は純朴で従順な若いドワーフを伴い、塔の入り口で張り番をしている比較的軽装の衛兵(ちなみに、このような職に就くのは『聖戦士』である)の胡散臭そうな眼差しが彼の連れてきたものたちに向けられるのを知らんぷりをして通り過ぎると、老骨もなんのそのと言った足取りで内側は円形になっている壁際に這うように作られた階段をすたすたと昇りだした。
階層が上がるたびに、いくつもある個室で先ほどの地震で崩れたらしい書物や標本などが散乱する中で、ドワーフたちがせっせと片づけをしているのが見えた。
そんな中から、ウィラード博士の姿を見つけた誰かが大声で呼びかけた。
《なんだ、もう見てきたのか?! この揺れ方じゃ、セラドンの大地がとうとう抜けて災厄の雲が長年の欺瞞と汚辱を喰らうために広がったんじゃないのか?!》
この寓意的な物言いに、ウィラードは学者にしては不躾な嘆息を短く投げ返し、
《まさに『復讐者』の到来だった。羅刹鳥が今に奴の肝臓を突き始めるに違いない。だが問題はそこではない。そのことを確認せねばならん》
と、博士は一行をせかせるように手振りを添えて階段を再び登り始めた。
そしてかなり上階に上がったところの一室に彼らを迎え入れたが、そこは大惨事になっていた。書棚からは見事なまでに書物がなだれ落ち、何かを置いていたらしい棚がいくつも倒れていた。その下には壊れたり欠けたりした、何かよくわからない標本や考古学的な遺物が散乱している。
《片付けもしないで駆け付けたのか。足の踏み場もねえぜ》
ディミトリが呆れたように言うと、ウィラード博士は「変わり者」と呼ばれる所以になってもいる、熱に浮かされたように輝く黒目をきらきらと向学心と強い好奇心で大きく見開き、両手を振り上げて力説した。
《こんなものは暇なときに片付ければすむことだ。だが今起きたことはその場で、時間と言う「老化」現象の少ないうちに目撃し、記憶することの方が重要なのだよ。確かに少々手狭だが、話し合うのに不便はなかろう。ノルディス、すまないが、少し場所を作ってくれ。わしはちと書物を引っ張り出すから》
耳の聞こえない助手は素直に頷き、来客たちがどっしりとした机の前に立てるよう、床面に散らばったものを丁寧に拾い上げ、脇に積み上げた。一方の博士は、大雑把な手つきで大きな巻物が入った入れ物を物色したり、がさごそと落ちている書物を漁るように探し回り、半時間ほどしてようやく、デスクの上に様々な資料が並べられた。
ドワーフの老博士は、デスクの向こう側に陣取り、興奮に見舞われて震える手つきで巻物を広げながら、言った。
《さて、このセラドンの異変時に合わせるように戻ってきたお前と、その連れの者たちについて、まずは聞かせてもらおうかのう? あの陥没は、『復讐者』がしたことではない。彼らに物質的な作用は必要ないのでな。正義を侵した者にだけ降りかかる罰であるからの。しかし、羅刹鳥が現れたとは、見逃せない。奴らも基本的には裏切り者や不義を働いた者を見つけ出し、『復讐者』に報せる、お使い鳥のようなものだ。ゆえに、基本的には誰にでも見える存在ではない。それがあれだけ現れたことは、今、セラドンは精神世界と現実世界の境界に著しい歪みが生じているものと推測する。しかし、我々ドワーフは、精神世界に影響を与えることはできない。と言うことは、いずこかに精神世界に通じた者が介在しているという推測が成り立つ。ノルディスも強い魔力の痕跡を感じたと言っておる。その正体を、お前は知っているのではないのか?》
ここで、控えめに龍児が質問を挟んだ。
《あの、一つお聞きしたいのですが、ドワーフは魔力に関して全く術を持たないと聞いていましたが、なぜ魔力の存在を捉えることができたのですか?》
ウィラーディヌス博士は、聡明そうな人間の青年を見上げ、学力を推し量る教育者のような顔になりながら応えた。
《冒険者にしておくのはもったいないような人間だのう? 冒険者など、武器を振るうだけの能無しだと思っていたがなあ。ふむ、確かに疑問を持つのは当然だ。ノルディスのような存在はセラドンでも貴重だからな。彼は魔力、つまりラディウムの発する波長と酷似した存在を捉える能力に秀でているのだ。その才能のおかげで、彼らのような者は、魔晶石に匹敵する、様々なラディウムの性質を物質に化合融合させ、魔力を秘めた武器やアイテムを造ることできる。わしらは『エンチャンター』と呼んでおるが、人間やエルフの魔道士でも、ドワーフのエンチャントアイテムには及ばん。なにせ、ラディウムから直接波動を流入させているからな、限りと言うものがないのだ。魔道士たちのエンチャント(付加魔法)は術者の魔力が途切れればお終いだ》
龍児は、夢見るような顔つき、と言うよりも、少し間が抜けているような様子でぼんやりと成り行きを見つめている若いドワーフを日本人らしいさりげなさで見やってから、
《なるほど、では、その彼が底が知れないというからには、あの大穴はどこまで続いているのか全く分からないということなんですね?》
ウィラード博士は、ディミトリを見やり、顎髭を撫でながら笑った。
《よほどお前よりも洞察力があるようだのう、そこの若者は。どうせお前は斧を振り回すことしか考えておらんのだろう?》
ディミトリは全く嫌な顔もせず、自分も身体を揺する程大笑いを返すと、
《当たり前だろ、博士。わしは一応アンティキス家のドワーフだぜ。敵の脳天を叩き割るのが仕事だし、そうするために生まれてきたんだからな。ま、今までは別の趣味の中で生きてきたけどな。考える頭を持ってる奴がいるなら、そいつに任すのが一番だ。な、そうだろ、若僧ども?》
まさに脳筋的な発言に、朱音と大牙が強く同意したのは言うまでもなく、玄人は苦笑をした。しかし、実際、架空の幻想世界の知識が元になっているとは言え、龍児の論理的でありながら、自由な空想力を備える思考は、この世界に落ちてからずいぶん役に立った。そして、そういうことを任されることに、彼自身は全くストレスを感じない性質だった。
ウィラード博士は、龍児の思考力を見抜いたように話を続けた。
《あの大穴がどこに通じているかを考える前に、さっきお前が言いかけたことを話してくれないか、ディミトリ》
ディミトリは、つい先ほど瀕死の叔父から告白されたことを伝えると、博士はぎょっとしたように顔色を悪くさせ、同時に危険の中に埋もれている好奇心と知識欲を満たす宝石の存在を見つけたかのように興奮もしながら、ひとまず積み上げられた書物や巻物を散らかし放題にして目的の分厚く、ドワーフの手には余るほど大きい書物を見つけ出し、どん、とデスクの上に置くと、そのことが記録されているページさえ記憶しているかのようにパッと本を開いて言った。
《石の心臓と言ったな? うーーむむむ! そいつは厄介だ、ひどく厄介だ! ここに記録がある。今から600年ほど前の記録だ。1000年前の大戦争のあと、エルフたちは人間たちの住む場所から遠く離れ、ひっそり生きるようになったわけだが、そんな状態に不満を持った連中がいた。主に、地底や洞窟などに住むシャッテンだ。その中の頭目がロアという魔道士でな。シャッテンは、地上エルフとは異なった倫理観を持っているので、命を操り、死者を使役することになんの躊躇いもなかった。このロアという魔道士はずぬけた死霊魔法を使っていた。そして奴は死人や死霊の軍団を率い、地上エルフと人間ともども亡ぼさんとしたのだ。だが、ロアのやり方は残忍で、あまりに冒涜的だったので、エルフとシャッテンが共同戦線を張り、ロアを打ち負かした。だが、ロアはそのことも計算に入れていたらしく、奴の身体には心臓がなかったのだ。つまり、奴は自らに死霊魔法をかけ、心臓をどこかに逃がしておいたのだな。それがどこにあるか、しばらくエルフたちは探したようだが、結局見つけられず、いつしかこのことは忘れられていった……それを、ペトロイオスが見つけ、この世に持ち帰ってしまった……》
《ということはつまり、そのロアというシャッテンの魔道士は、まだ生きているということに?》
と龍児が問うと、ウィラード博士は別のページを繰り、
《そう考えるのが妥当だな、人間の若者よ。ディミトリの話からして、その心臓には多くの命のパワーが吸われたことになる。ヒトの姿は取り戻せなくとも、命のパワーを何か別のものに注ぐことができれば…》
博士はページをトントンと叩いて皆の注意をひいた。視線がそのページに集まる。判読できない文字の他に、甲虫のような姿をした生き物が描かれていた。四つ足は短足で、ゾウの足のように平べったい。尻からは太くそこそこに長い尾が伸び、イボイボとした棘が生えている。頭部は四角く、愚鈍そうに見えたが、イボのような棘が何本も長く角のように伸び、その大きな口からは上下に牙が飛び出していた。
龍児がハッとしたようにドワーフの老博士を見て言った。
《これは…土の竜ですか? まさか、そのロアという魔道士は……》
博士はますます龍児の頭の回転の速さを喜ぶように何度も頷き、
《どうだね、君? わしのもとで研究を手伝ってみないかね? フォッフォッフォッ、冗談だよ、そんなに怖い顔をするでない。ノルディスも言っておる、そなたらは卓越した戦士だと。魔力とは異なる何かが君たちを取り巻いているとな。うむ、わしの予感が当たらなければいいが、あれだけ深い穴があいたということは、ひょっとすると、ロアは土の竜を求めて地底深く潜っていった可能性がある。土の竜は1000年前の戦いで最前線で盾の役目を果たし、深く傷ついたと言われておる。その傷をいやすために地中深く潜り、眠りについていると。ドラゴンのエネルギー源は主に魔力だ。ロアの心臓に貯め込んだ多くの命のパワーは、まさに復活剤として最適となる。ロアは死霊使いだ。生気の抜けたドラゴンをのっとることも不可能ではない。もしも、そんなことが起きれば、セラドンのみならず、地上まで大混乱となるだろう。土の竜の存在は今では伝説のように扱われておるが、わしは実在していると確信している。もし、土竜テルース…人間語で言えばエールデになるのかのう?…が、そのようなことになれば、他に存在していると言われておるドラゴンたちに悪影響を与えるにちがいない》
《俺たち、ドラゴンには会ってきたぜ、爺さん。なんとか山脈には火のドラゴンの婆あだろ、北の海には水のドラゴンのワカメ野郎、そいで、砂漠には小意地の悪い葉っぱ女がいたんだ》
老博士と、おそらく読唇術で会話を理解しているらしい若い助手が激しく驚いたので、大牙はついでに龍児を肘で小突き、付け足した。
《こいつもドラゴンの仲間みたいなもんだけどよ。いっつもドラゴンの婆あどもが色目使ってきて大変なのさ》
すると、ひどく興奮した様子で助手が手振り身振りをした。これを見たウィラーディヌス博士は背後の鉄柵のはまった窓から外を伺い、彼らを振り返った表情には強い危機感が浮かんでいた。
《ロアがあけた大穴はヴェイドにも影響させたらしい! 大量のグラッジスポーンや悪鬼たちが這い上がってきている! 今回のヴェイドホールは今までになく大きい! このままではセラドンがスポーンたちに汚染されてしまう!》
大牙が待ってましたとばかりに胸を張り、
《爺さん、安心してな。俺たちが追っ払ってくるからよ!》
考えることより本能を優先するような少年を見、ウィラード博士は僅かに懸念の色を浮かべたが、確信をもって何度も頷く助手を見、納得したように言った。
《君たちには魔力とは異なった何かが備わっているとノルディスが言っておる。この者は決して嘘は言わん。よし、君たちに期待しよう。あの大穴の探索とロアの追跡はそのあとだ》
《期待されると断然張り切っちゃうわ、あたし。じゃ、ちょっと待っててね! 行くわよ、皆!》
とすでに研究室から駆け出していた朱音を追うように、ディミトリがちょこまかと脚を動かしながら言った。
《わしも行くぜ! 足手まといにはならんから心配すんな!》
《オッサンのそれ(トマホーク)がどれだけのもんか、見てやるよ!》
と言った大牙は、無意識にディミトリと拳と拳をぶつけあい、ニヤッと二人は笑い合った。朱音がそれを見て呆れたように言った。
《脳筋だったのね、おじさんたら》
《へっ、他人のことが言えるかよ、アカネ。人一倍誰かを蹴り飛ばすのが好きなくせに》
朱音は仲間たちが駆け出しているのを確認しながら、「ふん」とそっぽを向き、
《そうよ、大好きよ。それが悪い?》
龍児と玄人が毎度のこととばかりに苦笑を浮かべて走り出し、残された博士と助手はしばらくその場で呆気に取られていたが、ノルディスが唇を動かしたので、ウィラーディヌス博士は複雑なため息をついて言った。
《火に水、樹木と金属、か……あときっとどこかに土がいるはずだと言うのだな、ノルディス? あの若者たちのような存在はこれまでの研究や古文書の類には記されておらん……ドラゴンの属性とも気味が悪いほど合致する……これはすべてが済んでから是非にも彼らから話を聞きたいものだ》
そしてデスクの上の大きな書物に記されている伝説の土のドラゴン、テルースの図を見つめながら呟いた。
《……土の竜…もしそれをこの目で見られたら、わしは卒倒してしまいそうだな…過去の悪人に穢されるわけにしいかん。よし、ノルディス、地底に潜るための準備をしておけ。わしは持てるだけの資料を選別しておく。いくらあの者たちの膂力が強くても、知識がなければ十分にそれは発揮されないだろう。わしらには「力」はないが、「知識」という力をもっておる。それに、お前の才も十分に役立つだろう。お前も見たいだろう? テルースを?》
若い助手は恥ずかしそうに瞳を伏せたが、こくり、と素直に頷いた。ウィラード博士はパタン、と書物を閉じると、セラドンに降りかかる災いなど関係なく、せっせと散乱した書物などを整理し始めたのだった。
*****
通りはごった返していた。大穴の出現のやじ馬たちが一斉に逃げ戻っているのである。その中を逆行するのは一苦労だった。
《アンティキスの名誉を挽回したいのはわかるが、やめておけ、あんなにでかくて大量の闇の魔物どもの相手なんぞ、できるはずがねえ。パラディン共がばたばたやられてるんだぞ》
親切心からなのか、落ちぶれた家名を嘲弄しての言葉なのか、どっちにもとれる言葉にも、ディミトリは動揺することなく、言い返してどんどん街の中心へと向かった。
《わしは名誉を取り戻したいから行くんじゃねえ、この国を救いたいだけだ。お前たちこそさっさと家の鍵をきっちり閉めて震えているんだな》
確かに、やじ馬たちの言葉は正しかった。
大穴の周りにはすでに一般人はほとんどおらず、パラディンたちが次々と穴から湧き出す闇色に蠢くものと戦っていたが、地面に倒れる者も少なくなかった。
《こりゃあ…なんちゅうこった…ここは地底回廊の最奥じゃねえんだぜ…なのに、なんであんなスポーン共がのさばってるんだ…! これじゃあ、パラディンが何個部隊いたって、やってらんねえぜ…!》
ディミトリが呻くように呟くのも当然至極、今や大穴は真っ黒なもので埋め尽くされ、縁からコールタールが溢れ出るように何ものか判別しにくいぬらぬらとしたものが出現しては、武勇を誇っているはずのドワーフの戦士をたやすく打ち倒し、奪った武器でめったやたらに攻撃するか、自らの口で貪り食うか、そんな光景が広がっていたのである。
《とにかく》
と、龍児がカード型インターフェースを取り出しながらきびきびと言った。
《少し数を減らしてから、戦況を見ましょう。これでは何が効果的か判断することもできない》
四人の若者は頷き、揃った動きでインターフェースを手首のソケットに差し込んだ。
「霊獣降臨!」
空まで黒々とした中に、色鮮やかな四色のオーラがなにものにも不可侵な輝きをして現れ、一瞬、闇の魔物たちの蠢きが止まった。青龍が叫んだ。
《ディミトリさん! この魔物はおそらく破邪の効果を持っていないと対抗できないのではないかと思います。ここにいる人たちは単に見張りにきただけの、平常の装備しかしていないのでは? だとすれば、ここに留まるのは自殺行為です。だがあなたは大丈夫そうだ。その武器と防具にはエンチャントがしてありますね? 追いすがる敵を撃退しながら、他のひとたちをひとまず安全な場所まで逃がす突破口を開いてください》
ディミトリは、初めて彼らの戦闘を見られると期待していたのだが、今の提案は全く適切であると納得もしたので、これ以上同胞の命が無残に散ることを望まず、素直に青龍の指示に従った。
《よし、わかった。だがこれだけの数だ、一旦連中を宮殿まで連れ帰ったら、グラッジスポーン用の装備の部隊を向かわせよう。それとだな、若いの、この闇の軍勢の背後には、何者かが指示を出している気がするぜ? まだそいつは小狡く姿を見せていないがな》
と言いながら敵にやりこめられている同胞たちの手助けをしながら後退していくディミトリに、青龍は応えた。
《全く僕も同じ考えです。こういう命なきものが統制だって動くと言うことはほとんどありません。もちろん、血の臭いにひかれて、という理由もあるでしょうが、これは違う気がします。僕たちの追跡を阻むための、時間稼ぎかと…》
と自論に没頭しかけていた青龍の内線に、仲間たちの警告が聞こえた。
『オタクの講義はあとにしてよ、リュウ!』
『全くつきあってらんねえぜ、妄想野郎! 目の前の魔物を叩ききれよ!』
『分析はここがきれいに片付いてからのがええのう』
青龍は今にも自分に向かい、元は人間か何かだったらしいものが、妙にひょろ長い腕を伸ばし、掴みかかろうとしていたのを青龍刀でばっさりと両断すると、マスクの下になって見えない顔をやや恥ずかしげに歪めて応えた。
『ごめん、でも、これだけアンデッドのようなものと対峙するなんて、なかなか経験できないことだからつい…』
『じゃが、時間稼ぎっつうのは当たっとるかもしれんのう』
と玄武が甲鉄盾をぶん回し、黒い浮腫だらけの、元は何だったのかわからない小型の魔物を粉砕しながら言った。その足元に粘液のようなものが広がり、絡めとろうとしてきたので、彼はドンっと大盾を叩きつけ、その衝撃波で粘菌状の魔物は見事に飛び散った。
『確かにそのきったないやつを浴びたら、悪い病気になっちゃいそうね? でも時間稼ぎってどういうこと?』
朱雀はその優れた跳躍力をいかして穴の反対側まで移動し、通りすがりに炎舞扇をひらめかせて霊体なのか生霊なのかわからない魔物を焼き焦がし、蒸発させていた。
『さっき話していたじゃないか。石の心臓の持ち主のこと。この穴を開けたのは、今の戦士の長についている者が犯した罪を追及しにきた『復讐者』の仕業ではないと。僕たちの到来を察し、逃げたんじゃないかな、僕たちならその心臓を破壊できるから』
と青龍は応え、穢れた闇の中で一際清冽な残像を描いて青龍刀を操った。負のエネルギーを貯め込んで膨らんだような大きなスポーンの羽交い絞め攻撃をひらり、と斜め後ろにかわした彼は、すかさず刀を逆手に持ち替え、ぐさり、と魔物の腹に突き入れた。そして抉るように角度を変え、ぐいっと引き抜く。闇色の塵のようなものが刀にまとわりついたが、それは完全な正義の刀を曇らせることなく、水滴が弾かれるようにして流れ落ちた。もちろん、魔物も消滅した。
『でもよ、ほんと、こいつら、キリがないぜ? どうなってんの、これ?』
白虎の白いパワースーツも、これだけの穢れの魔物に取り囲まれても、まるで白狼星のようにはっきりと浮かび上がって見えた。それがグロテスクな魔物たちを次々と打ち倒していたが、足元からは際限なく暗黒がせり上がっているのである。
そこで青龍は踊るようなステップで自分を取り囲む闇色の魔物を斬り捨てながら、ファンロンに通信した。地底とは言え、まだ浅層であるということに賭けたのである。
彼の考えは幸いにも報われた。少々ノイズ交じりだったが、キリルの声が聞こえてきた。
『どうやらまた厄介ごとに遭遇したようだね。いや、君が言わんとしていることはわかっている』
『どういうことですか?』
キリルの背後で何やら喚き声がしているのが聞こえる。そのことを苦笑するような口振りでキリルは言った。
『いやなに、ジルコンが相変わらず嫉妬深くてね。ヴィッキーがそこの大穴の中に魔物たちを操るものがいると感知したのだ。さすがこの世界で作られた「頭脳」というところだろうね。今、君たちの視覚モードにその存在を見分けるためのフィルターをロードしようとしていたところだ』
『それは助かります。きりがなくて、困っていたところでした』
『ではロードする。健闘を』
『了解』
すると、彼らの視覚に黄色っぽいオーラを放つものが紛れ込んでいるのが確認できた。青龍が真っ先に好奇心を隠し切れずに言った。
『これは、きっとワイトだ。黄色いオーラ、間違いない。この黒い魔物が奪った命を吸い上げる、悪霊だよ。元は高貴な人で、その死体に憑りつくんだ。だからこうして指揮官のような真似ができる』
『高貴だろうと、偉い人だろうと、死んじまえばみんな骨になるのさ。関係ねえな。ぶっ殺そう』
と白虎が今にも黒い大穴の真ん中に見とめられる黄色いものに向かっていこうとするのを、朱雀が止めるように言った。
『タイガ、あんたの脚でもそこは無理よ、底なしの穴に落ちたらさすがにあたしたちでも無事じゃいられないわ。ここはあたしにまかせて。ファンロンとの通信が届くなら、きっと大丈夫』
朱雀はおまけのように元はゴブリンか何かだったものを蹴り飛ばすと、炎舞扇を一度ぱちっと閉じ、顔の前で腕を交差させた。そして再び極めつけるようにシャラっと開き、明るい茶色の瞳を凛々しく開くと、大きく胸をひらくように両腕を伸ばし、言った。
「『朱雀・翼星・熾炎扇(オーバードライヴ・チューチュエ・たすきぼし・しえんせん)』!」
彼女の姿がぶわっと燃え上がるように白熱した。それが広げた両腕に集約してまるで炎の翼が六枚、扇が広がるように現れ、彼女はふわっと舞い上がった。
『残念だったわね。正義の味方にとっちゃ、ゾンビとかアンデットとかって、相性良すぎるの!』
いかにも楽しそうに朱雀は六枚のエネルギーウィングをはばたかせ、闇の叢雲の中に隠れているものに向かって滑るように飛んだ。
『狡い~! ボス~、俺にも空飛べる必殺技作ってくれよ~』
白虎がマスクの下でぶんむくれているのがありありとわかる口振りで言いながら、八つ当たりをするようにグラッジスポーンを一殴りで霧散させた。必殺技が使用される時は必ずモニタリングしているキリルが苦笑いもあらわに応えた。
『君の『六連星』も相当にエネルギーを使う技なのだよ? 瞬間移動、つまり君は時間軸を飛び越えているんだ。タイムリープは亜空間移動にも似た大技だよ』
そう言っている間にも、朱雀は黄色いオーラをまとうものに迫っていた。近くで見ると、それは確かに偉そうな装飾品をつけていたが、それはぼろぼろにほつれ、錆び、欠けたりしていた。そしてその王冠らしきものの下にあるのは、ミイラのような虚ろな眼窩の空いた、命なきものだった。
朱雀は、なんて情けなくて、かわいそうなものなんだろうと思った。死んでもなお、こうして生きなくてはならないなんて、と。そして、そんなことをするものを決して許さないと心に誓った。正義のもと、戦う彼女にとって、生とは戦いであり、それの終わりは平安の中にあるべきだと信じていた。もちろん、それはまだ先のことだと信じて疑わなかったが。
『死人は元居た場所に戻るべきね。あたしが送り帰してあげる。そしてあんたをそんな目に遭わせた奴を絶対やっつけてあげるから』
と、朱雀は、眼前のワイトが手にしていた錫杖になにやら力をため始めたのを見、頭から突進するように飛んだ。
炎舞扇が左右に薙ぎ払われ、同時に六枚の炎の翼も刃のように魔物の身体を切り刻み、燃え上がらせた。
朱雀はそのまま対岸の、青龍が戦っていた側に降り立ち、ワイトがまるで松明のように燃えて大穴の中に落下していくのを背中で見送った。そしてその六枚の聖なる炎をまとった翼を消すのと同時に、あれだけいた闇色の魔物たちが団結の鎖が解けたようにあっさりと穴の中に退いて行ったのである。
そこへ、ディミトリがスタミナのあるところを見せ、息も切らさずに戻ってきたわけだが、すっかりその場が収束しているのを見つけ、いかにも残念そうに言った。
《なんだい、もうやっちまったのかい。さすがだと言うべきだが、少しはわしにも出番を残しておいてくれたってよかったのに》
変身を解きながら、朱音がニヤッと笑いながら言った。
《ごめんね、おじさん。でも、早く片付けるのにこしたことないでしょ? それに、あたしたちの目的は魔物退治じゃなくて、ここの探索なんだもの。もたもたしてるつもりはないわ》
《まあ、そのとおりだが…おっ、学者どもがきおったぞ。なんだか御大層なものを運ばせとるなあ》
ディミトリが言う通り、通りの一つから、ウィラーディヌスとノルディス、そして覆いをかけられた大きな何かを乗せた荷車が続いている。
《なんとなんとなんと! 遠眼鏡でわしはみとったわい! 若者たちよ、なんという戦いぶり! それもあの炎熱の聖鳥のごとき姿は?! こんな人間は、わしの長いドワーフ人生の中で初めてのことだ! フォッフォッフォッ、これはこれは楽しい旅になりそうだわい》
《えっ、爺さんも行くつもりかよ?》
大牙が唖然として尋ねると、ウィラード博士はドワーフらしい厚みのある胸を張り、自分の頭をこつこつとやりながら言い返した。
《この穴は地底回廊さえ突き抜けとる可能性がある。そこがどんなところか、お前さんは知っとるのか? そこはな、冥府、罪人の魂が彷徨う呪わしい世界だ。もちろん、ヴェイドとのつながりも深い。いくら腕っぷしが強くても、「知識」がなければその「力」は有効に利用できん。それに、この穴にどうやって降りるか、お前さんたちに方法があるのかな? ほれ、ないだろう? だがわしらはドワーフだ。穴に降りるのは十八番じゃ》
と言って背後を振り返り、荷車に詰まれたものの覆いを外すよう、手振りをした。
そこに現れたのは、ドワーフの発想力と手先の器用さをもってして作られたと言うべき、びっくりするものだった。長いレールのようなものがくるくると巻かれて収納され、それが本体の、枠組みだけのエレベータの箱のようなものに繋がっている。その箱の一辺はそのレールと噛み合うように歯車のようなぎざぎざがあり、これがこの底知れない縦穴の壁に沿ってスムーズに降りるための簡易エレベータになることは容易に想像がついた。
《それは鉱脈用の昇降機じゃないか。それで底まで行けると思ってるのか、博士?》
とディミトリが疑わしげに尋ねると、博士はあっさり首を振った。
《思っとらん、これっぽっちもな。だが、ないよりはましじゃろ? こいつで降りれるところまで降りてから、後のことは考えよう》
ディミトリは呆れたように眉を下げたが、
《ま、途中にちょうどいい横穴があいてるかもしれんし、とにかくこの穴の元凶を取り除くのが先決だ。そいつを設置してる間に、わしたちは長旅の備えを用意してこよう。博士、まだ足腰はしっかりしてるようだし、岩壁降りの道具も持って行くぜ》
《できれば老体にそいつは遠慮したいがのう…》
と言いながらも、ウィラーディヌスは運んできた大掛かりな道具を穴に設置するよう、連れてきた力自慢そうなドワーフたちに指示を飛ばし始めた。
ディミトリが一旦自分の屋敷へと戻り、準備をしようとすると、いつの間にか通りに溢れかえっていたドワーフたちに引き留められ、次々と地底の旅に必要となりそうなものが差し出されたのである。つまり、レイジュウジャーたちの戦い振りを見たドワーフたちが、彼らに感謝と信頼を持った結果だった。
こうして彼らは準備をする手間を省け、鉱山用の昇降機に乗り、ゆっくりと暗黒の穴の底へと降りて行ったのである。そう、冥府へ向かって。




