『運命の女たち』
玄人が、ケイとヌーノと共にアントリアンの巣穴近くに落下し、放置されているはずの亜空間バリアジェネレータをもとの場所に戻すべく向かったのに、あわよくば不要なパーツを回収できないかと考えて同行して行ったまま、まだ戻ってこないので、残った三人はグリアナン新市街の中にあるヴァレンティンの館に滞在させてもらっていた。彼らの活躍がこの大陸を救った功績は特に宣伝することもなく広まり、下にも置かない態度で彼らは歓待された。後で知ることになるのだが、これはイヴリンが早速に作った詩が原因だったのは、想像に難くないだろう。
龍児の体調もぐんぐん快方に向かい、共にエルフの集落から戻っていたアルディドは、こんなことでもなければ滅多に集落から離れない砂漠エルフの族長とその娘、そして彼女にコバンザメのようにくっついてきた婚約者とともに心から安堵した様子で言ったものだ。
《君が元気になって嬉しいよ。それに、君が回復してくれないと困ることが起きる気がするからね》
《君が陥っていた場所は一体どこだったんでしょう? それに、君にはどういう秘められた力があるんですか。ドラゴンの意識に飲まれて、自我を保ち続けることは大変なことです。知っていますか? 雄ドラゴンは雌ドラゴンには絶対に服従するよう、本能づけられているんですよ。少し、蟻人と似たような力関係ですが、雌雄の格差はよりドラゴンの方が顕著なんです。それも、君は第一に人間です。人間の意識の許容量は、魔道士でさえ、ドラゴンのものとは比較になりません》
とルオンが自分の好奇心を満たすような熱弁気味に言うと、レオナが少し痩せてしまったような龍児をじろじろと眺めすがめてから、おもむろに笑って言った。
《ハッハーッ! あたしの推測だと、グリューネはお前に言い寄ったんじゃないかい? 雄ドラゴンは1000年前の戦いで真っ先に人間たちの標的になったからね。有翼種でなかったってのもあるけど、ドラゴンからはぎ取れるものは人間にとっては武器にも鎧にも薬にもなるようだからなあ。つまり、今現存してると考えられるドラゴンは、みんな男旱ってことよ。一発かましてきてもよかったんじゃないかい? もしかしたら何か奇跡のようなことが起きたかもしれないよ》
他人に降りかかる災難を無責任に楽しんでいるレオナに噛みつくように詰め寄ったのは、当の龍児ではなく、朱音だった。
彼女は顔を真っ赤にして言った。
《ちょっと! リュウはあたしたちの仲間よ! あんな自分勝手なやつにあげるもんか! なによ、ドラゴンなんて、ただのでかいトカゲじゃない!》
毎度のことながら、済んでしまったことはすぐに忘れてしまうのか、それとも別の意識のチャンネルに切り替わってしまうのか、大牙はべとべとに溶けた『スニッパーズ』を、レンと共に果敢にトライしていたが、他のエルフたちとほぼ同時に何かに気付いたように客間の扉に視線を向けた。
ばたん、と扉が開かれ、赤毛のレスリーとツーブロックのイーサンが我先にと飛び込んでくると、一層きらびやかな衣装をひらひらとさせて朱音のもとへ駆け寄り、それぞれ、豪華な宝石を嵌め込んだサークレットを差し出して言った。
《どうか俺の妻になってくれ! もちろん、第一夫人としてだ! そして共にグリアナンを砂の毒にも負けない強い子供を産んでほしい!》
《イーサン、お前は引っ込んでろ! 俺はお前の戦士としての卓越した技に惚れた! 女は子孫を残すためのものと思っていたが、その考えはお前の出現で覆された。強い女には強い男が釣り合う。俺こそ、まさに第一候補だ!》
アルディドが「そらみろ」と言いたげに、それでいて面白がっているようにちらっと龍児を伺い見ている。レオナの父親は、この騒々しい求婚劇に呆気にとられているようだったが、レオナは自分とは正反対の気質の婚約者を見やり、からかうように言った。
《強い女には確かに強い男が似合うだろうね。あたしも婚約を破棄した方がいいのかもな?》
感じやすいルオンは、レスリーとイーサンの血気はやった一幕にびくびくとしながら小声で言った。
《そ、そんな、レオナ、本気じゃないよね?》
《さあてね? 外の世界と関わってみて、自分の視野が狭かったことに気付かされたようだよ、ルオン。エルフにも新しい血が必要なのかもしれないね》
そこへ、さらにやってきた者たちがいた。
金髪を結い上げたローレンツと天使のようにカールした髪をしたエステルである。
《あらぁ、先客がいたのね。それに、黒髪の彼も起きちゃったみたいねぇ? うぅーん、残念。寝てる間に唇を奪っておきたかったのにぃ。で、赤毛のお嬢ちゃんは、もちろん、こんな粗野で脳みそ筋肉なのを選ぶはずがないわよねぇ?》
とローレンツが物欲しげな視線で龍児に軽くウィンクを投げると、エステルがにやにやとして言った。
《ローレンツに会っちゃ、女だろうと男だろうとごたまぜだからね。彼のハーレムを見たら、びっくりすること間違いなしだよ。僕のところが一番まともさ。僕も至って普通の男だし。君に何不自由なく暮らしてもらうための財宝は持っているつもりだよ。その一部を馬車回しに持ってきているよ。見てみるかい?》
この光景を、口の周りをチョコでべとべとにしていたレンが呆気にとられたように眺めながら、大牙に小声で言った。
《…これって、師匠に結婚申し込んでるんスか?》
大牙は全く興味なさそうに肩をすくめた。
《はあ? アカネが結婚? 一番あり得ねえな》
《でも、この人たち、お金持ちだし、顔もイケてるっスよ? ちょっと変なやつもいるみたいっスけど》
大牙は「へっ」と取り合わないように短く嘆息を返し、包み紙にチョコがくっついてしまっている『スニッパーズ』の何本目かをかじりながら平然と言った。
《アカネが誰かの所有物になるなんてことは絶対にねえよ。あいつは自由の中にあってこそはばたく不死鳥さ。籠の鳥になんかなるはずがねえ》
レンはこれを聞き、ピンときたように大きな瞳を大牙に向けた。わずかながら、この単細胞な銀髪の少年を見直したように言った。
《そうっスね…ボク、なんか感じてたっス…師匠は大空が似合うって》
《そういうことよ。ほっときゃいいさ。全員、アカネにばっさりやられてしおしおと退散するさ。だけど…》
《だけど?》
レンが聞き返すと、大牙はにんまりと笑って言った。
《アカネが奴らを従えるんなら、あり得なくもねえなってな。だけど、俺は願い下げだぜ。こんなひらひらした連中と道連れなんてよ》
二人がこそこそと話している間に、また別の首長がやって来ていた。イーサンの異母弟ルークである。彼は部屋に入ってくるなり、イライラとした様子で言った。
《誰だ、あんなにたくさん馬車を乗り付けたのは?! 僕の馬車が入れなかったぞ?!》
エステルがしらっと言い返した。
《遅れをとった君がいけないのさ。それに、彼女のハートをつかむために精一杯の贈り物の一部を持ってきただけさ。いけないことかい?》
ルークが言い返せないでいると、またも扉が開き、アレンとイヴリンがやってきて、その場の状況を見ると、みるみる破顔し、笑い出した。
《ほらね、イヴリン、彼女の魅力の引力は物凄いんだよ》
《確かにクイーンみたいに私たちを引き寄せてならないね。でも、一方的な求愛じゃ、手に入らない宝石だよ、みんな。いや、彼女は天高く輝く星のように見上げるしかできない存在なんだ。グリアナンにはない活力があり、私たちのこれからを新たにすることは間違いないだろうが、彼女が地に落ちれば、その輝きは消えてしまうだろう。彼女は私たちの将来の道を照らす明星なのさ》
イヴリンの詩的な言葉は、当然、レスリーとイーサンには通じなかった。
二人は口をへの字に曲げ、なんとしても自分の要求を通そうと、不可能であるとわかっていたにも関わらず、挑むように宣言した。
《強い女を手に入れるには俺自身の強さを示さなければならない。どうだ、娘、俺たち二人と戦い、お前が勝てば、俺たちは潔く諦めよう》
朱音は途中からうんざりして成り行きを眺めていたが、このように言われて無視できなかった。そしてもちろん負けるつもりもなかった。
だが彼女が了承の返答をする前に、長椅子に深く寄りかかって身体を休めていた龍児がすっくと立ち上がったので、朱音は驚いて彼を見上げた。
龍児は眼鏡の位置を几帳面な手つきで直しながら、淡々と言った。
《彼女は僕の仲間です。このような一方的なやり取りにされること自体、納得がいきませんし、彼女の存在を掛け金にするような決闘など、させるわけにはいきません。そちらは二人がかりでくるつもりなのでしょう? だったら、こちらも僕が助太刀します。まずこの僕を倒してみるんですね》
首長たちは、龍児の戦い振りを見ていない。ずっと眠らされていたからだ。龍児の外見は決して筋骨逞しいタイプではない。レスリーとイーサンが「しめた」と思ったのは浅はかではあったが、当然のことだった。
レンが大牙のGジャンを引っ張り、こそこそと言った。
《だいじょぶなんスか、あのヒョロヒョロで? 強いのは知ってるっスけど、病み上がりっスよ?》
大牙はクッチャクッチャとチョコバーを食べながら、
《むしろアカネなんかより酷い有様になるぜ、あの二人。リュウは手加減なんかしねえからな》
しかし、この決闘の一幕は開くことはなかった。ヴァレンティンがマリウスと共にやって来て、その後ろから玄人とケイが入ってきたからである。
ヴァレンティンは、その場に満ちていた好戦的な空気を読み取り、じろっとレスリーとイーサンを見やり、ぴしっと言った。
《また愚かなことをしようとしているな? 言ったはずだぞ、この者たちは私たちを助けてくれた大恩人で、いかなる不愉快さも与えてはならないと。確かに、彼女は素晴らしい。私たちの感覚からしたら、どうやっても手に入れたいと思っても仕方のない魅力と輝きに溢れている。しかし、それは決して一人のものになってはならないのだ。私の感じ方は間違っているかな、「流浪の民」よ》
ケイはぶかぶかの防護服を脱ぎ、身体にぴったりとした、近未来的な銀色のスーツ姿をしており、その真っ青な眼窩がとても目立っていた。
彼女は龍児よりもはるかに無感動な口調で応えた。
《そうね。彼女から自由を奪えば、輝きは失われる。それに、彼女は他の三人の仲間ととても強い絆と友情と愛で繋がっているの。それを断ち切ることは、あなたたちにはできないし、してはならないことよ》
これに対し、ヴァレンティンと共にやってきたマリウスが自分の記憶を確かめるように言った。
《では、『星母』が口にした『運命の女』とは一体なんだったのですか? ただ、僕たちをけむに巻くだけの作り事だったのですか?》
するとケイは、ぐるりとその場に居合わせた者たちに目を配り、最後にヴァレンティンに視線を戻すと、応えた。
《そういうことも含めて、今回のことについて、あなたたちにすべてを話しに来たのよ》
地球的な椅子やソファといった腰高な椅子に座る習慣がないのか、硬めのクッションや座布団のようなものにその場の者たちが自然とケイの言葉に促されて腰を下ろした。いきり立ちかけていたイーサンとレスリーも、この蒼い眼差しから溢れる不思議な威圧感に負けたようにどっかと胡坐をかいて座った。
《そう言えば、もう一人の連れはどうしたんだい?》
イヴリンが三角形をした背当てのついた座椅子に片脚を折り曲げて座りながら尋ねた。ケイはヴァレンティンに勧められた円座にくだけた物腰で座りながら応えた。
《彼は『星母』が最後の仕事をきちんとするか、見張っているの。さて、何から始めたらいいかしらね。私自身も悩むわ。そうね、まずはその『運命の女』と言うことについて説明しようかしら。たぶん、それは、私も含むんじゃないかと思うのね。一応、私も「女」だから》
首長たちの中で一段上に位置付けられているヴァレンティンらしく、いつの間にか使用人たちを一同の間に向かわせ、ちょっとした前菜のような食べ物と飲み物の盆を運ばせていた。
ケイは早速硬質な照りのある水をデカンタからグラスに注ぎ、口を潤して続けた。
《すべては、私たち、『太古の民』がエントロピー状態を回避することに始まった、運命の輪の巡りを乱したことにあるのよ》
その場にいたほとんどの者が首を傾げ、顔を見合わせたが、龍児は難しい表情で眼鏡を弄りながら言葉を挟んだ。
《それは、この星が大災害に遭い、破壊ないしは壊滅的状況になると予測し、亜空間バリアを張ることでこの星に起ころうとしていたエントロピー(カオス)現象を防いだということですか》
ケイは作り物のように真っ青な瞳を龍児に向け、感心したように頷いた。
《そういうことね。『太古の民』は時空を超える技術を持った高等生物よ。宇宙空間のどこにでも生存でき、エントロピーゼロ状態、つまり、歳をとるということもなかった。だから、この星に滅亡が近づいていることを素直に受け入れることができなかったのね。彼らはどんなことも自由に操り、宇宙の支配者だと自負していたから》
すると、マリウスが素朴に問いかけた。
《と言うことは、あなたは、その時からずっと生き続けてきたということなんですか?》
ケイは無表情で頷き、
《私たち、つまりあなたたちが『流浪の民』と呼んでいる者たちは、同胞たちのやり方に疑問を持った一派だったのよ。あなたたちも見ただろうけど、あの広間にあった黒い箱の中にいた物体、私たちの実体もああいった流動体生物だったわ。でも、この星で生きることになって、気付いたのよ、可逆性の運命など、あり得ないとね。もちろん、運命の輪は回り続けて途切れることはないわ。でも、それはその人の人生と言う「道」を転がり、いずれどこかに終着する車輪なのよ。それで、私たちは袂を分かったの。宇宙空間を自由に移動できる身体を捨て、こうして実体を持って生きることにしたの。そして、この星に運命の時がきた。それは仕方のないことなのよ。星にも寿命がある。運命が定められているのよ。『太古の民』は抗った。そしてこの星を静かに眠らせなかった。いつまでも自分たちの支配下に置きたかった。だからああした人工物を配置し、いずれこの星がかつての文明を取り戻した時のために、「命の螺旋」を遺していった。彼らにとっての「運命の輪」を巡らせるためにね》
《わしらが地底回廊で出会ったもんも、あんたらの仲間じゃったんか?》
と玄人が問うと、ケイは眠そうな顔をしている彼に蒼い眼を向け、
《彼らは私たちよりもっと過激に『太古の民』と対峙した一派よ。この星の先住者たちを使役するやり方に反発して、何度も解放戦線を挑んだの。でも、圧倒的に数で劣っていた。彼らは地下都市の最下層に落とされたわ。それでも彼らは懲りずに反撃の時を待ち続け、バリアジェネレータの停止を阻止するという運命的な役目を果たしたってわけ》
《それで、『運命の女』とどういうつながりが? あまりに聞き慣れない話で混乱している》
とイヴリンが降参したように嘆息まじりで言うと、ケイは肩をすくめ、
《ごめんなさいね、話が横道にそれたわ。正直、私も『運命の女』という表現には大きな意味は含まれていないのではないのかと思うんだけれど、『星母』は優れた人工頭脳。曖昧な占い師ではないわ。あてずっぽうや幻想的な思い付きではないはずよ。確かにここには運命をより合わせ、一つにまとめ、紡ぎ出した「女」たちがいる。でも、『運命の女』という表現には別の意味合いがあるわ》
龍児が僅かに意表を突かれたように眉を上げて言った。
《『運命の女』のことですか?》
ケイが頷くと、イヴリンも興味をそそられたように身を乗り出した。
《いわゆる「魔性の女」のことかな? だが、そんな性質の女性はここにはいないと思うが》
《私もそう思うけれど…》
とケイはやや曖昧に言葉を濁し、じっと龍児を見つめた。
《なんだか心当たりでもあるようだけど?》
龍児は仲間たちを見回し、眉根を厳しく寄せて応えた。
《…不確かなことは言えません。でも、ひょっとすると…》
と、ここでその場の緊張した雰囲気にそぐわない音が響いた。
コツッ、パリッ。コツコツッ。
一斉に彼らはその音の方に顔を向けた。それは朱音の隣で妙に畏まって座っていたレンの持つ袋の中から聞こえていた。
《あっ、こいつ、産まれそうっス!》
レンが手早く砂漠で拾ったグリアナンブラックの卵を取り出すと、殻の一部が割れ、黄色いくちばしがしきりに殻を突いていた。
すると、難解な話題に首をひねり続けていたセシルの顔にぱっと喜色が広がった。
《おおっ、これは何と言う幸運だ! グリアナンブラックの誕生を見られることは、吉兆以外の何物でもない! 『流浪の民』よ、このことだけで、この度の変事はすべて帰結したように思われる。砂漠は砂漠としてあり続け、蟻人もエルフも人間も、そして聖木も、その中でそれぞれの在り方で存在し続けることの幸福に包まれるのだ》
そう言っている間にも殻の割れ目は大きくなり、ついにそこからうっすらと産毛に包まれた大きなヒヨコのような雛鳥が飛び出してきた。
それはろくに見えていないようなくりくりとした目玉をしっかりとレンを向け、本当におもむろにレンの腕の辺りに猫のように頭をこすりつけてきたのである。
これを見て、アルディドが感心したように言った。
《これはこれは…。君も『運命の女』の一人だったのかもしれないね。野生のグリアナンブラックを手なずけることはとても難しいことなんだ。家畜として飼われていても、完全に彼ら自身の本来の意識をコントロールすることはできていない。それを君は、その雛鳥に親鳥として認識されてしまったんだ。君とそのヒヨコはもう深い絆につながれてしまったのさ》
この言葉に対し、意外なところから賛同の意見があがった。物静かでありながら、自信に満ちた態度の龍児を胡散臭く睨みつけていたイーサンである。
《グリアナンの戦士にとっちゃ、最高の軍馬を得たことになるな。戦いにおいて、軍馬との信頼は百人の護衛にも勝るってもんよ。お前は得難いものを得たってことさ》
《えぇっ?! ボクが?! ボク、全然やり方わかんないっスよ?!》
無垢な様子でレンに身体を摺り寄せる雛鳥に対処する方法を思いつかないように、レンは助けを求めるように言った。
すると、レオナが心に決めたことがあるようにきっぱりと言った。どうやらとっくに決意していたようだった。
《父さん、あたし、しばらく外の世界を見てくるよ。もとはと言えば、聖木の異常に気付けなかったあたしたちが悪かったのさ。いいや、気付こうとしなかったと言うべきか。あたしたちはあまりに内向きになりすぎちまったのさ。聖木と言う特別なものを守るエルフという輪の中から飛び出せなかった、つまり何事にも沈滞していたのさ。『運命の女』という一語は、あたしたちエルフにとっては、ぐるぐると回るしかなかった運命の車輪を前進させるという暗示があるんじゃないかってね》
父親は最初から諦め顔で周囲を見回し、アルディドのおどけたにやけ顔にぶつかり、嘆息して言った。
《お前の性格はわかっている。だめだと止めても、西の族長の長男がここにいては、全く効果は望めない。それに、私もこの度のことは、なるべき運命の車輪を必要以上に空回りさせ過ぎたせいではないかと感じている》
このやりとりをハラハラとして見守り、何か言い出そうとしながらも言葉が見つからないようなルオンをひっそりとした微笑で見ながら、ケイが言った。
《『運命の女』にはまた別の解釈ができるわ。これは論理的ではない、そうね、詩的というか、冒険者魂をくすぐるというか、そういう見方だけれど、言い伝えや伝説にもその根拠となる真実の一片がなければ後世には残らないわ。グリアナンにもいかがわしいカード占いや茶葉占いを生業にしてる人がいるでしょうけど、彼らの見る『運命の女』には、四つの天のみ使いが付き従っているの。あなたなら知ってるんじゃない? 詩人の首長さん?》
まさに伝説上にしか存在していないと考えていた者から名指しされたイヴリンだったが、先程から好奇心をはち切れんばかりにしていたこともあり、とりたてて堅苦しくなることもなく応えた。
《そのことは私も気づいていたんだ。『運命の女』つまり、『運命の女神』は運命の車輪を操る舵を取り、その地面は運命の不安定さを示すがごとく、まさにこの砂漠のようにひと時も安定しない大海原のように人々を悩ませ、苦難に向かわせる。この女神が操る車輪が運命を象徴する占いのマークになっているわけだけれど、そこにはたいてい、四つのエーテルが描かれ、その中央には善悪表裏一体を象徴するものが車輪に絡みついている。そのエーテルこそ、まさしくここに居合わせた若者たち四人であり、そして、私たちをあの不気味で異世界から現れたようなものから救ってくれた麗人の見事な舵取りのおかげで、こうして今私たちはここに無事集まっていることができたのではないかと感じている》
《なるほど、つまり、我々は良い『運命』のカードを引き当てたということなのだな?》
ヴァレンティンがその場を見回し、きりりとした美貌をほっと和ませ、言った。これにマリウスが生真面目な口調で言った。
《『運命の女神』は時に非情です。いいえ、運命とは、人の手ではどうにもならないものです。『星母』が一体なんであったか、僕たちには到底理解できない存在でしたが、結果的に『運命の女』は現れ、こうして再び僕たちをひとつにまとめることになりました。その中心にあるのは、あなたたち、異国の戦士たちです。あなたたちが現れなければ、アントリアンも、エルフも、僕たち人間も意思疎通することはなかったでしょう》
《その通りね。私たちだけではそこまでのことはできなかったわ。私たちはあくまで使命に従って行動していただけだから。そういう意味では、私たちはもう人間ですらないのかもしれないわね、残念ながら》
ケイは渋い微笑を漂わせて言うと、ゆったりと立ち上がりながらエルフの族長に言った。
《私が言うのもおかしいかもしれないけれど、このハーフエルフの子はあなたたちが見守るのがいいかと思うの。ヒトとエルフの融合、そして獣との親愛、そんなものをこの子は象徴している。そして、あなたの娘さんは旅立つべきね。今後のエルフの在り方を、きっと見つけ出してくるはず。この星はすべての命のために生きている。その中で自らの「運命」を見つけることは、その者の生きる最大の目標よ。もちろん、「運命」は人の手では変えられない。でも、舵を取って、大波を避け、きらりと光る真珠を水底に見つける目を養える。そして、絶え間なく揺れ動く「運命」の波を乗り切り、より多くのチャンスをつかむ手は多い方がいい。わかるかしら?》
セシルはレオナを見、それから情けなく肩を落としているルオンを見、応えた。
《かわいい子には旅をさせよ、ということなのかな? まあ、もうかわいいなどという歳ではないがね。レオナ、お前はルオンでは不服か? 旅の道連れとして》
ぎくん、とルオンが顔を跳ね上げ、みっともないほどに視線を彷徨わせているのを見たレオナは「ふふん」と笑いかけ、
《ルオンのひよってるところを叩き直すにはちょうどいいんじゃないかしらね。別にあたしはルオンが嫌いなわけじゃないし》
これを聞いたルオンの蒼ざめた顔色が赤くなったり白くなったりするのを、アルディドが心底面白がるように見、次に、濡れていた産毛をすっかり乾かしてふわふわになった大きなヒヨコに擦り寄られているレンに言った。
《そのヒヨコになつかれちゃ、旅を続けるどころか、カーマインに戻るのも先のことになりそうだけれど、大丈夫かな?》
レンは初めて自分の身の振り方が大きく変わってしまったことにびっくりしたような顔になったが、セシルの、エルフにしては親愛深い眼差しに助けられて、頷いて見せた。
《うん、ボク、こいつ、育ててみるっスよ。こいつ、かわいいし。よし、今日からボクがこいつの師匠っス。それに、ここ、ボク、気に入ったっス。ねえ、アカネ師匠、ボクの考え、間違ってないっスよね?》
朱音は心からレンを抱き締め、ぼさぼさの灰色の髪を撫でて言った。
《もちろんよ、間違ってなんかいないわ。あんたはその子に必要とされてる。それだけで十分よ》
レンは朱音の顔を見上げ、
《でも、また会いに来てくれるっスよね?》
朱音はにっこりと笑い返し、ぎゅっと一際強く抱き締めた。
《当たり前よ。あたしはあんたの師匠だもの。どれだけ成長したか、試験しに来ないと》
《あんさんはこれからどうするんじゃ? ひとまずこの星の問題は片付いたようじゃが…》
と玄人がいつものようにのんびりとした口調で尋ねると、ケイは簡潔に応えた。
《「管理者」…つまり星母の完全停止を見極め、アントリアンたちの様子を確認したら、しばらくは地下にいるつもりよ。あなたが出会ったという「同胞」に一言お礼を言っておかないとならないからね》
そう言ってから、ケイは思い至ったように付け加えた。
《申し訳ないけれど、あなたたちの今後の手助けになるようなことはできないわ。ある意味では、私もヌーノも「管理者」同様、「その時」のために「保管」されてきた存在だからなの。わかるかしら? 「その時」の状況には対応できても、さまざまに派生した事柄に対応できる知識や技は省略されてしまっているのよ》
《しかし、過去の時代を知っているなら、この星の当時の宇宙座標くらいはわかるのでは?》
と龍児が指摘すると、ケイはほろ苦く笑い、
《記憶の蓄積は、「休眠」時の負担になるの。だから本当に必要な事以外は「初期化」されてしまうわけ。今の私が何度覚醒したかもわからなくなっているくらいだから、この星がどの次元にあるかも、あなたたちの故郷がどこにあるかも、全くわからないの。昔はきっとあらゆる星域を把握していたんでしょうけど。ごめんなさいね、本当に》
これを聞いて、龍児は別段落胆した様子もなく、
《いいえ、これは僕たちの問題ですから、僕たちで解決方法を探すのが当然です。むしろ、僕個人としては、何もしないままに全てが終わっていたのですから、こうして親切にしてもらっていることに困惑しています》
《何言ってるんだい、若いの》
レオナが戦いで鍛えられた肉厚の手で、龍児の背中をどん、と叩いて言った。
《お前がいなかったら聖木は具現しなかったし、砂漠のバランスも戻らなかった。感謝するのはこちらの方だよ》
《それは私たちも同様だ》
とヴァレンティンが軽く頭を下げてレオナのあとを継いだ。
《「運命の輪」はいつも幸運をもたらすものではない。その運命の先にあるものが破滅であった可能性もあったわけだ。運命の舵取りをする者たちが君たちでよかった。人とはみな、欲深くあるものだ。だが君たちは若くして全き善者であり、正義を正しく体現している。稀有なことだ。君たちは我がグリアナンの救世主だ。おそらく君たちはまた旅立つのであろうが、もう少し我が国に滞在してもらいたい。このまま行かせては、我が国の名折れだ。歓待させてほしい。君たちが異国の価値観をもっていることはわかってはいるが、君たちの貢献に見合う感謝を示すには、我々の誠意を尽くすしかない》
すると、朱音がヴァレンティンの殊勝な言葉とは裏腹な不機嫌さで言った。
《そう言ってくれるのは嬉しいけど、あたしを花いちもんめみたいにするのはやめてほしいわ》
ヴァレンティンが聞き慣れない単語に首を傾げたのを、ケイが「ククク」と笑い、言った。
《あなたという存在は、グリアナンの人々の意識にさえ一筋の曙光を投げかけたようね。人を単一的な枠にはめて考えることは自らの思考力もしぼませることにつながる。もちろん、古いものが全て不要なわけじゃないけれど、そこに新しいものを混ぜて化合させたものは、二つ以上の何かを生み出すものよ。戦士にも休息は必要よ。ゆっくりこの砂漠の国を堪能してからでも、次の旅路に出るのは遅くないと思うわ。じゃあ、私は行くわ。私はまだ自分の役目を果たせていないから。ではまたどこかで会うかもね、宙を旅する戦士たち》
と、ケイは上品にも見える仕草で一礼すると、手首のツールを操作し、亜空間バブルを出現させ、その中に消えていった。
ぱちん、と弾けてそれが掻き消えると、堰を切ったようにその場の者たちが喋り出した。朱音の前には、懲りない首長たちがい並び、それぞれが自己顕示をし合い、彼女の気を惹こうとするが、それを、彼女の隣にいたレンと生まれたばかりのはずのヒヨコが「シッシッ」とばかりに追い払っている。
そんな様子を呆れたように見ていたヴァレンティンは、気が付いたように他のレイジュウジャーたちに尋ねた。
《君たちは、金髪の美しいいずこかの貴人と知り合いなのではないかね? 我々は彼に救われたのだが、時が時だったために詳しいことを聞けなかったのだ。ゆえに、その者に感謝する暇もなかった。その貴人をここに呼ぶことはできないかな?》
そのことをすっかり忘れていた彼らだった。
キリルの存在をこの世界で公にするのは、あまり都合がよくない気もしていたが、今回は少し深入りしすぎていた。それに、たいていの場合、龍児のごまかしで切り抜けてきたが、彼はこの事件の間、ほぼ現実世界から切り離されていたため、相手を納得させるだけのつくり話をする自信がなかった。
困った末に、玄人が内線でファンロンに通信を入れると、キーンと耳が痛くなるような言葉のやりとりが突き抜け、彼らは頭がくらくらとなった。
『はあ?! 図々しいにもほどがあるってもんよ、この真っ白お化けが!』
ジルコンのキイキイとした罵声の意味は、キリルが今どのような状態に置かれているかを見れば、一目瞭然であった。
『運命の女』。
確かにそうとも言える存在がいたのである。それにキリルはまさに対峙していたのだった。




