『砂漠エルフ』
砂漠のエルフの集落まではまだ遠く、新たにレンとアルディドを加えた一行は、アレンの、というより彼の乗り物となっているサンドワームの鋭敏な感覚で探し当てていると思われる小さなオアシスのほとりで砂漠の夜を明かすことになった。
旅慣れたアルディドが炎の魔晶石を使ったランプのもとで、皆々に携帯食を振る舞いながら、話のきっかけを作った。
《アカネ、君の頼みを反故にしてしまったことは本当にすまないと思っているんだよ。だが、彼女を見ていたら、どうにもじっとしていられなくてね。わかるだろう? 知りたいことがたくさんある時のいてもたってもいられない気持ちを》
朱音は、隣りで水分を少なくして日持ちするように焼かれたクッキーのようなものをがりがりと食べているハーフエルフの少女(実年齢は全くわからないのであくまで見た目)を見やり、再会できてうれしいような、それでいて気がかりで仕方ないような心持で応えた。
《レンはまだ走ることを知らないうちに全力疾走しようとしてるみたいだから、一旦きちんと歩くことから始めた方がいいと感じただけよ。でも、考えてみれば、あなたのもとにいれば、エルフと人間の関係とか、世界のこととか、学ぶことができるのよね。それに、レン、あんたの意思を曲げることなんか、他人にはできないことだったと今気付いたわ。あたしだって自分の好きにやってきて、今があるんだもの。誰かに命令されて歩くなんてまっぴらだと思ってたもの。ごめんね、レン》
レンはぼりぼりと乾パンのようなものをかじりながら、身体を朱音にすり寄せ、満足げに言った。
《ボク、今すっごく嬉しくってたまんないっス。こんなすごい場所で、あんなすごい怪物にも会って。あのでかいミミズみたいなやつ、お前が操ってるんスか? すっげーっスね!》
アレンは奔放なハーフエルフと、彼が知っているエルフとは全く雰囲気の違う生粋のエルフを眺め、興味ももちながらも、先程の砂の魔物の襲撃について問いただした。
《君たち、一体ここで何をやらかしたんだい? エルフならここで生き物を攻撃したら、あれが出てくることくらい、知ってるだろう?》
アルディドは「ああ」と申し訳なさそうに額を撫で、
《彼女には十分に説明したつもりなんだがね、あの場合、どうしようもなかったんだ》
レンが異様に膨らんでいる荷物袋からまだら模様の入ったダチョウの卵のようなものを取り出して見せた。
《それは、グリアナンブラックの卵じゃないか。野生のを見つけたのかい? でも、卵だけなんておかしいな。親鳥が卵を抱いていたはずだろう?》
アレンが疑問を投げると、アルディドが応えた。
《砂に半ば埋もれていたこれを見つけたそばに、死んだ鳥がいたよ。そして卵を丸のみにしようとしていたびっくりするほど大きい蛇がいたんだ。助けないわけにはいかなかった。だからうっかり蛇を撃退するのにレンがナイフを投げてしまったのさ。そうしたら、あんなことになってしまった》
アレンはため息をつき、その大きな卵を撫でて言った。
《野生のグリアナンブラックはとても少なくなってしまっているんだ。彼らは砂漠に適してはいるけれど、ここまで乾燥し尽くした場所になってしまっては、さすがに生きづらいんだろうね。この卵は大切に孵化させてあげないとならないね。でも、もう二度と砂漠の輪廻を乱してはだめだよ。その大蛇も生きるために卵を食べようとしていたんだから》
《へえっ、ガキのくせにいっちょ前なこと言うっスねえ》
レンの飾らない言葉に、アレンは「あはは」と明るく笑うと、
《君もハーフエルフのくせに全然気取らないんだね。そっちのエルフもそうだけど。これから向かう砂漠のエルフたちとは大違いだね。彼らは聖木を守るのに頭がいっぱいで、すっかり閉鎖的になってしまってるようだよ。昔からエルフとは仲が悪かったけれどね》
するとアルディドがレイジュウジャーたちに視線を向け、尋ねた。
《ところで、僕はとっくに君たちは聖木に到着していると思っていたけれど、どういうわけでこんな砂漠をうろついていたんだい?》
《全部説明すると長くなるから端折るわよ》
と朱音が乾燥させた果物をもぐもぐとやりながら応えた。
《この砂漠は思った以上に込み入った事情があることがわかったの。今、あたしたちは人質を取られていて、ある目的を達するために向かったところではアントリアンっていう種族が危機に瀕していて、それの原因と救済を求めて聖木のところへ向かうところだったのよ。そこに、あなたたちが現れたわけ。ねえ、アルディドさん、聖木の樹液ってどんな効果があるか、知ってる?》
《ほう? 樹液か。知っているよ。生命力を高める霊力のこもったものだ。アントリアンの女王だけが特別に口にできる妙薬さ。もとはドラゴンの血だったという話も聞いている。君たちはドラゴンに会って、彼らから何か霊力のこめられた何かをもらっているんじゃないか? それと同じだよ。樹液はグリューネの力の一部だ》
《えっ、君たち、ドラゴンに会ったことあるのかい?!》
アレンが仰天したように朱音たちを見回した。さすがに日中の熱気の中で溶けてしまったチョコバーを食べるのを断念していた大牙が気軽に頷く。
《火と水のドラゴンに会ったぜ。でも、変なおばさんとワカメみたいな髪の毛をしたのっぺらぼうだったけどな》
大牙の感受性を通してドラゴンの化身の姿を表現させてはならないと、他の仲間たちは痛感したわけだが、アレンはそれで十分だったらしく、現状の困難さなど忘れたかのようなはしゃぎぶりで言った。
《うわあっ、ドラゴンなんてイヴリンの詩でしか知らなかったけど、本当にいるんだなあ! じゃ、やっぱり聖木もドラゴンだったっていうのは真実なんだね?》
《そうだよ。彼女はドラゴンの姿を保つことができなくなってはいるけれど、竜力はまだ残している》
とアルディドが応えると、アレンは眉をひそめた。
《でも、そんなにすごい存在なら、どうしてアントリアンに異常をもたらすようなことをしたのかな?》
《異常?》
《うん、何年か前、クイーンは樹液をもらいに行かせてるんだ。それを使って新しいコロニーのクイーンとドローンたちを産もうとして、奇妙なことになってしまった。今、アントリアンは正気を失ってるんだよ》
《数年前?》
アルディドの表情から陽気さが抜ける。その様子を見て、龍児がハッとしたように瞬きをした。そして眼鏡を神経質な手つきで外し、何枚持っているかわからない白いハンカチでしつこく拭きながら言った。
《ひょっとして、あの筆頭魔道士が契約していたヴェイドの精霊は、現実世界にドラゴンとして存在できなくなったグリューネの意識とか言いませんよね?》
《いや、君の推測は当たっているかもしれない。アントリアンの現状を見ていないからなんとも言えないけれど、なんだかそんな気がしてならない》
アルディドの真剣な口調に、その場がしん、と砂漠の冷え込み以上にひんやりとする。
これを払しょくしたのはレンだった。
《でも、あの悪い奴はいなくなったんだし、きっとうまくいくっス! ボクにはそう思えるっスよ!》
その場の者たちはレンの明るさに救われたようにそれぞれため息をつき、朱音がレンをぎゅっと抱き締めて言った。
《あは、あんたってやっぱりいい子ね! 会えてよかったわ!》
《何言ってるんスか! ボクはアカネ師匠のためなら火の中水の中砂漠の中! どこでも行けるっスからね!》
そのあとしばらく彼らの談笑の声が砂地の他に何もない場所に響き、そして星空は彼らの行く末を見守るように静かに瞬いているのだった。
*****
《へえっ、彼らと出会ったのかい、『理の執行者』たちに》
アルディドが感嘆したように言った。彼ら、新たな同行者であるレンとエルフは、グリアナンで借りたグリアナンブラックを乗り捨て、こうして驚異的な生物の背中に乗り、すっかり古い友達のような様子で会話していた。地球的に言えば、この騎乗大鳥はタクシーみたいなものなので、グリアナンブラックは帰巣本能に従い、無事街に戻ることができる、砂漠を旅する者には重宝されている移動手段だった。
龍児が興味を引かれたように細い眉を上げ、聞き返した。
《あなたはあの者たちをそのように呼んでいるのですか》
アルディドはレンとの旅に強いスパイスが投げ込まれたような刺激に喜びを感じているような口振りで応えた。
《地域ごとで呼び名は変わっているようだね。僕の故郷の西の森にも、彼らはいたそうだよ。1000年前の戦いですっかり噂を聞かなくなってしまったみたいだけれど。人間が優勢になった世界で、すでに滅んで久しい旧種族がしゃしゃり出ることを憚ったのかもしれない》
《じゃ、やっぱりその人たちは、大昔に高度な文明を築いていたっていう人たちの末裔なの?》
と朱音が言うと、アルディドは疑問符の多い頷きを返し、
《エルフの僕でもそこまで長生きしているわけじゃないからね。実際にこの大地に信じられないような都市が点在していたという話は、伝説としてとしか認識できないよ。ただ、『理の執行者』たちが、この大地を健全に保つように何かをしているということはもう少し現実味を帯びた伝承になっている。エルフ族は彼らの意志を継いで、森を愛し、守るために生まれたとも言われているしね》
《そうなると、ちっと矛盾しないかのう?》
玄人が言った。
《この世界には超文明を築いた種族がおって、その中には平然と人権をないがしろにできる者もおって、なおかつ、それを否定し、この世界を現状のまま保とうとしとる者もおる。どっちも同じ種族なのに、考え方がまるで正反対じゃ。どういうことなのかのう?》
アルディドは「うーん」と考え、
《それは、思考する部分を持つ生物なら、必ず行き当たる袋小路なんじゃないかな。文化を高め、技術を磨くことは決して悪いことではないが、ある一点で止めなければ、それは溢れてその者を溺れさせるだろう。溺れた者の目に映るのは何か? それは歪んだ世界だ。高みに臨んで、さらに上を行こうとすれば、真っ逆さまに堕ちるしかない。コップから水がこぼれる寸前で止めることは、向上心がないとか臆病者だとか言われるだろうけれど、逆を返せば身の程を知り、この世界がきわどく、絶妙なバランスで保たれていることを知っていることになる。節度だよ、君、大切なのは。この世界は命のピースで組み上がった大きなパズルのようなものなんだ》
《だから、ボクがナイフを投げちゃって、あんなことになったんスね?》
レンが珍しく殊勝な様子で言った。朱音がそんな彼女のぼさぼさの灰色の髪を撫で、
《あんた、ちょっと頭が回るようになったんじゃないの?》
《へへん、ボクを馬鹿にしないでくれっス。それに、ここに来て、なんかすごく頭ん中がすっきりしたような感じがするっス》
《エルフは自然と共に暮らす種族だからね。もともと街の暮らしは向いてないんだよ》
とアルディドが親しみをこめてレンの頭をポン、と叩いたその時、サンドワームを御していたアレンが身を乗り出し、遠眼鏡をのぞきながら言った。
《なんだか嫌な予感がする。砂漠エルフのオアシスはこの先にあるんだけど、そっちの方からすごい敵意が流れてくるんだ。まだ遠すぎてわからない。でも、これは絶対にやばいことが起きてる。ちょっとスピードを出すから、しっかり掴まっててね! 僕のデザートハリケーン、お前の砂漠をかき乱す連中を叩き出そう、全速力だよ!》
がくん、とまるでギアチェンジするような加速がかかり、どんな仕組みで硬くもあり不安定でもある砂の海を奔れるのかわからなかったが、サンドワームは彼らを乗せて巨大な矢のように砂漠を疾走した。
*****
セシル・ミュリエル・ウィランは、エルフにしては健康的な肌色をした顔を蒼ざめさせながらも、集落に火矢を放つ変異アントリアンの一団を迎え撃っていた。
しかし、劣勢なのは明らかだった。
このところの頻繁なアントリアンの襲撃で、集落はその被害を修復しきれないでいた。もちろん、エルフの戦士たちにも死者が出ており、セシルがまとめる砂漠エルフは非常な苦境に立たされていた。
今にも、アントリアンの射手が一斉に火矢を放とうときりきりと弦が引かれる音が聞こえた。
《土塁の陰に隠れるんだ! レオナ?! レオナはどこにいる?! ルオン、見ていないか?!》
ひゅんひゅん、と火矢が飛んできたのを頭上に見ながら、セシルが傍らで頭をひっこめている線の細いエルフに尋ねた。
ルオンと呼ばれたエルフが残念そうに首を振ると、火の手が上がり始めた円錐型の特徴的な家屋の屋根に立ち、五人力並みの強弓を引き絞った短髪の女エルフが複数本の矢をつがえて放ちながら大声で言った。
《父さん! そんなだからエルフは1000年前に人間たちに負けたんだ! 敗北を認めたことで種族を完全に滅ぼさなかったからという言い訳は聞き飽きた! あたしは負けるものか! あたしはこんな蟻共に殺されたくない!》
彼女が放った矢は、ひゅーん、と天に向かって飛び、矢の雨のように落下すると、発火してアントリアンに突き刺さった。その途端に、アントリアンは内側から爆発するようにはじけ飛んだ。
《ハッハーッ! ざまあみろ、この蟻共! 自分の毒で燃えて死ね!》
エルフにしては乱暴な物言いでめらめらと燃え上がるアントリアンの死骸を見下ろしていたレオナは、自分の父親の隣で縮こまっている男エルフに蔑みの視線を投げ、次の矢をつがえながら言った。
《ルオン! あんたこそ萎え切ったエルフの代表格だね! 一応魔法が使えるんなら、蟻の一匹や二匹、黒焦げにしたらどうなのよ!》
彼女の罵倒に、少しだけ奮起したのか、ルオンはやや眉目をしかめて言い返した。
《いくら僕らがエルフだからといって、こんなたくさんの命を奪うのはいけないことだよ。聖木様はこんな戦いは望んではおられないよ》
レオナは軽蔑しきった眼差しになり、ローマ軍を思わせるファランクス編成で進軍してくる赤黒い生き物の塊を狙い定めながら言い返した。
《じゃ、あたしたちが死んで流す血はいいってわけ? それで聖木様がもとのお姿に戻れるというんなら、喜んで差し出すけど? ハッ、自分の臆病風を棚に上げて、聖木様を持ち出すなんて、ほんと、あんたは腑抜けよ!》
再び火薬の仕込まれた矢がレオナの強弓から次々と放たれ、アントリオンを燃え上がらす。
最前線では近接部隊が戦っており、火の手と黒々とした煙の合間から剣戟の火花と音が聞こえた。
セシルは背後にそびえる、このような砂漠には似合わない青々とした葉を茂らせる大木を見上げ、憂いのため息をついた。
《一体どうなっているのかわからん…聖木様がおわしたというのに、このように乱れいさかい合うなど、考えられん》
《数年前のアントリアンの訪問がきっかけだったとは思うのですが…》
ルオンが考え深げに言葉を続けようとすると、屋根の上のレオナがいきなり地上に飛び降り、土塁の陰にいる父親と、一応婚約者であるルオン・パラドンの腕をひっぱり、まだ燃え上がっていない家屋の陰に隠れさせて言った。
《何か得体のしれないものが来る》
《何を見た?》
とセシルが娘に尋ねると、彼女は黒い短髪をがりがりとかきながら首を振った。
《白い布を被った何かよ。人間でもないし、蟻でもない、あたしには何もないように感じた。だけど奴らは奇妙な武器のようなものを…》
と彼女が最後まで言い終わらぬうちに、ぱぁっと眩い光が広がり、彼らは思わず目をつぶっていた。
爆発や崩壊の音、叫び声すら聞こえない。
怪訝に彼らが目を開いて家屋の陰から集落のゲートの方を見ると、三人は「あっ」と声を上げずにいられなかった。なんと、無数にも思えたアントリアンの軍勢がすっかり消え去っていたのである。そしてそこに代わりにいたのは、白い頭巾をかぶった奇怪な集団だった。
セシルの身体にぎくりとした緊張が走り、娘のレオナは気がかりに声をかけた。
《どうしたの、父さん。あれが何か知ってるの?》
《まさか…そんなことが…しかしあのマークは…》
ルオンが、じりじりと近づいてくる白頭巾の一団を見つめながら言った。
《本当だ、レオナ、君の言う通り、あれからはなんの気配も感じられない…中身は空っぽのように感じる》
セシルは気高く凛々しい顔にこわばりを浮かべ、うわごとのように言った。
《『黄金期』の存在が生き残っているとは…?! 我らの時代『聖銀期』との間の暗黒時代を挟んでいるというのに、一体どうやって生き延びたのか?!》
そして彼は背後の大木を見上げ、困惑にかられて続けた。
《あなた様の御言葉を聞かれなくなって久しい…聖木様、私たちは指標をなくしてしまったようです。どうか私たちをお導きくだされ。私たちはどうすればいいのですか!》
するとまさに突然に、彼らエルフの耳にすがすがしい響きが聞こえたのである。
〔……過ぎし時は巻き戻すなかれ。まもなく時の流れを元に戻す者たちがここへやってくる。さすればわらわの不完全な意識も癒えようぞ〕
《グリューネ様?!》
火の手が上がる集落の間から生きているエルフたちが一斉に大木を見上げ、祈り始めた。
その時、レオナは別の気配を感じ、ゲートの方を見た。
《あれを見て! サンドワームだ! まさかあれもここを狙いに?!》
《いや、違うようだよ。あれからは全く攻撃心を感じないから。それにあれには人が乗っているようだよ》
癒し手でもあるルオンが指摘すると、レオナは「ふん」とそっぽを向いたが、次から次へと起こった異変も無視できず、言った。
《白頭巾はいかがわしいけれど、砂虫の方はなんとなく近しい感じがする。なんでだろう…》
《とにかく火を消そう。これでは客人を迎えることができない》
しかし、ルオンの提案は実行できなかった。彼らはいつの間にか白頭巾の者たちに包囲され、かつてエルフが作り出していた魔道武器に似た武器を突きつけられていたのである。
*****
レイジュウジャーたちとその一行が『グリューネの聖木』を遠目から臨める距離についた時、ぴかっとその方角で眩い光が放たれ、彼らは思わず目をつぶり、サンドワームはぴたりと移動をやめた。
《何今の?!》
いち早く目を開き、再び何事もなかったような砂漠の光景に戻っていることに混乱したような朱音が警戒心を募らせた口調で言った。
アレンが、びたとも動かなくなったサンドワームの皮膚をぴたぴたと叩きながら言った。
《なんだろ、一体。サンドワームが神経質になってる。何か、エルフの集落で問題が起きたとしか思えない》
《今のは魔法ではなさそうだったね。僕は全く魔力を感じなかったよ》
とアルディドが指摘すると、龍児が眉をひそめて言った。
《魔力が絡んでないとすると…》
《あの奇妙な「管理者」っつうのがなんや、仕掛けてきたんじゃないかのう?》
玄人が龍児の懸念をずばりと口にした。するとアルディドが色めき立つように問い返した。
《「管理者」だって? それは『光の都市』へ通じる『永遠なる平穏の庭園』を守る『庭師』のことかい?》
これに対し、朱音が首を振った。
《『光の都市』は夢幻世界での言い伝えでしょ? 「管理者」は完全に現実世界の何かよ。でも、普通の頭じゃこんがらがって当然だわ。あたしだって実際に見てなけりゃ、分かんなくなってるわ》
《「管理者」の存在は相当に古いはずだから、混同されて伝わってもおかしくないが、アルディドさん、あそこの集落で何が起きたか感じることはないんですか? 同じエルフでしょう?》
と龍児が問いかけると、アルディドは残念そうに肩をすくめ、
《エルフだからって万能じゃないよ。それにここは風も強いし、遠すぎる。だが、あの発光事象は放っておけない。とにかく向かおうじゃないか》
するとアレンが言った。
《ハリケーンはこれ以上近づきたくないみたいだ。きっとあの白頭巾があそこにいるんだよ。下手に干渉されたくないし、万一傷つけられても嫌だから、ここからは自分の脚で走ろう。でもさ、ちょっと楽しくなってきたね。不謹慎だとは思うけど、これまで僕はこんな変化に富んだ経験をしたことがないからさ。首長なんかにならなかったら、絶対世界中を見て回れる冒険者になりたかったよ》
彼らは頷き、さらさらと崩れる砂丘を越え、砂ぼこりを撒き散らしながら全速力で大木がそびえるエルフの集落へと走り出した。
彼らが半時間ほど走ったところで、陽炎立つ中に、頭巾の前垂れをひらひらと砂の混じる風に吹かれて立ち尽くす数人の人影を見つけた。彼らはぴたりと銃口をレイジュウジャーたちに向けていた。
まるで朱音も砂漠の倫理観に染まっているかのように、相手の敵愾心に煽られ、反射的に白頭巾の者たちの手から武器を蹴り飛ばし、首や腹を狙って攻撃の手をなくそうと流れるような動きで次々と白い布を被ったような者たちを砂地に倒れ込ませた。
《えっ?! なにこれ、からっぽ?!》
彼女の驚きも無理はない。白いローブを着た者たちは、砂地に倒れ込むと同時に空気が抜けたようになり、そこにはただのぼろ布だけが残されたからである。
《亡霊の類ではないね。これからも全く魔力は感じられない》
アルディドの言葉を、龍児が続けようとした時、どこから聞こえてくるものなのか、拡声器からのエーテル放送のように声が響き渡った。
《…無駄なことはおやめなさい。あなたたちはわたくしの意志を成し遂げるためにあるのです。あなたたちが余計な反発をしたせいで、ここのエルフたちを危険にさらしているのですよ。わたくしは別に殺戮を好んでいるわけではありませんが、わたくしに課せられた使命をまっとうするのには手段を選びません》
《なんだ、この声は? ものすごく耳障りで周りと全く調和していない!》
特別繊細な聴覚を持つエルフであるアルディドが嫌悪感もあらわに言ったことに、龍児が緊張の面持ちで応えた。
《これが「管理者」です。あくまで僕たちに何かを強要させたいようだ》
《でも言うことを聞かないと、エルフの人たちが危なくなるんじゃない? それだけじゃない、『グリューネの聖木』も傷つけられてしまうかも》
朱音の指摘を証明するかのように、砂地にくしゃっと丸まっていた白い布が再びむくむくと起き上がり、彼らに武器を向けたのである。
《なんだよ、こいつら? 不死身かよ?》
大牙が身構え、今にも殴りかかりそうになるのを、玄人が押しとどめた。
《わしらは人質を抱えとる。その数を増やして自分の首をしめるわけにはいかんのじゃ。ここは仕方ないが、相手に従うしかないと思うがの。この白頭巾は所詮雑魚じゃ。わしらは大元をどうにかせんとならんのじゃ》
すると、どこから見ているのか、「管理者」の声が再び聞こえてきた。
《あなたたちは自分が選ばれた者であることを知らないのです。いいですか、あなた方はこの世界を楽園のごとく繁栄させた人々を蘇らすための「鍵」なのです。あなた方はこの世界に生きる下等な者共とは違うのです。しかし、一方的にこちらの要求を押し付けるのは少々公平ではありませんね。人間やエルフの命など、たいした価値はありません。そのことについて、話し合おうではありませんか》
レイジュウジャーたちは一様に渋面を作り、それぞれがぶつぶつと悪態をついたが、背中に白頭巾の持つ武器の銃口がぐい、と押し当てられ、歩き出すしかなくなった。
『どうにかできないの、これ。あたし、言うことなんか聞きたくないわ』
ぶすっとした顔つきで歩かされながら、朱音が内線で不平をこぼした。
『実際、僕たちは人質をたくさん抱えてしまっている。悔しいけれど、動きを封じられたよ』
龍児がどんどん近づいてくるそびえたつ大木を見つめながら、淡々と応える。
『蟻の巣の方はどうなってるのかなあ? あのへんてこ二人組だけで大丈夫かな』
大牙が言うと、玄人が肩をすくめた。
『「管理者」はわしらの存在が不可欠だと思い、わしらの痕跡を追ってやってきたんじゃと思う。アントリアンの方はまあ、あの二人組がいればなんとかなるじゃろ。彼らはわしら以上に技術と知識を持っとるようじゃけえな』
エルフの集落のゲートが遠目に見えてきたところで、その場所があちこちで火の手が上がり、もくもくと煙をあげているのが確認できた。
そしてさらに近づくと、あちこちに昆虫がばらばらになったような残骸が点在しているのを見つけた。
《アントリアンがエルフに戦いを仕掛けているという話は本当だったのか。にしても、この死骸は奇妙だな。剣や炎で受けた傷じゃあない。アントリオンは炎に弱いんだ。彼らは毒液を吐くことができるけれど、その毒の引火性の高さが諸刃の剣になっているのさ》
どんな時でも自分の好奇心を満たすことに関して熱心になって歩くのが遅くなったアルディドの背中を、白頭巾が銃口で小突いて前に進ませた。
《さっきの、ものすごい光のせいじゃないっスか? あれ、なんかすごく気持ちが悪くなったっスよ》
レンが直感的に言うと、龍児が白頭巾の持つ武器をちらりと見やり、言った。
《あれが何かしらの超文明の武器によるものだとしても、僕は否定しないね。「管理者」の一派は本当に理解を越えているから》
いよいよゲートが目前に近づくと、そこに集落中のエルフたちが集められ、やはり、白頭巾たちに武器を向けられ、一塊になって座り込んでいるのが見えた。
その中の一人が思わず声を上げた。
《おお、あなたはヴィ・シャルローの御子息! このような状況でなければ、集落をあげて歓待したものを。しかし、あなたや連れの人々もここに連れてこられたのはどういうことなのか? アントリアンの異変と何か関連が…うっ》
セシル・ミュリエル・ウィランは最後まで言葉を続けられなかった。白頭巾の一人が彼の後頭部を武器の台尻でがつん、と殴りつけたからである。咄嗟にいきり立ったように娘のレオナが立ち上がりかけたのを、ルオンの細い手が必死に押しとどめる。
「管理者」の声がどこからともなく聞こえてきた。
《エルフなど、我らの主たちに謀反を起こした異分子が生み出した下等なものにすぎません。人間などよりはましではありますが、主たちの全能にも近い存在と比べれば原始的な生き物のくせに、勝手な振る舞いは許しません》
これを聞き、アルディドが小声で感嘆する。
《へえっ、エルフは作られた種族なのか。それは初めて聞く起源説だな。これはちょっと面白いぞ》
朱音が危機感のないアルディドをつつき、
《ちょっと、こんな時に感心なんかしないでよ、アルディドさん。あたしたち、八方ふさがりなんだから》
すると、「管理者」は彼女の小言めいた言葉を聞きとっていたように言った。
《そのとおりです、星を縒り合す娘よ。この状況で、わたくしの要望を聞き入れる気になりましたか? 当然、捕えてある人間たちの命もかかっています。無論、人質のことはわたくしの望んだ方法ではありませんから、別の条件を提示する用意もあります。あなたたちは優れた能力を持ち、完璧に訓練された戦士です。わたくしの申すことが最善の道であることはわかっているはずです》
彼らの背中にぐい、と一際強く銃口が押し付けられ、一塊になっているエルフたちにも白頭巾の武器がずい、と迫った。
その時、ずずずん、と何かが地面の中で動いてくるような振動が走った。そしてそれは武器を構えている白頭巾の足元に狙いたがわず根っこのような触手を突き出したかと思うと、ぐさりと貫き、そのまま白いローブ姿の奇怪な存在を地面の下に飲み込んだのである。
《な、なにが起きたの…すか…?!》
急に「管理者」の声が途切れがちになり、そのまま完全に聞こえなくなった。
《聖木様?!》
後頭部を殴られた痛みと眩暈に襲われていたセシルだったが、背後を振り返り、そびえたつ大木を臨んで驚嘆したように呟いた。
少しの間を置き、「管理者」とは別の意味で心を波立たせるような言葉がその場にいた者たち全員に届いた。
〔わらわの時代も過ぎし時となった今、旧き者どもが再興を臨むのは自然の理を乱すことになろう。わらわは一度滅び去ったが、こうして大樹に身をやつして生きることを許されたからにはまだ役割が残っていたらしい。そしてそれが何か、今わかった。あの者共の野望は実現させてはならぬ。わらわは残された力でこの地の平和を守ろうぞ〕
すると、アレンが呆気にとられながらも、現実的なことを問うた。
《そんなことを言ってるけど、数年前にアントリアンに渡した樹液のせいで、たぶんだけど、彼らは異常な行動をとるようになっちゃったんだよ? 聖木なのに、それはおかしくないかい?》
大木の青々とした葉がざわ、と揺れた。彼らにはそれが聖木の憂いを表しているように思えた。
〔そのことについてはのちほどきちんと説明をしようぞ。族長、一族を戻らせ、集落の片づけをさせよ。わらわはまだ完全でないゆえ、少し休む。客人たちをもてなすことも忘れぬように〕
と言い終えると、大木はしん、と黙り込んでしまった。
大牙がむすっとした顔で心に正直なことを言った。
《なんかこういう御大層な連中は自分の都合が最優先だよな。でもま、乾パンじゃねえもんを食わしてくれるっつうなら…おいっ、リュウ、どうした?!》
いきなり龍児がその場に崩れるように昏倒したのを、大牙が支えて肩を揺すったが、彼は全く目を覚ます気配がなかった。
朱音が顔色を変えてアルディドに言った。
《ねえ! どうなってんの、これ?! アルディドさん、わからない?》
薬師のエルフは困惑に眉をしかめ、
《癒し手の弟なら何かわかるかもしれないが……でも命に別状はないようだ…いや、彼の生命の強さがこれを引き起こした…? うーん、よくわからない。とにかく、彼を寝かせる場所に案内してもらった方がいいね》
この様子を見ていたアレンが聖木と龍児を見比べながら、何気なく言った。
《あなたたちと出会ってからずっと感じていたことなんだけど、あなたたちって、不思議なものをまとってる気がしてた。僕は少しだけ自然の波長ってやつ?を読み取ることができる。だからサンドワームも操れるわけだけど、その波長が、ついさっき、彼から流れ出して、あそこの大木に吸い込まれるような感じを受けたよ》
玄人が聖木を仰ぎ見、ぽつりと言った。
《こりゃあ、ちぃっと大問題になるかもしれんのう》
彼らはエルフの案内で昏睡状態に陥っている龍児を連れ、大木の根元近くにある祈祷所のようであり、同時にエルフたちの会合場所でもあるような建物に入り、龍児を寝かせたが、特に落ち着きのない朱音にレンが寄り添って言った。
《心配なのはわかるっスけど、ボクたちはそっと見ているしかないっス。大丈夫、このヒョロヒョロは強いっス。戻ってくるっスよ、絶対に。ここに師匠がいるんスからね。おいていくはずがないっス》
動揺しきっていた朱音の耳に届いたかどうかわからないが、彼女はレンの小柄な身体を抱き締め、言った。
《こんなこと初めてなのよ…リュウの存在が感じられないのよ…ああ、あたし、すごく怖い》
龍児は蒼ざめた顔色をし、息遣いも緩く、まるで死んでいるかのように横たわっていた。これを見守る者たちにはこの意識喪失の意味もわからず、この状態から復帰させる手立ても全くないのだった。




