『女王アリ』
《このままではクイーンの御身体がもちませぬ! どうにかこれ以上排卵することを止められないのですか?!》
ほとんど灯りのない穴倉の中に、ぼんやりと白く浮かび上がって見えるものが生々しい蠕動をした。その先からぬるんっと黄色みがかった楕円形をしたものが排出される。しかし、それは外気に触れると同時に外殻を保つことができず、ぐしゃっと潰れてどろどろとした粘液の塊となって床に散乱した。
これを見ていた数匹のアントリアンたちから嘆きのため息がもれ、一段高い台座の上で横たわるひときわ大きな身体をし、異様に膨らんだ白っぽい腹部をしたアントリアンが、精根尽きたようにがくりとその頭を垂れた。その長い二本の触角もだらりと下がっている。
《……もうどうにもならない…あたくしの代わりを務められる新たなクイーンを産む力も残っていない…いいえ、卵でさえ産むことができなくなっている…》
《どうかお気を確かに。この窮状を伝えに、聖木のところへ使いを出しておりますゆえ、新たな樹液をご用意することはできるはずでございます》
まさに蟻のような顔をした侍女らしいアントリアンが慰めるように言ったが、横向きに身体を横たえていたクイーンは失笑のため息をついた。
《正気を失った者共に行かせて一体何を期待できるというの? 数年前にあたくしは新たなコロニーを持つために、聖木に使いを出しました……でも、それを取り入れて産まれたのは女王のあたくしでも理解を超えた忌まわしいものだった……そしてそれはあたくしの勝手知らぬところで交尾し、さらにグロテスクなものを次々と増やしていった……もうこのコロニーは崩壊している…でも、あたくしが放り出せば、アントリアンの一族は遠くない未来に絶滅してしまう……それをわかっていて、クイーンたるあたくしは逃げ出すわけにはいかない…あたくしにはアントリアンの女王としての誇りと責任があるのだから》
ここまで苦しい息遣いの中話していたクイーンは、不意に頭をもたげ、細かく触角をうごめかした。
《…これは珍しい……いいえ、もしかすると助けになるかしら? 上の層で正気を失っている者たちと無駄に衝突しないようにあたくし専用のう回路に誘導させることにするわ。あたくしの雄たちを目覚めさせなさい。そして来客を安全にお迎えして》
侍女の一人が懸念に満ちた口調で進言した。
《しかし、彼らを目覚めさせれば、新たな雄を産まなければならないことになります。今の御身体では相当なご負担になると…》
女王は短い笑いをもらすと、
《あたくしの身体はもうとっくに病んでいるわ。万に一つの希望を感じるからこそ、あたくしは一か八かの勝負に出るのよ。さあ、早く彼らを起こし、地表で騒動が起こる前にあたくしのところへ来客たちを連れてきなさい》
侍女たちは赤茶色の身体を曲げて一礼すると、後ろ足で直立歩行しながらその場から立ち去った。
残されたクイーンは、再び頭を台座に力なく置いたが、その二本の触角は繊細かつ鋭敏に震えていた。
《…あたくしが死ぬことはいとわない…でも、あたくしの子供たちが正気を失い、自らを破滅に追い込もうとしている状況は見逃せない…何が起きて、どうすればこの状況から抜け出せるのか知りたい…そしてそれを助けることができるのならば、あたくしは命を賭してでもやり遂げるわ…あたくしはクイーン、アントリアン一族の頂点にいるのだもの…そうすることが当然なのだから》
クイーンの呟きは、実を結ばぬ排卵の疲労の中に吸い込まれて消えた。アントリアンの女王はぐったりと脱力し、台座の上で意識を失っていた。
*****
ケイが唐突に走るのをやめ、レイジュウジャーたちとアレンに手で制すると、サンドワームの助けを借りて星母の兵士たちを撃退してきたヌーノが阿吽の呼吸で砂地に耳を当てた。
《…来るね。これは正面から入るのは難しそうだ》
《またあのクソッタレなロボットまがいのやつの手下かよ?》
と大牙が身構えながら言うと、ケイはやや困り顔になって応えた。
《この大陸に来てから、単独行動をしたらしいアントリアンの死骸を見かけてるの。あれをアントリアンと呼べば、だけれど。何が彼らに起きたのかを探るだけの余裕は、私たちにはなくてね、そのまま見逃してしまったのよ。でも、もう少し考えていれば、この巣穴に何かしらの問題が起きていることを推測すべきだった。アントリアンは完璧なカースト社会を形成しているの。それに、彼らの意思は個別ではなくて、クイーンの命令と意志を完全に共有しているの。だから、そんなふうに単独行動に出たりすると言うこと自体、異常なことなのよ》
《なんと言っても、あの外見が異常だったね。何というか……っと、彼らに察知されたよ》
陽炎のヴェールと吹きすさぶ熱風の向こうに、ゆらゆらと影を落とす者たちが、レイジュウジャーたちにも目視で着た。
《戦うの?》
朱音が単刀直入に尋ねると、ケイの困り顔はさらに濃くなった。
《私の見込み違いが悔やまれる。先にエルフの方に向かうべきだったかも。ここで彼らと一戦交えたら、数倍の軍隊に追われる羽目になる。困った》
《ねえ、あなたたちはサンドワームを使いこなせるんだから、アントリアンだって言うことを聞かせられるんじゃないのかい?》
アレンが次第に大きくなってくる黒い影の集団を見つめながら尋ねた。
ヌーノは肩をすくめ、
《『虫笛』は正常な意識をもった連中にしか効果はないよ。ほら、見てごらん、あれを。あれを正常なアントリアンだと思えるかい?》
と彼は前方を指さして見せた。
それは、レイジュウジャーたちの常識からしても、全く正常な生物とは言い難い容貌をしていた。
確かに蟻人と言うだけあり、蟻のような身体つきをし、ステレオタイプな表現をすれば、宇宙時代が訪れる以前の地球で「宇宙人」の顔としてよく描かれたような大きな楕円形のつり上がった目玉とぎざぎざの牙が張り出した口元、額にはまさに蟻の触角そのものような神経組織が伸びていた。後ろの四本脚で立ち上がり、前脚を腕のように使って弓や矛をかぎづめの長い三本指でもっている。
ここまでならファンタジーモンスターの実写として龍児の好奇心を過分に満足させるだけに済んだが、迫りくる者たちは彼らに緊張感と警戒心をもたらすような異形の姿をしていた。
額から伸びる触角の他に、何かが突き出ていた。手足にも、背や腹にも、アンバランスな突起や膿疱のようなできものが突き出し、気味悪く拍動しているのである。中には、その気味の悪い異物の侵食に耐え切れなくなったのか、体組織が破れて体液を垂れ流しているものもいた。
《うへぇっ、宇宙怪人でもここまでぐちゃぐちゃのはなかなかいないぜ》
大牙が自分たちのところまでにおってきそうな腐敗した姿に閉口して言うと、玄人が頷き、
《なんや、流行病にでもかかってしもたみたいなかっこだのう》
《でも、好き好んであんな姿になりたいなんて誰も思わないだろうから、これは誰かの仕業なんだわ》
と朱音が言うと、龍児は砂色のぶかぶかのスーツを着こんだ二人に意見を求めた。
《逆に返せば、これはアントリアンたちが危機に瀕しているということにもなりますよね。どうしたらいいんです?》
二人のどちらかが応えようとした時であった。
上空に羽音が聞こえ、彼らは見上げた。
《わっ、でかいハチ!》
《違うわよ、タイガ、アリよ、アリ》
《ただのアリじゃないよ、あれは雄アリだ》
《雄アリは特別な時にしか生まれないんじゃなかったかのう?》
《まさかこの目で雄アリが飛ぶところを見られるなんて、すごいぞ!》
とアレンが現状の危機の大きさも忘れたような口振りで言うと、美しいとも言える黒い翅脈を際立たせている透明の翅をたたんで砂地に降りてきた一匹がケイとヌーノに人間くさい一礼をし、言った。
《クイーンが我らをあなたたちのお迎えに出るよう命じました。現在、我らが住処は危機に瀕しており、あなた方に一族揃っての歓待をできる状況には残念ながらございません。我ら雄とクイーンだけが知る道にご案内し、是非にもクイーンと面会してもらいたいのです。いきなりの不躾なお願いとは存じますが、我らは存亡の瀬戸際に立たされております》
ケイがこの言葉を受け、言った。
《クイーンがあなた方と共に飛ばないということだけで、アントリアン一族に大きな異変が起きていることは明らかね。よくあなたたちを飛ばしたわね、クイーンは。あなたたちの飛翔はその命の限りの中でたった一度きりの晴れ舞台。一夜のプリンシパルたちの願いを聞かないはずがないわ。それに、私たちにも頼みがあるのよ。あの憐れな連中に追いつかれないうちに、私たちをクイーンのところへ連れていって》
《御意にございます》
雄アリたちは次々と舞い降り、その意外にしっかりとした六本脚で一行の身体を掴むと、助走をつけるように砂地を走り、はたはたと薄く脆く見える翅をはためかせた。
まるで航空機が離陸するときのような浮遊感を伴い、彼らの足は地面から離れていた。気付けば、あっという間に上昇し、熱風に乗るように空中を駆けていた。彼らに迫ろうとしていた異形のものたちはすでに黒い点と化していた。
砂丘の合間を吹き抜ける複雑な風向きを器用に利用して飛翔する、蟻社会の中のナンバーツーでありながら、最も儚くも情熱的な生き様をするものたちとその背後に控えるクイーンとの対面に、レイジュウジャーたちはこの砂の大陸に秘められたものの大きさに、緊張感をはらんだ好奇心に胸がわくわくとするのを止められなかった。
*****
クイーンが横たわる穴倉には、人間族がやってくるということで、キャンドルのようなものが無数に置かれていたが、巣穴の深層にあるせいか、外気温よりはずっと涼しかったが、とにかく息苦しかった。
しかし、そのことは彼らの不愉快指数をあげるどころか、そこに居並ぶものたちの尋常ではない風貌やそこに充満する甘酸っぱいようなにおいに、レイジュウジャーたちとアレンは心を高揚させないではいられなかった。
その興奮を最もかきたてる姿をしたものが、具合の悪いのをおして気高ささえ感じる口振りで来訪者たちに言った。
《この時機にいらしてくださったことの奇跡に、あたくしは心を打たれております。すでにお察しのようですからくどくどと説明することはやめましょう。そしてこのような事態になり、アントリアンの女王としての孤高や尊厳などというものは邪魔になるだけです。あたくしの身体がもっと自由に動けるものなら、頭を地に伏してお頼みしていることでしょう。どうか、あたくしの子供たちを救っていただきたいのです。あたくしにはもうどうにもできません。子供たちとの意思疎通ができなくなって久しいのです。彼らは憑りつかれたように暴走し、共にこの地で大地をいつくしみ、敬ってきたエルフ族にも攻撃を繰り返しています。そしてエルフたちが守る聖木にさえ、牙をたてようとしているのです》
ケイが考え込むように顎に手をやり、言った。
《ついさっき、その子供たちにあってきたよ。きっかけはなに? あれはまるでこの世界の裏次元に棲む邪念が具現化したようだった》
クイーンは心底疲れ果てたため息をつき、
《あたくしもそのように感じました。ヴェイドなど、アントリアンには無縁の場所です。子供たちはすべてあたくしの意識下にあります。魔力を持った子供たちがヴェイドとの接触をすることを特に気を付けておりました。ですが、数年前、あたくしは別の場所にコロニーを築こうと考え、新たなクイーンを誕生させようと、砂漠エルフのもとへ使いを出しました。そうです、クイーンを産むには、聖木の樹液とあたくしが分泌する体液で作った特別な薬が必要でした。そしてあたくしは卵を産みました……それが始まりだったのです》
壁際で畏まっていたアントリアンの一体が、がっくりと頭をうなだれてしまったクイーンの介添えをすると、反対側の壁に衛兵のように整然と立っていた雄アリの一体が言った。
《クイーンは今大変に御身体を疲弊させておられるので、我らがお話し申し上げましょう。クイーンは新たなクイーンとその夫となる雄たちの卵を産みましたが、それらはすでに侵されていたのです。彼らは我らの巣穴より南方でコロニーを作りましたが、そこは全くアントリアン一族としての規範をなくした、まるで別種族のようなものになり果てたものたちの住処になってしまったのです。あなた方がご覧になったあれがそうです。あれはものすごいスピードで繁殖し、数が増えるごとに意識を狂わせていくようでした。その狂気は飛び火し、我々のコロニーにまで侵してきました。今、我々の巣穴に棲むものの半数は正気をなくしたものどもで占められています。その狂気はクイーンの御身体にも影響をもたらし、今では動くこともままなりません》
《つまり、元凶は、新たなクイーンを産もうとして、聖木の樹液をもらいに行ったことになるのかな。でも、何か聖木に異変があったとしたら、エルフたちが気付いていただろう…うーん、聖木か…そっちのこともあったんだよなあ》
ヌーノが首をかしげて呟くように言ったのに対し、こういう話し合いの場では珍しく、大牙が発言した。
《なあ、思うんだけど、その聖木ってやつ、どんな具合になってるか見てきた方がいくね? パッと見、その樹液っつうのがすっげーあやしい気がすんだよね。そこにはエルフもいるんだろ? エルフなら、この病気のアリンコのおばさんを治せたりしねえか?》
「アリンコのおばさん」という単語を理解できないと言ったようにアントリアンたちの複眼が大牙を見つめるのを、ケイとヌーノだけは面白がるように眺め、ケイが言った。
《そうね、そのとおりかもしれない。だけど聖木までは遠いわよ。それに、エルフは人間族とはなかなか交渉しないものよ》
《そのことはたぶん大丈夫だと思います。どういうわけか、エルフの大魔道士からお墨付きをもらっているんです》
と龍児が言うと、ヌーノがぽん、と手を打ち、レイジュウジャーたちを改めて見回した。
《そうか、魔道帝国のごたごたを丸く収めたのは君たちか! エルフの大魔道士とはケイラン・マグナスのことだね?》
《何かしら、この偶然の集約は。私はあまりヴォルテックス理論は信じていないのだけど、なんだか気味が悪いくらいのことが起きているようね。でもこの際、利用できるものは思い切り使わせてもらうわ。あなたたちならできるでしょう。私たちは、あの白頭巾がここに入り込まないよう警戒するために残るわ》
とケイが決断をすばやく下すと、アレンが終始うずうずとしていたのを爆発させるように手を挙げて割り込んできた。
《聖木のところに行くなら、僕のサンドワーム(デザートハリケーン)に乗っていくといいよ! 速いよ~!》
表情のないアントリアンにも、この子供っぽい陽気さは理解できたのか、その場に漂っていた重く深刻な空気が少しだけ晴れる。
クイーンが侍女にもたれかかりながら言った。
《すべてはこの世をめぐる命の巡りの流れのままに…どうかお願いします。決してアントリアン一族の保身のためではございません。わたくしたちの滅亡は、命の天秤の一画を崩すことに繋がりましょう…どうかお願いします…》
《任せときなって、アリンコのおばさん》
どん、と自分の胸を叩いた大牙は、自分と同じくらいの身長のアレンの肩に気安く手をかけると、
《「デザートハリケーン」って、ちょっとありきたりじゃね? 俺がもっとかっけー名前つけてやんよ》
深刻さのまるでない若者たちとアレンが雄アリの一体に案内されてその場から地上に向かうのを見送った「流浪の民」の二人はそれぞれため息をついて独り言ちた。
《なんだか宇宙文化を持つ割に原始的ね》
《たいてい高慢ちきな連中が多いのに、人間味をなくしてないところがいいね》
すると、クイーンが安堵したように脱力しながら二人の呟きに応えた。
《真の勇者はああいうものなのでしょう…心が純粋でなければ、善悪の判断を下すことはできません》
そしてクイーンは再び疲労感の中に一抹の希望を灯しながら意識を閉ざした。
*****
「タイラント・オブ・デューン」だの「デッドリィ・サンドストーム」だの「クワイエット・ルーラー・オブ・デザート」だのと、中学二年生的な発想力を最大限発揮している大牙とアレンを放置気味に、他の三人は宇宙規模で見ても巨大でありながら、こうしてヒトを乗せて移動する稀な生物に驚き興奮しながらも、これからの自分たちの行動の方針について内線でキリルを交え、話し合っていた。
『ふーむ、そういうことだったのか、宇宙座標をとることができなかったのは』
とキリルが考え深く言った。
『確かにこの惑星には高度な科学文明が存在していたんです。それが何らかの出来事でこの地上から消え、「管理者」という人工物を残したんですね。それはいつの日かこの惑星がかつての文明度に近づいた時に発動するコマンドがインプットされていたんでしょう。「管理者」は、僕たちがグリアナンに到着したのをいち早く察知し、ファンロンの遮蔽システムに感応しました。「管理者」は僕たちをかつての住人、つまり、ここの人たちが伝説的に話す『太古の民』と同類の存在と認識し、僕たちが「管理者」の要求を疑いもなく受け入れると思い込んでいました。もちろん、僕たちは「管理者」の思うところに疑問を持ち、断りました。するとそれは首長たちを人質に、僕たちに強引な要求を突き付けたわけです』
と龍児が話すと、玄人はいつもののんびりとした口振りで言った。
『もちろん『太古の民』っつうのが何かの不幸にあって、この星から消えたことは残念なことだったかもしれんが、この星自体を自分の所有物のように扱うんは、ちっといただけんなあ。昔は彼らがこの地を支配していたかもしれんが、今は巡り巡って新しい人々が自分たちの命をまっとうする世界になっとるんじゃ。それを壊してまで蘇るんは、なんや、横暴じゃと思うのう』
『しかし、私たちはほんの少しのタイミングのずれで、この星に閉じ込められたも同然になったわけか。その『太古の民』のシステムを改変して回る者たちは言ったんだろう? トランスワープチューブを作りだせると』
キリルが多少の驚きと落胆をこめて言った。
『はい、そのようなことを言っていましたね。彼らには相当の宇宙物理学と量子力学の知識と技術があるようです』
龍児は空を見上げ、
『しかし、彼らが守ろうとするこの星の人々を見限って、僕たちの要求を押し通すことなどできません。たとえ、僕たちの帰路が断たれてもです』
『悲観的すぎるわ、リュウ』
朱音がじろっと龍児を見やって言った。
『もちろん、あたしたちは地球に戻るに決まってるじゃない。ここに来れたってことは、出て行くこともできるってことよ。ただ、今はガス欠でできないだけ。それに、困ってる人を置いていくことなんてできないし』
『僕が悲観的だとすれば、お前は楽観的過ぎる。僕たちはアルファ宙域で戦っていたのに、この場所に飛ばされてしまった。宇宙座標も星の名すらわからないところにだよ。この星がどんな場所にあるかもわからない状態で宇宙に飛び出すなんて、もってのほかだ。亜空間バリアを突破したとしても、その先は一体どこに通じているんだ? 僕たちは本当にさすらい人になるよ』
『二人とも、そういうことは私が考えることだよ』
キリルが剣呑とした空気を感じたように言葉を挟んだ。
『トランスワープチューブを造り出せるだけの重力場が近くに、あるいはこの星自体にあるとすれば、それは私たちにとっては吉報だし、となればエキゾチックマター、つまり反重力を及ぼす物質も存在しているはずだから、私たちの力を総動員すれば成し遂げられないことではない。だがそれはまだ先の話だよ。ファンロンはまだまだ腹をすかしているし、君たちはその正義の力を人々に求められている。君たちはどこの世界でも正義を貫き、平和をもたらすヒーローなんだからね』
『そのことなんじゃが』
玄人は朱音と龍児から流れる空気の悪さを紛らわすように言った。
『わしらのせいでひどい目になっとる人たちがおるんじゃ。今人質に取られとる。とりあえずわしらは今あそこから逃げ出したわけじゃが、ジェネレータを止める作業を簡単にやってしもうては彼らの命が危のうなる。どうにか彼らを助けて、わしらが自由に動けるようにすることはできんかのう?』
『何かインプラントをされているようだと言っていたね?』
『そうじゃ。あの人工生命体が外の状況を監視するのに使っとったんだと思うんじゃが、命を脅かして脅迫するようなシステムまであるとは、大昔の文明はなんや、あんまし居心地のよくなさそうな世界だったみたいじゃの』
『文明が高度になると、そういう優越主義が蔓延するものだよ。これはどこの世界でも共通の弊害のようだ。一人、そのインプラントの拘束から逃れた者がいたと言っていたね? その者には抗体があると』
『そうらしい。システムを凍結して回る二人組と、人工生命体の主はどうやら同種族だったようじゃ。そこに秘密があるんじゃないかのう』
『だとしたら、一人助かった者のDNA配列を解析できるだけの組織片を私のもとに送ってくれないか。それをもとに、インプラントを無効化する抗体を作ってみよう』
これを聞き、玄人は早速前に座る大牙とアレンの肩を叩き、言った。
《ちょっと頼みがあるんじゃが》
《なんだよ、クロト。今いいアイディアが浮かんだのによ。あっ、これこれ。「隻眼の砂漠の王」ってのどうだ?》
《こいつに目なんかないぜ。普段は砂の中だからね。で、頼みって?》
アレンに促され、玄人は続けた。
《あんさんの仲間を助けるのに、あんさんの血をちぃっとばかしもらえんかのう?》
《僕の血? なんかまじないでもするのかい?》
アレンは疑うと言うことを知らないのか、短剣の切っ先で自分の耳たぶをちくり、と刺した。ぷくっと鮮血が溢れてくる。
それを、玄人の太い指先が掬い取り、察しよく龍児が真っ白なハンカチをアレンに差し出した。
年若い首長は耳たぶを白いハンカチで押さえながら、玄人が手首にはまるブレスレットのようなものに血の付いた指を押し当てるのを見、面白そうに言った。
《君たち、みんなそのブレスレットをしてるんだね。君たちも僕たち首長みたいに繋がりがあるのかい?》
《繋がり? そうね、すごく深いつながりよ》
と朱音が何気なく言った一言に、龍児の顔色が暗くなったが、アレンは血で汚れたハンカチを返そうとしてやめながら、
《僕はこの大陸から出たことがないんだ。ほんとは気ままに旅をしてみたかったけれど、首長なんかになっちゃったから、もうだめさ。ま、他の連中よりかはましかもしれないけれど。こうしてサンドワームと……っと、こいつはまずいぞ、誰か砂漠のタブーをおかした奴がいる》
アレンがサンドワームの上で馴れた物腰で中腰になり、ベルトに下げた袋から遠眼鏡を取り出して前方を臨んだ。
《砂漠のタブーって?》
朱音が尋ねると、アレンは遠眼鏡を覗き込んだまま応えた。
《むやみに生き物を攻撃することさ。ここは不毛の地だから、生態系もぎりぎりのところで回ってる。人間はここでは主役じゃないんだ。でも見殺しにはできないね。このままじゃ、一口で飲まれちまう》
とアレンが言った時、信じられないような光景が広がった。
砂漠の砂地がぐわっと口を開けたかのように動き、固体とも流動体ともつかない動きで何者かに背後から迫っていたのである。
《なにあれ?! あれ、生き物?!》
朱音が唖然とするのも無理はない。それはどこから見ても砂の塊にしか見えなかった。アレンはサンドワームに何かの命令を出すかのように口笛を鳴らしながら言った。
《サンドワームを砂漠の王者と言う人も多いけれど、僕はむしろあのサンドイーターの方が砂漠を支配し、見守っていると思うことがあるよ。あれはね、一つ一つはすごく弱くて小さい流動体の生物なんだ。普段は砂地に交じっていて、なんの影響もないんだけど、何か敵意を感じると、ああして敵意を持った者に攻撃をしかけるのさ、流動体が集合してね。だからあんな姿になるんだ。この先にオアシスの気配を感じる。そっちに誘導するよ。サンドイーターは流動体だから、水辺には近寄らないんだ。溶けてしまうからね》
追われている者は二人組のようだった。おそらくグリアナン新首都で借りたか買ったかしたグリアナンブラックに二人乗りしている。
その二人がこちらに気付き、驚嘆と危機感の叫びをあげるのが聞こえた。
アレンは身を乗り出して右手で方向を指し示して叫んだ。
《南東へ向かって! そこにオアシスがある!》
思わぬ助けに、黒い二本脚の鳥に騎乗していた一人が手を振り回して了解の合図を返してきた。アレンは再び口笛を鳴らしながら、砂地が津波のようにうねり、荒ぶる真ん前にサンドワームを向かわせると、言った。
《さあ、その怒りを鎮めるために一度サンドワームの中にお入り。そして穏やかなものになって砂の中に戻るんだ。もう砂漠を乱す者はいなくなるからね》
そして再びレイジュウジャーたちは驚いた。サンドイーターなるものの幅も高さもすごかったが、アレンが操るサンドワームがぐばっと口を全開にしたときの大きさと、細かな牙のようなものが無数に生えている赤黒い口の中の様子に圧倒されたのだ。
クレマチスの花弁のようにぱっと開いた口がものすごい勢いで大気を吸引し始めた。サンドイーターの輪郭が崩れ、まるで掃除機に吸い込まれるように砂地がサンドワームの口の中に入っていく。
《わっ、ひゃっ、なにこれ?! こっちまで砂が飛んできたわ!》
朱音がまるで砂嵐のような光景に思わず顔を覆うと、そのうでにぴたぴたとくっつく何かを感じた。それを見た彼女は女の子らしく悲鳴を上げて慌ててそれを弾き飛ばした。
《いやっ、これ、ヒルみたい!》
《ヒルというか、クリオネみたいだね》
《うへー、すっげー…魔法なんか目じゃねえな》
《ここはまた一風変わった常識がまかり通っとるようじゃのう》
まもなく、砂地の魔物はすべて吸い尽くされ、砂漠は何事もなかったように乾いた風とさらさらと崩れては積み上がる砂丘の尾根の続く場所に戻った。
《さーて、世間知らずな冒険者に小言を言いに行くとするか》
とアレンが面白半分に言い、サンドワームを近場のオアシスに向かわせて出会った二人の旅人を見、レイジュウジャーたちはまたも驚かされた。特に朱音がである。
彼女は彼らを見て素っ頓狂に、だが少しのたしなめをこめて言った。
《なによ、あなたたちなの?! レンをカーマインに連れて行ってくれたんじゃないの、アルディドさん?!》
砂避けのマントとマスクをとった二人は、確信犯らしきにやにや笑いを隠さず、応えた。
《別に追ってきたわけじゃないっスからね、師匠》
《いやはや、どうやら僕たちの星は君たちと相当に密接になってしまっているようだね》
朱音は何か叱りつけようとしたが、断念したようにため息をついて言った。
《いくら言ったって無駄ね。ちょうどいいわ、これからエルフの集落に行くところなのよ。せいぜい役にたってもらうわ、アルディドさん》
アルディドは人差し指と中指を伸ばして敬礼のような仕草を額の前ですると、全く反省していない様子で言った。
《アイサー、キャプテン。僕たちもそこへ向かうところだったんでね。彼らとは古い馴染みだ。きっと役に立てると思うよ。にしても、こいつはびっくりだねえ。サンドワームをこの目で見られるとは》
こうして思いも寄らぬ同行者を加え、彼らはグリューネの聖木が守るエルフのオアシスへと急いだのだった。




