『砂漠に降る雪』
グリアナン共和国の9人の首長たちが一堂に会するのは、珍しいことだった。まだ完全に砂に埋没しないで堪えているいくつかの自治区の首長たちも、車輪の代わりに橇がついている乗り物を、『グリアナンブラック』と呼ばれる大型鳥類に引かせ、大至急に海岸沿いの新市街『ニューアクロポリス』に駆け付けたほどの、椿事が起きていた。
砂漠化による気候の変動のため、極度に乾燥化が進んだせいで、このレッドファーン大陸に多く自生していた『グリアナンナッツ』の木は、今では街中に数えるほどしか残っていない。そして、その繁殖力も衰え、花をつけることはほとんどなくなっていた。
それが、突然、一夜のうちに蕾を持ち、一斉に咲き誇ったのである。ニューアクロポリスでは今や、まるで雪が降っているかのように花びらが舞い、芳香で満ちていた。
グリアナン独特の、何枚も布を巻き付けたようなローブに裾のすぼまったズボンを穿き、幅広のベルトには装飾的な鞘に収まった短剣か曲刀を下げ、手指に留まらず、つけられる場所ならどこにでも装飾品をつけた9人の男たちは、広間の中に運ばれてきた輿を珍しさを通り越し、不安さえ感じさせる様子で見つめていた。その両脇には、その輿を担ぎ入れた数名の人物が畏まるように片膝をつき、頭をうなだれている。その頭にかぶられた頭巾には五芒星のようなマークが染め抜きされていて、そのマークは、その仰々しくも不可思議な雰囲気をかもす輿の前に垂れる分厚い布にもより装飾的に縫い取られていた。
《……先日の報せを受け、こうしてここに集ったわけだが、その輿の中にはどなたがおられるのか?》
しばらく流れていた沈黙を破ったのは、首長の中でも最年長のヴァレンティン・ド・ヴェルフォールだった。頭に巻いたターバンから流れ落ちるような長い黒髪が印象的で、南国グリアナンに代々暮らしているにもかかわらず、肌は白く、それが彼の中性的で端麗な顔立ちを強調していた。
この静かな問いの応えは、輿の中から聞こえてきた。御輿の両側に畏まる者たちは微動だにしていない。
《今、この地に起ころうとしている変事を知らせるため、わたくしは目覚めました。星が告げています。時は満ちたと。そしてその時を見計らったように花が咲き、砂漠の乾いた風に乗り、雪のように舞っているのです》
奇妙な声だった。
透明感があり、明瞭なのだが、何かがしっくりこないような胸のざわつきを覚えるのである。
すると、この応えに対し、懐疑的なため息をついたのは、ローレンツ・ド・ヴェルフォールである。彼は片肘を腿の上でつき、もう片方の手には飲みかけの高価な葡萄酒のグラスを持っていた。その女性的な顔立ちには、どこか頽廃的で、無気力な影が刻まれている。緩く波打った金色の長髪を高々と結い上げ、そこに宝石や貴金属の飾りを差しているところなど、そこにいる他の首長たち、つまり従兄弟ないしは血縁者の中でも最もなよやかに見えた。
《『グリアナンナッツ』の木はもう何十年も花をつけなくなっていたのは知ってるし、アタシも驚きはしたけれど、それを何かの前触れみたいに考えるのは大げさすぎなぁい? それ以前に、その顔を見せないつもりなのぉ? 誰ともわからない者の言葉を鵜呑みにするほど、落ちぶれちゃあいないわよ》
《はっはっ、始終酒浸りの君にしてはまともなことを言うじゃないか。その頭巾を見れば星詠人の誰かなのかは想像がつくけれど、その大仰な乗り物のままここに入ってきて、御簾を上げもしないで話し合おうと言うのは、フェアじゃないし、正直なところ、無理にその布をめくりたくなるね》
と、葡萄酒をごくごくと飲み続ける彼に対して少しの揶揄をこめつつも、好奇心を膨らませているように言ったのは、エステル・ド・ヴェルフォールだった。天使のようにカールした栗色の髪は、まさに彼の無邪気な好奇心旺盛さを表しているかのようである。彼は隣にいたローレンツの手から飲みかけのグラスを奪い取り、ぐっと一息に喉に流し込むと、反応のない輿を空のグラスで指し示しなから言った。
《なんだかイライラするなあ。確かにお前たち星詠人が秘密主義なのは知っているが、長く僕たちと折り合ってきたんだ。旧首都が砂に埋まることを予見したのもお前たちの星占のおかげだったと聞いている。それとも、顔を出せない理由でもあるのか?》
すると、輿の中の何者かが淡々と応えた。やはりその声は流ちょうながら、耳障りに聞こえた。
《不愉快な思いをさせてしまうことはわかっておりますが、この御簾をあげることはできません。なぜなら、わたくしはこの輿の中でしか存在することができませぬゆえに》
この言葉を聞き、ヴァレンティンの表情が大きく動いた。
《まさか、あなたは星母ナジか?》
「えっ?!」ばかりに首長たちがヴァレンティンと輿の両方を見比べる。
御輿の中の人物は儚げに応えた。
《…はい、ナジと皆様がお呼びになるものでございます。滅多に外へは参らぬがゆえ、このような不躾な訪問をせねばなりませんでした。しかし、この度の星の動きは、今までになく強い影響力を持つと判断しましたため、使いの者に任せるわけにはまいりませんでした》
《ハッ、星母ナジだと? ますます俺は好かんね、こういうのは。くだらん星占いで右往左往しているとしか思えん。単に花が狂い咲きしただけのことではないか。あるいは、死期を悟った樹木が最期に一花咲かせただけのことかもしれない。俺は、信じられないね》
と大仰な手振りを添えて言ったのは、レスリー・ド・ヴェルフォールである。赤銅色の短髪が彼の短気で直情的な性格を表しているかのようだ。
すると、ひょうきんな口振りで、居並ぶ首長たちの中では一際小柄で少年のように見えるアレン・ド・ヴェルフォールが言った。
《でもさ、このことを無視して、後の祭りになる方が愚かだと思うけどね。ここまでサンドワームに乗ってきたけれど、連中も何か落ち着かない感じだったよ。これは僕たち人間だけじゃない、もっと大きな事件の始まりなんじゃないかなあ?》
レスリーは、自分たちとはやや毛色の異なるアレンをさげすむような眼で見ると、
《そういうお前は母親が流浪の民の血筋を引いていたっけな。星詠の連中と同じようなことを言うはずだ》
《レスリー、言葉を控えないか》
ぴしり、とヴァレンティンが言葉を挟み、言い合いになりそうな両者と、端然と佇む御輿を見ながら続けた。
《流浪の民の優れた占星の業や、異種族との折衝の際の緩衝役のおかげで、今の我々があるのだ。砂の侵食からいくつかの自治区を守り、この新市街を人が住める場所に保ち続けているのも、彼らの連綿と受け継がれてきた知識と業のおかげであることを決して忘れてはならない。それで、我々はどうすべきだと言うのだ?》
と言う問いかけに、自ら星母ナジと名乗った謎の人物が応えた。
《わたくしが目覚めたのは10日ほど前でございます。天球儀に今までにない星の並びが現れ、それがある形を描き出したのでございます。わたくしの役割は星を見守り、その時が来た際の鍵を渡すことでございます。そしてその時がまさに来ようとしていると、わたくしは確信したため、こうしてあなた方のもとへ直接申し上げに参ったのです》
《その時、とは一体どういうことか? 何かの凶兆の前触れなのか?》
とヴァレンティンがぎょっとしたように言うと、ナジは応えた。
《それはわかりません。「その時」が一体どういう状況下で生じ、「鍵」が開けられるのかを知るのは、わたくしの役割ではございません。ただ、その「鍵」となるものの見極めはできるものと確信しております。したがって、ここへ来て、天球儀が示した星の意味を理解し、次なる行動の指標を示すのが、わたくしの役目でございます》
頭から信じていないらしいレスリーが両手を振り上げて嘆息したのに対し、思索家らしい面もちで聞いていたイヴリン・ド・ヴェルフォールが終始閉じていた瞳を開いて言った。その両眼は左右で色が違い、その透き通るようなプラチナブロンドの髪色とあいまって、幻想的な空気をまとっているようだった。
《星母を覚醒させるほどのことならば、見逃すことはできないよ、レスリー。もちろん、懐疑的になるのはわからなくもないが、私たちの国は星母が見守る天球儀に守られてきたことは確かなことなんだ。ま、『砂漠に降る雪』の言い伝えが実際に起きたのは、とても吟遊詩人的だけれどね。しかし、実際に、今のグリアナンは普通じゃない。砂漠化は進み、蟻人たちは増え続け、エルフは小さくなっていくオアシスにへばりつくようにして細々と生きている。だが、皮肉なことに、そういう現状が多くの冒険者たちをここに引き寄せる原因になっている。星母が感じた何かはおそらく外から舞い込む何者かなんじゃないかな。残念ながら、私たちの手だけでは余るようだね。何と言ったって、相当に気力をなくしてしまっているからね、我々は。あまりに砂の毒に晒され続けてしまった弊害さ》
《詩ばかり書いているお前と一緒にしてもらいたくねえな、イヴリン。アントリアンなど、この俺が一掃してやるよ。よそ者の手を借りなくちゃならねえなんて、ほんと、情けねえったらないね》
すっきりとうなじの辺りを刈り込み、耳の上あたりからくるくるとした焦げ茶の巻き毛をしたイーサン・ド・ヴェルフォールが噴飯ものだと言いたげに意見した。
すると、そんな彼をじろりと睨みつけた腹違いの弟であるルークが嫌味たっぷりに言った。
《アントリアンの干し首の数をいまだに自慢する異母兄さんの方がよっぽど時代錯誤もいいところさ。今、どれだけ連中が繁殖し、この砂地の下に巣穴を広げているか、知ってるのかい?》
この異母兄弟のそりの合わなさは今に始まったことではないので、首長たちはとりたてて非難も忠告もしなかったが、ルークの言葉を受けて、これまでひっそりと坐していた者が、これまたひっそりとした小声でこう言った。
《確かにアントリアンはこの数年、異常なほどに数を増やしているし、凶暴になっています。知っていますか、連中は、これまで共存してきた砂漠エルフに対して戦いを仕掛けているそうですよ。今回の異変は、もしかすると『グリューネの聖木』の救難信号なのかもしれませんね》
またもレスリーが小ばかにしたような強い嘆息を投げ、一方のイーサンは影の薄いマリウス・ド・ヴェルフォールに食ってかかるように言った。
《だったらなんで俺らは奴らの討伐隊を出さねえんだ? 冒険者に依頼するなど、俺ら民族の名がすたるってもんじゃねえか。かつてはレッドファーン随一の戦闘国家だったんだろ? 今では『グリアナンブラック』までもがただの移動手段に成り下がっちまってる。優秀な軍鳥になるというのに、なんてざまだ》
《マリウスの言うことは図に当たっているかもしれないよ、イーサン。事実、かつては共同戦線を張っていた獣人とエルフがいさかいを起こしているのだからね。元は緑を愛するエルフがなぜこの不毛の砂漠に残り続けているか…それはあの巨木を守るためさ。君が少しでも私の詩に耳を傾けていてくれれば、あの巨木がドラゴンの慣れの果てだと言う伝承を知っているはずなんだがなあ》
と、やりこめられていたマリウスに助け舟を出したのは、オアシスに戯れる妖精のごとく美しい詩人のイヴリンだった。イーサンは「ふん」と聞く耳を持たずと言った様子で眉をしかめ、
《お前の女々しい詩なんて聞く暇はねえよ。俺は国を守るのに忙しいんだ。お前みてえに暇人じゃねえ。ドラゴンの慣れの果てだと? それこそおとぎ話だ。空想家のお前が好むはずだよ》
イヴリンは手厳しいイーサンの言葉をさらりと受け流すように言った。
《アレンが言っていただろう? サンドワームも何かを感じていると。彼らは砂漠の全てを知り尽くす、言い換えれば、砂漠の王者だ。それがなにものかに感応している。これは一大事だよ》
《ハッ、虫使いの血を引く者の言葉など、信用できんな》
レスリーが吐き捨てるように言うと、ローレンツが何杯目かの葡萄酒を飲みつつ、無感動に言った。
《反目しているエルフに聖木、蟻人にサンドワーム、そして星母に『砂漠に降る雪』……ああ、面倒くさいわぁ…アタシはずっとだらだらしていたいのにぃ》
それぞれが異なった気質を持つ首長たちを見回したヴァレンティンは、じっと首長たちの結論を待っている者に言った。
《我々はまず第一に砂の猛威から逃れ、国民が安全に生きるために努力をすることが優先される。しかし、この異変が現実のこととなった時、それが吉兆かそれとも凶兆か、いずれにしても、我が国の存続のために、首長として、是非にも乗り越えねばならない試練だと考える。星母ナジよ、我らにはあなたのように砂の波紋や風を読み、星占で未来を予見することもできん。全力でこの異変の真実を究明してほしい。そしてこの『砂漠に降る雪』なるものの核心を掴んでほしい》
《もちろんでございます。それがわたくしの使命でございますゆえに。このような不躾な姿のままわたくしの言葉を聞き入れてくださり、ありがとうございました。「それ」が何であるか星に顕れた時には早急にお報せしたいがゆえに、しばらくこの地に滞在させていただきたく思います》
《よろしい。私の館でお待ちになられよ、星母ナジよ》
この言葉を聞くと、スイッチが入ったような動きで御輿の横でしゃがんでいた者たちが肩に担ぎ棒を乗せて立ち上がり、ゆったりと立ち去って行った。
少しの間、様々な思惑が錯綜しているような沈黙が流れたが、最も年下のアレンが膨れ上がる好奇心を抑えきれないといった様子でパッと立ち上がり、言った。
《ねえ、皆、どうしてそんな顔してるのさ? これは、千載一遇の大冒険になるかもしれないんだよ? それを逃すなんて、もったいないじゃないか。ヴァレンティン、あなたまでそんな浮かない顔してさ。もっと簡単に考えればいいんだよ。のるかそるか。乗らなかったら、きっとこの勝負、完敗だよ。そうなったら、僕たちの国はおしまいさ。そんな気がするよ。なんだい、皆してだるそうにして。星母ナジだぜ? 絶対すごいことが起こると思うよ。じっとなんかしてられないよ。よーし、僕、街の中をぶらついてくる。白い花が散ってる街を歩くのもすごく気持ちがいいし、もしかすると、ナジより早く何かを見つけてしまうかもしれないじゃないか》
アレンが見切りよくすたすたと出て行ってしまったのを見送った面々は、それぞれ酒を飲んだり、黙り込んだり、不機嫌に口を捻じ曲げたりしていたが、最もけだるそうにしていたローレンツがゆらりと立ち上がり、言った。
《こんなふうに顔をほっつき合わせていても、アタシたちにはなんの対策もできないんじゃなぁい? だったら、せいぜい武器のお手入れでもしておくべきなんじゃなぁい? んもう、武器なんてどこにしまい込んだかわかんないわぁ…ああ、面倒くさい。アタシはお酒を飲んで、美味しいものを食べて、娼館で派手に遊ぶことが一番好きなのに、どうして砂漠に出張るようなことになっちゃったの? 砂漠は嫌いなのよぉ、アタシ。ちなみにこの街も嫌い。なぜなら、すぐに砂まみれになるからよ。せっかくのヘアスタイルが台無しになるんだもの》
ほろ酔いの足取りでなよなよと出て行ったローレンツの線の細い背中を見やり、イーサンが軽侮とも羨望ともつかない嘆息を投げた。
《あれで弓を持たせたら一流なんだからな。あんなに女々しい奴なのにだ。あのしなを作った様子を見ると、反吐が出るぜ》
《そんな彼が武器の手入れをしようと一念発起したのだから、我々も怠ってはならんな》
ヴァレンティンがうっすらと笑いながら、残りの者たちに立つよう手で示して言った。
《星母は決して大げさなことを言いに来たのではない。事実、星母は28年前の旧首都の埋没を予見し、我々は滅亡から救われたのだからな。「その時」はきっとくるのだ。我々は首長だ。グリアナンを守り、住人を守るのが役目だ。そのことを忘れないように》
こうしてグリアナンの首長たちは、靄のかかったような近い未来に少しの期待を覆う何と確信できない不安感にとらわれながら、首長謁見の広間からそれぞれの館に戻っていったのだった。
*****
アレンは、緊急招集された理由の重大性などに動揺のかけらもない様子で、久しぶりの新市街の散策を楽しんでいた。
彼が首長としてあるロストックフォール自治区は、この新首都から南西の海岸端で細々にせよ、砂の侵食から逃れている数少ない小国だった。付け加えると、異母兄弟でいがみ合っていたイーサンとルークの自治領もまだなんとか息を繋いでいた。
彼が暢気にバザールのアーケードを物見遊山的にぶらぶらとするのも致し方ないかもしれない。
と言うのも、彼が首長と言う責任ある立場に祭り上げられたのは一年前ほど前のことであったし、その経緯も偶然が度重なった結果であった。
まず、彼の父親が長年苦しめられていた肺病で死に、続いて継承した異母兄たちも事故や災難、突然の病などでなくなってしまったのである。
その結果、継承権が最も低かったアレンにお鉢が回ってきたわけなのである。
この継承には少々論争を引き起こした。なぜなら、彼の母親に「流浪の民」の血が混じっていたからである。
短気なレスリーが彼に母親のことで嫌味を言ったのは、このグリアナンに住んでいる者ならば本能的な反応であったし、アレン自身もそのことに対し、敢えて反発することをやめていた。反発すればするほど、母の血筋を貶める気がしていたからだし、むしろ、自分に「流浪の民」の血が流れていることを誇りに思っている節があった。
しかしながら、今現在、生粋の「流浪の民」の存在を確認することはできていない。だから、実際にどのような種族だったのか、今になっては想像もできなくなっていたが、グリアナンの魔道士ギルド的な立ち位置にある「星詠人」たちの集団が、「流浪の民」の末裔ではないかと言われていた。
「星詠人」は決してその顔を晒さない。そしてどのようにして連綿とグリアナンの存続を支えるために命を繋いできたかも不明である。そして星母ナジと呼ばれる存在の真実も全くの謎の中である。しかし、その真実を、グリアナンの人々や首長たちも、追及することはなかった。なぜなら、「星詠人」はグリアナンの人間にとって一つの「道具」でしかなく、その「道具」にどんな由来があろうと、いちいち問いただすことなど不必要だという考え方をもっていたからだ。当の「星詠人」たちも外部との交渉は好まず、グリアナンの人々の無関心さがなければ、彼らはもしかすると、「流浪の民」のように姿を消してしまっていたかもしれない。
いや、ただ一つ、この謎めいた種族に特有の能力があることを、アレンが証明していた。
彼には砂漠の王者、サンドワームを操るという大技があった。
この巨大生物の生態も、ほとんど人間たちには伝わっていない。ただし、砂漠地帯を旅する者にとっては、脅威であると同時に、討伐してみたい大型生物の筆頭にあがっていた。しかし、そのようなことができたという話は伝わっていない。捕食されたか、砂に飲み込まれたか、いずれにせよ、謎の多い生物だった。
それを、アレンは自由に呼び出し、自家用乗り物のように乗りこなすことができた。このことから類推するに、「流浪の民」は砂と共に生きる術を完全に獲得した、特異な種族だったのではないかと思われた。
他の首長たちと違い、程よく日焼けし、無造作にまとめたダークブラウンの髪をしたアレンは、果物屋で水気たっぷりの西瓜のような物を求め、シャリシャリと白い歯を立てて食べながら、青空に舞い散る白い花弁を見上げ、嘆息した。
《花なんて初めて見たさ…綺麗だなあ》
と呟いた時、彼のベルトに下げられていた小さな籠のような物の蓋がぽん、と開き、ひょっこり頭を出したものがあった。アレンはすぐに気付き、言った。
《あっ、こら、おとなしくしてろよ、ルル。ここは僕の国じゃないんだからね。お前を見たら、箒で叩かれて追い回されちまうぜ》
それは「キュッキュッ」と小さく鳴き、ネズミのような顔を背後に向けた。
《おやおや、驚かせてしまったみたいだね、君の「砂ハリネズミ」くんを》
『グリアナンナッツ』の芳香に交じり、ふんわりとした清潔な石鹸のような香りを漂わせて、アレンに声をかけたのは、プラチナブロンドをざっくりと三つ編みにして背中に長く垂らしたイヴリンだった。
アレンは、ペットのネズミのような小動物を籠の中に押し込めると、意外そうな眼差しをして応えた。
《新市街に移った首長たちはみんな出不精になってるって思ってたけど》
イヴリンは温和な微笑みを返し、
《そのように言われても仕方ないね。ここにいる限り、とりあえずの脅威からは逃れられるし、自治領を治めるための苦労も手間もない毎日だからね。君には怠惰に映って当然だ》
アレンは、イヴリンのベルトに下がっている土鈴のようなものを見やり、
《あなたはその「笛」で何か詩でも作ってると思ったよ》
《まあ確かにそのようなことをしている時間は長いが、詩人としては、この事象をただ傍観しているのはもったいない気がしてね。君もそうだろうが、私もこれほど花が咲き乱れる様を見たことはないんだ。せいぜい私の温室で鉢に植えられた草がひねこびた花をつけるのを見る程度だからね》
《その詩人の感覚で、何か感じないのかい?》
アレンのまっすぐな問いかけに、イヴリンは苦笑し、
《そういう感覚は、君の方が勝っているんじゃないかな?》
アレンはこれを笑い飛ばした。
《あなたのそういう分け隔てのないところが好きだよ。レスリーとは大違いだ。でも、残念ながら、何にも感じない。ただ、そわそわするだけさ》
《ならば、実際的に行動しようではないか。波止場に向かってみよう。それと、冒険者ギルドにも》
《へえっ、詩を書いてばかりかと思ったけど、普通に頭、回るんだな》
《こら、私を見くびらないでくれよ、アレン》
毛色の異なる二人の首長たちはバザールを通り抜け、内海に開いている港に向かった。
港は、この国が危機に瀕しているとは思えないくらいに様々な人々で賑わっていた。
特に目立つのは、冒険者たちである。武器を持ち、鎧櫃を背負い、油断のない目つきをしているので、すぐに見分けがつく。そして彼らは入国の簡単な審査を警備隊から受けると、一様に、港に隣接している冒険者ギルドに足を向けるのである。
アレンはこの光景を見、やや表情を曇らせて言った。
《いくら蟻人たちが増えたと言っても、彼らは砂漠で共に暮らす連中なんだけどなあ…相変わらずサンドワーム討伐は人気みたいだし。こう言っちゃなんだけど、彼らは決して凶暴なモンスターなんかじゃないんだぜ。食べるものだって、砂の中に紛れてるちっこい虫とかだし》
イヴリンはぽん、と少しの同情をこめてアレンの肩を叩き、次々と到着する船から降りてくる者たちを眺めて言った。
《ものの捉え方はその人次第だよ。商人や職人は、砂漠で採れる貴重な宝石や特産の「エメラルドレーズン」の畑を守りたいだけなんだ。彼らも生きていかなくちゃならないからね。それに、冒険者たちにとって、「彷徨える泉」で採れると言われている万能薬は、サンドワームの硬くもあり柔軟性もある表皮と同じくらい欲しているもののようだよ》
アレンはイヴリンを見上げ、ニヤッと笑った。
《あなたの詩のせいじゃないのかい? 「彷徨える泉」のことを大げさに脚色してさ。その実、それは蟻人かサンドワームの排泄物がたまって滲み出てきただけなんじゃないの?》
イヴリンは苦笑をし、
《それでは詩にもなりゃしないよ。だけど、そのおかげでこの国は今冒険者たちが落とす金で、ずいぶん潤っているはずだ。冒険者たちは信用できない連中が多いけれど、ロマンチストなところもあるからね。私の暇つぶしもグリアナンの経済を……ん? あれは…》
イヴリンの青と灰色のオッドアイが、海の方から波止場の広場の中央で白い花をつけている『グリアナンナッツ』の木に向けられた。
《どうしたんだい?》
アレンもイヴリンの視線につられ、そちらを振り返った。その顔に素直な疑問符が浮かぶ。
《ずいぶん変わった連中だなあ…あんな服、見たいことがないし、荷物はあの背中の黒い雑嚢みたいな袋ひとつっきり。歳もすごく若そうだよ。何者だろう?》
二人が見ていると、木の下で会話していた者たちのもとに、まだらツボ貝の串焼きを片手にした少年が合流した。気のおけない者同士なのだろう、二人が耳にしたことのない言語でわいわいとしている。
《もし冒険者だとしても、全然そんな雰囲気じゃないなあ》
とアレンが言うと、イヴリンが耳をそばだてるようにおくれ毛を耳にかけながら、
《彼らの話している言葉…時折、古グリアナン語みたいな響きをしている…なぜだろう?》
《古グリアナンって、ここがまだ密林に覆われていた時代に使われてたっていう超古代語だろ? でも、それって1000年どころか、もっと大昔に滅んでしまったって聞いてるけど》
《そうだ。その緑の迷宮の中に、空中庭園のごとき大都市を築き、人智を超えた力を持っていたという謎の人々の言葉さ。私は一冊だけ、偶然に古グリアナン語で書かれた詩集を持っているんだ。私の祖父が手に入れたらしいんだが、どういう経緯で手に入れたかはわからない。でも、それは私の宝となっているし、そこに書かれている言語を読み解くことは挑戦する価値のある日課になっているよ。残念ながらこれまでに読めたのはほんの一部だが、あそこの四人が操る言語の響きには、古グリアナン語のイントネーションに似たものを感ずるよ》
とイヴリンが好奇心と少しの不安に駆られながら見ていることなど全く気付いていないその若者たち、つまり、レイジュウジャーたちは、美しい白い花を咲かせている木を見上げで単純な喜びで盛り上がっていた。
「うわぁっ、やっぱりグレイウォールから船で着て良かったじゃない。着くそうそう、こんな花が咲いてるところに出会えるなんて。こっち側にも桜みたいな花があったのね!」
鳳朱音が意外に女らしい感動に見舞われたように言った。これに対し、青山龍児がそんな彼女の開放的な様子に負けたように息をつき、眼鏡のレンズを真っ白なハンカチで拭きながら、
「グレイウォール認可の通行証がこちらの大陸でも通用して良かったよ。確かにこの花は見事だね。砂漠の国で桜なんて、驚きだ」
「この貝、サザエみたいですげえ美味いぜ。おい、アカネ、あっちの屋台にはフルーツの切り売りをしてるよ。食いに行ってみたらどうだ?」
と白井大牙がその場の空気を読まず言った。朱音が呆れたようにため息をつき、
「あんたって、ほんと、花より団子のお手本みたいね」
もちろん大牙の耳は、朱音の嫌味をスルーし、もぐもぐと弾力のある貝の実を食べるのに忙しくした。
偶然掌に舞い込んだ白い花びらを見つめ、亀梨玄人が思い出したように言った。
「せっかくグレイウォールに寄ったのに、あの宿屋のドワーフに顔を見せんかったのはちぃっと悪かったかもしれんのう」
「そうねえ…あのおじさんには世話になったものねえ……なんだか懐かしいわ」
「そのあと、色々事件続きだったしのう。思えばわしら、全然ゆっくりしとらんのう」
「仕方ないさ。僕たちはファンロンのエネルギー源となるものを集めに来ているんだ。今も、花見に来たわけじゃない」
と、龍児が暗に大牙の食い意地に対して批判めいたことを言った時、彼らのそばに見知らぬ人物が二人、立っていることに気付いた。
アラビアンナイトの物語に出てきそうな衣装と装飾品に飾られた二人のうち、銀髪をした方が穏やかに、それでいて自信に満ちた口調で声をかけてきた。
《いきなりの不躾を許していただきたいが、君たちは冒険者なのかな?》
自ら詩人と自負するだけあり、イヴリンの声はただの問いかけの言葉であっても、音楽的な響きを持っているらしく、思わず朱音にこう言わしめた。
「わっ、すっごい美形~! それも超イケボイス!」
そんな彼女をたしなめるような眼差しを向けてから、龍児は見るからに特権階級らしい二人に応えた。
《はい、そうです。僕たちに何か…?》
これにイヴリンがなんと言おうかと言葉を探していると、広場に通じている通りからざわめきが聞こえ始め、彼らはそちらに注意を向けた。
そのざわめきの強さの理由を、イヴリンはまもなく察した。そしてすぐ傍らで物珍しそうにしている若者たちに視線を戻し、独り言のように言った。
《まさか、この若者たちが…?》
ざわめきは一層大きくなり、物見高い者たちの人だかりで白茶けた通りは大混雑の様相を呈した。そこを押し広げるように金色の羽根飾りのついたトルコ帽のようなフェルト帽をかぶり、重装備をした兵士に守られた御輿がしずしずと進んでいた。その御輿には窓のようなものはなく、前面には分厚い布が垂れていて、星詠人の頭巾に染め抜かれていた五芒星のようなマークがより装飾的に誇張されて縫い取られていた。
《イヴリン、アレン、そこにいたのか! まさか、星母よりも早くこの事態を見極めていたとは言わんだろうな?》
とやや興奮に見舞われた口振りで人垣を押しのけて近づいてきたのは、先程別れたばかりのヴァレンティンだった。
「わっ、また超美形!」
朱音がすらりとした長身のヴァレンティンを見上げて歓声をあげる。これを見て、大牙が「へっ」と見下すような眼差しを彼女に向け、
「男はな、顔じゃねえんだよ。チャラチャラしてる奴なんざ、最低だね。男は腕っぷしが強くてなんぼさ」
朱音も負けじと目を細めて言い返した。
「脳筋の考えそうなことね。あたしは綺麗だから綺麗って言ってるだけよ。あんたはやっかんでるんだわ」
「けっ、十人並でちっせぇのによく言うよ」
「誰が十人並だってのよ?!」
このくだらない会話の間に、今にも人だかりが割れて御輿が広場に進んできていた。それを見ながら、ヴァレンティンは手短に説明した。
《広間での論議を解散したあとまもなく、私の屋敷に移った星母が星の動きを感じられたのだ。それを確かめるために、星母自らお出ましになるということで、こうして私兵を動員してここまでやってきたのだが…》
と、彼は視線をレイジュウジャーたちに落し、信じられない顔つきになった。
《ひょっとして、この者たちが?》
アレンは肩をすくめ、イヴリンは微妙な顔付きになった。
《うーん、なんとなく妙な感じはしたんだけどね。まさか星母までおいでになるとは思ってもみなかったよ》
この言葉のやりとりを、じっと聞いていた龍児が声をひそめて玄人に言った。
「…なんだか大事に巻き込まれるような気がしないか、クロト」
玄人は同意し、
「あの北の角を生やした者たちもわしらのことを星の動きで知ったと言っとったもんなあ。まあ、それは仕方ないことなんかもしれんがのう…わしらに星はつきもんじゃけえ」
「…僕たちが来たことで、この国の人たちを余計な面倒に巻き込むなんてことはないよな…」
「いやあ、もう遅いようじゃよ。ほれ、御輿がついたぞい。ま、なりゆきに任せるしかないのう」
と玄人が言ったとおり、彼らの前に神秘的な感じのする御輿が地面に置かれた。すると、ざわついていたその場がしん、と静まり返った。そうさせる何かがその御輿の中に坐している者から発せられているようだった。
その垂れ布の向こうから、囁き声のようなものが聞こえた。いや、実際の声ではなく、心に響く声かもしれないと思うほどの、奇妙な感覚で、それは聞こえてきた。
《……その身に星宿を持ちしものあらわれしとき、閉じた世界は開かれん。断ち切れた運命の糸は、運命の女によりて再び縒り合され、去りし者を来たる者とするであろう……》
レイジュウジャーたちは、この御大層な言葉を平然と聞き流しているようだったが、龍児は一人、ぞくりとするような感覚に陥り、別の意味で畏れ入っているような三人のきらびやかな姿をした者たちにそっと尋ねた。
《あの中にいる人は誰です? これは、どういうことなんです?》
ハッと夢から覚めたように、黒髪のヴァレンティンが厳かに応えた。
《あの中にいるのは星母ナジ…この国に古くからいる特別な存在だ。彼女の卓越した星読みの業がなければ、我が国は現在まで存続していることはなかっただろう》
すると、再び御輿の中から声が流れた。
《……その者らを歓待しなさい、首長殿。あなたがたはまさに天のみ使いをもてなすことになるのですから。わたくしは急ぎ「天球の間」に戻ります。少々外出がすぎました。これ以上の力の酷使は、わたくしを弱めますゆえに》
これを機に、御輿の担ぎ手たちがすうっと輿を担ぎ上げ、ヴァレンティンの私兵の警護を伴って、元来た道をゆったりと戻っていってしまった。
何となく宙ぶらりんな空気が流れる。
そして大牙とアレンがほぼ同時に言った。
《なんなんだよ、今の? 運命の女って、まさかお前のことじゃねえだろうな、アカネ?》
《ほら! 僕が言ったとおり、見つけちゃったじゃないか、『雪』の予兆の原因を!》
仲間と首長たち、そしてやじ馬たちの視線をまともに浴びた朱音は、顔を真っ赤にして言い返した。
《ちょっと、なんだかよくわかんないけど、勝手に祭り上げないでほしいわ! 説明してよ、誰か!》
これに対し、ヴァレンティンが言った。
《確かにここへ来ていきなり私の国の伝説話に付き合わされてしまっては、驚くのももっともだ。もし気に障らなければ、私の館で事情を説明したいのだが、いかがかな?》
《もちろん、なんかごちそうしてくれるんだろうな?》
大牙の食い意地の張った言葉に、三人の首長たちは笑いをこらえきれず、くすくすと笑いながらヴァレンティンは頷いた。
《星母が星を見極めた者たちゆえ、もっと堅苦しいものかと思っていたが、これなら話もしやすい。もちろん盛大にもてなそう》
一人喜ぶ大牙を尻目に、何故か龍児が頭を下げた。
《すみません、なんか逆に厚かましくて》
するとイヴリンが笑みの余韻を残した表情で、
《確かに星のお告げは重大なことだけれど、私たちは毎日に変化がなくてね。君たちのような存在は大歓迎だよ。ヴァレンティン、私たちもそのご馳走に預かっていいかな?》
《もちろん。だが、だめだ、と言っても君は同席するに決まっている。このような風変わりな若者たちを観察しないでいられないのだろう? そして君のお得意の詩の題材にするつもりなのだろう?》
《よくご存じで》
イヴリンは気取った一礼をヴァレンティンにすると、
《では善は急げだ。それに私も腹が減ったよ》
《僕も腹ペコ。だって、今日は朝が早かったからさ》
と言ったアレンをも引き連れて、ヴァレンティンは異国の若者たちを伴い、自分の館へ向かった。
騒動に巻き込まれるのには慣れてきたレイジュウジャーたちだったが、到着早々になぞかけのような出来事に会い、不思議な雰囲気をかもす輿の中の人物に遭遇し、エルフとも引けを取らない麗しい者のもてなしを受けることになったことは、驚くのを通り越し、因縁めいたものさえ感じさせるに十分だった。そしてそれを解き明かさないでいられないのも、彼らなのだった。




