『20年ぶりの夜明け』
ミーガンは、ファリーダを連れ、キア・サトゥルヌスの部屋だった場所にいた。
どの賢者の部屋も実用主義で貫かれていたから、余計な装飾や華美な壁紙やカーテンはなかった。だから、余計に、化粧台の鏡の角にかかる細い銀の鎖が目だった。
《余計なお世話だったかもしれないけれど、ここもいずれ片づけられてしまうと思うの。キアのことは残念なことだけど、何と言ってもあなたの妹だったんだもの。何か形見になるようなものがあるかと思ったの》
ファリーダは無言でその銀の鎖を手にすると、そこに小さな指輪が通してあることに気が付いた。ミーガンが彼女の手元を覗き込むようにしてつま先立ちになった。
《子供用の指輪のようだけど?》
ファリーダは頷き、自分の小指にはめてみたが、小さすぎて指先でひっかかってしまった。
彼女は指輪にはまる小さな緑柱石の輝きを見つめ、重い口振りで言った。
《……これは私たちが産まれたのを記念して両親が作らせた指輪だったと聞いている……私も持っているわ…》
彼女は首元から似たような銀の鎖を引っ張り出し、そこに通してある小さなリングをミーガンに見せた。
《パワーストーンには詳しくないけれど、この照りのある石には大地のエーテルが封じられているような感じがするわ》
ファリーダはヘマタイトのような金属的な照りをし、見る角度によって茶色にも緑色にも変化する鉱石を撫でながら、応えた。
《両親は私たちが魔道士になることを予見していたのかもしれないね…だからこのような御守りのようなものを……。でも無駄だったわね》
《私はそうは思わないわ》
ミーガンは年若い者特有の率直さと思い切りの良さで首を振った。
《この世の中に無駄なんてことは一つもないわ。それは魔力を持つ者なら、よくわかることじゃない? もちろん、キアのことは悲劇だったかもしれないけれど、こうして今があるということは、キアのすべきことはあれでよかったのだし、あなたのしたこともよかったのよ。ただね、ここに連れてきたのは、時が経った時、後悔したり寂しい思いをしないですむかと思ったからよ。失意ってものはね、時間が解決するものなの。今はまだ否定的だったとしても、ある時不意に、受け入れがたかった昔の良い思い出などがとても重く思えるようになるものだからよ。それに、あなたにはすべきことがたくさんあると思うわ。これから帝国は大忙しになるでしょうからね》
ファリーダは投げやりに肩をすくめた。
《私に何をさせようって言うんだい。私はギルドの窓際族だったんだよ》
ミーガンは唇を曲げて言い返した。
《今更卑下したって駄目よ。それに、そんな必要ももうないでしょ。あなたを干していた勢力は一掃されたんだしね。あなたはすばらしい能力をもった魔道士よ。その力を放っておくと思ったら、とんだ見込み違いね。あなたは帝国の再建に必要な人なのよ。それとも、帝国なんかお見限りなのかしら?》
ファリーダの心は彼女らしくなくぐらついていた。この場所は自分が手にかけた妹の亡霊に満ちているようにも思われた。
彼女はミーガンの問いには応えず、言った。
《…ここは死者の思いに縛られた場所……生きている者の元へ戻るよ、私は》
ミーガンは肩をすくめてファリーダが素っ気なく死んだ妹の部屋から出て行くのを見送ったが、その手にしっかりと彼女と妹を繋ぐ思い出の品が握られているのを見つけ、小さく微笑んでから、元賢者の部屋から出て行った。
*****
ケイランや〈猫目〉たちが戻るのを待つ間、ギャリオンは聞きたくて仕方なかったことをようやく尋ねることができた。大牙が『白虎・六連星』を発動したことによる、パワースーツのオーバーヒートと、それに伴う肉体に及ぼされた過剰な疲労から立ち直り、その反動でか、いつもの三倍の量とスピードで『スニッパーズ』を他の三人が集まるこの広間でむしゃむしゃとやり始めていたからである。この過剰負荷から復帰させるのに、ひそかにファンロンから霊獣チェンジャーを通して医療用ナノマシンが転送されていたことは、本人は気づいていない。キリルは彼が「病院嫌い」であることをよくわかっていたので、余計な反発を招くこともなしとして、本人の承諾なしに行ったのだった。本当のところ、大牙の脚部の骨には疲労骨折が起きていたし、脳震盪も起こしていたのである。
そんな重傷を負っていたとは露知らず、周りが呆れるほどにチョコバーを食べ続ける大牙の傍に近づいたギャリオンは、足元に散らばる銀紙の屑を見下ろし、尋ねた。
《それは体力を回復する薬か何かなのか?》
大牙はもぐもぐと口を動かしながら頷いた。
《そうだよ。お前も食ってみる?》
と一本差し出されたギャリオンだったが、大牙が持つ真っ黒なものを食すことに抵抗があるのか、首を振った。大牙は別段心証を悪くすることもなく、その差し出したお菓子も間もなく彼の胃袋の中に納まった。
これで人心地ついたのか、大牙はじっと自分を見るギャリオンに言った。
《なんだよ、何か俺に用?》
ギャリオンは前置きなく単刀直入に尋ねた。彼に、相手の思惑を図るという話術は備わっていなかった。
《ウラヌスがかけた『時空漂流・斬』はほぼ即死級の大魔法だ。それを、お前が破り、我々は助かった。どうやってあの魔法を無効にしたのか聞きたい》
もしこれが龍児相手だとしたら、曖昧な答えではぐらかされたかもしれないが、質問をされた側も、彼と同様、言葉を選んでお茶を濁せるタイプではなかった。
大牙はあっけらかんと応えた。
《やばいと思ったら、身体が勝手に動いてたのさ。それだけのことだよ。お前だってそういうこと、あるだろ? 杖をぶった切って、脳天に一発お見舞いしてやったのさ。へっ、俺様が本気になりゃ、あんなもんさ》
ギャリオンは「うーむ」と感嘆したような唸り声を上げ、
《私はまだ未熟者だということか…お前は誰かに師事していたのか?》
《は? まさか。俺の拳は俺様だけの流儀だよ》
ギャリオンの表情がさらに魔道士ではなく、格闘家のそれに近づき、大牙はハッとして手で制するようにして言った。
《ちょっと待て、今言いかけてることは言わねえでくれよ。俺は誰かさんみたいにお荷物をしょい込むなんて御免だかんな。ただでさえ、マーフォークの野郎とも拳仲間だとか言われてどうしようかと思ってるんだし》
《ちょっと! 誰かさんて誰のことよ!》
《お荷物って誰のことっスか?!》
耳ざとく、朱音とレンが顔を突っ込んできたのをいいことに、大牙は珍しく話題をすり替えると言う小技を使った。
《ところで、俺がのしたクソ野郎はどうなったんだよ? 死んだのか?》
こういうところでは朱音も雑な性格なので、肩をすくめた。
すると、アルディドと会話していた龍児が応えた。
《あの時ざっとスキャンしたけれど、多分、正気を取り戻すのは難しいね。でも死んではいなかったよ。あのエルフの魔道士がうまく始末するんじゃないかな》
大牙はやや顔色を暗くさせ、
《やっぱしこういう人間同士のいざこざは、俺は苦手だね!》
《すまないね、巻き込んでしまって。君たちにはどれだけ頭を下げても足りないだろう》
と、少しの汚れも皺もない黒服姿のバージルが開けた扉から入ってきたケイランが開口一番に言った。続いて〈猫目〉と〈銀狐〉、そしてワリードとウマルが戻ってきた。〈猫目〉はあちこちに擦り傷や痣を作っていたが、たいしたことはなさそうだった。
《街の方はもう大丈夫だ。そのことについちゃ、ドワーフの結束に感謝しなくちゃならねえな。ドワーフの頑丈なトンネルがなけりゃ、あの爆発をやり過ごすことはできなかったね。今は俺の部下たちや、生き延びた反体制派の魔道士たちが住民を保護しているし、敵対していた魔道士も、よくわからないが、急におとなしくなっちまって、警備兵の連中に拘束されるがままになっていたぜ。この国に警備隊がいたことをすっかり忘れちまってたよ。なんせ、あの気味の悪い魔道士がトップになってから、街の治安部隊はほとんどお飾りだったからな》
と〈猫目〉が言うと、ファリーダの無事を喜んでいたウマルが尋ねた。
《で、筆頭魔道士はどうなったんで?》
誰もが聞きたいことだった。
ケイランは皆の視線を浴びながら、やや視線を伏せて応えた。
《頭部に受けた損傷は致命的だった。もちろん、私には癒すこともできたが、その歪み、壊れかけた精神までも治すことはできない…帝国は再出発をせねばならない。そこに、旧体制の負の存在が残っていることは、人々の意欲をそぐことだろう。それに、彼は罪深い企みを積み重ねてきた。多くの命を弄び、自然の理をないがしろにしてきた。カーマイン王国に対する陰謀こそ、その極みの一つだろう。犯した罪の深さは、己の身で償わねばならない。しかし、彼の魂が妄執の塊となってヴェイドに彷徨うことのないように、祈り、見送った。彼は、意識を失ったまま、命のるつぼの中へと戻っていったよ》
《罪を憎んで人を憎まず、ですか》
そこはかとなく辛辣な一言を差しはさんだ龍児に、ケイランは哀しげに応えた。
《怨讐を抱えて死に臨べば、その魂はなかなかに命の巡りの中に入れない。ヴェイドの比重を重くするようなことはできないんだ。ヴェイドの精霊たちはいつでもこちら側に侵入しようと虎視眈々としているからね》
《その、カーマインの王子のことじゃが、今、どうなっとるんじゃ? もうとっくに死んどるんか?》
と玄人が尋ねると、ミーガンが投げやりに応えた。
《魔法生物を合成するところと、屍術魔法の手順を見せれたら、生きてるかどうかなんていう希望は爪の先ほども持てないことがわかるでしょうね。それに、たとえ見つけられたとしても、五体満足ではないでしょうね。残念だけど、その王子様は死んだことにした方がいいと思うわ。そして早く忘れることね》
《なんか魔法使いってものが嫌いになりそうだわ》
朱音が複数の魔道士がそこに居るにもかかわらず、はっきり言った。これに賛同するようにレンが「イーッ」と顔をしかめた。
《ボクも大嫌いっス!》
ケイランはその彫像のような硬質の美貌にひっそりとした苦笑を浮かべ、言った。
《…魔道士とは弱い生き物なのだ。感受性の扉が多すぎて、どの扉を開けばいいのか迷ってしまう。その間隙を、悪成す精霊たちに常につけ狙われている。君たちのようにしっかりとした自我を保ち、自分の目で進むべき道を選ぶ意志の強さは、魔道士にはなかなか身につかないものなのだ。特にここ、オーカーではね》
と、ここで彼はやや表情を晴れさせ、
《しかし、魔道士が闇に紛れて妖しい実験を繰り返すようなギルドの在り方は終わった。魔道士ギルドは開かれ、全ての魔道士の知識や連帯を強める学びの塔となるだろう。そしてまずは、この国の信頼を取り戻すべく邁進せねばなるまい》
《あんたが筆頭魔道士に返り咲けば、それだけでずいぶんと評判を上げるだろうよ》
とファリーダが言うと、ケイランは読み取りにくい眼差しを投げてから、レイジュウジャーたちに言った。
《君たちにはなんと言って感謝を尽くせばいいのか見当もつかない。しかし、厚かましいとは思うのだが、ひとつ、私の頼みを聞いてはもらえないだろうか》
こう言われて「嫌だ」と断れる四人ではなかった。彼らが頷くと、ケイランは明らかにホッとしたような顔になって続けた。
《本当は私が行くべきなのだろうが、オーカーの再建を放って遠出することはできない。そこで、自由に世界を動け、さらに、竜の加護を受けている稀有な冒険者たちならば、きっと私の懸念を払ってくれると思うのだ。君たちは南方の砂漠地帯にある『グリューネの聖木』のことを聞いたことがあるだろうか》
四人は顔を見合わせた。
《はい、知っています。元はドラゴンだったという、霊力の宿った大木のことですよね。いずれ僕たちもそこへ行ってみようとは考えていました》
と龍児が応えると、ケイランは意に叶ったりとばかりにやや口振りを軽くさせ、
《実は、その『グリューネの聖木』に危機が迫っているのだ。あの地域にはもともと「アントリアン」という獣人族が生息していたのだが、それが勢力を拡大しているらしい。聖木はあの地域が完全に不毛の砂漠にならないための歯止めとなっているが、アントリアンの攻撃は容赦がなく徹底的であることは有名で、聖木を守るエルフの戦士や魔道士たちの手にも余り始めたらしい。数年前までは、アントリアンとは別段敵対関係にもなく、すみわけもできていたはずなのだが、この数年でがらりと状況が変わったようだ。私が感じるところ、君たちはその姿容貌が人と異なっていても偏見を持たない、全く平等な精神の持ち主だ。それだから頼みたい。聖木を守り、アントリアンたちとも接触を持ってほしいのだ。彼らもこの世界で生を受けている者たちだ。単純に掃討すればよいというわけにはいかない》
《事情はわかりましたが、僕たちがいきなりエルフに守られた聖木に近づけるのでしょうか?》
と疑問を投げた龍児に、ケイランは謎めいた視線をふわっと虚空に投げ、
《そのことについては全く心配することはない。行ってくれるか?》
四人の間では土の竜探しに行こうかと考えていたので、それが木の竜に変わっただけのことと、気楽に了承した。
すると、断固とした言葉がその場に割り入った。
《ボクも当然ついていくっスからね!》
一所懸命背伸びをして自己主張したレンを見、朱音は胸が締め付けられるような思いにとらわれた。そうなのだ、彼女はウラヌスとの戦いの間中、心のどこかで別離の切なさを確信していた。
その心持を表すかのようにその場にひんやりとした沈黙が流れる。
朱音はレンの前にしゃがみこんで、エルフの血を引いている証のようにほっそりとした手を握ると、彼女にしては真摯な口調で切り出した。
《あたし、あんたが好きよ。友達だと思ってるし、妹みたいにも思ってる。だからこそ、はっきり言うわ。あんたを危険な目に遭わせるような状況に巻き込みたくないの。せっかくあんたのお父さんと会えて、あんたをきちんとしたローグにしてくれるっていう人もいて、アルディドさんとも仲良くなったでしょ? もう、あんたは独りぼっちじゃないのよ。今がその時だと思うのよ。でも、他にもあんたを好きな人はたくさんいるのよ。もっとそういう人が増えることだってあるでしょ? あたしたちはね、冒険者なの。それも、故郷を見失った根無し草みたいなものね。そんなうわついたあたしたちについてきても、刹那的なものしかあんたに示して見せることができないのよ。あんたにはもっと成長してほしいの。だから、あんたとはここで別れるわ。あたしに教えてあげられることは、ないと思うし、あたしたちといたら、またこんなことが起こるかもしれない。あんたが好きだから、嫌なのよ、そんなことになるのは》
ぎゅっとレンの眼差しが尖り、唇が頑固に引き結ばれた。朱音は反発されることを覚悟しながら、返答を待った。
レンはむっつりと周囲の大人たちを眺め回すと、ぶすっと言った。
《……師匠の迷惑になるのはボクも嫌っス。でも……!》
レンの大きな灰色の瞳に涙が膨れ上がったかと思うと、ぽたぽたとそれが自分の手を握っている朱音の手に滴り落ちた。
濡れた睫をしばたかせ、レンは震える声で続けた。
《師匠がボクの足で行けるところにいるんなら、我慢できるっス。でも、師匠たちは遠い遠い場所から、僕たちの国にやってきてしまったんスよね? いつか必ず故郷って場所に戻ろうとして、旅してるっスよね? ボクには到底行きつけない場所だってことは、分かるっス。それがボクを苦しめるっス。ここで別れたら、二度と師匠に会えないかもしれないっス。どこかで生きてるって頭でわかっても、やっぱし、実際にこの目で見て、触れられなきゃ、それは死んだ人も同じっス。ううん、いいっス、これがボクのわがままだってことは、分かってるっス。今まで一緒にいたのも、ボクがそうしたかったから、強引についてきてたのも、分かってるっス。それなのに、師匠はボクを邪魔にしなかった……。今度はボクが師匠にしてあげなきゃダメっスよね……アカネ師匠、見ていてくださいっス。絶対立派な盗賊になって、今度は師匠から見事に掏り取って見せるっス!》
泣き笑いのような顔になって奇妙な宣言をしたレンに、朱音ももらい泣きしながらしっかりとハーフエルフの少女を抱き締めた。
《あたしから掏るなんて、百万年早いわよ、レン》
仲の良い姉妹のように泣きながら抱き合っている二人を見るケイランの眼差しには、エルフらしい完璧なまでの無感動を押しのけ、情感深い温もりがともっていた。
そのあと、ケイランからささやかな歓待の誘いを受けたが、レイジュウジャーたちは丁寧に断った。大牙はやや不満げだったが、帝国から20年間の暗雲を取り除いたとは言え、たくさんの被害を出してしまった事実の上では、完全勝利の喜びにはひたれなかったからだ。
意外に長い間、共に旅を続けてきた者たち、そしてケイランや二人の盗賊ギルド長、元賢者の二人組などに見送られながら、彼らは足早に帝国から立ち去った。それぞれがその胸に感じることを抱えながら。
しかし、後ろ髪を引かれていてはならない。彼らの目的は地球に戻ることなのだ。




