『妖夢乱舞』③
そこは、縦長の広間で、壁際には太い柱が立っていた。天井は高く、何か薄黒い靄のようなものが周囲にかかっているせいか、臨むことができなかった。
その高さを推し量れない天井から、豪華ながら、どこか淫靡で、頽廃的で、悪徳の美しさをきらめかせているシャンデリアが一番奥の祭壇のようになっているところまで等間隔で釣り下がっていて、灯りをもたらしていたが、その灯りは決して、本能的に人間が厭い、恐れる闇を追いやるのではなく、むしろその場に満ちる邪悪で穢れたものを強調しているように思われた。
だがそんな禍々しく、非人間的な場所に気圧されている暇はなかった。
と言うのも、彼らの足元に見覚えのある二人の魔道士の身体が、吹っ飛ばされるようにして倒れ込んだからである。すでに相手に挑み、失敗し続けたかのような無残な姿になっていた。
《あっ、お前ら!》
と大牙がびっくりしたように声を上げ、咄嗟に朱音と龍児がその二人に駆け寄る。玄人は最奥で余裕の口元をしている人物を見据え、傍らのファリーダに言った。
《あれが、ウラヌスっつう奴じゃな?》
《そうよ。それも、ここは奴のヴェイド。力を増しているわ》
すると、彼女の言葉尻をとらえるように、朱音に助け起こされたミーガン・ウェヌスが何度かむせてから言った。
《どうやら、ここは何層かに分かれた複雑な夢幻空間になっているみたいなの。こちら側の攻撃はヴェイドの層の折り目の中に吸い込まれてほとんど霧散してしまうのよ。もちろん、ギャリオンの物理的な攻撃も鏡に映った幻影を追ってるような状況なの》
《でもよ、あそこにいる奴は仲間だろ? なのにお前ら、こんなにぼろぼろになっちまってるんだよ?》
と大牙がよれよれになっているアンバランスな二人の魔道士に素朴な質問を投げると、ミーガンはウラヌスの容赦ない魔法攻撃ですり切れたお仕着せのローブの裾をびりびりと裂きながら、応えた。
《心境の変化よ。それに、いくら賢者になっても、自分を見失わなかったからかしらね。でも、ちょっと分の悪いゲームに手を出しちゃったみたい……あんたたちが来てくれて、良かったわ……ああ、目が回るわ……》
ミーガンの身体から力が抜け、かくん、と朱音の腕にもたれかかって失神してしまったのを見、ギャリオンがぎりっと歯噛みをし、前方に佇む不吉な黒い影を睨みつけた。
《分の悪い戦いこそ、本領発揮できるというもの。こんな忌まわしい場所から奴を引きずり出してみせる!》
すると、この言葉を聞いたか、大聖堂のような広間に、いらいらさせ、平常心をぐらつかせるような低い笑いが床の上から這いのぼるように響き渡った。
《…クックックックックッ……懲りない奴たちだ。しかしここまでやってきたことには誉めてやろう。だが、ここは私のヴェイド、私の聖なる神殿なのだ。貴様たちは自分から死ににここへやってきたようなもの》
前方の、祭壇のように一段高くなっている場所に忽然と置かれた禍々しい黒一色の玉座のような椅子から立ち上がる人影が見える。
筆頭魔道士用の金の縫い取りのあるローブは着ていなかった。その代わり、玉座と同様、光を吸収してしまいそうなほどに漆黒の軽鎧を身に着けていた。これもやはり、優美ながら邪悪さを匂いたたせていた。そして、トルステン・ウラヌスの不健全な顔色をますます灰色に見せ、左目の眼帯は相反して力みなぎらせるように輝いていた。
ウラヌスは深紅の裏地のロングマントを足元にまといつかせながら、ゆったりと歩を進めて続けた。
《私が力を得て20年…これほどの時間をものともせずにじっと機会を待ち続けられたのは、私が追放したあの男しかいない。後悔すべきは、あの時、追放ではなく、殺してしまえばよかったことだろうな。当時の私はまだ未熟者であってゆえ、あのエルフの本性を見抜けなかった。それがこうして今、私の神殿に貴様たちを侵入させてしまう原因になってしまった。だが、それも今日で全て決着がつく》
ウラヌスはぎらりと片方しかない琥珀色の眼を底光りさせると、ひきむしるように左目の眼帯を外した。
そこには真っ黒な闇が穿たれているだけに見えたが、それが次第に辺りの靄のようなものを押し広げるような力場を引き出しているのが感じられた。
《まずいよ、あの眼帯は…》
と、ファリーダが珍しくおぞけが走ったような小声で言うと、朱音が珍しくそわそわとしながら言った。
《なんだかすごく嫌な予感がするの…ああ、はっきりしなくていらいらする!》
《ちっ、お前まで及び腰かよ! 魔法なんて、宇宙怪人のビーム攻撃なんかと比べたら、屁の河童じゃねえか!》
大牙はダッとばかりに駆け出すと、今やなにものかの輪郭を描き出しているウラヌスに肉薄しようとしたが、彼は広間の真ん中あたりで見えない壁に激突したかのようにもんどりうった。
《なんだよ、これ?!》
どん、と見えない壁に拳を叩きつけた大牙に、朱音から気を失っているミーガンを受け取ったギャリオンが言った。
《それが私たちの攻撃や補助魔法を阻ませたヴェイドの壁らしい。突破するには優れた夢幻空間の移動術を持つ者でないと手も足も出ん》
《じゃ、あの野郎に近づけねえってことかよ?!》
ここでミーガンの瞳がうっすらと開き、忠告した。
《近づくどころか、こちら側の空間が狭まってきているわ…私たちをヴェイドの檻に入れて動きを封じるつもりよ…こんな時に何もできないなんて、すっごく悔しいんだけど…もう、やんなっちゃう…!》
ミーガンの悔しがりに対し、ウラヌスは呵々と笑い、
《所詮貴様は少しだけ『夢旅人』としての能力が秀でていただけの小娘でしかない。精霊の力を得た私にかなうはずもないのだ。その驕りが貴様を滅ぼすことになることを悔やみながら、私の真の力に慄きながら死んで行け! 出でよ、我が血の下僕であり、我が半身『傲慢』よ! さらなる我が血を受け、最後の戒めを解き、お前を封じてきたものに制裁を!》
ウラヌスは左手首にぐさり、と短剣を突き刺すと、ぴゅうっと血を噴き出す手首を高々と掲げた。
その血は床にしたたることなく、何かに吸い込まれるように消えていった。それに伴ってそこに薄墨色の何かが姿を現わしつつあった。
《『傲慢』の悪鬼…最悪だわ…でも今のあいつにはぴったりな悪鬼だけれど…》
ミーガンが弱々しいながら忌々しく言ったのに対し、ギャリオンが一点を指さし、指摘した。
《何者かを引き連れてきたようだが? 同族の魔物ではないようだな……あれは…》
全員がそれを見た。
ローマ彫刻の女神像のように均整のとれた肢体をし、美しいとも形容できる顔立ちをしたそれは、全く美徳など持ち合わせていないことを示すような赤黒いねじれた角を額に生やし、同じように長く伸びた爪をした手でぐったりとした何者かの腕を掴んで空中に漂っていた。
《…あれは、ケイラン・マグナス…!》
ファリーダが唇に手を当てて、絶望的に言った。
《ウラヌスがさらなる血の贄をしたことで、魔物に力を与えてしまった。あそこで見ただろう? 崩れかけた封印の魔晶石を。あれを破壊したに違いない。あれは要の封印。それが壊され、なおかつマグナスの精神体がここに連れてこられてしまったということは、他の6つ封印の力もかなり弱くなってしまっている。想像するに、あのマグナスを破壊すれば、おそらく…》
ウラヌスは狂乱に憑りつかれ、残忍な歓びに舌なめずりするような口振りで言った。
《まさにその通り。元凶はこのエルフにある。この男が消えれば、地上でごちゃごちゃと騒いでいる者共の鎮圧など他愛もなくできるだろう。そして、この国は、いや、この世界は我がものとなるのだ! さあ『傲慢』よ! お前に枷はめてきた者から自由になり、我にさらなる力を!》
《くそっ、やらせてたまるかってのよ! おい、筋肉野郎、そこの壁をぶち壊すぞ!》
《ヴェイドの層を超えるなんてことは、普通の人間にはできないわ…無駄な力を使うのは愚かなことよ》
ミーガンの忠告も聞かず、大牙は右拳を固め、気合の声を上げた。ギャリオンも道着のような上着をはだけ、隆とした筋肉に力をためた。
そこへ、音もなく近づいてきていた龍児がバックパックから取り出した極彩色の羽根を一枚取り出して言った。
《ちょっと待て。これが役に立つような気がするんだ》
それをひた、と見えない障壁にくっつけると、なんということか、モザイクが反転し掻き消えるようにして彼らの側とあちら側を隔てていたものが霧消したのである。そして羽根もまた、燃え尽きるように消失した。
《な、なんだと?!》
ウラヌスの隻眼が驚きに見開かれる。
だが鉄灰色の身体をした精霊は、驚くこともなく、むしろ人間離れした感覚で面白がっているように言った。
〔ほほう~、ただの人間にしてはたいしたものを持っているではないか。まだ地上に残っている竜族がおったか〕
龍児が黙っていると、精霊は手にしていたケイランの精神体を無感動に放り出すと、彼の面前に瞬間的に近寄ってきた。そして白目のない真っ黒な瞳がずい、と彼の中に入り込むような強い眼差しをして言った。
〔貴様、貴様には竜力のようなものを感ずるが……はて、この私にわからぬとはどういうわけか〕
龍児は、精霊の腐敗寸前の果実のようなにおいにむせた。そして寸前で抱き寄せられようとしていたのを避け、さらにむせた。その間に、すかさず玄人とギャリオンが壊れた人形のようなマグナスの半透明な身体を引きずるようにして自分たちの側に助け出した。そしてミーガンが力を振り絞って防御障壁をその元筆頭魔道士の周りに張り巡らした。
当然ウラヌスは、この精霊のむらっけに激怒し、怒鳴りつけた。
《『傲慢』よ! そは我が血の下僕。早くその精神体を破壊するのだ!》
《そんなこと、絶対にさせないわ!》
朱音がにわかに活力を取り戻したように、カード型インターフェースを手にし、果敢に言った。
《妙な小細工がなければ、もうこっちのもんよ。覚悟するのね! いくわよ、皆!》
レイジュウジャーたちは頷き合い、インターフェースを手首のソケットに挿入した。
「霊獣降臨!!」
灰色の靄がかかった空間に、四色のオーラが鮮やかに輝き満ちる。
ウラヌスが僅かに心を動かされたように、そこに現れた四人の戦士たちを見た。
《…これが噂の冒険者の正体か……確かに異様だ…だがそこに秘められたるものは計り知れない…! 『傲慢』よ、どうだ、これで『光の都市』は開かれるのか?》
するとどうだ。
悪の女神のごときそれは、突発的に嗤い出し、邪悪でいながら麗々しい顔を嘲るようにしてウラヌスを見おろし、言ったのである。
〔『光の都市』! ホーッホッホッホッホッ、貴様の繰り言にはうんざりさせられておったわ。『光の都市』? そのようなものがあると本気で信じておったのか?〕
レイジュウジャーたちは顔を見合わせ、ミーガンは「やっぱりね」とため息をついた。
ウラヌスはぐ、と歯を噛み締め、精霊と敵対する者たちの双方を睨みつけながら、呻くように言った。
《まさか、私を謀って血の贄をさせ続けたとは言うまいな?》
精霊はどことなく高貴な仕草で高笑いすると、長く伸びた爪をした指先をぴた、とウラヌスに向け、応えた。
〔貴様が勝手にそのような場所があると思いこんだだけのこと。確かに、このヴェイドのいずこかには、全き善良な者の見る夢の草原が広がる場所があるかもしれぬ。しかし、この世に生まれ落ちたその時から、そう、赤子であっても、この世の悪徳と欲望に満ちた中にさらされる。そして人というものは、そのほとんどが欲望に満ちているもの。そのような穢れた者共に『光の都市』のありかなど、探せるはずもない。いわんや、私のようにヴェイドに堕ちた身には永遠に至らぬ場所だ。もちろん、貴様もだ、愚かな魔道士よ。しかし〕
と、精霊は視線をレイジュウジャーたちに向け、人外の者特有の絶対的自信の上に立った物腰で言った。
〔しかし、貴様の着眼点は全く見当外れではなかったようだ。この者たちには特別な力がある。魔力の代わりに、変わったものをその体内に宿しておる。精霊憑きとは違うようだが、似たような印象を受ける。ふふふ、貴様に言われなくとも是非にもこの者共のパワーを得たいものだ。そして再び陽光の差す大地を踏みしめたいものだ! おお、そうとも、『光の都市』はあるぞよ。私が渇望してやまぬ、現実世界、そここそが『光の都市』!〕
《『傲慢』! 貴様、私を裏切るつもりか? そうはさせんぞ、誰が主か思い知らせてやる!》
ウラヌスが激憤に燃えて刃のごとく鋭く厳しい声音で怒鳴った。その額には張り裂けてしまいそうな静脈の筋が何本も浮かび上がっていた。
筆頭魔道士は片手を掲げた。
ぼっとそこに鬼火のようなものがともる。
これを見た精霊に明らかな動揺が走った。
ウラヌスは手の上で揺らめく蒼白い炎のような物を掲げたまま、ゆっくりと精霊に近づきながら言った。
《私が貴様をヴェイドの泥の中から拾い上げたのだ。これは最初の契約で交わした、私の血の贄に相当する代価。そうだ、貴様がヴェイドに堕ちてもなお存在するための精神体の核だ。これを握りつぶせば、貴様は完全に消滅する。忘れたのか? 主はこの私なのだ!》
その時、驚くべきことが起きた。
どこからか、眩しい光芒が走り、ウラヌスの掲げていた鬼火のようなものを粉砕し、ウラヌスをも後方に吹き飛ばしたのである。
誰もが驚いた。
《あれを壊したら、精霊の呪縛が解けて…》
ミーガンが驚愕に目を見開いて呟いたのに対し、足元から返答が返ってきた。
《……いいのだよ、これで…。あれを砕くチャンスを20年、待ち続けてきたのだから…》
「えっ?!」とばかりに彼らはその声の主を見下ろした。
それは半透明の身体であったはずのケイランであった。彼は徐々に実体化しながら大儀そうに身体を起こし、眼差しだけは気力に満ち満ちた顔色で続けた。
《あれこそ、ウラヌスに過分な魔力を与え続けてきた元凶。彼の血の贄により、善なる精霊は悪しきものに変貌してしまった…そうなのだ、元から悪ではなかったのだよ……「彼女」は賢明だった……自らの意識を7つに分散させていたのだから…もし一つきりだったとしたら、こうはいくまい》
誰もケイランの謎めいた話についていける者はなかったが、想像力の欠片もないギャリオンが真っ先にそれに気付き、顎で皆に示した。
《見ろ、あれを》
彼らはギャリオンの示す先を見た。
なんと言うことか。
薄墨色をしていた精霊の姿が、薄衣を脱ぐように白磁のように照りのある輝きを放つ姿にとって代わろうとしていた。その表情にはすでに邪悪なものはなく、宗教的な偶像や絵画に描かれる慈悲深い微笑みさえ、その柔らかな唇に浮かんでいたのである。
《またも、貴様か、マグナス…!!》
激憤に見舞われながら、ウラヌスはその手にねじくれ曲がった杖を召喚した。よく見れば、それは生々しい弾力を感じさせる生き物のように拍動し、時折浮腫のようなものが膨らんではぷしゅっとしぼんだ。
対するケイランは全く感情を映さない、エルフらしい表情で淡々と言った。
《君は卓越した魔道士の素質を持つ少年だった。だから大切に育てようと努力した。だが、育ち始めてある一定の高さまで育った樹木が、突然枝の伸びる方向をねじ曲げてしまうことがあるように、君は急に魔道士として陥ってはならない領域に落ち込んでしまった…これは私の責任でもある。人間とエルフとの確執は時間が薄らげてくれていると思っていたが、私の見込みが甘かったようだ。そしてこんなにも年月が経つまで、私には「彼女」の他の分割された精神体を封じておくしかできなかったのだ》
《うるさい! 黙れ! よくも、私の邪魔をしたな?! 精霊の助けなど借りずとも、私は最強の魔道士だ! ここでまとめて一掃し、そこの四人の本性をあぶりだし、我が力と変えてやる!》
これを聞き、朱雀がケイランに小声で言った。
《よくわかんないけど、あの白っぽくなった精霊?を守っていてあげて? あいつを懲らしめるのはあたしたちに任せて》
《ようやく私の使命の一つであった「彼女」を解放できたのだ。無論、そのつもりだ。君たち、彼は人間だが強力な魔力の持ち主。そしてここは彼の作り出した空間。気を抜くな》
《心配すんなって。あんなオッサン、瞬殺だぜ》
白虎が動きたくてうずうずしているように言った。
ウラヌスは「ハッ」と軽侮の息を吐き、縮瞳して異様に輝いて見える琥珀色の隻眼をぎょろぎょろと動かして、自分と対峙している者たちを眺め回した。
《ここがどれだけ細心の注意と魔力を使って組み上がっているか、わかるまい。ここは私が支配する世界なのだ。それをその身で感じるがいい! 『念動空滅!』》
ぶわっと重圧感のある何かが足元に広がる。
大盾を構えた玄武が珍しく焦燥のこもった声音で言った。
《ぬぬ?! 盾の防御が効かんわい》
《それはたぶん》
とファリーダが手短に説明した。
《この魔法が物理的でありながら、完全に純魔法だからよ》
《わけわかんね》
白虎が肩をすくめる。
《今の私にこれに対抗する防御障壁を造り出すことは無理よ。万全の体調でも無理かも…ほんと、分が悪い賭けに出ちゃったようね》
とミーガンが天井を仰ぐ。おそらく上方からも何かが迫ってきているのだろう。
《うー、身体が重いわ。なんか酸欠って感じ。なんかいい考えないの、リュウ?》
と朱雀が言うと、青龍は何か言いかけたが、ウラヌスの不吉な大杖が振りかざされ、次なる魔法が飛んできた。
《『煉獄焦土!』》
ごおっ、と熱風がさらに狭くなった夢幻空間の力場の中で渦巻き、彼らを熱気で焼き焦がさんとした。
《きゃっ、熱い!》
ミーガンが悲鳴を上げ、それを受け止めるようにギャリオンが彼女の小さな身体を抱いて強烈な魔法から守った。しかし、彼の露出した背中や刈り込まれた金髪がちりちりと焼け焦げ始めているのを、誰にも止めることはできなかった。
一人、岩鎧召喚のおかげであまり影響を受けていないファリーダが、小さく舌打ちをし、何か思い切った行動をとりかけた時、玄武の大きな手がそっと彼女の肩に置かれた。
《ちょっと待っとれ。やけにならんでええ》
《でも…このままでは…》
玄武の黒いマスクが優しく横に振られたのを、ファリーダは気がかりに見た。
そんな視線を受けながら、玄武はファンロンに通信をしていた。
『ボス、ボス? 聞こえとるか?』
この世界に存在する夢幻空間という亜空間が、ファンロンとの通信にどういう影響をもたらすかわからなかったが、大盾で防御できない攻撃に対抗する手段をどうしてもひねり出さなければならなかった。
いつもの通信と比べるとかなりのタイムラグをおき、キリルの声が戻ってきた。
『ずいぶん亜空間の深層に入り込んでしまったような負荷がかかってるようだが? 君たちのヴァイタルをとらえきれなくて慌てていたところだよ』
『なるほど、ここは亜空間フィールドと捉えればいいのか』
青龍が納得したように呟く。玄武は一つ頷き、
『わしらの世界じゃ、ハンディの通信だって亜空間を通しとるじゃろ? 亜空間はどこにでも存在するってことを思い出したんじゃ。ちぃと今の状況はまずいじゃろ? で、ボス頼みしてみようと思ったんじゃ』
するとキリルはノイズのまじった音声で困ったように応えた。
『ファンロンのエネルギーが万全なら、その場所から転送することもできるが、残念ながら、現状のエネルギーでは、今君たちがいる亜空間座標さえはっきりと捉えられないのだ。バーテロン粒子が濃すぎてね』
『この見えない圧力隔壁がバーテロン粒子を大量に含んでいるのかもしれない。通信ができただけ幸運だったかも』
と青龍が言うと、白虎がトタン屋根(もう地球にはなくなって久しいが)の上の猫、いや、虎のように飛び跳ねて喚いた。
『あちっ、あっちっちっ! なんでもいいからどうにかしろや、この熱いの! 蒸し焼きになんかされたくねえぞ、俺は!』
玄武はそんな仲間を見、決断するように言った。
『ボス、「フェーズ・キリン」の許可を。時間がないんじゃ。わしらは耐えれても、他の人が危のうなる』
『しかし、今君たちのいる地点にファンロンのエネルギーを充填することはできないぞ?』
『わかっとる。それはわしに考えがあるんじゃ。うまくいかんかもしれんが、やってみんとわからんじゃろ、ボス』
キリルは実験的な提案を実行に移すことに恐れを抱くような人物ではなかった。
『よし、わかった。ただし、使用は一度だけだ。何せ、ファンロンはまだエネルギー不足だからね』
『ボス、ありがとう。一度で十分じゃ』
『では君たちの武器のリミッターを解除する。「フェーズ・キリン」発動!』
と、彼らの武器がにわかに光を帯び始めたのを、魔道士たちが見つけ、問いただしてきたので、玄武がいつもののんびりとした口調で説明した。
《ええか、一回こっきりのチャンスじゃ。ファリーダはん、わしらの武器に魔力を注ぐようなことはできんか?》
《魔力を注ぐ?》
怪訝に問い返したファリーダに、青龍が自分の刀を差しだすようにし、補足した。
《僕たちの武器にあなたの魔力、つまり大地魔法ですが、それを当てるようなことはできないかということです》
《それが突破口になるとでも?》
ミーガンがギャリオンに守られながら尋ねた。玄武は強く頷き、ファリーダに決断を迫った。
《時間がないんじゃ。なんでもええ、あんさんが感じた通りのことをしてくれればええんじゃ。わしはあんさんを信じとる》
《よく理屈はわからないけれど、お前がそういうなら、やってみようじゃないか。武器を前に、私の前に集めるようにしてお出し》
レイジュウジャーたちはそれぞれの武器をファリーダの前に差し出した。その上に彼女の長い手指をした両掌がかざされる。彼女の形の良い唇が文言を紡ぎ出した。
《……母なる大地よ、ゆるがない大地よ、生と死を巡らせる大地よ、この世界を支える大地よ、その大いなる力をお分けくださり、この者たちに祝福を与え給え》
最初は何も変化はなかった。
しかし、少しすると、微かな、風が鳴るような音がし、それから大きな変化が起き、ファリーダを始め、魔道士たちが「あっ」と息を飲んだ。
レイジュウジャーたちの重なり合った武器が目にやけつくほど強い光芒を発し、彼らの手を離れ始めたからである。
《うまくいったぞい!》
玄武は珍しく興奮した一声を上げ、今や一つの輝きの中に集まった武器を見上げた。
《な、何事が起きた?! その輝きからは微塵も魔力を感じないと言うのに?!》
ぶるぶると震える手で大杖を固く握りしめたウラヌスが動揺を隠しきれずに叫ぶと、輝きがある形を描きながら降下してくるのを淡白に眺めていた青龍は、ウラヌスの完全勝利の自信を喪失したような顔を見やり、言った。
《魔法も科学も、結局は人間が考えだし、理論づけ、操り、発展させるもの。絶対の不可能なんて、ないんだ。考え方を変えれば、魔力のない僕たちにも、この魔力バリアを打ち破ることができる!》
《そうよ! それに、すぐに決着がついちゃったら、つまんないから、ちょっと困ったふりをしてあげただけよ》
と朱雀の半ば本気で冗談めかした口調で言った時、「それ」が全容を現わした。
光のヴェールがするり、とほどけるように、それはその場にそぐわない四色の鮮やかな色合いとデュラニウム合金でできた馴染みのある光沢をした、巨大な大砲のような火器が彼らの前に姿を見せたのである。
《どこからこんなものが?!》
ミーガンがびっくり仰天したように可愛らしい口を押えて、目を真ん丸にしている。
《説明はあとよ、皆、配置について》
と朱雀が言うと、レイジュウジャーたちは高射砲のように台座のあるそれに駆け寄り、馴れた物腰でそれぞれの担当箇所についた。
朱雀がぴょんと飛んで玄武の頭の上くらいにある銃座に腰掛けると、両側についている砲身を動かす取っ手に手をかけ、小さなモニタを眺めて言った。
《ターゲットオン、エネルギー確認》
左側で別のモニタを覗き込み、ホログラムキーパッドに何やら入力していた青龍が応えた。
《フォトン砲、ワープコイル作動、プラズマ流入スタンバイ》
《内部の電磁隔壁確認、正・反重水素パケット準備よし》
と朱雀の下側のモニタのところで玄武が言った。そして白虎が彼女の右側から威勢よく言った。
《キャノン射出パワーゲージMAX! いつでもいいぜ!》
朱雀の身体から闘志が燃えるのが見えるかのような意気込みで、彼女は砲身をぴたりと前方に向け、言った。
《『レイジュウフォトンキャノン』、発射! いっけぇぇぇ!》
朱雀の渾身の掛け声とともに、目にとまらないほどの何かがものすごいスピードで滑るように発射された。そして次の瞬間、目が眩む閃光がその場に満ちた。いつの間にか玄武が魔道士たちの前で大盾を構え、光子砲の爆発から守っていた。
この巨大な魔道武器のようなものの仕組みも、なぜこの冒険者たちにそれが使いこなせるのかもわからなかったが、ミーガンの夢幻空間に対する感受性は、今の眩い爆発がどう作用したかを理解していた。
《あっ、なにこれ?! ヴェイドの壁が反転して消滅していく?! あっ、違うわ! 「それ」の威力が強すぎる!!》
自分たちの周りを取り囲んでいたヴェイドの檻が破れ、焦熱地獄のようにじりじりと焦がされていた中から解放された彼女は、レイジュウジャーたちに勢い込んで尋ねた。
《あなたたち、どうやってヴェイドの幾層にもなった檻を破ったの?! この大砲みたいなものからは何が発射されたの?! もうこのヴェイドは保持できないほどにバランスを崩しているわ! きゃっ!》
と言う傍から、足元がなくなり、薄暗い空間が一転して蒼穹の中に放り出されていた。
《うへっ、ここ、どこだよ?!》
白虎が手足をじたばたさせて空中を泳ぎながら喚いた。
《知らないわよ! でもあそこで焼け焦げになるよりましでしょ?!》
朱雀も同じように急降下する中、あがくようにしている。
すると、「ピィッ」という口笛が割り入り、まもなくバサバサッと大きな羽ばたきの音が聞こえたのである。
《私のピヨちゃん、そこの四人を乗せてあげて! ギャリオン、あんたのブラックゲイルには私たちとルルーシュの女を!》
《ピヨちゃん?》
ミーガンの言った名前とはかけ離れた、勇壮だが凶悪なくちばしをもつ黒いグリフィンが「あ~れ~」とばかりに落下するしかないレイジュウジャーたちを器用に拾い上げ、そのがっしりとした骨格をした背中に乗せた。もう一羽のグリフィンにも無事、残りの三人が助けられていた。
《あいつは?! あのくそったれな奴はどこだ?!》
助けられた礼もそこそこに、白虎がグリフィンの鬣にしがみつきながらきょろきょろとした。
《自分の作ったヴェイドを壊されるということは、かなりの痛手のはずよ。でも、やられちゃいないね。ほら、言わんこっちゃない》
とファリーダが言い終わらないうちに、にわかに青空が黒い雲に覆われ、ぴかっと雲の中で何かが光ると、幾筋もの稲妻が降ってきたのである。
《地上に降りよう、空中では僕たちは不利だ》
と青龍が言うと、ミーガンは頷き、自分のマウントに口笛で命令した。外見からは信じられない従順さで、黒グリフィンはすいっと下降し、しっかりとした地面に彼らを降ろした。
《やっぱり地に足がついてるって安心するわね。でも、ここ、魔道士ギルドの前の広場じゃない。街の中はまずくない?》
この朱雀の言葉は、うねうねと9本の首を持った蛇かトカゲか、あるいはドラゴンの仲間なのかわからない生物に乗っておりてきたウラヌスの言で裏書された。
《よもや私の結界を完全に消滅させるとは存外なことであった。貴様らがどんな妖しい技を使ったかは、あとでゆっくりいたぶりながら聞き出すとしよう。だが貴様らはそう簡単に言うことを聞くまい。ゆえに、貴様らと取引をしようと思う。『時空漂流・斬!』》
魔道士三人は、この魔法の意味を察し、咄嗟に何か防御をとろうとしたが、間に合わなかった。ぴたりと三人はオブジェのように動きを止めてしまったのである。
《ちょっと、なにしたのよ?!》
朱雀が食って掛かるが、青龍の冷静な手で引き止められた。
《どうやらあの魔道士は時間も操れるようだよ。僕たちには魔力がないから影響されていないけれど、おそらく、彼らは、いや、この街の人々すべての時間が止まり、僕の想像が当たっていれば、あの魔道士の一言で彼らの時間は断ち切られてしまうのだろう。つまり、死んでしまうんだ》
《時間も一種の連続した亜空間フィールドじゃが、これだけ多くの亜空間から人々を救い出すのには時間もエネルギーも莫大に必要になるのう。さっき、ファンロンには無理を言ってしまったし、さあて、どうするかのう》
玄武の、時折仲間たちに苛立ちにも似た感情を起こさせる間延びした口調に、白虎の本能的な正義感と直情的な性格が反発し、まさに反陽子的なエネルギーの発奮を彼にもたらした。彼は全身から陽炎のような感情の昂りを発しながら、言った。
《俺たちと勝負したいんなら正々堂々向かってこいや!》
ウラヌスはギルド前の石階段の上から動く気配もなく、せせら笑った。
《戦いは結果こそすべてだ。そこに至る手順など取るに足らん。さあ、貴様らの返事は? この街の住人すべての命がかかっている。私がこの杖で石畳をトン、と叩けば、全てが砕け散る。一生多殺か、一殺多生か、選べ!》
白虎は即答した。
《俺の応えは決まってらあ! 貴様を倒す!》
ウラヌスは身体をのけぞらして哄笑した。
《愚か者めが!》
筆頭魔道士が持つ手が上がり、今にもその先端が地面を小突こうとした、そのわずかな間隙に、白虎の猛々しい一声がその場に響き渡った。
《『白虎・六連星!』》
彼の脚元に空ふかしをしているような土埃と白煙が立ち上ったかと思うと、ぶん、と低い唸りを残し、彼の小柄な身体が消えた。
《タイガ! ファンロンのバックアップはないんだ、オーバーヒートするぞ!》
青龍の声は無視され、白虎の姿は残像として見え隠れし、そして六回目の瞬間移動をした彼はシャキン、と虎王撃から長い爪を伸ばし、気合の雄たけびを上げてウラヌスの、今まさに地面すれすれに落ちかけている杖を薙ぎ払って両断した。
白虎の加速移動についていけなかったウラヌスが、杖の先を失ってわずかに体勢を崩し、そうなって初めて白虎が自分の面前に立ちはだかり、左の拳が加速の残像を伴って自分のこめかみに撃ち込まれようとしていることにようやく気付けた。
《な、なんだ、貴様は…?! どうやって?!》
《俺は正義の味方だぜ。お前はここでやられる悪者ってこと》
ウラヌスは最後まで白虎の言葉を聞くことはできなかっただろう。
ごきっ、とも、めりっ、とも聞こえる骨が陥没する音がし、ウラヌスは白目をむいて吹っ飛ばされた。
その瞬間、息を吹き返したように硬直していた三人の魔道士たちが回復した。
《やったの?!》
ミーガンが地面に倒れるウラヌスを素早く見つけ、レイジュウジャーたちを見回すと、白いパワースーツにところどころ焼け焦げのようなものを作った白虎が偉そうに応えた。
《この俺様にかかっちゃ、あんなオッサン……あれっ、なんか俺、すっげー腹が減ったみたいな……》
どっと倒れ込んでしまった白虎に、仲間たちが近寄り、首を振った。
青龍が気掛かりそうな眼差しを投げ、事情を知りたがっている三人に言った。
《ちょっと頑張りすぎたんです。でも、彼の思い切った決断がなければ、間に合わなかったかもしれない。彼の勇敢さは僕たちの中ではずぬけているんです》
そこへ、見計らったようにケイランを始め、避難していたアルディドたちが異空間から現れた。そしてその場の状況をいち早くつかんだケイランが、エルフの冷静さと元筆頭魔道士としての威厳をもって、言った。
《どうやら白い彼は力を限界まで使ってしまったようだね。しかしそのおかげでウラヌスを止めることができた。後のことは私に任せなさい。賢者の君たちの部屋ならまだ使えるだろう。そこならその勇敢な彼を休ませることができるに違いない》
レイジュウジャーたちと賢者である彼らに街全体に広がった騒動を鎮め、ウラヌスサイドに立っている者たちの意気をくじくことは難しいことだった。
ミーガンが肩をすくめて頷き、疲れているはずの身体を起こして早速ヴェイドホールを開きながら言った。
《そうね。元賢者とか叛逆した魔道士とかこんなに変わった冒険者たちじゃ、説得も何も聞いちゃもらえないものね。確かに疲れたし、先に一休みさせてもらうわ。みんな、私に続いてきて》
《後始末くらいはしないとね。私が計画し始めたことなのだから》
《俺は〈猫目〉の消息を探しに行く。大丈夫だ。後で合流するよ》
と〈銀狐〉は言い、軽い身のこなしであちこち破壊のあとが痛々しい街の中へ消えていった。
ケイランが彼らに行くように手振りをしたので、ミーガンは頷き、自分からホールの中に飛び込んだ。
《なんだかこういうところに飛び込むのも慣れたっていうか、ちょっと飽きたわね》
と朱雀が肩をすくめて呟くと、青龍がその彼女の肩をぽん、と叩いて言った。
《小型のワームホールだと思えば、馴れたものだろう?》
《ワームホールをくぐる時はいつもファンロンっていう安心できる中にいるじゃない。いきなりこういうところに飛び込む感覚は慣れないわ。これって、ヴェイド酔いなのかしら?》
むっつりと応えた朱雀がぴょんと飛び込むと、青龍をおしのけてレンが駆け込んだ。
《師匠~!! 会いたかったっスよぉ~!》
ファリーダはホールをのぞきこみながら、思い出したように言った。
《そういやワリードとウマルはどうなったのかしら…すっかり忘れていたわ》
《きっとあんさんの無事を知れば、何をおいても駆けつけるじゃろ》
玄武はのんびりと言い、疲れ果てて半ば意識を失っている白虎を背負って、気軽に異空間の穴へ飛び込んだ。
ファリーダが唇を曲げ、最後に残った青龍に言った。
《少しはあんたたちのことを話してもらえるのかい? あの巨大な魔道武器のようなものとか、色々とね》
青龍はマスクの中で難渋の顔つきをしたが、素振りは平然そのもので応えた。
《さあ、どうでしょう?》
ファリーダは小さく舌打ちをすると、面白くなさそうな顔をして穴の中に飛び込みながら、
《あんた、人付き合い悪いって言われたことないかい?》
青龍は当たらずも遠からずといった様子で無言を返し、すとん、と穴の中に降りた。
すると地面に開いた亜空間の間隙はふうっと閉じた。
その上にケイラン・マグナスはゆっくりと歩み寄ると、しばらくその場で佇み、地面に転がる筆頭魔道士を見つめ、ため息をついた。
《……これで終わった…私の贖罪の時も……そしてたった今から再び私の過ちを埋め合わせる時間が始まるのだ…》
時は移ろうが、空は、大地は、20年前のそれと変わらず、ケイランを静かに受け入れるのだった。




