『妖夢乱舞』①
彼らが外へ飛び出した途端だった。
ずぅん、と重い振動とともに、盗賊ギルドが忍んでいる建物がぐしゃっと潰れ、同時に地面が大きくひび割れて瓦礫がその中へばらばらと落下していくのを、彼らは呆然と見た。
《みんな、間に合ったかしら…》
朱音が気がかりに呟いた時、目をつむって眼前に手をかざされたようなざわつきが、彼女だけでなく、他の者たちにも感じ取られ、神経をとがらせた。
《…来るよ!》
ファリーダの一声は、玄人に大盾を構えさせ、他の三人も武器を手に、周囲に気を配らせた。
これほどの多種多様な魔法が飛んでくるのは、映画やアニメの中なら派出で、面白い光景だったろうが、あちこちで陥没が起きて建物や地面が無残に破壊され、死傷者が出ているのが現実なのは、まったくもって楽しいどころではなかった。
稲妻が降り注ぎ、凍てついた波動が渦巻き、火焔の球がぽんぽんと飛んできた。
《これじゃ、動きようがないわ。でも、一人一人倒していくのは時間がかかりすぎる。どうしよう》
朱音は大盾の防護の中でぐるりと周囲を見回して言った。
彼女の指摘通り、彼らはお仕着せのローブ姿をした無数の魔道士たちに囲まれていたのである。
《躊躇うことなんかないさ。連中はウラヌスの信奉者だし、多分、精神的にもウラヌスに洗脳されちまってる。容赦する必要なんかない》
そのことはわかっていたが、レイジュウジャーたちはどうしても人間相手になると戦闘意欲を高めきれないのだった。それに、一般の人々の巻き添えが多すぎた。
ファリーダは「ふん」と苛立たしげに息を吐くと、綺麗にマニュキュアされた手指を妖しくくねらせながら呪文を唱え始めた。
これを止めるように玄人がその片手を彼女の魔力が集約し始めていた手にかぶせて首を振った。
《だめじゃ。あんさんの魔法は規模が大きすぎる。わしらはそのウラヌスって奴だけを狙うべきじゃ》
《この際仕方ないだろ? 仕掛けてきたのはあちら側だよ。応戦するのが当然じゃないか》
ファリーダの意見ももっともなことだったが、レイジュウジャーたちはどうしてもこの魔法攻撃に反撃し、突破することをためらった。
と、その時思わぬことが起きた。
前方と後方を囲まれていたのが、ふっとその円に隙間ができたように感じられたのである。
《あ……っ、どういうことなの、これは?! バージル?!》
ファリーダが心底驚いたように声を上げた。
見れば、前には〈猫目〉が何人かの配下をつれて、魔道士部隊に必殺の一撃を加え、次々と殺すか、ないしは戦闘不能にさせていた。
そして彼らの背後では、バージルが執事の服装では違和感のありすぎる、よく鍛錬された動きで、短剣一本で魔道士たちを地面に伏せさせていた。その動きは年季の入ったローグそのものだった。
魔道士勢の最初の一団をねじ伏せると、〈猫目〉は大きく腕を振って言った。
《雑魚共は俺たちに任せおけ。お前たちはまっすぐ魔道士ギルドに向かうんだ》
と彼は、街の全容を覆い潰すようなおどろおどろとした雰囲気をかもす建築物を顎で示した。
《なんとなくモンサンミッシェルみたいだけど、雰囲気は全く違う…あそこにいるのはこれまでの騒動の張本人なんだ…それも、これまでとは全く違う魔道士が…》
龍児が呟くように言うのをよそに、ファリーダは返り血一つ浴びずに何人もの魔道士を倒した老僕に尋ねていた。
《バージル、お前はシークレストに残っているとばかり……それにお前のその戦いぶり…お前は一体…》
バージルは恐縮したように頭を下げながら、
《わたくしは代々ルルーシュ家につかえる身ではありますが、護衛、と言う立場も兼ねておりました。したがって、歴代の執事は皆、ひそかに盗賊ギルドにも所属し、蔭ながらお嬢様を御守り申し上げるために仕えて参りました。もちろん、20年前の追放事件は知っておりました。そして盗賊ギルドが反体制派に協力することに、わたくしは何の異存もなく、いつかこういう日のために、お嬢様を見守り続けてまいりました。出過ぎた真似をいたしましたが、今は頭数が必要でございます。この場はわたくしたちに任せて、早急に魔道士ギルドの最上階目指して突き進んでくださいませ》
《バージルのとっつぁんの言う通りにしな、若いの。敵はこれだけじゃないと思うぞ。さあ、行け!》
四人と一人は、顔を見回し合ってから、頷き、
《やりかけで悪いけど、そうするわ。死なないでね、皆》
と朱音が駆け出しながら言うと、〈猫目〉はどこか愛嬌ある茶色の瞳でウィンクを投げてよこした。
彼らの背後で、またも戦闘が起こり始めたのを空気の揺らぎで感じながら、帝都のメインストリートを走り抜けていく。
ここも、先ほどの地下トンネルの爆発のせいで、傾いた建物や亀裂の入った石畳が目立っていた。しかし人気はない。すでに絶命して静まり返っているのか、盗賊ギルドの働きで避難させられたのか判然としない中、何の前触れもなくひゅん、と矢が飛んできた。
もちろんそれをかわした五人だったが、その間隔が短くなり、武器で応戦しなければならなくなった。
見上げれば、傾いた建物上から何人ものローグらしい者たちが矢をつがえては彼らを狙っているのが見えた。
《『紅髑髏』の連中さね。こんな形勢になってもまだあの狂った魔道士についていこうとするなんて、馬鹿もいいところ》
とファリーダが何かの魔法で撃退しようとしたところへ、また別の集団が彼らの前に現れた。
《ここは私たちに任せて、早く魔道士ギルドへ!》
と言ったのは、ゴーレム部門のギルド長マフムート・ギランだった。言う傍から霰のように石くれが敵方のローグ集団にぶつかり、倒れていくのが見える。
《この決起の日を待ち続け、ようやくその時がきた。それを成し遂げられるのはお前たちしかいない。その稀有な力で! さあ、行ってくれ! こうしている間にもあの魔物は力を増しているかもしれない!》
敵方の戦闘員の補充は迅速で、きりきりと矢が引き絞られる音が聞こえるようだった。
ファリーダは、駆け出した四人のあとを追いつつ、マフムートを振り返り、言った。
《あんたを誤解していたよ。もし死なずにまた会えたら、私の好きなようにゴーレム造りをさせてもらいたいものだねえ》
マフムートの緊張した顔に僅かに笑みがのぼる。
《互いに生きよう、こんなラディウムの瘴気にまみれた国ではなく、健全な魔法国家となって、汚名をそそがねばならない》
と言い残し、ギルド長は次々と湧いて出る魔道士たちと対峙し、魔法攻撃を再開せんと意識を集中し始めた。
そしてファリーダも、自分がなすべきことを確信した足取りで、先を走る四人の若者を追うようにして駆け出した。
地下の爆発は小康状態にはなっていたが、時折どぉん、と地面と空気を震わせ、彼らの注意を引いた。
が、それは眼前に広がった修道院のような建物のせいで、彼らの心はそれぞれに息を飲んだ。
まるで、それは王宮のごとく、あるいは神の家のように神聖、そして圧巻で壮麗とも言えたが、根本的に何かが間違っていた。
彼らは魔道士ギルドの前広場に到着していた。
普通なら整然と整備され、昼下がりや夕暮れ時に散歩するのに最適な空間であるはずが、そこは違った。
広場の真ん中には光をも吸収してしまうほど漆黒のオベリスクのようなものが威圧的に天に伸び、目の錯覚なのか、そこに刻まれた魔法文字が時折浮き上がって見えるような気がした。そして同時に、これは脈動しているのではないかとも感じられた。
《あれを見てると変な気分になるわ》
朱音が素直な感想を述べると、ファリーダが珍しく不安そうな口振りで言った。
《これは私が産まれた時にはあったものだよ。なんのためのものなのかはわからない。今の筆頭魔道士になって建てられたものかもしれないし……ただ、ざっと感じるに、あれは封印の術がかかっている。何を封印しているかは、わからないね。何か特別の魔力を封じているのかもしれないし、大きなヴェイドホールを開かせないための錠前なのか…》
と、言い終わらないうちに、彼らはまた別の妨害者たちの姿に気付いた。
ギルドの入り口に上がる大階段の上に、堂々とした様子で立つ痩せた初老の女とローグや魔道士を交えた数十名の者たちが、彼らを待ち構えていた。
《この中に一歩たりとも入れるわけにはいかないんだ》
長年漂泊を続けてきたせいですっかり潤いを失った声が、ぴしゃりと言った。
《あんたが『紅髑髏団』のボスってところかしら》
朱音も負けじと胸を張って言い返した。
《いかにも。『火トカゲ』のレティスとは私のことよ。ずいぶんこれまでお前たちには手こずらされてきたけれど、それも今日でおしまいにしようじゃないか》
大牙が不躾に「へっ」と息を吐き、
《これまでさんざんやられてきたってのに、まだやる気かよ? おばさん、あんたはただの盗賊なんだろ? だったらなんで魔道士になんか味方するんだ?》
《それは俺が応えてやろう、小僧っ子》
思いがけない横やりに、その場の視線が集中した。
そこには〈銀狐〉がアルディドとレンを引き連れて、恐れげもなく立っていた。
〈銀狐〉は斜に構えるようにして階段上のレティスを眩しいものでも見るかのように目を細めると、言った。
《あの女はトルステン・ウラヌス…いや、当時はトルステン・カークランドと言ったがね、その男に惚れ抜いちまってな。トルステンは昔から野心の塊だった。俺は「やめておけ」と忠告したが、その女は聞き入れなくてな。その結果が現状さ。愛情とは諸刃の剣。どんなものもばら色に見えるらしい。そうだ、この陰気で反吐が出そうな場所にあっても、レティス、お前はまだ目が覚めないとはな!》
《ふっふふ、今更何様のつもりだい、〈銀狐〉。まだ私に未練を残して、ステンの中傷を並べ立てるつもりかい? ハッ、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるね。それとも、最期に一目私に会いたくてわざわざ駆けつけたなどとは言わないでおくれよ。背筋が寒くなるから》
そうしている間に、アルディドがこそこそと黒々としたオベリスクに近寄り、くんくんとにおいをかいだり、耳を押し当てたりしていたが、一つ確信を持ったように頷いて、レイジュウジャーとファリーダにひそひそと言った。
《これはおそらく大きなヴェイドホールを塞ぐ魔法の重しだ。ひょっとすると、現筆頭魔道士が精霊と契約を交わした際に開いたものかもしれない。それをケイランが塞ぎ、そして彼は追放になった》
レティスと〈銀狐〉が互いに皮肉とあてこすりの応酬をしているのを横目に、アルディドはさらに声を低めて言った。
《ウラヌスの私室はどこにも通じていないという話だ。つまり、空間移動ができないと接触できないんだ》
《つまり、ここにあると思われる亜空間を通り抜けて、筆頭魔道士に迫れということですか?》
龍児が察しよく言うと、アルディドは頷いたが、やや自信なく続けた。
《ただ、僕には魔力を操ることはできない。これがケイランが作った封印だとすると、よほどの魔道士でないとそれを解くことはできない。今の筆頭魔道士にもできていないのだからね》
《ちょっと、ボクを忘れないでくれっスよ!》
やや不満げに、声を大にしたレンに、朱音が「シーッ」と指を唇に当てる。だがせっかくの秘密めかした会話は、レティスが気付いたことでおじゃんになった。
《おーや、見物人が増えたようだね。だけど、長く見物なんかしていられないようにしてやるよ。お前たちをこれ以上一歩も先には進ませないよ!》
さっとレティスの手がひるがえり、手下の者たちと魔道士たちが一斉に攻撃モーションに入った。
《クロト! アルディドさんとレンを守っていてあげて! あたしたちはあいつらをぶん殴ってくるわ!》
《わかっとるわい》
ドスン、と大盾を構えた玄人を残し、三人とファリーダは魔道武器を構え、今にもトリガーを引こうとしている者たちの面前にあっという間に肉薄していた。
朱音のハイキックが手下たちの手からスチームパンクスタイルのライフル銃のようなものを蹴り飛ばし、その宙に浮いた武器をファリーダの石くれでできた矢のようなもので粉砕した。そして大牙の拳が仕上げのようにのけぞった身体に打ち込まれ、手下たちはくらくらとなって倒れ込んだ。
呪文を詠唱していた魔道士たちには、龍児の峰打ちが完璧な太刀筋を描いて叩き込まれ、それだけであっけなく脅威は取り除かれた。
一人、階段の上に取り残されたレティスは、〈銀狐〉と向き合っていた。
レティスは配下の者たちがあっという間に倒されたことに驚くこともなく、投げやりに言った。
《へえ、これが噂の謎の冒険者たちかい。なるほどね、確かに変わってる。あの男が必死になるのもわからなくはないね》
〈銀狐〉が言った。
《レティス、わかっただろう? この若い連中は強いんだ。俺たちが束になってもかなわねえ、不思議な力の持ち主なんだよ。あいつに義理立てなんかしねえで、さっさとここからずらかれ》
レティスは歳をとるにつれ、その美しさは険しい雪山のように尖り、血を流すことが、そして命を奪うことが息を吸うのと同じになってしまったことで、その心からいくつもの感受性が抜け落ちてしまった者の顔で、応えた。
《さっき、ステンからも出て行けと言われたよ。だからと言って、出て行くとでも思う? ステンは私の愛する男。それを見捨てて出て行けると思ったんなら、女の愛の重さも深さも知らない坊やだね》
レティスは真っ青な瞳を彫りの深い眼窩の奥でぎらり、とさせると、腰に下げていた白っぽくて、どこか近未来的な印象を受ける造りの鞭の柄を右手に持った。だらり、と鞭が地面に落ちる。
〈銀狐〉は本能的に間合いを取り、両腰に下げているダガーを逆手に持ち、身構えた。
《そうさ、私は愚か者さ。あんな男を愛し続けたんだからね。だけどね、このままでは私の気が済まない。私自身のためさ。私が愛したという事実に決着をつけるためにやるんだよ。さあ、この『火トカゲ』のレティスを倒してごらんな!》
彼女の右手が僅かに動いたように見えた。
と、まるで何かのSFか何かに出てきそうな紫色のエフェクトが鞭全体に走ったのである。
《ぬ、レティス、お前も魔道武器を…?!》
〈銀狐〉が驚きと少しの失意に打たれたように言った。
レティスは手首を柔らかくしならせ、ぴしゃりと地面を鞭で叩くと、ゆったりと階段の上から降りながら言った。
《悪いかい? アサシンギルドたるもの、最新式の武器を調達することは最優先事項だよ。そっちが仕掛けないなら、こちらからいくよ!》
レティスの手首がしなり、〈銀狐〉の眼前にぴゅう、と雷をまとった鞭の先が飛んできた。〈銀狐〉は身体を転回させてその攻撃を避けたが、鼻先にぴりりとした痺れがあった。
《どうだい、〈銀狐〉? 私の腕は落ちちゃいないだろ?》
渋面を返した〈銀狐〉は、その場に再び湧いて出たように周囲を取り囲むローグや魔道士たちを見つけていた。それはレイジュウジャーたちも同じだった。
《〈銀狐〉さん! 敵が多すぎます! ここは僕たちに任せて、あなたは…》
と龍児が言ったのに対し、〈銀狐〉はある一念に心を決めたような顔で首を振った。
《こいつは、俺の不始末でもあるんだ。引けねえな。女がけじめつけようってのに、背中向けるなんざ、漢じゃねえ》
《そのとおりだよ、リュウのあほ。最近お前、びくびくしすぎなんじゃね?》
大牙の飾り気のない言葉だったが、龍児は顔色一つ変えず、淡々と続けた。
《あなたの決意はわかりました。じゃ、僕らはあなたが集中できるように周囲の敵を排除します。クロト、アルディドさんとレンを守っていてくれ》
《わかっとるわい》
と玄人が言った傍から、ファリーダの両手が白熱した魔力で膨れ上がり、石畳の地面が面白いようにめくれ上がり、まるでドミノ倒しのように敵の足元をすくい上げた。
石レンガはそのまま波頭をたてるように上空に舞い上がり、そしてそれは彼女が腕を振り下ろすモーションとともに、ごく普通の石レンガは頭蓋を割る凶器に変わった。鈍い打撃音と共に、身体のどこかしらにひどい打撲傷を負って倒れるアサシンたちを見、玄人がファリーダに、言った。
《なんや、なにをそんなぴりぴりしとるんじゃ》
ファリーダはじろっと玄人を見、それから階段のレティスを睨みつけて応えた。
《あの女が馬鹿だから苛々してるのよ。何が愛よ。あんな奴に惚れるなんて、愚かって言うより、狂信者のそれよ。そして棄てられたことも認められないで、馬鹿な戦いをしようとしてる》
何かのダンスでもしているかのように、レティスの繰り出す電撃をまとった鞭は、〈銀狐〉をまさに踊らせていた。
その光景を見、玄人はため息をついて言った。
《わしにはようわからんが、愛とはそういうもんなんじゃろ。それは本人にも解き明かせん、人生のうちで最大の謎なんじゃないのかな。だから傍から見ると愚かに見えることもあるんじゃないのかな。じゃが、今、あのおばはんがしようとしてることは、命がけじゃ。それだけの価値があのおばはんの愛した相手にあるかと言えば…》
《ないわね。ちょっと、お前たち、あのじじいを助けに入りなさいよ! 雑魚共は私に任せて! でないと…あっ、言わんこっちゃない!》
とファリーダが三人のレイジュウジャーたちに言った時、〈銀狐〉はついに回避しきれずにその左手にサンダーウィップを巻き付かせていた。
《う、ぐぅぅぅっ》
バチバチと電撃の火花が散り、痺れと焼けるような痛みが鼓動を急速させた。
レティスの青い眼がカッと見開かれ、興奮に紅く染まった薄い唇を大きく笑ませて言った。
《私があんたを前にして良心に目覚めるだなんて思ってたとしたら、甘いね、〈銀狐〉。私は『火トカゲ』、殺すと決めたら決して狙いは外さない。それがたとえあんたでもね。どうだい、この鞭のまきしめ具合は? あーっはっはっっ、焦げ臭くなってきたじゃないか。もうそろそろ心臓が限界なんじゃないかい?》
《るせえっ、このくそばばあ!》
ひゅん、と大牙の姿がその場から消えたかと思うと、レティスの真ん前に現れ、思い切り肩口で当身をくらわしていた。たとえ予測していたとしても、大牙の当身を受けて真っ直ぐ立っていることはできなかった。
彼女はよろよろっと後方によろめき、鞭のコントロールを失った。その間を見計らい、龍児が〈銀狐〉をその場から助け出し、玄人の盾の背後で休ませた。するとアルディドがすかさず薬袋を取り出し、
《電撃によるショックが大きいな。あなたは嫌がるかもしれないけど、少し眠っていてください。そうしないと、心臓がもたない》
〈銀狐〉は強がりを言いそうになったが、不規則な鼓動と息苦しさの中で頷くしかなかった。
《…俺ももう焼きが回ったのかもしれねえな…》
《あなたまで馬鹿な事言わないでくれよ、〈銀狐〉。あなたも、あの女に思い入れがあるから迷いがあったのさ。そういうところがあるからこそ、人間なんだよ。羨ましい限りだ》
《そうかねえ? 面倒ごとの元だぜ》
《その面倒ごとが全くなくなったら、何が残る? だから僕は里を出たんだよ。さ、これを飲んで。少しの間だけだから、安心して。重要な進展がある時には必ず起すから》
〈銀狐〉が不承不承薬包の中の散剤をむせながら飲むのを見ながら、朱音が両手に炎舞扇を構え、ゆっくり前進しながら言った。
《昔の知り合いなんでしょ? それなのに、傷つけるなんて、最低の最低ね、あんたって。愛とか恋とか、そんなことを言って、免罪符になると思っちゃってるわけ? 愛してるから何をしてもいいなんてことはどこにもないわ。それも、あんたを気遣ってくれた友達を傷つける理由なんかこれっぽっちもないわ。愛って、響きはいいけど、一つ間違うと、すごく独善的で、わがまま放題になるのよ。あんたがいい例ね。その根性、叩き直してあげるわ》
《小娘に説教されるいわれはこちらにもないね。『火トカゲ』のレティスの鞭さばきを堪能するがいい!》
レティスは一歩後ろに飛び退って大牙と間合いを取ると、腕を横に振り上げて鞭をしならせ、手首で微妙なコントロールをした。鞭の先は蛇のように大きくうねり、そして大牙の足元から絡めあげるように跳ねた。
《ひょっ、ぴりっとくらぁっ》
大牙はタンッとジャンプしてそれをかわしたが、鞭から発している電撃の余波に当てられていた。それが立て続けに繰り出され、大牙はまるで縄跳びをしているような気分になった。
《おいぃぃぃ、ちょっとこの縄跳び、やめさせてくんねえ? 危なくって仕方ねえ》
《危ない? あんたも良く言うわ。自分でできるくせに》
と朱音が言うと、無言で龍児が足音もなく駆け寄り、気合の掛け声とともに青龍刀を抜きはらいざま、うねくる鞭の半ばぐらいのところを斬り払っていた。ぼとり、と斬られた鞭の先が地面に落ち、トカゲのしっぽのようにしばらくうねうねと動いていた。
武器のバランスを失ったレティスはよろっと半歩後退し、そこに龍児の美しい曲線をした刃の切っ先が突きつけられた。
《僕たちにはその電撃も通用しない。降伏しろ》
大牙も必殺の拳が届く距離に詰めより、朱音の炎舞扇はめらめらとレティスの喉元を狙い定めていた。
レティスはだらりと右手を下げ、うなだれるように肩を下げたが、それが次第に細かく震えだしたので、三人は嫌な予感をもった。龍児が霊獣チェンジャーのスキャン機能を発動させたのと、アルディドが叫ぶのはほとんど同時だった。
《離れろっ! その鞭の柄には何か細工がされている!》
《時限式の何かが作動したようだ! 念のためクロトの守りの中に退避だ!》
と龍児が言った時、レティスがぞっとするような哄笑とともに言った。
《アーッハッハッハッハッ! 愛の究極は愛のために死ぬことさ! 私のこのドブネズミのような薄汚れた命に輝きを与えてくれた愛! 私はそのためならすべてを差し出すさ! アーッハッハッハッハッ! 皆、死ね!》
カッと白熱した輝きがレティスの右手にある鞭の柄から発せられ、それはみるみる膨張し、はじけ飛んだ。
《皆、死んでしまえ! あなたの愛がない世界など、なくなってしまえ!》
という叫びが真っ白な中に飲み込まれ、レイジュウジャーの三人はそのエネルギー体の爆風のようなものに打ち上げ、巻き上げられて、高々と空に放り出されていた。
《し、師匠~?!》
レンがおろおろと叫んだ。玄人の盾ガードのおかげでその周辺は全く無被害だったが、むしろその中から見る発光体がもたらした破壊と溶解はすさまじいものだったからだ。
その光の闇が薄くなり、視界が開けてきたところに、三人が猫のようなしなやかさでスタン、と戻ってきたのに、レンは喝采して喜んだ。
《わーお! さすが、師匠! でもすごい爆発だったっスねえ!》
朱音はやや気持ちの引けた様子で辺りを見回し、破壊の凄惨さに肩を落とした。
《もっと早く自爆の可能性に気付けばよかったわ…それにちょっとかわいそう…》
《でたよ、アカネの悪い癖だ。俺たちだから無事だけどよ、普通なら一瞬で塵も残らねえぜ》
大牙が批判的に言うと、龍児が堅く閉じている魔道士ギルドの扉を見上げながら言った。
《確かに今のはまるで反陽子爆弾みたいだった。そんな仕組みのものまで魔道士というものは作り出せるのか…》
《怖気づいたんじゃないだろうねえ、若僧》
ファリーダが何かに気を取られているような龍児を皮肉ると、彼はハッとしたように眼鏡の位置を直し、
《無論、そんなことはないですよ。ただ…》
と彼にしては煮え切らない様子で言葉をとぎらせた。朱音が彼を覗き込んで質すような眼差しをしたので、彼は小さく咳ばらいをしてから言った。
《あそこのギルドの正門は開きそうにありませんね。開いたとしても、中は敵だらけでしょう》
《そこでこのボクの出番なんスよ!》
唐突な応えに、一同は小さなハーフエルフを見下ろした。彼女はにやにやとしながら、胸を張った。
《ま、ボクの直感なんスけどね。でもこれしかないと思うんス。失敗したら、あの世から応援してるっスから、頑張って下さいっス》
と、レンは黒々としたオベリスクを見上げ、ごくり、と唾を飲んだ。そして吃とそれを睨みつけてから、おもむろに自分のダガーを抜き、そのオベリスクに突き立てた。驚くべきことに、それはそこからたらり、と血のようなものを垂らした。
それをひとすくい、人差し指に乗せたレンは、今度は自分のその指にダガーの刃をすらっと引いた。
《レン、なんのつもり?!》
朱音が心底意表を突かれたように前のめりになって問いただしたが、レンは何かつぶやきながら二つの血を親指と人差し指でよく混ぜると、赤黒くなった指先をオベリスクに押し当てた。
その瞬間、黒々としたオベリスクが鮮烈なほどに緑色に輝き始めたのである。
《師匠、ボクの手をとって! 後の人もみんな手を繋いで! ここがあいてるのはほんの少しの間だけっス! 早く!》
朱音の手をむんずと掴んだレンの眼差しは、彼女が出会った頃よりずっと大人びて見えた。そしてとても愛おしく思われた。朱音は胸の辺りでなぜだか泣きたいようなせめぎ合いを感じながら、レンの手を握り返した。
《みんな、用意はいいっスか?》
とレンは呼びかけ、全員が手を握り合っているのを見ると、気軽な物腰でオベリスクに向かってぴょんと飛んだ。
どういう魔法なのか、彼女の姿は空間の中に消え、それから手を握り合っていた者たちが数珠つなぎのように次々と空間の隙間に飛び込んでいった。
果たして、その先にあるものは?
ギルド前の広場は壊れ、焼けただれた痕を残して、静まり返った。その裏で繰り広げられる戦いの前触れを待つかのように。




