『五の矢』
イェルガー・プルートー第二賢者は、まっしぐらにシークレスト目指し、三つの人面を持ち、鋭いかぎづめと蝙蝠の翼を持った四つ足の獣に、蠍の尾を持ったマウントを駆けさせていた。目標物の監視を行っている『紅髑髏団』から報せを受け、対象者たちがまだシークレストで何かを待っているような具合であることを知り、ここは急がねばならぬと疑いもなくイェルガーは帝都から出発したわけである。
しかし、いくら経験豊かな諜報のスキルを持っていても、ここは地球ではない。携帯通信機も、過去の遺物となった公衆電話でさえない世界なのだ。だから、イェルガーの初手が出遅れたことを責めることはできない。つまり、レイジュウジャーたちの現況はすでにイェルガーの知っているものとはずれていたのである。
確かに、『紅髑髏団』の者たちの情報は正確だった。レイジュウジャーたちは二日ほど街でぶらぶらとしていた。なぜなら、エルフ用の『魔力遮断器』の製作を待っていたからだ。そのことをアサシンたちは帝国に報せるために鳥を飛ばした。一流のアサシン集団が使う鳥なだけあり、報せが帝都にもたらされたのはほぼ一日遅れだったが、その頃にはすでにレイジュウジャーたちはマーフォークの手を借りて海へと出て行ってしまっていた。海に出られては、さすがの情報屋たちにも手が届かない。
が、その情報伝達の即時性のなさが、逆に作用した。イェルガーは眼下に広がり始めた汚染物質にまみれた場所から早々に立ち去りたいがごとく、マウントにもっとスピードを出すよう念じていたが、その意識の中に強烈でかつ異色な魔力の波動を感じ、不審に思った。
《…ラミア共の魔力ではない……この感覚…どこかで知っているような…》
この腐食され、汚染された場所に好んで入る者などいない。それゆえにイェルガーの不審は、最優先事項であるシークレスト到着の任務を押しのけ、マウントに下降するよう命じていた。
すると、突然にイェルガーの胸を穿つような衝撃が当たり、彼はマウントの上で軽いめまいを起こしていた。
が、すぐに立ち直り、今のが強力な防御壁を伴ってのヴェイドホールを開いたことの魔力放射とその残滓によるものだとわかった。そしてさらに彼の不審が確信に近づく。
《……これだけの魔力放射を残せるのは、おそらく筆頭魔道士様と……あの追放された……》
名前を思い出そうとしたが、彼が前筆頭魔道士と接したのは魔道士ギルドに入って間もなくの、まだ彼が少年だったころである。ウラヌスが前の筆頭魔道士を追放したことは知っていたが、直接の理由などは全く存外なことだった。しかし、一度感じた魔法の波動は、特にこれだけ強いものであれば、忘れるものではない。
イェルガーが急いで地上に下降してみると、予期しないものと出会い、思わず一人笑いが出た。相手方は自分の到来に不愉快な顔を一様にしており、彼はますます腹の奥から笑いたくなった。
《こんなところで出会うとは、ひょっとして帝国に乗り込むつもりかね?》
《そうよ! もう殺し合いとかそういうのはおしまいにしたいの! ここで会ったが百年目っていうことわざ知ってる? ぼろきれみたいになりたくなかったら、そこをどくのね》
朱音が小気味よく言い返すと、イェルガーはどこか淫らさを感じさせる笑みを唇に漂わせながら、三つの顔のついた不気味なマウントから降り、相手の敵愾心を楽しむように言った。
《その言葉はそっくりそのまま返そう、娘。私たちの情報は後手に回ったようだが、どういう天の配剤か、今こうして対峙している》
そして全く感情を移さない前髪で隠れていない方の緑色の三白眼が舐めるように彼らを見回し、言った。
《なるほど、お前たち、何か魔力の放射を止める道具を装備しているな? そこにエルフが二人もいるにも関わらず、私は全く魔力を感知できないからな。そしてたった今まで、誰かここにいたと思われる。それも、強力な魔力の持ち主がだ》
イェルガーは地面に手を触れ、何かを確信したように頷いた。
《ヴェイドの流れが微妙に揺れている。その者は『夢旅人』だな?》
《ごちゃごちゃうるせえよ、てめえ。俺たちとやるのか? やらねえのか?》
大牙の好戦的な言葉に、イェルガーは酷薄な瞳をぎらりとさせて身体を起こし、しんねり強い口振りで言った。
《こうして実際に相まみえて見ると、お前たちは本当に興味深い。筆頭魔道士様がご執心にもなるわけだ。おおっ、そうか、まさかとは思うが、今ここにいたのは白髪のエルフの魔道士ではなかったのかな?》
《応える理由はないわ。あたしたちはね、誰の玩具にもなるつもりはないの。そうよ、あのかわいそうなカーマインの王子様みたいにね!》
と朱音が自然と気分を逆なでするような空気をまとうイェルガーに言い返すと、相手は頭を昂然と上げて低く笑い、
《すべての歯車が狂いだしたのはそこからであったな。あの生き人形を造り上げるのに、どれだけの労力と素材が必要だったことか。計画通り事が運んでいれば、今頃カーマインは我が帝国の属国となっていただろう。わかるか? それだけのことをぶち壊してくれたのだよ、お前たちは》
《セドリック王子はどうなったんだ?!》
龍児がやや義憤のこもった口調で問い詰めると、イェルガーは気のない表情になり、
《材料がどうなったかなど、どうしてこの賢者たる私が知る必要がある? しかし、あれほど完璧な人形を造れたとなれば、材料の方はほとんど原型をとどめていないのではないかな。もし、残っていたとしても、屍術魔法の被術者という恐怖にあてられ、正気を失っていることだろう》
《なんかこいつ今までの中で一番ムカつく》
大牙がすでにカード型インターフェースを手に、噛みつくように言った。イェルガーはそんな大牙などには目もくれず、今度はファリーダに意識を向けて言った。
《ついに妹を手にかけたか。ふふふ、どうだね? 第四賢者に欠員ができたわけだが、そこにお前が収まると言うのは? お前の魔力が妹より強いことはもとよりわかっていたこと。ここで協力し、そこの冒険者たちを帝国に連行すると言うのは? お前にとっては悪い話ではないはずだ》
ファリーダの背後で部下たちがやきもきしているのが伝わる。レイジュウジャーたちも彼女の氷のように冷え冷えとした顔を振り返った。
彼女は「ふっ」と自嘲のような息をつくと、ぎらりと黒目を強い感情に輝かせながら言い返した。
《賢者がなんだっていうのよ。興味ないね、そんなものに。それに、今の筆頭魔道士のやり方は全然気に入らないよ。『光の都市』? はっ、子供の夢物語じゃあるまいし、そんなものに夢中になってる奴の下でおべっか使いになるなんてこっちからお断りだよ。そんな奴のところにいたから、キアは死ぬ羽目になった。他の賢者たちもそうさ。皆、ウラヌスの奴の妄想に付き合わされて、結局自分の首を絞めていることに気付かないのかねえ。それともすっかり伝染して、お前たちの頭もヴェイドの無秩序な闇色に侵食されちまってるのかねえ、ここの腐った大地のように》
イェルガーは、ファリーダの毒を含んだ言葉にもたいした情動も見せず、むしろその反発の強さに比例するように、不気味さを増して言った。
《またひとり、優秀な魔道士が失われるのは惜しい気もするが、筆頭魔道士様のお考えに従わない者を処罰するのは当然のことである。そして、ここはラディウムと、さんざん弄ばれ、未練と怨讐に憑りつかれた命のなれの果てが数えきれないほどに彷徨い、呻き声を上げている場所だ。ふふふ、このような私にとって糧となる場所で出会ったのが運の尽きであったな! 死してなお妄執に凝り固まった忌まわしき亡者ども! 見よ! 今ここにいる赤き血を持った者共を! お前たちが欲する新鮮な血と肉がそこにあるのだ! さあ、食らえ! そして我に捧げよ!》
とイェルガーが言った傍からむくむくと地面が盛り上がり、ヘドロのような色合いをした者が次々と出現したのである。
大牙が「うえーっ」と鼻をつまみ、
《なんだよ、こいつら、すっげーくせえっ!》
玄人がファリーダを伺いながら、こんな状況でものほほんと言った。
《ゾンビみたいなもんじゃろ、これは。お前、そういうゲームもよくやってるやないか》
《ここは廃棄されたラディウムとは言え、魔力の補充には事欠かない場所だよ。それに、この場所自体がイェルガーのテリトリーみたいなものさ。奴は闇魔法全般に通じている。ここは魔力の他にも、奴の魔法の材料が無尽蔵にあるような場所さ》
とファリーダが言うと、まるで本物のゾンビ(確かに本物なのだが)のように両手を突き出してこちらに突進してきそうな様子に、大牙がカード型インターフェースを手首のソケットに近づけながら、玄人に言い返した。
《ゲームからは臭いはしねえからな! それになんだよ、このぐっちゃぐちゃのどろどろなのはよ! 俺一応まだZ指定のゲームはやれないっつうのに、こいつはひでえ!》
「ゲームの年齢制限などお構いなしで遊んでるくせに」という龍児の呟きは、今にも彼らにぐずぐずに崩れかけた亡者の突進で聞き流された。
四人は息を合わせ、霊獣チェンジャーにカードを差し込んだ。
汚染され、奇怪な植物のコラージュでできあがっているような光景の中に、突如として四色の眩い鮮烈なオーラが現れ、イェルガーは思わずその輝きに目を細め、わずかに怯んだ。
《……これが謎の冒険者……? まるで魔力を感知できなかったのに、今はどうだ、魔法ではない何かの波動を感じる。この者共は一体…?》
「闇在る所…」
と龍児が言い始めると、思わぬところから横やりが入った。ゾンビがわらわらと近づいているというのに、動じるどころか、顔を紅潮させたレンがアルディドにしっかりと抱き留められながらも、首を長く伸ばしてこう言ったものだ。
《おい、ひょろひょろ! ボクたちがわかる言葉で言ってくれっスよ! 意味わかんないけど、すっごくかっこいいっスから、なんて言ってるか知りたいんス!》
龍児が呆れ顔になったのは言うまでもない。仲間たちをぐるりと見回し、彼らが肩をすくめて「仕方ないなあ」という態度を返してきたので、彼は改めて言い直した。
《闇在る所光在り》
続いて朱音。
《悪在る所正義在り》
《ひゃあっ、しびれるっス!》
レンの歓声に、大牙はタイミングをずらされ、たたらを踏むように口をもごもごとさせた。
《うるせえっ、このチビ! 黙ってろや!》
《タイガ、早く!》
朱音に突っつかれ、大牙はぶうたれた顔で言った。
《聖なる力で邪を祓う》
《我ら四方を守りし聖なる獣》
と玄人が言うと、オーラを背負った四人が四方に飛び、イェルガーを囲むように降り立った。
《霊獣降臨!》
四人の息がぴたりと合い、手首のソケットにインターフェースが挿入されると、四色のオーラが彼らを覆い隠した。
まずは青いオーラの中から青龍刀の柄に手をかけ、低い姿勢で青龍が姿を現わした。
《東の守護獣、青龍!》
赤いオーラの中からは回転蹴りをしながら朱雀が登場する。
《南の守護獣、朱雀!》
《師匠~!! かっけー!!》
レンの歓声はアルディドの手でそれ以上は阻まれた。
《西の守護獣、白虎!》
純白の装束をまとった白虎がくるりと前方宙がえりをしながら現れた。そして最後に黒い装束の玄武が突起のついた大盾をどすん、と地面に構えて言った。
《北の守護獣、玄武!》
他の三人も武器を構え、イェルガーを囲んだ。そのイェルガーは動揺するどころか、むしろ興奮しているようだった。
《お前たち、どこでそのような加護を得た? 我らが魔道士ギルドでも、そこまで完全に異種族の能力を同化させることはできん。それも、魔力と言う結合力を持たぬお前たちに、なぜこのような波動が出せる? 一体お前たちは何者だ? 何のためにこの地へやってきたのだ? まさか、本当にお前たちは『光の都市』への案内人なのか?》
《『光の都市』『光の都市』ってうざいんだよ! お門違いもいいところだぜ、全くよ! でもな、俺は許さねえぜ、お前らがあの御姫様の兄貴にしたことをよ! どこの世界でも、誰かに命を奪われていい権利なんかねえんだ! 生きる権利はどんなもんにも平等に持ってるもんなんだよ! だからこんなゾンビを操るてめえは、マジでムカつくぜ!》
と白虎が珍しく正論をぶつけ、迫ってきた原型をとどめていない亡者を手当たり次第に殴り、張り飛ばした。生ける屍は粘つきながらも体幹をぽっきりと折られ、ぐしゃっと地面にくずおれて泥地に吸い込まれてしまった。他の三人も同様に亡者たちを打ちのめし、ファリーダも石つぶてをくらわして汚物の塊のようなものを撃退していた。
イェルガーはその光景を見、特に焦ることもなく、むしろ、彼らの力に感心し、意欲を上げたらしく、緑色の目を暗い炎のようにぎらぎらとさせながら言った。
《そういうお前たちもただの人間ではないのだろう? 生死の狭間を操る私だからこそ感ずるのであろうが、お前たちには造り物の何かが埋め込まれている。そしてさらに、ただのヒトにはないものが結合している。そう、我らが生み出す合成獣のように異なる何かがな。筆頭魔道士様がご執心なさるのはごもっともなのかもしれぬ。『太古の民』は超人であったと聞く。それがお前たちのような存在であったと仮定しても不思議ではない》
これを聞き、青龍がやや気がかりな口調で仲間たちに言った。
「僕たちの力の源が特定されるのは良くないな」
炎舞扇を両手にひらめかせ、臓物を垂らし、頭をザクロのようにはじけさせている者共を一刀両断している朱雀がきっぱりと言った。
「そんなことさせるわけないでしょ? あのいやったらしいワンレン男はここでお陀仏になるんだから!」
と彼女の一閃が亡者のぐずぐずに崩れた身体に浴びせられようとした瞬間、ぱちん、と鼻先を弾かれたような衝撃を受けて怯んだ。
《相手は腐っても賢者だよ! その亡者どもをこれ以上潰したら、あんたらもゾンビになっちまう!》
と言ったファリーダに、イェルガーは尖った鼻先で高みから見下ろすようなせせら笑いを投げた。
《ほほぅ~、やはりサトゥルヌスの姉だけあるな。いや、あの女よりも優れた魔道士であることは確かなようだ。この廃ラディウムと腐った大地に囲まれた中で、よくぞ私の魔力の波動を読み取った。そうとも、この亡者どもは腐った肉と血で出来上がった爆弾だ。それを倒せば腐った血肉が破裂し、お前たちに腐食の毒を浴びせられたものを。だが、この汚染され、毒の大地からお前はろくな魔力を引き出せないはずだ。筆頭魔道士様はお前たちを後回しにしてもよいとおっしゃられたが、余計な口を叩かれたくないゆえ、まずはお前から私の血の贄になってもらおう。『死の静寂!』》
急に周囲の空気に重圧感が加わり、それはファリーダの周囲で凝固した。
《ファリーダはん!》
《ファリーダ様ぁ!》
誰の制止も受け止めず、玄武がだっとばかりにファリーダに迫る何かに対して盾を構えた。
《クロト! この魔法はどうやら無酸素状態を作り出しているようだ! お前の盾で防げるかわからないぞ!》
青龍が危ぶむ口調で忠告したが、玄武はどっしりと身構えたまま、背後の奇妙な植物の陰であたふたとしているファリーダの部下たちをちらりと見やってから、落ち着きはらって言った。
《わしにもわからんが、他に手はないじゃろ》
と、ぐ、ぐ、ぐ、と目視できない重量感のあるものが甲鉄盾を圧迫してきた。玄武の唇がぐい、と引き結ばれる。
《力比べなら誰にも負けんぞ、わしは》
食いしばった歯の間から言いながら、玄武は僅かずつながら脚を前に踏み出していた。
《お前、そんなことをしていたら、お前こそ魔法に息の根を止められちまうよ?!》
背後からファリーダが珍しく情のこもった口振りで言った。玄武は背中を向けたまま、これに応えた。
《わしのことはわしの問題じゃけえ、あんさんこそ、一流の魔道士なら、この間隙を突かないでおるんはもったいないと思わんか》
と言われてみて、ファリーダはハッとしたように玄武の広い背中を見直し、前方でゆらゆらと魔力の陽炎をまとって浮遊しているイェルガーを睨みつけた。
《お前に言われて気付くなんて悔しいけれど、確かにその通りね。ただし、この腐りきった大地からどれだけの力を引き出せるかは疑問だけれど》
《やってみなけりゃわからん》
《それもそうね》
ファリーダが念じ始める。玄武の盾は少しずつ前進し、イェルガーに近づくにつれ、その何かは、さらに重く、息が詰まるようになった。
《魔力の圧の比率が崩れ始めた。よし、僕たちも攻撃を仕掛けるぞ。だが念のため、内蔵酸素を使う準備をしておこう》
青龍は刀をすらり、と抜き、あとの二人に顎で「来い」と示しながら、
《まずはあの高みから引きずり下ろすぞ。魔力を使うことのデメリットは、そこに集中力を奪われることなんだ。クロトが今奴と対峙してくれているせいで、奴は僕たちから注意が反れている。これはチャンスだよ》
以前、やったことのある白虎は、青龍の意図を察し、ひらりと青龍刀の峰に片足で立った。青龍の下半身に力がこもるのが刀身に伝わり、白虎も力をためるように身体を屈ませた。
「えいやっ」とばかりに青龍刀が上方に向かって振り上げられると、ぴょーん、と白虎の小さな身体がさらに高く飛び上がり、賢者に肉薄したのが朱雀にも見えた。
《さ、お前も奴を蹴り飛ばして来い》
その両者にもわからない程度の間があいたが、朱雀は私情を戦いに挟むなどということはしない性質だった。そして白虎と同様、青龍刀に打ち上げられ、間近に気味が悪いほどに痩せ、蒼白い顔をしたイェルガーの真ん前に飛び上がっていた。
ここで初めてイェルガーが自らの状況の変化に気付き、魔力の集中が反れた。地上では玄武の気合の声が響き、おそらく魔法の力を打ち破ったのではないかと仲間たちは皆思った。
《き、貴様ら、おのれ…!》
しかし、さすがは第二賢者であり、筆頭魔道士の最大の信頼を得ているイェルガーは、面前に白虎の拳が飛んでくるのをすんでで空中浮遊でかわし、衝撃波を放って牽制すると、滞空時間が切れて地面に落ちて行く二人をいやらしい微笑みで見下ろした。
《なるほど、ギャリオンをあそこまで痛めつけたのはお前か、白いの。となると、私は近づかぬが得策。それに、噂通りのその不思議な大盾。我が魔法を無効にできるとなると、別の手をとらぬとならぬなあ》
とイェルガーはまるで危機感なく言うと、骨ばった右手で左手首を握り、天にかかげるように差し上げた。そして落ちくぼんだ瞼を閉じ、強く念じてから喝と言った。
《『冥界坩堝!』》
彼らの足元に、何ともいえない感覚が横切り、背筋をぞっとさせた。そしてそれは蛇がのたくるかのように、蔦が強欲に這い上がるように、玄武とファリーダの部下たちの足元で発現した。
この三人の足元だけが地盤がなくなり、底なし沼になったかのように、彼らはずぶっと一気に腿の辺りまで身体を沈めていた。その周囲には無数の腕らしきものが障壁のように取り囲み、助けに入ろうとすれば、その者までも暗黒の底なし沼に引きずり込むのであろう。
《これはまずい!》
アルディドが腐食植物の合間から見ながら、エルフらしからぬ舌打ちを混ぜて言った。レンが必死にアルディドの腕を掴んで問いただす。
《師匠たちは無敵っすよ?! なんでまずいんスか?!》
アルディド自身も、生死の壁が開けられたことによる負のエネルギーに吐き気でも感じているかのような顔付で応えた。
《死者の国は命の巡りから弾かれてしまった憐れなものたちが悶々としている場所なんだ。だから生に対して未練や怨讐を抱いている。夢幻世界にいる精霊と似通っているけれど、死者の妄執は、こうして死霊魔法や屍術魔法に長けている者なら、操れるというのが違う点だ。いくらあの四人の若者たちに魔力が皆無だとしても、生者としてのパワーは人一倍持っているはず。それだけ亡者たちの力は増し、ますます助けに入ることが難しくなるということになる》
《おっと、そこにやけにおしゃべりなエルフがいることを失念していたよ。ふむ、確かにその若者には不思議なほどに魔力がないな。しかし、どうだね? 次第に身体が冷たく重くなり、朦朧となって、息さえも億劫になってはこないかね? おやおや、そちらの二人はもう意識を失いそうだが? 目を閉じたら最後、あっという間に引きずり込まれてしまうぞ?》
ファリーダは背後を振り返り、ワリードとウマルが無数の腕がにょろにょろとうねっている泥沼に埋もれ、土気色の顔をしてようよう息をしているのを見、今度は眼前で首まで沈んでいる玄武を見た。
ファリーダの眼差しに迷いの色がよぎる。
それを見極めた玄武が落ち着きはらった声音で言った。
《わしのことはなんとかなる。じゃが、あんさんの部下たちはすぐにでもあんさんの助けが必要じゃ。それに、あん人たちはあんさんの大切な部下なんじゃろ? 長年あんさんに尽くしてきてくれたんじゃろ? それを助けんでどうする。ほれ、迷ってないで、いかんかい!》
玄武の厳しい一言で、ファリーダは目が覚めたようにぱちぱちと瞬きをすると、一瞬ためらうような眼差しを玄武に投げてから、部下たちが潜んでいた気味の悪い灌木の背後に回った。
《ファリーダ様ぁ……もう、動けないでがす…》
《俺ぁ、もっとすごいゴーレムを作りたかったでござんす…》
すっかり意気を失っている部下たちに、ファリーダはいつものように一喝した。
《馬鹿をお言いでないよ! 死んでるものにとりこまれてよれよれになるなんて、ファリーダ一味の名折れだよ! こんな未練たらしくて命の巡りにも入れない落ちこぼれ共にお前たちは負けたいのかい?! そんな程度じゃ、私の部下として失格だわね!》
そして彼女は左手を泥の地面に押し付けると、紫色の髪をさかまかせて言った。
《『死霊緊縛!』》
相手は賢者が呼び出した死霊であり、ここは大地のエーテルが薄い場所だった。ファリーダは魔力を振り絞り、命の重みをなくしたもの共を操ろうと意識を最大に集中させた。
これを見て、イェルガーが頭上から挑発的に言った。
《ほほう、さすがに賢者の姉だな。しかし、そうやっているうちに、こちらの若者はどんどん力を失っているぞ。こちらをたてればあちらは立たずとはこういうことだな、ふはっはっはっはっ》
《ほんと、クロトが危ないわ!》
今や、玄武の顔は半ばまで沼地に沈み、朱雀の悲鳴にも似た口振りは大げさなことではなくなっていた。
《でも、あの沼地には僕たちの生命力のようなものを奪うものが仕掛けられている。助け出すにしても、ミイラ取りがミイラになる可能性も…》
《じゃ、黙ってみてろってのかよ? ああっ、くそっ、イライラするぜ!》
とその時だった。
この絶体絶命な状況に陥り、気力を失くしていたかのようなレンが、いきなり立ち上がり、アルディドが止める間もなくついに頭頂部まで沈んだ玄武のもとへ駆け寄ったのである。
《レン?!》
朱雀が困惑を極めて叫ぶと、レンは首に下がる革ひもを引っ張り出し、先に結びつけてある革袋から白いブレスレットを掌に取りだした。そして朱雀の方を見ると、場違いに思える余裕たっぷりな笑みを浮かべ、そのブレスレットをぽい、とばかりに忌まわしい泥沼に放り込んだのである。
彼女は頭上にいる賢者に「イーッ」と顔をしかめてみせると、いまだ状況を掴めていない三人に言った。
《よくわかんねえっスけど、あれを使えばいい気がしたっス。きっとそのでかぶつは助かるっス》
一方では、念じる唇を蒼ざめさせ、額に苦しげな皺と静脈が浮かべているファリーダがいた。その足元ではワリードとウマルが顔だけ出してあっぷあっぷしていた。
《ファリーダ様、こんな場所で魔力を使い続けたら、ファリーダ様がこの腐った大地に取り込まれちまいまっせ!》
ワリードが泥を飲みながらも必死に言った。ウマルもようよう顔だけを出し、訴えた。
《俺らの代わりはいくらでもあるでがす。でも、ファリーダ様の代わりはねえでがすよ! 俺らのことは放って、あの賢者をやっておくんなさい!》
《馬鹿お言いでないよ!》
と一喝したファリーダの黒い瞳が、魔力の不純物との葛藤に燃えている以上に、きらり、と光った気がした。
《お前たちの代わりがいるだって? 本気でそんなことを言っているのかい? ワリード、お前は帝国随一のゴーレム製作者じゃないのかい? ウマル、お前は帝国一のラディウム鉱の目利きじゃなかったのかい? そして私は、帝国一のゴーレム使いにして大地魔法の使い手、ファリーダ・ルルーシュだよ! 第二賢者がなんだい! こんな、死んでも死にきれない憐れな亡者どもを好き勝手に使うなんて、最低の最低、下の下だね! 見てなよ、イェルガーめ! いくら亡者どもとは言え、死んでもなお咎人みたいに鎖につながれるのは嫌なんだよ! 私がそれを切り、お前に倍返しをしてやるわ!》
そして彼女は魔力の集中を高め、渾身の気魄で言った。
《かつては生けとし者どもよ、主は今や我なり! 不浄な力にして縛る鎖をかけた者に呪怨の念を浴びせよ!》
と言い終わると、ファリーダは濁った咳をし、身体をかがめてしまった。しかし、部下たちの足元には亡者の腕はなく、二人は泥地ではあったものの、しっかりとした地面の上に這いつくばるようにして助かっていた。
《ファリーダ様!》
二人が泥だらけの身体も構わず、疲れ果てたように肩で息をしているファリーダに近寄ろうとすると、彼女は冷淡にも彼らを追い払うように手を振り、
《寄るんじゃないよ! せっかく生きながら亡者の国へ連れて行かれずにすんだんだ。せいぜいその命、大切に…ごほっ、うぐっ》
《これはまずい!》
アルディドが後先も考えずに、ベルトの万能袋を手に彼女に駆け寄った。そのとたん、ぼふんっ、と嫌な音がし、ファリーダの屈めた背中からシダのような植物が生え伸び、くるくると巻いていた葉が手品のように彼女の背中で広がった。
イェルガーはファリーダが返してきた亡者の手の届かないところまで上昇すると、わらわらと標的を狙って蠢く死者の腕を見下ろし、哄笑した。
《私の魔法を反撃にしてよこしたのは褒めてやる。だが、場所が悪かったな。お前はこの腐食された大地の歪み、変異したものを取り込み過ぎた。ここの植物は貪欲だぞ。そら、もう一本何かが生えそうだ。その時こそ、お前の命の尽きる時。そして、いまひとつの命も…》
イェルガーは玄武がすっかり亡者の湧き出る泥沼の中に埋没してしまっているのを見、再び哄笑した。
《他の賢者たちが手こずったはずなのに、どうだ、このていたらくは! 何もできずに棒立ちではないか! さて、他の者たちをどう捕縛するか、楽しくてたまらぬぞ、うははっははっはっはっ》
頭上高く勝ち誇った高笑いが響く中、朱雀がイライラと炎舞扇を掌で叩きながら、ファリーダのそばで何かしているアルディドとレンに言った。
《ちょっと、レン、一体あんた、なにをしたの? クロトは沈んだままよ? それに、ファリーダさん、大丈夫なの?!》
レンは「うーん」と首を傾げ、
《おっかしいなあ…ボクの感じではあれがよく効くと……あっ! 見てくださいよ! ほら、ボクの予感は的中してたっス! ま、ちょっと悔しいっスけどね》
レンの言葉通り、玄武が沈んでいた無数の腕が突き出る泥沼から玄武がぽいっとばかりに吐き出されたのである。黒いパワースーツがさらにコールタールのような重い何かで淀み切っていたが、本人に支障はなかったらしく、一つため息をついて、彼は言った。
《いやぁ、参った参った。甲鉄盾がなかったら、わしゃ今頃どうなってたかわからんわい。なんや、途中で重っ苦しい空間に切れ目みたいなもんが見えてのう。そこを頼りにして這い上がったら、戻ってこれたっつうわけじゃ。しかし、魔法っつうもんは…ぬぬ? ファリーダはん、どうしたんじゃ?!》
アルディドが玄武の帰還を喜ぶ余裕なく応えた。
《ここの大地の負のエネルギーを取り込み過ぎて腐食の毒にあたってしまったんだ。僕の手持ちの薬でどうかできればいいんだが》
泥だらけのワリードとウマルがわっとばかりにファリーダのもとへ駆け寄り、体裁などお構いなしに泣きついた。
《ファリーダ様ぁ! お、俺たちのために…!》
ファリーダは形容しがたい感覚にくらくらとなりながらも、部下たち二人をじっと見据え、唇の端に笑みを作った。
《…当たり前だろ…私たちは帝国一のゴーレム使いのチームだよ。お前たちは大切な私の相棒…げほっ》
最後まで言い終わらないうちにせり上がる悪寒に、彼女は背中をこごめてしまった。
《ここの毒素を中和できる薬などありはしない。そこの子供が何かあやしげなものを投げ入れたことを軽んじたのは私の不徳の至り。しかし、たとえその女が立ち直ったとしても、私にはこれがある!》
と、イェルガーは腰のベルトのポケットからガラス管を二本取り出して見せた。それを見たワリードが大きく動揺して言った。
《あれはギルドに保管されてる血虜囚の管じゃありやせんか? 俺らをあれでどうにかするつもりなんじゃ…》
《……馬鹿だね、ワリード》
いつものような恫喝するほどの力はなかったが、不気味な植物に寄生され、それが発する胞子のようなもので粉っぽくなっているファリーダの声は、部下たちを含め、そこにいる者たちを励ましもし、緊張もさせた。
ファリーダは眼前で必死に薬草の束を広げ、頭を絞っているエルフの薬師を横目に、続けた。
《確かに私たちをあの血の人質で苦しめることはできるかもしれないけれど、奴の十八番は死霊使いだよ。少し考えれば、あれが誰の血かわかるってもんさね》
《…僕たちが倒した賢者たち…》
青龍が勘良く呟くと、ファリーダはつらそうに息をつき、自嘲気味に頷いた。
《正確にはどちらもこの私が息の根をとめたことになるんだけどね……かわいそうに……ローランドはもう命の巡りに交じり合っているだろうに……無理やり引きはがされて奴の奴隷にさせられるなんて……げほっ》
ファリーダの口から血痰と不気味な色をした粘液が吐かれた。アルディドがこれを見て顔色を悪くした。
《まずい、まずいぞ、これは。体内組織まで侵食されたらおしまいだ。今ほど弟がここにいればと思ったことはない。くそ、冷静になれ、アルディド・ヴィ・シャルロー、お前の薬の知識はその程度なのか? すべての記憶と経験を総動員して仕事にかかれ、アルディド!》
《無駄だ、無駄だよ、そんなことをしても! ここの毒はありとあらゆるものが混然一体となってできあがったものだ。それを中和するには、全てを読み解き、一つ一つパズルを鏡合わせのようにくみ上げていかなければならないからだ。癒しの業も持たない薬師よ、無駄な努力はやめて敗北を認めたらどうだね、エルフ殿》
イェルガーは呵々と笑い、手にしていたガラス管のコルク栓の封印を切った。すると、勝手に栓がぽーん、と開き、しゅうっと何かが噴き出してきたのである。
これを見上げながら、白虎が唐突に言った。
「なあ、あのおばさんだけど、ボスに頼んだら、治せねえかな」
なぜこの考えに至らなかったのか。
玄武がマスクの下で苦笑いをしながら頷いた。
「なんでじゃろか。すっかり忘れとったわい」
「それだけこっち側の世界に馴染んじゃったってことじゃないの」
と朱雀が頭上でいよいよ何かが現れそうになるのを睨みつけて言うと、青龍が早速ファンロンに通信を入れた。
『ボス、分析してもらいたいものがあるのですが』
キリルの当意即妙の返答がかえってきた。
『今君たちがいる場所の毒素の分析ならば、完了している。君たちのパワースーツを脅かすものではない』
『僕たちの方はいいんです。連れの者がここの毒草に寄生されたような状況に陥っているのです』
『ふむ。寄生か。ならば、宿主を不活性化させ、寄生する側のエネルギー源を断てば良い。もし必要なら仮死状態にする薬剤を転送するが』
レイジュウジャーたちは顔を見合わせ、
『ちょっと待って下さい、ボス。できれば僕たちの技術はあまり使いたくないのです』
『わかった。だが必要ならすぐに連絡を』
『ラジャ』
通信を終えると、青龍がアルディドに言った。
《これは僕の仮定なんですが、その毒は、ここの植物が飛ばす胞子から発しているものですよね。つまり、自分たちの存続のための行為です。と言うことは、ファリーダさんの身体を一時的に仮死状態にして、養分を取れない状態にすれば、寄生を解くことができませんか? あなたの薬の中に、昏睡状態にさせるものはありませんか?》
この提案に、アルディドはパッと顔を上げ、情感に薄いはずのエルフにはあてはまらないほどの興奮に見舞われて言った。
《おおっ、な、なんという慧眼! い、いや、私の目が曇っていたのか…! 確かにあるとも、重篤な外科手術をする際の麻酔薬なら、幾通りも持っている。な、なるほど、宿主を『殺せば』、寄生側は別の宿主を求めていく……基本的なことなのに、わ、私はすっかり失念していた!》
とごしごしと目元をこすったアルディドは、薬袋の中から何種類かの薬包を取り出し、ぶつぶつと呟きながら、ファリーダの治療に戻った。
これを見ていたイェルガーが、改めてレイジュウジャーたちを見下ろし、忌々しくも、どこか感心したような口振りで言った。
《帝国の魔道士でも、ここの毒を中和する策を完全には習得しておらんのに、魔力の欠片もない貴様らがそれを成すとはな。ウラヌス様はそういうところまで見抜いておられたからこそも貴様らに白羽の矢を立てたのであろうか》
《ついでにあんたの腐った根性もたたき直してやるわよ!》
朱雀が頭上のイェルガーにかみつくと、賢者は自分の両側に浮かび上がっていた灰色の影を見せつけるように両腕を広げた。
《そんな台詞を吐いてもこの私を挑発することはできんぞ、娘。私は愚かでもないし、感情に流されることもない。真の魔道士たるはいかなる時でも揺るがない己を保ち続けること、そのことに尽きる。さて、私のすべきことは二つ。まずはそこの裏切り者たちを始末すること。しかし、これは最優先事項ではなくなった。したがって、私は貴様ら四人を帝国へと連れ帰るべく、行動を起こさねばならん。これまで貴様らが我ら七賢者を打ち取ってきたことは百も承知。ゆえに、私は敢えて手を出さず、この者らに代行させようと思う。ふふふ、肉体とはいかに魔力の上限を低めているかを、その身体で味わうがいい》
と、イェルガーはさらに高みに上昇し、代わりに二体の灰色の影が輪郭をはっきりとさせていった。
白虎が両拳を固めて息巻いた。
《くそっ、畜生! てめえは高みの見物かよ?! 正々堂々戦いやがれ!》
しかしイェルガーは腕組みをし、薄ら笑いを投げてよこしただけだった。
その白虎の腕を、青龍がぐい、と引き、いまやはっきりと誰だかわかる姿になっている二体の影を示し、言った。
《ひとまずクロトの後ろに入れ。おそらく強烈な魔法が…》
と、みなまで言わせずに、ローランド・ユピテルとキア・サトゥルヌスのモノトーン映像のようなものから、周囲の空気を巻き込み、ねじるような重圧感を伴った魔力の塊が四人に向かってきた。
なんと表現すればいいのだろうか。
死霊となって呼び出された二人の魔力は混然一体となり、辺りのグロテスクな光景もあいまって、完全に混沌的だった。
ドドドッとその粘着質の大地がめくり上がり、反り返り、そこにローランドだったものの放った天を穿つほどの竜巻がぶつかり、何もかもを巻き上げた。
《土のサトゥルヌス》
《風のユピテル》
二体の死霊は耳障りなノイズの入った電子音のような声で言った。
《ここに在りしは我が主の命なるが、死してなお心残りのことありて、再び決着をつけんとするものなり。肉体の重き器を捨てた我らの魔法の前に今こそひざまずくのだ。『疾風怒濤・昏沌(シュトゥルムウントドランク・ケイオスフラッド)!』》
玄武の大盾の背後に隠れた三人は、以前に感じた時の魔力とはまるで違うことに気付いた。甲鉄盾の守りのおかげで大地を抉られ、それらが石つぶてとなって自分たちの周りを高速で渦巻いているのを見ながら、青龍が言った。
《肉体を失ったことで、理性と言う箍がはずれ、これだけ容赦ない攻撃をするようになったんだ。これは、うかつに動けない。魔法詠唱もものすごく短かったみたいだしね》
《相手は死人じゃろ? たとえあの二人を倒したとしても、あの賢者がまた呼び出したら、きりがないんじゃないかのう?》
玄武が大盾の握りをがっしと掴み、両脚を踏ん張っているのを見れば、この超特大の竜巻の威力が知れた。
《でもね、あたし、いつまでもじっとしてなんかいられないわ》
朱雀がカッカとしながら言うと、白虎がこれに賛同した。
《俺も早くあのロン毛野郎をぶちのめしてえ》
玄武が背後の血気盛んな二人に指摘した。
《その気持ちはわかるが、盾の後ろから出れば、この大竜巻に巻き上げられてもみくちゃにされて地面に叩き付けられるのがおちじゃ》
いったんむすっと黙り込んだ朱雀だったが、自らのアイディアに小躍りするような勢いで言った。
《その竜巻に便乗させてもらうのよ! ほら! 竜巻はあんな上空まで舞い上がっているんでしょ? だったら、あの賢者の高さまで簡単に到達できるってもんよ。どう、この考え。ううん、皆がなんと言っても、試してみるわ、あたし》
朱雀は楽しげにも見える身振りで「バイバーイ」と手を振ると、灰色渦巻く竜巻の中に身を投じてしまった。そして声だけが残った者たちに届いた。
《きゃあああっ、ひゃっ、ひゃっ、ちょっと痛いけど、これ、ちょっとおもしろい! で、賢者はどこ? 周り中暗くってよくわかんないのよ》
これを聞いて当然のごとく白虎も危機感なく竜巻の中に飛び込んで行ったのは言うまでもなく、慎重派の青龍が「やれやれ」とばかりに応えた。
《賢者の座標点を送る。まあだいたいお前の真後ろ、竜巻の威力に乗って一跳びした辺りに浮かんでいるよ。あちらはお前たちがそんな無謀で頓狂な反撃に出たとは気づいていない様子だ》
《そりゃあ当たり前よ。あたしたちはスーパーヒーローだもの。どんな苦境に立たされても突破口を見つける、それがたとえ馬鹿馬鹿しいやり方だとしてもね。じゃ、ちょっと仕掛けてみるわね、チャオ~》
と陽気に言った朱雀は、霊獣チェンジャーに送られてきた座標を見ると、ゴウンゴウン、と回るランドリーを思い起こしながら、タイミングを計り、風圧の上を蹴って外に飛び出した。
濃密で重い大気が呆気なく消え、朱雀は忽然と空中にいた。時間はあまりない。周囲に人影はない。では下には?
《…みぃつけた》
朱雀は両手に炎舞扇を持ち、自然落下に任せて真下にいた賢者めがけて降下した。
彼女の両脚がイェルガーの首に巻き付く。そして閉じていた炎舞扇を賢者の面前でしゃらりと開いて言った。
《空に浮かんでれば安全だなんて思わない方が身のためね》
《な、なにぃ?! 貴様、どうやってあの竜巻の中を…?!》
そこへ、白虎がぽーん、とばかりに飛び出してきて、片腕をやはり賢者の首筋にかけると、正義感半分、からかい半分の口調で言った。
《竜巻なんかさせるからこういうことになったんだぜ。だからお前の負け。さあ、こいつ、どうしよう》
二人分の体重がかかり、イェルガーの空中浮遊はじりじりと高度を下げていた。
賢者がものすごい形相で沈黙しているのを、朱雀が煽り立てるように続けた。
《とりあえずあのかわいそうな死んじゃった魂を元に戻してもらって、あとはどうしようか》
とその時、思わぬところから警告の声が走った。
《離れるんだ! 破裂する!》
アルディドだった。
朱雀と白虎は即座にイェルガーから飛びのいた。そして見た。その一瞬あとに、賢者の四肢が内側からはじけ飛ぶのを。
この星の重力に引かれて落下し、一緒にぼとぼとと肉片や骨が落ちてくるのを見ながら、朱雀は頭上に漂う吐き気を催すような物体を見つけた。
《なにあれ?! 生首?!》
《尻尾みてえのもあるぜ? なんじゃありゃ?》
地上では竜巻は消え、憐れな死者の魂も消えてなくなっていた。
青龍が霊獣チェンジャーに組み込まれているスキャン機能を使い、空から戻ってきた二人に言った。
《あれは賢者の頭部と脊髄のようだよ。びっくりだね。この世界で全身インプラントのような技術があるなんて。きっと手足や胴体は交換が可能なんだろう。そしておそらく、今破裂した部位には何か攻撃材料になるものが仕掛けられていたと思う》
《あれが屍術魔法の究極の姿さ。忌まわしい。屍に屍を植え付けて生きながらえる……そんな魔法は理から外れた穢れたものだよ》
ファリーダの、それでもまだ元の覇気は戻っていなかったが、極めつけるような言葉が聞こえ、レイジュウジャーたちはアルディドに助けられて身体を起こしている彼女を見た。
《毒は除けたんですか?》
と青龍が尋ねると、エルフの薬師はにっこりと笑って頷き、
《君たちの指摘がまさに大正解だったよ。一度彼女に深い眠りについてもらったら、毒はあっけなく消えてしまった。これはここの大地を蘇らせる方法にもなりそうだ》
《ところで、あの気味の悪いやつはどうするでがすか? こっそり逃げようとしてるでがすよ?》
ウマルが髭のない顎で空中にふよふよと浮かんでいるおたまじゃくしのような物体を示し、言った。
と、その時、どこからか強い光芒が発したかと思うと、まるで光の矢のように一直線に飛び、空中のイェルガーの頭部に突き刺さった。
《うぎゅるるる…っ、こ、この私が……っ、ごぶぁっ》
空中で酸鼻極まる飛沫をぶちまけて、イェルガーだったものがぐしゃっと地面にたたきつけられた。そして視線を戻すと、白髪のエルフが超然と立っていた。
「おいしいところ、もっていきやがったぜ、このエルフ」
白虎が面白くなさそうに独りごちたのを、この元筆頭魔道士は興味深く見てから、
《君たちの力を疑っていたわけではなかったが、今の戦い振りを見て、今こそ私の目的を果たす時が到来したと確信した。どうか頼む、私の助けになってくれまいか。帝国を、元の姿に戻すのに力を貸してくれまいか》
朱雀が変身を解きながら肩をすくめた。
《あなたがまっとうな人かどうかよくまだわかんないけど、レンのお父さんなのよね? それなら仕方ないわ。それに、あたしたちもウラヌスってやつはどうにかしないとだめだと思ってるし、いいわよね、みんな》
もちろん反対の声は上がらなかったが、ただ一人、レンだけはどことなく乗り気ではない様子を見せていたのを朱音は気づき、ウマルと白髪のエルフ、ケイランの知識を重ね合わせてどこから帝都内に侵入するかを話し合いながら再び歩き出す中、家族というものを知らない自分に果たしてレンの心の迷いを晴らすことができるものなのかどうか危ぶみながらも、レンを羨む気持ちが小さな石ころのように心の中で転がっているのを感じるのだった。




