『三の矢』②
計画はうまく運んだ。
ヴォルガ族の方は難なくことがすんだのだが、帝国軍の方は、案の定、同船している魔道士数名から、アッラードの意志の真意を糾弾されかけたものの、なんとかぼろを出さずに切り抜けることができた。
帝国海軍とヴォルガ族から、万事手はず通りの連絡を得ると、ドナテラは自ら用意しておいた冒険船に乗り込み、まるで船長のような物腰で出航を命じたのだった。
《良い船でしょう? これは私の父の傑作のひとつ。ただ残念なのは、海に冒険に出る勇敢な者が少ないことね。ま、事実、東に新天地を求めて出て行った者たちが戻ってきたという話も聞かないから、仕方ないことなのかもしれないけれど。でも、こんなに立派な船が倉庫にしまわれ通しなのは、作り手としては残念な限りね》
ここでも龍児の底の知れない豆知識が、ドナテラや船乗りたちの気分を良くさせた。
《この船は僕たちの故郷でガレオン船と呼ばれる船とよく似ていますね。船尾楼の造りも素晴らしい。砲列は二列ですか? 戦列艦並みに鉄板が装備されているようですが、速度より強度が求められるということは、この海域には何か未知の怪物でも生息しているんですか?》
そのまま喋られていてはきりがないと思ったか、朱音が、ちょこまかと船を見物して回っているレンを目で追いながら内線で言った。
『ちょっと。結局どうするのよ。水竜は深海の底にいるんでしょ? さすがに水中も平気でいられることまで知られるのはどうかと思うわ。これまではなんとなく魔法とか霊力とか、そんなもので片づけられたかもしれないけれど、水の中で平気でいられるってなったら、あたしたち、人間じゃなくなるわよ』
マストの上の見張り台に登っていた大牙が無責任さ丸出しで応えた。
『もう十分目立ってんじゃんか。今更どうってことねえんじゃね?』
『それよりも、わしはあの角を生やした連中の言ったことが気になってのう』
『どういうことよ』
船首付近で小気味よく水を割って進むスピードを感じながら佇んでいた玄人の言に、朱音が聞き返す。すると、ドナテラたちと会話を続けながら、内線の会話にも器用に参加してきた龍児が言った。
『彼らの習慣や思考は、ここの人々とは少し違っていたように感じたよ。それに、星のお告げってやつは、そのものずばりなんじゃないかな。つまり、僕たちがここへ落下したのを、彼らは北の地から目撃したんだよ。こちらの大陸の人たちは、怪しいものとして捉えたけれど、彼らは何かの兆しとして読み取ろうとした。そして幸運なことに、吉兆と捉えて、僕たちを探しにきたんだ。どうやってダイジンオーの落下から、僕たちの痕跡を追えたかまではわからないけれどね。そういう意味では、彼らとはもっと話したいな』
『また始まった、リュウのファンタジー病が』
と朱音が「あーあ」とため息をついた時だった。舵輪を握っていた船乗りが動揺した声を上げたのである。
《ドナテラさん、舵がきかねえですよ! 帆にも風は吹いてるのに、少しも前に進まなくなっちまったです!》
《どういうこと?!》
ドナテラが反射的に舷側から海面を覗き込もうとしたのを、乱暴にファリーダが引き止めた。
《やめといた方がいいね。なんだか嫌なにおいがするのさ。そ、私の馴染みの臭いにおいがぷんぷんとね》
ファリーダの行動は確かにドナテラを救った。間一髪、水面からにょろりと、それでいて素早い動きで触手のような物が伸び、彼女の鼻先を掠めたからである。
《な、なに?! まだそれほど沖合にも出ていないはずだよ?! そんなところにキングクラーケンがいるはずがない!》
《そんな生易しいもんじゃないよ、こいつらは》
ファリーダはいち早く魔力をためながら言った。
《帝国の忌まわしい実験から生まれた憐れな兵隊どもさ。これはきっと尖兵だよ。本体が必ず来る。たぶん、賢者だね》
ばしゃん、と水しぶきが船の周囲で上がり、奇妙な叫び声と共に、それらが船の上に姿を現わした。
《あっ、こいつら!》
大牙が本能的に警戒態勢になりながら言った。
《マーフォークの連中と戦った蛸足野郎に似てねえか?》
確かにそのとおりだった。身体のサイズこそ、通常の人間サイズだったが、頭から触手が髪の毛のように生えていて、皮膚も蛸のように不気味な斑色をしていた。
《やっぱり逃げ出してたんでがすか、例の魔法生物失踪事件》
わらわらと怪物たちに乗り込まれているにも関わらず、ウマルが合点がいったように言った。すかさず朱音が問いただす。
《どういうことよ?》
ウマルはにょろりと伸びてきた触手から飛びのきながら、応えた。その触手の主を朱音は蹴り飛ばして海中に落した。
《前に、魔法生物を造るセクションでちょっとした不手際があったんでさ。せっかく造った完成品が一体、消えちまったんでがすよ。俺らドワーフの間じゃ、ざまぁねぇぜと陰で笑ってたんでがすがね》
朱音はむっとしたように言った。
《笑うどころじゃなかったのよ。みんな、大迷惑だったんだから。やっぱり帝国って、いけ好かないわ》
またも一体、朱音の脚蹴りにあって海中にどぼん、と沈むのを目で追いながら、ウマルは厚みのある肩をすくめた。
《正直、俺もいけ好かないでがすね。ただ、食い扶持のためにあそこにいるってだけで》
《あら、あんた、魔道士ギルドにいるんじゃないの》
たいした造作もなく仲間たちが怪物を撃退し、レンのこともアルディドが守っていてくれているのを確認した朱音は、興味深げに髭のないドワーフを見下ろした。
ウマルは大牙がぶち切った触手がびたん、と飛んできたのを「ひゃっ」とばかりに避け、
《一応そういうことにはなってますがね、俺はドワーフ、魔力の魔の字もねえでがす。魔道士の連中にとって便利だから雇われてるに過ぎねえんですよ。もともとドワーフは一族の繋がりの強い種族でがす。だからギルド内でも部署を越えての情報網があるくらいで。正直、あんたらの出現で、何かが変わるんじゃねえかって思ってるんでがすよ。ギルドの在り方とか、んにゃ、国自体の在り方がね》
《さあどうかしらね。あたしはそういうことには興味ないの。ただ、目の前の敵を蹴っ飛ばすのが好きなだけ。こうやってね》
うらぁ~、と不気味な声を発して近寄ってきた蛸足頭の怪人を、見事な上段蹴りで跳ね上げた彼女は、落下してきたところを回り蹴りで船から放り出した。
《だったらどうして帝国なんかに居続けたのよ?》
ロープの山の陰からずんぐりむっくりの身体をちらっと伺い見せながら、ウマルは唇をひん曲げて応えた。
《商才のあるドワーフだったら良かったんでがすがね。残念ながら俺はラディウム鉱にしか鼻が利かねえんで。その腕を、んにゃ、鼻を一番高く買ってくれるのは帝国なんでがすよ》
朱音はきりなく海中から飛び出してくるうねうねとした頭をした怪物を次々と跳ね飛ばしながら、彼女も唇を曲げて言った。
《でも結局、あんたたちだったから、今、こうなってるのかもね。ああ、あの角頭のおじさんたちの口癖が移ったみたい》
ファリーダは別として、意外と彼女の部下たちは話せるのではないかと思った時、アルディドのはきはきとした声が敵味方入り乱れていた甲板に響き渡った。
《奴らが来るぞ! 空からだ!》
少し遅れて、龍児が片手間に怪人を海中に放り出しながら、エルフの忠告の裏付けるように、スキャナ片手に言った。
《1キロほど南西から近づいてくる判別不能の生物が二体ある。たぶん、マウントに乗っているんだろう。アルディドさん、その女の子が余計なことをしないように見張っていてください》
もちろんレンはこの彼の言葉に大反発した。
《なんだと、このひょろひょろ! お前こそ一人前に剣も使えないくせに!》
アルディドはじたばたとするレンを軽々と抱きかかえると、ドナテラに言った。
《この狭い船上です。船員の方々とあなたは階下の船室に避難している方がいいでしょう》
すると、ファリーダがすでに臨戦態勢になりながら言った。
《ウマル、ワリード、お前たちも下に行ってるんだね。ゴーレムがないんじゃ、お前たちは足手まといよ》
《へーい》
最後まで抵抗していたレンの喚き声が甲板の下に吸い込まれると、南西の方角に黒い影がふたつ、目視できるようになった。
《あれは第七賢者ギャリオン・マーズと第六賢者ミーガン・ウェヌスだね。ギャリオンは魔道士には珍しい格闘派で、自分を強化する魔法に長けている。見た目よりも数倍強いと考えていた方がいいね。ミーガンは妨害魔法と支援魔法に長けている。この二人がセットになると、無敵の殺人マシーンができあがるという寸法さ》
ファリーダが説明すると、大牙が指をぽきぽき鳴らしながら言った。
《いつだかちょっと顔出ししてきた奴らか。あのオッサンなら、もっかいちゃんと殴り合いてえと思ってたところなんだ》
ふっといつの間にか船上にのたくるようにいた怪人たちが消えていた。そのことに気付くと、頭上にむずむずとするような気配を感じ、彼らは一様にそちらを見上げた。
《あら、今日はおパンツ見えないのね、魔法少女ちゃん》
賢者のロングローブを着ているミーガンに、朱音が挑発もこめてからかった。
彼女は船の上に昏倒していたり、もぎ取られてうねうねと転がっている触手を見つけ、可愛らしい口を苦々しく歪めた。
《やっぱり汎用品じゃ、お前たちには通用しなかったってわけね。魔法生物の連中がケチるから私たちが余計な労力をかけることになるんだわ》
《完成品でもあたしたちの敵じゃなかったわよ。でも、あんなものがあちこちにばら撒かれたらたまんないから、あんたたちをここで降参させるしかないのよね》
《娘、先日の我らの戦い振りを見てそのような大言壮語をしているのなら、それは大きな誤りだと言うことを思い知らせてやるぞ》
ギャリオンが長々としたローブをぶわっと脱ぎ去った。その下からは彼が好むのであろう、道着のような上着と、幅の広い袴のようなズボン姿があらわれた。これを見て、大牙が現実感なく歓声を上げた。
《これこれこれ! この感覚! オッサン、かかって来いよ、全力でな!》
《言われるまでもなく、闘いとは常に命がけの熱い血のたぎりのままに力をぶつけ合うことだ!》
ギャリオンは両拳をかためると、体側に肘を引いて気合をためつつ、何語とか文言を唱えた。
《…我が身体を織りなす命の糸よ、その結合を強めよ、硬く、強く、ゆるぎなく! 剛! 闘! 鋼! 翔! 凓! 覇! 烈! 戮! 殺!!》
陽炎がギャリオンを包み、内側から膨れ上がる覇気のままに、彼は上着から両腕を抜いた。完璧な筋肉をまとった上半身がさらされる。それが魔力と本人の殺気のせいでてらてらと輝いて見えた。
《この前みたいな中途半端なことはしないわよ》
ミーガンが冷淡に言い、彼女も両手を組み合わせ、傍目には可愛らしく祈っているような姿で魔力を発揮した。
《…その肉体に鋼鉄の硬さをもたらせ、防御障壁!》
熱気をまとったギャリオンの周囲に波形の違う揺らめきが加わる。
ミーガンはそれだけではとどまらず、目を細めて船上の者たちを見下ろし、魔法を続けた。
《船の上と言う限られた足場しかないところだったのが運の尽きね。さあ、私の呪縛から逃げられるかしら? 拘束魔罠!》
蒼白い魔法陣がぱぁっと甲板の上にいくつも広がる。レイジュウジャーたちは咄嗟に近場のマストに飛び移り、その魔法陣から逃れた。しかし、玄人はファリーダの姿が見えないことに気付き、あとで仲間たちに何か言われることもいとわず、大声で名前を呼んでいた。
《ファリーダはん! どこにおるんじゃ!》
返ってきたのは、はなはだ傲岸な応えだった。
《なにおたおたしてるのさ。このくらいの妨害でこの私が怯むとでも思ってるの? 馬鹿にするでないよ》
四人は声のした方を見下ろした。
ファリーダはその肉感的な身体を岩でできた鎧で包み、全く不格好な外見に変化させて、蒼白い拘束罠の真っただ中で平然としていた。
ミーガンがその純な外見に似合わない舌打ちをすると、
《岩鎧召喚か! ちっ、しゃらくさい!》
ミーガンは見切りよく魔法陣を解いた。少女の外見はしていても、その決断力や判断力は大人の賢者に劣らない、いや、むしろ勝っているのかもしれなかった。
彼女は船上の少年とにらみ合いをしているギャリオンに向かってきびきびと命令口調で言った。
《戦闘円陣を開くわよ! そこで存分に戦ってくるのね!》
と言うや否や、ミーガンは腰のベルトから小さな短剣を引き抜き、スパッと自らの手首を切り裂いた。
一同が「あっ」と次の行動に出る間もなく、ミーガンの手首から噴き出した血は空中に炎のような円を描いた。
《そこなら誰にも邪魔をされずに存分に戦える、小僧!》
ギャリオンは心底楽し気に言うと、ひゅうっと急降下して大牙の小柄な身体をすくい上げた。そしてそのままその炎のくぐり輪のような中に飛び込んでしまったのである。二人を飲み込むと、その円陣はすうっと閉じた。
《しまった!》
ファリーダが自らを守る魔法を解き、空中でしんねり強い物腰で念じるミーガンを見上げて悔しげに呻いた。
《あれは一体なんです? タイガはどうなるんです?》
龍児がやや感情をこめて問い詰めた。ファリーダは忌々しげに少女を見上げながら、応えた。
《これは私の不明のせいかもしれないね。あのガキは『夢旅人』でもあるんだよ。今やったのは、夢幻世界に特別の空間を作ったのさ。そんなことができるのは、夢の中で自由無事に歩ける『夢旅人』だけよ》
《つまり、タイガはあの男賢者と一緒に別空間に飛ばされたということなんじゃな?》
玄人が円陣が消えた虚空を見つめながら言った。ファリーダは感心したような眼差しをちらりと向けてから、
《魔力もないくせに意外と物分かりがいいじゃないか。そうさ、二人は今、誰の手も届かない場所で戦おうとしているのさ。それも、マーズに有利な条件の下でね》
《あら、それどういうことよ?》
朱音が瞬間湯沸かし器のように発奮して聞き返した。ファリーダは細い顎でミーガンを指し、
《あの娘がおぜん立てしたヴェイドだよ。自分の魔法の効果が最大限発揮できるようにしているに決まってるさね。さて、お前たちのちびっこ坊やは最大強化されたマーズに勝てるのかねえ?》
《あの娘を昏倒させれば力場は消えるのでは?》
と龍児が問いかけると、ファリーダはやれやれとばかりに首を振り、
《そんなことをすれば、ヴェイドは閉じて、坊やは永久に戻らなくなるよ。もちろん、マーズもだけれど。ミーガンはマーズのことなど最終的にどうでもいいのさ。お前の仲間を虜にすることによって、自分の身を守り、かつ、お前たちの攻撃の手を封じると言うことができるのだから》
《じゃ、勝負がつくまであたしたちは何もできないってわけ?! 冗談じゃないわ!》
朱音が今にも空中に浮遊しているミーガンに向かって飛んでいきそうになるのを、龍児が押しとどめる。
《アカネ、やめておけ。この異次元の力場は僕たちが経験している異次元転送とは仕組みが違うようだ。タイガを危険な目に遭わせたいのか》
《だって!》
全身で悔しがっているような眼差しが龍児を見る。そこにはいつでも無表情の彼がいた。
朱音は納得できないまま、脱力したように息をついた。
《…タイガ…絶対戻ってきて…!》
しかし、彼女の切実な呟きは虚しく辺りに散っていった。
*****
この空気の重さは、まるでメガロポリス・トーキョーの真夏の蒸し暑さより酷いと、大牙は思った。
腕を掴まれ、瞬間的なジェットコースターに乗せられたような感覚のあと、彼は闇色の空間に放り出されていた。
放り出されたと言っても、地面と言うような固いものはない。かといって浮遊感があるかと言えば、そうでもない。しかし、上下左右は判別できず、闇色は単色ではなくて、吐き気を催すようにうねりを繰り返した。
と、その重々しい空間よりもさらに重い何かが眼前に迫ってきた。
大牙はいつものように身体をひねって転身しようとしたが、足場がしっかりしていないので、ギャリオンの拳が右頬を掠めた。
《小僧! 動きが鈍いぞ、どうした、さっきまでの威勢の良さは!》
これまでのミッションで、似たような亜空間に閉じ込められて戦ったことはあったので、大牙はたいして動揺はしていなかったが、他の三人のことが気がかりだった。
そんな心情を読み取ったのか、賢者にしては人間らしい気遣いをギャリオンは見せた。
《お前の仲間は、お前の戦い方次第で明暗が分かれる。いいか、これは男同士の戦いだ。どうだ、これなら満足だろう?》
大牙は、身体にねっとりとまといつくような空気に対して舌打ちをしながら、ベルトからカードを引き抜いた。
《へっ、俺が思うに、あのちびっこ娘がなんかズルをしてる気がしてなんねえけど、まあいいや。どっちが上か、思い知らせてやるぜ》
白いオーラが瞬時に吸い込まれて冷え冷えとした闇に変わるのを、ギャリオンは身構えながら言った。
《お前こそその装束、賢者の私にも判別がつかないなにかを秘めている。あいこじゃないかね?》
ひゅん、と虎王撃が白虎の両拳に転送された時、突然にキリルからの通信が頭の中に響いた。
『気を付けるんだ、タイガ。その亜空間フィールドにはいたるところに反物質の罠が仕掛けられている。君が何か仕掛ければ、それに反応して衝撃波が発生するようになっている』
『はあ? こんな魔法のバトルフィールドで、反物質かよ?』
『私にもどんな仕組みなのかはわからん。だが、君の身体反応を正物質とし、そのエネルギーが増幅した際に反物質が生成され、その二つが衝突すれば、君は反物質エネルギーの衝撃でかなりのダメージを受けるはずだ』
白虎はマスクの中でギャリオンをぎろりと睨みつけると、ふんぞり返るように腕を組んで言った。
《おいおいおい、これが正々堂々戦う場だっていうのかよ? お前、あのちびっこに助けられながら俺に勝って嬉しいのかよ? こんなの、漢同士の戦いじゃねえな! こういうのを何て言うのか知ってるか? チ・キ・ンって言うんだよ! この、臆病者!》
ギャリオンはむっつりと唇を曲げ、わずかの間だんまりとしていたが、心を決めたように暗い虚空に向かって叫んだ。
《ミーガン! 私に対する支援魔法とこの場に仕掛けられているトラップを解除しろ!》
少しの間があき、可愛げのない少女の声だけがその場に返ってきた。
《あんた、頭イカれてるんじゃないの? せっかく私がヴェイドホールを開いたっていうのに、その恩恵を受けないなんて!》
《お前にはわからんのだ。漢同士の戦いに余計な小細工はいらん。むしろ、私はいかさまをして勝利するくらいなら、潔く敗者として散る方を選ぶ》
《ばっかじゃないの?! これは国の威信をかけての戦いなのよ?! あんたの言ってることは、ただの喧嘩好きの愚か者のたわごとだわ!》
《なんとでも言うがいい。私はこの者と正々堂々戦いたいし、戦うべきなのだ》
《はっ、もうあんたなんか知らないわ。ヴェイドの屑にでもなんでもなってしまえばいい!》
とミーガンが感情的に言い終わったのと同時に、白虎を取り巻いていた奇妙な重力のようなものが流れ落ちるように消えた。
『反物質トラップは消えたようだ。しかし、その者は何かドーピングでもしているかのようなヴァイタル値を示している。もちろん、君が敗れるようなことはないと思うが』
キリルの言葉に、白虎は拳を構えながら陽気に、そして闘志を燃え上がらせて応えた。
『勝つのは俺。あんなん、俺の敵じゃねえよ。ただの筋肉だるまさ。仲間たちにも安心してていいからって言っといてくんねえ?』
そして今度は白虎がギャリオンに向かって「来い」の仕草をしてみせた。
《よう、オッサン。あんたの筋肉がどこまで本物か、試してやるぜ。かかってきな》
《大口をたたいたことを後悔させてやるぞ》
筋肉で盛り上がった二の腕に太く血管を浮き上がらせながら、ギャリオンは蒼白い覇気を伴って白虎に向かって踏み込んだ。白虎も頭から突撃するように駆け出していた。
《とりゃああぁぁぁぁぁ!》
《うおおぉぉぉぉぉぉ!》
白熱した両者が激突し、スパークが飛んだ。まさに今、夢幻世界に作られた非現実的な空間の中で、拳と拳、身体と身体がぶつかる原始的な戦いが始まったのだった。
*****
すうっと唐突に船上に降りてきたミーガンに、警戒の態勢をとった大牙を除く三人とファリーダは、その少女の態度に変化が生じているのを不思議に思った。
ミーガンは少しだけ曲がってしまっていたベレー帽の位置を直すと、近間にあったロープの山に腰を下ろし、賢者らしくないため息をついた。
《何が起きたんだい》
同じ魔道士のよしみか、ファリーダが尋ねた。
ミーガンは片肘をついて桃色の頬をした顔を乗せると、ぷうっとした表情になって応えた。
《あの筋肉だるまがまた暴走したのよ。だから脳筋野郎は嫌い。せっかく私が色々と手助けしてやったのに、ぜーんぶいらないとか言ってきて。ほんと、大馬鹿者だわ。楽に勝てるところを、わざわざ遠回りするようなことをして。ヴェイドにパーソナルフィールドを作るのがどれだけの難行かわかってないんだわ。ま、わかりっこないんだけど。あんな筋肉馬鹿》
《じゃ、まともに戦ってるってわけ? そんなことすれば、勝つのはタイガよ。残念だったわね》
朱音が嬉しいような、呆れたような口調で言うと、ミーガンは「ふん」と高慢に目を細め、
《あんたもわかってないわねえ。私がヴェイドを閉じれば、あんたの仲間は永遠に閉じ込められるのよ。ま、ギャリオンっていう道連れはいるから、少しの間は退屈しないかもね》
《仲間を見殺しにするんか》
玄人が批判的に言うと、ミーガンはせせら笑い、
《あんな男、どうでもいいのよ。もちろん、身体強化魔法にはたけているし、魔道士のくせに体術は一流よ。でも、賢者としての根本的な信条に欠けてるわ。あの男は、自分の力を戦うことで再認識することが何よりも好きなの。賢者に正々堂々なんて単語は無用の長物》
《でも、お前はあの賢者と組んでいるじゃないか》
龍児が指摘すると、ミーガンは「あーあ」とうんざりした様子になり、
《そこがねえ…私もよくわからないのよね。他の賢者たちよりましだからかしら? もう何人かには会ったでしょ? ローランドにしろ、エイリノスにしろ、虫唾が走るところがあるっていうか…消去法でこうなったっていうのが正しいのかしらね》
ここで、ファリーダが話題を変えた。
《お前、『夢旅人』なんだろう? ウラヌスに『光の都市』のことを植え付けたのは、お前かい?》
ミーガンは、異界で戦っている者たちがいることなどすっかり忘れてしまったかのように、小ばかにした物腰で応えた。
《まさか。私は夜ごとヴェイドの中を彷徨い、面白くも卑しい精霊たちを眺めているだけよ。ウラヌス様も歩いていらっしゃるんだろうけれど、私の考えは別》
彼女は自分が賢者であることも忘れたかのように続けた。
《ウラヌス様は『光の都市』はヴェイドの深層に、まるで宮殿のようにあると信じて疑わないわ。でもね、私はそうは思わない。ヴェイドに最深部なんてものはないのよ。その逆ね。ヴェイドがなぜ存在しているか、わかる? そこの眼鏡の男》
龍児も、今まさに肉体をぶつけ合って戦っている仲間がいることすら棚上げしてしまうほどの幻想的な話題に引き込まれていた。彼は眼鏡の位置を直しながら、応えた。
《ヴェイドという空間は、人々の夢が集約された場所なのでしょう? とすると、どちらかと言うと、深淵というよりも、内から外へ広がっていく印象を受けますね》
ミーガンはぱっちりと瞳を開いて龍児を見直した。
《あらまあ。魔道士でもないのに、わかったような口をきくじゃないの。そうなの。ヴェイドは人々の夢がつながり、まじりあっている場所。そして私たち魔道士が魔力を引き出す大きな泉のような場所。魔力が湧き出す場所だとすれば、それの核心は中心になければならない。でも、私はそこに行きついたことはないの。つまり、ヴェイドの中心は常に外へと拡大するヴェイドに阻まれて、普通の者には決してたどり着けない場所だと言うことよ。もちろん、そこに何があるかは知らないから、ひょっとすると本当に『光の都市』があるかもしれない。でも、あれは1000年前の戦いより以前の、現在の人間たちが存在していたかもわからない時代の話だわ。ナンセンスもいいところよ》
《筆頭魔道士に対する叛逆ともとれる発言だけどねえ》
ファリーダが呆れたように意見を挟むと、ミーガンはますます普通の女の子のような態度で両手で顔を包み、愚痴るように言った。
《私が『光の都市』に対して疑念を持っているのは百も承知よ。でも、私を賢者の座から外せないのは、ご自分がヴェイドに入られた時、戻るための道標を私がつけてあげているからよ。筆頭魔道士様の魔力は絶大だけれど、ヴェイドの中は精霊の力のが勝る場所なの。自分の身を守ることに集中しないと、いくら筆頭魔道士様でもどんな目に遭うかわからないわ。だから、私が呼ばれるわけ》
《そこまで深入りしているのならば、ウラヌスが危険思想を持っていることはわかっているだろう? どうして止めないんだ? 『光の都市』とは、おそらく魑魅魍魎の巣窟だろう?》
龍児が自分の想像を混ぜて言うと、ミーガンはあっさりと認め、
《確かにそうね。かつての『光の都市』は、本当に光り輝いていたかもしれない。でもそれは精霊界の勢力が強く、そしてまたそれを操れる者たちがいたからこそ、輝いていたんだと思うわ。でも今は違う。うんざりするほどの時が流れて、『光の都市』に棲む何者かも忘れ去られて、ヴェイドと通じることのできる人間も少なくなった。手入れをしない庭園か、人が住まなくなった邸宅みたいなものね。生きた何かがないと、そこは荒廃し、朽ちて行くものよ。だから思うの。たとえ『光の都市』を見つけられたとしても、そこは塵芥と亡者どものうろつく、理想郷とは程遠いところなんじゃないかってね。そうね、そんな者たちが呼び出されたら厄介なことは間違いないわ。でも、筆頭魔道士様ならそんな連中も従えることができるのかもしれない。いいえ、その自信があるから、探し求めているのかもしれないわね》
《死者の国の王にでもなりたいのかのう? 虚しいだけだと思うがの》
玄人が嘆息と共に言った。ミーガンはふんわりとした髪を揺するように首を振り、
《魔道士になった時点で全てが虚しいものよ。なんだかお前たちといたら、ばかばかしくなってきたわ。死人の国なんてまっぴらだわ。そんな国で喜ぶのはイェルガーくらいね。エイリノスが逃げたのは、帝国のぐらつきに嫌気がさしたのかしら。ま、いいわ。おしゃべりにも飽きたし、あちら側ではばっかばかしい殴り合いをしてるみたいだから、このくらいで決着をつけさせてあげようじゃないの。お前たちも見たいでしょ、どっちが勝つか》
ぱちん、とミーガンが指を鳴らすと、青々とした虚空にぽっかりと大理石の模様のようにうねる闇色の穴が開いた。
と、そこから吐き出されるように二人の人影が落ちてきた。
《タイガ!!》
しかし、彼らの懸念もよそに、白虎はくるっと身体を回転させてしなやかに甲板に着地した。続いて、ギャリオンがどすん、と重い音をたてて降り立った。
が、レイジュウジャーたちの懸念は、両者の様子を見て完全に払しょくされた。
と言うのも、白虎は動き足りないかのように軽いステップを踏んで相手方の出方を待っていたが、賢者の方は、敵方とは言え、同情したくなるような御面相になってしまっていたからだ。相当殴り合い、身体をぶつけ合ってきたに違いない。
そのことにミーガンも気づき、キッと白虎を見据え、それからよろよろとした足腰で何とか戦闘態勢をとろうとしているギャリオンに厳しい眼差しを投げた。
《ギャリオン! 私のおぜん立てしたフィールドでその体たらくはなに?! あなたのその筋肉は真っ赤な偽物だったわけ?!》
ひょっとすると、想像力の豊かな龍児がヴェイドホールに引き込まれていたら、闇雲の中に蠢く心をひ弱せる何かを感じたかもしれないが、あいにく、そういった感受性の欠片もない白虎だった。
確かに、地に足をつけての戦いではなかったが、何度も外宇宙の怪人たちとやり合ってきた彼らである。無重力は彼らの敵ではなかった。何か、魔法のようなもので手足の自由がいつもよりきかない感じもしたが、「そんなもんは気のせい気のせい」と、むしろ全力を出して立ち向かえることに、白虎はうきうきとなったものだ。
その結果が、ギャリオンの身体に現れている。
片目は腫れて潰れ、鼻筋はひん曲がっていた。唇はアンバランスに膨れ上がり、血でまみれている。見事な胸筋にも白虎が撃ち込んだ拳のあとがくっきりとつき、すでに赤黒く変色し始めていた。
それでも気魄だけは減退していないらしく、ギャリオンは腫れた口を動かして言った。
《これは男同士の戦いだ。余計な邪魔はしないでほしい》
もちろんミーガンは反論した。
《殴られて頭までバターみたいになっちゃったのかしら? できる戦士は引き際をわきまえているものよ》
《引くだと? まだ決着は…》
《まだ懲りねえのかよ、オッサン。その女の子は帰りたがってるみたいだから、始末つけてやんよ》
白虎が甲板がたわむほどの勢いをつけてギャリオンに迫り、みぞおちに一発、浮き上がった身体の高さに合わせて飛び上がって腹と言わず、顔と言わず、腕が何本もあるように見えるほどのスピードで殴りつけた。
《ごふぅぅぅっ》
ギャリオンの身体から力が抜け、どっと甲板に倒れ込むのを、白虎はいい気になった物腰で見下ろし、ミーガンに言った。
《ほら、さっさと連れて帰りな。それで、ついでにお前たちの仲間に言っとくんだな。俺たちはお前たちなんかの敵じゃねえってよ。もちろん、俺にボコられたいんなら別だけどな》
意識こそ失っていなかったものの、身動きのできなくなったギャリオンの傍に寄りながら、ミーガンはうんざりと言った。
《本気でそう思いたくなったわ。ローランドもエイリノスも太刀打ちできなかった…ギャリオンの体術は魔法で強化されているのよ。それをそんな薄衣の装束で防げるものじゃないわ。あなたたち、ほんとに何者なの?》
白虎は肩をすくめ、
《さあね。俺たちはただ故郷に帰りたいだけさ。それを、お前たちが邪魔しにきたんじゃねえか。だから戦ってるだけさ。俺たちは別にお前たちが何者だろうと知ったこっちゃねえ。ほっといてくれりゃこんなことにはならなかったのによ》
《あら、カーマインでのことは忘れたの? お前たちは私たちの作戦を潰したのよ。そんな連中を野放しにしておくと思う?》
白虎はミーガンを軽蔑するように頭を傾げた。
《へえっ? 勝手に人の命を弄ぶのが正当化される国なんて、ぶっ潰れて当然だと思うけどな。じゃ、やっぱり俺たちはお前たちをぶっ潰さねえとなんねえことになる。なんたって、俺たちは正義の味方、平和の使者だからな》
ミーガンは白虎の言葉を真に捉えず、呆れた嘆息をつき、ギャリオンをその細い腕で支え起こしながら言った。
《正義? 平和? そんなもの、人間と言うものがある限り、絶対に存続しないものよ。なぜだかわかる? 人間から闘争心を失くすことは不可能だからよ》
この言葉は、レイジュウジャーたちの耳にタコができるほど聞いてきたものだった。いや、人間という範疇を超え、命在る者がある限り、闘争心、支配欲は消えてなくならないことを、数々の怪人組織との戦いを経て、学んできたからだ。
龍児が静かに言った。
《だがお前は引こうとしている。お前なら何かしらの攻撃をしかけることができるはずだが、お前の心には相棒の身体を気遣う優しさが残っている。賢者らしくないな、お前たちは》
ミーガンは「ふん」と顔を背け、
《命を投げ出したり、スタコラと逃げたりしないだけ利口だと言ってほしいわね。でもなんか予感がするわ…あなたたちとはこれっきりじゃないってね》
ピィッと口笛を吹いたミーガンは、意外と素直な表情で彼らを見、続けた。
《故郷に帰るって言ったわね。この船で東に行くつもり?》
《まさか。これはちょっとした下見さ》
白虎が応えると、ミーガンは空を仰いで黒々とした何かが羽ばたいてくるのを見つめながら、
《私も自分が魔道士とわかってからずっと故郷に戻ってないわ……》
どこか感傷的なニュアンスを漂わせたが、すぐに小生意気な賢者の顔に戻り、
《ま、正義だの平和だのとちゃんちゃらおかしいことを平然と言ってのけられる脳天気さに免じて、このくらいにしてあげるわ》
頭上にばさっと黒い影が落ち、見上げると、黒いグリフィンが二羽、そこにいた。
《あっ、ちょっと待ってくれ、お前が開くヴェイドホールと言うのは、空間と空間を繋ぐことはできるのか?》
龍児の問いかけは、マウントに乗り込んだミーガンの短い脚にぶつかって消えた。
船が大きく揺れるほどの風圧を生じさせて二羽のグリフィンが飛び去ると、変身を解いた白虎にファリーダが気の抜けた口調で言った。
《一体何が向こう側で起きたんだい》
大牙は「ケッ」と不遜に応えた。
《奴ら、俺をなめすぎだっつうの。へんてこな場所に連れ込んだからってなんだってぇの。別にあんなの、珍しくもねえし。この俺様と一対一でやり合おうってのが間違いだってのよ。そりゃ、それなりに良い動きはしてたけどよ、俺から見たら全然だし。もうちょっと楽しませてくれると思ったんだがなあ。やっぱ、俺様って最強かもな》
朱音が何か小言めいたことを言おうとした時だった。一羽の海鳶が甲高い鳴き声を上げて上空を旋回したのである。
と、船室からドナテラが出てき、独特な音色の指笛を鳴らした。
白と茶色のまだら模様をした海鳶は、まるで飼い鳥のようにすうっと下降し、ドナテラの差し出していた腕に止まった。
《海鳶を飛ばすなんて何が街に起きたんだ?》
ドナテラは素早く鳥の脚に取り付けられている伝書管を外すと、この世界では貴重であろう薄紙の文書をさっと読んだ。顔色が曇る。
《どうしたんです?》
龍児が怪訝に尋ねると、ドナテラはくしゃっと文書を握り、レイジュウジャーたちに困った顔を投げた。
《敵を撃退したのに、私は街に戻らなければならなくなったよ。街が揺れている、というんだ。地面が揺れるなんて、信じられるかい? 海の上ならわかる。だが地面は固く、ゆるぎないものだよ。これは一大事だ。船乗りは残していく。悪いが私はボートで…》
《ちょっと待ってください。それは「地震」というものです。大地の奥底は熱く燃え、大地は僅かずつ動いているものなのです。それほど大きな揺れが起きたと言うなら、僕たちも戻ります。何かお手伝いができるかもしれない。それに、ボートでは戻るのに時間がかかりすぎてしまうでしょう》
と龍児が提案をすると、ドナテラはやや恐縮したような顔つきになったが、この異常事態に、彼らの圧倒的な能力に頼りたいところだった。それに、この四人の若者以外の者たち、帝国の魔道士やエルフの力も動員したいところだった。
申し出を断る控えめなところはないドナテラは、一つ頷いて言った。
《そう言ってもらえて助かる。街が壊れてしまっては、水竜探しも終わりだ。ぜひお前たちの力を借りたい》
ファリーダは無関心な態度をとったが、玄人に何か耳打ちされて口元をにんまりとさせ、船首を返して街に進路をとった船上で、紫色の髪をなびかせて呟いた。
《大地が動いているだって? はん、そんなこと、私ができるさね。魔力を使えない連中はこれだから嫌になる》
龍児が玄人を感心もし、呆れもしたような顔で見やったので、玄人は曖昧な微笑みを投げ返し、言った。
《なんとなくこの異変は、わしらにいいように働く気がしてならんのう》
そしてこの玄人の言葉はそのまま実現するのである。




