『港湾都市シークレスト』②
朱音たち三人は、自分たちには場違いな高級レストランで朝食をとっているような気分で、三度目の朝を迎えていた。
三人と言ったのは、玄人だけは別席でファリーダとテーブルを囲み、なんと、談笑していたからだ。
そんな光景もだいぶ慣れたのか、朱音は柔らかい白パンをちぎりながらため息をついた。
《もしかして、クロト、本気なのかな》
《んなわけねえだろ。あんなばばあ》
と大牙が塩味のきいた生ハムを何枚もまとめて口に押し込みながら言うと、朱音の隣に陣取って大牙並みに猛烈に食べていたレンが、小さくちぎったパンの欠片を彼に投げつけた。
《ばばあ言うな、このチビスケ》
《ケッ、お前のことじゃねえよ、このちちっち!》
《ちちっち?》
レンと朱音が何となく顔を見合わせた。そして何かに共鳴したかのように眉をしかめると、大牙に喚き返した。
《胸の大小で判断するのって、最低の判断基準だと思うわ!》
《んじゃお前はでかいとでも言うんスか?! あそこの…むぎゅむごむぐ》
きわどい発言を仕掛けたレンの可愛い口を、アルディドが脇から抱きかかえるようにしてとどめた。そしてにこやかに言った。
《まあまあまあ、クロト君のことが気掛かりなのはわかるけれど、それこそ男女のことは本人にもコントロールできないことだからねえ。でも、君たちの仲間なんだから、信頼して見てあげるんだね》
朱音は、以前に似たようなことを玄人から言われ、苛々とした覚えがあった。感情に素直な彼女は、むっつりと龍児を見やり、嫌味たらしく目を細めて言った。
《信頼していても、本人が鈍感じゃ、お話にならないのよね。そうでしょ、リュウ?》
《なんの話だ》
《あっは、ドラゴンに言いよられたんだっけな、お前》
大牙がここぞとばかりに突っ込みを入れたが、朱音の機嫌はますます悪くなった。
《そういうあんただって、二股も三股もかけてるじゃない。男って、やっぱり根本的にいやらしいんだわ》
《おい、三股ってなんだよ、俺は別に…》
ソーセージを突き刺したフォークで朱音を指差し、大牙が反論しようとすると、それをアルディドがティースプーンでカップを鳴らして制した。
《お待ちかねの人物がやってきたようだよ。足音が全く違う。これは、軍人の歩き方だ》
《ボクにも聞こえるっス。なんか堅物っぽそうっスねえ》
《軍人とはそういうものだよ、レン》
とアルディドは席を立ち、すがすがしい朝日を白いカーテン越しに受けてその顔も姿も一際美しく見せているファリーダに言った。
《ご歓談中申し訳ないが、間もなくあなたが呼び寄せた人物がやってきます。食事は切り上げて、いよいよ本題に入るとしましょう》
ファリーダの、帝国人としての顔が少しだけ戻る。その眼差しに硬質な輝きをきらめかせ、口元を拭いながら言った。
《そうね、そう言うことなら、私の部屋で会談をすることにしようじゃないか》
と言って彼女が立ち上がった時、龍児の緊迫した声が、彼らが決してただの観光客ではないことを思い出させた。
《その人は尾行されているようです。すでに見当がつけられていたか、僕たちの後を追っていて見つけたかはわかりませんが。おそらく、前に襲撃してきた暗殺者集団でしょう》
と、彼はスキャナを手早くバックパックにしまいながら、ぐるりと周囲を見回した。幸運なことに、朝食の席についていたのは彼らだけだった。
《なるほど、そう言われれば姑息に気配を消している足音も混じっているな。本人も気づいていればいいのだが》
アルディドが察しよく給仕の少年を追い立てるようにしながら言うと、いよいよ眼光鋭くなったファリーダが高慢に言った。
《魔力は少なくても海軍司令官にまでなった男だよ。わかっていてここに引き込もうとしてるさ》
《俺らはどうしたらいいんで?》
ワリードが少々及び腰になって尋ねた。これも仕方がない。彼らは所詮ゴーレムを造る専門であり、戦闘職ではなかった。
ファリーダは年がら年中寝ぐせがついているようなワリードの頭を押し込むようにしながら、応えた。
《お前たちはテーブルの下で黙ってみてりゃいいんだよ!》
《へーい》
部下たちはなんのプライドの欠片もなく、ひょこひょことテーブルの下に隠れた。
《来るっスよ》
レンが両手に小振りの短剣を構え、言った。朱音は彼女にも隠れていてほしかったが、それを言う暇はなかった。
扉が開き、軍服ではないにしろ、ぴしりとしたコートジャケットとぴったりとしたブリーチを履き、膝まである黒いブーツの照りも良く、大股に入ってきた人物の背後から、身体を屈めるようにして突進してきた者がいた。
敏捷な感じには見えなかったので、ファリーダ以外は思わず「あ」と息を飲み、ほんの一手自分の行動が遅れたことを悔やんだほどだ。
しかし、そのがっしりとした肩幅をした顎髭の人物は、襲撃者に怯むことなく、腰に下げていたわずかに湾曲した剣を抜き、その峰を相手の脇腹に水平に叩きこんでいた。
《小父様! 容赦はしないで! でないと床が血糊以上に汚れるから!》
凛々しく太い黒い眉をわずかに上げ、アッラード・ミュラーは言う通りにした。床に転げている暗殺者をブーツの先で仰向けにすると、腰の後ろにさしていた短剣を抜き、何の躊躇いもなく敵の心臓を一突きした。もちろん血が吹き出すので短剣はそのままにした。
《これはこれはずいぶんな歓迎のされ方だ。追手がかかっているとは思っていたが、これは『紅髑髏団』ではないか。すっかり帝国を敵に回したというわけか》
《オッサン、まだ来るっスよ! 頭さげて!》
レンが叫ぶのと同時に、何か細かい針のようなものが飛んできた。それからパリン、と陶器が割れる音とともに、催涙ガスのようなものが立ち込める。
《目が利かなくても、ボクにはこの耳があるっスからね!》
《あっ、レン、危ないからやめなさいってば!》
朱音が引き留めようとしたが、その手をするりとすり抜けたレンは、吹き矢を放った襲撃者に目を瞑ったまま短剣を放り投げていた。
《ひぐぅっ》
肉に刃が刺さる生々しい音とともに、相手が致命傷を負ったらしい呻きが聞こえる。
《これでこの目を焼く煙は相殺されると思うんだ》
アルディドの声が頼もしく聞こえ、パリンとまた陶器が割れる音がした。しゅうしゅうと無色の何かが吹き出し、つん、と臭っていた周囲の空気が清浄化されていく。
これで優位に立ったかと思えたが、敵はまだいた。派手な破壊音とガラスの破片を飛び散らせて、4、5人の覆面をした者たちが次々と窓から食堂内に乱入し、間断なく攻撃を仕掛けてきたのである。
その一人がバージルに迫ったので、玄人が肩で相手を突き飛ばそうとしたのだが、なんと、ルルーシュ家の執事は体術も心得ているらしく、敵が突き出した右手をむんずと掴んで身体のバランスを崩させると、自分の脇で相手の腕を挟んで拘束し、空いている方の手でテーブルにあるナイフをぐさりと目に突き立てたのである。敵ながら痛々しい悲鳴が上がるが、バージルは顔色一つ変えていない。
《えーい、有象無象が邪魔するんじゃないよ! ひとまとめに返り討ちにしてやるよ!》
ファリーダの魔力がざわ、と湧き立ち、周囲にあったフォークやナイフなどが宙に浮いた。
これを見た玄人が言った。
《どうせわしらは追われとるんじゃ、無下に命をとらんでも…》
《馬鹿お言いでないよ! こんな連中に温情をかける必要なんかこれっぽっちもないんだからね!》
しかし、玄人の言葉は痛いほどにわかっているファリーダだった。命のやり取りは、彼女の魔力の琴線を激しく揺らすものだった。だからなおのこと、玄人の心遣いに反発するように、魔力を強めた。食堂内にあったすべての銀のフォークやナイフが、魔法の波動を伴い、襲撃者に向かって飛んでいったのである。
それは上品な朝食の道具ではなく、凶悪な凶器に変わっていた。
《レン、頭ひっこめて!》
玄人でも止められないのだからと諦めた朱音が、レンのくしゃくしゃの灰色の頭を押し下げる。仲間たちも咄嗟に身体を屈めていた。
ヒュン、とナイフの切っ先が大牙のツンツン頭の上を飛びぬけ、ぐさっと襲撃者の身体に突き刺さると、留まるところを知らぬ勢いで次々と銀色の凶器が飛んでいった。
《『紅髑髏団』が聞いて呆れるねえ! 私を殺りたいんなら、もっと腕のいいのを送り込むんだね! でもやっぱり勝つのは私だよ! そら! お前らにお似合いの死に様をさせてやるよ!》
紫色の髪がざわざわと生き物のように波打ち、今度はテーブルの上の皿が浮き上がった。別のテーブルからはテーブルクロスが器用に抜き取られる。
《お行き! そして息の根を止めておしまい!》
皿が、まるでチャクラムのように回転しながらフォークとナイフに貫かれて悶えている敵に向かって飛来する。そしてその高速回転しているエネルギーとファリーダの魔力の相乗効果で、まさに皿の縁は刃と化していた。
《うへぁっ!》
レンが変な悲鳴を上げ、朱音にしがみいた。その足元にごろん、と襲撃者の覆面の頭だけが転がってきたからである。
《連中が『自爆』するのと大差ない汚れ方じゃねえですか。宿に相当絞られるでござんすよ?》
ワリードがテーブルの下から覗き見ながら呟く。ファリーダはそんな彼を尖ったつま先で思い切り蹴飛ばすと、今度はテーブルクロスを操り、敵の全身を巻き締めるように包み込んでしまった。そしてそれが傍目からもはっきりとわかるほどにぎゅうぎゅうと締め上げていく。みるみる白いクロスに赤い染みが滲み出、めりっと音をたてて、どこかの折れた骨が飛び出してきた。
テーブルクロスで圧死した襲撃者が床に倒れるのを見、ファリーダはさらなる残酷な私刑を考え付いた。こういうところはやはり帝国人なのかもしれないと、玄人はあとで思ったものだ。
生者を操るのは難しいが、死者はただの血肉の塊である。ゆえにファリーダの傀儡魔法は容易に作用した。
彼女は首なし死体と布でぐるぐる巻きになっているものに魔力をこめると、虫の息でのたうっている残りの襲撃者に向かわせた。そして首なし死体が手に握ったままの短剣でめった刺しにし、ぐるぐる巻きの方はのしかかるようにして抱きすくめると、布ががばっと広がって二人目の「獲物」を飲み込んだ。
しかしながら、さらに彼女が何かしようとした時、バタン、と宿の入り口の扉が開き、軽装ながらしっかりとした革の鎧を着こんだ人物を先頭に、数名の自警団らしい者たちが入り込んできた。
《暴虐行為はそこまでだ、旅の者たちよ!》
はきはきとした声がその場に響きわたり、それは効果があった。ファリーダは「ふん」とばかりに魔力をおさめ、身なりとは釣り合わない傲岸な態度で椅子に腰を落とすと、長い脚をテーブルの上に乗せ、苛々と尖ったつま先のブーツをカツカツと鳴らしながら言った。
《それ相応のことをしてきたから、応戦したまでよ。文句ある?》
若い部下たちが陰惨な死体を見下ろしているのを横目に、リーダーらしき赤茶けた髪をした男が応えた。
《確かにこいつらはどこかのアサシン集団に属しているように見受けられる。しかし、このような連中に狙われるお前たちにも何か理由があるわけだ。それに…》
と、彼はぐるりと様々な人種や身なりをした者たちを見回し、続けた。
《シークレストの安全を保つ者として、お前たちのような変わった旅人を尋問しないわけにはいかない。死体の片づけはしておく。もちろん壊れた物の弁償金はお前たちの宿代につけておくように言っておくがな》
《おい、そりゃないぜ、仕掛けてきたのはあっちなんだぜ?》
大牙が反論するも、その男はじろりと凄味のある視線を大牙に向けただけで取り合わず、
《さあ、ついて来い。でないと、器物破損と街の秩序紊乱の罪で牢にぶち込むぞ》
《それはないっスよ~、ボクたちは殺されかけたんスよ》
朝日に輝いてほとんど無色にも見える明るいハシバミ色の眼差しをぐっと下げてレンを見下ろした自警団の男は、目ざとく彼女の耳が人間とは異なっていることを見抜き、やや態度を軟化させ、
《エルフが一緒とはこれまた変わった一団だな。その言葉に嘘はないのだろうが、我々としてはこのような物騒な事件が起きたことを見逃すわけにはいかんのだ。隣りのバーミリオンのようにはなりたくないんでね。来てくれるな?》
投獄されるのも嫌だったし、しばらくこの街には逗留することになると考えられたので、彼らは仕方なくその人物のあとに続いて宿を後にしたのだった。背後で部下たちの気味の悪がっている呟きが漏れ聞こえてくる。
《…身体中フォークとナイフが突き立ってる死体なんか見たことあるか?》
《首なし死体なんか、俺、初めてで…おえっぷ》
果たして彼らはシークレストの警察機構を納得させ、今後の旅の行方を決定づける何かを得ることができるのだろうか。
*****
シークレスト自警団の団長室は、今までの歴任者の性質を表わしているかのように、四角く、実務的で、装飾や居心地の良さなどには重きを置かない、一言で言えば、つまらない一室だった。
が、そこが今やまるで狂い咲きの花々が満開になったような雰囲気に包まれている。
それもそのはず、団長の腰掛けるデスクの前にずらりと並んだ者たちの異色彩々たることや、様々な冒険者や流れ者を見てきたはずの彼でさえ、一瞬何語で話すべきか迷ったくらいだった。
しかし、シークレストの警察機構を担う自負が、そういった驚きや戸惑いを覆い隠した。彼は物に動じない歴戦の者のように、デスクの上に並べられた品々を眺め、ひとつ、年寄りじみたしわぶきをすると言った。
《カーマイン王国の紋章入り指輪、都市連邦発行の通行証、大陸銀行連盟の認可証、そして帝国海軍司令官の記章…確かにご立派な身分証だが、それをどうしてお前たちのような者が所持しているのかと言うことが、私には疑問だ。それに、このような立派な身元の旅人がなぜ、あのような襲撃を受けることになったのか、全く説明にならない。お前たちも知っての通り、隣国はあのバーミリオンだ。ここ最近はさらに爛熟頽廃が進んでいる。国を追われた要人が我々の国に逃げ込んだりしてくるのだよ。それを追って暗殺者が送り込まれる。シークレストは平和な産業国家だ。政争や金権闘争のようなものとは無縁だ。冒険者はいるが、たいていはギルド関係の仕事を請け負い、時には邪魔なモンスターを討伐する程度で、お前たちのように街中で凶悪な暗殺者集団と刃を交えると言うような者は滅多におらん。他所のもめごとでこの街が騒乱に巻き込まれるのはごめんだ》
大牙は途中から聞いていなかった。気分はまるで、子供の頃、施設で罰則として半日教員室で立たされどおしにされた時のようだった。さすがに鼻くそをほじり出すわけにもいかないので、彼は内線で仲間に話しかけた。
『つまり、厄介払いしてえってことだろ?』
同じように退屈していたのか、朱音がうんざりした表情で応えた。実のところ、彼女も大牙と似たような光景を脳裏に浮かべていたからである。彼女のはこうだ。深夜すぎに出歩いていたところを補導され、嫌味な女警察官に説教をされた思い出である。当然、彼女は隙をついて逃げ出したのだが。
『まあ誰でも、自分ちで大暴れはされたくはないわよね。でもどうしよう、ここにいられないとなると、北のマーフォーク族のところまで行くのに、ファンロンを頼らなくちゃならないわ』
『それはやめた方がいいな』
龍児が淡々と意見した。彼の表情は全くの無表情で、彼は実はエルフなのではないかと思えるほど、超然としていた。しかし、彼もあまり話を聞いていたわけではない。逆にどう言いくるめようかと考えを巡らせていた。
『北の海域では戦が行われているんだろう? 全員が魔道士ではないと思うけれど、何人かは乗船していると思うんだ。そんな近くでファンロンの転送なんか使えば、たちどころにその波動をキャッチされる危険性がある。何せ、僕らはもう帝国の賢者に目を付けられているんだからね』
『たとえファンロンを使ったとしてもじゃ、このついてきた者たちをどうするかじゃ。いきなり放り出すのは気が進まんのう』
玄人がファリーダにしなだれかかられながら言った。朱音がじろっとそんな彼を見上げ、
『すっかり骨抜きなわけ? あんたってそういうのが好みだったの』
玄人の細い眼が僅かに見開き、何か言い返そうと瞬きをした時、どこかおどけた、エルフらしからぬ口振りでアルディドが言った。
《えーっと、あなたは、ライアン・ファブローさんとおっしゃいましたね? 僕はあまりこの地方の体制を知らないけれど、あなたは木工ギルドの人でしょ? この警察任務は持ち回りか何かで? ファブローって名前に聞き覚えがあるんだよなあ。もしかして、あなたの御父上かそのまた御父上が、南のグリアナンに旅に出たとかいう話を聞いたことがないですか?》
これを聞き、ライアン・ファブローは厳しく細めていたハシバミ色の眼差しを驚きに見開いて長身のエルフを見直した。
《なぜそのことを? 私の家系は代々木工ギルドに属してきた。私の祖父が…すでに亡くなっているが、若い頃に究極の木材を求めて旅に出たという。その時に伝説の巨木、グリューネに行きついたのだとか。砂漠の茫漠とした中に、忽然と青々とした巨木がそそり立つ姿は神々しくも雄大だったと、何度も聞かされたものだ。それをどうしてお前が知っている? あ、ひょっとして…?!》
がたん、と音を立てて立ち上がったライアンを、アルディドは微笑みながら手で制し、
《いやいや、あなたが想像したエルフとは別人ですよ。グリューネを守る種族は僕たち西のエルフとは少々毛色が違いますからね。でも、僕があそこにいたのは確かだし、グリューネの葉を一枚、あなたの御祖父さんにあげることを頼んだのもこの僕です。その葉はどうなりました? まだ輝いていますか?》
ライアンはそれまでの堅苦しさを脱ぎ去り、まるで幼少の頃に戻ったような感動に包まれて応えた。
《もちろん、輝いているとも! あの聖なる葉は今やギルドの宝であり、象徴にもなっているのだ》
そしてちらり、とアッラードを見やってから、
《確かにあの葉には聖なる力が宿っていると思う。我が国が産する木材の質は他に追随を許さないし、北の海域で行われている愚かな戦いに供しているヴォルガの軍船が沈まないのも、あの輝ける葉のたまものではないかと思い始めている》
アッラードはこの程度のことで帝国の威信をひけらかすような人物ではなかったし、実際、ヴォルガ族の軍船は強かった。
逆に、この海軍司令官は我が娘のように愛しんできた女性の頼み事を実現させるきっかけをつかみ、話に割り入った。
《帝国軍人の私が言うのもはばかれることだが、この女性は我が親友の娘であり、私自身も大切に感じている存在だ。その彼女が頼みごとをしてまいった。そのためにこの地へやってきたのだが、これは帝国の意志ではなく、完全に私個人の、そしてここにいる冒険者たちの意志だ》
帝国人とは何度か話をもったことのあるライアンだったが、たいていは鼻持ちならない性質の者ばかりだった。しかし、この目の前に立つ軍人の鑑のように立つ人物は、例外中の例外だと思われた。
ライアンは疑心を興味に変えつつ、再び椅子に腰かけながら言った。
《いきなりそのように言われても「はい、そうですか」と応えられるはずがない。第一、なぜお前たちは暗殺集団に追われている? 冒険者と言ったが、そこの四人の若者は一体どこの出身だ? エルフが二人もいるパーティなど、今の時代、どこにいる? そして、そこの女は、魔道士だろう? ドワーフともう一人の軟弱男はどうでもいいとして(ここでワリードが何かまくしたてようとしたのを、ファリーダの痛烈なヒールアタックが彼を黙らせた)、最後に召使と軍人ときた。何もかもがばらばらだ。どうにも組み合わさらない。頼みごとをしたいのなら、私が納得できるように説明をしてほしいね》
海峡を隔てたこの地には、レイジュウジャーたちの活躍は伝わっておらず、魔道帝国の暗躍も正確には知られていないのだった。
かといって、一から説明するのも面倒だと龍児が悩んでいると、彼の心を見透かしたようにアルディドが言った。
《ここは嘘の付けない僕が代表して話すのが適任かと思う。この四人の若者はある使命を帯びて、失われし竜力を…おっと、帝国の軍人殿がいることを忘れていたなあ》
本気なのかふざけているのか、大仰にアッラードの顔をじろじろと眺めたアルディドに、海軍司令官は苦笑を返した。
《私は魔道士ではないし、第一、司令官である私が艦を抜け出してここに来ているのだ。信頼してくれ。帝国人の言葉が信じられぬと言うのなら、その代償として…》
アルディドは慌てた様子で言葉で遮った。
《いやいやいや、今の御言葉だけで十分ですよ。団長殿はあまり帝国の内情には詳しくないでしょうからご存知ないと思いますが、帝国はいまだ1000年前の戦いで竜族を駆逐しようとした目的をひそかに温め続けているのです。だから大きな声でドラゴンの話はできないということです》
《1000年前の戦いだと? これまた随分昔のできごとが持ち出されたものだ。まさか、この若者がそのことと関係があるとでもいうのではないだろうな。そんな荒唐無稽な話、全く信じられん》
ライアンは呆れたように肩をすくめたが、アルディドは生来の口達者に任せて話を続けた。
《1000年前の戦いとは、彼らは全く関係ありません。しかし、竜力と彼らとのつながりは、エルフの遺産であるエルヴィアンの扉を見つけ、そこから空間移動してきたことからして、彼らに精霊界との因縁を予想させるのです。しかし、彼らには魔力がありません。そうなんです、どういうわけか、エルヴィアンの扉を通り抜けた際に抜け落ちてしまったかのように、全くないのです。その失った魔力を再び取り戻すために、彼らは竜力を求めているのです》
エルフは嘘をつけない。
ライアンはなんとなく煙に巻かれている気もしなくはなかったが、素朴に質問をした。
《しかし、ドラゴンはすでに滅んでいると聞いているが? 祖父が持ち帰った聖なる葉の巨木が竜の慣れの果てだと言うことは知っているが》
《私もドラゴンは滅んだか、力を失ったかしたと思っていたよ》
ファリーダが珍しく殊勝にエルフの話に耳を傾けていたのか、言葉を差しはさんだ。
アルディドは首を振り、ややその水色の眼差しを深刻に濃くさせて言った。
《ドラゴンは物質界においても、そして精霊界においても、その位置づけは重要なポイントに置かれているんだ。だからそう簡単に討伐されてしまったら、この世界は不毛の地が広がる闇に閉ざされてしまうことになる。そのことを、1000年前の人間たちは知らずに、竜力の絶大なパワーを求めてその血肉を、骨を、牙を、奪おうと躍起になった。実際、グリアナンは緑豊かな土地だったにも関わらず、緑竜が人間たちの攻撃を受けて斃れかけ、あのような姿になったのは、最後の霊力を振り絞って大地から緑を消滅させることのないようにしたためだ。さて、これは物質界でのドラゴンの位置づけだけれど、精霊界だとまた少し違う。魔道士の君なら、夢幻世界の中に何が蠢いているか、知っているね?》
ファリーダはぎゅ、と玄人の太い腕をつかみ、嫌悪もあらわに言った。
《卑屈なくせに貪欲な小賢しい悪鬼どもよ》
アルディドは頷き、
《精霊界には善の範疇に入る精霊もいるけれど、その多くはまるで人の欲を丸出しにしたような悪鬼なんだ。もちろん、善だからといって、味方かと言えば、そうでもない。精霊とは頭の固い連中でね。感情というものがないから扱いにくいこと間違いなしの連中なんだ。こういう連中をこちら側の世界にあふれ出させないようにしているのが、物質界に満ちるエーテルであり、竜力の絶大な魔力のおかげなんだ。しかし、今、竜たちはほぼ眠りについているような状態だ。魔力も弱まっている》
ここでアルディドはレイジュウジャーたちを見やり、やや口調を真剣なものに変えて続けた。
《これは僕の予感でしかないけれど、君たちが竜力を求めることは、同時にこの世界の均衡を保つことにつながるのではないかと思っているんだ。君たちが竜たちを目覚めさせ、かつての力を取り戻せば、容易に裂け目は開けない。見ただろう? あの賢者が自らを贄にして暗黒の亡者どもを呼び出そうとしたのを。あれは小さな裂け目でしかなかったが、もっと巨大な裂け目ができたとしたら? まさに地獄の門が開かれるようなものだ。そしてそれを目論んでいると思われる者がいる》
ファリーダが細い眉をしかめて呟くように言った。
《…『魔眼のウラヌス』…》
《そう、そのとおり。僕は地獄耳でねえ。彼の左目が何故ないのか、うすうす知っているのだよ。彼はすでに契約しているんだ。そうさ、暗黒の者どもとね。彼はドラゴンがどのような役目を果たしているかも調べあげているだろう。誇大妄想に陥って、太古の民がやってきたという『光の都市』を目指しているかもしれない。『光の都市』とは、精霊界の最果てにあると言われている楽園のような場所と言われているが、これは『夢旅人』の夢想かもしれないから、僕はにわかに信じられないのだけれど、精霊界の深層をこちら側に開かれてしまっては、困ることになる。だから、そんな大きな亀裂を開けさせないためにも、君たちには眠っているドラゴンたちを捜し出してほしいんだ》
ライアンは、これまで聞いたことのないような現実離れした話に目を白黒させていたが、話の内容を整理するようにこめかみのあたりを揉みながら言った。
《つまり、お前たちは帝国の野望を阻止するためにドラゴンを探す旅についているということなのだな?》
レイジュウジャーたちが顔を見合わせる。「そういうことになるの?」と朱音が口パクする。大牙は「知らね」と他人事である。龍児は内心で「このエルフはエルフのくせにまことしやかに喋るのがうまい」と妙に感心する始末。
仕方なく玄人が曖昧に応えた。
《そういうことになるんじゃろうかのう? そのためにはわしらの本来の力を取り戻す必要があるんじゃがの》
ライアンは「ふーむ」と考え込み、てんでばらばらな一団を眺めすがめつしてようやく口を開いた。
《それでなぜシークレストに来たのだ? 我が国はそういった夢物語が転がっているようなところではない。そこのエルフ殿が偶然にも私の祖父の助けになり、今ある木工ギルドの繁栄のもとになっていることは、感謝にたえないが、その礼に報いたくてもお前たちの申すところは我々の手には負えん》
《そうでもないのではありませんか?》
ここで龍児が相変わらずの一本調子な口調で言った。
《先ほど、司令官がちらりと口にされていたヴォルガ族との交渉役としては、あなた方の方がむいています。帝国の司令官が自ら乗り出しては、最初から相手に警戒をさせるだけですからね。それと、ここ最近は遭遇していないでしょうが、北のマーフォーク族ともあなた方はつながりがあるのではないですか? 僕たちは西のマーフォーク族を通じて、さらに北に居を移しているという彼らと折衝する必要があるのです。もう勘づいていられるでしょうが、北の海溝に隠れているのではないかと推測される水の竜の捜索のためです》
驚きの声を上げたのはライアンだけではなかった。
《そういうわけでヴォルガ族との一時停戦を頼んできたのか! これはまた壮大なおとぎ話であるな》
アッラードが呆れ顔半分、興味半分で感嘆した。
ファリーダが鼻先であしらうように続ける。
《確かにその通りね、小父様。あなたを呼びつけるなんてしなきゃよかった。ばかばかしい》
《じゃが、わしらはどうしても水の竜を探さないかんのじゃ。そして、その旅に自分の意志でついてきたのはあんさんらの方じゃ。こうして知り合いの軍人はんも連れてきてくれた。ここまで来て、結末を見んでええんか、それで満足するんか?》
玄人にしては珍しく強引な口振りである。ファリーダはむすっと顔をしかめ、黙り込んだ。これを見た朱音がこっそり隣にいた龍児に囁く。
「なんか、すっかり亭主関白?」
龍児は片眉を上げただけで取り合わず、よもや信じられぬという顔をしているシークレストの自警団長に言った。
《確かに突拍子もない話だとは思いますが、確かにドラゴンはこの海域にいるのです。どうかご協力をお願いします》
ライアンは煮え切らない表情で顎を撫で、
《私は別に冷血漢ではないが、お前たちが暗殺者に狙われているということからして、おそらくすでに帝国の追手がついている危険な存在だと考える。となると、そのような危険分子を我が国に逗留させるのは、自警団長として見逃せないことだ。さらに、我々にはお前たちに助力する理由がないし、利益もない。むしろ、帝国に狙われているお前たちを助けたことで、藪蛇になる可能性の方が高い…しかし…》
思案深げな様子で立ち上がった彼は、骨太な身体をうろうろとデスクの前で行ったり来たりしながら続けた。
《…我が国のギルドの繋がりは、血縁以上に強いことがある。そのギルドの根幹に助けをしてくれた恩人のいる一行に出ていけとは言えん。しかしだ、我々に何ができる? 確かにヴォルガ族とは関りがあるし、北のマーフォーク族とは長年の付き合いがある。だがそれ以上は何もないのだ。我々は基本的に職人であり、商人だからな》
すると、アッラードが言った。
《ヴォルガ族との一時休戦に関しては、私に一つ考えがある。私にしかできぬことだ》
《あら、小父様、やる気なの?》
ファリーダが驚いたように尋ねると、ライアンは彼女の脇に立つ玄人をちらりと見やってから応えた。
《私の艦にも魔道士は乗船しているのだよ。その危険を度外視してまであんな緊急の連絡をつけてきたのだ、この若者たちの願いをお前も重要だと感じ、なおかつその若者を大切だと思ったからこそだと思うのだがな》
途端にファリーダの白い貌に朱が昇り、濃い化粧の下に隠れていた恥じらいの花びらが開きそうになった。
と、いきなりノックもなしに団長室へ駆け込んできた者があった。先ほど宿屋での襲撃跡に同行していた若い自警団員だった。
無造作に刈られたぼさぼさの茶色の髪を、さらにくしゃくしゃにさせ、彼は何度も唾を飲んでどもりながら報告した。
《だ、団長殿、ほ、ほ、報告します…! ちゅ、中央市場の、く、く、空中に、道化師のようなやつが、う、浮かんで、市場の屋台を、こ、氷の塊で、滅茶苦茶にしています…! 近寄ろうとしても、熱気で押し戻されて、何もできません…!》
《…第三賢者エイリノス・マーキュリーよ…》
ファリーダが表情を引き締めて呟いた。
ライアンが愕然と言った。
《なんと…! 七賢者にまで追われているのか?!》
《そうみたいなのよね、ごめんなさいね、もうすっかり巻き込んじゃったみたい》
朱音がすでに扉のノブに手をかけてあっけらかんと言った。
《でも、安心して。あたしたちがやっつけるから》
と、さっさと出て行った彼女のあとを、レンが追いかける。
《ちょっと待ってくださいよう、師匠ったら~》
《僕もその道化みたいな賢者というのが見てみたいから行ってみようかな》
と、アルディドは完全にやじ馬のノリである。
バージルを残して出て行ってしまった一団を見送るしかなかったライアンは、悪い気にもあたったかのようにぶるぶると震え続ける部下と、何事にも動じないらしい黒服の人物を見比べ、独りごとのように言った。
《相手は帝国の賢者なんじゃないのか? 帝国の魔道士の中枢なのではないのか? それなのに、あの気軽さは一体…》
バージルは簡素な室内にも飲み物のセットがあることに気付いていたので、生まれながらの性であるかのようにデカンタに入っていた赤い飲み物をグラスに注ぎ、呆然としている二人に差し出しながら控えめに言った。
《これを飲んで気分が落ち着いたら、その眼でお確かめになることですね。あの方々には何か使命のようなものがあります。戦いを見れば、このわたくしでも感じるのですから、あなたにもわかることでしょう。今はこの地は帝国の目から外れてはおりますが、それは海峡が阻んでいるからにすぎません。隣国カーマイン王国はまさに帝国の手に落ちんとするところまで危機に瀕し、それを救ったのがあの四人の若者だったそうです。あなたも聖木の葉の霊験あらたかなることを体験しているのならば、感じるはずです。さあ、いかがです?》
ライアンはぐい、とシークレスト特産の『クレストルビー』を飲み干すと、自警団長としての誇りが勝ったか、決意にハシバミ色の眼差しを厳しくさせて頷いた。
《いつまでも対岸の火事というわけにはいかんな。クロフト、自警団を集めて、民衆に怪我人が出ないよう、取り仕切るように》
《あ、あそこに行くんですか?!》
《怖気づいてどうする? お前も鍛冶ギルドの誇りがあるなら、炎など恐るるに足らんだろうが》
ライアンがクロフトと呼んだ若い部下の背中を押すようにして出て行くのを、バージルが一人、見送った。その表情には不安の欠片もなかった。彼はうっすらと微笑みさえ浮かべながら、グラスを片付け、床に落ちていた『スニッパーズ』の銀色の包み紙を拾って捨てた。そして独り言ちた。
《お嬢様は本当に良いお仲間とご一緒できましたね。このバージル、初めてお嬢様が心から和んでいらっしゃるのを感じられ、心から感動しているのでございます。あの方々には感謝しなくては》
そして彼は団長室の片隅で、応戦に出た者たちの帰りをひっそりと待つのだった。




