『港湾都市シークレスト』①
この戦いは半ば帝国民の注意をそらすためのダミーだ、とアッラード・ミュラー帝国海軍司令官は、海上から立ち上る靄のかかった景色を小さな丸窓から眺めながら、自分で淹れた茶を飲み、少しの忌々しさをもって考えた。
彼の旗艦はまだ寝静まっている。夜勤の兵士が見張りには立っているだろうが、これまでの経験で、敵方も無駄な戦力も労力も、そして睡眠時間も削る気がないことをわかっていたから、艦は戦艦とは思えない静けさに包まれていた。
彼に魔力はほとんどない。軍人としての地位は高いが、実質の権力を握る魔道士ギルドと、その上に君臨する七賢者の考えているところは想像もつかなかったが、この戦いの建前は一応知らされていた。それは、クロムマイン群島に点在するブルーラディウム鉱山を奪い取るという目的である。いや、事実、ラディウム鉱石よりも格段に上質なブルーラディウムを大量に必要とする機密が目論まれているのかもしれなかったが、魔法の分野は門外漢のアッラードである。しかし帝国の国力があれば、いくら相手が戦闘能力にたけたヴォルガ族だとしても、これほど一進一退の戦いを続けるはずはないと確信していた。
《つまり、負けない程度の戦いをしておけ、と言うことなのだろうな。一体帝国はどこへ向かおうとしているのか…》
アッラードの独り言が、紅い茶に吸い込まれる。
オーカー魔道帝国は、外との交渉をあまり持たないため、有名ではなかったが、茶葉の産地を多く抱えている地域であった。発酵させて紅く色づく茶は、あまり評判のかんばしくない帝国の産物の中では珍しく商人たちの間で高値で取引された。そしてこの茶がアッラードの好むところでもあった。
今日も、決まりきった戦闘をして終わるのだろうと、紅茶のカップを傾けたところに、その通常を破るノック音が響いた。
《ミュラー司令官、起きておいでですか?》
下士官の声に何かの予感めいたものを感じたアッラードは、ガウン姿のままドアを開けた。
《どうした、こんなに早くに》
若い士官は人目をはばかるような視線を投げてから、手の中に押し込んでいたものを見せた。
と、それは士官の手の中で手品のようにポン、と膨らみ、丸々としたコマドリのような鳥の姿になったのである。レイジュウジャーたちがこれを見たら、仕掛けのある折り紙とか飛び出す絵本みたいだと思っただろう。
アッラードはこれを見ても驚かなかった。むしろ、毎日の平凡のカーテンが開かれ、そこに予期せぬ何かの光景が広がっていることに心湧き立たせていた。
彼は目ざとくその造り物の小鳥の脚に取り付けられていた伝書管にある紋章を見つけ、士官に頷きながら言った。
《魔道士共には気づかれてはいまいな》
下士官はしゃっちょこばって力強く応えた。
《もちろんです、司令官。戦艦に魔道士など、無用です》
アッラードは素直な士官に鷹揚な笑みを投げると、その小鳥を受け取り、言った。
《副司令官が起床したら、私のところに来るよう、伝えてくれ。私は少々忙しくなりそうなのでね》
《アイサー》
士官が出ていくと、アッラードは早速伝書管を鳥の脚から外した。すると、どういう仕掛けか、可愛らしい黒目をしていた小鳥はぼろっと形が崩れ、ぼっと火が点いて燃え落ちてしまった。
そんな魔法じみた仕掛けにも、アッラードは動じることなく、手の中に残った小さな筒の蓋を器用に開け、中から丸められたごく薄い紙を取り出した。彼はそれを広げながら私室のデスクに向かうと、拡大鏡を片手にそれを覗き込んだ。
(やはりルルーシュの長女からか)
緊急を要することが想像できたが、彼はどこかしら懐かしさに打たれてもいた。と言うのも、ルルーシュ家とは長い付き合いがあり、特に彼は亡くなったファリーダの父親とは腹を割って話すほどの仲だったのである。双子の姉妹の両方が魔道士ギルドに入ってしまったことや、ルルーシュ当主夫妻の事故死などで、疎遠になっていたが、心のどこかではずっと気にかかっていた。
その思いが通じたかのような連絡に、彼は最近とみに小さな文字が読みにくくなった目で、細かな文字を追った。
(…なんと、帝国を追われた? 私がここでのたりくたりと大砲の打ち合いをしている間に、帝国の中枢では何が起きていたのだ? 匿ってほしいのか? いや、違うな…続きを読もう……ふむ、ヴォルガ族との一時停戦?! これまた無理難題を吹っかけてきたものだ……にしてもなぜそのようなことをあの娘が必要としているのか…ふーむ、だがしかし、賢者たちに察知される危険を冒しても私に連絡をつけてきたということは、それだけ重大なことが秘められているというなのか? だとしたら助けねばならん)
アッラードの実際的な思考が素早く回転し始める。
そこへ、丁重なノック音が聞こえ、彼はその小さな紙きれを暖をとるために炭を入れた大きな鉢の中に放り入れた。ぽ、と赤い炎が上がり、あっという間に秘密文書は消えた。
《オスカーかね? 入りなさい》
ドアが開き、早朝にも関わらずぴしりと軍服を着こんだ青年が敬礼をした。
《おはようございます、司令官。ご用事があると聞きましたので》
アッラードはこの金髪を短く刈り込んだ青年を好ましく思っていたので、親しげな態度で副司令官を室内に引き入れると、くだけた口調で言った。
《お前にだからまかせられることだ、オスカー。私は少々私的な用事ができた。それも本国側にはできる限り隠密にだ。私が艦を開ける間、お前に指揮を任せたい、頼まれてくれるか》
オスカー・ゲッハルトはカツン、と踵を打ち鳴らして応えた。
《司令官の命令とあらば、このオスカー、一命を…》
帝国人には珍しい情深い物言いに、アッラードは苦笑しながら青年の肩をぽん、と叩き、
《そんなに堅苦しく考えなくていい、そこがお前のいいところでも悪いところでもあるがな。今回のことはお前にも関わりがないともいいきれん。お前の元婚約者が私に連絡を取ってきたのだ。応えぬわけにはいかんだろう?》
《えっ?! ファリーダ様が?!》
四角四面な顔立ちに、さっと朱が昇る。アッラードはこの真正直な青年士官が、いまだルルーシュ家の姉を思い続けているらしいことに気付いていた。
《我々がここでちんたらとやっている間に、帝国本土では何やらことが運んでいたようでな。なんとルルーシュの姉は帝国を追われる身に落ちているらしい。今は旅の仲間と共にシークレストに向かっているところだそうだ》
《追われる身?! なんとおいたわしい! ファリーダ様の困窮をお助けする一端を担えるのなら、私はますます一命を…》
アッラードは生真面目な部下を短く笑い飛ばし、
《お前はまだあの娘を想っておるんだな。最初は家同士の取り決めだったのに、どういうわけかお前は姉の方に心酔しおって。私は妹を選ぶと思っていたがな》
するとオスカーは憤然と否定した。
《何をおっしゃるんですか。ファリーダ様はそこらにいるような女性ではありませんよ。他人にはないものを持つ、輝ける宝石のような方です》
この若い副司令官の恋心の行方が、ルルーシュの双子の姉妹の亀裂の一つになっていたことは、彼らの知らないところであった。
《というわけだから、私は数日艦を空けることになろう。幸運にもこの旗艦には魔道士は僅かだ。うまくやってくれ》
《承知いたしました。艦の方はご心配なさらず、ファリーダ様の御身の無事をお図り下さるよう、私からもどうかお願いします》
ここでオスカーは素朴な表情で言った。
《しかし、この海域に派遣されて半年あまりになりますか。いいですね、久しぶりの陸ですね、司令官》
《ふふふ、毎日が倦むような日々だからな。しかし、ルルーシュの娘はとんでもないことを頼んできたゆえ、単純に息抜きになるとは思えんな。ひょっとすると、帝国中枢とかちあうかもしれん》
《私はどうにも今の筆頭魔道士は好きになれません。ここに派遣される際に一度だけ姿を見ましたが、ぞっとしました。あの眼帯の下には何があるんでしょう》
《魔道士の考えていることなど、この私にわかるはずもなかろう。優越主義で凝り固まっていることはわかるがな。よし、オスカー、私は出かける支度を始める。準備ができたら、シークレストまでのボートを出してくれるか》
《承知いたしました。あとのことはお任せ下さい》
《頼りにしているぞ》
オスカー副司令官は再び敬礼をすると、姿勢の良い後ろ姿を見せて退出していった。
残されたアッラードはしばし短く伸ばした顎髭を撫でつつ、考えた。
(姉が追放の身でありながら、妹は追う側か。これはまた複雑なことになりそうだ)
アッラードは、魔道士ギルドに入ってからのこの姉妹の現実をよく知らない。そして、現在のファリーダがどんな仲間たちと旅をしているかも。彼も、謎の冒険者をめぐる騒動の渦中へと飛び込んでいくのである。
*****
ぼろぼろになったレッドブリック郊外の農家の空き家の前に立つ、二つの人影があった。
一人は190センチ以上はありそうだったが、着ているローブがまるでハンガーにかかっているかのような印象を与えるほど、肉感的なところがなかった。
黒髪を大きく横分けにし、背中で緩くまとめている、その痩せぎすの魔道士が地の底から響くような低い声で言った。
《…まさかユピテルが命を落とすとは思いませんでした》
と言ったものの、血色の悪い表情はぴくとも動かず、その魔道士はローランドが埋まっている地点にしゃがみこんでかぎづめのように伸びた爪をした指をその上にかざした。
《…まだわずかに残っています》
《呼び出せ、イェルガー》
もう一人の魔道士が命令口調で短く言った。その顔面左半分が蛇の絡み合った意匠の施された眼帯で覆われている。
イェルガー・プルートー第二賢者は緑色の三白眼だけで頷いて見せると、骨のような指をした手を怪しげに蠢かせながらぶつぶつと文言を呟いた。
《…冥府に堕ちしローランド・ユピテルであったものよ、その命果てし悔恨を我が主に申し立てよ。しからばその無念も晴れようぞ》
土の山はしん、としていたが、それがにわかに不気味な薄緑色の靄に包まれ、徐々に輪郭を形作っていく。イェルガーの死霊召喚は続いた。
《言葉はなくてもいい、ただ、お前をこのような目にあわせた者たちがどこに向かったかを教えてくれればよい。さあ、指し示すのだ》
土の山から人型の発光体がうっすらと浮かんでいるのを、眼帯をした魔道士が厳しい眼差しで見つめている。
《……筆頭魔道士様、身体が破壊され、それに伴って命の炎も細切れになった模様です。私の魔力が完全に及びません。このまま四散する可能性もあります》
《そうはさせん》
ぴしゃりと無表情で言った筆頭魔道士トルステン・ウラヌスは、片手を眼帯にかけながら言った。
《死せる魂よ、私がこの左目を開ければどうなるか、わかっておろうな? イェルガーのように生易しい召喚とはいかぬぞ。お前は完全に粉々になり、命の循環にも戻れぬ屑に成り下がるのだ》
死者の魂に脅迫するとは。しかし、効果はあった。
ぶるっと薄緑色の塊は震えたように見えた。イェルガーは改めてこのウラヌスの絶対的な力の違いを見せつけられたような気になりながら、発光体に言った。
《お前はよくやった。死んでもなお役に立てるのだ。さあ、指し示せ、奴らはどこへ向かった?》
発光体はうすぼんやりとした腕を持ち上げ、東を指した。
と、それは空気に吸い込まれるように四散してしまった。イェルガーがため息をつく。
《死せる魂の、命のるつぼに引き込まれる力は圧倒的です。ローランドは還りました》
《もう少し早く来ていれば、こちらの使い魔として利用できたかもしれぬが、今更悔いても始まらぬな。して、東とな?》
《レッドブリックに留まることはないでしょうから、おそらく海峡を渡るつもりでしょう》
筆頭魔道士は昂然と頭を上げ、東を見た。
《海を渡れば無事にすむとでも思っているのだろうか。だとしたら相当な愚か者だ。しかし、あの三人組め、魔力を遮断する何かを装備するなど、さすが賢者を妹に持つ女だと言うべきか》
《…信念こそ違えば、妹よりも姉の方が魔力も胆力も機転も上です》
《わかっておる。だからこそキアが賢者になったのだ。そのような姉を持ったことで、あの女はあらゆる負の感情にがんじがらめになっている。それこそ、魔力を強くする一大要素だ。よし、もうここは良い。次こそ仕留めるぞ》
と、筆頭魔道士は両手で弧を描き、炎のサークルを空間に出現させた。その切り取られた向こう側には、見慣れた魔道士ギルドの広間があった。
二人の魔道士がその空間移動サークルの中に姿を消すと、炎のサークルは消え、ただそこには、命を使い果たし、原初の理の中に還元された者が埋まる土山だけが残されたのであった。
*****
真夏のレラジェ海峡は快適だった。
船酔いになる者もおらず、それぞれ、紺碧の海面を眺めたり、白と青のコントラストが眩しい夏の空に見入ったりと、まるで観光客のような様子で船旅を送った。
いや、そんな心境でもない者が二人ほど、いたにはいた。
これはすべての手続きを終えて無事新天地港湾都市シークレストの岸壁に降り立ってからも、続いた。
《わーーーお、話には聞いてたっスけど、すごいドッグの数っスねえ!》
レンが感嘆の声を上げたのも当然だ。そこは、モーヴの港町を何倍にもしたような港湾区が海沿いに続いており、漁船もたくさん停泊していたが、一際目を引くのは、大型の船舶を造船するための屋根付きのドッグがいくつも並んでいることである。その中の骨組みだけのものや、ほとんど仕上がっているものには多くの職人が取り付き、とんとん、かんかん、と道具を振るっている光景が、目に新鮮だった。
《ねえ、師匠、ちょっとこのへん、見て行かないっスか? こういうごちゃごちゃしたとこ、ボク、大好きなんス》
と朱音の腕を引っ張ったレンに、彼女は疑り深い視線を向け、
《悪いクセを出すつもりじゃないでしょうね》
《馬鹿言っちゃ困るっスねえ。僕は師匠の一番弟子っスよ。そんな師匠の顔潰すようなこと、するはずがないっス》
と断言したレンだったが、レッドブリックの街に入ってから何度掏り取ろうとした手を朱音が止めたかしれないのだ。
《先日連絡を入れたという相手方と合流するには時間がかかるのでしょう?》
龍児がファリーダを振り返り、ややうんざりとした表情になって尋ねた。
ファリーダは荷物の一切合切を部下とバージルに持たせ、自分は玄人の太い腕にしんなりと腕を絡ませてご満悦な猫のような顔をして応えた。
《そうね。戦闘海域はもっと北だし、あちらも自由に動ける身分じゃないから、気長に待つ必要があるかもね》
《そういうことなら、多少寄り道しても差し支えないだろう。僕もこんな造船ドッグを間近で見られるなんて、すばらしい…》
《おい、お前なんかお呼びじゃねえっスよ、このひょろひょろ》
険悪な声でレンが龍児の言葉を遮った。大牙がけらけらと笑う。
《ひょろひょろだってよ! あはは、その通りじゃん》
《うるさい、チビスケ》
《なにをぉ! お前にチビ言われたくねえよっ、このクソガキ》
《まあまあまあ》
仲裁に入ったのはアルディドである。
《せっかく新しい街にやってきたのだし、僕もこちら側の土地は初めてだからね。リュウジくん、僕と街を見て回ろうじゃないか。しかし、レンはどうやら君を目の敵にしているようだねえ、どうしてかな? ま、彼女はアカネに任せて、日暮れにまた合流するというのはどうかね?》
《宿の手配などはわたくしがいたしますので、どうぞ皆さまはご自由にお過ごしくださいませ》
バージルがその初老の外見に似合わぬ大所帯を担ぎながらも、平素の恭しい態度を変えることなく言った。
《あら、じゃあ私はバージルと一緒に宿に行くとするわ。快適は快適だったけれど、やっぱり慣れない船旅で疲れたみたい。もちろんあなたも一緒にいてくれるわよね? ダーリン?》
さきほど龍児がうんざりしたのも当然なのである。ファリーダは時を置くごとに玄人にしなだれかかるようになり、船旅の間中べたべたとし続けた。そして今もアツアツのカップルかのごとくである。
悪いことに、玄人がこの彼女の態度を拒むことをしないのが、彼女を増長させ、勘違いもさせたようだ。
そしてこの「ダーリン」呼ばわりなのである。
朱音が目を三角にして言った。
《ちょっと、そのダーリンっての、気持ち悪いからやめてくれない? クロト、あんたも黙ってないで、なんとか言ったらどう?》
しかし先に言葉を返したのはファリーダだった。高い鼻の上から見下ろすようにして朱音を見ながら、高圧的に言った。
《取引をしたじゃない。だから私は使い魔を飛ばしたんだよ。これがなかったら、お前たちはどうやって海戦をしてるど真ん中で海に潜るような真似をするつもりだったんだい》
彼らのパワースーツは外宇宙にも対応した気密服にはなっていた。だから、深海の水圧にも耐えられただろうし、スーツに内蔵されている圧縮酸素もあるから、問題ない、と言いかけて、朱音は玄人の穏やかな目配せに気付いた。
『クロトは優しすぎるっていうか、鈍感だわ』
朱音が内線で不満を述べると、玄人は肩をすくめ、
『わしは優しくなんかないぞ。わしゃ、利用しとるけえのう、このおなごを。荒れてる海域をわしたちの手ではなくおさめられるんなら、やってもらった方が、この世界的にはバランスがとれるっつうもんじゃ。じゃろ? リュウ』
『なんだかだいぶ慣れてきたみたいだね、クロトは。そうだね、僕たちが動くってことは、この世界にはない力のベクトルを発生させて、もともとあるものを乱すのではないかと思うんだ。もちろん、火竜のように、僕たちに有利に反応したものもあるし、帝国の追手などは悪い方の影響だよね。もちろん、僕たちは地球に戻る方法を探さなければならないんだけど、この世界の軸をぶれさせるようなことはしてはならないと思うんだよ。だから、こちら側の人間ができることなら、やってもらった方がいいと思うよ、確かに』
『俺だって慣れてきたぜ~、こっちの食いもんにな』
大牙はどこの外宇宙に出ても、こんな感じなので、他の三人はスルーした。
『じゃから、わしのことは心配せんでええよ。それに、このおなご、意外に根は素直なんやないかと思うとるでのう。わしらが現れたせいで巻き込むことになってしもたけえ、せめて帝国追放処分が晴れるようになんとかしてやりたくてのう』
『へえっ、クロトってあんな年増が好みだったのかよ』
大牙が口ではファリーダの部下たちにあとで食べ歩きに行かないかと誘いながら、茶化した。玄人はすでに歩き出しながら言った。
『年増言うても、意外に若いと思うぞ。化粧が濃いせいじゃな。わしらと大差ないかもしれん』
これを聞き、朱音がちょっとの間、口を尖らすようにして黙った。なんとなくもやもやとした考えが渦巻く。しかし、自分のあるかなしかの胸元を見下ろし、落胆した。
《どうしたんスか、師匠、ため息なんかついちゃって》
レンが素っ頓狂に声をかけてきたので、朱音はほんの少し、ファリーダに化粧の仕方を教わろうと考えた自分を取り消した。
彼女は持ち前の陽気さを取り戻し、言った。
《宿が決まったら、教えてね、タイガ。あたしはレンと散歩してくるわ。というか、見張り番だけど》
《じゃあ僕らも街の探索としようか。珍しい薬草とか売っているかもしれない》
アルディドが龍児を連れて、朱音たちとは違う方向へ歩き出す。
残った大牙は、ウマルが背負う何重にも防護布で包まれたゴーレムの核を横に歩きながら言った。
《なあ、この核、壊れてるんだろ? 俺たちがお前たちを守ってやっから、その代わりにくれねえか?》
ウマルは無精ひげが濃くなった顎を突き出し、思い切り拒絶した。
《核を手放すくらいなら、死んだ方がましってのがドワーフ魂ってやつでがす》
大牙は頭の後ろで腕を組み、口を尖らせた。
《ちぇっ、けちくせえの。にしても、なんでお前んとこの女ボスはクロトなんかに岡惚れしちまったんだ?》
《そんなこと、わかるはずがないでがすよ。ですがね、ファリーダ様はちょっとお変わりになった気がするんでがすよ》
前方を玄人と腕を組み、しゃなりしゃなりと歩くファリーダに聞こえぬ小声で、ワリードが話に入り込んできた。
《そりゃどういうこって?》
ウマルは本来なら立派な顎髭が伸びているはずの場所を撫でながら、応えた。
《俺には魔力はねえでがすが、魔力の流れとか、なんつうか、木で言ったら木目みたいなもんを見抜けるんでがす。それができなけりゃ、ラディウム鉱石の純化なんかできやしません。で、ファリーダ様を取り巻く魔力の流れが、こんなに平坦で穏やかに感じられるのは、初めてなんでがす。いいのか悪いのかわかりませんが、とにかく、お前さんの仲間のあのでかいのと会ってから、なおやかにおなりんさったでがすよ》
大牙はじっと聞いていたが、彼にしては真面目に尋ねた。
《あの女ボスは、ゴーレムの他になんの魔法を使うんだ?》
ワリードがあっさりと応えた。
《ゴーレムの基本は土塊人形でござんすよ。だから土。大地魔法でござんすね》
大牙は「ははーん」と一人頷き、匙を投げるように両手をぽいっと振り上げ、言った。
《もしかすっと、惚れ込んだのはお前たちのボスじゃなくて、クロトの方かもしんねえな…冗談じゃないぜ、全く》
部下の二人が目を丸くして大牙を見、そして前方を行くファリーダと玄人を見た。
《確かに冗談じゃないでござんすねぇ…》
《俺らは解散の危機でがすか…?》
《それは俺たちのほうもだよっ! あんな年増にクロトを持っていかれてたまるかっての》
と憮然と言い返した大牙は、ワリードが何やらベルトに下がる大小さまざまな袋の中を探っていることに気付き、尋ねた。
《おい、何か落としたかのか?》
ワリードは「うーん」と首を傾げたが、すぐに探すのをあきらめ、応えた。
《俺の記憶違いかもしれねえし……でも、最後に工房を出た時にはもう一つ予備を持ってきたと思ってたんでござんすよ》
《何をだよ》
《魔力の痕跡を隠せる、俺の発明道具でござんすよ。ギルドに属する魔道士はみんな、血の標本を採られてるんでござんす。ま、ある意味魔道士はギルドに拘束されてるようなもんなんでござんすよ。で、その血を使って、魔道士がどこにいるか、わかっちまうんでさ。でも、誰だってそんな監視の目が光ってる状況は嫌でござんしょ? だから発明したんでござんすよ。今ではそれのおかげで賢者の追手も出遅れてるって具合でして》
これを聞いていたのが大牙ではなく、龍児であったら、もう少し深刻に捉えたのかもしれないが、すでに新しい街での食べ物探訪に心を奪われていた大牙は、軽く聞き流してしまった。ワリードも所詮は魔道士ではなかったし、たとえでこかでなくしていたとしても、それがまさか自分たちに直接影響してくるとは考えてもいなかった。
背後でこそこそと話題にされていることを知ってか知らずか、ファリーダは周囲の目を引きながら通りを歩き、一軒の豪華な宿の前で立ち止まった。そして鶴の一声。
《ここに決めたよ。バージル、手続きをしといで。もたもたしてないで、お前たち、荷物を運ぶんだよ》
《へーい、ファリーダ様》
彼らは宿の泊り客たちの注目を集めた。いや、玄人たちの変わった服装のせいではない。それは、ファリーダから発する、魔道士としてではない、生まれながらの威圧感とそれに見合う堂にいった物腰、そして今は少なくなった根っからの従僕然としたバージルの手際のよい手配の成り行きに、周りの者たちは呆気にもとられ、同時に感嘆もするのだった。そこにいるのは冒険者の一行ではなく、ましてや魔道帝国の魔道士でもなく、良家の女性を筆頭にした物見遊山の一団だった。
《…お嬢様ってのもパねえ感じだな》
《何か言ったかい、チビスケ》
すっかりレンの呼び方が定着してしまったらしい大牙はむすっと口を曲げ、
《お嬢なら、メシの方も豪華に頼むぜ、手抜きはなしだぜ》
するとバージルがにこりと振り向いて応えた。
《ご安心を。お嬢様方にご不便をおかけするようなことは決していたしませんので》
《うへー、あのじじい、なんか得体が知れねえぜ》
と言った傍から、宿の少年小間使いが小走りでやって来て、彼らを部屋に案内をすると言った。
《まるで豪華ホテルみたいだのう》
玄人は至って暢気である。だが、部屋に到着して、さすがに動揺を見せた。
《あら、当然でしょ、お前は私と一緒よ》
《え、いや、しかしじゃな…》
細い眼を最大限に開いて何とかこの危機を乗り越えようと必死になっている玄人を尻目に、大牙は「へへへっ」と笑ってアンバランスなカップル(?)を見送りながら言った。
《せっかく豪華な部屋なんだし、その厚化粧女と仲良くしとけ、クロト。俺はでかけてくらぁ》
《おい、こら、待て…》
しかし玄人の言葉は、大牙に続いて出ていくファリーダの部下たちの背中に当たって消えてしまった。
そしてそこにあるのはファリーダの猫のようにほくそ笑む顔である。
彼女は扉の前で両腕を玄人の首にかけると、猫なで声で言った。
《さぁて、誰も邪魔者はいなくなったよ。夕刻までは、いいえ、先方がやってくるまでたっぷり時間がある。何をして楽しむかい?》
にじりにじりと部屋に連れこまれた玄人のため息がこだまし、ぱたんと、閉められたドアの向こうに消えた。
「こりゃ困ったのう…」




