『東へ』
賢者との戦いで、レンが調達してきた幌馬車は壊れてしまったので、一行はバージルが乗ってきた黒い箱型馬車にややぎゅう詰め状態で東へと移動を再開することになった。御者はバージルが譲らなかったので、その隣に風のにおいを楽しむようにレンがちょこんと座り、その彼女を見張るようにして朱音が座った。海側の街道は、右手遠くに紺碧の内海がのぞめ、ほんのりと潮風まじりの空気とかんかんと照り付ける真夏の日差しが、朱音の活発な性質をわきたたせた。生来、前向きな彼女である。生真面目に手綱を握る新しい旅の道連れに興味の矛先を向けるのは当然のことだった。
《ねえおじさん、あのファリーダって人は貴族かなんかなの?》
朱音の飾らない言葉に対しても、バージルは態度を変えることなく、穏やかに応えた。
《帝国に貴族階級はおりませんが、裕福な暮らしをしている一般人はおります。お嬢様は代々銀行家のお家柄にお生まれになられまして、ご両親が不慮の事故でお亡くなりになっても、御所有の動産不動産からの利益がおありです。ギルドに入られてからは、ほとんど資産を消費することがなくなりましたため、ルルーシュ家の資産はいかばかりかと思います》
《へぇーっ! じゃ、魔道士なんかにならなかったら、確かに「お嬢様」だわね》
バージルはやや肩を落とすように両手を腿の上に置き、
《まず最初に御妹君のキア様に魔力がおありになることがわかり、ギルドに入られてしまい、続いてファリーダ様にも魔力の発現があり、ルルーシュ家はすっかり寂しくなってしまいました。わたくしはいつでもお嬢様方がお戻りになってもよいようにお家を御守り申し上げるのが役割でございます。しかし、お戻りになったのはファリーダ様だけで、キア様はご立派になられたため、ギルド内の邸宅に住まうことになったのでした。もちろん、帝国で魔道士であることは最高の幸せであり、誉れでございますが、わたくしは、お嬢様方には普通の女性としての道を歩んでほしいと……あ、言葉が過ぎました…あのようなことをせざるを得なかったお嬢様の御内心を察するに、魔道士の在り方とはなんとつらく、厳しく、残酷で哀しいものかと胸が痛んだのでございます…》
そしてレンの左腕に巻かれている包帯に視線を落とし、
《その傷は深いのですか? まさか二度と使えなくなるようなことは…》
朱音は首を振り、すっかり大牙のチョコバーがお気に入りになったレンの頭をくしゃっと撫でて応えた。
《アルディドさんの薬草が効いてるし、この子、ちょろまかしてるから、大怪我にはならなかったの》
くちゃくちゃとヌガーを口の中でころがしていたレンが小さな鼻を「へへん」とこすり、
《賢者が怖くてこの世界生きてらんねえっスよ。でも、お前たち、どこまでついてくるつもりっスか? 師匠たちには大事な用事があるんスよ》
《なんでござんすか、その大事な用事ってのは?》
と、いきなり別の声がその場に入り込んできた。朱音がそちらを見上げると、箱型の後部の屋根の上に、ワリードとウマルがだらしない格好で座り込んでおり、そのウマルが身を乗り出すようにして尋ねてきたのである。
朱音は、元は敵対していた帝国の者たちに自分たちの目的を話すのを躊躇ったのだが、今は同じ帝国に狙われる身だということに賭けて、本当のことを言うことにした。それに、朱音にはうまく言葉を弄するような機転はなかった。
《あたしたちね、水の竜を探しているの。でもいい? ドラゴンのこと、帝国にばらしたりしたら、あたしの飛び蹴りを食らわせるから》
ワリードとウマルは顔を見合わせ、それぞれ肩をすくめてみせた。
《見たでがしょ? 帝国は俺らに見切りをつけたんでさ。こうなっちまったら、今の帝国がひっくり返りでもしないかぎり、俺たちに帰るところはねえでがすよ。しっかし、ドラゴンは絶滅したって聞いてやしたがね、いるんでござんすか》
と言うワリードの言葉に、朱音は頷き、
《いるわよ。でも、数は少ないの。1000年前の戦いで人間と敵対したから、今も姿を隠してるって。だから水の竜の居場所がわからないの》
《水の竜でござんすか…だとしたら、土の竜もあながち伝説じゃなかったのかもしれんでがすなあ》
ウマルは思いを馳せるように顎を撫でながら言った。無精ひげは綺麗に剃られ、青々としている。
《ちょっと待って、それどういうこと? あんた、土の竜のこと、知ってるの?》
と朱音が勢い込んで尋ねると、ウマルはジャーキーのようなものをかじりながら応えた。
《俺は帝国で陸ドワーフの家系の何代目かだから、ほとんどドワーフに伝わる歴史だとかそういったもんはわからないんでござんすがね、1000年前の戦いの後、人間側はしつこく竜を追い詰めようとしたらしいんですわ。その時にドワーフたちが土の竜をかくまってるんじゃねえかって疑われてましてね。ドワーフの知識層が何人もさらわれて、拷問にかけられたって話ですよ。その末裔が俺たちみたいな帝国の陸ドワーフだっていう説もあるんでござんすよ。でも結局見つからず仕舞いで、ドワーフに対する追及も忘れられて、今じゃ俺たちはしがないラディウム鉱夫でやんすよ。でも、もしかすると…》
《その話、もっかいあとで皆のところで話してくれない?》
《いいでがすよ。でも俺はたいして知らんけどいいんでがすか? まっ、ラディウム鉱脈ならいくらでも知ってるから、地底回廊を案内しろって言われれば、できますがね》
《だがウマル、入り口は皆帝国内じゃないか》
ワリードが口を挟む。ウマルはぴしゃりと自分の狭い額を叩いた。
《ああー、忘れとったわ。んだが、俺にはもう一人伝手があるんでがすからね》
朱音はすでに二人の会話を聞いておらず、早くどこかで小休止しないかと御者台でそわそわとし始めた。その隣で全く暢気に『スニッパーズ』をかじるレンが言った。
《ひゃー、こいつは旨いっスねえ! あのチビスケ、ちょっと見直してやるっス》
*****
さて、馬車の中でも、やはり旅の目的について話されていた。
《東に向かってるということは、レラジェ海峡を渡るつもりかい?》
ファリーダが長い脚を組み、目を細めて尋ねた。向かい側に座る龍児が慎重な眼差しをして頷いた。
《そうですね。僕たちはシークレストに向かうつもりでいます。あなた方はどうするのですか。海を渡れば帝国の追手も少しは減ると思いますが…》
ファリーダは「ふん」と軽蔑しきった息を吐くと、脚を組み直し、当然といった態度で玄人の太い腕に腕をかけて言った。
《わかってないねえ、青二才。帝国が使っている刺客は『紅髑髏団』だよ。海がなんだい。それに、賢者共には強力な乗り物があるんだよ。新大陸にでも行かない限り、逃げ切れるもんじゃないね》
彼女は、隣に座る玄人の視線が自分たちの腕に落ちるのを見、素早く言葉を続けた。
《別に、私たちはお前たちといたいわけでもなんでもないし、むしろ、移動手段を提供してやってるんだ。別行動をとりたいんなら、さっさと馬車から降りるんだね》
《なんだよ、その言いぐさ。俺たちがいなかったら、お前ら、やられてたぜ。少しは感謝しろよ、くそばばあ》
口の悪い大牙に、ファリーダはじろりと黒い瞳を睨みつけたが、玄人が間に入ったので、馬車の中での大乱闘は避けられた。
《賢者っつうのは何人おるんじゃ?》
玄人は別に気にしていないらしい。ファリーダはここぞとばかりにぎゅう、と腕を絡ませ、満足げな猫のような顔になりながら身体を彼にすり寄せて応えた。
《七人よ。でも、実質六人かしら。筆頭魔道士は他の賢者たちより格段に上なの。もし奴が出てきたら、さすがの私でもちょっと自信ないわね》
《『魔眼のウラヌス』だろう?》
アルディドが大牙の隣で馬車の窓枠に肘をおき、玄人とファリーダの「密接な」距離感に片眉を上げて言った。
ファリーダは驚いたように金髪の美しいエルフを見直し、
《伊達に長生きしてないのね。そうよ、『魔眼のウラヌス』。歴代の筆頭魔道士の中でも、群を抜いているという話よ。だから野望もそれ相応に大きいみたいね》
そしてレイジュウジャーたちを見回し、
《その野望の中に、お前たちの不思議な力を利用すると言うことも含まれてしまったんじゃないかしら。賢者が動き出したということは、筆頭魔道士の命があったからだと思うわ》
《つまり、ぞくぞくと敵が襲ってくるのは必至ということなんじゃな》
ファリーダは、玄人の四角張った手が、賢者を殺したことで傷ついていた心をあたため、くるむように自分を抱き締めてくれたことを思い出し、無造作に投げ出されている彼の手を撫で回した。そして思う。こんな無骨で平凡なのに、どうしてこんなに心が震えるのかと。触り続けていると忘我しそうになったのだが、エルフの視線が自分をじっと見ていることに気付き、高慢に言った。
《むしろ助けが必要なのはお前たちの方なんじゃないかい? いざって時にとどめをさせないなんて、甘すぎるね。特に賢者相手じゃ、温情をかけるなんてもってのほかだよ》
ここで意外にもアルディドが賛同するようなことを言った。
《僕の知っている限り、残っている賢者たちも侮れない者ばかりだよ。君たちは強いけれど、魔法の分野にはむいていない。彼女の魔力はあっても無駄にはならないんじゃないかな》
《なんだよ、俺たちがひよってるって言いたいのかよ》
大牙がぶすっと不満をこぼす。アルディドは軽快に笑い、
《あっはっはっ、これは失礼。そういうつもりはないよ。ただ、人には向き不向きってものがあるって言いたかったのさ。君だって、ふわふわ浮いてる奴よりも、力押しをしてくる相手のが好きだろう?》
《戦うってのはそういうもんだぜ。拳をこう、ぶつけあってよ…》
と言う大牙の格闘家魂の話をよそに、龍児が眼鏡の位置を几帳面に直しながら言った。
《ということは、僕たちの目的を果たすには、どうしても賢者たちを排除する必要があるってことなのかな》
《目的って一体なんなの。言っておしまいよ。男が言葉を濁すのはみっともないよ》
龍児は玄人と目を合わせ、逡巡した。これを払しょくしてしまうように、アルディドがあっさりと言った。
《彼らはね、ドラゴン探しの旅をしているんだよ》
ファリーダの黒曜石の瞳が興味深げに見開かれたが、どこか疑い深さが残っている。
《ドラゴン? あれは1000年前に絶滅したんじゃなかったのかい? ま、生き残っていたとしてもだよ、とっくに滅んじまっても当然の種族さ。お前もね、エルフ。1000年前に決着はついているのさ。そんな落ちぶれた連中に何を求めるっていうのかねえ》
アルディドは自分たちの種族を軽視する発言に腹を立てるどころか、ファリーダの手指がなまめかしく玄人の手を撫で回していることの方が興味を引かれているらしく、陽気に応えた。
《しかし、帝国が領内に見つかったエルフの遺跡をしつこく掘り起こしているのはどういうことかな? 今でもドラゴンの息吹を探し求めているのも、まだ前時代の種族に求めるものがあるからだろう? 噂だと、『魔眼のウラヌス』はエルフの遺跡は『光の都市』に続いていると信じているそうじゃないか。ドラゴンはその都市の番人とも守り人だったとも言われている。君が知らないだけで、帝国の中枢はまだ1000年前から少しも進歩しちゃいないのさ》
《『光の都市』とは一体なんですか》
龍児がすかさず質問をする。大牙は「またか」と言いたげに『スニッパーズ』をかじり出した。
いまや、すっかり玄人にしなだれかかり、喉でも鳴らしそうな様子のファリーダがさもくだらないと言わんばかりに応えた。
《妄想よ、妄想。夢幻世界にい続けて、頭がおかしくなっちまったやつが言いだす戯言よ》
《しかし、火竜は、ドラゴンは「気のるつぼ」から生まれ、全にして個、個にして全だと言っていた…》
呟くように言った龍児に、ファリーダの眼差しが魔道士らしく賢しく見開かれる。
《お前たち、本当にドラゴンに会ったのかい》
玄人は自分に寄りかかるファリーダの真意を図りかねながらも、振り払うほどの根拠もなく、なすがままになりながらうなづいた。
《わしらも別の意味で古代の力を求めておるでな。特にリュウには引き合うもんがあるんじゃ、ほれ、わしらの武器を見たじゃろ。あれが呼び合うんじゃな。それに、わしらは何か超常的な力でこの世界に飛ばされてしもうた。わしらのいた世界に戻るには、似たような力場を探さにゃならん。それでドラゴンの知識と力を借りようと考えておるんじゃ》
ファリーダの黒い瞳が、龍児の柳のようにしなやかな外見をじろじろと眺めまわし、
《ま、確かにお前たちは不思議な波動を発していることはわかるよ。それにあんな妙な武器防具を見せられちゃねえ。それで火竜の次は、水ってところかい? シークレストって言ったら、沖合に海溝があるからねえ。かくれんぼするには快適かもしれないけれど、海上はそんなことを言ってられない状況だと思うわよ》
記憶力の良い龍児が、マーフォーク族がちらっと話していたことを思い出して言った。
《確か、その海域では海戦が行われているとか…》
《そうよ。もうかれこれ半世紀はやり合ってるって話よ。クロムマインには、ブルーラディウムの露天掘りの鉱脈がたくさんあるの。ブルーラディウムは普通、地底回廊の奥深くまで掘り下げないと採れない貴重なものだからね。帝国があの牛角連中と戦うのも道理と言えば道理なのよね。あら、そうだわ、思い出した》
と、ファリーダはにんまりと笑い、一同を眺め回した。
《どう? ひとつここで取引しない?》
《取引?》
事情が飲み込めないと言いたげに龍児が怪訝に眉を寄せた。アルディドがこっそり忍び笑いをしたのを、龍児は見逃さなかった。
《なんですか、アルディドさん、さっきから。僕たちは真剣に旅をしているんですよ。もちろんあなたを巻き込んでしまったのは申し訳ないと思ってますけれど》
アルディドはこらえきれなくなったように「くくく」と笑うと、大仰に手をひらめかせてファリーダと玄人を指差し、言った。
《いやはや、全く、君たちを見ていると楽しくて楽しくて。だってそうだろ? こんなにあからさまにいちゃついてるのに、本人は不感症なのかあるいは百戦錬磨のジゴロなのか平然としているし、それを目の前にして仲間の君たちも全くそのことに疑問を持たないし、賢者並の魔力を持つ女魔道士ともあろう君がそこまで参ってしまったことも、僕にはすべて面白くて仕方なくてね》
この言及で、龍児と大牙は改めて玄人を見た。見入った。そして二人してほとんど同時に驚きの声を上げた。
《えええええええ?!》
《どういうわけだ、それは、クロト?!》
本人がのんびりと傍らのファリーダを見やっている間に、ファリーダの方が猫のように微笑みながら言った。
《男と女の間に論理論法がないことくらい、朴念仁のエルフのお前でもわかることでしょ? 私も驚いたけれど、こればっかりは私でもどうにもならなくてねえ。でもこうしていると、私の魔力がとても落ち着くのよ。だから取引をしようって言うの。私に今北の海でもめていることを少しの間だけ筬にかけて鎮めておけるって言ったら、お前たちはこの男を私に差し出すかい?》
当然のことながら、馬車の中が騒然となったのは言うまでもない。
渦中の玄人はひとり、眠そうな目をしたまま、首のうしろを撫でながら呟いた。
《困ったのう…》
と、その時、馬車の前方に取り付けられている小窓がどんどんと叩かれたので、喚き散らしていた大牙が八つ当たり気味にその窓を開けた。途端に、朱音の早口な言葉が飛び込んでくる。
《ねえ! ちょっと! こっちでもドラゴンの情報が……って、クロト、何してんの?! ちょっと、あんた、クロトから離れなさいよ! ビョーキになっちゃう!》
わあわあ、きいきい、とした言葉の応酬の中、アルディドが玄人ににやにやとしながら言った。
《これでまた旅の道連れが増えたことは間違いないね。ま、せいぜいその女性をうまく御するんだね。君ならできそうだよ》
《わしはそんなつもりはないんじゃがなあ…》
《女心は謎の迷宮みたいなものだよ。おっと、僕に助言を求めてもだめだからね。エルフは恋愛感情には薄くてね》
《困ったのう…》
玄人のため息が漏れてもなお、馬車の中は相変わらず騒がしいままだった。
そんな騒動になっているのも知らでか、レンが遠くに見え始めた街並みを指差し、言った。
《レッドブリックの港町からはシークレスト行きの定期船が出てるはずっスよ。でも、荷物も多いし、人数も多いから、いっそ、借り切った方がいいかもしれないっスね》
《ああ、それでしたら、わたくしが手配しましょう。お嬢様を混雑した船内で不自由な目にあわせるわけにはまいりませんので》
バージルがにこやかに言ったのに、レンは「ケッ」と失礼な態度を返し、
《お嬢様ってぇ歳じゃねえのに、キモイっスよ》
《わたくしにはいくつになられてもお嬢様はお嬢様なのですよ》
と執事はレンの無礼な物言いにも気分を害したところもなく、馬車をぽくぽくと前進させるのだった。
いよいよレイジュウジャーたちは海を渡り、新たな土地へと一歩を踏み出そうとしていたが、色々な面で前途多難な道であることも確かなようだった。




