『旅の道連れ』
ぽくぽくとのどかな蹄の音をたてながら、一台の幌馬車が東に向かって都市連邦街道を進んでいた。
御者は年端も行かぬ少年だが、手綱を持つ手は手慣れており、上機嫌なのか、陽気な口笛の音色が風に乗って流れている。
が、その御者が少年ではないことは、読者の皆様はおわかりだろう。彼は、いや、彼女はハーフエルフのスリ、レンである。朱音と一緒でなければ盗賊ギルドにも行かないし、入るつもりもないと強硬に駄々をこね、結果、こうして荷馬車を調達し、水の竜を求める旅の一員となっているのである。
ということはつまり、もう一人、旅の道連れが増えたことになる。ハーフエルフと言う特殊な境遇にあるレンであるし、考えよりも先に身体が先走る彼女のストッパー役として、半ばなし崩しにお守り役に収まざるをえなかったエルフの薬師アルディドである。
もちろん、レイジュウジャーたちはその役目以上に彼に期待していることがあった。
それはエルフとしての膨大な知識と経験である。
これから探そうとしているドラゴンは火竜よりも人の口にのぼらなくなって久しい竜族だった。それに、棲息している場所が場所なだけに、エルフの人間離れした思考や発見に頼る必要が生じるのではないかと言うのが、彼らの思惑だった。
アルディドは別段嫌がる素振りもなく、むしろ久しぶりの遠出に乗り気になっているらしく、幌の被った荷台でくつろぎ、常備しているらしい乾燥ナッツのような木の実を一行に振る舞い、途中の村で買った果実酒と共に飲食しながら言った。
《これは『ティトの実』といってね、旅には欠かせない滋養の高い木の実だよ。僕もあまり大所帯で旅をするたちじゃないけれど、君たちも随分軽装だね。その黒い袋の中には何が入ってるんだい?》
アルディドに魔法は使えなかったが、潜在的な魔力の高さはあるはずだった。四人は顔を見合わせ、無理を言って自分たちの都合に合わせてもらった彼にごまかしをするのも気が引けるような気分になったし、ごまかしても、すでに彼らが何者かという真実にいつかは行きつくのではないかと思われた。
そんな彼らの心持を代表するかのように、大牙が思い切りよくバックパックの中身をざらっと広げてみせた。
まずは大量の『スニッパーズ』。その合間に銀色の硬質な輝きを見せるハンディスキャナが見えている。それから本来の目的ではあまり使用しないコムパッド。彼がこれを基本的にゲーム機として使っているのを、キリルはいつも苦笑して黙認している。
《これは…乾燥させた保存食か何かなのかな?》
アルディドがあまりの量の銀色の包み紙の一つを手に取り、面白そうに尋ねた。大牙はついでだと言いたげにチョコバーの包みを破き、中身を見せながら一口食べた。
《そんなもんかな。俺にとっちゃ、エネルギー食みたいなもんさ》
《ほほう? 食べてみていいかね?》
《もち、いいぜ。最高だから、これ》
アルディドは器用に袋を割くと、さすがに放浪をしてきただけあって、躊躇うことなくその濃厚なチョコを口に含んだ。エルフの白い貌に喜色が浮かぶ。
《おお、これは、懐かしい味だ。昔、グリアナンに行った時に、貴重な菓子を振る舞われたことがあってな。その時のものとよく味が似ている。君たちの生国は南方なのかね?》
応えようがなかったのだが、ここはいつものように龍児がやりすごした。
《わかりません。なにせ、ここに放り出された時に方角も何もわからなくなってしまいましたから》
そしてそれ以上の追及を遮るように彼は続けた。
《グリアナンと言えば、火竜から聞いたのですが、グリューネの巨木というものがあるそうですね。元はドラゴンだったとか》
もぐもぐとヌガーたっぷりのチョコバーを食べるエルフは少々格好のつかない様子だったが、表情は真面目になって応えた。歯にヌガーがくっつくらしく、やや滑舌が悪い。
《そうそう、僕はあの戦いの後、グリューネがどうなったか誰も確認にいかない…こりゃずいぶん厄介な菓子だな…歯にくっついて…確認にいかないし、あちらの大陸に住んでいた一族との連絡も途絶えていたから、行ってみたんだ。うーむ、口の中がくちゃくちゃしたものでいっぱいだ……グリューネは生きてはいたが、完全にドラゴンとしての意識はなくしていたよ。しかしひょっとすると…》
とアルディドは龍児の涼しげな目元を見つめ、続けた。
《君の存在が呼び水となって、グリューネを束の間、呼び覚ますことができるかもしれないな。ドラゴン同士の共鳴力は強いからね》
最後にごくり、とチョコを飲み下したアルディドは、平然と二本目の『スニッパーズ』にかじりついている大牙を呆れたような、それでいて好ましいものを見るように眺めながら、銀色のものを指差し尋ねた。
《それらはまたずいぶん異国的なものだな。いや、むしろ、失われし文明の遺産とでも言うべきか。まさか君たちは太古の民の血筋を連綿と受け継ぐ種族などとは言わないだろうね》
龍児は決然と首を振った。
《僕たちは全くそのような種族とは関係がないと言い切れますが、その太古の民というものには興味があります》
アルディドはまだ歯にヌガーがくっついているのか、格好悪く唇を曲げたり尖らせたりしながら応えた。
《僕も同じだよ。エルフにとっても伝説の種族だからね。ただ、僕たちの文明が、彼ら太古の民の遺産の上にあることは確かだと思うんだ。僕がエルヴィアンの扉を探して歩いたのも、そのためさ。残念ながら見つけることはできていないけれど、一度、地底回廊の深部で、それらしき壁画をみつけたことがあってね。そこには僕の頭では理解できない図柄がたくさん描かれていたんだ。大きな翼を持った機械の鳥のようなものや、そう、君が持っているその画板のようなものや、通信手段らしき小さな箱を持っている人間がね。そこで何か太古の民の存在した遺物でも見つけられればよかったんだけれど、十分に探索する暇がなかった。地底回廊には得体の知れない怪物が住み着いているんだ。それが押し寄せてくる気配を感じてね。スタコラと逃げ出したわけさ》
四人は顔を見合わせた。正確には、大牙を除いてである。彼は三本目のチョコバーにかかりきりだった。
《なんだかどこかで聞いたことがある話ね》
《ナスカの地上絵とかマヤの宇宙人とかか?》
《インカにも似たようなのがあるのう》
アルディドが興味深げに彼らを眺め回した時、これまで規則正しく蹄の音がしていた馬車の動きが止まった。そして後部をひょい、と振り返ったレンが言った。
《なんか変なのがついてきてるっスよ。そこのクソエルフ、エルフのくせに聞こえてねえっスか?》
アルディドは気分を害したところもなくいつの間にか身を乗り出していたのを正すと、
《いい加減クソエルフ呼ばわりはやめて、せめて変人エルフくらいに昇格してもらえないかね》
と言い、耳を澄ませた。
《……これは……》
アルディドはどう言って説明すべきか言葉に詰まった。
これも当然だと言えた。その理由を、視点を変えて見てみよう。
この幌馬車がモーヴから暢気に旅立ってからずっと、実はあとをつけるように続いている一行がいたのである。なぜこの者たちがアルディドの魔力感知に引っかからなかったかは、前節で少しだけ言及のあった「魔力遮断装置」だとかいう怪しげな道具のおかげだった。
《で、本気でどうするつもりでござんすか。賢者に目を付けられちゃ、俺たちは帰るところがなくなっちまったも同然なんですぜ、ファリーダ様》
街を出ていくらもたたないうちに、ワリードはそのひ弱な足腰に堪え始めたのか、道端に転がっていた枝を杖代わりにしてよたよたと歩きながら、ピンヒールのブーツもものともせずに進むファリーダに尋ねた。
《また襲ってきたら、どうするんでがすか? 工房に戻れないんじゃ、この破損した核しか手持ちにありやせんぜ》
とウマルが、背負子に縄でぐるぐる巻きにした布で包まれた核を背負って短い脚をちょこちょこと動かして歩き、言った。
ファリーダは二人の部下の気弱な発言を短い失笑で一蹴すると、逆にワリードに尋ねた。
《奴らのあとは追えてるんだろうね?》
ワリードは懐からこれまた怪しげな道具の入った箱を取り出しながら、
《まだあの冒険者をやるつもりですかい? 「ワリード参号機」がああなっちまったんじゃ、ちょいと俺には打つ手が思いつかねえですよ。もちろんあとは追えてます。どこに行くんでがしょねえ?》
いつから名前がついていたのかとファリーダはいらっとした感想を持ったが、そこは言うのを抑え、彼女らしい傲岸な態度でつん、と応えた。
《そんなこと、私が知るはずがないだろ? とにかく、ついていけば、いつかチャンスが巡ってくるはずさ。投げ出しちまったらそれでおしまい。それとも、お前たちは帝国に戻って、ギルドを追い出され、最下層の生活ができるのかい?》
部下の二人はそんな自分の末路を想像したか、ぶんぶんと首を振った。彼らにも選択肢はないようだった。
そんなわけでファリーダたちは幌馬車のあとをつかず離れずの距離を保って続いてきていたのである。
しかし、ファリーダは部下たちに言っていない一つのことがあった。このことは、自分の中でもまだ完全に認めたくない事実だったのであるが、心は正直で、そのことを考えると、うろたえてしまうほどに動悸がし、首筋の辺りが火照るのを制御できなかった。
最初は、なぜあんな野暮な男を、と否定した。
だが目に浮かんだのはその広い背中が、孤高の誇りの上でぐらつく足元をしているファリーダを受け止めようとしている光景だった。
彼女はまた否定した。単にあの男はなりゆきで私を救ったに過ぎない。私は彼らを狙い続けた帝国の魔道士なのよ。口では憎んでなどいないと言ったけれど、そんなこと、あるはずがない。人間なんて、敵か味方か、損か得か、そんなものでできあがっているのだから。
しかしこれもまた否定の上書きがされた。彼女の身体中に突き上げるような衝撃が思い起こされる。魔法とは違う、それでいてそれによく似もし、それ以上の何かにも感じ取れる波動は、激しくも怒りには満ちておらず、恐怖を超越した者の奥深さと慈愛にも似た温もりさえ感じられた。
破壊もし、命も守るという両極の魔法など、彼女には考えられないことだった。魔法とは基本的に、破壊か再生かの両極に分かれ、その両方を操ることができるのは特殊な状況にある魔道士にしかできない離れ業であった。
それに、彼女は誰かに守られる、ということをされたことがなかった。彼女は気が付けばいつもひとりだった。それを別に寂しいとか不幸とか感じたことはなかったし、魔力に目覚め、それに伴う命の鬱陶しさにも嫌気がさしていたから、逆に自分の領域に踏み込んでくる者がいなくてせいせいしていたくらいである。
だが、今回はちょっと事情が違った。
やはり、妹からのあからさまな敵意は、さすがのファリーダでもショックを受けたようだ。もちろん、そのことは誰にも気づかれない自信はあったのだが、今思うと、あの男は勘づいていたのではないかと勘繰ってしまう。そしてそんなショックを受けた心を両手に差し出し、ぬくめてもらいたいと一瞬でも考えた自分がいなかったかとも。
《…ーダ様、ファリーダ様!》
ワリードのしゃがれた声が自分の名前を嫌になる程連呼していたことにようやく気付いたファリーダは、二人の部下が彼女の手を引き止めるようにしてとっていることに気付いた。ファリーダは眉間に皺を寄せてそれを振り払い、
《ちょっと! 気色悪いことするんじゃないよ!》
《違いますって! 前の馬車からこっちに人が来るんでござんすよ! どうするんでやすか? 今の俺らにはろくな反撃方法もねえでござんすからね!》
《なんだって?》
ファリーダは視線を前方に向けて目を凝らした。遠目からでもはっきりとわかる人影である。部下たちはファリーダの様子が明らかに変わったことに気付き、怪訝に彼女に言った。
《どうしたんでやんすか? 逃げねえでいいんですかい?》
ウマルが硬直してしまったようなファリーダを心配そうに見上げている。
ファリーダは自分を励ますようにぎゅっと目をつぶってから、言った。
《私たちは帝国の魔道士ギルド、ゴーレムセクションの精鋭部隊ファリーダチームだよ。逃げも隠れもしない。あっちがどう出るか、見てみようじゃないか》
そして話を元に戻そう。
アルディドは奇妙な顔つきで言った。
《帝国の魔道士にしては少々変わった感じのする三人組がつけてきていたようだよ。これは一体どういう意味なのかな。仲間にしてほしいとか? 七賢者から破門を言い渡されていたようだからね。行き場をなくしてしまったんだろう》
《なんかのレトロロープレみたいなことすんじゃねえや。あれだけ俺たちに手間かけさせたくせによ》
大牙が面白くなさそうに言うと、朱音がやや同情気味に言った。
《でもさ、妹に殺されかけたのよ。ちょっとかわいそうだわ》
《お前はそうやって情けをかけるから、あんなへんな奴がくっついてくることになったんじゃねえか》
大牙は御者席から荷台の方を振り返っていたレンを顎で指した。レンはムカッとした顔つきになり、皮袋から取り出して食べていたナッツを次々と大牙に投げつけた。
《師匠のことを悪くいう奴は成敗するっスよ?! お前なんかくたばれっス! この、チビ野郎!》
《お前にチビ言われたくねえな!》
《ちょっと、馬車の中で暴れないでよ? もう! そこらじゅう、豆だらけじゃない!》
朱音が親鳥のごとく二人の小競り合いの仲裁に入ったのを横目に、龍児がいつもの冷静さで眼鏡の位置を直し、言った。
《ここは正攻法で、彼らに真意をただすというはどうだろうか。いつまでもあとをついてこられるのも、いざと言う時に僕たちの集中を欠くことにつながるかもしれない》
《そうじゃなあ…あとをつけられとるのはなんとなく気分が悪いしのう》
とのっそり立ち上がった玄人に続き、意外にもアルディドが荷台から降りながら言った。
《オブザーバー役として僕も同行しよう。というのは建前で、あの魔道士たちに興味がわいてね》
龍児は内心で「単に見たがり聞きたがりの首突っ込みたがり屋だな」と思いながら、アルディドのあとから街道に降りた。
《おや、あちらも気づいたみたいだよ。どう出るかな?》
エルフの聴覚がいいことはファンタジー世界では常識だったが、目視できない相手の微かな気配を感じ取れることの能力を目の当たりにし、龍児は先ほどの失礼な感想をそっとひっこめ、改めてエルフというものの特殊な種族に対しての好奇心でいっぱいになるのだった。
すたすたと道を戻ると、ぽつん、と人影が見えた。
《どうやら、腹をくくったようだね。あとは君たちの話術次第かな》
完全にアルディドはこの状況を楽しんでいるようである。こういうところが彼をしてエルフの里を飛び出させた所以にもなっているのだが、玄人と龍児はまだそこまでこの美しい顔をしたエルフのことを知らない。
双方ともに互いの姿を捉えることのできる距離になったところで、龍児が何か言いかけたのを、アルディドがそっと、だが断固とした物腰で腕を引っ張ったので、彼はエルフの意図を図りかねるように振り仰いだ。すると、その薄い唇が声を発せずに言葉を紡いだ。
《…話すのは彼に任せた方がいい》
なぜ、と問い返す間もなく、背後でのやりとりなど頓着していない玄人が、待ち構えていたような三人組に話しかけていた。
《これはどういうことなんじゃ? まだわしらのことをつけ狙っとるんか?》
龍児は、それまで感じていた何かが氷解するような感じを受け、奇妙な顔つきになった。アルディドがにんまりとしている。
ファリーダは言い返す第一声に詰まり、彼女らしくもなく咳払いをして言い直した。部下たちも怪訝に彼女を見やっている。
《私たちがどこに向かうのか、お前たちにいちいち断りを入れなけりゃならないのかい?》
《いや、そういうわけやないが、ずっとついてこられては気になって仕方ない》
《それはそのままこちらがお返ししたいね。私たちの目の前にずっとお前たちがいるなんて、鬱陶しくてたまらないんだから》
《鬱陶しい言われてもなあ…わしらの旅は東に向かうことなんじゃ。道は一本しかないけえ、あんさんらが途中で休んだりしてくれなければ……むむ?! リュウ!》
《わかっている! アルディドさん、姿勢を低くしていてください、敵襲です!》
《ふむふむ、8人かな。敵は君たちではなく、あの三人組を狙いに来たようだね。煙幕くらいは張ってあげられるよ、ほらね、ぼぉん!》
緊迫感のない口調でアルディドは、万能袋から取り出した素焼きのボールを地面に叩き付けた。みるみる白煙が辺りに広がる。
しかし相手も優秀な暗殺者らしく、煙幕をすり抜けてファリーダたちに肉薄しようとしていた。龍児は、戦闘能力の低いアルディドの傍から離れられなかったので、靄の中に見える玄人の広い背中に向かって叫んだ。
《いくら敵でも相手はただの人間だ。殺すなよ、クロト》
《そんなこと、わかっとるわい》
《手ぬるいこと言ってる場合? こいつらは帝国の子飼いの暗殺者集団『紅髑髏団』よ。手加減する必要なんかないわ》
ファリーダがその優美な両手に魔力を溜め始めると、地面がぐ、ぐ、ぐとせり上がり始めた。
《やめとき》
ぴた、と玄人の大きな手がファリーダの白い手に置かれ、ぎゅと握られた。ハッとしたようにファリーダの黒々とした眼差しが眠ったような顔をしている玄人を見やる。ふっと魔力の放射が止まった。玄人の細い眼がわずかに微笑むようにまなじりが下がり、言った。
《あんさんは魔道士なんじゃろ。だったら、わしらよりも色々と敏感なはずじゃ。わしらでさえ、命が消える時の絶対的な無のようなものを感じるんじゃからの。だから無駄な殺し合いはせんことじゃ》
ファリーダはいまだ握られたままの両手を呆然としたような様子で見つめながら、憮然と言った。
《こいつらは私たちを狙いに来たのよ。お前たちには関係のないことでしょ》
玄人は一瞬の動きで三人の暗殺者の手足を折り、後方で龍児とアルディドが残りの襲撃者の動きを封じているのを確認すると、改めて言った。
《あんさんらは帝国に追われる身になってしまった。それはわしらと関わったからじゃ。だから少しはわしらに責任があるとも言える。わしらもまだ帝国には追われる身じゃ。どうじゃ、いっそのこと互いの道が分かれるまで一緒に行くと言うのは? その方が誰かを巻き添えにすることが少なくなると思うんじゃがな》
最後の一人の腕をねじりあげ、首筋に手刀を叩き入れて気絶させた龍児が「えっ?!」とばかりに顔を上げた。
これはファリーダも似たような反応をしたが、龍児と根本的に違ったのは、その根底に流れる感情のせせらぎが一気に怒涛の勢いに変わったことだ。
《は? 何言ってるか、わかってんのかい、お前》
とやり返したファリーダだったが、思わぬところから横やりが入った。
《おおっ、そいつは大助かりでやんすなあ! いやはや、モーヴからここまでこいつをかついできやしたが、もうさすがに肩も腰も痛くてかなわんでがすよ》
ここぞとばかりに背負子を地面に置き、薄汚れた布で汗だくの顔や首を拭っていたウマルが無精髭だらけになっている顔を底意なく期待に輝かせて言ったものだ。続けてワリードも帝国の魔道士ギルド構成員とは言い難いプライドのなさで言った。
《俺ももう足にまめはできるわ、靴擦れはできるわ、日差しは焼けるようだし、もう、へとへとでござんすよ》
玄人は細い眼をにっこりとさせると、ファリーダの手をぽん、と叩いて言った。
《あんさんらがどこまで行くか知らんが、旅は道連れ世は情け、袖擦り合うも他生の縁つうやろ。ほれ、ぼーっとしとらんで。それとも、嫌なら、別にわしらはかまわんのじゃがな》
ハッとしたようにファリーダは忘我から覚めた。目の前に玄人がいる。間の抜けた平凡な顔。この男が彼女の心に初めて大きな衝撃を与え、風穴のようなものをあけた。その者自身から一緒に来ないかと言われている。
彼女のプライドが抵抗するが、彼の手の温もりはまだ彼女の手に残っていた。
ファリーダは昂然と半眼になって応えた。
《部下たちが野垂れ死にするのは見たくないし、そうね、どうせ帝国に追われる者同士、一塊になっている方が手間が省けていいかもしれないわ》
すると、龍児から内線が入った。
『おい、クロト、本気か? 敵だったんだぞ?』
しかし玄人はファリーダたちを馬車の方に連れて歩きながら応えた。
『心配せんでええよ。逆に、わしらの助けになるかもしれんて』
龍児とアルディドの前を平然と通り過ぎていく玄人を見送るようにしていた龍児に、アルディドが意味深に言った。
《魔道士も人間。そこを信じているのだよ、彼は。でも本当に気付いているのかどうか…ふふふ、面白くなりそうだよ》
《どういう意味ですか》
アルディドの悪戯心たっぷりな物言いに、龍児がやや剣呑に尋ねたが、元来秘密主義で無口なエルフの性質を前面に出したアルディドは、思わせぶりににやにやとするだけで、馬車の方に戻ってしまった。
龍児は肩でため息をついて馬車に戻ったが、想像通り、大混乱が起きていることに、またもため息をつかざるをえなかった。
30分ほど容赦ない言葉のやり取りを経て後、レンがひとしきり文句を呟きながら、馬車を走らせ始めると、ウマルは重い核を降ろしてほっと一息つき、ワリードは痛む両足を投げ出してうたた寝を始めた。
ひとり、そっぽを向いていたファリーダのもとに、アルディドが近寄り、果実酒の入った小さなカップを差し出しながら話しかけた。
《せっかく道連れになったのだし、ここはひとつ、謎だらけの帝国の話でもしてほしいな。どうせ君たちはギルドを破門になった身だ。多少話してくれても、問題ないだろう? まっ、この馬車に便乗させる代金だとおもってくれたまえ》
ファリーダは、じろりとエルフを睨みつけた。いくら落ちぶれたとはいえ、帝国の魔道士を前に全く臆さないどころか、図々しい願いを提案してきたこの金髪のエルフが気に入らなかったが、彼女の斜め前にくつろいで座る玄人の背中が目に入ると、少しだけ心のバランスがぐらついた。嫌々な素振りでカップを受け取り、薄甘い飲み物を口にすると、意外に自然と言葉が滑り出した。
《そう言えば、帝国にもひとりだけエルフの魔道士がいたことを思い出したよ。どういう経緯でエルフがギルドに入れたのかはわからないけれどね。でもそいつの噂を聞かなくなって久しいから、エルフであることがばれて地底回廊の無間地獄に落されたか、うまく脱走して逃げ回っているか…いずれにしても、何かやらかしたんだろうねえ。なにせ、1000年越しの因縁だ。私は大昔の戦いなんぞ、気にしちゃいないけれど、しつこいやつはどこにでもいるからね》
ファリーダの話に、いつのまにか御者台のレンまでもが聞き耳を立てている。ひょっとするとその魔道士エルフが自分の父親ではないかと微かななにかを抱いているのかもしれない。
一行は、ぽつりぽつりとファリーダが話し始めた魔道帝国と言う、厚い魔法のヴェールの向こうに隠されている謎多き国の話に、話し手が元は敵方だったということを忘れてのめり込むように聞き入ってしまうのだった。
*****
賢者たちはフードを目深にかぶり、天窓が一つだけ天井にあいている、薄暗いドーム状の小部屋に集まっていた。
誰も口をきかない。俯き気味に、何かの登場を待っているかのようだ。
と、一同が身じろぎした。
眼前の空間に炎の円陣が描かれ、その中をくぐるように一際立派な装飾のされたローブをまとった男が姿を現したのである。
一同が無言で頭を垂れる。
それを顔の上半分をフードで隠した賢者が無言の威圧感をもってこたえ、魔道士らしくないがっしりとした肩の辺りからありもしない埃をはらうようにしてから、口を開いた。
《両方ともに逃げられたようだな》
朗々としていたが、どこか陰にこもったしわがれ声である。フードの頭がキアの方に向き、続けた。銀色の短い髭を生やした四角い顎が僅かに歪んでいるように見える。
《うぬは自分から志願したはずだ。それがこの始末か》
そのフードに隠れた視線だけで、キアはぴくりと身じろぎし、さらに深々と頭を垂れて言った。
《計画は万全でした。しかし、筆頭魔道士様の許可も得ずに先走った者たちがいたために…》
《あら、ご自分の失敗を私たちになすりつける気?》
ミーガンが七賢者の筆頭を前にしているにもかかわらず、傲岸に言い返した。
《私たちが本気を出せばあんな冒険者など…》
《根拠のない憶測は身を亡ぼす。控えよ》
筆頭魔道士がぴしゃりとミーガンの言葉を遮った。平手打ちでもくらったかのように彼女はぎくりとし、小さな身体を強張らせるように頭を垂れた。
《も、申し訳ありません、ウラヌス様。出過ぎたことを言いました》
灰色にも見える血色の悪い顔半分は彫像のように硬いまま、六人の賢者たちを見回し、言った。
《ウェヌスとマーズの行動については察していたが、これまで直接的に我らが接触したことのない相手だけに、情報を得るために見逃したのだ。しかし、サトゥルヌス、うぬは過信していなかったか? あるいはうぬの血縁ということで、心が鈍ったのではあるまいな》
《いいえ、決してそうのような…!》
キアが必死に否定するも、筆頭魔道士トルステン・ウラヌスは尖った鼻先から不満の息をつき、
《先ほど、間者の山鴉が伝えてきたが、間者の襲撃は見事に撃退されたそうだ。そしてどういうわけか、帝国の恥さらし共と謎の冒険者たちは行動を共にし始めたらしい。あの時うぬの姉を仕留めていれば、二度手間のようなことはしないですんだものを》
《ウラヌス様、奴らの討伐、もう一度私に…!》
《それはならんな》
ウラヌスは冷たい一言で一蹴し、
《うぬの力が必要になったら、こちらから呼ぶ。それまでおとなしく控えていることだな》
フードの陰からローランドの嘲りの白い貌がちらり、と彼女を見た。キアはきりっと歯噛みをすると、悔しさで身体が燃え上がりそうになりながらうなだれた。
《…かしこまりました、筆頭魔道士様》
フードで顔の上半分を完全に覆っている筆頭魔道士は、キアの内心など慮ることなく賢者たちを見回し、
《帝国の恥さらし共を自由にしておいては、帝国の内情が漏れる危険性がある。早急に始末をつける必要がある。同時に謎多き冒険者を捕縛し、その謎の解明をすることも、今後の帝国の未来を大きく変えることにつながるかもしれん。うぬらには働いてもらうぞ。そのつもりで準備しておけ》
《御意にございます》
六人が声をそろえてお辞儀をしながら返答すると、ウラヌスは両手で空中に弧を描いた。すると、その軌跡に炎が燃え上がり、丸い円が出現した。
《失敗は許さん。その報いはうぬらで支払ってもらう。そのくらいの覚悟でかかるように》
《すべてはウラヌス様の仰せのままに》
深々と頭を垂れる賢者たちを睥睨するかのような視線をフードの中から投げた筆頭魔道士は、空中に開いた空間移動の亀裂に身を躍らせると、あっという間に魔道士ギルドの最高峰にある、出入り口のない自室に戻っていた。
周囲の壁はすべて古文書や書きつけ、巻物で埋め尽くされていた。床には摩耗した石板が積み重なっていた。唯一、小さな窓が穿たれていたが、そこにも壊れかけたおもちゃのような、使い方のわからない道具のようなものがごちゃごちゃと置かれていた。
ウラヌスは終始脱がなかったフードをそっと頭の後ろにやると、デスクの上の丁寧な筆致で描かれた地図らしきものを眺めた。
筆頭魔道士というには若い。せいぜい50代である。灰色の髪の両側を三つ編みで編み込み、後ろで束ねている。顔立ちは精悍だが、真っ直ぐな灰色の眉は薄く、瞳も同様に生気を感じさせない薄い灰色をしているので、年相応の剛健さは感じられない。
これに加え、その顔の左半分を、のたくりまわった蛇の意匠をほどこした大きな眼帯が覆っていたので、筆頭魔道士の異様さを際立たせていた。
その開いている右目がどこか執拗に地図の上を這い、意外に骨太な指先がなぞるように動いた。
《……まさかに、私の予想が当たっていたとすれば、私はついに『光の都市』への鍵を見つけられるかもしれんのだ! そうなれば、私は…! ……クックックックッ……ハーッハッハッハッ》
はたして『光の都市』とは?
ウラヌスの常軌を逸した哄笑はいつまでも続いた。




