『ラストリゾート?』
アルディドが常備している数種類の薬の中の一つで、レンはしばらくすると意識を取り戻した。が、彼女は礼も言わず、くるりと皆に背を向けてシーツにくるまってしまった。
朱音はため息をついて困ったように腰に手を置いたが、その表情にはレンが無事だったことに安心した色味が浮かんでいた。
《あんたの気持ちはよぉくわかったわ。でも、無謀なことはしないでちょうだい。相手は帝国の魔道士だったのよ。あれですんで良かったと思わないと》
か細い背中が反抗的に応えた。
《それは、師匠としての言葉っスか? それともただのお節介焼きの余計なお世話っスか?》
《そのことなんだけどね、レン。あたしは…》
と言いかけた朱音の肩に、アルディドの手がそっと置かれた。そして彼が彼女の言葉を継いだ。
《君は彼女を師匠と仰いで、何をしたいんだい? ひょっとして君は、父親の消息を知りたくて、優れた冒険者を探していたんじゃないのか》
「父親」という単語はレンにとって心のバランスを崩させるものだった。すねるように背を向けて寝転がっていたレンは、がば、と跳ね起き、エルフらしい無表情で自分を見下ろす金髪の青年エルフを睨みつけた。
《お前なんかと話してないっス。ひっこめ、このクソカスエルフ》
しかしアルディドにいくら汚い言葉を使っても、無駄だった。彼もレン以上に変わり者だったからだ。
アルディドは視線を合わせるようにレンの隣に図々しく座り込むと、さっと距離をとったハーフエルフに淡々と言った。
《君がエルフを毛嫌いするのはわかるよ。僕自身も時々自分の変えられないエルフの性根にうんざりするくらいだからね。でも、その血が呼び合うのを止めることはできない。君は確かめたいんだ。父親が何故消えたか。そして、少しの希望を持っているんだ。自分を置いていかざるを得なかったのにはちゃんとしたわけがあったんだとね。そこに、彼らが現れた。君は確かにアカネにほれ込んだかもしれない。でもその前提には自分の希望を灯してくれるかもしれないという望みがちらついていたんだ。違うかな?》
ぐっと唇を噛み締めて意地を張っていたレンだったが、沈黙が長くなるにつれ、空気が抜けるように背中が丸まり、膝をかたくにぎりしめていた両手から力が抜けた。
これを見て朱音が優しく声をかけた。
《そういうことなら、なんで最初から言ってくれなかったの。師匠とか弟子とか言うから、困っちゃったのよ》
《だって、こんなこと…!》
レンが少し目尻の上がったくりくりとした灰色の目を朱音に向け、語気を強めて言いかけたが、言葉がつかえ、その代わりにぽろっと涙が零れ落ちた。そのことに本人が一番動揺したらしく、ひとしきり「くそ」だの「ちっ」だのと悪態をついて顔をぐしゃぐしゃと手でこすった。そして垂れていた鼻水をかもうとして、適当な布が見つからなかったので、アルディドの頭に巻かれていたスカーフを勝手に取り、盛大に鼻をかんだ。それをくしゃくしゃと丸めてアルディドに投げて返すと、意外に殊勝な顔つきで朱音に向き直った。
《そこのクソエルフの言うことは嘘じゃないっス。つか、エルフは嘘つけないっス。ボクも半分そうだからわかるっス。でも、師匠に出会って、そのことより、師匠についていきたくなったのは本当っス。ボク、今まで生きてきて、アカネ師匠みたいにまっすぐで、正義漢の塊みたいなものを持ってる人間なんて初めてだったっス。心が震えたっス。ボクなんかまだまだミソッカスみたいな存在だって気づかされたっス。だから弟子にして欲しいっス。感じたいっス、もっと、アカネ師匠の熱い心を。だめっスか? ボクは邪魔っスか? ボクは…アカネ師匠と一緒にいたいっス!》
またもレンの顔は涙と鼻水でぐっしょりとなっていた。
すると意外にも、龍児が自分のハンカチをレンに手渡しながら、抑揚のない低い声で言った。
《僕たちにもそういう経験があるからわかるはずだ。孤独の井戸底に差し込む明かりを見上げ続けることの寂しさを》
朱音にも彼の言いたいことはわかった。そして、そこに降ろされた縄梯子を喜び勇んでかけ上ることの嬉しさも。
彼女は苦笑しつつ、ため息をつくと、レンの前に屈んで言った。
《仕方ないわねえ。あんたがいたいだけついてくるといいわ。でも、お目付け役にアルディドさんにも来てもらうことになるけれど》
《おやおや、僕も巻き添えかい?》
面白がるようにアルディドが鼻水で汚れたスカーフの扱いに困りながら言った。当然のごとく、レンが反発した。
《なんでこのクソエルフも?!》
朱音は肩をすくめ、
《あたしたちには帝国の追手がついてるし、あんたのことにかまけてられないことがあるからよ。それに、エルフのことなんかあたしにはわからないし。このあと、あたしたち、水の竜を探しにいくつもりだから、アルディドさんの知識も役に立ってもらえそうだしね》
《えっ? ドラゴン?!》
レンが心底驚いたように素っ頓狂に言った。アルディドも水色の瞳を見開いて感心している。
《火の竜の次は水か。しかし、山は登れるが、水の中は難しいな》
《そこなのよねえ…》
と朱音がレンの前でしゃがみこんで考え込むように言った時、部屋の扉が慌ただしくノックされ、マルセラが姿を現した。
《何か大変なことが起きたらしいわ。下にマウリツィオが来ているの》
レイジュウジャーたちは顔を見合わせ、朱音が何かレンに言いかけると、それを遮る速さでハーフエルフのスリはターッとマルセラの脇を駆け抜け、姿を消してしまった。
《ああっ、もう! レンたら!》
ゆっくりとアルディドが立ち上がり、穏やかに言った。
《大丈夫。彼女の足跡はこの街の中くらいなら追えるよ。こういう時、同族の血の繋がりは便利だね》
四人とエルフが階下に降りると、モーヴの衛士隊長マウリツィオ・ボリエッロがやや冷静さを欠いた様子で待っていた。
彼らを見ると、挨拶もそこそこに言った。
《すまないがまた君たちの手を借りねばならん。先ほどの魔道士以外にも潜んでいたらしい。早く君たちを連れてこないと、街を破壊すると言っているのだ》
《なんだか、王国での事件を解決したことで、随分帝国で君たちの名が売れてしまったようだね》
アルディドがすっとぼけた口調で言ったので、マウリツィオの顔色が悪くなった。
《帝国?! これはいかん。そうとなればますます君たちに頼るしかない。我ら衛士隊は魔法にはとんと疎いものばかりだ》
自分たちのせいでモーヴに被害を出すのは避けたいと、当然ながら彼らはマウリツィオに続いて宿を出た。
一方、レンは再び教会のある広場がのぞめる屋根の上から、奇妙な組み合わせの三人組を見下ろしていた。彼らを遠巻きにして人だかりができている。と言うのも、その三人組のリーダーらしき紫色の髪を優雅に背中に垂らした女性が高慢な声音で言いつのっていたからだ。
《こっちの堪忍袋が切れないうちに、あの冒険者たちをここに連れてこないと、こんなしけた街、何分もかからずに粉々にしてやるよ》
そして足元に置かれた一抱えもありそうな赤黒い石に針のようにとがったヒール底のブーツのつま先をかけ、続けた。
《いいかい、私は気が短いんだ。ここに例の連中が来ていることは先刻承知なんだよ。別に私は無駄に破壊も殺戮もしたいわけじゃない。用事があるのはその連中だけなんだ。さっさと呼んでこないかい、こののろま共》
レンのエルフの血が、あの赤黒い石から放射されるものに共鳴するようにわんわんとさざめく。先ほどの賢者との戦いを彼女は気絶していて目撃していなかったので、帝国の魔道士の威圧的なオーラに初めてあてられ、気が遠くなりかけた。
それを、背後から支えた手があった。
《あたしたちと一緒にいたいんなら、単独行動はやめて、レン。さ、あんたはアルディドさんと安全な場所にいるのよ》
いつの間にか朱音がレンを横抱きにするようにしてそこにいた。レンは大きな瞳を見開き、真剣に言った。
《ほんとに、一緒にいていいっスか?》
《いいわよ。でも危ない真似はだめよ。そんなこと二度としたら、アルディドさんに強制的に連れて行ってもらうから》
《……わかったっス。おとなしくしてるっス…でも!》
《でも、何よ》
《ボクは、やっぱりアカネ師匠の一番弟子っス!》
《うーん…それはちょっと考えとくわ》
と困りながら言った朱音は、レンをアルディドが見上げている通りの方へといざない、トン、と背中を押した。
《さ、彼といて。あたしたちにはあの三人をこの街から追い出す必要があるから》
レンは屋根から飛び降りる間際に朱音を振り返り、両拳を握り締めて言った。
《絶対勝ってくださいっスよ?》
《もちろんよ。負けるはずがないわ。あたしたちは正義のヒーローなのよ》
《わお、それでこそボクの師匠だ!》
レンはぴょんと飛び跳ねてから、屋根から飛び降りた。
朱音は彼女がアルディドの保護下に置かれたのを確認すると、広場の方に視線を向け、仲間たちに内線で言った。
『四度目はないってことを思い知らせてやろうじゃないの』
そして彼女はその赤く長い髪を翼のようになびかせ、屋根の上から舞い降りていた。
*****
「闇在る所、光在り」
「悪在る所、正義在り」
「聖なる力で邪を祓う」
「我ら四方を守りし聖なる獣」
ファリーダは、自分たちを取り囲むように身構えて立った冒険者たちを改めてまじまじと注視した。
彼らは全くどこにでもいそうな若者たちだった。その者たちがぴたりと合った息で、手首の何かに薄い板を差し込んで言った。
「東の守護獣、青龍!」
驚いたことに、魔力も何もないところから不思議な波動が発せられ、長い黒髪を背中に垂らし、眼鏡をかけた青年の姿は、青い軽装の鎧姿に変わった。その頭部を覆う兜には、この大地から失われて久しいドラゴンの勇猛な意匠が施されており、その手には優雅に湾曲した青銀色の剣が引っ提げられていた。
「南の守護獣、朱雀!」
赤い髪を翻して身体をターンさせながら、気の強そうな顔をした紅一点の姿が赤い陽炎の中に消えたかと思うと、両手に燃える扇を持ち、両腕を翼のように大きくしならせながら赤い鎧に身を包んで再登場した。
「西の守護獣、白虎!」
と叫んだ、どこにでもいそうなやんちゃ小僧の姿は白い軽装の鎧姿に変わった。その両手には猛獣の顔がかたどられた一見玩具にしか見えない籠手が装着されていた。
「北の守護獣、玄武!」
もくもくと闇霧のようなオーラに包まれた平凡な顔をした若者は、漆黒の鎧に巨大な盾を持ち、それをどすん、と地面に置いた。
「霊獣降臨! 四神戦隊レイジュウジャー、ここに在り!」
ファリーダは間近で見る、この非常に変わった武装に呆気に取られていた。それと、できればわかる言葉で名乗りらしきものを言ってほしかったと、全く緊張感なく考えていた。
彼女は足を核にかけたままの姿勢で、嘲笑をこめて言った。
《なんだか御大層な登場の仕方をしてもらったけれど、これが噂高い冒険者の真の姿とはね。まるで子供だましじゃないか》
《子供だましかどうか、やってみればわかるわ》
シャラン、と炎舞扇を開いた朱雀が戦闘の体勢に入りながら言い返した。
ファリーダは身体をのけぞらせて高笑いすると、
《ホーッホッホッ、威勢がいい女は嫌いじゃないよ。だけど、それがどこまで続くか見ものだね!》
と、彼女はあらかじめ自分の魔力を溜めていたらしい魔晶石を地面に叩き付けた。
ぱりん、とガラスの割れるような音がし、常人には感じ取れない何かがそこからあふれ出した。
ご、ご、ご、と地面が振動する。四方に散っていたレイジュウジャーたちはよろめきつつも、何が起こるのか予想がつかず、次の一手に出られずにいた。
《出でよ、我が下僕よ! そしてあの者どもを虜にせよ!》
今まで戦った魔法巨人とは異なった質感のものが、地面の中から湧き出し、それが核の周りに集結して形をなしていく。
白虎がまるで面白いアニメか何かを見るかのような様子で「ぴゅっ」と口笛を吹いた。
「なんか、今回はちょっとましなのが出てきそうじゃね?」
「ましとかじゃなくて、かなり手ごわそうだよ」
青龍が真面目な口調で言った。彼らの目の前には巨大な蜘蛛のような姿をした何かが出来上がろうとしていた。
「さすがに連敗して本気出してきたってところかのう?」
といつでものんびりとしている玄武が言った時、それが最後の一つのパーツを組み立て終わり、その全容を彼らに見せた。
それは金属的でもあり、そうでもないような、滑らかな外見をしていた。継ぎ目はほとんど目立たず、優美とも言える曲線を描いて、彼らを睥睨していた。
「これ、蜘蛛女?」
白虎がこう言うのも当然だ。それは女郎蜘蛛のような下半身と八本の足を持ち、頭の部分からは肉感的な身体をした人間の女性の上半身が生え、蠱惑的な仕草で太く長い両手棍を握り締めていた。造形の細かいことに、のっぺらぼうではなく、ローマの彫刻のように美しい目鼻がついており、その形の良い唇は無機質とは思えない残酷に悦楽する微笑みを浮かべている。
「ちょっと本気出したのはわかったけど、作り物は作り物よ。壊せばいいだけだわ」
タンッと地面を蹴った朱雀は、予想以上に素早い動きで蜘蛛女の持っていた両手棍が振り回され、とんぼ返りせざるを得なかった。
「なんか、前のとテンポが違うわ」
《ホーッホッホッ、どうした、小娘、先ほどの威勢のよさはどこにいった?》
という声で、青龍がハッとしたように言った。
「そうか、前は遠隔操作だったからそれだけ力が弱かったのかもしれない。でも今回は至近距離であれを操作している。それだけ魔力の強さも細かな動きも可能だと言うことになる」
「じゃ、奴らをやっちまえばいいんじゃね?」
「そうもいかんじゃろ、タイガ。連中も馬鹿じゃないけえ、ほれ、あの蜘蛛女の背後の安全地帯に引っこんどるわい。まずはこいつをどうにかせんと」
と玄武が言った傍から、蜘蛛女の持つ棍がぶぅんと音をたてて彼の頭上に振り下ろされた。
がきん、と甲鉄盾とそれがぶつかる音がし、玄武の立ち位置がやや後方にずれた。
「おふ、こいつはちぃっと手ごわいようじゃのう」
だが玄武はすぐに体勢を立て直し、両手棍が元の位置に戻る隙に、すかさず大盾を地面に叩き付けた。波状的な衝撃波が石畳をめくりあげながら敵に向かっていく。
しかし、敵は複数の脚を持っているせいか、思った以上の成果は得られなかった。
《噂の冒険者がその程度かい? じゃ、こっちからいくよ!》
ファリーダは新たな魔力を注ぎ込むように両手をかかげた。
《我が下僕よ、奴らの四肢の自由を奪い、我がもとにひれ伏させよ!》
ぐうん、と蜘蛛女の前脚が持ち上がり、下腹があらわになった。そこには小さな射出孔のようなものが無数にあり、そこから、何か小さなものが飛び出してきたのである。
「わっ、なにあれ?!」
朱雀がまず先に嫌悪の声を上げ、思わず飛びのいていたが、それは五月蠅い小バエのように彼女の周りに飛び回り、そしてぴたっと身体に張り付いた。
「これ、子蜘蛛?! やっ、これっ、くっついて離れない?!」
蜘蛛にもダニにも見える小さなものが、四人を襲っていた。それの動き自体は単純だった。しかし、数が多すぎた。それに、どういうわけか、どんなに素早く回避しても、振り切ることができないのである。破壊することはたやすかったが、そうすると、即座に小爆発を起こし、彼らに少なからずダメージを与えた。
すると、ファンロンから通信が入った。
『パワースーツに異常値を感知したので連絡をした。その小さなマシンには爆薬の他に神経毒のようなものが仕込まれているようだ。君たちの装備を貫通することはないだろうが、それにはまだ別の機能が盛り込まれている。驚いたことに、君たちのDNA配列が記憶されているらしい』
『DNAですか?!』
青龍が刀を振り回し、きりなく飛んでくる子蜘蛛を叩き落としながら言った。キリルは応えた。
『そうだ。だから君たちがいくら逃げ回ってもそれはどこまで追尾してくる。おそらくそれは機械のように見えるが、魔法の産物なのだろう? 弾を撃ち尽くすまで、というわけにはいかないな。本体にダメージを与えるか何かしないと、いずれ君たちの体力が無駄に削られることになる』
何かアイディアが閃いたかのように、青龍の刀を握る手に決意がみなぎる。
が、それをとどめるように玄武が盾を構え、言った。
『リュウ、それはわしの役目じゃ。ボス、わしらのDNAデータのダミーをわしに集中させることはできんかいな』
『可能だが、そのようなことをすれば、この小さな妨害マシンは君の動きを止めることになりかねんぞ』
『それが狙いなんじゃ、ボス。わしに集中すれば、他の三人が自由に動けるようになる。あの腹を壊せば、突破口が見えると思うんじゃ』
『了解した。念のため、爆発に対するシールドと神経毒に対する対処も準備しておこう。なにせ、数が多すぎる』
『頼んます、ボス』
『では、ダミーデータ、ロード開始』
そのとたん、四人にまといついていた浮塵子のような黒い無数の物が戸惑いを見せるかのように胡乱な挙動をした。そして、新しい目標物を見つけ、一斉に玄武に向かって飛んでいった。みるみる彼の身体に虫がたかり、奇妙なオブジェのようになった。
これを見たファリーダたちは驚いた。彼女は吃とワリードを見下ろし、言った。
《どういうことだい、これは?! 標的が一人になっちまったよ?! これじゃ、残りの三人ががら空きになるじゃないか!》
ワリードにも訳が分からないらしい。手元に持っているがらくたで出来上がっているような制御盤らしきものを覗き込み、首をひねった。
《まず第一にあれだけたかられたら、一発で意識を失うくらいの毒を仕込んであったのに、あの薄い鎧はどんだけ耐性があるんだかしれませんぜ。それと、今の状況は俺にも理由がわかりません。ひょっとすると、奴らには他に仲間がいるのかもしれねえですぜ。それも、俺たちが仕込んだ『命の螺旋』のことにも気付ける、相当の奴がです》
《クッ、やらせるか!》
ファリーダは一時子蜘蛛を排出するのをやめると、魔力のボルテージを上げ、両手棍をぶん回した。
青龍が叫んだ。
「アカネ、タイガ、お前たちは腹の下に潜り込め! 僕がこれを相手する!」
「ラジャ!」
素早い二人がダッと駆け出したのを見、青龍は刀をくるっとひらめかせて構えると、木の幹ほどもある両手棍の攻撃と対峙した。
《その細腰で敵うと思ってるのかい、坊や!》
ぐん、と両手棍の先が青龍の顔面に突き出される。それを身体を反らして回避した彼は、しなやかな動きで体勢を戻しながら、下方から刃を薙ぎ払うように斬りつけ、連続して左右に薙ぎ払った。青龍の踏み込みが僅かに勝る。
《その坊やにねじ伏せられるのはどんな気分かな》
《生意気な!》
ずん、と棍棒の尻を地面に叩き付けたファリーダは、珍しくその白い額に青筋を浮かべて怒鳴り返していた。その拍子に地面が揺れ、青龍が身体の安定をわずかに崩した。そこを見逃さず、棍棒が低い位置で薙ぎ払われる。
青龍はバランスを欠きながらも片脚で地面を蹴って横っ飛びに転身し、その強烈なひと振りから逃れた。そしてもちろん彼は逃れただけにすまさず、相手の攻撃後のわずかな隙をつき、青龍刀の柄を握り直すと、渾身の力をこめて一投していた。それは人間で言えば、ちょうど左胸に突き立った。ぴしり、とひびが入る。
《うっ、小癪な!》
しかし、ファリーダの次の攻撃は、朱雀と白虎の腹部への強烈な打撃攻撃で怯まされた。
「ぶっ潰してやるぜ!」
「これで懲りるのね!」
朱雀の炎舞扇が閃き、それに加えて両足の蹴りがいやらしい機械を吐き出した孔を潰していく。
白虎も負けてはいない。虎王撃が牙をむくように次々と排出孔を殴りつけ、ぐさりと長い爪を突き立てる。
《ファリーダ様、核が損傷を保持するのに限界がきてますぜ。早く決着をつけねえと、形態を保てなくなります》
ウマルがゴーレムのエネルギーモニタを覗き込みながら報告した。ファリーダはきぃっと一喝した。
《そんなこと、言われなくてもわかってるよ! こうなったら…》
《そんなことはさせんぞ!》
と言ったのは玄武だった。
もじゃもじゃの何かになっていた彼だったが、そのわさわさとしていた中から裂帛の声が漏れ聞こえると、どすん、と一際強烈な盾の構えが地面に響いた。
《なんだって?!》
ファリーダはその光景に黒曜石のような瞳を見開いた。
玄武が大盾を叩きつけた瞬間に、まるで埃を落とすかのように身体の周りにたかっていた黒い虫がどっと落ち、地面で次々と小爆発を起こした。
《ここで自爆なんぞさせん、絶対にな!》
玄武は大盾を構えてその爆発の炎と煙の中から突進すると、その勢いに乗って、蜘蛛状の片側の脚を次々とへし折っていった。ぐらり、と巨大な蜘蛛型ゴーレムの身体が傾いた。
どうっと土埃を巻き上げて倒れたゴーレムを背後にし、玄武は呆然としているファリーダのもとへ恐れげもなく近寄ると、何の感慨もなく言った。
《なんのためにわしらをつけ狙っておったかは知らんが……む?!》
と言葉を切った玄武は、咄嗟に大盾をファリーダたちの前に構えていた。
次の瞬間、雨のような矢が空から降ってきたのである。
《あら残念。まさか敵さんに命を救われるなんてねえ、姉さん?》
玄武の発している防護バリアの中から、ファリーダは新たな驚きに虚を突かれたように声のした方を見上げていた。
《キア…! あんた、どうしてここに…?!》
キア・サトゥルヌス第四賢者は、レンガ色のポニーテールを身体に巻き付かせるような波動に乗せ、彼女の周りに浮かんでいる弓を構える木人のようなものに手をひらめかせた。すると、それは瞬時に様々な色合いの玉石に姿を変え、ゆったりと彼女の身体の周りに浮遊した。
《どうしてって、簡単なことよ。ローランドの代わりに私が来ただけよ。不甲斐ない姉さんの始末をつけるためにね》
ワリードとウマルがおろおろとしている。玄武は背後を振り返ることなく、のんびりとしていながら、断固とした口調で言った。
《ええか、わしの後ろから絶対に出んことじゃ》
これを聞き、キアが空中から哄笑を交えて言った。
《私の姉さんともあろう人が、敵の背後に隠れてまで命を長らえたいのかしら? 落ちたものねえ? うふっふっふっふ》
《挑発じゃ。静かにしとれよ》
《わかってるよ、そんなことは。あの女は私の妹なんだからね》
先ほどまで敵味方として相対していたとは思えない素直さで、ファリーダの唇から言葉がもれる。しかし、その両眼は少しの落胆と悲しみに陰っていた。彼女は地面に転がったままの巨大な蜘蛛型ゴーレムに魔力を注ぎ込みながら、紫色の髪をざわつかせ、言った。
《あんたはそんなに私が邪魔かい》
キアはファリーダの魔力の流れを感じ、自分を守るように巡るビー玉のような核に意識を注入した。みるみるそれは巨大なハンマーを持ったのっぺらぼうに変わり、次々と地上へと落下していく。
《ええ、邪魔で邪魔で邪魔で邪魔で仕方なかったわ、生まれてからずっとね! ようやくこれですっきりできるわ! ルルーシュの魔道士の血を継ぐのは私一人で十分なのよ!》
これを聞いた白虎が呆れたように言った。
《なんだよ、姉妹げんかに巻き込むなよ》
《おだまり! ゆけ! 我が戦士たちよ! 我が帝国の意に背く者どもに鉄槌を下せ!》
数十人の傀儡が不気味な静けさで盾を構える玄武に迫ってくる。
《わっ、こりゃやべえっすよ、ファリーダ様。こいつら、みんなブルーラディウムの核を使ってやがります》
ウマルが頭を抱えて警告したが、ファリーダは聞く耳を持たず、片側の脚部を失ってバランスの取れないゴーレムを何とか起こすと、両手棍を槍投げのように構え、空中にいる妹に向かって投擲した。しかし、キアはそれを瞬間移動のような動きで軽々とかわすと、はっきりとした侮蔑の表情になって言った。
《無様ね、姉さん。いつまでもそんながらくたにこだわっているからこうなるのよ》
今にもいくつものハンマーが玄武の頭上に振り下ろされようとする。
《ちょっ、ひでえ姉妹げんかだな! 見てらんねえぜ!》
白虎がいらいらと呟き、ぐい、と青龍の腕を掴んで言った。
《おい、リュウ、肩貸せ、あの嫌味な女をぎゃふんと言わせてやる》
これを聞いた青龍がわずかに様子を変えたのに気付いたのは誰もいなかった。彼はすらり、と青龍刀を抜き、ひらりひらり、と手首を馴らすように回してから言った。
《これで打ち上げてやる。お前ならできるはずだ》
なぜか白虎はそれだけで青龍の意図することがわかった。
青龍が刀を水平に構えた。そこに、体重を感じさせない身の軽さで飛び上がると、片方のつま先で刀の峰に乗った。
《仕留めようとは思うな、時間稼ぎのつもりでいけ》
下段に刀が傾く。刀身に力がこもるのが、白虎のつま先から伝わる。
《俺に指図かよ、リュウ、100万年早いぜ》
《てぇぇぇぇぇぇいぁぁぁぁっ!》
裂帛の掛け声とともに、青龍刀がしなりながら空中に薙ぎ払われる。その力に乗りながら、白虎のバネのような脚力がさらになる跳躍力を与え、彼の小柄な身体はぎゅん、と空中を飛んだ。
《やっほー、姉妹は仲良くしねえとあとで後悔するぜ》
忽然と現れた白虎に、キアが一瞬度肝を抜かれたような顔になる。そこにシュッと白虎の拳がみぞおちにめり込んだ。
《うぐっ》
さすがに落下はしなかったが、空中で大きく態勢を崩した女賢者に、残念ながら第二撃を与えるほど、滞空時間はなかった。
スタン、と着地した白虎は「ちぇっ」と悔しがったが、玄武にはそれだけで十分だった。
《無駄な殺し合いはたくさんじゃ!》
どすん、と甲鉄盾を地面に打ち付けると、一際激しく石畳がめくれあがり、衝撃波が走った。それに触れたハンマーを持った傀儡たちは脆くも脚を破壊され、土人形のようにくずおれた。そこにさらに玄武の第二撃が打ち付けられると、傀儡の中心で輝いていたビー玉のようなものがパキーンと割れた。
《うへっ、ブルーラディウムが粉々だ?! 硬質ディアマントでしか削れない硬さなのに、こいつら、一体…》
ウマルが驚愕したように、キアもこの状況に動揺していた。
玄武が盾の守りをとき、空中で蒼ざめているキアに大音声で言った。
《わしたちを狙うのならわかるが、同じ目的の者を、それも、自分の血縁を手に掛けようとするなんぞ、帝国の魔道士っつうもんはヒトの形はしとるが、中身はそこで転がる人形のように虚しいもんになりさがっとるようじゃな》
キアが手ごまを失いながらも、強気に言い返した。
《なぜその者らを助ける?! その者らもお前たちをつけ狙ってきた者共ではないか!》
玄武はちらり、と背後で高慢な態度を崩さないファリーダを見やってから、
《わしらは理不尽に命を脅かされる側を守る使命を帯びとる。それだけのことじゃ》
キアはクッと唇を噛むと、今にも別の攻撃をしてきそうな他の三人を見下ろしてから、言った。
《覚えておくことね、帝国は決してお前たちを逃さないと。それと、姉さん、あなたはもう二度と帝国の土は踏めないと思っていてちょうだい。せいぜい逃げ回るのね。いつか私の耳に姉さんの惨めな死に様が伝えられるのを待っているわ》
これを捨て台詞に、キア・サトゥルヌスはその場から姿をくらました。
そのとたん、ファリーダの全身から緊張が抜けたように空気が緩み、いつのまにか握り締めていた両手がぶるぶると震えた。
《…キア…そんなに私が邪魔かい…かわいそうな子…》
そして今更気付いたかのように、目の前に集まっていた四人の冒険者たちを見やり、投げやりに言った。
《さあ、好きなようにおし。妹にまで命を狙われて、すっかりやる気をなくしちまったよ》
スッと変身を解いた玄人がのんびりと言った。
《わしらは別にあんさんらを憎んどるわけやない。これまではあんさんらがわしらの周りにいたもんたちを巻き添えにしそうになっとったから、相手にしとっただけじゃ。もし、この後もあんさんらが何か悪さを仕掛けるっつうんならまた止めに入るかもしれんが、帝国に禁足食らったんじゃ、そうもやってられんじゃろ》
次々と変身を解いてごく普通の若者に戻った四人を見回し、ファリーダは改めて言った。
《あんたたち、一体どういう冒険者なの。私たちを憎まないなんて、どういう神経しているの》
《正義のあり様とは、その時々で変わることを知っとるからじゃ。あのでかぶつ、きちんと片づけとくれよ。でないと街のもんが困るからのう》
と早々に踵を返した玄人に、朱音がきょとんとしてファリーダたちを見やり、言った。
《ほんとにこれでいいの? 野放しにしちゃって?》
玄人は広い背中で応えた。
《ええ、ええ、もうほっとき。前みたいなガツガツした気骨は感じられんけえ。わしらは忙しいんじゃ。帝国なんぞにかかずらわっとる暇はない》
朱音はぱちぱちと瞬きをして、どこか場違いな感じで立ち尽くす三人の帝国を追放された者たちを見ながら言った。
《だってさ。じゃ、あたしたちはこれで。でもちょっと今回のはなかなかの出来だったわね。蜘蛛ってのがちょっといただけないけど》
と朱音が続いて立ち去ると、大牙が地面に転がっている割れたビー玉を拾い、ポケットにしまいながら言った。
《できればあのでかい奴に埋まってる玉も欲しいんだけどな》
これにはウマルとワリードが肩をいからせて大反対したので、大牙はたじたじとなって朱音に続いた。
最後に、龍児が淡々と言った。
《これを機に、普通の生活をするというのもいいかもしれないぞ。戦いに身を置きすぎると無感動の淀みの中に足を取られる》
そしてすたすたと長い髪を翻して立ち去った龍児を見送り、しばらく黙り込んでいたファリーダはふっと心の力を抜いた。それに伴って、魔力も止まり、地面に倒れていた魔法巨人の姿が霧消し、ただ一つ、赤黒い核だけが残された。
《ファリーダ様?》
呆然としているにも見えたファリーダを見上げ、ワリードが怪訝に声をかけた。彼女はハッとしたように部下を見やると、ため息を一つつき、独りごとのように言った。
《……あんな気魄、初めてだよ……心に、ずん、と響いた……》
この言葉の裏にある感情に、コミュ障のワリードとドワーフのウマルが気付くはずもなかった。




