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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第三章 オーカー魔道帝国編
34/103

『女難?』

 朱音は、リナが大牙の脇から離れず、じっと潤んだような眼差しで見つめ続けているのを、なんとなく恨めしい気分で見るともなしに見ていた。

 今彼らはレッドフレイムマウントから降り、麓のエルダー村で龍児の帰りを待っていたところだった。

いつも四人でべったりしていたいわけでもなかったが、今の朱音はもやもやとした気分を囲っていた。

 大牙はくっついて離れないリナの扱いに困っているようだったが、生来、人間思いの彼は彼女を振り払うことができず、今や村の外に散歩へ連れ出されようとしていた。

 彼がついていれば、万一ゴブリンや巨大な何かが襲ってきたとしても安心していられるわね、と朱音は考えながら、心の奥底では別のことを繰り言のように呟いていた。

(なんでまだ帰ってこないのよ? あのドラゴンと何してるのよ? もう、リュウったら、他人の気も…ううん、あたしの気も知らないで…!)

 彼女は宿屋兼酒場の前にあるベンチに腰掛け、バックパックからコムパッドを取り出した。

 軽い稼働音がしてモニタがともる。そして一つのアイコンをタッチし、何枚もある画像の一つを選んだ。

 モーヴでどさくさに紛れて撮った、龍児とのツーショット画像である。

 これまでに何度も見ている画像だが、いつ見ても、自分の顔が気に入らない。

(なんであたしの顔って、こんななんだろ…もっとかわいかったらよかったのに…そうだ、今度お化粧とかしてみようかな? ううん、だめ。あたし、お化粧なんか、仕方がわかんないもの。タイガに馬鹿にされてお終いだわ。あーあ、肌の色もリュウのが白いし、髪だってさらさらで綺麗だし、もう、リュウってなんなのよ! 男のくせに、なんでこんなに唇ピンク色なのよ!)

「ほう? いつの間に撮ったんじゃ?」

 玄人ののんびりとした声が、朱音の意識を加速度をつけて現実に引き戻し、あやうくコムパッドを落としそうになった。

「えっ?! あ?! な、なんのこと?!」

 無意識でコムパッドの電源を切る。

 目の前に、のっそりと玄人が立っていた。朱音は冷汗をかく思いでコムパッドをしまいながら続けた。

「あれ? クロトは甘芋で作るお菓子のレシピを教えてたんじゃないの?」

「教えてきたとも。ここじゃ、ふかして食うくらいしかしてこなかったようじゃからのう。スイートポテトを作ってやったら、驚かれたぞい」

 玄人はゆったりと朱音の隣に座ると、朱音の内心を勘づいてか違うのか、眼前にそびえる赤黒い山を見上げて言った。

「しかし、リュウの奴は遅いのう。これで三日目じゃ。ま、奴のことじゃ、好奇心を満たすのに時間がかかっとるんじゃろ」

 約束通り、彼らが数日ののちに再びレッドフレイムマウントに登ると、ドラゴンとその守り人の一族から、前にも増しての歓待を受けることになったのである。さらに、火焔のフランメからも絶対の信頼を得ることになった。

 彼らは、このゴーレムが自分たちを追ってきたものの寄越した魔法巨人であると正直に打ち明けた。これまでの経緯もかいつまんで説明もした。

 するとドラゴンは鷹揚に言ったのである。

《帝国は我ら眷属を目の敵にしておる。わらわがなりをひそめておるのはそういうわけじゃ。もちろんわらわが敗北するつもりはないが、戦いになれば我が民をも巻き添えにする。そして万一わらわが無に帰すことになれば、大地から熱が奪われてこの山周辺は凍土と化すだろう。わらわが無に帰すこと自体は全く恐れぬ。じゃが、そのことにより、我が民や命ある者たちが危機に陥ることは、我が意に反する。ゆえに、帝国は我が敵も同じ。むしろその敵を撃退してくれたおぬしらに礼を言わねばならぬ》

 そしてドラゴンは幼女の姿に戻って村人にかしづかれながら、こぶし大の黒っぽい玉石の詰まった袋を、ドルスから彼らに渡した。

《それはわらわの腹に溜まり込んだ、火焔煤が固まったものじゃ。わらわにとっては燃え滓でしかないが、どうやら人間どもにとっては貴重なものらしい。きっとおぬしらの役にも立つと思うての》

 意外に軽い袋の中には、大理石のような赤い模様の入った艶消しの黒い石が無造作に詰め込まれており、ほのかに温かかった。

 彼らは、いつまた帝国の手が伸びるかわからないと、もっと滞在して行けと勧めるドラゴニアン一族の誘いを丁寧に断って山を降りることになったわけだが、龍児だけは同行しなかった。

 「ちょっと気になることがあるから」とだけ言い、今もまだ彼は降りてくる気配がない。

「アカネ、リュウの奴を信用してやれ。いくらドラゴンの何かが引き合うとは言え、わしらはチームじゃ、仲間じゃ。穏やかに待っとれ」

 玄人のゆったりとした言葉が、朱音の心に沁みたが、沁みすぎてひりひりする部分があった。

 彼女はパッと立ち上がると、つん、と玄人から視線を外して言った。

「なによ、それじゃまるであたしがリュウのことで何か考えてるみたいじゃない。別に関係ないわ、あんなファンタジーオタク。ちょっとあたし、そこら辺ぶらついてくるわ。あんたは何か別のお菓子でも考えてあげてればいいんだわ。じゃあね」

 大牙とは別方向へと歩き去った朱音を、玄人はため息をついて見送った。この時はさすがに少しだけ朱音に同情した彼は、もう一度天を突くような赤黒い山を見上げてから、朱音が言ったとおり、何か別のお菓子のレシピでも教えようと宿屋の扉を開けていた。


*****


 散歩に連れ出された大牙だったが、リナがどこかよそよそしくなり、一人勝手に道を逸れ、名も知らぬ白い花がぽつぽつと咲く野原へと歩を進めるのを、ただ困惑して追うしかできなかった。

 そして不意に立ち止まると、後からついてきていた大牙にしかめ面を投げてよこした。そして言った。

《大きな街に行って、もうすっかりあたしのことなんか、忘れちゃったんでしょ?》

《へ?》

 まあ確かに忘れていたとも言えなくはない。実際、大牙と言う人間に、好きとか嫌いとか恋だとか愛だとかいう感受性はほとんどないと言っていいからだ。

 好かれるのは嫌ではない。しかし、だからと言って彼の方から積極的に何かしてやる、ということはなかった。リナをゴブリンの手から救ったのも、マリーを凶刃から救ったのも、別に彼女らが気に入ったからではない。そして救った後の何かを期待しての行動でもない。ただ、彼は彼ができることをしただけにすぎず、理不尽に命が危険にさらされることに対する正義感が人一倍強かった結果でしかなかった。

 それに、彼には経験がなかった。

 彼は、気付いた時には孤児施設におり、周りに異性はいなかった。そのような感受性をはぐくむ年頃にはすでに『正義の守り人』にスカウトされ、レンジャーとしての素質を見極めるための訓練を受けていた。

 だから、リナの揺れる乙女心に対応することなど、大牙には無理な話だった。

 リナは気落ちしたような顔つきで彼を見てから、すとん、としゃがみこみ、手近の草や花をいじりながら言った。

《…ごめんなさい…忘れたって当然よね…あたしなんか、ただの田舎娘だもん…でもね、あたしは忘れられないの…あなたみたいな人、初めて見たんだもの…》

 そりゃそうだ、と大牙は単純極まりない感想を抱いたが、さすがにそれを口にするほどがさつでもなく、彼は好き勝手に跳ね回っているような髪をぼりぼりと掻きながら、リナの隣に腰を下ろし、言った。

《忘れちゃいねえよ。だけどよ、俺たちは旅人だ。こうやってまた会えたのもたまたまなんだぜ》

《わかってる。あたしの御祈りが通じたのかと思ったわ》

 リナの顔が大牙を見やり、ぐ、と両目を瞑ったかと思うと、息をつめたような勢いで彼の身体に自分の身体を飛び込ませてきた。

 大牙は「またか」と思った。こういうことは別の誰かに任せたいと思ったが、仲間たちの顔を思い浮かべ、内心で首を振った。玄人は説教でも始めそうだし、龍児はぴしゃりと跳ね付けそうだった。朱音に至っては飛び蹴りが飛んでくる危険性が最も高かった。

 そんな彼の心の中などわからないリナは、彼の服のポケットに魔法のように詰め込まれているチョコバーの感触の他に、何か異なったものを感じ取り、怪訝に顔を上げた。

《…ポケットに何か入ってる?》

 言われるまですっかり忘れていた大牙は、リナの勘の良さに感心するというか、閉口すると言うか、複雑な気分でそれを取り出して見せた。

 マリーがくれた華奢なカメオのリングである。金の土台に細かな植物のレリーフがなされ、その中心に石を削って掘り出された美しい女性の横顔があった。

《…綺麗…聖アウロラ様の指輪…》

 リナはどこか脱力したようにため息をつくと、大牙から離れて膝を抱えて座り込んだ。

《…そんな高価で素敵な指輪をくれる人がいたのね……あたしも、タイガに何かあげたくて、がんばってたけど、恥ずかしくてあげれないわ…》

 膝の上に顔をうずめた彼女の細い肩が震えているのを、大牙は見つけ、彼女がすすり泣いているのを知った。

 どんな人間でも、相手に泣かれると一気に心が弱くなる。これは大牙にも当てはまった。

 彼は困ったように、声を押し殺して泣いている少女にそっと声をかけた。

《何をくれるつもりだったんだよ?》

《……もういいの。あなたにはそれがあるんだもの》

 潤んだ声でか細く言い返したリナに、大牙は無造作に指輪をポケットにねじ込んで言った。

《これはこれ。お前のはお前の。一所懸命何か作ってくれたんだろ? 見せてくれよ》

 ひょっとすると、レイジュウジャーの中で一番優しいのは彼なのかもしれない。言葉遣いは雑かもしれないが、その一言一言に温かい、血の通った思いがこめられていた。

 リナはそれを感じたか、涙で濡れた顔を手で拭うと、おずおずと肩から下げている小さなポシェットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出して見せた。

《……これ、あたしが縫って、編んだの…あたしのもあるの…同じものを持っていたくて…》

 差し出されたそれは、村娘が手に入れるには小遣いを貯めに貯めなければ買えなかったと思われる、手触りの良い、薄手の生地だった。龍児辺りなら、それがコットンシルクだとわかったかもしれなかったが、縁に控えめながらレース編みが取り囲んでいたりと、大牙にはまるで実用性のないハンカチだとしか目に映らなかった。

《…この刺繍もあたしがやったの…ちょっとうまくいかなかったけど…》

 と、彼女が示したところに、茶色い刺繡糸で飾り文字が並んでいた。それが自分の名前であることは、翻訳機能を使わなくてもわかった。

 大牙には、彼女がどんな想いでこのハンカチに一針一針縫っていたかなどとは想像もつかないことだったが、几帳面にアイロンがけされたそれをポケットにしまうと、リナの髪をくしゃっと撫でて言った。

《俺さ、自分で何か作るなんてできねえから、凄いと思うよ。ありがとな》

 リナの表情に、ぱっと晴れやかな色が昇る。

 大牙は思い付きで続けて言った。

《そうだ、お前のはどんなのなんだよ、見せてみろよ》

 これに対し、リナは強硬に拒否した。それは、彼女のハンカチには大牙の名前とリナの名前がハート型のモチーフで飾られて刺繡されていたからであり、彼女は結局最後まで見せてくれなかった。

 リナは大牙の追及をごまかすために、辺りの白い花を摘み始めながら言った。

《まだあげられるものがあるわ。お花で冠を作ってあげる》

《えー、そんなの、いらねえよ。だったらなんか美味い木の実とかねえの?》

《だめ。ちょっと待ってて》

 黙々と花を摘み、慣れた手つきで花を編み始めたリナを見ながら、大牙はなんとなく落ち着いた気分になっていた。

 こういう普通の日があってもいいじゃないか、戦いも、機械油のにおいも、仲間たちともかかわらず、自分個人になって、心を空っぽにするような日があっても。

 そう言えば、そんな日って、これまでにあっただろうか?と大牙は考えながら、彼はいつの間にかうとうととしており、リナが二人分の花冠を作り終えた時には、彼は完全に熟睡していた。

 その頭に素朴な野の花の冠をかぶせたリナは、自分もそれを頭に乗せると、大牙の隣にぴったりとよりそい、和んだ眼差しで彼を見つめ続けるのだった。


*****


 龍児は、特に他意はなく、単純にもう少しこのドラゴニアン一族のことを知りたかっただけだった。そしてもちろん、本物の竜との会話をもう少し深めたいと思っていたので、すぐに戻ることをやめたのである。今こそ隠れ住む存在となってしまったが、かつては竜の時代とでも言うべき勢力を誇っていた種族に違いなかった。だから、その知識や見聞は一つの書庫で足りるかわからないほどの容量になるはずだと、彼は期待していた。その一部分でも知ることができれば、自分たちが囚われている現況からの脱出口の糸口を見つけられるかもしれないと考えていた。

 一日目は、集落をあげてのもてなしで終わり、二日目は山頂まで登ってみた。そこからの眺望は、全てが薄い雲海の下に隠れて見えなかったが、この世界がまだまだ自分たちの知らない場所に繋がっていることを感じさせた。

 そして三日目、彼は今、幼稚園児のような姿のフランメの寝所で、テーブルを挟んで座っていた。

《して、おぬし、先刻申したことは覚えておるか?》

 龍児の記憶力は良い方だ。それに、彼は自分の発言にとことん責任を持つ。

 彼は頷き、応えた。

《はい、もちろん覚えています。では、あなたは何かあの胆石のようなもの以外に何か用意してくれるというのですか》

 フランメは「ふふふ」と低く笑い、

《それはおぬしの応え次第。しかし、その前に、おぬしは知りたいことがあるのではないかえ?》

 龍児はなんの恐れもなく応えた。

《はい。僕たちは僕たちの守護者を探すために旅をしていますが、そのためには失った力を取り戻す必要があります。その力とは、あなたもご存知のように、この世界に満ちている自然力、それが体内に取り込まれることによって魔法力となる元素のようなものです。あなたにはその魔法力に満ちています。他にもあなたのような存在がいるのであれば、ぜひ力を貸してもらいたいと考えています。この世界にはドラゴンは四体存在していると聞いていますが、他のドラゴンたちはどこにいるのですか》

 フランメは短い脚を組み、腕も組んだので、まるで椅子に丸まってふんぞり返るようになりながら、応えた。

《それがのう…帝国や人間たちの手から逃れるために竜力を隠しておるでな。今どこにおるか、わらわにもわからんのじゃよ。ただし、水竜はこの大陸の海中のどこかにはおるだろうし、白金竜はわらわのようにどこか人の手が届かぬ場所に引きこもっておるやもしれぬな。土竜もしかりじゃ。ドワーフの手でも借りぬ限り、地下のアリの巣のような迷路を歩くことは不可能じゃな》

《…自分たちで探せ、ということですか》

《おお、そうじゃ。すでにドラゴンの姿を失のうてはおるが、その竜力の片鱗を残しておるものは知っておるぞ。このオーランジュ大陸の南、内海を渡った先のグリアナン共和国のさらに南に、グリューネの聖木という巨木がそびえておる。1000年前の戦いで、エルフの集落を狙っての襲撃に参戦したがために滅ぼされんとした緑竜がいたのじゃが、完全なる無になることを避けるために、自らを最後の力で巨木に変化させ、今に至っておる。人間どもは愚かゆえ、わらわたちを滅ぼすことで自らの首も絞めることをわかっておらなんだ。今ではグリアナンは不毛の砂漠地帯じゃ。かつては緑竜の加護で緑豊かで、静謐な森が広がっておったでな。従って樹木を愛するエルフの住まう場所となり、文明も高かった。今では人間どもは海岸側の限られた場所により固まって住むしかなく、砂漠に順応した巨大蟻の一族からの脅威にさらされておる始末じゃ。ともあれ、ドラゴンの姿はなくしてはおるが、グリューネには会いに行くとよかろう》

 龍児はじっと聞き入っていたが、素朴に尋ねた。

《かつての勢力を取り戻そうとは思わないのですか》

 フランメは「ふん」と肩をすくめ、

《残念ながら現状では無理だわいなあ…なにせ、生き残った眷属は皆、雌なのじゃ。竜の時代は過去のものになったようじゃ》

 龍児はやや驚いたように切れ長の瞳を見開き、

《ドラゴンが失われれば、ドラゴニアンたちもいずれは失われます。何か方法はないのですか》

 すると、フランメは小さな身体をテーブルの上に乗り出し、深刻な話をしていたにもかかわらず、にんまりと笑った。

《そこで、おぬしの約束よ。どうだえ? おぬし、わらわとつがってみぬか? おぬしの精をわらわにくれれば、おぬしが欲しいというものをなんでもくれてやるぞ》

 龍児は一瞬、何を言われているのか全くわからなかった。だがドラゴンの言葉を反芻するにつれ、彼の白い貌が紅潮していった。

 がたん、と衝動的に椅子から立ち上がった龍児は、傍目にも滑稽に、挙動不審になりながら言った。

《な、な、な、な、なにをいきなり…!!》

 フランメは相変わらずにやにやとしたまま言った。

《人間とは言え、その体内には眷属の覇気を感じる。して、おぬしは雄じゃ。試してみる価値はあろう?》

 龍児は声を裏返し、顔を真っ赤にして拒否した。

《お、お、お断りします!!》

《おやおや、新たな竜の誕生を見たくはないのかえ?》

 この言葉に心がぐらついたことに、龍児は自分の恥知らずさを感じ、ますます顔を赤くさせて言った。

《ぼ、僕は人間です!》

《そうかえ? 心は違うと叫んでいるようじゃがの?》

《勝手に心を読まないでください、人権侵害です!》

《わらわはドラゴンゆえなあ…人間の尺度にはあてはまらぬよ》

 フランメは「クックッ」と笑いながら、首を振った。

《まあ、よい。今のは忘れてくりゃ。わらわの儚い夢想よ。いつかまた大空を自由に飛べる日が来ると言うな》

 どこかフランメの眼差しが落日を見る者のように翳ったのを垣間見た龍児だったが、次の瞬間には生意気な子供のくりくりとした瞳に戻っており、ぽん、とその小さな手を打ちながらこう切り出した。

《そうだ、おぬしに与える良いものを考え付いたぞ。さすがにわらわの宝である竜玉を与えてしまっては、わらわの魔力がなくなるでの、それはやれぬが、これならどうじゃ。こちらへ参れ、そして耳を貸すのじゃ》

 龍児は言われたとおりに近寄り、フランメの脇に屈んだ。ドラゴンの手が龍児の耳を隠す長い髪を掻き上げ、そこに唇を寄せた。

《……おぬしにわらわの真実の名を教えて進ぜる。よいか、決して他言なきよう。なぜなら、それが知られれば、わらわはその者に支配されるゆえにな。いつかおぬしが助けを必要とするとき、念じるのじゃ》

 龍児はハッとしたようにフランメを見た。

《そんなことをしたら、あなたは僕に…》

《よいよい、わらわが決めたことじゃ。よいか、心に刻むのじゃ、竜の魂を持つ者よ》

 と、龍児の頭の中に直接何かが流入した。

【レイア=イオル=ウム=アズレイド】

 どこの言語ともつかない響きだったが、それは龍児の心の襞にしっかりと焼き付いた。

《うーむ、おぬしはやはり良い匂いがするのう…》

 フランメは重大なことをしてのけたとは思えない様子で、龍児の髪に小さな鼻を突っ込んでにおいを嗅いでいたが、龍児はまだ呆然としていた。

 ファンタジーに通じていれば、真実の名を教えると言う行為がどういうことなのか、それがどれだけ重大なことか知っていて当然だった。つまり、この名を呼べば、火竜が龍児の命令に従うようになるのである。

 さすがの彼でも震えが走る心地だった。

《して、どうだえ? 心変わりはしないかえ? わらわはいつでもよいぞ?》

 と、フランメはぺったんこの胸を突き出すようにしなを作りながら言った。当然五歳児の姿なので全く格好はついていない。

 これで龍児は我に返った。彼はきっぱりと答えた。

《僕はまだ子持ちにはなりたくありませんし、なるわけにもいきません》

 フランメは高笑いし、

《ホーッホッホッホッ、まあよい。気が変わったらいつでもくればいい。わらわは待っている》

 龍児は強引に何かされないうちにその場から退散することにした。

 しかし、心の中に、先ほど響いた不思議な呪文のような言葉と、種族として終焉が見え隠れしているものの寂しさがないまぜになり、どこか後ろ髪ひかれるような心地で、山道を下る龍児だった。


*****


 帝国に舞い戻ったファリーダたちに、きついお叱りの言葉が待っていたのは当然のことだった。

 ゴーレムチームの一チームを率いるリーダーとしてのファリーダがギルド長から厳しくも陰湿に咎められている間、ワリードとウマルは、自分たちの工房で次の作品についてあれやこれやと話し合っていた。

《核を自爆させちまったからなあ…あのゴーレムでも歯が立たねえっていうこと自体が想定外だったぜ》

 ワリードが不気味な色合いのスムージーのような飲み物をすすっている。彼独自の配合で作った、脳内活性効果のあるものらしい。地球的に言えば、合成麻薬のようなものだろうか。

《で、連中の足取りは追えてるのかよ?》

 ウマルがドワーフらしくエールを飲み、乾燥ナッツをぽりぽりとかじりながら尋ねた。

《この針が動いてる限り、大丈夫だ》

 と、ワリードはデスクの上に戻していた奇天烈な道具をウマルに見せた。その方位コンパスのムキムキの腕は、相変わらず南東を示していた。

《まだ奴ら、あの辺りでうろうろしてやがるのか》

《攻撃の間は開けねえ方がいいと思うぜ、ワリード。次のゴーレムの設計図はできてるのか?》

《できてるさ、この中にな》

 と、ワリードは自分の頭をこつこつと指で叩いて見せた。

 すると、ウマルはやや不信の眼差しを向け、

《核が壊れて相手の攻撃データを取れなかったんだろ? 策はあるのかよ?》

《あるさ。今度こそ完璧だ》

《へえ~、その言葉、しっかり覚えておくよ》

 相当絞られたのか、ファリーダにしてはげっそりとしたような顔をしていたが、声音は相変わらず高慢で不遜だった。

《あ、ファリーダ様、お疲れ様でやんす》

《ギルド長の奴、またあの禿げ頭から湯気でも出てましたか?》

 ファリーダは、そんな二人の部下を見、見る間に苛立ちを昂らせたようにまくしたてた。

《何がお疲れ様だよ! 雁首並べてなにくつろいでるんだい! こっちは嫌味と小言となじりと嘲りと…ああ、もう、とにかくうんざりするようなことを並べ立てられて苛々してるんだよ!》

《でも、あの連中に肉薄したのは、俺らだけなんでがしょ?》

 ワリードがファリーダのキンキン声には慣れているといった様子で言った。

 ファリーダはこの点に関しては同意せざるを得ず、やや声のトーンを落として応えた。

《ああ、そうさね。正直、私たちが奴らと二度も戦ってることに、ギルド長は驚いているようね。もちろん、どこにいるかなんて、教えてやらなかったよ。手柄を横取りされてたまるか。見つけたけりゃ、自力で探せばいいんだわ》

《その通りでがす。奴らに魔力がないのが幸か不幸か、他のギルドの連中の追跡を遅らせてる原因になっとるんでしょうねえ。でも、俺たちにはこれがありますんで、どこに行こうと後を追えるってもんです》

 ワリードが薄い胸を張って、デスクの上のコンパスを見せつけた。

 ファリーダはそれを見ると、うんざりとなったように肩を落としたが、

《で、次のには取り掛かってるんだろうね》

《ウマルの作業速度にもよりますが、そうでやんすねえ…三日もあれば仕上がると思いますぜ》

《…今度は無駄な動きだの、変な顔だの、つけるんじゃないよ。そんなことしたら…》

 ざわ、とファリーダの紫色の髪が逆立ち、部下の二人は飲みかけの飲み物をかたん、と置き、すっくと立ち上がって声をそろえて言った。

《今からすぐ取り掛かりますんで!》

《そうだよ、とっとと仕事にかかりな。それがお前たちのとりえなんだから》

 とファリーダは言い残すと、工房内の自室ではなく、帝都内の自宅に戻った。いくら魔道士でも年がら年中ラディウム鉱石のにおいや薬物の混じりあったなんとも言えない臭気にまみれているのにも我慢の限界があった。

 途中で、酒場に寄ろうかとも思ったが、別の魔道士に出会って、何か探りを入れられるのも面倒だと思い、自宅に直行した。

 ファリーダの家も、一般人と比べれば豪華な部類に入った。だが、召使というべきものはいない。いや、両親が存命していた頃は、その資産に相応する数の使用人がいたのだが、その両親が不運な海難事故で同時に亡くなると、ファリーダはただ一人残して全て解雇してしまった。

その唯一の使用人が、今、彼女が玄関を入ると、待ち構えていたように静かに頭を下げて控えていた。

《おかえりなさいませ、お嬢様》

白髪交じりのこざっぱりとした頭髪をし、地球的に言えばまさに執事然とした黒い上着にズボン、糊のきいた真っ白なシャツ、袖口からのぞく手にも真っ白な手袋がはまり、渋い低音の声で、その者は言った。

《やっぱりうちはいいわね。ギルドの空気はまるでごみ溜め。ワインとお風呂を用意しておいてくれる、バージル?そのあと少し眠るわ。さすがの私でもこの数日は魔力を使い過ぎたわ》

《御意にございます。しかしお嬢様、あまりご無理はなさらず》

 ファリーダはエントランスフロアをリラックスした足取りで二階へと上がる階段へと進みながら、

《無理を承知でやらなきゃならない時なのよ。いつまでもくすぶってるわけにはいかないわ》

《不躾を承知で言わせていただきますが、お亡くなりになられたご両親様のことを思いますと、このままではルルーシュ家が…》

《その話は聞き飽きたよ、バージル。私が魔道士だったことを恨むんだね。あーあ、久しぶりにゆっくりできるんだ、家がどうのっていう話はやめておくれ》

《失礼いたしました…ではご用意してまいります》

 バージルと呼ばれた執事は一礼して使用人用の出入り口からどこかへ姿を消した。

 ファリーダは少しだけ後味の悪い気持ちを抱え、自室のある二階へと、アーチ形に両翼をもつステップを上がった。

 魔道士の住まいにしては、彼女の屋敷は簡素である。普通、魔道士は、その魔力の権威を振りかざして自宅を飾ったり、召使や芸人などをたくさん置いて、果ては遊興に人間を苛めたりすることも珍しくないというのに、彼女の家には彼女と執事以外はいない。

 それはなぜか。

 おそらくそれは、傀儡使いとして優秀な彼女だからこそなのかもしれなかった。なぜなら、彼女は知っていた。力を振り絞れば、命あるものを完全に自意識のもとに置き、人形として操れるということを。しかし、そのことによって降りかかってくる強烈な命の反動も知っていた。その反発力が、彼女をして生身の人間に対する忌避感となり、孤独な暮らしを選ばせているのだろう。ただ、代々仕えてくれているバージルだけは、残した。彼はファリーダが生まれた時から知っており、彼女がギルドに行かざるを得なくなった時に男泣きに泣き、そしてこうして今のような成熟した魔道士としての自由を得て戻ってきた彼女に心からの献身を示してくれるからかもしれない。

 ギルド長からの小言ですっかり凝った身体を手でさすりながら、アーチ状の階段を上がり切って左手を見ると、一つの扉の前ですでにバージルが背筋を伸ばして待っていた。ふんわりとバスソルトの香りが漂ってくる。

 執事が開けてくれた扉を通って部屋の中に入り、バスルームへと直行する。

 当然着替えと上質なタオルが整然とたたまれて置かれており、バスタブには紫色の花びらがたっぷり浮かんでいた。こういう手早さを見ると、いつも彼女は、この執事は魔法か何かを使っているのではないかと疑ってしまう。そのくらい、バージル・ムファラスという人物は完璧な使用人だった。

彼女は誰の目も気にすることなく、ギルドお仕着せのローブを脱ぎ去った。

 洗面台の前の鏡に下着姿の彼女が映る。見事な肢体である。

 しかし、彼女も歳をとった。もう何年ギルドにいるのだろうか。

 下着をぽいっと脱ぎ捨てたファリーダは、ざぶん、とバスタブに身体をしずめ、一度、頭まで湯の中に潜らせた。そして長い髪を撫でつけるように湯から顔を出すと、長い脚をバスタブの縁にかけ、ゆったりと良い匂いの漂う湯を楽しんだ。

 自然と思考は先日の戦いに戻る。

 不思議な連中。それが彼女の第一印象だった。それから、強敵であること。

 あの中の誰かを操ったら勝てるかしら。いいえ、奴らに魔力はないんだっけ。でもどうして魔力がないのかしら。それでも、あの時、奇妙な波動は感じたわ。一体あれなんだったのかしら。

 ファリーダは天井を見上げ、考え続けた。

 連中をあげなくちゃ、いよいよ私たちもやきが回るわ。ギルドの事務畑に回されるなんて、まっぴら。あそこで年老いていく連中を見てると、ぞっとなるわ。

 彼女は真っ白な両腕を湯の中から出し、眺めた。

 でも、ゴーレムの小型化にはどうしても馴染めない。だから連中をあげて、認めさせなくちゃならないんだわ。

 ファリーダの胸のふくらみは花びらに飾られて、まるで美術品のようだった。

 ふと、彼女の紅い唇に嘲りの歪みがのぼる。

 それとも、誰かと結婚でもして、優秀な魔道士の量産でもするべきなのかしら。ふん、冗談じゃないわ。バージルの念願のようにルルーシュ家の存続? それも願い下げ。そりゃ、言い寄ってくる奴は五万といるけれど、どいつもこいつもカスぞろい。そうだね、私の力をはるかに超える誰かだったら、許してやってもいい。そんな奴、いたら私は土下座でもなんでもしてやるわ。

 何の気なしに考えたファリーダだったが、後日、これが現実のことになるとは、さすがの優秀な魔道士でも予測できなかったのである。そしてこのことが、レイジュウジャーたちに大きな影響を与えることになることも。


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