『竜と龍』③
永い時をかけて積み重ねられたに違いない石垣に囲まれた集落の入り口に四人と一人が到着すると、予想外の展開が待っていた。
いや、龍児だけはなんとなく、その体内に燃える青龍の息吹によってそのことを予感していた。
彼らがやってくるのを知っていたかのように、集落の入り口には様々な色合いをした人々が、非常に民族的な衣装をまとって、ひれ伏していたのである。
四人はこの時代劇か何かのような光景に驚かされた。
だがただ一人、それが当然であるかのように龍児の背中から平然と飛び降りると、平伏する者たちを前に、小さな身体をふんぞり返らせて言った。
《どうじゃ、珍しい客人を連れてまいったぞ。おぬしらもしばらく山を降りておらぬゆえ、外の世界の話を聞きたかろうと思ってな》
ひれ伏する者の中の、一番立派な角を生やし、褐色の肌に皺を深く刻んだ壮年の男が僅かに顔を上げ、恭しくも、たしなめるような口調を混ぜて発言した。
《お出ましになるのならば、一言お報せくださいませんと困ります、我が主よ。今、いつになく風が乱れておりますゆえ、御身の無事をお図りになってくださいませんことには、我らの生きる意味がなくなります》
これを聞き、龍児は「やはり」と一人、合点がいき、言った。
《お前は、この山に棲むというドラゴンの化身なのか?》
彼の飾らない態度に、山の民にざわめきが走る。女の子は「ふん」と傲岸不遜に腰に手を当て、応えた。
《いかにも。寝てばかりも退屈していたところに、毛色の違う「流れ」を感じてのう。興味をひかれたというわけじゃ。かといってそのままの姿では目立ちすぎるし、いくらこの山が防壁となっておると言ってもじゃ、隣はあの憎らしい魔道士共がうようよおる国であるから、いつ何時わらわの存在を捉えるやもしれぬ。ゆえに、最も魔力の放射が少ない姿をとろうとしたら、このような子供になってしもうた。いやはや、この短い脚で山を歩くのは難儀であったぞ。本気で泣きたい気分であった》
ドラコンの化身という女の子が、この種族の言葉で何やら早口に指示を出すと、山の民たちは従順に頷き、何故か龍児にだけ興味深げな視線を投げてから、足早に集落の中に戻っていった。
《どうだえ? 腹はすかぬか? 急ごしらえではあるが、宴の用意をさせた。準備が整うまで、わらわに下界の話でも聞かせてはくれぬか》
この申し出に二言がなかったのは大牙である。この子供がなんだろうと、美味いご馳走にありつければ、全て帳消しになる彼だった。
当然、他の三人も異論はなく、ちょこちょこと先頭に立って行く女の子のあとから集落の中を歩いた。
大きな建物はない。せいぜい石を積み上げて壁を作り、革を何重も重ねて屋根にしたような家屋や、遊牧民族のテントのようなものがある程度だ。どこかに家畜がいるらしく、ヤギのような鳴き声が風に乗って流れてくる。
その中で目をひくのは、ここかしこに牙か爪でできた祭壇のようなものがあることだ。そのてっぺんには皿状の器が乗っており、蝋燭が何本もともされ、何かわからないが供え物のようなものが置かれていた。
そしてその祭壇が、まるで神社の参道に並ぶ灯篭のように配置された小道を進むと、その先に山肌を掘って作った横穴があいていた。その穴の両側にはまさに大きな灯篭のような石柱が立ち、その上部には荒削りながら、勇壮さを十分に感じさせる竜の彫刻があしらわれていた。
穴の中は暗くはなかった。明り取りの穴が壁面にいくつか掘り抜かれていたし、蝋燭や油の入った皿に浸された燈芯の燃え上がるオレンジ色の明かりで、そこは照らされ、満たされていた。
おそらくこの明かりは絶やされることなく永の時を、このドラゴンと共にあったのだろうと龍児が考えを馳せていると、女の子が一番上座の、極彩色の羽根や威嚇的な牙のようなもので装飾された座椅子に腰を下ろし、四人にも座るように手で示した。
石造りの座卓のようなテーブルの上には、すでに何種類の食べ物らしきものが、これまた石をくり抜いて作った器の中に盛られていた。このような荒涼とした地域にしては瑞々しい色どりをしている。
《あら、これ、おいしそう》
と朱音が他人の目(ドラゴンの目と言うべきか)もはばからずに、濃いピンク色をした丸い実を一つ手に取った。
《それは『火焔苔』の実じゃ。ほどよい刺激で身体を温めてくれるぞよ》
『火焔苔』と言えば、目撃者が付き添ったという冒険者が求めていた希少な植物である。それの実ならば何か効能があるのではないかと龍児が言おうとした時、朱音が隣で口を押えてじたばたし始めたので、何事かと声をかけた。
《どうした、アカネ? 顔が真っ赤だし、なんでそんなに汗をかいている?》
彼女は一応礼儀というものをわきまえていたので、必死にその実を飲み込むと、今度は喉を押さえて息も絶え絶えに言った。
《お水…! お水…! 辛くて、『デッドソース』どころじゃないわ!》
こうしている間にも、長身で男女問わず見事な体格をした者たちがしずしずと食べ物を運んでいたのだが、その一人に女の子は手を振って朱音に液体の入ったゴブレットを寄越してくれた。朱音は助かったとばかりにそれを一息に飲み、今度は激しくむせ返った。
《なにこれ?! お酢じゃない! げほっ、ごほっ》
どうやらドラゴン族の味覚は彼ら人間とはかけ離れているらしい。
大牙などからは他人事だと思ってにやにやとされ、「いじきたねえからだよ」となじられる始末。フルーツ好きの朱音は激辛果実のせいで顔を赤くさせたまま、さらにぷうっとしかめ面になり、何か言い返そうとするが、辛いのと酸っぱいのが邪魔をして声が思うように出ない。
さすがに見かねた龍児が謙虚に言った。
《できればもう少し刺激の少ないものはありませんか? 僕たちの舌はあなた方ほど強靭ではないのです》
大きな座椅子にちょこんと座っているドラゴンの化身は、首をかしげて応えた。
《はて、どうしたものか…下界の物を食したのはもう数百年も前のことじゃてなあ…忘れてしもうたわ》
すると、食に関しては適応力の速い玄人が言った。
《さっきここまで案内してもろた時、動物の鳴き声のようなもんが聞こえたんじゃが…》
女の子は「おお」と感嘆すると、
《『高山ヤギ』はわらわへの供物にもなるし、ここの者らがいろいろと保存食に加工しておるわ。そのうち運ばれてこよう。そうじゃ、これなどはどうじゃ? うまいぞ? 滋養たっぷり、肉汁ジューシーでわらわのおやつ代わりじゃ》
と、小さな手が一つの皿を彼らの方に押し出した。
これを見た時の四人の反応がすさまじかった。
朱音は「うげ」と女らしくない呻き声を上げ、いやいやをするようにじたばたとして龍児の背後に隠れてしまった。
その龍児は片眉をあげ、串に長々と突き刺さされて焙られたらしい巨大なそれを凝視している。
玄人でさえ思わず「わっ」と声をあげ、その巨大さとそのものずばりな姿焼に肝を冷やしたらしい。
そして大牙であるが、彼だけは「ふーん」と値踏みするかのようにそれを眺め、おもむろに串を一本とると、ぱっくりと大口を開けた。
《わーっ、いやあっ、タイガ、やめて!》
龍児の腕の陰からこっそり様子をうかがっていた朱音が再び悲鳴を上げた。しかし彼は躊躇うことなく、それを一口に口の中におさめ、もぐもぐと咀嚼したのである。
《もういやっ、タイガなんかと口きかないから!》
顔を真っ赤にしていたはずの朱音の顔色はいまや真っ青である。
かたや大牙は顔色一つ変えずにそれを飲み込むと、ドラゴンの女の子に向かって言った。
《これ、なんの幼虫? すげーでけえのな》
ドラゴンは小さな手でその一本を取り、馴れた食べ方で巨大芋虫の姿焼を串から抜き取り、むしゃむしゃと口の中に押し込んだ。かわいい女の子とその食材とのアンバランスさが、朱音の不愉快度数をさらに跳ね上げさせたのは言うまでもない。
女の子はクッチャクッチャと咀嚼しながら、応えた。
《『火喰い虫』の幼虫じゃ。他にも『溶岩蜈蚣』や『紅斑オオサソリ』なんぞも美味じゃぞ》
朱音の眼差しがどこか虚ろになり、小刻みに震えているのを感じ取った龍児は、もう一度謙虚に言った。
《僕たちは虫を食べる習慣がないんです。せっかくもてなしてもらっているのに申し訳ないんですが…》
しかし、ドラゴンは聞いてはおらず、ぞろぞろと入ってきた者たちにむちむちとした子供っぽい手を振り、尊大に言った。
《ほれ、おぬしたちも座らぬか。客人に酒を振る舞わぬか。肉が足りぬぞ、わらわは腹が減ってたまらぬ》
若い者たちがテーブルの間を縫うようにして白濁した飲み物を注いでいく。玄人はくんくん、とそれのにおいをかぎ、「馬乳酒みたいなものかのう」と独り言を言い、龍児はその若いドラゴニアンの屈強な手足に生えた鱗の照りに目を吸い寄せられていた。
《突然のことでしたので、何も用意しておらず、正式な宴を催すことは…》
先ほど苦言らしきことを言った壮年のドラゴニアンが、朱音の隣で頭を下げながら言った。その深みのある声と頭に生えた角の立派さが、胃袋の辺りをむかむかとさせていた彼女の気分をすっとさせた。見渡せば、どの人をとっても同じ形の角はなかったし、鱗の配色も異なっていた。生来、彼女は好奇心旺盛なのだ。
女の子は、上座でふんぞり返り、両側から酒と食べ物の給仕を若く見眼の良い男女にさせながら、鷹揚に応えた。
《よいよい、今日のことはわらわにも突然の思い付きのようなものじゃったからの。それよりもじゃ。どんな肴や馳走よりも勝るものが今日はある。腹を満たすのも重要だが、心を満足させることも大切じゃ。なにせ、このところ逼塞した毎日だったからのう》
と、彼女はごくり、とゴブレットの中身を飲み、その子供の姿では似合わない仕草であぐらをかき、肘を座卓に乗せて身を乗り出した。
《最初はわらわの思い違いかとも思ったが、おぬしらの気配を感じ、確信に至った。わらわにわからないものがあるとはにわかに信じられぬのじゃが、今この大空に一匹のドラゴンのようなものが飛んでおるな? それも、今は失われて久しい気配をも感じさせる、奇妙なものじゃ。そして、そこな黒髪のおぬし、姿はヒトの形をしておるが、その中に我が眷属と似たものを感じられる。じゃが、おぬしに魔力はない。そこも不思議なところじゃ。魔力はないが、竜の鼓動を感じ取れる、おぬしは一体何者じゃ? そして、そのような者と旅を共にするおぬしらはどのような縁の者なのじゃ? ドルス、お前も感じはせぬか? この者らのヒトとしてあるまじきなにものかを》
ドルスと呼ばれた族長は、顔を上げ、四人を順繰りに眺めてから、再び平伏して応えた。
《私はあなた様に仕える一介の民であり、守り人でしかございませんが、私の知る限り、これほどの胆力を持った人間は初めてございます》
四人は顔を見合わせた。
『ドラゴンって、やっぱりすごい存在なのね、ファンロンに気付いちゃってる』
『五行機構がこの世界の魔力と直結してるみたいだから、ドラゴンほどの存在だったら感じ取れてしまったのかもしれないね』
『どうすんだよ、なんて応える?』
『嘘をついても見抜かれて、悪印象を与えるだけだと思うのう』
女の子の黄色い眼が、龍児をじっと凝視している。その縦長の瞳孔が、じわじわと彼の心に食い込むように思え、龍児はため息をついてから言った。
《…どこまで知ってらっしゃるのですか》
ドラゴンは小気味よさげに「ふふふ」と、その外見とは全く異なる一人笑いをしてから応えた。
《この火焔のフランメに向かって問い返すとはなかなかの度胸じゃ。おぬし、わらわが恐ろしくはないのかえ?》
龍児は正直に応えた。
《いえ、むしろ感激しています。同時に、奇妙な感じがしています。うまく言えませんが》
《それこそ眷属の同調というものじゃ。我らの祖は大いなる「気」のるつぼ。そこから生じた我らは個にして全、全にして個。それをおぬしも感じておるのじゃ》
仲間たちが外野からエールを送るように内線で通信してくる。
『がんばーっ、リュウ! もうあたし、よくわかんない』
『俺、メシ食ってっから、よろしくなっ』
『こりゃ脈ありじゃな。ドラゴン同士、仲良くしとけ』
龍児は、丸投げしてきた仲間たちに恨めしい気分になりながら、半面、本物の、それも彼の知識の中において最高クラスにある古代竜との対話は、エルフとの会話と比肩する興味深さだった。
火焔のフランメと名乗ったドラゴンは、気味の悪い虫のスナックのようなものをポリポリとやりながら言った。
《おぬしの堂に入りようが気に入った。応えて進ぜる。そうじゃの、知っていることと言えば、水、土、金、火、木の力に満ちた眷属のごときものが突如現れてわらわの眠りを妨げたということじゃ。そしておぬし、おぬしには潤沢な森の香りがまといついておる。時に若木のごとくしなやかに、時に年を重ねた大木のごとく重厚で頑な……かつてそのような竜がおったが……残念なことに1000年前の愚かな戦で命を散らせてしもうた。おお、すまぬ、我にもあらず、感傷的になってしもうた。同族が減っていくのはやはり寂しいものじゃからのう……して、この空に浮かぶものは、おぬしらの仲間と見たが、どうじゃ?》
龍児は静かに頷いた。
《…はい、僕たちの拠り所のようなものです》
《ふむ、まるで我が眷属のごとき姿をしておるのに、全く意思の疎通はできぬ。奇妙な話じゃ。おぬしらの拠り所と言ったな? あれに乗ってきたのかえ?》
龍児は、これ以上ファンロンに言及されたら、飛んで確認しに行きかねないと思いながらも、ドラゴンと言う存在に対し、ますます好奇心を疼かせた。彼は眼鏡の位置を几帳面に直しながら応えた。
《…そのように考えてもらっていいと思います》
《では聞く。我らが眷属のごときものを、どのようにして人間であるおぬしがその身にやつすことができたのじゃ。魔力がないものに精霊を宿すことは不可能。となると、おぬしも我が民同様、守護者たるものの精気を注ぎこまれ、守り人となったのかえ?》
話がややこしくなってきたが、龍児は思考を巡らせながら頷いた。
《…そのように考えてもらっていいと思います》
するとドラゴンは「ふむ」と間を開けてから、
《ではその守護者たるものはどこにおる? おぬしはその守護者のために戦う戦士。守るものがなくしてどうする》
こちらの世界の解釈とかなり彼らの現実がかけ離れ始めていたが、龍児は敢えて相手のペースに合わせた。
《その守護者のことで、僕たちはあなたに助けを求めにきたのです》
女の子のあどけないはずのくりくりとした瞳が、老成した者のようにすうっと細まる。
《…危機に瀕しておるのか?》
まるで言葉遊びだと龍児は思いながら、慎重に言葉を選んだ。
《そうとも言えるでしょう…僕たちは主を失った彷徨い人のようなものになってしまったのです。そこで多くの知識を持つあなたにすがることにしたのです》
ドラゴンはしばらく龍児を始め、レイジュウジャーたちを伺っていたが、ある考えに至ったような口調で言った。
《ドルス、者どもを引き上げさせよ。わらわはこの者らの申し出を十分に吟味する必要ができた故な》
《御意にございます》
ドラゴニアンの族長が威厳ある物腰で一族の者たちに自分たちの言葉で指示をすると、彼らはその勇猛な外見からは想像できない物静かさで岩穴の宴場から出て行った。
《この状況で彼らの存在は邪魔じゃ。彼らは我が忠実な戦士にして、我が眠りを守る番人。それだけで十分なのじゃ。余計な知識は心に迷いをもたらす。彼らは永劫、わらわと共にある運命であることに疑問をもってはならぬのじゃ》
《あら、それではちょっとかわいそうじゃないかしら? 見聞を広げることにも得はあるわ》
朱音がなんの恐れげもなく素直に反論した。彼女は相手が何者であろうと、制限を受けたり、支配されたりすることに対し、人一倍嫌悪感と反発心を抱く性質だった。
火焔のフランメはそんな朱音の内燃する激しい気性を見抜いたかのようににやりと笑んで座椅子に深く寄りかかったが、身体が小さいことを忘れていたか、ずるっと座面にずっこけてしまったのをごまかしつつ、言った。
《どこの世界に支配も束縛もない世界があると言うのかえ? 唯一あるとすれば、混沌の中じゃ。混沌こそ自由の源。しかし、そこは自由を正しく理解する者がおらぬと、ただの地獄絵と化す。そこに一筋の光明を与えておるのがわらわじゃ。かの民共は喜んでこの栄誉を享受し、与えられた役目をまっとうしている。しかし、おぬしが自由をたっとぶことは感じることができるぞよ。そのような燃え盛る両翼を持っておれば、ひとところに留まることは難しいことであろうの》
ハッとしたように朱音が息を飲んだのを、ドラゴンは意味深な黄色い眼で一瞥してから、視線を龍児に戻した。
《さて、話を戻そう。おぬしの守護者たるものは、何故おぬしの元から消え去ったのじゃ? まさかに、わらわの眠りを妨げた、あの地響きと関係はあるまいな? 何かに射抜かれ、落下したと?》
何と応えるべきか。
さすがの龍児でも、その存在自体に非常な威圧感を持つものを前にし、集中力がきつくなってきたようだった。彼は頭を絞りながら応えた。
《僕たちにはどういう原因かわかりませんが、空中にいたところを、何かの障壁のようなものと衝突し、次の瞬間、こちらへとやって来てしまったのです。その時に僕たちは切り離されてしまいました。残っている力も、ぶつかった衝撃で消失し、こちらから細々と分けてもらいながら僕たちの元ある姿を探すために旅を続けているのです》
ドラゴンは長々と慨嘆すると、
《それはもしや、『浮遊都市』に通ずると言われておるものに遭遇したのではあるまいか》
龍児以外は内線で匙を投げた。
『またなんだかわけのわからないものが出てきちゃったわね』
『なんか、なんかのアニメ映画に出てきそうな設定じゃね?』
『それにしても、よくもまあリュウはしっちゃかめっちゃかの会話をしとるわい。わしゃ、もうどうでもよくなってしもたわ』
龍児はこんなやり取りに気をとられることなく、新たな展開に好奇心が集中を高めてくれる中、すかさず問い返した。
《『浮遊都市』?ですか》
《そうじゃ。エルフでも我ら眷属でも行ったことのない、伝説に近いものじゃ。聞くところによれば、この世界に太古から住み着いていた種族がおってな、その者らは大地のみならず、地下や大空にも自由に都市を築ける技術と能力があったという。ドワーフの地下王国はその名残とも言われておるが、定かではない。天空に浮かぶ都市は幾多にもなったそうじゃが、太古の民が何らかの理由で衰退するにつれ、沈んでしもた。今、残存しているかもわからぬ。しかし、その都市に入るための入り口はいずこかに残り、今も作動している可能性はある。エルヴィアンの扉は、このゲートの仕組みをまねて作ったものではないかとわらわは考えておるのじゃが、そのようなゲートの一つに偶然行き当たり、何らかのアクシデントが起きておぬしらはここへ落ちたのではないかえ?》
『そのゲートって、宇宙にもあるのかしら? ワームホールみたいな? そうだとしたら、亜空間フィールドのねじれにこのワームホールの、それも不安定なワームホールにも飛び込んじゃったのかもね。そのせいでこの世界に引き寄せられたっていうことも考えられるわよね』
朱音が自分の考えに良い気分になって言ったものの、結局行き詰ることに気付き、「はあ」とため息をついた。
『でも今度はそのゲートっていうやつを探すことになりかねないわね。不安定なワームホールだとしたら、見つけ出すなんて、宝くじに当たるようなものだわ』
龍児はそんな朱音をちらりと見てから尋ねた。
《そのゲートとは、この世界にいくつもあるものなのですか》
《わからぬ。このわらわでさえ、産まれておらなんだ時代の話じゃ。しかし、そのような移動手段があることは口伝で伝え聞いておる》
《では、そのゲートを見つければ、元の場所に帰れるかもしれないということになりますか》
《さあ、それはどうかのう。どのゲートをくぐったかわかっているのかえ? どのゲートがどこに繋がっておるのかわかっておるのかえ? ゲートが浮遊都市への入り口ということは知っておるが、それ以上のことはわらわの思考を超える領域じゃ》
龍児は眉宇を寄せて首を振った。
《それ以前に、僕たちには力が失われています。ゲートを見つけられたとしても、今の状態ではその中をくぐるだけで壊れてしまうかもしれません》
フランメは「ふーむ」と考え込むと、すっくと立ち上がり、
《とにかくじゃ、わらわの力がどこまで及ぶかわからぬが手を貸そうではないか。少々毛色が違うとは言え、相通ずるものを持つ者を捨て置くことはできぬ。どこかでおぬしの守護者が、つまりわらわの遠く連なる眷属が逼迫しているとすれば、助けるのが我が眷属のならわし。この姿では色々と不便じゃ。わらわの寝所に案内する。ついてまいれ》
と、すたすたと上座の壁に垂れ下がっていたタペストリーを一枚めくった。そこにぽっかりと下へくだる石の階段が続いているのが、四人にもよく見えた。
《少し熱いかもしれぬが、まあ我慢せい》
これはドラゴンの寝床である広々とした空間に降りきった大牙の第一声で最大限表現された。
《くそあちぃぃぃぃぃぃぃっ!》
ドラゴンは生意気な子供の姿のまま、腰に手を当て、言った。
《当り前じゃ。わらわは火の竜。ここはレッドフレイムマウントの燃える命が息づく場所であり、わらわの力を蓄える場所じゃ。さて、この不便な姿は終いじゃ。少し待っておれ》
四人は言われたとおりに少し壁際に寄って待った。そこの岩壁も火傷どころではない熱さであることに飛び上がりながら、次に何が起きるか、好奇心がむくむくと湧き上がるのを抑えきれなかった。
女の子が頭を垂れ、両腕をわずかに開いて目を閉じた。
次の瞬間、ざーっとまるで古いモニタが壊れた時のように輪郭が灰色にぶれ、それがくるくると回転して新たな輪郭を形成していく。徐々にそれははっきりとし、数秒後には先ほどの女の子とは似ても似つかない存在がそこに立っていた。
彼女は赤と黄色の混じった髪を肩にふわり、と払いのけながら、漆黒の軽鎧に身を包んだ身体を見せつけるようにして妖艶に言った。
《我こそは始祖竜の一柱、火焔のフランメ、おぬしらとの出会いは運命だったのかもしれぬな。ゆえに名をきかせてくりゃ》
四人は顔を見合わせ、口々に応えた。
《あたしはアカネ。よろしくね、フランメさん》
《僕はリュウ》
《クロトじゃ》
《俺、タイガ。なんだ、てっきり俺はでかいドラゴンになるのかと思ってたのにつまんねえの》
フランメは、大牙の残念そうな顔つきを高みから見下ろし、男のように身体をのけぞらして笑った。
《ほっほっほっ、真の姿が見たかったか。そうしてもよかったのじゃが、あの姿は飛ぶには便利じゃが、人間と相対する時は大きすぎてかなわぬ》
そして2メートル近くある長身の身体をしなやかに動かしながら、室内に並ぶ戸棚の類を覗き込んで言った。
《わらわにはおぬしらのまことなる何かはわからぬ。ゆえに、ここから好きなものを選ぶがいい。あの大空に浮かぶものは魔力に似て非なるものにて生きておる。おぬしらが選ぶ方がよかろう》
すると、龍児が珍しく強気な口調で言った。
《できればあなた自身からいただきたいのですが》
フランメの黄色い瞳がキラッと輝き、紅をひかずとも赤々とした口を吊り上げて笑った。
《ほほう~、わらわからとな。何がほしいのじゃ?》
《わかりません。ですが、あなたそのもののようなものが欲しいです》
山の民とは比べ物にならない立派な角を生やした頭を龍児の目線に下ろし、その人間離れし、どこか倦み疲れた者の美しさのある顔を近寄せ、フランメは艶めかしく言った。
《その代わり、おぬしは何をわらわに与える?》
仲間たちが成り行きを心配そうに見つめている。朱音が小声で「ばか、ばか、リュウのばか」と呟いた。
龍児は平然と応えた。
《あなたがくれるものと同等のものを》
玄人が「こりゃだめだ」とばかりに額を叩く。大牙はぽかんとして「どういうわけ?」と仲間たちを見回している。朱音は内心で「鈍感すぎ!」と龍児のことを罵った。
フランメの笑みがさらに濃くなり、決定的な一言が発せられようとした時、それは中断させられた。
ドラゴンの黄色い眼が突然に紅く染まり、焔のごとく髪が逆立ったのである。
《何故我が地に帝国の穢れた魔法が入り込んだのじゃ?!》
四人にも緊張が走った。
今にも自室から駆け出んばかりだったフランメを、龍児が引き止め、厳しく言った。
《だめです、あなたが出てはなりません。ここは僕たちがなんとかします。あなたの存在を帝国に詳らかにしてはなりません》
長寿を重ねたドラゴンに向かって命令してきた人間に、フランメは怒りや苛立ちを越えて、感心していた。素直に龍児の言葉に従い、人間の姿の際のための寝台に腰を下ろすと、肩をすくめてみせた。
《確かにそのとおりじゃな。よし、おぬしらの戦い振りを見る絶好の機会じゃ。相手は帝国の腐れ魔道士。存分に叩きのめしてまいれ》
《最初からそのつもりだし、ドラゴン婆さん》
大牙はすでに階段を駆け上がり始めており、フランメは次々と部屋から出て行く若者を見送ると、ひとり笑った。
《わらわをつかまえて婆さんとはよく言えたものだ…それにあの黒髪の若者……はてさて、何をいただこうかのう…》
フランメは地上で戦闘が始まろうとしているにも関わらず、悠長にごろんと横になると、目を閉じて独り言ちた。
《…あの黒髪…良い匂いがしたのう…また嗅ぎたいものじゃ…》
地上ではまさに戦いが始まろうとしていたが、人の考え及ばぬほどの命を長らえてきた存在は、すっかり別のことに好奇心を移してしまっていた。それはこのドラゴンの、休火山のごとく眠っていた心臓を再び熱く脈動させ、かつて竜族が大空を支配し、生物の頂点に立っていた頃の充足した時間を思い出させるものだった。




