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四神戦隊レイジュウジャー  作者: 沢木佑麗/雲月
第一章 都市連邦編
12/103

『戦い終わって』

 海の脅威は取り除いた。

 だがその後のことは、レイジュウジャーの四人には関わりのないことだったし、関わるべきでもないことだったので、ファンロンで所用(風呂に入ったりカツ丼を食べたり)をすませて戻った当日はすぐに宿に引っこんだ。この街に到着してからろくな休みをとっていなかったことにきづいたからである。いくら強化されているとは言え、最低限の休息は身体が欲した。

 とは言え、マーフォークと街との関係を悪化させていた根源となっていた魔物を倒してきたという話は耳の速い冒険者の間に広まったので、この宿がむしろ閑古鳥で、冒険者とも一線を画していることが、今の彼らにはとてもありがたく思われた。

 翌日、朱音は妙に早く目が覚めてしまい、再度寝付けそうもなかったので、階下へ降りてみた。

 はたして、宿の女将はカウンター席でぼんやりと煙管で煙草をふかしていた。

《おや、随分早いね、アカネちゃん。あんたも今日イゾラ島に行くんだっけ?》

 朱音は気安い態度でマルセラの隣の席に座ると、首を振って応えた。

《あたしは行かないの。なんとなく、そんな気分じゃなくて》

《ま、何もしたくない日もあるさ》

《うん…冒険者のくせにって言われそうだけれど、なーんかぼーっとしたいの》

《誰だって頭を空っぽにしたくなる時があるものだよ。特にあんたたちがやってのけたことを考えれば、休むことも大切さ》

 朱音は、いつの間にかカウンターの中に入って、食事の支度を始めたマルセラに尋ねた。

《マルセラさんこそいつもこんなに早く起きてるの?》

 女将はニコラとよく似た黒い瞳を笑ませ、応えた。

《習い性となってるんだろうねえ。それに、客が来なくなっても、ニコラはいつも朝飯を食べに来るからね。今朝は勇んで海に出て行ったよ、あの子は》

 と、何皿かの料理を朱音の前に出し、最後にエールの入ったジョッキを置いた。それからカウンターの上にはパンの入った籠。

 朱音は早速その一皿に乗っていたイワシらしい魚が赤い色で煮込まれているものを口に運びながら、思いついたままに話しかけていた。

《ニコラさんて、すごくマーフォークの人たちと仲がいいみたいだけど、何か特別なことでもあったの?》

 マルセラは自分もエールを飲みながら、思い出話をするような眼差しになって応えた。

《私たちの父親も漁師ギルド長だったんだけれどね、母親がニコラを生んだ時に肥立ちが悪くて死んでしまったのさ。父はどうしても漁師の跡継ぎが欲しかったみたいでね、自分似のニコラを小さな頃から船に乗せて漁師としてしごきはじめた。何歳くらいの時だったか、まだ10歳かそこらだったと思うけれど、船が荒波にもまれてねえ、小さなニコラは海に放り出されてしまった。後にも先にもあの時だけは、女のニコラを漁師にしようと考えた自分を呪ったって、ぽつりと父親が話してくれたものさ。船の漁師仲間たちが諦めかけた時、ひょっこり荒れる海面に二つの人影が現れた。ニコラはマーフォークの当時の族長ザキロに助けられたんだ。これが父親と族長の深い縁になるきっかけになり、同時にニコラがマーフォークと強いつながりを持つ始まりになったってわけさ》

《へぇ~、やっぱりマーフォークの人たちって悪い人たちじゃないんだね》

 マルセラは黒々とした目を瞠目させ、やや失笑気味に言った。

《そうよ。彼らは悪なんかじゃない。今回のことで悪いイメージがついてしまったようだけれど、彼らは海と共存し、その大いなる流れに身を任せることを知る、礼節わきまえた種族よ》

《ふーん…なんだか人間の方が自分勝手に生きてる気がしてくるな》

《ハハ、そうかもしれないねえ。人間の欲は底が知れない。同族殺しをするのは、人間だけさ》

《はあ~、今回の魔物も、誰かに「造られ」たらしいから、ちょっとね…》

《でもその結果、モーヴもマーフォークも救われた。それでよしとすべきだよ。あんたたちはよくやったのさ》

《スカッと感がいまいちね……》

 と朱音がつぶやくように言った時、階段を降りてくる気配がした。

《なんだよ、もう起きてたのかよ》

 大牙が脇からハムの薄切りを2、3枚横取りし、ぺろりとやりながら言った。

《お前、一緒に行かなくていいのか? きっと珍しい食べ物がたくさん出てくるぜ》

 朱音は肩をすくめ、

《なんか、だらだらしていたいのよね。クロト、タイガのお守り、頼んだわ》

 あとからついてきていた玄人が、了解していると言いたげに大牙には見えないところで苦笑をしてみせる。

《ほれ、タイガ、そろそろニコラさんの船が漁から戻ってくる頃じゃ。待たせるのは失礼じゃろ。行くぞ》

 それでも食い下がるようにつみれのようなものをぱくりとやってから、大牙は玄人に背中を押されるようにして宿から出て行った。

 マルセラが含み笑いのようなものを浮かべ、腕組みをしながら言った。

《マーフォークの料理で生魚以外のものが出てくるとは思えないんだがねえ…腹を壊さなけりゃいいけど》

 これを聞き、朱音は、玄人が見事なお造りを作って見せる光景が目に浮かび、思わず一人笑いをしてしまった。

 すると、マルセラが言った。

《そんなふうに笑うと、凄い魔物を倒してきた冒険者には見えないねえ。普通の可愛い街娘にしか思えないよ》

 面と向かってこのようなことを言われ慣れていない朱音は、みるみる顔を赤くし、あたふたと顔や髪をいじりながら応えた。

《あ、あたしが普通?! 可愛い?! そ、そんなふうに見えるの?!》

 マルセラは、朱音の慌てぶりが可笑しいのだろう、二服目の煙草を煙管の先に詰める間も笑いながら言った。

《なんだい、自分の顔を鏡で見たことがないのかい? 女の冒険者もたくさん見てきたけれど、あんたみたいに邪気がなくて、可愛らしいってのはお目にかかったことがないね。皆、どこかすれてるところがあるからね、冒険者なんて》

 朱音は初めて知らされた事実に愕然となったような顔つきで、食べることも忘れたかのように言った。

《可愛いなんて、今まで一度も言われたことないから…》

《はあ? 三人も仲間に男を引き連れてて、かい? 連中の目は節穴なのかい? もしあんたがモーヴの街娘だったら、あっという間に熱烈な告白攻めに会うこと間違いなしだね》

《それ、マジで…?》

《ああ、そうだよ。板子一枚下は地獄の漁師稼業の多い街だからかもしれないけれど、今日を無事に過ごせても、明日はどうなるかわからない。だから今日という日を大切に生きるという性根に繋がっているのさ》

《つまり、情熱家が多いってことなのね》

《ま、そういうことだろうね》

 朱音はここでふと思いついたことをマルセラに尋ねた。ずっと気になっていたことだった。

《あの、立ち入ったことかもしれないんだけど、ニコラさんとマーフォークの族長って、昔、何かあったの? なんていうか、二人の雰囲気が…》

 マルセラは煙を吐きながら単刀直入にその言葉の先を続けた。

《恋人同士みたいだって言いたいんだろ? そりゃそうさ。あの二人は駆け落ちまで考えた恋人同士だったんだからね》

《駆け落ち?!》

《そうさ。いくら末弟とは言え、族長の一族が、それもよりによって人間の女と愛し合うなんて、土台、無理な話だったのだけれど、二人はその困難を愛情で乗り越えられると信じていた。駆け落ちはあと少しで成功するところだったのよ。だけど、ここにもう一人の幼馴染みが割り込んだの。あんたも見ているでしょうけど、衛士隊長のマウリツィオよ。彼はニコラの幼馴染みだった。だから必然的にギサロとも交流を持つようになったわけ。そして、自然の成り行きで彼もニコラを愛するようになっていたのね。だけど、ニコラの愛は彼ではなく、異種族のギサロに与えられた。当時、マウリツィオとニコラは相当の修羅場をやってのけたものよ。だけど愛情の問題だからどうしようもないことよね。こればかりは誰がなんと言おうと、いいえ、言えばいうほど、愛は固くきつく結ばれていくものなの。で、結末は最悪。マウリツィオはニコラたちの駆け落ち計画をそれぞれの親に知らせたの。マーフォークの方も私の父も、当然のことながら大反対よ。そしてしばらくニコラは軟禁状態。たぶん、ギサロも似たような状況にあったと思うわ。父は激怒はしなかった代わりに、忍耐強くニコラを説得したの。愛することをやめろとは言わない、だが、その愛の結果、生まれる子供のことを考えたことがあるのかと。どこの地域でも混血は哀しい立場に立たされるからね。そんな思いを子供にさせたいのかと》

《うわぁ…幼馴染みの三角関係……最悪の関係……でも、今はもう?》

 マルセラは肩をすくめ、

《時間が解決したことは確かなことだろうけれど、ニコラがいい歳になっても男を作らないのには、まだギサロとのことがあるからじゃないかと、私は想像しているんだけれどね。これは、マウリツィオにも言えるの。彼もまだ妻帯していない。若い頃の感情のやりとりは強く心に刻まれるものだからねえ。あんたも若いし、知らずのうちに罪作りなことをしているんじゃないのかい?》

 とマルセラは含み笑いをして朱音に話の矛先を振ってきた。

 朱音はなぜか激しく動揺し、何度も強く首を振って応えた。

《そ、そ、そんなこと、絶対ないわ! あり得ないもん…!》

《じゃ、あんたが強く想ってる人がいるとか?》

 カーッと首筋の辺りが熱くなった朱音は、答えを見つけられない言い訳をするようにぬるいエールをぐーっと飲んだ。

 そこへ、階段を軽快に降りてくる音が聞こえ、朱音は救われたような気分になったが、それが龍児であることに気付くと、なぜか首筋の火照りはおさまるどころかますます燃え上がるようになった。

 龍児は、カウンターに座る朱音を見つけると、意外そうに眼鏡の奥の切れ長の瞳を見開いた。

《なんだ、一緒に行かなかったのか》

《…その気になれなくて》

 いつもよりぶっきらぼうに言ったが、龍児は気にかけることもなく、すたすたと宿から出て行こうとしたので、朱音は尋ねた。

《どこに行くの?》

 龍児は立ち止まり、長い黒髪が束ねられた肩越しに振り返って応えた。

《まだ衛士隊の詰め所に行ってなかったから、一応な》

 朱音は、心を見透かすようなマルセラの黒い瞳に耐えられず、ぽん、と椅子から飛び降りると、

《あたしも暇だし、一緒に行っていい? マルセラさん、朝食、ご馳走様でした!》

 と言い置いて、龍児より先に外に出ていた。そのあとを、龍児が続き、扉を出しなに何気なく店内を振り返った。

 ぴたりとマルセラの視線と合う。その眼差しがにっこりと笑んだので、龍児は訳も分からず一礼して宿を後にしたのだった。

 残されたマルセラは、煙草の吸殻を灰捨て箱にカンカン、と煙管をうちつけて捨てながら、独り言ちた。

《…一番鈍感な男に惚れちまうとは、全く不器用だねえ…》


*****


 ずしりと重い革袋を差し出しながら、マウリツィオ・ボリエッロは、デスクの引き出しを開け、丁寧な手つきで四つに畳まれた羊皮紙を龍児と朱音に手渡して言った。

《イーディアスが都市連邦公認の通行証を発行するのも当然だ。どこの冒険者がマーフォークの族長でも敵わなかった怪物を退治できるというのだ。だから私もイーディアスにならって、それを君たちに進呈しようと思う。これから先、どこに向かうかはわからんが、我がモーヴは隣国カーマイン王国と交易がある。私の名の入った通行証を持っていれば、王国内を自由に行き来することができよう。どうかな? 気に入ってもらえただろうか》

 受け取った龍児は謙虚に一礼すると、

《グレイウォールでもそうでしたが、こちらでも過分なご配慮をいただき、恐縮です》

《ハッハッハッ、イーディアスもそういう君たちの冒険者らしくない物腰にも感心したのだろうな。私もついぞ出会ったことがない、これほど折り目正しい冒険者にはな》

 豪快に笑いながら言ったマウリツィオは、隊長室から辞去しようとする二人に改めて言った。

《これで元のモーヴに戻る。すべて君たちのおかげだ。礼を言う》

《それはマーフォークの人たちにも言うべきです》 

 珍しく朱音がこういう際に言葉を挟んだ。

《あたしたちも戦いましたが、あの人たちもいたから勝ったんです》

 すると、マウリツィオはふっと表情を変え、思いをはせるような眼差しになって応えた。

《…わかっているとも、十分すぎるほどにわかっているから、心配せずともよい、冒険者よ》

 二人はぺこりと頭を下げて隊長室から出ると、そのまま真っ直ぐに宿へ戻ろうとする龍児の腕を取り、朱音は言った。

「ねえ、せっかくだし、ちょっとこの辺り、見てみない? ここへついてすぐ騒動に巻き込まれて、ろくに見てないでしょ?」

 龍児の細い眉が怪訝に片眉だけ上がる。朱音は構わずに彼の腕を引き、詰め所の前方に見えている広場の方へと歩きながら続けた。

「あたしたちだって、たまには普通のことをしたっていいんじゃない?」

「普通のこと?」

「そうよ。こうやってぶらぶらしたり、ハトにエサを……って、リュウ、ちょっとお金ちょうだい」

 いつの間にか彼女の足元には埋め尽くすばかりのいろんな色をしたハトたちが群がり、うかうかしていると踏んづけてしまいそうなほどになっていた。

 龍児がバックパックから金袋を取り出し、ざらっと貨幣を朱音に手渡す。彼女はそれを握り締めて広場の端にある露店に走った。そのあとをハトたちがまるで彼女が親鳥であるかのようについていく。

 1ディナル支払ってハトのエサの詰まった紙袋を受け取った朱音は、懐いてくるハトたちに注意しながら広場の中ほどまで戻ると、雑穀をばらまいた。

 クックックルッポーと嬉しげに鳴きながら、ハトたちがエサをついばみ始める。そんな様子を朱音は自然とにこやかな表情になって眺めていたが、視線を感じ、振り返った。そこには龍児の観察眼的な眼差しがあった。

「なによ。あたしの顔になんかついてる?」

 龍児は、このつっけんどんな朱音に対し、やや心外さを含めたような口調で言った。

「いや、なに、お前がそんな表情をするとはな、と思っただけだ」

つい先ほどマルセラに言われたことが思い出され、朱音はまたも首筋の辺りが火照るのを感じ、そのことを龍児に悟られまいとしゃがみこんでごまかすと、ハトにひたすらエサを撒くことに集中しながら、言葉上ではむすっと応えていた。

「なにそれ。あたしだって普通の時があるんだから」

 朱音は内心で思った。

(普通って一体何よ? もう、普通だらけでわかんなくなってきた! あたしはどうしたいのよ?!)

 と、混乱気味になっていた朱音の傍らに気配が落ち、彼女は柄にもなくとびのきたくなった。龍児が長い脚を折り、隣に屈みこんだのである。そして淡々と言った。

「確かにそう言う時があってもいいね。僕にもそれ、分けてくれないか? エサをやってみたくなった」

 レイジュウジャーとしてのつきあいは短くはない。が、普段着での、と考えた朱音は、途端に龍児の低い声がものすごく近くで聞こえた感覚になり、思わず髪の毛の影に顔を隠すようにしながら紙袋を差し出していた。

 その袋から雑穀を取り出す手が、こんなにも色白だったのかと、朱音は初めて気づいた。そしてその指が、長くほっそりとしていることも。

 その手が、パッと雑穀をばら撒き、ハトたちが一斉に集まりついばむのを眺める龍児の横顔が、朱音の視界の端に入り込む。

 全体的に尖った印象の強い輪郭。前髪は長く、秀でた額で両側に分けられ、顎の下あたりまで伸びており、後ろ髪はさらに長く、首元で束ねられて背中に垂れている。細い眉は僅かに弓なりで、黒いリムに縁取られたレンズの奥の切れ長の瞳は、地面の上で一心にエサをつつくハトの動きを追っていた。

 と、その眼差しが、突然にぴたりと合い、朱音は想像以上にその距離が近かったので、変な声をあげて飛びのかないようにするのに努力を要した。

 龍児が、彼女の妙な様子に怪訝な眼差しになる。

「なんだか今日のお前はおかしいな」

「え、あ、そ、そんなことないってば! あたしは普通だもん、うんすごく普通」

 またも「普通」の大安売りである。龍児の瞳が疑わしげに細められたのを見た朱音は、自分でも何を言い出すかわからない中で、最後のエサをハトにやってしまいながら、会話を終わらせまいと唐突に言った。

「な、なんかさ、こうしてると、普通に旅行しに来たみたいじゃない?」

「…僕たちは観光しに来ているわけではないぞ」

 予想通りの生真面目な応えだったが、朱音はめげずに辺りを見回して言った。

「そ、それはわかってるけど、ほら、ここって、なんかすごくヨーロッパっぽくて、綺麗じゃない?」

 また四角四面な返答を聞きたくなかったというのもあるが、朱音の頭にある考えが閃き、彼女は衝動的に龍児の手を引いて眼前に立派なファサードのたたずまいを見せている教会を指さして言った。

「ねえねえ、あの教会を背景にして、写真、撮らない?」

「は?」

「ほら~、あんただって、せっかく憧れのファンタジーワールドに来たんだし、記念になるんじゃない?」

「記念とかそういう問題では…」

 朱音は少しだけ本音をこめて言った。

「…なによ、あたしと写るのは嫌、とか?」

 と、言ってしまってから、こっそり隠しているその本音に強烈な気恥ずかしさを覚え、我とも知らず激しく慌てた様子で言葉を継いでいた。

「あ、えっと、べ、別に嫌なら…うん、やっぱ、こんなことしてる場合じゃないよね、あたしたち、早くエネルギー集めて、地球に戻らなくちゃならないんだもんね、あはは、ごめん、リュウ、か、帰ろっか!」

 と朱音はいつの間にかぎゅ、と掴んでいた龍児の腕を離して歩き出そうとしていた。

 すると、その手首を掴み返され、朱音は驚いて立ち止まった。

「誰が嫌だなんて言った?」

 淡々とした口調で龍児は言うと、バックパックからコムパッドを取り出し、インカメラをオンにして朱音の手首を引っ張った。

「ほら、撮るんだろ? もっと寄れよ」

 何事にも怖気づいたことなどない朱音だったが、この一言にはなぜか脚がすくんだ。そこには凶悪な怪人がいるわけではなく、地球ならどこにでもいそうな一人の青年が、これまたどこでも見かける自撮りをしようとしているだけなのだ。

「なんだよ、自分で言っておいて、撮らないのか?」

 朱音は勇気を出して一歩近づいた。それでもまだ微妙な距離感がある。コムパッドのモニタには朱音の顔が半分切れて映っていた。

「撮るのか撮らないのか、どっちだよ」

 嘆息と共に言った龍児に、朱音は我に返ったように応えた。

「と、撮るわよ! 撮るに決まってるでしょ! 撮りたいんだから!」

「だったらもっと寄れって」

「こ、これくらい…?」

 急に勢いをなくしたかのように朱音がそろり、と身体の位置をずらす。

 今度は顔を背け気味の朱音の顔がモニタに映っている。

「アカネ、ちゃんと前向けよ。それにそんな顔で写りたいのか?」

 先ほどから骨身にしみる距離で龍児の声を聞き、その体温まで感じ取れるほどだったので、朱音はすっかり動転していた。一緒に写真を撮ろうと考え付いた自分にさえ、後悔というか、呪いたくなるような気分になっていた。

 しかし、やはり一緒に撮りたかった。朱音は精いっぱいの虚勢を張って言い返した。

「じゃ、どんな顔ならいいのよ? あたしの顔は変えようがないわ」

 龍児はモニタの中の自分たちと背景の具合を見ながら、何気なく応えた。

「さっきみたいな顔すればいいじゃないか。いい顔していたよ」

「はぁ?」

「ハトにエサやっていた時の顔だよ。なんなら、僕をハトだとでも思えば?」

「はぁぁ?」

 朱音の頭の中でまたも大混乱が生じる。

(リュウをハト? リュウをハト? ムリ! ああ、どうしよう、しかめ面しかできない……)

 と、その時朱音は身体を引き寄せられて、ぎょっとなった。見れば、龍児の手が肩にかかり、彼女をぐっと彼の傍に寄せていたのである。朱音の首筋から炎でも上がったかのように火照りが立ち上った。

「な、なに、リュウ、ちょ、ちょっと…」

「写り込まないんだよ、寄らないと。ちゃんと撮りたいんだろ?」

「え、あ、うん、だけど…」

「はい、笑って、アカネ」

 朱音はそう言われて笑顔のようなものを浮かべた。肩に置かれる手から、じんじんと熱が伝わってくるような気がする。何の香りか、ふんわりと龍児から漂ってくるのが感じられる。 

 突然、朱音はわーっとばかりに言った。

「ああ、だめっ。リュウをハトだなんて思えないし!」

 すると龍児はなんのこだわりもなく言った。

「だったら、それこそ、普通に旅行に来ていると思ったら? 僕たちは仲のいい友達、あ、異性同士だから、恋人の方がいいか、とにかくそんなふうに考えればいいんじゃないのか?」

 朱音の胸がどきん、となる。

 一瞬、ニコラとマーフォークの族長との過去の激しい恋愛関係に心が飛ぶ。

 正直、羨ましいと思った朱音だった。結果がどうあれ、素直に感情を表現できた二人が素敵だと思った。

 唐突に朱音は言った。

「そ、そうよね、うん、わかった、あたしたちは恋人同士、恋人同士…」

「そうそう、はい、笑って」

 龍児はひたすらシャッターチャンスに集中している。朱音はそんな彼の背中にそろそろと腕を回し、こっそりと手を腰にかけた。朱音の中でぴったりとくる。すると自然と表情が緩み、龍児がコムパッドの画面をタッチして画像を記録した。

 二人はしばし身体を寄せ合ったままで、今撮ったばかりの画像に見入った。

 それはほとんど普通のツーショット写真だった。背景には凝った装飾の建物があり、その前で和んだ笑顔を浮かべた朱音と淡白な表情の龍児が肩を寄せ合って映っている。

「こんなものを撮りたいなんて、本当に今日のお前はおかしいな」

 龍児の手が自分の肩から離れたのを機に、朱音もこっそり回していた腕をときながら、いつもの彼女に戻って言い返した。

「おかしくなんかないわ、普通なの、あたしは。それ、あたしのパッドに送って。あんたにとってはたいしたことじゃないかもしれないけど、あたしにとっては…」

 と言いかけ、朱音はハッと口をつぐんだ。幸いにも、龍児は今の画像を朱音のパッドに送信することに気を取られており、聞いていなかったようだった。

「はい、送ったよ」

 朱音は自分のパッドを取り出すと、早速確認した。

 モニタ一面に二人の画像が映し出される。朱音は髪の毛で見えない耳が熱くなるのを感じながら、言った。

「ありがと、リュウ…じゃ、帰ろっか」

 すると龍児は意外なことを言った。

「まだクロトもタイガも戻らないだろうし、どうせならこの街をもう少し見ていくというのはどうだ?」

 この提案に反対するはずのない朱音だった。

「じゃ、もっと写真も撮ろうよ、リュウ。そうだ、他の街に行ってもこういうことするのってどう? もちろん、チャンスがあれば、だけど。あ、他の二人とも一緒に撮りたいな」

 龍児は歩き出しながら、

「確かにお前が言っていた記念というのも頷けるような気がしてきたな。今まであちこち行ってきたけれど、そこはアルファ宙域だったり、その周辺宙域の、記録のある惑星だった。だけどここは違う。どこの宙域にあり、何と言う惑星なのかもわからない。今後ここが惑星連邦と関わるかどうかはわからないけれど、記録をとっておくのはありだと思うよ」

「…相変わらず堅苦しいことばっかり考えてるのねえ」

 と朱音は言ったものの、こうして龍児と二人で普通の若者のように歩けることに至福を感じていた。できるだけこの時間が長く続けばいいと思いながら。


*****


 朱音と龍児が『蒼海の真珠亭』に戻ってくると、すでに玄人と大牙は食堂のテーブルの上に様々な物を広げてみせているところだった。それをニコラがエール片手に眺め、感心している。

 二人が近寄ると、玄人が一際大きな水晶の塊のようなものを取り出して見せ、言った。

《わしらが魔力のこもったものを求めて回っていると話したじゃろ? そうしたら、あの族長さんがな、これをくれたんじゃ》

 それはほんのりと白い輝きを放っていた。龍児がさらなる説明を求めるような視線を玄人に投げる。玄人は小さく頷いて続けた。

《族長の言うには、深い海の底にこれを何年も沈めておくと、大いなる水の力を吸収するんだと。実際、大怪我をした赤いのを治すのに、あの人魚姫がこれの助けを借りて癒したとかゆっとったわ》

《なんだか、ルームランプみたいね。この光ってるのが魔法の力なのかしら》

 朱音が率直な感想を述べる。玄人は、マーフォーク族のもてなしでたらふく海の幸を食べてきたはずの大牙が、マルセラの運んできたカジキマグロらしき魚の厚切りステーキにかぶりつくのを横目に、

《帰り道に、少し調べてみたんじゃ。そうしたら、このクリスタルにはたっぷり重水が吸収されとるのがわかっての》

《重い、水?》

 ニコラが不思議そうに問い返す。玄人が説明を続けるように龍児に視線を送る。彼らの世界の常識とこちらの世界の概念をマッチさせるのは、すでに彼の役目になっていた。

 龍児は眼鏡のレンズをハンカチで拭きながら少し考え、応えた。

《その言葉の通り、重い水です。つまり、それだけ水の力を多く含んだ水、ということになります。魔力を持つ者にとっては、これは魔力の貯蔵タンクのようなものでしょう。魔晶石にも近いかもしれません。どれだけの時間をかけてここまでにしたかは計り知れませんね》

《彼らは長生きだからねえ。ギサロも若く見えるけれど、あれで私の二倍は生きているよ》

《えっ? でも、こい……幼馴染みだって…》

 朱音が慌てて言い直しながら尋ねると、ニコラはにこりとして肩をすくめ、

《身体は育っても、心が成長するのは遅いのよ。それに彼は一番下の弟で、甘やかされていたしね。大人になる必要もなかったのよ……でも今度のことで、いきなり大人にならざるをえなかった。で、結局判断を誤って遠回りしてしまったのね》

《親父殿とも仲直りしたと話しとったな。そりゃそうだわな、なんだかんだ言ってあの怪物を倒さんことにはこの海の平和は戻らなかったんだからの》

 と玄人が報告すると、唐突に大牙が言った。

《あの族長、なかなか漢な奴だな。俺とサシでやりてえっていうからよ、もちろんのってやったさ。あいつ、敵に回すのはマジやめた方がいいぜ。ま、最後は俺の一発で終わらしたけどさ。床にのされたのによ、あいつ、大笑いして、俺にこれ、くれたんだ》

 と、自分の足首にはまるアンクレットを見せびらかした。

 それは、金とオニキスで造られたトルク型のアンクレットで、差し向う左右の突端には牙をむくサメの頭部が意匠的に掘り出されていた。

 それを見てニコラが驚いたように黒い瞳を見開いた。

《あらまあ、相当にあんた、気に入られたのね。それはタイガーシャークの異名を持つギサロだけが身に着けるものよ。それがあれば、この世界のどこの海に住むマーフォーク族とも顔がきくようになるわよ》

《そう言えば、あいつ、隣に住んでる連中にも話通しとくって言ってたっけな。水の魔力のあるもんなら、腐るほどあるから、頼めば一つや二つはくれるだろうってさ》

《隣って、あんたたち、カーマインの方まで行くつもり? あの国はマーフォーク族とはかかわりを持っていなかったはずよ。だから彼らの住処のある場所まで出してくれる船はないと思うわ》

 ニコラの心配に対し、龍児が淡々と言った。

《僕らは冒険者です。何とかします。それにしても》

 と彼はテーブルの上の細々とした装飾品の山を見、続けた。

《心遣いは嬉しいけれど、こんなにたくさんくれるとはなあ…どうしようか》

《それだけあんたたちが感謝されているってことさ。だったら一つだけ持って行くというのはどうだい? あとは私が預かっといてあげるよ。冒険者のあんたたちだ、またここに寄ることもあるだろう?》

 大牙はすでにもらっていたので、他の三人はエキゾチックな装飾品の数々の中からそれぞれが目をひいたものを選び出していた。

 朱音は深紅のサンゴのビーズが連なった、意外に繊細なネックレスを、龍児は乳白色の中に青の斑が入っているオーシャンジャスパーが象嵌された幅広のブレスレットを、玄人はアーモンド形のジェットが嵌め込まれた太いリングを選んだ。

 朱音は、ネックレスをつけてみたところで、ふとある考えが浮かんだ。皆に反対されるかもと思ったが、彼女自身はぜひにもやりたかった。

《ねえ、今日、リュウとあたし、ギサロさんのところ行かなかったでしょう? だからお礼代わりに、したいことがあるんだけれど》

 と言いながら、朱音は椅子の背にかけておいた自分のバックパックからコムパッドを取り出して続けた。

《言葉では伝えられなかったけれど、写真で伝えるってのはどうかと思って》

 ニコラが見慣れない道具に瞠目しているのを横目に、龍児と玄人が常識的なことを言いだす前に、真っ先に大牙が賛同してきた。

《あ、それ、俺もちょっと考えてた! やっぱ、仲良くなったら、パチッとやんねーとな!》

《だよねだよねだよねー! みんな、カウンターの方行っててよ。もちろんマルセラさんも一緒よ。あたし、ちょっと準備するから》

 朱音と大牙のノリに押されるようにして、疑問符だらけのニコラと、堂々と自分たちの世界のツールを使用しようとしていることに難色を示す二人は、カウンターの方へと移動させられていた。

 朱音は『内線』を開き、ファンロンに通信を入れていた。

『あのボス、ものすごく私的なこと、頼んでもいいですか?』

『なんだね』

 キリルの包容力のある深い低音の声が返ってくる。朱音はまるで身内の者に甘えるような心地になりながら(その実、彼女に近親者はいない)、応えた。

『これから送る画像データをフォトボードに加工して、あたしのチェンジャーの座標に転送してもらえませんか?』

『記念撮影でもするつもりかね? しかしこの世界では写真はおろか、このフォトボードの素材自体が異質なのではないか?』

『大丈夫です。そこらへんの説明はリュウに任せてますから』

 ここで龍児がやや反発のこもった驚きの言葉を挟んだ。

『おい、アカネ、僕はそんなことを一言も…』

 だが朱音は構わずに話を続けた。

『とてもお世話になった人たちに、せめて記念にと思ったんです。やってもらえますか?』

 ターミナルの向こう側で、親身なため息をついているのが目に見えるような間をおいてから、キリルは応えた。

『了解した。だがくれぐれも時機と相手は選ぶのだぞ』

『わあ、ボス、ありがとうございます! 大丈夫、わかってますから! じゃ、すぐ送ると思うんで、お願いします!』

 足取りも軽やかに皆が集まるところへ行った朱音は、自分の身長のバランスからして適当と思われる、大牙とニコラの間に入り込み、コムパッドを掲げて言った。

《この「鏡」に向かっていい顔してね。合図で、撮るからね~》

《随分変わった鏡だねえ? それに何を「撮る」って?》

 マルセラが訳が分からないと首を振るが、その隣で決めポーズに悩むようにあれこれ試していた大牙があっけらかんと言った。

《自分の一番かっけーところをばしっとやんねーと、後悔するぜ~》

 ますますわからなくなったように姉妹は首を傾げる始末。

 朱音がコムパッドの中をのぞきながら、明るく言った。

《とにかく笑って笑って! じゃ、いっくよー! はい、チーズ♪》

《チーズ?》

 パチリ、とコムパッドの中の画像が静止し、半ば奇妙な顔をして「チーズ?」という口の形をしているニコラとマルセラ姉妹、そしてどこかのヒーロー漫画にでも出てきそうな大仰なポーズをとっている大牙、奔放に笑う朱音、なんとなくのせられた感の強い表情の玄人と龍児が、写っていた。

《まっ、こんなもんでしょ。またちょっと待っててね》

 と朱音は再び少し離れたテーブルのところに行くと、コムパッドを弄りだした。

 そんな彼女を見て、ニコラが言った。

《今のは一体何のまじないだ?》

 仕方なく龍児が口から出まかせを言った。

《彼女の持っている「鏡」には、一瞬の時間を焼き付ける力があるんです。他にも僕たちの故郷では、「鏡よ鏡、この世で一番美しい者は誰?」と尋ねると応える鏡があったりします。鏡には魔力がこもるものなんです》

 玄人がわずかに顔を背けて笑いを必死に堪えている。なんとなく龍児は朱音のしりぬぐいをしてしまったことにしてやられたような悔しさを感じたのだが、パッと顔を輝かせてこちらを振り返り、その手にアクリル板に写真を焼き付けたようなフォトボードを持って戻ってきた彼女を見ると、そんな気持ちは霧散した。

《はい、これ。一つはニコラさんとマルセラさんので、もう一つは、ギサロさんにあげて? みんな、いい顔してるー! ちょっとタイガが馬鹿っぽいけど。あ、もともと馬鹿だっけ》

《っるせー! お前こそ馬鹿笑いしてるじゃねーか!》

 姉妹は、ガラスのようでいてずっと軽い材質に、まるで鏡に映っているかのような自分たちの姿に驚きもし、感激もしたようだった。

《これはすごい魔法だねえ! これがあればあんたたちのことをずっと忘れないでいられるよ! ギサロもきっと喜ぶだろうし、驚くだろうねえ》

 ニコラはここでやや口調を落とし、続けた。

《もう行っちまうんだろ? そうよね、冒険者は旅を続けるものだものね。ああ、本当にこれはどんなものより記念になるよ。これを見て、あんたたちがどこの地でも無事で旅を続けられるように祈っているよ》

《あたしたちも、ニコラさんたちのこと、忘れません。それとマーフォーク族の人たちのことも。それに……》

 と朱音はニコラの耳元でこそこそと続けた。

《……あたしもニコラさんみたいな恋がしたいです》

 一瞬ニコラの顔がきょとんとなったが、すぐに大人の女の鷹揚な微笑を浮かべ、軽くウィンクしてみせて囁いた。

《ふふふ、強い男に惚れると苦労するよ。覚悟するのね》

《なに、こそこそ話してるんだよー》

 大牙が首を突っ込んできたので、朱音はシッシッとばかりに手を振り、

《あんたはあっちで夕飯でも食べてなさいよ。あたしはニコラさんと話したいの》

《たまには女同士の話がしたいんじゃろ。ほれ、わしらはこっちで今後のことでも話しながら飯にしよう》

 玄人が察しよく言い、大牙の首根っこを引っ張るようにしてテーブル席へと連れていく。カウンターでマルセラを交え、朱音が楽しげに、時折髪の色と同じくらい赤面しながら会話しているのを、龍児がかえりみながら首を傾げた。

「女同士の話って一体なんだ…」

「……お前には一番聞かれたくない話じゃろ」

 ぼそっと玄人は呟いたが、龍児には届いていなかった。

 結局、朱音は翌日漁を休むニコラを明け方まで引き留めて(ニコラ姉妹も朱音を徹夜させたのだが)恋バナに花を咲かせた末に、起き出してきた仲間たちと合流した。

 そしてニコラ姉妹と別れをすると、早朝の街を速足で通り過ぎ、最初にこの街へ来た時と同じ北側の橋から外へ出た。

 ファンロンにはすでに連絡をつけてあり、艦に転送された四人だったが、朱音だけはすぐに自室に引っこみ、速攻で眠りについてしまった。ただ、その眠る前に、一度コムパッドをつけ、鍵をかけたフォルダにしまった龍児とのツーショット画像を眺めるのを忘れなかった。

 その間にも艦はゆるゆると西へと進み始めていた。


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