『蛸の王』
「…対消滅…? わかるように話してよ」
朱音は、ニコラの舵取りで集合地点としたイゾラ島よりもさらに沖合にある孤島に向かう間、龍児に問い返していた。
龍児は眼鏡の位置を直してから応えた。
「対消滅と言うのは、僕らのダイジンオーやファンロンのパワーを引き出す際に生じている反応のことだよ。正物質と反物質が反応すると、その質量に見合ったエネルギーだけが残り、物質自体は消滅するんだ。で、これは五行機構というシステムを通して初めて艦やマシンを動かすエネルギーとして変換されているわけなんだけれど、この世界にはこの正物質、反物質となり得るものが、地球と違い、自然界に溢れている。そしてその物質を魔力として変換できる人々が存在している。つまり、その者自身に五行機構が備わっているようなものだ。
魔力にも属性バランスがあり、正物質、反物質のような対比関係があるんだ。この間ギサロに、炎舞扇で攻撃した時、反撃を受けただろう? あれはおそらく、この世界の魔力バランス、水が火を打ち消すという力関係と、僕らの持つ属性バランス、つまり、水が火の正物質であることも上乗せされ、お前の炎攻撃は無効化され、同時に正・反物質の反応、対消滅の際のエネルギーがそこに残った。そして残されたエネルギーは、五行機構がないために、この世界のバランス関係に従い、弱い方の火属性を持つお前の方に向かったのさ」
これを聞いてもいまいちピンとこなかった朱音に、ぼそっと玄人が言った。
「炎舞扇はちと封印しとけ、つうことじゃ」
朱音はぷぅっと頬を膨らませたが、何か閃いたらしく、表情を一変させて言った。
「じゃ、逆のパターンもあるってことね? あたしが逆の立場に立てれば…」
「タイガがいつもアカネにやりこめられるんは、そういうわけもあったんかのう?」
玄人が珍しくくつくつと一人笑いをする。またも朱音はムッとなったが(大牙の方はもとより龍児の解説話などに興味はなく、相変わらず『スニッパーズ』をかじっていた)、龍児の真面目な口調に引き戻されるように彼の話を聞いた。
「そういう反撃方法も有効な場合も今後生じるだろうけれど、今回は十中八九、水属性の魔物だ…蛸足が頭に生えていると言うくらいだからね。だからアカネ、お前は十分に気を付けろよ」
「…同じミスはしないわ。見損なわないで」
朱音はプイっと横を向いて言い放つと、舵を取るニコラの方へと行ってしまった。
龍児がそんな彼女に嘆息を投げたのを見、玄人が低く言った。
「…複雑極まるは女心なり、とな」
「は?」
「なんでもない、独りごとじゃ」
玄人はまたも一人笑いをしながら、泰然自若とした様子で、遠くにかすんで見えてきた孤島に視線を向けた。
*****
その孤島に着くと、すでにギサロは黒い岩場に矛を突き立て、仁王立ちのような姿で彼らの到着を待っていた。その背後に、別の誰かがいることを見つけたニコラが、船の錨を降ろしながら懐かしげに名を呼んだ。
《レヌア…! 久しぶりだねえ!》
嵐の中でもよく通るニコラの声は、ギサロの背後でうずくまるようにしていたものに届くに十分だった。蒼白い顔を上げ、その無表情に近い面差しに、ニコラ同様の懐旧の色がのぼる。
船から若者たちが降りるのを助けてから、ニコラはこれから一大決戦が始まるというにもかかわらず、ギサロの妹に駆け寄り、その半ば濡れ、冷たい身体をぎゅ、と抱きしめていた。そしてやや現実的になり、ギサロにも目を向けながら言った。
《本当にレヌアを連れてきて大丈夫だったのかい? あんただってかなわなかったんだろう?》
《お兄様から話を聞いて、むしろわたくし、自分から一緒に参りたいとお願いしたのですわ、ニコラ》
ギサロは小さく頷き、
《妹の守護魔法は一族随一だ。レヌアもマーフォークだ。戦わずしてなんとなる》
《でもこうしてあなたと再会できましたわ。これだけで、わたくし、ここに来た意味があったように思えますの》
そして、自分の他にあとに控える赤いドゥアハと青いエドゥル、そして磯遊びにでも来たかのように切迫感のない若者たちを一渡り見回すと、穏やかに言った。
《ヒトとマーフォークが協力して問題解決に挑む…これはきっかけになりましょう。両種族の関係を好転させ、さらに強く結びつけるための》
ギサロが天を仰ぎ、いきなりレヌアの地面を移動するには不便な身体をひょいと抱き上げ、言った。
《そろそろ奴がこの住処に戻ってくる時分だ。ニコラ、お前は街へ帰れ。奴がどんな攻撃をしてくるかわからんからな》
ニコラは素直に了解した。海の女は、海がどれだけ豊かか知っていたが、逆に計り知れない恐ろしさも持ち合わせていることも知っていた。
彼女は一抹の心配を漂わせた眼差しを一同に向けてから、船を島から離していった。
船影が小さくなったところで、ギサロがおもむろに踵を返しながら、四人に言った。
《先日も話したが、奴の触手攻撃は凄まじい。それに加えて触手で保持した槍で突きながら、両手両足で攻撃もしてくる。おそらく魔法攻撃もしてくると思われるが、どんなものかは想像もつかん》
《そのためにわたくしをお連れになったのでしょう? わたくしの魔法障壁があれば、たとえ敵の魔法が強大でも、少しの時間を稼ぐことができましょう》
と、レヌアがギサロの腕に抱かれたまま言うのを、先ほどから傍目からもそわそわと妙に落ち着きのない様子になっている龍児が言葉を添えた。
《その魔法の優先度は、マーフォークの皆さんを先にして、僕たちは後回しで結構です。それと、もし敵が魔法を発動してきた場合は、必ず大盾の背後に回ってください》
彼は表面上生真面目に言ったものの、「人魚」を実際に目撃したことへの興奮を抑えきれないように低く呟いていた。
「本物の人魚だぞ……もっと魚っぽいかと思っていたが、意外に人くさい……それとも族長の一族ということに理由があるのか? ギサロも他の魚人よりも人間くさい……にしてもこの目で…」
「うるさいわよ、リュウ。半人半獣なんて、これまで嫌って言うほど見てきたでしょ?」
朱音が呆れた口調の中に、知らずのうちに何かつかみどころのないわだかまりのようなものをこめてやり返した。
龍児はやや心証を害したように眼鏡の位置を直しながら、
「怪人とは違う、これは完全に幻想世界の生物なんだよ」
それとこれとどこが違うのよ、言い返したかった朱音だったが、緩い勾配で上がる岩場を進んだ先に、ちょっとしたひらけた粗砂の広場に出たので、龍児のファンタジーおたく話に付き合うのをやめた。と言うのも、ギサロがその長い腕を一点に伸ばして指さして見せたからである。
《あの狭い入り口が、怪物…我々はイルレディー・レポラ(蛸の王)と呼んでいるが…の寝床だ。だがあの中で戦うのは絶対に避けなければならない。狭すぎて触手の餌食になるのが目に見えている。だから奴があそこに帰るのを待ち伏せて、この場所で戦う。ここでも狭いくらいだがな》
見渡せば、確かにあまり広くない。その『蛸の王』の体格はギサロとほぼ同じ(180センチある玄人より頭二つ分は大きい)で、その頭から地面に垂れるほどの触手が生えているとすれば、安全地帯は限られた。
《レヌアさんはどうするの? えっと、その脚、じゃなくって、身体だと、いざと言う時に身動きがとれなくなるんじゃ?》
と朱音が、ギサロにいまだ抱きかかえられたままのレヌアを見やり、問題提起をした。すると意外にも、これまで口笛でも吹きそうな気楽さでついてきていた大牙が応えた。
《そのねぐらにそのタコ足野郎を近づけたくないんなら、逆にそこが安地になるんじゃねえの? 俺たちが奴を近づけさえしなけりゃいいわけだし、もし魔法が飛んできても、中までは届かねえ気がするんだ》
ギサロがなるほどと頷く。そして妹をその魔物の寝床へと下る洞窟の入り口に下ろすと、驚くほど気づかわしげな口調で言った。
《危ないと思ったら自分の身を優先させるんだぞ》
《何をおっしゃいますか、お兄様。女のわたくしが陸上に上がっているのですよ。すでにこの命はお兄様たちにお預けしております》
すると、赤のドゥアハと青のエドゥルが、それぞれ忠誠心高く言った。
《レヌア様の身、この一命を賭してもお守りする所存》
こんな時になってまでも朱音は龍児を半ばからかい、半ば自分でも判然としない理由から、彼を小突くようにしながら言った。
「あんたも彼女の騎士役に名乗り出たら?」
剣呑な視線が眼鏡の奥から光ったが、玄人の一言で、その場にいる者たちの間に緊張感が走った。
《空気の流れが変わった。何者か近づいて来るぞ》
レヌアが片手に持っていたサンゴの短杖を握り締め、唄うような口調で呪文を呟いた。
〔母なる海よ、父なる水の覇者よ、その子らにしばしの加護を与えたまえ〕
さあーっと清流のような流れがその場に満ちる。が、レヌアはなぜか狼狽した様子になり、兄に口早に言った。
〔おかしいわ、わたくしの守護魔法があの若者たちに反応しないなんて?〕
〔ぬ?〕
〔どういうわけでしょう? あの者たちには魔力が皆無なのです。そのような存在がこの世におりますでしょうか?〕
〔そのことはひとまず後回しだ、レヌア。奴が来る〕
ギサロは会話を打ち切り、広場の中央に矛を地面に突き立て、立った。その両側にドゥアハとエドゥルが、そして四人はその四方に立ち、いつでも変身できるようにベルトのスロットに手をかけていた。
ぺたぺたと濡れた裸足で歩く音と共に、何とも形容しがたいぬらついた摩擦音が微かに伴っている。それは確実にこちらへと近づいていた。
四人が初めてそれを見た時の感想はと言うと、
「キモっ」(大牙)
「タコ足じゃなかったら結構イケメン」(朱音)
「スキュラ男版か?」(龍児)
「あのタコ足、唐揚げにしたら美味いじゃろか」(玄人)
と、ギサロたちには決して聞かせられない間の抜けたことを考えていたわけだが、現実には相手がこちらに気付き、本能的な動きで触手をおぞましくくねらせたのを見、彼らは指にカードを挟み、極めつけながら言い放っていた。
《魔在る所、浄化の光在り》
《妖なるは、封印すべき也》
《聖なる力で邪を祓う》
《四方を護りし四つの聖なる獣》
《霊獣降臨!!》
四人はカードをソケットに差し込んだ。と、四色のオーラが彼らを包む。
《東の青龍!》
昇龍刀を閃かせ、青いパワースーツに身を包んだ青龍が、片脚立ちで頭上に刀を構えた姿勢で現れる。
《西の白虎!》
白いパワースーツに身を包んだ小柄な白虎は、その場で二回ほどとんぼ返りをしてから、両拳にはまる虎王撃から長い爪を伸ばして身構えた。
《南の朱雀!》
ジャンプしながら両脚を交互に蹴り上げ、姿を現した赤いスーツに身を包んだ朱雀の手にはいつもの炎舞扇はなかったが、まるでそんなものがなくても自分の敵ではないと言いたげな挑発的な物腰で掌をひらめかせた。
《北の玄武!》
甲鉄盾を両手に持った黒いスーツの玄武はそう言い放つと、どすん、と大盾を砂地に打ち据えるように置き、続けて叫んだ。
《先制攻撃じゃ!》
柔らかい砂地が波打つように盛り上がり、それが魔物の足元で上に向かって突き上がった。
〔グ、オッ?!〕
イルレディー・レポラは大きく身体をよろめかせた。この隙を彼らは想定していた。そう、すでに話し合いで玄武の激震烈波による衝撃波で敵の初動を封じ、一斉に攻撃に転じることを決めていたのである。そしてその対象は、前回ギサロが挑んだ時の経験をもとに、厄介な触手からということになっていた。
青龍の昇龍刀が滑らかな弧を描いてうねる触手を斬り落とせば、白虎の鋭い爪がまさに乱切りをするように、紫色のまだら模様のあるそれを切り刻む。エドゥルの水魔法がその間を縫って飛び、触手が斬り飛ばされた。
斬撃攻撃を今回に限って封じられている朱雀は、本体に蹴りの応酬を与えていた。
確かに、頭部に蛸足が生えていなければ、整った顔立ちをした人間にも見えた。しかし、その瞳は白く濁り、肌は薄気味の悪い薄紫色をしていた。
その、隆とした胸元に、化け物じみた外見とは不釣り合いな、どこかバーコードを連想させる記号が刻印されていることに気付いた朱雀だったが、彼女の攻撃を牽制するかのようにくねってきた触手を回し蹴りで撃退しているうちに、頭の外へ追いやられてしまった。
と、白虎が突如、匙を投げるように叫んだ。
《やべえっ、こいつ、また生えてきやがる!》
まさに、その切断面から緑色の体液を撒き散らしながら、異音と共に新たな触手が生え出してきた。
《こちらもだ!》
青龍が、やはり新しく生えてきた触手の薙ぎ払いを横に飛んで回避しながら応じる。
すると、意外なところから声が上がった。レヌアだった。
《皆さん、そのものの再生力は本体の生命力に依存しているようですわ。触手と同時に、本体に大ダメージを与えることができれば、触手の数は減らせるはずです》
《あんたの妹、やるじゃない》
朱雀が場違いに気の置けない態度でギサロの脇腹を小突いたので、彼は対応に困ったようになりながら、
《妹は色々と補助的な魔法に長けているのでな。敵の弱点や特性を見抜くことにも優れているのだ》
《じゃ、その妹さんの助力に見合う働きをしなくちゃね! あたしとクロト、そして族長さんと青いの赤いのは、本体に集中攻撃で。タイガ、リュウ、あんたたちには触手をそのままやっつけていて》
彼女の指示はなんの異論もなくすんなりと受け入れられた。そして即座に行動に移る。
《もう一度体勢を崩させるぞ!》
と玄武が言い、大盾を身体の正面に構えると、そのまま腹の底から気合の声を発しながら、怪物に向かって突進していた。
《うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!》
砂地が舞い上がる程の勢いで走り込んだ玄武の盾が、敵の胸元に激突する。だが玄武は止まらず、片方の肩を大盾に押し当てるようにして敵に盾での連打を続けた。
その度に蛸の王はじりじりと後ずさり、小さくのけぞる。そして最後に大盾の突端についている二本の突起を突き出すようにして薙ぎ払うと、たたらを踏んで後方に大きく身体をかしがせた。
《今よ!!》
朱雀が叫び、それぞれが攻撃を再開する。
白虎と青龍は再び触手と相対し、切断を始めた。
朱雀の長い跳躍を伴っての、飛び蹴りが敵の顔面にヒットすると、さらに相手は身体をよろけさせた。
そこへ、ギサロの長い脚が一足で敵に迫り、一突きしようとするが、それを触手の持つ槍がはじき返し、さらに両手がギサロの頭部を掴み取るようにして圧迫してきた。
《ギサロ様!!》
ドゥアハが息を飲んで叫び、ギサロに攻撃が当たるかもしれない危険性を承知で自分の武器を中段に構え、腰を落として気合をこめる。矛の先にうっすらと波動のようなものが溜まり、それが、瞬間的に敵に向かって発射された。それはギサロを押さえ込んでいる敵の右腕に立て続けに命中し、掴む力が弱まった。
この機を逃さず、ギサロは頭部の拘束をふりほどき、矛の間合いを取ると、身体を屈めて下段から矛先を振り上げ、魔物の前面を切り上げるようにしながら驚くほど高く飛び上がり、そのジャンプの頂点で矛先を下に持ち替え、落下しながら抉るように切り裂いた。
〔グゲエェェェェッ〕
びしゃびしゃと緑色の体液が傷口から溢れる。みれば、顔面からまっすぐ一直線に深い裂傷が走っていた。
そこへ朱雀の鋭い回し蹴りの連続攻撃が加わり、さらにエドゥルの魔法が飛んできた。
《水波海嘯!》
敵の傍にいた者たちは魔法の効果範囲からとびのいた。
魔法の津波が敵を飲み込み、押し流す。傷口はさらに広がり、魔力の放射が終わった砂地にはどろどろとした敵の体液が水たまりのように点々とついていた。
《確かに触手が再生していないようだ。このまま一気に…》
と青龍が言った時、敵に別の動きが現れた。
前面を切り裂かれ、半ば緑色に染まっている顔が一瞬嗤ったように見えた。
《あっ、いけません、大きく退避を……!》
レヌアの声は一足遅かった。
ぼふんっと煙幕でも張ったかのように敵の周囲から黒い霧のようなものが発せられ、それは地面を這い、みるみるその場の空気を侵食していった。
《んん?! なにこれっ?! 目が、目が見えないわ!》
《今、治癒します!》
レヌアの必死の声だけが聞こえる。少しの間があき、ギサロたちマーフォークのものたちはその暗闇から解放されたが、レイジュウジャーの四人は相変わらず暗黒の中にあった。
《やはり彼らにわたくしの魔法が効きません!》
悲痛なレヌアの声がレイジュウジャーたちに虚しく届く。
《ぬ、また別の何かをしてくるようだぞ》
ギサロが敵の動きを見、警告した。
蛸の王は呵々と嗤うように異様に紅い口を開けて、両手を天に掲げていた。
《魔力が増大しています、ギサロ様。これは、かなりの威力の攻撃魔法が発動されると考えられます》
エドゥルが切迫した口調で進言する。
ギサロは言った。
《レヌア、洞窟の奥に隠れろ! おい、人間たち! 目が見えないのはわかっているが、どうにかしてこの盾の後ろに来い! お前たちならできるだろう?!》
エドゥルの言葉の時点で、すでに玄武の位置を気配で捕捉していた彼らだったが、最も玄武から離れた地点にいた青龍がやや遅れを取った。
それはごおおおっと凄まじい勢いと圧力でもって、その場を席巻した。
「うっ、ううっ!」
一足遅れた青龍の細い身体が魔力の水竜巻に巻き込まれ、宙に高く吹き上げられようとするのを、ギサロの長い腕ががっしと彼の脚を掴み、玄武のバリアの中へと引き戻していた。どさりと倒れ込んだ青龍に、白虎が気がかりに声をかける。
《おい、やられたなんて言うなよな?》
《…大丈夫だ…洗濯機に飲まれた気分だけれどね》
《こんな時に冗談なんて、あんたらしくもない》
朱雀が呆れたように言ったが、そのマスクの下の表情は誰にも見せたくないほどに心配で歪んでいた。
玄武はじっと大盾を構えて魔力放射の圧力に耐えていたが、それだけをしていたわけではなかった。彼はこの暗闇状態が何らかの毒素によるものではないかと考え、一か八か、キリルに連絡を入れていた。
『ボス、今大丈夫じゃろか』
返答はすぐにあった。
『どうした? スーツの転送があるからには、戦闘中だな?』
『はい。敵の毒らしきものを受けてしまってのう、視界がきかないんじゃ。どうにかならんかと思ってのう』
『毒か。少し待て……ふむ……メタノールによる視神経障害に似ているな……よし、こちらの技術が通用するかわからんが、メタノールとギ酸の除去をプログラムしたナノマシンを即刻君たちの『霊獣チェンジャー』に転送する。考えが正しければすぐに回復するはずだ』
『すまんのう、ボス。わしらのミスやのに』
『何を言うか、私には君たちを守り支援する義務があるのだ』
という傍から、四人の視界から暗闇の雲が晴れていく。
《おおっ、治ったぜ!!》
白虎がマスクの上から目を拭うような仕草をしてみせたが、目ざとく敵が何かに気付いたように顔を捻じ曲げていることを見つけていた。その視線の先には、敵の魔法の届かないぎりぎりのところで、ひたすらに守護魔法を唱えているレヌアがいた。
《なんかやべー気がするぜ…》
と白虎が言いかけた時、魔物は唐突に魔法を中断し、驚くほど素早く彼女の元へと走りながら、触手を鋭く伸ばした。
《ちっ、くそったれっ!》
一番先に白虎が駆け出し、触手を切り裂いたが、何しろ数が多い。続いて青龍が、そして渾身のギサロの矛が投げつけられるが、全ての触手を止めることはできなかった。
うねうねとしながらも、鋼の切っ先のように鋭い触手が、祈るように魔法を唱え続けるレヌアを狙って迫った。
《レヌアーーー!!》
ギサロの必死の叫びが響く。
触手がぐさぐさっと肉を貫く重い感触を伝える音をたてる。
呻き声と、ごぼりと血を吐く音。
だがそれはレヌアのではなかった。
彼女の前で、何本もの触手に身体を貫かれていたのは、ドゥアハだった。
《ドゥアハ…!!》
レイジュウジャーたちが赤いマーフォークに突き刺さっている触手を分断すると、どうっとドゥアハは支えをなくして砂地に倒れ込んだ。それをギサロが抱え起こし、妹に激した口調で言った。
《癒せ、早く!!》
レヌアは涙目になって小さく首を振った。
《やっておりますわ…! でも傷が深くて…!》
《何のためにここへ連れてきたと思っているのだ?! それでも私の妹か?!》
すると、血痰を吐きながらも、ドゥアハは気丈に身体を起こすように腕を突っ張り、
《だ、大丈夫です…これしきの傷で、「双頭の海蛇」はやられはしません》
と、切られてもなおうねうねと蠢いていた触手の名残りを勇猛にも自ら引っこ抜き、痛みと怒りでさらに身体を赤くさせながら、ドゥアハは握り締めていた矛を全霊込めて敵に投げつけた。
〔グギャアアァァッ!〕
ドゥアハが放った矛先は、蛸の王の残っている方の白い目に深々と突き立っていた。肩で大きく息をついていたドゥアハはさすがに力尽きたのか、そのままばたりと倒れ込んでしまった。ギサロはそんな片腕であり、友でもあるドゥアハをレヌアの傍に横たえると、
《奴に特に守護魔法をかけておけ》
と妹に命じた。レヌアは言われないうちにそうしていた。
蛸の王の顔面にはドゥアハの矛がぐっさりと突き刺さり、その顔面からまっすぐ下に向かって深い裂傷が走っており、触手は切れ切れになっているにもかかわらず、敵は倒れることもなく、しつこく残っている触手で攻撃をしてこようとした。
《まだ死なないなんて、こいつ、脳筋?!》
自分でも笑えない軽口だと思いながら、朱雀は身体をひねり、後ろ回し蹴りを蛸足の魔物の側頭部に叩き込むと、そのまま脚を首に絡め、全体重と脚力で相手を地面に俯せに引き倒していた。その拍子に矛がずぶずぶと押し込まれ、頭部を貫通したが、まだ魔物は生きていた。
怪物は本能的に邪魔者を排除するような動きで、朱雀に触手を伸ばしてきたので、これを青龍が次々と斬って捨てた。
《動きを止めてるうちにとどめを刺しちゃって!》
《まかせろや!》
白虎の両拳の爪がシュッと伸び、朱雀が必死に押さえ込んでいる魔物の後頭部に根元まで突き入れられ、さらに手首をひねって抉りながら引き抜かれる。
矛の貫通と白虎の爪の攻撃で、さすがの蛸の王も動けなくなったようだった。
朱雀が脚による拘束を解き、かなり疑わしげに地面に倒れ伏す魔物を見下ろしながら言った。
《やったのかしら?》
《…いや、まだのようだ》
青龍がいやに冷静に応えた。と言ったのに合わせるように、触手の一本がぬるりと再生されたのである。
《本体には相当のダメージを与えたはず……あっ》
と言いかけて、朱雀は言葉を飲んだ。イルレディー・レポラが何のダメージもなかったかのようにゆらりと立ち上がったからである。頭部にはまだドゥアハの矛が突き刺さったままにもかかわらず。
さらに驚くべきことに、魔物の前面に走っていた深い裂傷がゆっくりとだが、目に見えて塞がっていくのである。
《これはどういうことだ?! 本体にも再生力が?!》
ギサロが動揺を隠せずに言うと、レヌアは慄きを垣間見せながら言った。
《触手の再生を弱めていたのは、本体の損傷を優先して再生するためだったのですわ。しかし、この再生力はわたくしたちが使う癒しの魔力とは相容れぬもののように感じ取れます。いくら魔物とはいえ、命あるもの、その命の理から外れた、どこか歪んだものを感じます》
この言を聞き、青龍には思いついたことがあった。仲間たちに言えばまたファンタジー小説の読みすぎだと呆れられるとは思ったが、この際、どんな知識でも活用されるべきだった。
『ボス、キマイラというものをご存知ですよね』
玄武からの通信で、難しい戦闘になっていると察していたキリルは、すぐに応えた。
『もちろん。一つの身体に異なった遺伝子構造をもっているもののことだ。その語源はギリシャ神話の怪物だったかな』
『はい、そのとおりです。三つの動物を合成した怪物の姿をしています。そういったものを人工的に生み出すことは可能なんでしょうか?』
『可能だ。だが我々の属する惑星連邦では倫理的人権的な観点から禁止されている。だが、実際、君たちがこれまで戦ってきた外宇宙からの様々な怪人たちの中には、キマイラが存在していたがね。敵はキマイラなのかね?』
『おそらく。蛸と人間の合成のようです。だとしたら、こちらでは魔力によって生み出されたキマイラと考えてもおかしくないですね? とにかく異常なほどの再生力を備えていて、きりがないのです』
『惑星連邦でキマイラの製造が禁止されているのは、倫理上の問題だけでなく、遺伝子レベルで様々な強化を行えるからであり、強化人間とは違った意味で、強力で命令に絶対服従する軍隊を作れるからだ。先ほどの毒霧もその怪物に与えられた遺伝子の一つなのだろう』
ここでキリルは思考を手繰るような間を開け、
『魔力でキマイラを製造するとしても、何か核のようなものが必要になるのではなかろうか。我々の世界ならばキメラ胚とでも言うべき、元になるものだ。この世界は魔力に溢れている。その魔力を核とした何かがキマイラを形成し、その核が魔力を吸収してその魔物は繋ぎ合わされた身体を保持し、さらに再生力として作用しているのではなかろうか』
青龍はピンときた。
『魔晶石が心臓となっているということですか!』
『可能性はある。ちら、と見ただけだが、あれの規模がもっと大きければ、生物を操ることもできよう。そして逆にそれを破壊すれば、結合力は弱まり、消滅するということになる』
『ボス、ありがとうございます。戦いの糸口が見えてきました』
『健闘を祈る』
青龍が通信を終えると、すぐさま朱雀が、かなり回復している敵の右胸を指さし、言った。
《あそこ、変な印があるでしょ? あれ、怪しくない?》
見れば、先ほど朱雀が見つけた奇妙な記号と何かの紋章のような烙印がある。
猶予はなかった。
青龍は説明もほどほどに、言った。
《あの右胸の烙印、あそこを攻撃すれば奴を倒せる。あくまで僕の勘だけど、たいていの場合、意外とわかりやすい場所に急所があったりするんだ》
キリルとの交信を聞いていないギサロには、青龍の提案は短絡的にも唐突にも聞こえ、首を傾げたのだが、レヌアがとどめるように言った。
〔今はヒトの子らの言葉を信じて、お兄様。彼らには魔力はなくとも、何かもっと大きな加護を感じますの〕
ギサロは一つ頷くと、地面に落ちたままの自分の矛を拾い上げ、言った。
《よし、お前の勘を信じよう。そしてこの戦いを終いにするのだ!》
と、マーフォークの族長は身体を大きくしならせて矛を構えると、ぶぅん、と唸りを上げるほどの力で矛を投擲していた。
狙い過たず、矛先は根元まで右胸の烙印に命中していた。
緩慢な動きで魔物が胸に突き立った矛を見下ろす。と、その紅い口から緑色の体液が吐き出された。
《当たりだ! とどめ!!》
青龍はそう叫ぶなり、ステップを踏むように敵に迫り、最後の一足で柄で一突きして反動を得ると、後方宙返りをしながら刀で斬り付け、着地すると同時に昇龍刀を同じく右胸めがけて投げ放ち、自分よりはるかに身の丈のある敵の肩口まで跳躍して刀を支えにその上に足をかけるようにして乗ると、突き立っている刀をさらに深く突き刺した。
刃の先に何かがあるのが感じられる。
それだと直感した。ぐい、と一際強く大きく抉ると、そこにそれがむき出しになっていたかのように、ガラスの割れるような音がその場にいたものたち全員に聞こえた。
蛸の王がその場でついに動きを止めた。
と、いきなり頭上から砂細工が崩れるように脆くも掻き消え、スタン、と何もなくなったところから着地した青龍が抉り突いていた位置から粉々になったガラス片がきらきらと舞い散った。
《それが、あやつの本体じゃったんやな?》
玄武が砂地と見分けがつかなくなっている破片を見下ろしながら、長いため息とともに言った。青龍は頷き、
《まだ仕組みはわからないが、魔晶石にこめる魔力の種類によっては、あのような合成獣を作り出せるのだろう》
すると、洞窟の入り口から身体をゆっくりと移動させてきていたレヌアが言った。
《聞いたことがあります。命の理に反した禁忌魔法が存在するということを。あのものは、命なき虚しい器でしかなかったのですね…そんなもののために多くの一族とそしてドゥアハがこんな深手を負って…》
《お嘆き下さるな、レヌア様》
エドゥルが淡々と言った。
《ドゥアハめは身の程もわきまえず少なからずレヌア様を想っております故、あなた様をお守りできてむしろ喜んでおりましょう》
その場が湿っぽい雰囲気になるのを嫌うように、白虎がいきなり言った。
《しっかしなあ! めんどくせー奴だったのに、魔晶石はぶっ壊れるわ、珍しいお宝の一つもないなんてなあ!》
この言葉を聞きとがめたギサロが尋ねた。
《お前たちは魔晶石を求めているのか》
《そういうわけでもないんですけど、こう、魔力のこもったものを探してるんです》
と朱雀が曖昧に応えると、ギサロはたいしたことでもないと言いたげに肩をすくめ、
《魔晶石は希少なものゆえ、残念ながら我らにも手持ちがないが、水の魔力の宿ったものならいくらでもあるぞ》
と思いついたように続けた。
《今はドゥアハの容態もある故、ゆっくりはしていられないが、日を改めて我が住処に来るがよい。この海を守ってくれたお前たちに礼をせねばなるまい。ところで、お前たち、帰りはどうするつもりだ? ここは絶海の孤島だぞ》
確かにそうだったが、別段四人は困った様子もなく、龍児が代表して応えた。
《あなた方はどうぞ僕たちのことは気にかけずに先に戻ってください。怪我のこともありますし。僕たちは僕たちで何とかします》
ギサロはそれ以上四人に尋ねることはしなかった。風変わりな鎧に身を包み、人間の冒険者の割には細腕のくせにどんな者たちよりも卓越した戦闘力を持つこの若者たちなら、なぜか、どうにかしてしまうのではないかと感じたからである。
彼は来た時と同じように妹を抱きかかえると、後ろからドゥアハを支えて歩くエドゥルを従え、最後にこう言った。
《今回のこと、このギサロ、一生忘れぬ、人間よ》
そうしてその場から去っていく海の民を見送った四人は、変身を解き、それぞれにほっとした顔つきになったが、玄人が砂地に紛れてしまっている欠片を拾いながら言った。
「まあ一応これでも倒した証拠になるかもしれんし、の」
龍児が肩をすくめる。
「ないよりはマシ、程度かな」
「とにかく、早く帰らない? あたし、お風呂に入りたーい! なんかべたべたするし、あのタコのぬるぬるがなんかやな感じ~」
と朱音が不平をこぼすと、大牙は一つ覚えのように訴えた。
「俺、ハラ減った!!」
彼らは躊躇わずファンロンに連絡を入れると、転送を頼んだ。
まもなく、四人の姿は虹色の光線に包まれ、その場から忽然と消えていった。




