『幼馴染み』後編
数時間後、尾羽ならぬ尾ひれ打ち枯らした姿で玉座の広間に戻った「双頭の海蛇」と配下たちを見たギサロは、まずは言葉が出ないほどに感情を昂らせた。
〔…ギサロ様…大変面目なく…〕
エドゥルが折れて短くなってしまったスタッフをだらりと握りしめ、がくりと頭を垂れて呻くように言った。続けてドゥアハが、片脚を引きずるようにしながら膝をつき、敗残の屈辱と慚愧の念に打たれて言った。
〔油断したつもりはなかったのですが、相手の若僧どもは得体の知れない業を持っていたのです〕
〔どういうことだ〕
噛み締めた歯の間からギサロは鋭く難詰した。エドゥルがうなだれたまま応えた。
〔連中の武器はまるで魔法の産物のように突如現れ、私の魔法攻撃を全て跳ね返したのです。水波海嘯もです〕
〔なんと…?!〕
〔動きも普通の人間とはかけ離れた素早さと強靭さを持っていました〕
〔う……ぬ……〕
ギサロは玉座の上で片肘をついて呻くと、決意を固めたように立ち上がった。その身の丈は「双頭の海蛇」をはるかに凌いだ。そして玉座に立てかけてある長大な矛を取ると、一言、言った。
〔私が行くしかあるまいな〕
〔それはなりませんわ!〕
その声は、ギサロの横手から聞こえてきた。広間の床に開いた海底へと通じる穴の縁から、今、ギサロの妹レヌアが身体を引き上げ、兄の方へと擦り寄ってくるところであった。
〔お兄様が街へ姿を現せば、そのお姿、膂力の強さ、長として備わった覇気などで人間たちを圧倒してしまうことでしょう、そして街中が大混乱になりましょう! その人間側の強者の存在は、わたくしたちがどうすべきか、そしてどこに向かうべきか示す前兆ではございませんか? ドゥアハとエドゥルにこれだけの打撃を与えた者たちですよ? これ以上傷つけあうのは無意味ですわ!〕
ギサロの黒目がぎろり、と妹に向けられ、衝動的な動きで彼女の蒼白い肌をした頬を打ち据えていた。
〔無意味とはどういうことだ! こうして我が民が傷つけられているのを、ただ黙って見ていろとでも言うのか?! 私はマーフォーク族の誇りのために戦うのだ! お前もマーフォークの一族であればわかるはずだ。それともあの老いぼれ同様、戦い、勝ち取ることを忘れた腰抜けになり下がったか?!〕
頬を打たれた反動で床に横倒しになっていた身体をようやく起こしたレヌアは、自らの痛みからではない涙を流しながら言った。
〔あの街にはお兄様が大切になさっている者がおりましょう? その者たちとの全てを踏みにじるおつもりなのですか? 特にあの黒髪の…〕
〔黙れ! 私が行くと決めたのだ! その得体の知れぬ人間どもを二度と立ち上がれぬまで叩きのめしてくれるわ! ついでにあの忌々しい街の港を破壊してやる! そうすれば人間どもも海から手を引かざるを得まい?! なぜもっと早くにこのようにしなかったのか! おお、己が愚かしく思えてならぬ!〕
ギサロは怒気をはらんで言い捨てると、妹がさざめき泣くのを振り返りもせずに広間を後にしたのだった。
*****
飽きもせずに『スニッパーズ』をかじっていた大牙は、耳の上の辺りにピリリとした違和感を覚え、港の岸壁に腰掛けて脚をぶらぶらとさせるのをやめた。
立ち上がって沖合に視線を馳せる。「内海」の穏やかな海面が続いていた。
「まさか、魚人の大ボスがクロールして泳いでくるなんてことねえよな」
と独り言ちた大牙は、何気なく足元の水中に目を落とした。
そこに何かがいた。そしてそれと目が合った。「やばい」と思った時には遅かった。
水中からざばっと大きな水掻き付きの掌が突き出され、大牙の顔面をがっしと掴み取ったのである。そのまま水の中に引き込まれると思ったが、身体が宙に浮いたので、その者が自分を鷲掴みにしたまま岸壁をよじ登ったのだとわかった。
『皆、おいでなさったぜ! そして、俺、ちょっとピンチ~!』
と内線で伝え終わるか終わらないうちに、大牙を掴んでいた手が大きく振られ、彼の顔面からぬらついた掌が離れた。
と、彼の身体がものすごい力で空中に放り投げられていた。
「うひゃあ!」
港湾区に散らばっていた他の三人が、今まさに大牙が漁師ギルドの三階付近の壁に激突したのを目撃していた。
「タイガ!!」
大牙はしたたかに背面を打ち付けて一瞬息が詰まったが、意識ははっきりしていたので、無様に地面に落下することは避けられた。
「ちょっ、やるじゃねえか」
スタン、と地面に着地した大牙と、その他の三人を高みから見下ろしたマーフォークの族長ギサロは、黄金色と黒の鱗とヒレを午後の陽光にてらてらと輝かせながら、尊大に、だが挑発的な中に苦々しい何かをこめて言った。
《確かにただの冒険者というわけではないようだな》
長大な矛を地面にトン、と突いてもう一度彼らを眺め回し、今度は不敵な笑みのようなものを蒼白い口元に浮かべた。
《だがおもしろい。俄然おもしろくなってきた。人間の中にもこのような者共がおるとはな》
四人は自然とベルトのスロットにしまってあるカード型インターフェースに手を伸ばしていた。大牙が不意を突かれたということもあったが、明らかにこの魚人はこれまでのとはレベルが違うと、彼らの戦いのセンスが告げていたからである。
《さあ、かかってこい。このギサロ・ヌ・アムウが蹴散らしてくれるわ!》
長い矛を両手に持ち、戦闘態勢になったマーフォーク族の長に対し、四人も応ずるようにカードを手首のソケットに差し込んでいた。
「霊獣降臨!!」
四色のオーラが四人を包み込む。
「東の青龍!」
「西の白虎!」
「南の朱雀!」
「北の玄武!」
パワースーツに身を包み、それぞれ手に武器を携えて身構えたレイジュウジャーたちを見たギサロは僅かに驚いたようだったが、戦いの勘を鈍らすほどではなかったと見えて、いきなり攻撃を仕掛けてきた。
長い矛先が四人全員を巻き込むほどの弧を描いて、大きく薙ぎ払われたのである。
玄武以外は敏捷に回避したが、玄武はその攻撃を真っ向から受け止めていた。
ガキィィィィン、と硬質な音が響く。
玄武は大盾の背後で微動だにしていない。もちろん盾に損傷もない。
ギサロはにやりと口元を歪めると、独り言のように言った。
《それが魔法をも弾く大盾か! ならば試してみようではないか!》
ギサロは両眼をぎらっと底光りさせると、手にしている矛を身体の正面にして持った。その矛の刃の根元の部分に、青い玉石が嵌め込まれているのが四人にも見えた。
「あの槍は魔法杖にもなるのか!」
と青龍がつぶやくのとほぼ同時に、ギサロの身体から他者を圧倒するような気と共に、魔法のパワーが発せられていた。
《水流崩落!》
「来るぞ! わしの後ろに!」
四人が背中合わせに大盾の背後に立った刹那、どうっという轟音と共に水圧で凝り固まったようなものが頭上から降ってきたのである。四人の周囲の地面がその威力で抉られていく。
「むう…あの青いのとはちと違うのう」
と玄武が唇を引き結び、気力をこめて盾を構えながら言った。だが彼の盾が守る範囲には、まるでドーム状のバリアが張り巡らされているかのように、ギサロの放っている魔法から仲間たちを完全に保護していた。
《ぬ、さすが聞き及んでいた通りのようだな。だがこれではどうだ?》
ギサロは一旦魔力の放射を止め、別の、さらに威力の高い魔法を発動しようと、意識を集中し始めた。握ってもいない矛が彼の手の間で浮き、その周囲に小さな竜巻のような物が形作られていく。
「唱えさせないわよ!! クロト、肩貸して!」
朱雀はそう叫ぶなり、腰を落として盾を構えていた玄武の肩に軽くジャンプして脚をかけると、そこを足場にしてトンッとギサロめがけて跳躍したのである。その間に両手の炎舞扇に炎がまとわれた。
これを見て、青龍がハッとしたように息を飲み、叫んだ。
「アカネ! 戻れ! おそらくお前の武器は…!」
しかしこの声は、次の瞬間に起きた一連の出来事でかき消されるのと同時に、青龍の推測を裏付けることになった。
高く舞い上がった朱雀に対し、ギサロは魔力の集中を中断し、そのいまだ魔力の余韻を残す矛先を上向けて突いてきた。その一寸の差で矛の柄に飛び移った朱雀は、つ、つ、つ、と柄の上を滑るようにしてギサロに肉薄し、両手の扇を左右に交差させるようにして大きく薙ぎ払った。
朱雀にはギサロの顔面を切り裂いた手ごたえがあったように思われた。がしかし、それは突然の大きな衝撃で不明になり、何が起きたのか把握しないままに後方に大きく吹き飛ばされ、地面を数メートルも滑って建物の壁に激突させられていた。
一瞬、意識が白くなった気がする。
「アカネ!!」
青龍が名を呼ぶ声が聞こえるが、いやに遠く感じる。肩を揺さぶられているのを感じ、ようやく瞬間的な昏倒から立ち直った朱雀は、自分を助け起こしていた青龍の背後から、貝殻か何かでできた矛先が突き出されてくるのを見た。
「リュウ、後ろ!」
青龍はいちいち背後を振り返ったりなどはしなかった。迫る殺気を感じ取り、一足脇に身体をずらすと、間髪のタイミングで突き出された矛先を昇龍刀の腹でがっきと上から地面へ押し付けていた。
両者の視線がかち合う。ギサロが青龍の細い身体つきを見て、感嘆ともせせら笑いともとれる短い笑い声をあげた。
《その細腰でなかなかやるな、貴様》
と、身体ごと後退して矛先を逃がし、それを両手に握り直した。そして遠心力も使っての速度と回転でぶんぶんと振り回し始めたのである。それが青龍の面前に、まるで刃物でできたプロペラのように迫ってきた。
矛が唸り、回転の速度がどんどんと上がり、矛自体がぶれて見え出したが、青龍はすでに見切っていた。
最初の乱舞の一撃を惑わされることなく昇龍刀の峰で受け止めた彼は、巨躯の魚人から繰り出される連続攻撃を、舞い散る花弁を受け止めるかのようなしなやかさと柔軟性でもって、ことごとく受け止めていた。
両者の攻守は、そのスピードのせいで残像のように霞んで見えたが、キィン、キィン、キィンとこだまのように聞こえてくる音で、両者のせめぎ合いの凄烈さを伝えていた。
と、キイィィン、と一際大きく長くその場に刃がぶつかり合う音が響き渡り、他の三人はハッと息を飲んだ。
両者の動きが止まる。青龍の手にはしっかりと刀が握られていた。
目を転じれば、ギサロの両手に矛はなく、遅れること数秒、高々と跳ね上げられていたそれがガラン、と地面に落下した。
《な、に……っ?!》
ギサロが初めて狼狽の色を示し、落ちた武器を拾い上げようと一足踏み出した時だった。
《させるかよ!》
白虎の小柄な身体が解き放たれた矢のように飛び、やや前傾姿勢になっていたギサロの前面に潜り込むように走り込むと、渾身の力で両拳を突き当てていた。
《ぐっ…ふっ》
信じられないと言いたげに目を見開いたギサロは、その巨躯を宙に打ち上げられていた。
この絶好の追撃のチャンスを朱雀は逃さなかった。
《よくもさっきはやってくれたわね! お返しよ!》
落下するタイミングに合わせて跳躍しながら、ぴたりと照準のあった見事な前蹴りをギサロの顔面に食らわせ、自分も落下しつつ、連続回し蹴りをさらにこめかみと首筋に決めた。
どさっと身体のコントロールを失って地面に倒れ込んだギサロのすぐ眼前に、朱雀がスタン、と降り立つ。その周りに仲間たちが武器を構え、集まった。
一瞬、気でも遠くなったのだろうか、頭を振りながら立ち上がろうとするギサロに、四人が臨戦態勢になった時だった。
どこからか乱暴に扉が開く音が聞こえ、叫びながらこちらへ走り寄ってくる気配がしたのである。
《もうやめて! これ以上傷つけ合うのはやめて!》
ニコラだった。避難指示が出ていたにもかかわらず、彼女はずっと漁師ギルドの建物内にいたようだった。
この人物の登場に最も心を動かされたらしいのが、ギサロだった。もともと蒼白い肌をさらに白くさせ、黄金と黒のヒレが心なしかだらりとなったように見えた。
ニコラは四人の異質なパワースーツ姿などには目もくれず、真っ先にギサロのもとに近寄ると、白虎と朱雀の打撃攻撃で鼻や口から血を流しているのを見ていながら、いきなり派手な平手打ちをマーフォークの族長にしてのけたのである。
《どうしてこんなふうになるまで放っておいたのよ?! 何があんたたちに起きたの?! あんたのことを知らない私じゃないのよ?! どうして一言、相談してくれなかったのよ?!》
四人は、ギサロからすっかり戦意が消失していることを感じ取り、装備を「外し」て、成り行きを見守ることにした。
するといつの間にか、その場に衛士隊長のマウリツィオ以下衛士が10名ほど姿を現しており、同様にマーフォーク族長の出方を伺っていた。
ギサロは、表情に乏しいはずの魚人族らしくなく、傍目にもはっきりわかるほどに自嘲と諦観に満ちた口調で、地面に両手をついたまま言った。
《…相談? できるはずもない。これは俺たちマーフォークの問題だ》
ニコラは恐れげもなく、自分よりもはるかに大きく力もしのぐものに対して、辛辣に言い返していた。
《自分たちの問題だからと言いながら、私たちの街を巻き込んだりして、それで解決するような問題なの?! 私たちは良き隣人じゃなかったの?! 隣人てのはね、助け合うもんなんだよ! それに海は誰のものでもない。そこで起きてる問題は、私たち人間にとっても問題なんだよ!》
黙っているギサロの頬に、ニコラの手がそっと置かれる。ぎくっとギサロは身じろぎし、俯けていた顔を上げた。その顔つきはもはやそれまでレイジュウジャーたちと戦っていた時の自信と傲然さに溢れたものではなく、ひとりの若い族長でしかなかった。そしてその両肩には一族の存亡という重しがのしかかっていた。
《人間をもっと信用しておくれよ。さあ、何があんたをここまで追い込ませたか、話しておくれよ》
ギサロは、ニコラの手を振り払うこともなく、しばらく口を閉ざしていたが、ひとつ投げやりな吐息をつくと、話し始めた。
《…半年ほど前だ。俺たちが漁場にしている海域に得体の知れない怪物が現れるようになった。奴は漁場を荒らす以上に、俺たちを狩ることを好んでいるようだった。兄たちもこいつに皆やられてしまった。そのせいで親父はすっかり意気地なしになってしまってな、別の海域へ脱出する方針を打ち出した…当然俺は反対した。戦いもしないで逃げ出すようなマーフォーク族がどこにいる? 俺は親父を無理やり族長の座から降ろし、俺の意思に賛同するものたちを連れて、その怪物の討伐に向かった…が、奴は想像以上に強かった。俺はようよう奴の片目だけ潰すのが精一杯で、撤退するしかなかった…それで俺たちが生きていくためには、人間の領域に手を出すしか道は残っていなかった…》
ニコラはこの告白を聞き、嘆息した。
《そういうところが馬鹿だって言うのよ…そんなことならどうして私たちを頼らなかったのよ? 困っている人を放っておけるほど、非情でも無慈悲でも冷酷でもないわ、私たちは》
《お前たちはヒトだ。俺たちとは相いれない》
《でも同じ赤い血が流れてるじゃない》
と言ってニコラが、ギサロの切れた口元に触れた。マーフォークの族長は大きく動揺を見せたが、ニコラは流れた血を指で拭うようにしながら続けた。
《…もうあの頃には戻ることはできない…でも、助け合うことはできるはず。違う?》
《しかし、あの怪物は人間が束になってかかっても太刀打ちできまい》
と、ここで大牙が言葉を挟みたくてうずうずしていたかのような物腰で言った。
《その怪物、俺たちが倒してやんよ。ま、あんたをぶちのめした詫びの代わりみてえな?》
ちょっとした用事を済ませる程度の気楽さで言ってのけた彼に、ギサロとニコラは思わず大牙とその仲間の若者たちを返り見たが、二人ともすぐに納得がいったように言った。
《お前たちならもしかするとやれるかもしれんな》
《今の見てたけど、あんたたち、本当はものすごい英雄だったりするんじゃないの?》
ま、それほどでもねえけどな、と言わんばかりに大牙が銀髪のツンツン頭をかくのを横目に、龍児が眼鏡の位置を直しながら提案した。
《衛士隊長も見えられているようですし、ここはひとまずどこかで今後のことを話し合うべきではないでしょうか?》
その場の者たちに反対はなかった。場所は、ニコラの姉がやっている宿ということで即決した。
ギサロがその異形巨躯にもかかわらず、ニコラの手に支えられるようにして前を歩く姿を見て、朱音はまるで恋人同士のようだと思っていた。




