『Written in the Sand』
さて、こちらは『大地のアギト』を目指して広大な砂漠を南下していたはみだし者のエルフと人間の魔道士が、予期せぬ混乱で道に迷い、窮地に陥っていたところを、砂漠の民であり、その血に流浪の民、つまり太古の民の血を遺しているグリアナン共和国の年若い首長アレンに救われ、頑丈なテントの中で休息をとっていた。
長命を誇るエルフだけあり、生命力は人間よりも強いのか、暑さと脱水によって昏倒した時に用いる砂漠の民であれば必須の、普通の水より粘度があるようにてらてらとした飲み物を飲ませると、まもなくアルディドはぱっちりと覚醒し、そこがとても快適であることを感じて自然と笑顔が浮かんだ。そして、傍に見覚えのある褐色の肌をした少年を見つけ、全て納得したようにため息をついて言った。
《よほど僕たちは運がいいらしい。その運命の女神たちに感謝すると言うより、君の特別な感覚に感謝すべきだね。ありがとう。もとより、親不孝を覚悟で飛び出した僕だけど、死の間際になると、やはりエルフのしがらみにとらわれると言うことがよくわかったよ》
アレンは何かの玉石のようなものを袋から一粒取り出すと、それをエルフに差し出し、言った。
《あなたの気持ちは僕もよくわかるよ。人間の中にいたら決して経験できないものが、この世界にはたくさん秘められてるんだ。それを見てみたい、感じてみたいっていう欲求は、してはいけない、という障壁があればあるほど、強くなるものさ。でも、僕の場合、しようもなく首長なんていう立場と義務が課せられちゃったからね。さすがに人民を放り出して遊び歩いて、母さんを心配させるのは忍びなくてさ。ただでさえ、僕の母さんは流浪の民の血を引いてるってことだけで、人々からは敬遠されているからね。僕の放浪癖が母さんの血のせいだと思われるのはたまらない。なんたって、母さんがいなければ、僕は存在してなかったのだしね》
《全くそのとおりだ。あんな偏屈ですまし顔の頑固おやじでも、僕の親には違いない》
とアルディドはアレンがくれたキャンディを口に含むと、塩の味と酸っぱい柑橘系の味が広がり、エルフにしては表情豊かに顔をきゅっとしかめた。
《うーん、酸っぱい! しかし、これはこういう場所で食べると生き返るようだね。エルフの薬師としてもっと用心すべきだったなあ》
アレンは肩をすくめ、
《あなたたちは基本的に緑豊かな場所に暮らすひとたちだろ? 知らなくて当然さ》
と言った年若い一国の主の他二人は、顔を見合わせた。それぞれが何か異常を感じたようだった。
ヨティスが五感を研ぎ澄ますようにじっと身体を固くさせて言った。
《どこかそれほど遠くないところで魔法が使われている…》
《誰かが恐慌状態に陥っている気配から妙な波動を感じる…そうだ、これは呪歌の流れだ》
と言う二人の意見に、アレンはすっくと立ちあがり、確信を持って断言した。
《砂漠の、それもこんなに深部の砂漠で厄介なことになれば、大変なことになる。あなたなら、それがどういうことか知ってるはずだよね》
アルディドは、まだ少しくらくらとしていたが、エルフの耳に響く不協和音のような不愉快な音に押されて立ち上がると、頷き返した。
《砂漠の掟を乱せば、必ず報いがやってくる》
《掟? なんのことです?》
ヨティスが怪訝に、少しの不安をもって尋ねると、アレンはすでにテントの入り口の垂れ布をはねのけながら応えた。
《砂漠は特別の命の循環で保たれてるんだ。それを乱せば、それに見合う報いが訪れる。つまり》
と言ったアレンに続き、アルディドが出ていきながら言った。
《ぱくり、と食われて排除されるのさ》
冒険者として、異形のものや悪意のあるものを討伐してきたヨティスには常識を覆されるような心地だったに違いないが、道中、道連れのエルフが常に周囲に気を配り、虫けらでさえ踏みつけないようにしていたのを思い出した。
《砂漠での無益な殺生は身の破滅を招くということですか》
《その通り》
アレンはヨティスをせかせてテントから出させると、手際よく簡易休息所を片付け、砂漠に慣れたものの無駄のない物腰で言った。
《鳥は、このオアシスで十分休めば、帰巣本能で必ず戻れるから安心していいよ。むしろ、僕たちの方が急がないと、誰かが砂の津波に襲われるよ。まあ、自業自得なんだけど、放ってもおけないだろう?》
アレンは、砂漠の民であってしてもサンドワームの姿には気おされるのだから、ヨティスが武者震いしているのを無理に尻を押して巨大な砂漠のいきものに乗せると、すぐに順応するエルフがひらりと飛び乗ったのを確認し、ぴゅうっと口笛を吹いてペットのサンドワームに命令した。
《サンドイーターに食われるかもしれない誰かも心配だけど、それ以上に何かが引き起こされる気がしてならないんだ。急いでくれよ、僕のデザートハリケーン!》
ずさあっ、と砂地をまき散らして、砂漠を自由自在に走る巨大生物に乗った三人は、不穏な気配のする方角へとまっしぐらに進んだのである。
*****
グリアナン共和国が砂漠の侵食によって美しい国土を失い、海岸線に近い場所に遷都して以来、この国特有の情緒豊かな吟遊歌の流行はかなり少なくなっていた。
と言うのも、かつては各地に点在していた各首長たちがおさめていた地方地方固有の景観や周辺に出現する砂漠特有の怪物などの、吟遊歌の題材にはもってこいの創造のネタが転がっていたからである。
しかし、現状、首長たちがおさめていた小国はそのほとんどを砂漠に飲まれ、わずかに残っている地方も、優雅に歌を作るような余裕はないほどに、砂の猛威から国を守るのに懸命な日々だった。
そういう中でも、やはり詩作に心を馳せる民族性は完全に打ち砕かれていないのか、グリアナン共和国には少なからず最新流行の吟遊歌を求めてやってくるものや、自ら傍目からは神秘的で謎に満ちた砂漠と言う、その実情は過酷極まりない環境の中で芸術の閃きが訪れるのを期待し、冒険者に紛れて砂漠に足を踏み入れるものは少なくなかった。
新首都の、その治める地域を砂漠に没させた首長たちが住まう区域に、妙な三人組が何かを探すようにきょろきょろとしながらやってきたのは、アルディドたちが困窮に陥るより何日か前だった。
一人はやたらととげとげや鋲や鎖がついた黒革の上着と揃いのぴったりとしたブリーチを着、同じく鋲がたくさんついた幅広のベルトには何本かの短剣が刺さっていた。パッと見、ローグかアサシンに見えるが、その背中に変わった形をした弦楽器が背負われていることから、吟遊詩人なのだとわかる。しかし、吟遊詩人の裏のステータスがローグ、ないしはアサシンであることが多いのは周知のことであったが。
黒づくめの衣装に合わせたかのような、マットな黒髪をくしゃくしゃとさせたそのものが、指なしの黒革の手袋(もちろんこれにも痛々しいほどにスタッズが取り付けられていた)をはめた手をある屋敷に向けて、言った。
《あれだ、強い吟遊の波動を感じる》
これに対し、二人目のものがやや臆した様子で言った。
《でもさ、ミカエル、いきなり俺たちが訪ねて行って、迷惑じゃないか?》
小柄な体格をし、やや不格好な帽子を目深にかぶった人物はどこか小動物を連想させた。
すると、しっとりした淡褐色の髪を肩のあたりまで伸ばし、透き通るような肌をした宗教画の聖人のような美青年が、その優美な顔立ちからは意外な強気さで言った。
《はるばるヴァーミリオンから来たんだぜ? 忘れたのか、クラウス。僕たちが英雄たちのバラッドを聞いた時の感激を。ガツンとやられたじゃないか。だからここに来たんだろ? 吟遊歌の多くはこの国のイヴリン・ド・ヴェルフォールが作ってるのは詩人なら誰でも知ってることだ》
《それに、いつまでもくすぶってるのは我慢ならない。俺たちのトリオの芽が出ないのは、ヴァーミリオンの腐った空気に浸かりすぎたからだ》
とミカエルが一際強い口調で言うと、線の細い美青年が背中にしょっていた薄汚い布袋を元に戻しながら、やや懸念に眉をひそめ、
《でも、それは仕方なかったじゃないか。僕たちは簡単に出国することはできなかったんだから》
《だが、俺たちを縛る掟はなくなった。あのくそったれな野郎を呪歌の韻律で窒息させた時の快感と言ったら、なにものにも代えがたかったね。お前だってその場にいたじゃないか、カール》
カールと言う美青年は渋々応えた。
《まあ、確かにその通りだけど僕の「リズム」は決して殺人をするためのものじゃないよ》
ミカエルは気性の強いところを見せるように一人先んじて歩き出しながら、言った。
《お前の刻む激しいリズムはそれだけで心臓を破裂させる威力があるさ。いい加減、認めろ。いい人の振りはやめるんだな。英雄の足取りは掴み切れないが、この国で何かをしたことは、吟遊歌が証明している。大詩人イヴリン本人に会って、俺たちの可能性の道を開こう。否やはないはずだよな? お前たち自身もこのままでは終われないと思ってる。お前たちの自信は実力が証明しているし、それがお前たちに野心を抱かせているのも、俺には見えている》
ミカエルの言葉は、他の二人の本音をずばり言い当てていた。だからこそ、通常、単独で行動する吟遊詩人には珍しい三人組で行動することになったのかもしれない。言霊の相性ということもあったであろうが、さらに、彼らは自分たちが所属していた盗賊ギルド長を暗殺し、自由に吟遊するということを勝ち得た。だが、もちろん、他の盗賊ギルドがいつ何時襲撃してくる可能性を忘れたことはない。ヴァーミリオンには、他の国家形態を構成する地域よりも多くの独立した盗賊ギルド、ないしはアサシン結社が存在していた。互いに食うか食われるかの関係にはあったが、あからさまに構成員がギルド長を暗殺したことが、どのように他のギルドに波及し、影響するかは、全く予想がつかない、というのがヴァーミリオンという国だった。
ともあれ、彼らは詩人であれば一度はその存在に会いたいと思う吟遊歌の大家、イヴリン・ド・ヴェルフォールの屋敷の前にやってきていた。
三人は、楽器を携えているというだけで、気軽に招き入れられた。年中濃密な香と人間たちの発する様々なにおい、それから血と汗、不潔な体臭、汚物だまりの腐敗臭、それらをまぜこぜにしたような淀んだ空気とすっきりと晴れたことのないもやった空に慣れた彼らは、からりとした空気と乾燥地帯には贅沢な噴水や緑の植わった中庭を取り囲む柱廊を召使に案内されながら、やはりヴァーミリオンを飛び出してよかったと感じていた。
目的の人物は、その中庭の一角で、可憐な白い小ぶりの花をつける灌木と向き合い、手入れでもしているように立っていた。
《お客様をお連れいたしました、首長様》
と言って召使が頭を下げて去っていくのを目の端でとらえながら、イヴリンは長いプラチナブロンドの編んだ髪を背中の方にのけながら振り返り、にっこりと言った。
《君たちの詩の波動は強くて、君たちが何を求めて私のところに来たか、わかっているよ。しかし、残念だねえ、 「彼ら」は今、極北の地にいる。ただし、あくまで私の勘だが、「彼ら」はきっとこちら側に来る》
三人は、この痩身長躯の、なんとなくエルフを思わせる気高い美しさを持つ砂漠の元支配者の言葉に少なからず驚いたのだが、彼ほど吟遊歌作りに秀でているということは、それだけ詩才の能力、つまり世界をとりまく芸術の流れを読み取り、感じ取る能力に長けているに違いないことは容易に納得できた。つまり、イヴリンには、魔力をたどるように、詩となる劇的な局面が生じたことを感じる感覚器官があるということになる。いわゆるミューズの女神がついているとでもいうべきであろうか。
イヴリンは、その碧眼と灰色のオッドアイでじっと風変りで、野心に燃え、自信に張り切っている三人の吟遊詩人を見つめると、そっとそのまぶたを閉じて低く唄った。
-僕は海をこえ砂漠を駆け、歌を口笛に吹きながら
-ここからあそこと駆けまわる
-それにつられて調子を合わせてものみな動き出す
-待つまでもなく、庭にも木にも砂漠に降る雪のごとき花が咲きこぼれる
-それをよろこぶ僕の歌、乾いた砂丘がつらなっているとしても
-その不毛の中に夢見て歌うたう
-乾いた大地に立って、その春の夢を歌う時、
-今は亡き都の美しさがよみがえる!
-この花盛りは消えるけど、すぐ新しい喜びが砂丘の向こうに現れる
-両足のかかとに翼がはえ、うずく心は砂の大地の陽炎をこえていく
-遠くへ駆り立てるミューズの神よ、僕の心は一体いつになったら貴女の胸に抱かれるのか?
(ゲーテ『ミューズの子』引用)
三人の若い吟遊詩人たちは、生でイヴリンの歌声を聞き、全く呆然となってしまった。その強烈な吟遊の力は、吟遊詩人の才がなければ感じ取れない。魔力を用いないが、魔力のような不可視の波動を伴うのが、吟遊詩、特に呪歌と言われる。それをまともに受けてしまった彼らは、あやうく失禁してしまうほどの影響を受けたのだった。
イヴリンは、手にしていた剪定鋏でぱちん、と白い花を切ると、その花弁の中に鼻を寄せて香りをかぎながら、自失状態の客人たちに意表を突くことを言った。そのせいで、彼らはさらに唖然となるのだった。
《元首長たる私が言うのは甚だ不謹慎だとは思うが、君たちの前へ前へ行こうとする気迫に感動してしまったようだよ。どうかね、私も一緒に連れて行ってくれないかな? すっかり引きこもってしまったが、砂漠については君たちより知識はあるつもりだよ。私が感ずるに、「彼ら」の次の目的地は『大地のアギト』だと思う。私もあそこを一度は見てみたいと思っていたし、君たちほど強い吟遊の力を持ったものたちとの出会いをこれっきりにするのはもったいない気がしてね》
そういうわけで、妙な三人組と、イヴリンは旅装も完璧で、グリアナン新首都から砂漠の奥地へと旅立ったわけだが、その途中で異常な天候に遭遇し、同様に『大地のアギト』に向かっていたアルディドたちと同じように砂漠のど真ん中で方向を見失ったのである。
しかし、アルディド一行と異なっていたのは、砂漠の住人がいたということ、それと、三人組が吟遊詩人としても、そしてローグとしてもすぐれていたという点である。
夜空の星の位置がずれていることに彼らはすぐに気づき、そのずれ具合から逆算してコンパスを使わずにほぼ正確に南進を続けることができた。アルディドたちを死の瀬戸際に追い込んだ、長くて苛烈極まりない熱波に対しても、イヴリンが準備してきていた、かつては各首長国を巡って商売をしていたキャラバンが使っていた高性能な天幕のおかげで熱中症の危険を回避できた。
明らかに昼夜のバランスが狂った中においても、砂漠地帯の過酷ながら謎に満ち、自分たちの原点でもあると思っているグリアナンの首長と、一瞬一瞬で状況は刻々と変化し、常に臨機応変に行動するという習慣がしみ込んでいるローグたちであったから、過剰な驚きはなく、熱波が去る短くなってしまった夜間に着実に歩を進め、昼は焦らずじっと天幕の中にいることに、誰も反対しなかった。
そんなある日、たいていは昼寝をとるイヴリンが珍しく起きていたので、ずっと尋ねたくて仕方なかったことを、黒革の服に身を包んだリュート弾きのミカエルが元首長に切り出した。
《あんたは英雄たちにじかに会ったんだろう? 腐ったヴァーミリオンにも英雄の活躍のバラッドは流れてきている。特に、砂漠で起きたことのバラッドは強烈だった。あんたが作ったんだろう?》
イヴリンは、どうやっても砂が入り込んでしまうブーツを脱ぎ、几帳面にざらざらとした砂を叩き落しながら、気さくに応えた。
《ああ、会ったとも。面白い若者たちだったな。彼らのしたことは確かに英雄的で人間業とは思えないことだったが、見かけは本当に普通の若者なんだ。ただ、彼らには私の心の琴線を震わせる強い印象があったよ。真の英雄とは、魔物の討伐数や大魔法を打てるということではなくて、もともと備わっている能力というか、根本的に私たちとは違う魂を持って生まれたものなのではないかと感じさせるものたちだったよ。君たちが彼らに会いたいと思うのはよくわかる。彼ら以上に創作意欲をかきたてられたものはいないと思うからね。私の国が砂に飲まれて以来、詩作はあまりしてこなかったのが、彼らと出会った途端、涸れた泉が突然噴き出したようになったのだからね》
イヴリンの話す声を聴くだけで、三人組の詩人たちは恍惚となってしまったような様子になっていたので、彼は小さく苦笑すると、今度は自分が彼らに尋ねた。
《君たちはヴァーミリオンから来たと言っていたが、あそこは混乱の極みになっていると聞いているが……》
とイヴリンは少し言葉を切り、じっとてんでばらばらな容姿と雰囲気を持つものたちを見つめ、続けた。その口ぶりに少しだけ現実的な思考力が介入したかのようなまじめさが混ざっていた。
《…君たちは第一に詩人だとは思うが、そうだね、私の印象からして、君たちの奏でる「詩」には酒場で流しをしている詩人とは異なっていると思う。君たちには裏の顔がある。そしてその「詩」は、決して人々の心を和ますだけに使用されるものではないと、私は感じるのだが?》
三人はここで現実に引き戻されたようにイヴリンに焦点を合わせ、それから互いにちらちらと視線を交錯させたが、自分たちが憧れ、詩作の大御所として最大の尊敬をしているものを前に、嘘を言うことは決してできなかった。もちろん、イヴリンが相手でなければ、とっくに彼らがそのものの息の根を止めていたであろうが。
小柄なヴォーカル担当のクラウスが、不格好な帽子ごとぼりぼりと頭をかき、言った。
《そんなことまで見抜かれちまうとはなあ。初めからわかってたんで? それなのに一緒に来るなんて、危険だとは思わなかったのか?》
イヴリンは中性的で、年齢もよくわからないようなすべすべとした肌をした顔を心からにっこりと笑ませ、応えた。
《停滞は人生において最も無益で活力を奪う大敵さ。特に、あの若者たちに出会ってからは、溢れ出る詩と、その波に押し流されるように前に進みたいという衝動が強くなってしまった。かと言って、私は一応元首長の身だ。冒険者たちは引きも切らずグリアナンの砂漠に引き寄せられてくるが、そういった一行に混ぜてくれと頼むのもためらわれた。そんなところへ君たちが現れた。君たちはあの若者たちに会いたいと思って、私に情報を求めに来た。そして、私も同じ気持ちでいた。どうかね、お互いの利害は一致した。まあ、これは私がグリアナンの街から出るための言い訳でしかないのだがね。君たちの詩の力は感じ取れたが、それが私に対しては功を成さないのはわかっている。君たちは私に対して完全とも言える憧憬を抱いてくれているようだからね。しかし、魔力を用いず、もちろん剣もナイフも使わずに暗殺できる「詩」の力は、君たちが属していたと思われる組織にとっては重宝されていただろう。よくここまでやってこれたものだな》
いつも背中に薄汚い布袋を背負っていたパーカッション担当のカールが、イヴリンの美貌にも通じるような白皙の顔を困ったようにかしげて言った。
《ヴァーミリオンで孤児が生き抜くのに一番手っ取り速いのがどこかの組織に入ることなのさ。僕らは偶然同じ組織にいて、偶然にも似たような能力を持ってた。詩人の才が呼び合ったのかもしれないけど、そういうのを感じ始めたのは、ここ半年かそのくらいさ。英雄の噂が聞こえ始めて、僕たちは組織から命令されて盲目的に人殺しをするのが馬鹿らしくなってきたんだ。僕らの詩は人殺しの道具じゃない、人々の心を感動させるべき手段で、僕ら自身の感激の吐露なんだって思っちまったんだ。だから、僕らはすぐに意志を固めて、組織のボスを殺っちまった。とりあえずの自由を得たってわけさ》
砂漠の脅威や、砂漠に住み着く、オーランジュ大陸とは異なる生態系の生物と戦うこともある砂漠の民であるイヴリンは、そのなよやかな外見からは連想できない眼力をもつことを示すように指摘した。
《そのようなことをしたら、組織の残党が君たちを狙わないか?》
すると、三人の中で最も意志力が強く、唯我的でもあるらしいミカエルが言った。
《ヴァーミリオンの組織の結束は頭目の脅威がのしかかっているからだ。裏切りがあれば、死ぬより酷いことが待っている。だから、頭目を殺ることは別にたいしたことじゃねえ、むしろ構成員は救われたようなもんさ。だが、稀に……》
と彼は口をつぐみ、耳を澄ますように集中する顔になった。そしてちら、とイヴリンの戦闘には向かなそうな姿を見、どこか投げやりな眼差しになって言った。
《俺たちのあんたに対する憧れが強すぎたのか、ヴァーミリオンで追随を許さなかった俺たちの用心深さが鈍っちまったかな。あんたが一緒に来ることの危険を全然考えに入れていなかった》
イヴリンは、他の者たちも緊張しているのを見て取り、意外に慌てるところもなく応えた。
《復讐者がきたとでもいうところかな? 気にしないでくれ、私がただ詩ばかり作っていると思ったら大違いだというところを見せてあげられると思う》
と、彼は通気性の良さそうな薄い若葉色のチュニックのウエストを絞っていた幅広の革ベルトに取り付けられていた革のボックス型の入れ物から、経木のように薄いカードのようなものを取り出した。それは出先で突発的に思いついた詩を書き留めるための、いわばメモ帳のようなものだったが、イヴリンにとってはまた別の使い方ができた。
三人のアサシン上がりの詩人たちは不思議にそれを見ていたが、いよいよこちらに気配が近づいてきたのを感じ、リーダーらしいミカエルが言った。
《巻き込んで悪いと思うが、こうなっちまったら返り討ちにしねえとならねえ。死なないでくれよ》
イヴリンはまるで気張ったところもなく、むしろ期待しているかのような様子で、しかし、厳しく言った。
《一つだけ、忠告しておく。砂漠の掟を守ることを忘れるな。君たちを追ってきたものを撃退するのはいいが、君たちの足元を這いずる虫一匹でも無益に殺せば、それは何倍にもなって報いとして訪れる》
カールが布袋から大小の太鼓を取り出しながら、肩をすくめた。
《僕たちがわかっていても、あちらが砂漠に無知だったら、どうにもならないよ》
《だったら、さっさと始末をつけるしかないな。ああ、久しぶりに新鮮な戦いの緊迫感を味わえるのか。すぐに詩にできそうだ》
と悠長に言った大詩人のイヴリンの浮世離れした感覚に構っていられないとばかりにミカエルが天幕の外に飛び出すと、続いて二人の詩人が熱波に燃える砂漠へと出ていく。
《さて、私の戦いの技は鈍っていないことを証明しようではないか。ふふふ、彼らの「音」がどれだけ強いかも楽しみだ。さあ、詩人の戦い方を存分に見せつけてやろう》
イヴリンは、まるでナイフを忍ばせるように経木のように薄い木製のカードを手の中に収めて、戦いの緊張と高揚の中にその身を投じた。
*****
一方、サンドワームに乗り、信じられないような速さで砂漠の海原を突き進んでいたアレンたちは、肉眼でもはっきりと過酷な自然の中での平穏を乱すような爆音と、煙、そして燃焼促進剤でも仕込まれたらしい勢いで火の手が上がるのを見た。
アレンが小さく舌打ちし、
《砂漠のこんな深部で火を使うなんて、無知もいいところだ!》
《どうやら、人間同士が争っているようだ。しかし、一方の側は変わっているな。奇妙な音がする。それと、魔力ではないが、何らかの波動をもった何かで対抗している》
とエルフの優れた聴覚で感じたことをアルディドが言うと、ヨティスが経験豊かな冒険者らしく、博識なところを見せた。
《それは呪歌の波動だと思いますよ。吟遊詩人の中には特別の才能を持つ者がいて、魔力ではなく、言葉に力を付与できるそうです。ですから、エーテルやヴェイドから魔力を引き出す必要もありません。敢えて魔力と比較するならば、呪歌使いの優劣は、その者が備える、人を感動させる力、つまり魅力、カリスマの高さがその呪歌の威力に反映します》
これを聞き、アレンがハッとしたように争いの火の手が上がる方を見直して言った。
《もしかして、あそこにイヴリンがいるとか言わないよな…》
若き首長の予想は、見事に当たっていた。
遠くからサンドワームが馳せていることに、戦闘の真っただ中にあったものたちが気づく由もなかった。
襲撃者たちは10数名はいた。たぶん、この砂漠地帯に踏み込む時はもっと多くの頭数を揃えていたのであろうが、悪名高きヴァーミリオンの殺人集団でも、この砂漠の苛烈な環境と、この数日続いていた異常気象によって、命を落とした者がいたと推測できた。しかし、そんなことにかまっているような人間味ある心など皆無の者どもだった。その無感動の意識に染まることこそ、暗殺者としての道を突き進む第一の関門なのであるが、そうはならなかったのが、追手と対峙している風変りな三人組だった。
彼らの手にはそれぞれ暗殺者たちと対抗するには奇妙なものがあった。
ミカエルの手には弦楽器があったが、その形は既存のリュートやキタローネのような洋ナシ型のボディをしていなかった。なんと言えばよいだろう。矢じりのように鋭角な二つの尖った尻部分は全体を矢印形のように見せていて、ネックに向かって相対してつながり、全体的に鋭く、攻撃的な形をしていた。このような形のリュートはおそらく彼以外で持っている者はいないに違いない。それくらい、非常に奇想天外で斬新だった。
クラウスは特に楽器を持っていなかったが、その手には短い棒状のものが握られていた。それはとても近代的に見える。金属の硬質な見た目と、半透明になっている中心部分に何かの液体らしきものが詰められ、薄青く発光していた。それが、どんなこともまかりとおる、良い意味で言えば自由極まりないヴァーミリオンならではの怪しげな錬金術師の作った声量を増幅する、いわばアンプのような役割をする、地球的に言い表せばマイクであることは、この三人組しか知らないことだった。
そしてカールは、薄汚れた袋から取り出した大小の太鼓の連結部分をつなぎ、それを肩にかけるようにして自分の身体の前面に並べていた。鼓笛隊で使われるティンプトンドラムに似ている。そしてその両手にはまさにドラムスティックが握られていた。
《裏切り者にして反逆者の罪をあがなわせにきた。貴様らはここで骸をさらし、ハゲワシどもにその腐った肉をつつかれるのだ》
追手はそれぞれ凶悪な武器を構えたが、三人組の方は全く動じておらず、むしろ馬鹿にしたように鼻でせせら笑ったミカエルが言い返した。
《あんなくそったれな野郎のためにこんなところまで俺たちを追ってくるたぁ、とことん頭がからっぽらしい。それに、ここでハゲワシに突かれるのは、お前たちのほうだ》
どういう命令で彼らの足抜け行為に対しての報復が決められたかはわからなかったが、襲撃者たちの意志は固かった。しかしながら彼らはこの三人組の本領を知らなかった。
《おとなしく詩人らしく情報屋としてかぎまわってればいいものを、馬鹿は貴様らの方だ》
一気にその場の殺気が強まる。
それが、三人組の詩人たちの心を強く高めたのを、イヴリンは詩人特有の空気を読み取る勘で察した。彼らは殺気をも、聴衆から得る喝采にも似た高揚に変えてしまうのだと、つくづく感心した。
三人の呼吸が無意識にそろい、大きな腕の振りをして弦をつまびく小さな爪のようなものを持った右手を変わった形のリュートの弦にかけたミカエルが、いきなりの高音域でリストやパガニーニにも通じるような速弾きで強烈な先制攻撃を放った。
それだけで数名は脳を激しく揺さぶられ、鼻血を飛ばして吹っ飛ばされた。
そこに、スティックの動きが残像になるほどの激しくも打楽器の微妙な音色と振動の違いを繊細に追及しているかのようなカールのドラムのリズムが加わると、襲撃者たちは鈍器かなにかで撃たれたように身体のどこかしらの骨を折ったように立っていられなくなった。
さらに追い打ちをかけるように、クラウスの透明感がありながら、苦みのきいた真っすぐな声がまるで光線のように飛び、ある者は首の急所を切り裂かれ、ある者は見えない矢で胸を射られたかのようにつんのめって倒れた。
《俺たち『デッドリイ・スティング』をなめるなよ、三一野郎が! 俺たちを始末したいなら、もっと腕のたつ連中を差し向けるんだな。だが、そのことを伝えられるやつはいねえな、お前たちはここでこの世とおさらばするからさ!》
とミカエルがメロディアスながら、激しい音色の波に乗ってリュートをかき鳴らし続けて言ったが、敵方はまだ抵抗した。その予兆を、一歩ひいたところでこの戦いを見ていたイヴリンは発見していた。彼は手の中におさめていた木のカードを指の間に手品のような手つきで挟むと、次々とそれを敵方に向かって放ちながら警告した。
《連中は自爆をして君たちを殺そうとしている! 起爆前に倒さないと…》
イヴリンの放ったカードは、神秘的に輝いて幾人かの目や頸部に突き刺さったが、残った全員を行動不能にすることはできなかった。
三人組の詩人グループ『デッドリイ・スティング』はイヴリンの言葉に従って強い吟遊の波動を放つべくフレーズを奏でたが、それは敵の自爆して燃え広がった炎と衝突し、霧消してしまった。さすがに命と引き換えの攻撃は、物理的なものであっても威力は強いのだった。
敵は全滅した。だが、彼らの自爆は砂漠の掟に抵触した。
砂漠の熱波にもまれ、次第に小さくなる爆発の炎の揺らめきを見つめ、イヴリンは三人の詩人に言った。
《あの連中が砂漠の掟を知っていたかはわからないが、結果的に君たちを抹殺することに成功したことになる。しかし、私はどうにかしてそれを止めたい。君たちの能力は稀有なものだからだ》
《俺たちこそ、あんたを巻き込んじまった。その掟とやらから逃れられるんなら、ここから逃げてくれよ。これは俺たちが始末すべき問題だったんだからな。だが、あんたが投げたあれ、あれは一体なんだったんだ?》
イヴリンは、この期に及んでも動じない彼らに呆れたような、それでいて感心したような眼を返して応えた。
《君たちの波動と同じことだよ。このカードには私の詩や韻律を記してあるのだ。言霊の力を、カードにこめているだけのことだ》
砂漠の元首長は、心を決めたように唇を引き結ぶと、続けて言った。
《呪歌にもブラックマジックに似た領域のものがある。もちろん、これは命を削る危険なものだ。しかし、今はそんなことにこだわる状況ではない。私は君たちの可能性を消したくない。君たちの音楽性は革命的だ。時代の先を行くものの道は厳しい。だからできるだけその障害は取り除かなければ、既存概念の重さに押しつぶされてしまうだろう。君たちは生きろ。私はそれを助けよう》
偉大な詩人にここまで言われ、三人の詩人たちはようやく慌てた。
《ちょ、ちょっと待ってくれよ。あんただけここに残すなんて、できるはずがない。あんたは俺たちの尊敬する大詩人なんだ。それをおいていけるかってんだ》
とミカエルがリュートを構え直して下半身に重心を置くように足をふんばる。カールもスティックをくるくると回していつでも来いとばかりに端麗な顔に決意を浮かべる。そしてクラウスはいつでも歌いだせるように腹に力を入れて砂地以外何も見えない乾いた空間を睨みつけている。
そこに、少しの動きが見えた。イヴリンはいよいよ砂漠の掟の断罪者がやってくるのだと覚悟を決めたが、新たに別の気配も感じられ、不思議に思った。
そしてそれらはほとんど同時に彼らの身に起きたのである。
砂の津波のごときサンドイーターは現れず、代わりに砂塵を巻き上げて現れたのは、巨大なサソリであった。
それと同時に、アレンが操るサンドワームがその場に駆けつけた。
さらにわずかに遅れて、太い身体を砂地の中から飛び出させたのは、装飾的な襟巻と鶏冠を持った途方もなく大きく長い大蛇であった。
《イヴリン!? どうしてこんなところに?!》
とアレンが言うと、同族の若い首長にイヴリンはお手上げだと言いたげに応えた。
《まあ色々あったんだがね。どうやら、私たちの言霊が予期しないものたちを呼び出してしまったようだ》
大サソリと大蛇は、イヴリンの声音に惹かれるようにもそもそと身体を揺らしながら、グリアナンが旧首都で栄えていた時代よりもずっと昔の古グリアナンの神聖古語で言った。
〈今は亡き霊王の守りとして眠りについていたが、我が民の声を聞き、その危難をも知るにあたり、この世の天秤にかけた結果、ひとまず砂の掟を黙らせた〉
〈それと、もう一つある〉
と古代の墓守かなにかだったらしいものたちは続けた。
〈我らの眷属はここからやや南方にある裂け目で生きておるが、少々一族としての道を見失っておる。我らが参ればなにがしかの進展はあると思われたが、我らは霊王の守護として埋葬され、封印された身。そこに強い波動を受け、我らを縛る封印は解かれた。これもまた我らが定め。我らの存在も無論のこと、ここにいる人間たちからはかつての聖王や大神官のごとき覇気と言霊の力に満ちている。裂け目で起きている紛争に対して、古き考えしか持たぬ我らの助けになってはくれまいか〉
この言葉を頭の中で感じ取っていた一同の中で、まず現実に返ったのは、アレンだった。彼はまるで虫取りに興じる幼子のように満面に興奮を浮かべて言った。
《こりゃあすごいや! おとぎ話に出てくるクイーンスコルピオンとバジリスクキングだぜ? 断然この旅が面白くなってきたよ!》
果たして心が躍動するような展開が待っているとも思えなかったが、はっきりとした旅の方向性が決定されたことは彼らの意識を堅固にした。まさに冒険者魂を震わせる大事件が始まろうとしていたのである。




