その男爵、追い込まれる
俺たちが手をこまねいているうちに、審判は決してしまった。ルートヴィヒ男爵の爵位剥奪――父王によって、国王命令の書簡に判が捺される。
兄は息を呑み、書簡と父王の顔を見比べた。
「父上、罪状は確認したのですか?」
俺も父王の表情に注視したが、眉一つ動かさない。
「男爵による領地の収支簿が見つかってな。横領は疑いようがないだろう」
「それは本物なのですか?」
「……リアム、何をそんなに怪しんでいる?」
逆に問い返され、兄は怯んでしまった。もし、俺がルートヴィヒ男爵令嬢に想いを寄せていると知られれば、さらに状況は悪化する。それを恐れたのだろう。
一度はちらりと俺を見た兄だったが、瞬きをすると再び父に目を向ける。
「一家族の命運がかかっているのです。本人に確認もせず、易々と捺せる判でもないでしょうに」
「問いただしたところで、どうせ弁明するだけだろう。本人に聞かずとも分かる」
この人は、他人の人生の重さを分かっているのだろうか。政治事に興味がない俺ですら、苛立ちを覚えてしまう。
父王は一仕事を終えると、玉座の間から姿を消した。
結局、俺は男爵の爵位剥奪を止められなかった。無力感に苛まれながらも、ローラに謝らなくては、と手紙をしたためる。
* * *
ローラ様
先日お会いしたセレストです。
ご報告も兼ねて、もう一度、貴女に会いたく存じます。明日の午後二時、屋敷の前で待っていてはくれないでしょうか。
返信はいりません。貴女に会えれば、俺はそれでいいのです。
セレストより
* * *
日を改め、身支度を整える。兄の協力を得た今となっては、城からの逃走などお手の物だ。騎士も侍女も、俺の行動を黙認してくれているようにも見えた。
男爵邸までの道のりは覚えている。大通りを進み、噴水広場で右に曲がる。その先でローラが待っているはずだ。
屋敷の前に彼女の姿を見つけると、自然と足が速まる。ローラもまた、俺に向かって片手を振ってくれた。
「セレスト様!」
その表情はにこやかなのに、どこか影を感じさせる。
どちらからともなく走り寄り、目を細め合う。触れたいのに触れられない。たったそれだけのことなのに、歯痒くて仕方がない。
「ローラ、お父様の様子は?」
父の話題に触れた途端、ローラの表情は曇る。
「爵位剥奪の命が出てしまって……。私たちはもう……」
ローラの瞳からはらはらと涙が零れ落ちた。彼女は今、絶望の淵にいる。どうにか助け出せはしないだろうか。
「こんなことになって、何て言ったらいいのか。絶対に噂の出所は俺が突き止めてみせるから」
「突き止めていただいたとしても……元の生活には……」
「きっと俺と、兄上が何とかしてみせる」
勢いに任せて言ってしまった。ローラは目をぱちくりと瞬かせる。
「王族でもない限り、そんなことは……」
「俺はセレストじゃない。セレートだ」
もう誤魔化しは効かない。名乗ってしまった方がお互いのためだ。
しかし、何故かローラは目を吊り上げる。
「そんなことを言って……私は騙されませんよ。貴方もすぐに間違われるとおっしゃっていたではありませんか」
今になっても、ローラは俺の嘘を信じてくれているのだろうか。嬉しいようで、恥ずかしい。堪らず笑い声が漏れてしまった。
「どうして笑うんです?」
「こんなに頑なな令嬢だとは思わなかったから。でも……気に入った」
こんなにもまっすぐに俺を見てくれた女性は初めてだ。きょとんと俺を見上げるローラの手を取り、口角を上げる。
「ローラ、城に来ないか? 君にも兄上に会ってもらいたい」
「えっ?」
彼女の答えを聞く前に、その手を引きながら歩き始める。
「セレスト様? えっ? えっ?」
その動揺した声も可愛らしい。振り向いてみると、揺れる海色の瞳が若干潤んでいた。やはり、俺をまだ王子だとは認識していないらしい。
会話をするでもなく、来た道を戻る。城門の前まで来たのはいいが、父に知られれば一大事だ。慎重に行かなくては。速まる鼓動を気にしながら、周囲を確認して歩く。
不意にローラが呟いた。
「どこに行かれるのですか?」
「だから、兄上の――」
「本当に……王子殿下なのですか?」
その表情は、怯えているようでもある。
「兄上は、父王より優しいよ」
お世辞ではなく、本気でそう思っている。ローラの頬が桜色に染まった。
「今までのご無礼、お許しください」
「無礼なんて働いてないじゃないか」
「ですが……」
何かがローラを納得させられないのだろう。眉尻が下がってしまっている。
「俺は君に出会えて良かったと思っているよ」
ローラの気持ちを聞いてもいないのに、言葉が先行してしまう。まるで恋人にするような話に、ローラの頬は薔薇色へと変わった。
なんとか兄も部屋まで辿り着き、扉をノックする。そうして開けられた扉の前には兄が立っていた。俺と同じ金髪で緑の目なのに、纏う雰囲気でこうも変わるのかというほどに凛々しい。
「君がローラ、ですね」
「はい……」
ローラは委縮したように、肩を内に巻く。
「今回の件、誠に申し訳ないことをした。冤罪だと分かっていながら、何もできなかった」
「いえ、それは……王子殿下が気に病むようなことではありません」
「違うよ。俺には国民が健やかに生きてもらうよう働く義務がある」
さすが、第一王子が考えることは違う。王にはなっていなくても、王になったつもりで物事を俯瞰しているのだろう。
「まだ調査中ではあるが……俺は噂の出所としてイリア嬢を疑っている。イリア家に使用人を送り込んでね。きっと明日、明後日には調査書を持って帰るだろう」
「イリア嬢って……セレート殿下の婚約者の?」
「ああ。まだ決まったわけではないが」
「そう……ですか」
ローラの瞳から光が消えた。もしや、自分のせいで爵位剥奪が成されたと思ってしまっただろうか。
「イリア嬢のことは、君が気にすることではない。彼女がしたことが真実なら、断罪するだけだ」
兄は優しい瞳をローラへと向ける。その瞳を受け取ることはなく、ローラは視線を落としたまま口を引き結んでいた。




