その兄、信頼を得る
太陽のような笑顔を見せるローラに手を振り、街の案内板を探す。迎賓館は一軒しかない。屋敷にも見劣りしない、立派な建物――案内板を見つけるまでもなかった。五階建ての白亜の建物を目指しながら、自分にできることはなんだと考える。広まってしまった噂は、さすがの俺でも消せはしない。それなら出どころを特定し、潰す、か。でも、どうやって。
唸り声を上げているうちに迎賓館へと辿り着く。一度その建物を見上げ、吐息をついた。中に入ると、受付の男性に「セレスト宛の手紙は全て城に回せ。王子殿下の命令だ」と言付けをする。これでローラからの手紙は城にいても受け取れるはずだ。
大丈夫だよな、と不安感が消えないまま城に戻る。正面突破はしない。城壁に一箇所だけ、人一人がやっと通れるほどの穴が空いているのだ。泥が衣服に着くのも気にせずにそこを潜り、庭へと出る。
そこで偶然、庭師と侍女に出くわしてしまったのだ。俺の顔を見るなり、庭師は目を丸くする。侍女は報告のためか、城内へと走り去った。
「どこへ行くんだ!」
「それはこちらの台詞です!」
声を張った庭師に、僅かにたじろいでしまう。
「セレート殿下、どちらに行かれていたのですか!?」
「ちょっと、噂を確かめに」
これは嘘ではない。ビクつく心をひた隠しにし、しらっと言って退ける。庭師は盛大に溜め息を吐いた。
「国王陛下には秘密にしてありますが……勝手な行動は慎んでください」
「心得ておく」
「第一王子が心配しておいでですよ。顔を見せに行って差し上げてください」
「……は?」
まさか、俺が行方をくらませたことを兄は知っているのだろうか。まずいことになった。拳を握り、唇を噛む。
そのまま自室に戻るわけにもいかず、兄の部屋に足を伸ばす。たとえ叱られたとしても、俺の心は変わらない。ローラを救ってみせる。心の中で唱え、兄の部屋の前で足を止めた。一際大きく見えるダークブラウンの扉をノックする。
「セレートか?」
兄の第一声がそれだった。返事もせずに扉を開けて、兄と対峙する。
「兄上、俺は――」
「父上から聞いた。今回の結婚に乗り気じゃないんだろ?」
図星を突かれて、言葉が出なくなる。どうせ恋愛結婚をした兄には、俺の気持ちなんて分からないのだ。次の台詞に期待をせず、兄から視線を外した。
「セレート、何か勘違いをしてないか?」
「……えっ?」
俺が顔を上げた先に待っていたのは、慈愛に満ちた緑の瞳だった。
「俺はお前を責めるつもりはない。寧ろ、誇りに思うよ。父上の命より、自分の気持ちを優先出来る勇敢さが身に着いたんだからな」
思いも寄らぬ言葉に、胸が熱くなる。
そう、なのだろうか。父への反発や兄への羨望が俺を突き動かしただけなのに。俺が首を傾げると、兄は朗らかに笑う。
俺は兄を誤解していたのかもしれない。道を外れれば、絶対に敷かれたレールに戻そうとするのだと思っていた。味方になってくれるなら、これ以上頼れる人はいない。
「ご令嬢には会えたのか?」
「それが……」
再び俯くと、兄も何かを察してくれたようだ。
「何かあったのか? 話してくれないか?」
「はい……。彼女の父が爵位を剥奪されるとの噂が広まっているらしくて」
途端に兄の目が熱を帯びる。
「爵位の剥奪? 滅多なことでは剥奪されないはずだが。どこからそんな噂が?」
「それが分からないのです」
「うーん……」
兄は考え込み、眉をひそめるばかりだ。
「煙のないところに火は立たないよな……。誰かに恨まれているのか……?」
恨まれる相手がいるとするのなら、俺の婚約に絡んでいる父王とイリアが思い当たった。父王ならば、噂などという回りくどい手は使わない。俺に二度と近づくな、と接近禁止命令を出してしまえばいいのだから。
だとすると、怪しいのは――イリアなのだろうか。傲慢で嫉妬深い性格だ。なくはない。
ルートヴィヒ男爵自身に問題があるとも考えられるが、タイミングがよすぎる。
「兄上」
婚約者を疑うのは心が痛い。しかし、元より想いはないのだ。残酷なことをしているのには変わりない。
「どうした?」
「イリアを調べて下さい。可能性はあります」
「イリアか……。あまり考えたくはないが」
苦い表情をしながら、兄は顎に片手を添える。
「調べてはみる。だが、男爵の名誉回復は叶わないかもしれない」
「それは分かっています」
人の興味は他人の意思では消し去れない。分かっているからこそ、噂を流した張本人がローラ家族を嘲笑っているのを見過ごせないのだ。
「兄上、お願いします」
「分かった」
兄は最後に力強く微笑むと、踵を返した。遠ざかっていくその背中がやけに大きく、頼もしく感じた。
その後、調査には何日、何十日と時間を要した。兄が逐一報告してくれるのだが、状況がいいとは言えない。
男爵の爵位剥奪は噂だけではなく、現実味を帯びていく。城の中にいる俺までが、侍女たちの噂として耳にすることがあった。
「ルートヴィヒ男爵、王命に背いたんですって?」
「そうみたい。どんなことをしたのでしょうね」
「横領、とか?」
「嫌だ、怖い」
怖いのはどちらだろう。根も葉もない言葉で、他人を陥れて破滅させる。自覚のない悪意を目の当たりにし、俺は心底冷えていくのだった。




