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その夜、境界線を超える  作者: 七宮叶歌


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3/7

その兄、信頼を得る

 太陽のような笑顔を見せるローラに手を振り、街の案内板を探す。迎賓館は一軒しかない。屋敷にも見劣りしない、立派な建物――案内板を見つけるまでもなかった。五階建ての白亜の建物を目指しながら、自分にできることはなんだと考える。広まってしまった噂は、さすがの俺でも消せはしない。それなら出どころを特定し、潰す、か。でも、どうやって。

 唸り声を上げているうちに迎賓館へと辿り着く。一度その建物を見上げ、吐息をついた。中に入ると、受付の男性に「セレスト宛の手紙は全て城に回せ。王子殿下の命令だ」と言付けをする。これでローラからの手紙は城にいても受け取れるはずだ。

 大丈夫だよな、と不安感が消えないまま城に戻る。正面突破はしない。城壁に一箇所だけ、人一人がやっと通れるほどの穴が空いているのだ。泥が衣服に着くのも気にせずにそこを潜り、庭へと出る。

 そこで偶然、庭師と侍女に出くわしてしまったのだ。俺の顔を見るなり、庭師は目を丸くする。侍女は報告のためか、城内へと走り去った。


「どこへ行くんだ!」


「それはこちらの台詞です!」


 声を張った庭師に、僅かにたじろいでしまう。


「セレート殿下、どちらに行かれていたのですか!?」


「ちょっと、噂を確かめに」


 これは嘘ではない。ビクつく心をひた隠しにし、しらっと言って退ける。庭師は盛大に溜め息を吐いた。


「国王陛下には秘密にしてありますが……勝手な行動は慎んでください」


「心得ておく」


「第一王子が心配しておいでですよ。顔を見せに行って差し上げてください」


「……は?」


 まさか、俺が行方をくらませたことを兄は知っているのだろうか。まずいことになった。拳を握り、唇を噛む。

 そのまま自室に戻るわけにもいかず、兄の部屋に足を伸ばす。たとえ叱られたとしても、俺の心は変わらない。ローラを救ってみせる。心の中で唱え、兄の部屋の前で足を止めた。一際大きく見えるダークブラウンの扉をノックする。


「セレートか?」


 兄の第一声がそれだった。返事もせずに扉を開けて、兄と対峙する。


「兄上、俺は――」


「父上から聞いた。今回の結婚に乗り気じゃないんだろ?」


 図星を突かれて、言葉が出なくなる。どうせ恋愛結婚をした兄には、俺の気持ちなんて分からないのだ。次の台詞に期待をせず、兄から視線を外した。


「セレート、何か勘違いをしてないか?」


「……えっ?」


 俺が顔を上げた先に待っていたのは、慈愛に満ちた緑の瞳だった。


「俺はお前を責めるつもりはない。寧ろ、誇りに思うよ。父上の命より、自分の気持ちを優先出来る勇敢さが身に着いたんだからな」


 思いも寄らぬ言葉に、胸が熱くなる。

 そう、なのだろうか。父への反発や兄への羨望が俺を突き動かしただけなのに。俺が首を傾げると、兄は朗らかに笑う。

 俺は兄を誤解していたのかもしれない。道を外れれば、絶対に敷かれたレールに戻そうとするのだと思っていた。味方になってくれるなら、これ以上頼れる人はいない。


「ご令嬢には会えたのか?」


「それが……」


 再び俯くと、兄も何かを察してくれたようだ。


「何かあったのか? 話してくれないか?」


「はい……。彼女の父が爵位を剥奪されるとの噂が広まっているらしくて」


 途端に兄の目が熱を帯びる。


「爵位の剥奪? 滅多なことでは剥奪されないはずだが。どこからそんな噂が?」


「それが分からないのです」


「うーん……」


 兄は考え込み、眉をひそめるばかりだ。


「煙のないところに火は立たないよな……。誰かに恨まれているのか……?」


 恨まれる相手がいるとするのなら、俺の婚約に絡んでいる父王とイリアが思い当たった。父王ならば、噂などという回りくどい手は使わない。俺に二度と近づくな、と接近禁止命令を出してしまえばいいのだから。

 だとすると、怪しいのは――イリアなのだろうか。傲慢で嫉妬深い性格だ。なくはない。

 ルートヴィヒ男爵自身に問題があるとも考えられるが、タイミングがよすぎる。


「兄上」


 婚約者を疑うのは心が痛い。しかし、元より想いはないのだ。残酷なことをしているのには変わりない。


「どうした?」


「イリアを調べて下さい。可能性はあります」


「イリアか……。あまり考えたくはないが」


 苦い表情をしながら、兄は顎に片手を添える。


「調べてはみる。だが、男爵の名誉回復は叶わないかもしれない」


「それは分かっています」


 人の興味は他人の意思では消し去れない。分かっているからこそ、噂を流した張本人がローラ家族を嘲笑っているのを見過ごせないのだ。


「兄上、お願いします」


「分かった」


 兄は最後に力強く微笑むと、踵を返した。遠ざかっていくその背中がやけに大きく、頼もしく感じた。


 その後、調査には何日、何十日と時間を要した。兄が逐一報告してくれるのだが、状況がいいとは言えない。

 男爵の爵位剥奪は噂だけではなく、現実味を帯びていく。城の中にいる俺までが、侍女たちの噂として耳にすることがあった。


「ルートヴィヒ男爵、王命に背いたんですって?」


「そうみたい。どんなことをしたのでしょうね」


「横領、とか?」


「嫌だ、怖い」


 怖いのはどちらだろう。根も葉もない言葉で、他人を陥れて破滅させる。自覚のない悪意を目の当たりにし、俺は心底冷えていくのだった。

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