第5話 『僅かな変化』
休日の朝、突然家を訪ねてきた結衣に誘われ、二人でルミナモールへ。そこで自分たちとどこか似た恋愛映画を観たことをきっかけに、蓮は初めて結衣を「女の子」として意識してしまう。
休日の朝、カーテンの隙間から差し込む光が、容赦なく蓮の顔を照らしていた。
「……眩し」
蓮は布団の中で寝返りを打ち、光から逃げるように枕へ顔を埋める。
今日は土曜日、学校もないし予定もないつまり好きなだけ寝ていられる。――はずだった。
ピンポーン。
「…………」
インターホンが鳴った。
蓮は動かない。
ピンポーン。
「…………」
二度目のインターホンがなったが、それでも動かない。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
「うるさ……!」
ついに根負けして、蓮は布団から這い出した。寝癖だらけの髪を直すこともなく、眠い目をこすりながら階段を降りる。
こんな朝から誰だよネッドで何か注文したっけかな?そんなことを思いながら玄関を開ける。
「おっそーい!」
「……は?」
扉の向こうにいたのは、見慣れた少女だった。
一ノ瀬結衣。
肩より少し下まで伸びた髪を今日は軽くまとめ、白いパーカーに淡い色のスカートという休日らしい格好をしている。
幼い頃から何度も見てきた顔。蓮の家の近所に住む親戚で、昔から暇さえあれば遊びに来ていた。蓮にとっては、ほとんど妹のような存在だ。
「おはよ、蓮兄!」
「……おはよじゃない。何時だと思ってんだ」
「九時半」
「休日の九時半は朝の六時と同じだ」
「意味分かんない」
結衣は呆れたように笑った。
「というか、その頭やば」
「起きたばっかだからな」
「鳥住んでそう」
「帰れ」
「ひどっ!」
蓮が扉を閉めようとすると、結衣が慌てて手を伸ばした。
「待って待って! 今日は用事があるの!」
「用事?」
「うん」
結衣は一歩近づくと、両手を後ろで組んだそして少しだけ首を傾ける。
「久しぶりにさ、一緒に遊びに行かない?」
「……俺と?」
「他に誰がいるの」
「友達と行けばいいだろ」
「今日は蓮兄と行きたいの」
迷いのない返答だった。そういえば最近、結衣と二人で出かけることはほとんどなかった。小さい頃はよく遊んでいて近所の公園に行ったり、ゲームセンターに行ったりしていた。家族ぐるみで出かけることだって珍しくなかった。けれど、お互い成長してからは自然とそういう機会も減っている。
「……まあ、予定ないしな」
「ほんと!?」
結衣の顔が一気に明るくなる。
「じゃあ決まり!」
「どこ行くんだ?」
「ルミナモール!」
「ざっくりしてんな」
「いいの。買い物して、ご飯食べて、適当に遊ぶ!」
「ノープランじゃねえか」
「休日なんてそんなもんでしょ?」
そう言って笑う結衣を見て、蓮は小さく息を吐いた。
「分かった。着替えてくるから待ってろ」
「はーい」
蓮が二階へ戻ろうとした、その時。
「あ、蓮兄」
「ん?」
「寝癖はちゃんと直してね」
「分かってる」
「せっかく私と出かけるんだから」
「……はいはい」
蓮は適当に手を振った。
その背中を見送りながら、結衣は小さく頬を膨らませる。
「……そこはもうちょっと反応してよ」
その声は、蓮には届かなかった。
昼前。
二人は電車に乗り、郊外にあるルミナモールへやってきた。休日ということもあり、館内はかなり混んでいる。
家族連れ。
友達同士。
そして――カップル。
「相変わらずでかいな」
蓮が吹き抜けを見上げる。
「ね。全部回ったら一日終わりそう」
「お前、全部見る気じゃないだろうな」
「え?」
「……マジかよ」
最初に向かったのは洋服店だった。
「蓮兄、これどう?」
結衣が一着の服を身体に合わせる。
「いいんじゃない?」
「じゃあこれは?」
「いいんじゃない?」
「こっちは?」
「いいんじゃない?」
「……蓮兄」
「なんだよ」
「感想の語彙が死んでる」
「服なんて分かんねえよ」
「もうちょっとあるでしょ! かわいいとか、似合ってるとか!」
「似合ってる似合ってる」
「雑!」
結衣は不満そうに頬を膨らませる。
その後も雑貨屋、ゲームセンター、本屋と気になった場所を順番に回っていった。
ゲームセンターでは結衣がクレーンゲームに挑戦し、千円近く使っても小さなぬいぐるみ一つ取れなかった。
「もう一回……!」
「やめとけ。完全に店の罠にハマってるぞ」
「次はいける気がする」
「その台詞、三回目だぞ」
結局、見かねた蓮が交代した。
数回の挑戦の末――。
「取れた」
「えっ!?」
景品口へ落ちたぬいぐるみを拾い、結衣へ渡す。
「ほら」
「……くれるの?」
「お前が欲しかったんだろ」
結衣は両手でぬいぐるみを受け取った。そして、少しだけ嬉しそうに笑う。
「……ありがと」
「どういたしまして」
蓮は何でもないように先へ歩き出す。
結衣はその背中を見ながら、小さくため息をついた。
「そういうところなんだよなぁ……」
「なんか言った?」
「なんでもない!」
昼食を終え、二人が館内を歩いていると、結衣が突然足を止めた。
「蓮兄」
「ん?」
「映画見ない?」
目の前にはシネマフロアの案内板。大きなスクリーンには、現在上映中の作品が並んでいる。アクション、ホラー、アニメそして、その中でもかなり大きく宣伝されている恋愛映画。
『幼なじみの境界線』
男女二人が背中合わせに立つポスター。
宣伝文句は――
『ずっと隣にいたから、恋だと気づけなかった。』
「これ見たい」
結衣が指差した。
「恋愛映画?」
「うん。今めっちゃ人気らしいよ」
「へえ」
「嫌?」
「別に。映画なら何でも見る」
「じゃあこれ!」
妙に嬉しそうな結衣を見ながら、蓮はチケット売り場へ向かった。
映画の内容は、幼い頃から兄妹同然に育ってきた男女の物語だった。家が近く、毎日のように一緒にいた二人、男の方は彼女をずっと妹のように扱っている。一方、女の方はいつからか彼に恋をしていた。けれど関係が壊れるのが怖くて言えない。二人は成長し、それぞれ別の人と出会い、すれ違い、離れそうになる。それでも最後には、自分にとって一番大切だった相手が誰なのかに気づく、そして長い遠回りの末、二人は互いの気持ちを伝え合う。
エンドロールが流れる。
館内の照明がゆっくりと明るくなった。
「……」
「……」
二人とも、なぜかすぐには立ち上がらなかった。
先に口を開いたのは蓮だった。
「結構面白かったな」
「でしょ?」
「思ったよりちゃんとしてた」
「何その上から目線」
「恋愛映画ってもっとこう……ずっとイチャイチャしてるだけかと思ってた」
「偏見すご」
二人は笑いながら席を立った。
その時。
結衣は映画のポスターをちらりと振り返った。ほんの少しだけ、考えるような顔をして。
外へ出る頃には、空が夕焼け色に染まり始めていた。駅へ向かう道を二人並んで歩く。
「最後よかったよね」
結衣が言った。
「まあな」
「ずっと近くにいたからこそ、自分の気持ちに気づけなかったっていうの」
「男の方、鈍感すぎたけどな」
「……」
結衣がじっと蓮を見る。
「なんだよ」
「別に?」
「なんだその目」
「蓮兄がそれ言うんだ、と思って」
「どういう意味だよ」
「さあ?」
結衣は楽しそうに笑い、少しだけ先を歩く。
「でもさ」
「ん?」
結衣は前を向いたまま言った。
「私たちもちょっと似てたよね」
「……俺ら?」
「うん」
結衣が指を折りながら数える。
「小さい頃から一緒で、家も近くて、しょっちゅう遊んでて」
「まあ……そうだな」
「男の方が女の子を妹みたいに扱ってるところとか」
「あー」
確かに言われてみれば似ている。
「映画見ながら思ったもん。これ私たちじゃんって」
「はは。じゃあ俺、あんな鈍感男なのかよ」
「どうだろうね」
結衣が足を止めた。
蓮も数歩進んだところで気づき、振り返る。
夕暮れの光の中結衣がこちらを見ていた。いつもと同じ顔、幼い頃から何度も見てきた顔のはずだった。
けれど。
「……もし」
結衣が言う。
「映画みたいに、私が蓮兄のこと好きだったらどうする?」
「え?」
一瞬蓮の思考が止まった。
結衣は蓮の目を真っ直ぐ見ている。いつもの冗談っぽい笑顔ではない、少しだけ頬が赤い夕焼けのせいなのか。
それとも。
「…………」
蓮は言葉に詰まった。
その瞬間。
結衣がふっと笑った。
「なんてね」
「……は?」
「映画見た直後だから言ってみただけ」
「お前な……」
「何?」
「変な冗談やめろよ」
「ふふ。蓮兄、ちょっと焦った?」
「焦ってねえよ」
「ほんと?」
結衣が一歩近づく。
距離が縮まる。
「じゃあなんで目逸らすの?」
「逸らしてねえ」
「逸らした」
「夕日が眩しいだけだ」
「こっち夕日と反対だけど」
「……うるさい」
結衣がくすくす笑う。
蓮は顔を逸らしながら歩き始めた。
「ほら、帰るぞ」
「待ってよ」
結衣が隣に並ぶ。
そして。
「……でも」
「ん?」
「もし本当だったら?」
「何が」
「さっきの」
蓮が横を見る。
結衣もこちらを見る。
目が合う。
「……蓮兄は困る?」
いつもより少しだけ静かな声。
蓮はすぐには答えられなかった。
困る、そう言えばいいはずなのに。だって結衣は妹みたいなものだから、そう思ってきたはずだった。
「……分かんねえ」
気づけば、そんな答えが口から出ていた。
結衣の目が少しだけ大きくなる。
「そっか」
それだけ言って、結衣は前を向いた。
けれど。
その横顔は少し嬉しそうだった。
「……何笑ってんだよ」
「笑ってないよ」
「笑ってるだろ」
「気のせい」
「絶対笑ってる」
「蓮兄こそ」
「俺?」
「耳、赤いよ」
「夕日のせいだ」
「だから夕日反対側だって」
「うるせえ!」
結衣が声を上げて笑った。
蓮も呆れながら笑う。
いつもの二人。
いつもの距離。
――のはずだった。
けれど、蓮は隣を歩く結衣を、ちらりと見る。
夕暮れの風で髪が揺れている。楽しそうに笑っている横顔。今まで何度も見てきたはずなのに。
なぜか今日はほんの少しだけ――。可愛いと思った。
「……」
蓮は慌てて前を見る。
(いやいやいや)
何を考えている。結衣だぞ昔から知っている妹みたいな存在だ!さっき映画を見たせいだ絶対そうだ。
「蓮兄?」
「……何でもない」
「変なの」
結衣はまた笑った。
蓮はそれ以上、横を見ることができなかった。
家の近くまで戻ってくる頃には、すっかり暗くなっていた。
「今日は楽しかったー」
結衣が大きく伸びをする。
「俺も久々に休日らしい休日だったわ」
「また行こうね」
「暇だったらな」
「そこは普通『行こう』でいいじゃん」
「はいはい。行こう行こう」
「雑!」
二人はいつものように言い合いながら歩く。
やがて分かれ道に着いた。
「じゃ、私こっちだから」
「おう」
結衣が数歩進む。
だが突然振り返った。
「あ、蓮兄!」
「ん?」
結衣は今日取ってもらったぬいぐるみを胸元に抱えた。
「今日ありがと!」
「ああ」
「それと――」
一瞬、言葉を止める。
「映画の話」
「映画?」
「……忘れないでね」
「何をだよ」
「秘密」
結衣はいたずらっぽく笑った。
「じゃあまた!」
そう言って走っていく。
「転ぶなよー」
「子供扱いすんなー!」
遠くから返事が飛んでくる。
蓮は笑いながら、その背中を見送った。
そして自宅へ向かって歩き出す。
「……映画の話、ね」
――もし、私が蓮兄のこと好きだったらどうする?
あの言葉が頭の中で再生される。
「…………」
また胸が妙に落ち着かなくなる。
「いや、映画の影響だろ」
誰に言うでもなく呟いた。
その日の夜。
ベッドに入り、スマホを眺めていた蓮の画面に通知が表示された。
結衣からだった。
『今日はありがと!』
続いて写真が送られてくる。
ゲームセンターで取ったぬいぐるみを机の上に置いた写真。
『ちゃんと飾った』
蓮は小さく笑った。
『千円以上使って取れなかったやつな』
すぐ既読がつく。
『それ言わなくていいから!』
『事実だろ』
『蓮兄が取ってくれたから結果オーライです』
そして数秒後。
もう一通。
『大切にするね』
「……」
蓮の指が止まる、ただのぬいぐるみの話だ分かっている。それなのに。
今日の夕方の結衣が頭をよぎった。
蓮は少し迷ってから返信する。
『おう』
たった二文字。
送信。
その直後。
「……何意識してんだ俺」
スマホを伏せ目を閉じる。
けれど、浮かんでくるのは、映画のヒロインではなかった。夕暮れの中で。
「もし本当だったら?」
そう聞いてきた――結衣の顔だった。
一方その頃。
自室のベッドに寝転んでいた結衣は、蓮から届いた『おう』の二文字を見つめていた。
「……分かんねえ、か」
帰り道での蓮の答えを思い出す。
もし以前ならきっと即答されていた。
『ないない。お前は妹みたいなもんだろ』
そんな言葉が返ってきたはずだ、でも今日は違った。
「……ちょっとくらい、意識したかな」
結衣はぬいぐるみを抱きしめる。
そして小さく笑った。
「映画、選んで正解だったかも」
偶然だった。
本当に、最初はただ面白そうだから選んだ映画だった。
でも上映が始まり、物語が進むにつれて。私は何度も思っていた。似てる、自分たちに。
だから少しだけ映画の力を借りた。普段なら絶対に言えない言葉を、冗談という逃げ道を残して投げてみた。
結果は――。
「……悪くない」
結衣は嬉しそうに目を閉じた。
そして、同じ夜同じ映画を思い出しながら。二人は初めて少しだけ違う意味で、お互いのことを考えていた。今までと同じ関係、今までと同じ距離、それなのにその境界線は今日、ほんの少しだけ揺れた。
蓮自身もまだ知らない。
今日胸に生まれた小さな違和感が。
これから結衣を見る目を、少しずつ変えていくことを。
5話 終
5話更新です。結衣ちゃんは可愛いです。寝ます。




