第4話 『最初は顔、それじゃダメ?』
帰国後の蓮に興味を示す一軍女子・桜庭陽菜。外見から始まった好意を隠さない彼女に、蓮は戸惑いつつも少しずつ心を動かされる。一方、美咲と凛にも複雑な感情が芽生え始める。
「昨日見た時から気になってたから」
目の前の女子は、まるで昔からの知り合いにでも話しかけるような気軽さでそう言った。
「…………」
対して俺は、返す言葉が見つからない。
昨日見た時から――か。
分かりやすい。
「それで、俺に何か用?」
「用ってほどじゃないよ。ただ話してみたかっただけ」
「そう」
「反応薄いなぁ。もうちょっと喜んでくれてもよくない?」
「なんで?」
「なんでって……」
女子は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑った。
「面白いね、月島君」
名前は確か――桜庭陽菜。
同じ学年なら、知らない人間の方が少ないだろう。
肩甲骨あたりまで伸びた淡い金色の髪は毛先が緩く巻かれていて、光が当たると柔らかく透ける。ぱっちりとした瞳と整った顔立ちがよく目立ち、身長も女子の中では少し高め。細身ですらりとしており、黙っていれば大人っぽく見えるのに、笑うと一気に親しみやすい雰囲気になる。
そして陽菜は、いわゆる学校の一軍女子だった。
明るくてコミュニケーション能力も高く、休み時間になれば自然と人が集まる。男女問わず顔が広く、行事やイベントでも中心にいるようなタイプだ。
一年前の俺とは、文字通り住んでいる世界が違うような女子だった。
「私のこと知ってる?」
「名前くらいなら」
「ほんと? よかった」
「三年間クラス替えない学校なんだから、同学年の有名人くらい覚えてるよ」
「あ、私って有名なんだ?」
「自覚ないの?」
「あるよ?」
「あるのかよ」
「ふふっ」
俺がそう返すと陽菜が楽しそうに笑う。距離が近い。
昨日から女子に話しかけられること自体には、嫌でも少し慣れてきた。でもこの人は、その中でも特に遠慮がない。
「それで?」
「ん?」
「話したかったって、それだけ?」
「うん」
「…………」
「あと、できれば仲良くなりたい」
「俺と?」
「月島君以外に誰がいるの?」
迷いのない返答だった。
思わず陽菜の顔を見る。
「……どうして?」
「どうしてって?」
「俺と仲良くなりたい理由」
「聞きたい?」
「まあ」
陽菜は少し考えるように人差し指を顎に当てた。そして次の瞬間、何の躊躇もなく言った。
「顔が好みだから」
「…………」
あまりにも直球だった。
「……正直だな」
「嘘ついてもしょうがなくない?」
「普通もう少し誤魔化すだろ」
「じゃあ『月島君の内面に惹かれました』って言った方がよかった?」
「昨日初めて話したのに?」
「でしょ?」
「…………」
なんだこいつ。
昨日から俺に話しかけてきた女子は何人もいた。
でも。
『かっこよくなったね』
『雰囲気変わったね』
そう言いながらも、誰一人として「顔がいいから話しかけた」とは言わなかった。
分かっていた。分かっていたけど、本人たちはそれを口にしない。なのに陽菜は、悪びれる様子すらない。
「……俺、一年前からこの学校にいたけど」
「知ってるよ」
「昔の俺も?」
「もちろん」
「だったら」
少しだけ声が低くなった。
「昔は一度も話しかけてこなかったよな」
陽菜の笑顔が僅かに止まる。教室の中から、こちらを気にしている視線を感じた。美咲と凛だ、それでも俺は陽菜から目を逸らさなかった。
「今の俺がこういう見た目になったから、話しかけてきたんだろ?」
「うん」
「…………え?」
今度は俺が固まった。
「そうだよ」
陽菜はあっさり認めた。
「昔の月島君には、正直ほとんど興味なかった」
「…………」
「酷いかな?」
「いや……」
予想していた答えなのに、あまりにも堂々と言われて困惑する。
「でもさ」
陽菜が俺を見上げた。
「それってそんなに変?」
「何が?」
「人に興味を持つきっかけが見た目なの」
「…………」
「月島君だって、知らない人を見て『綺麗だな』とか『かっこいいな』とか思ったことくらいあるでしょ?」
「それは……」
「あるよね?」
「……まあ」
「じゃあ同じじゃん」
「でも」
「私は今の月島君を見て、かっこいいと思った。だから話してみたいと思った。それだけ」
陽菜は少しだけ首を傾げる。
「話したこともないのに『昔から中身が好きでした』なんて言う方が、私は嘘っぽいと思うけどな」
「…………」
何も言い返せなかった。正しいかどうかは分からない。でも、少なくとも嘘ではなかった。俺が一番嫌いになったもの。表では優しくして、裏では違うことを言う人間。陽菜は、それとは正反対だった。
「桜庭って変わってるな」
「昨日も誰かに同じこと言わなかった?」
「……なんで分かるんだよ」
「なんとなく」
昨日、凛にも似たようなことを言った気がする。桜庭陽菜感が良すぎるだろ。
「それより」
陽菜が一歩近づく。
「連絡先交換しよ?」
「なんでそうなる」
「仲良くなるため」
「話が早すぎるだろ」
「嫌?」
「…………」
断る理由はある。というか、面倒事を避けたいなら断るべきだ、なのに。
「別に……いいけど」
「ほんと?」
ぱっと陽菜の表情が明るくなる。その笑顔を見て、また胸の奥がざわついた。
――期待するな。
この子は自分で言った。今の俺の見た目に興味を持っただけだ。また期待してショックを受けるのは精神的に辛い。
「じゃ、スマホ出して」
「はいはい」
スマホを取り出そうとした、その時だった。
「蓮」
「……ん?」
聞き慣れた声。振り返ると、美咲が立っていた。
「おはよう」
「ああ。おはよう」
昨日までなら、そこで会話は終わっていたと思う。でも今日は違った。美咲は陽菜を一度見て、それから俺を見る。
「教室、入らないの?」
「今入るところ」
「そっか」
「…………」
「…………」
美咲は動かない。
「美咲?」
「なに?」
「いや……」
どうしたんだ?すると陽菜が俺と美咲を交互に見た。
「白石さんと月島君って幼馴染なんだよね?」
「……そうだけど」
答えたのは美咲だった。
「へえ。いいなぁ」
「何が?」
「だって昔から月島君のこと知ってるんでしょ?」
「…………」
「私、昨日の月島君しか知らないから」
その言葉に、美咲の表情が僅かに変わった。
「……うん」
そして。
「私は知ってるよ」
いつもより少し強い声だった。
「昔の蓮も、今の蓮も」
「…………」
胸が小さく痛んだ。陽菜はそんな美咲をじっと見てから、ふっと笑う。
「そっか」
何だ今の妙な空気は。
「じゃあ私、先に教室入ってるね」
「連絡先は?」
「後で交換しよ」
陽菜は俺の横を通り過ぎる。その途中、美咲の横で一瞬足を止めた。
「白石さん」
「……何?」
「私、遠慮しないからね」
「え?」
「じゃあね」
それだけ言って、陽菜は教室へ入っていった。
「…………」
「…………」
残された俺と美咲。
「今の何?」
「私に聞かないでよ」
「知り合いじゃないの?」
「話したことくらいはあるけど……」
「ふーん」
俺も教室に入ろうとする。
「蓮」
「ん?」
「……連絡先、交換するの?」
「桜庭と?」
「うん」
「すると思うけど」
「そっか……」
「何?」
「別に」
そう言いながら、明らかに別にという顔ではない。なんか物凄く不機嫌になっている気がする。
「…………」
「…………」
「美咲」
「なに?」
「もしかして――」
言いかけてやめた。まさか、そんなわけない。
「……いや、なんでもない」
「何よ。気になるじゃん」
「大したことじゃない」
「もう……」
少し不満そうな美咲を残し、俺は教室へ入った。
もしかして、嫉妬してる?そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
でも。
『あんなデブで醜い奴、好きなわけないでしょ!』
すぐに消した。違う、また勘違いするところだった。美咲が俺にそんな感情を持つわけがない。昨日言っていたのだって、罪悪感から昔の関係を取り戻したいだけかもしれない。
危なかった。また勝手に期待するところだった。
自分の席へ向かう。
「おはよう、月島君」
席に着くと、隣から声がした。
「黒崎。おはよう」
凛はいつもの落ち着いた表情で本を閉じた。
「朝から人気者ね」
「やめてくれ」
「嫌なの?」
「疲れる」
「でしょうね」
昨日と同じ。余計なことを聞いてこない、それがありがたかった。
「でも」
「ん?」
「桜庭さんとは結構話してたね」
「見てたの?」
「教室の入口だから嫌でも見える」
「それ昨日も聞いた気がする」
「気のせい」
凛が視線を逸らす。
「連絡先も交換するんでしょ?」
「……黒崎まで何なんだよ」
「まで?」
「美咲にも聞かれた」
「へえ」
「何?」
「別に」
また別にか。女子ってよく分からない。
「黒崎」
「なに?」
「連絡先交換するくらい普通だろ?」
「普通なんじゃない?」
「じゃあ何で聞くんだよ」
「なんとなく」
凛は再び本を開いた。もう話は終わりらしい。
「…………」
分からん。
俺も前を向く。
その時。
「……私とは交換してないのに」
「ん?」
「何でもない」
「今なんか言った?」
「言ってない」
「そう?」
「うん」
ページをめくる凛の横顔は、いつもと変わらない。
ただ。
耳がほんの少しだけ赤く見えたのは、気のせいだろうか。
昼休み。チャイムが鳴った瞬間、俺は弁当を持って立ち上がった。今日も昨日の場所で食べよう。
「月島君」
「ん?」
凛だった。
「今日も……昨日のところ?」
「ああ」
「そう」
「黒崎は?」
「私は――」
「蓮!」
凛の声を遮るように美咲がやってきた。
「今日、一緒にお昼食べない?」
「…………」
教室が一瞬静かになった気がした。
「俺と?」
「うん」
「友達は?」
「今日はいいの」
「でも――」
「私が蓮と食べたいの」
「…………」
昨日の美咲とは違う。
言葉に迷いがない。
『私、諦めないから』
昨日の言葉を思い出した。
「……分かった」
「ほんと?」
「ああ」
美咲が嬉しそうに笑う。その笑顔は、一年前と何も変わらなかった。胸がまた少しだけ痛む。
「じゃあ行こ」
「ああ」
「…………」
歩き出そうとしてふと凛を見る。凛は弁当箱を手に持ったまま立っていた。
「黒崎」
「何?」
「一緒に来る?」
「え?」
「昨日も一緒に食べただろ」
「……いいの?」
「俺は別に」
黒崎の表情が一瞬明るくなった。
凛が美咲を見る。
美咲も凛を見る。
「…………」
「…………」
何だ、この空気。
「私はいいよ」
先に言ったのは美咲だった。笑っている。ただ、ほんの少しだけ笑顔が硬い。
「じゃあ、お邪魔しようかな」
「決まりだな」
その瞬間。
「ちょっと待った!」
教室に声が響いた。
「……今度は何だよ」
振り返ると陽菜が弁当を片手に立っていた。
「私も行く」
「は?」
「月島君とお昼食べたい」
「いやいや」
「いいでしょ?」
「…………」
美咲を見る。
笑顔。
凛を見る。
無表情。
陽菜を見る。
満面の笑み。
「……帰ってきて二日目だぞ、俺」
「知ってる」
「なんでこんなことになってんだ……」
誰にも聞こえない声で呟いた。
結局。
俺、美咲、凛、陽菜。
四人で校舎裏のベンチまで来た。昨日まで一人で静かに飯を食べていた場所とは思えない。
「蓮、それだけ?」
美咲が俺の弁当を覗き込む。
「結構入ってるだろ」
「昔はもっと食べてたじゃん」
「昔と一緒にするなよ」
「あ……」
美咲の表情が曇る。
「悪い。そういう意味じゃない」
「ううん」
また気を遣わせた。こんなことが続くのか。
「月島君、自分で作ってるの?」
凛が尋ねる。
「今日は母さん。留学中は自分で作ってた」
「料理できるんだ」
「簡単なのだけ」
「意外」
「どういう意味だよ」
「褒めてる」
「絶対嘘だろ」
「本当」
凛が僅かに笑う。
「…………」
向かい側から妙な視線を感じる。
美咲だ。
「何?」
「別に?」
「またそれ?」
「何でもないもん」
何故か少し拗ねている。
すると。
「ねえ月島君」
陽菜が口を開いた。
「今度お弁当作ってきてよ」
「なんで?」
「食べてみたい」
「嫌だよ」
「即答!?」
「自分の分作るだけでも面倒なのに」
「じゃあ私が作ってこようか?」
「なんでそうなる」
「月島君に食べてもらいたいから」
「…………」
また直球だ。
美咲の箸が止まる。
凛も陽菜を見る。
「桜庭さんって」
凛が静かに言った。
「結構積極的なんだね」
「陽菜でいいよ」
「じゃあ陽菜さん」
「凛ちゃんも月島君のこと気になってる?」
「…………」
今度は凛の箸が止まった。
「どうしてそうなるの?」
「昨日二人で食べてたって聞いたから」
「誰から?」
「友達」
「噂になるの早すぎだろ……」
俺は頭を抱えた。女子の情報網を侮っていたのかもしれない正直いって怖すぎる。
「それで?」
陽菜が凛を見る。
「気になってる?」
「…………」
凛は少し考えてから。
「興味はあるよ」
そう答えた。
「黒崎?」
「何?」
「本人の前で言う?」
「聞かれたから答えただけ」
平然としている。
「へえ」
陽菜が楽しそうに笑った。
「じゃあライバル?」
「何の?」
「もちろん恋――」
「ちょっと待て」
さすがに止めた。
「話がおかしいだろ」
「そう?」
「そうだよ」
陽菜とは今日初めてまともに話した。凛だって昨日からだ。
「そんな簡単に恋愛とかになるわけないだろ」
俺がそう言った瞬間。美咲が俯いた。
「…………」
「美咲?」
「なんでもない」
また。でも今度は、その表情が少し寂しそうだった。俺、何か変なこと言ったか?
「それより月島君」
陽菜がこちらを見る。
「私、一つ気になってることがあるんだけど」
「何?」
「月島君ってさ」
陽菜は一瞬、美咲を見た。
「好きな人いるの?」
「…………」
時間が止まった。
「お、お前……」
「気になるじゃん」
「だからって――」
「いるの?」
「…………」
答えようとして、言葉が出なかった。一年前なら
迷わず心の中で答えられていただろう。白石美咲。ずっと好きだった。誰よりも、でも今は。
美咲を見る。
目が合った。
「…………」
美咲は俺の答えを待っている。
凛も。
陽菜も。
胸の奥が痛む。
「……いないよ」
そう答えた。
「今は、誰も」
「…………」
美咲の目が僅かに揺れた。
ほんの一瞬。
泣きそうな顔に見えた。
「そっか」
陽菜はそれ以上聞かなかった。凛も何も言わない。
そして美咲は。
「……そっか」
小さく笑った。その笑顔を見た瞬間何故か俺の方まで苦しくなった。
放課後。
美咲は一人、教室に残っていた。
『好きな人いるの?』
『……いないよ』
『今は、誰も』
分かっていた。
一年前のままじゃない。
あの頃の蓮が自分を好きだったことには、ずっと前から気づいていた。だからこそ甘えていたのかもしれない。蓮ならずっと自分の隣にいてくれる。何を言っても明日になれば、また笑ってくれる。そんな保証なんてどこにもなかったのに。
「……今は、か」
胸に手を当てる。痛い、でも。
「……まだ終わってない」
昨日決めた。逃げないと、今度は、自分が蓮を追いかける。
「好きになってもらえばいいんだ」
口にすると、急に恥ずかしくなった。
「……何言ってるんだろ、私」
顔が沸騰したように熱い。それでも、今までより少しだけ前を向けた気がした。
一方。
帰り道。
「月島君」
「……なんでいるの?」
「帰る方向一緒だったから」
陽菜が隣を歩いていた。
「ストーカーじゃないよ?」
「言ってない」
「顔に書いてある」
「書いてない」
「ふふっ」
陽菜はずっと上機嫌で楽しそうだ。
「今日楽しかった」
「俺は疲れた」
「また一緒に食べようね」
「元気だな」
「それが取り柄だから」
信号で立ち止まる。
「ねえ、月島君」
「ん?」
「朝の話なんだけど」
「朝?」
「私が月島君に興味持った理由」
「ああ」
「顔が好みだからってやつ」
「覚えてるよ」
「嫌だった?」
「…………」
少し考える。
「正直、最初は」
「そっか」
「でも」
陽菜を見る。
「嘘つかれるよりはマシかも」
「…………」
陽菜が目を丸くした。
そして。
「そっか」
嬉しそうに笑った。
「じゃあさ」
「何?」
「これから中身も知っていけばいいよね」
「……は?」
「最初は顔だったけど」
陽菜は真っ直ぐ俺を見る。
「でも、最後まで顔だけとは限らないでしょ?」
「…………」
信号が青になる。
「じゃあね、月島君!」
「あ、おい」
陽菜が道路を渡っていく。反対側まで行ったところで、こちらへ振り返った。
「明日、連絡先交換するの忘れないでね!」
大きく手を振る。
「……忘れてなかったのかよ」
俺は小さくため息をついた。でも、不思議と嫌な気分ではなかった。
「最初は顔、か」
今までならその言葉だけで距離を置いていたと思う。なのにあいつは全部認めた。昔の俺には興味がなかったことも。今の俺の顔が好きなことも。その上で。
『これから中身も知っていけばいいよね』
「…………」
分からない。やっぱり人の気持ちは分からない。美咲のことも。凛のことも。陽菜のことも。そして、自分自身の気持ちさえ。
ただ一つ分かるのは、一年前まで誰にも見向きもされなかった俺の日常が。
確実に。
面倒な方向へ動き始めているということだった。
第4話 終
4話更新です。最近はまた蒸し暑くなってきたので外出する際は熱中症にお気をつけください!




