第2話 変わってしまった距離
別人となった蓮に手のひらを返すクラスメイトたち。美咲とはすれ違う一方、凛だけは蓮の心の痛みに気づく。そんな二人の姿を見た美咲の胸には、初めての嫉妬が芽生え始める。
教室中から視線を感じる。
正直、居心地が悪い。
「…………」
一年前まで使っていた自分の席。
机も椅子も、窓から見える景色も変わっていない。
変わったのは――俺だけだ。
「ねえ……本当に月島なの?」
突然、前の席に座っていた女子が振り返った。
「……そうだけど」
「え、嘘……」
何がそんなに驚くことなのだろう。
いや。
理由なんて分かっている。
「めちゃくちゃ変わったね!」
「そう?」
「変わったなんてもんじゃないって!」
その声に反応して、近くにいた女子たちまで集まってくる。
「身長何センチになったの?」
「185くらい」
「えっ、高っ!」
「海外で何してたの?」
「普通に生活してただけ」
「彼女とかできた?」
「いないよ」
「え! 本当に!?」
なんでそこで喜ぶんだ。
次から次へと質問が飛んでくる。
一年前なら、考えられなかった光景だった。
「…………」
俺は適当に答えながら、彼女たちの顔を見る。
覚えている。
一年前。
廊下ですれ違った時、俺を見て笑っていた子。
体育の授業で同じ班になるのを嫌がっていた子。
話しかけても露骨に嫌そうな顔をした子。
別に、恨んでいるわけじゃない。
今さら責めたいとも思わない。
ただ――。
「蓮君って呼んでもいい?」
「……好きにすれば」
「じゃあ蓮君!」
「私もそう呼ぼっかな」
「私も!」
……不思議だ。
一年前は名前で呼ばれた記憶なんて、ほとんどないのに。
少し見た目が変わっただけで、人間はこんなにも態度を変えられるらしい。
「…………」
胸の奥が冷えていく。
結局。
みんな見ているのは――外側だけなんじゃないか。
「ねえ、今度――」
「悪い」
俺は立ち上がった。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あ……うん」
そのまま教室を出る。
廊下に出た瞬間、大きく息を吐いた。
「……疲れる」
一人の方が楽だ。
少なくとも、一人なら裏切られることはない。
期待しなければ、傷つくこともない。
そう思って歩き出した。
その時だった。
「……蓮」
足が止まる。
聞き間違えるはずがない。
一年間。
忘れようとしても忘れられなかった声。
振り返る。
そこには――美咲がいた。
「…………」
「…………」
何を話せばいいのか分からない。
いや。
話す必要なんてあるのだろうか。
「……久しぶり」
先に口を開いたのは美咲だった。
「さっき言っただろ」
「あ……うん」
会話が終わる。
昔ならこんなことはなかった。
どうでもいい話をして。
美咲が笑って。
俺も笑って。
気づけば何時間でも一緒にいられた。
なのに今は――数秒の沈黙すら長く感じる。
「……背、高くなったね」
「まあ」
「髪も……変えたんだ」
「うん」
「…………」
「…………」
美咲が制服の裾をぎゅっと握った。
何かを言いたそうにしている。
「蓮、あの――」
「月島君!」
廊下の向こうから声が飛んできた。
さっき俺の席に集まっていた女子の一人だ。
「先生が呼んでるよ!」
「ああ。分かった」
俺は美咲に背を向ける。
「じゃあ」
「ま、待って!」
思わず振り返った。
美咲が俺を見ている。
「……何?」
「あの……」
美咲の唇が小さく震える。
「私……蓮に、言わなきゃいけないことが――」
「無理しなくていいよ」
「……え?」
「俺に気を遣わなくていい」
美咲の表情が固まった。
「昔からそうだったんだろ?」
「…………え?」
「優しくしてくれてたのも」
「ち、違――」
「大丈夫」
自分でも驚くほど、普通に笑えた。
「もう気にしてないから」
美咲の顔から血の気が引いていく。
それを見て、少しだけ胸が痛んだ。
けれど。
これ以上ここにいたくなかった。
「じゃあ、先生のところ行ってくる」
「…………」
俺は歩き出した。
美咲は追いかけてこなかった。
ただ一人。
廊下に残されていた。
「……気を遣ってたわけじゃないよ……」
小さな声。
当然、蓮には届かない。
「ずっと……一緒にいたかったからだよ……」
美咲は俯いた。
分かっていた。
簡単に謝って許してもらえるなんて思っていない。
それでも、どこかで期待していたのかもしれない。
一年ぶりに会えば。
昔みたいに「美咲」と呼んでくれて。
少しくらい笑ってくれるんじゃないかと。
でも。
『俺に気を遣わなくていい』
違う。
違うのに。
「……馬鹿」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
いや。
きっと自分自身だ。
「あんなこと……言わなきゃよかった……」
目の奥が熱くなる。
けれど、美咲は顔を上げた。
「……ちゃんと言わなきゃ」
逃げたくない。
今度こそ。
あの日言えなかった本当の気持ちを――。
昼休み。
「月島君!」
「一緒にご飯食べない?」
「こっち来なよ!」
……またか。
朝からずっとこんな調子だ。
「悪い。今日は一人で食べる」
「えー!」
「なんで?」
「久しぶりに学校見て回りたいから」
もちろん嘘だ。
一人になりたいだけ。
弁当を持って教室を出ようとする。
その途中。
ふと、美咲と目が合った。
「…………」
美咲の机の周りにも友達がいる。
昔なら。
『蓮! 一緒に食べよ!』
そう言って、当たり前のように俺の隣へ来ていた。
……懐かしいな。
そう思っただけだ。
「…………」
俺は目を逸らした。
教室を出る。
「…………」
美咲は蓮の背中を見つめていた。
「美咲?」
「え?」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
そう答えながら、膝の上で拳を握る。
本当は追いかけたい。
一緒に食べようと言いたい。
昔みたいに。
でも――怖かった。
今の蓮に拒絶されたら。
今度こそ本当に、立ち直れない気がした。
「…………」
そんな美咲の様子を。
少し離れた席から見ている少女がいた。
黒崎凛。
「…………」
美咲。
そして蓮。
朝から二人の様子がおかしい。
昔から幼馴染なのは知っている。
でも、それだけでは説明できないほど、二人の間には妙な距離がある。
「……何かあったのかな」
普段なら他人の事情に首を突っ込むようなことはしない。
なのに。
なぜか気になった。
特に――月島蓮という人間が。
俺は校舎の裏にあるベンチに座っていた。
「ここ、まだあったんだ」
一年前。
たまに一人になりたい時に来ていた場所。
ほとんど人は来ない。
「いただきます」
弁当箱を開ける。
静かだ。
やっぱり、この方がいい。
「…………」
風で木々が揺れる音だけが聞こえる。
そんな時間を数分ほど過ごしていた時だった。
「隣、いい?」
「……?」
顔を上げる。
そこにいたのは――。
「黒崎?」
「覚えてたんだ」
「三年間クラス替えないんだから、そりゃ覚えてるよ」
「そう」
黒崎凛。
一年前も同じクラスだった。
美咲とは違った意味で目立つ女子だ。
整った顔立ち。切れ長で吸い込まれるような瞳、腰近くまで伸びた長い黒髪。
あまり笑わないせいか、少し近寄りがたい雰囲気がある。男子から人気があることくらいは、俺でも知っていた。
「……ここ座っていい?」
「好きにすれば」
「ありがとう」
凛は俺から少し離れたところに腰を下ろした。
そして弁当を広げる。
「…………」
「…………」
会話がない。
気まずい。
……と思ったのは最初だけだった。
凛は何も聞いてこなかった。
海外で何してたの?
どうやって痩せたの?
彼女いるの?
どうしてそんなに変わったの?
朝から何度も聞かれた質問を、一つもしてこない。
「…………」
妙に楽だった。
「黒崎」
「なに?」
「俺に何か聞かないの?」
「何かって?」
「……いや、なんでもない」
「変なの」
凛はそれだけ言って、卵焼きを食べる。
「…………」
なんなんだ、この人。
しばらくして、凛が口を開いた。
「月島君」
「ん?」
「朝から大変そうだね」
「……見てたの?」
「嫌でも目に入る」
「そっか」
「みんな分かりやすいから」
俺は少し笑いそうになった。
「それは思った」
「やっぱり?」
「一年前とは大違いだ」
口にしてから気づいた。
余計なことを言った。
「…………」
凛がこちらを見る。
ほら。
どうせ聞かれる。
『昔と違ってモテて嬉しい?』
とか。
『どうやってそんなに変わったの?』
とか。
そう思っていた。
しかし――。
「……そりゃ疲れるね」
「え?」
「だって」
凛は平然と弁当を食べながら言った。
「同じ人たちなのに、自分を見る目だけ急に変わったんでしょ?」
「…………」
箸が止まった。
「それは、疲れると思う」
凛はそれ以上何も言わなかった。
「…………」
なんだ。
この人。
初めてだった。
帰ってきてから。
いや――。
もしかすると、一年前から含めても。
今の俺の外見ではなく。
俺が何を感じているのかを、先に考えた人は。
「黒崎って……」
「うん?」
「変わってるな」
「失礼ね」
「悪い」
「別にいいけど」
凛がほんの少し笑った。
その表情を見て。
俺の胸がわずかに揺れた。
「…………」
いや。
やめろ。
勘違いするな。
少し優しくされたくらいで。
俺は一度――。
『あんなデブで醜い奴、好きなわけないでしょ!』
「…………」
「月島君?」
「……何でもない」
「そう?」
「ああ」
俺は弁当に視線を落とした。
期待するな。
人の優しさに意味を求めるな。
そうすれば。
もう、傷つかない。
そして。
二人が一緒に昼食を食べている姿を――。
遠くから偶然見てしまった人物がいた。
「…………」
白石美咲。
蓮を追いかけてきたわけではなかった。
少なくとも、自分にはそう言い聞かせていた。
ただ。
昔、蓮がよくここで一人になっていたことを思い出しただけ。
もし、いたら。
今度こそ話そう。
そう思って来ただけだった。
でも。
そこには先客がいた。
「……凛ちゃん」
蓮の隣に座っている。
二人で話している。
そして――。
ほんの一瞬だった。
蓮が少しだけ笑った。
「…………え?」
美咲の胸が締めつけられた。
朝。
自分が何を言っても、ほとんど笑ってくれなかった蓮。
なのに。
凛には――。
「…………」
嫌だ。
そう思ってしまった。
そんな資格、自分にはないのに。
蓮を傷つけたのは自分なのに。
それでも。
嫌だった。
自分の知らないところで。
自分の知らない女の子と話して。
自分には見せてくれなかった表情を見せている。
「……何考えてるんだろ、私」
美咲は自嘲するように笑った。
一年前まで。
蓮の隣にいるのは、自分だった。
それが当たり前だと思っていた。
失うなんて考えたこともなかった。
だから――。
あんな言葉を簡単に口にできたのかもしれない。
「…………」
美咲は二人に気づかれないよう、その場を離れた。
放課後。
帰り支度をしていると、スマホが震えた。
「ん?」
画面を見る。
『今日、何時くらいに帰ってくる?』
「……結衣か」
一ノ瀬結衣。
近所に住んでいる親戚の女の子だ。
小さい頃から俺の家によく遊びに来ていて、俺にとっては妹みたいな存在。
留学中も、たまに連絡を取っていた。
『今から帰る』
そう返信すると。
数秒で既読がついた。
『じゃあ蓮兄の家行って待ってる!』
「……相変わらずだな」
思わず苦笑する。
その時。
「月島君」
「ん?」
振り返ると凛がいた。
「今日はありがとう」
「……何が?」
「お昼。一緒に食べてくれて」
「俺、何もしてないけど」
「それでも」
「……そっか」
「じゃあ、また明日」
「ああ」
凛が去っていく。
その後ろ姿を見ながら、俺はふと思った。
黒崎凛。
一年前。
ほとんど話したことのなかった相手。
なのに今日一日で。
クラスの誰よりも話しやすいと思ってしまった。
「…………」
まあ。
どうでもいいか。
鞄を肩にかける。
教室を出ようとした。
「蓮」
また。
その声だった。
「…………」
振り返る。
美咲が立っていた。
朝とは違う。
今度は、逃げるつもりがないような目をしていた。
「……少しだけ、時間ある?」
「…………」
「話したいことがあるの」
断ろうと思った。
聞く必要なんてない。
そう思った。
なのに。
「……少しだけなら」
そう答えてしまった。
美咲の表情が僅かに明るくなる。
「ありがとう」
その笑顔を見た瞬間。
胸の奥に。
昔の感情がほんの少しだけ蘇った。
――やめろ。
もう。
期待するな。
俺は心の中で、何度も自分に言い聞かせた。
第2話 終
2話更新です。作品を読んで頂き有難うございます。ちなみに私の好きな食べ物はインドカレーです。




