第八話「別の群れ」
壊滅的な被害を受けたと主張するゴブリンたちは、助けを求めてきていた。
確かに彼らを見ればわかる。泥と血にまみれた体、引きずる足、虚ろな目。過酷な状況だったろうことは、一目瞭然だった。
しかしこちらだって無傷ではない。仲間を失い、集落を失い、今まさに再建の途中だ。
「どうするんだ?」
メイコに聞くと、彼女は少し俯いて考え込んだ。子供たちの声が遠くから聞こえてくる。しばらくして、彼女は顔を上げた。
「タスケル、シマス」
そして俺の目をまっすぐ見て、言い直した。
「タスケル、シタイデス」
その目に迷いはなかった。
こちらも余裕がない状況で、それでもそう言えるメイコを、俺は素直に尊敬した。
先遣隊が向かうことになり、俺が名乗り出た。
案の定、皆から反対された。
メイコは首を横に振り、ゴンスケとゴンザブロウは俺の前に立ちふさがるように並んだ。
しかし俺は引かなかった。
「わがままかもしれない。けど、俺も皆の役に立ちたいんだ」
これまでずっと助けてもらってばかりだ。何か役に立てる場面があるなら、動きたかった。
メイコが困った顔でゴンタやゴンスケたちと顔を見合わせるが、俺は引く気はなかった。
「……ケイスケ、ドウシテモ、カ?」
「どうしてもだ」
最終的に、ゴンタが「ワカッタ、イッショニイク」と言って決着がついた。
メイコは俺の目をじっと見てから、ため息をついて頷いた。
出発の準備が始まった。
まずメイコが、俺の前にいくつかのものを並べた。乾燥させた木の実を葉っぱで包んだもの、小さな革袋に入った水、そして石のナイフ。
「モッテイッテ」
「ありがとう、メイコ」
石のナイフは以前から俺も使っていたが、今日持たせてくれたものは、いつものものより一回り大きく、柄に蔓がしっかりと巻きつけられていた。使いやすいよう、誰かが手を加えてくれたのだろう。
次に、ゴンスケが何かを手渡してきた。太い蔓を編んで作った簡易的な肩掛け袋だ。食料や水をまとめて入れられる。
「ギャ」
短い言葉だったが、その目が「気をつけろ」と言っていた。
「ありがとう、ゴンスケ」
ゴンザブロウは最後まで不満そうな顔をしていたが、やがて観念したように自分の名札をそっと握りしめ、俺の手を両手で包んだ。
「……行ってくる、ゴンザブロウ」
「ギャッ」
返事は短かったが、手を離すまでに少し時間がかかった。
一方のゴンタも、メイコから細かい指示を受けていた。
「カワ、キヲツケル。ヒトリデウゴカナイ。アブナイオモッタラ、カエル」
「ワカッテル」
「ワカッテナイ。モウイチド。アブナイオモッタラ、カエル」
「……ワカッタ」
メイコの念押しに、ゴンタが苦笑しながら頷く。その様子がどこか微笑ましくて、俺も思わず口元が緩んだ。
メイコは最後に俺の方を向き、静かに言った。
「ケイスケ、ホントウニキヲツケテ」
「了解だ」
彼女の目には、心配と信頼が混じっていた。俺はその視線をしっかりと受け止めてから、踵を返した。
子供たちが集落の端まで見送りに来ていた。小さな手を振る姿に、自然と背筋が伸びる。
「行ってくる」
俺とゴンタは、森の東へと歩き出した。
雨が上がって以来、日ごとに気温が上がっているような気がする。
今日も歩いているだけで汗ばんできた。
木々の葉はまだ雨粒を含み、風が吹くたびに水滴が降ってくる。
今の俺の格好はというと、ボロボロになったスラックスを履き、上半身は裸。例の緑色の虫よけを全身に塗っているから、肌の色はゴンタとお揃いで緑色だ。肩にはメイコからもらった毛皮のポンチョのようなものを羽織り、Yシャツは袖を結んで簡易的な袋代わりにしていた。
我ながら、ずいぶんと変わったものだと思う。一週間前の自分が見たら、何事かと驚くだろう。
案内役のゴブリン二体は、さっさと先を進み、今はもうその姿を確認できない。怪我をしていても、俺なんかよりずっと森を歩き慣れているようだ。
「ゴンタ、俺が足手まといで悪いな」
「ダイジョウブ。ユックリイケバ、ツク」
励まされてしまった。
途中、ゴンタは木の実を採ってはその場で食べたり、袋に入れて持ち歩いたりしていた。川のそばを通るときは、素早く手を伸ばして小さな魚を捕まえることもあった。その手際は見事で、何度見ても感心する。
幸いにして、あのイモムシを食する機会がないのが何よりの救いだった。
「イモムシ、ウマイ」
歩きながらゴンタが唐突に言った。
「……なんで急にそれを言い出すんだ」
「ミツケタラ、タベル?」
「絶対に嫌だ」
ゴンタは心底不思議そうな顔をした。
そういえば昔、コオロギ食を流行らせようとされた時代があったそうだ。
しかしそれだってコオロギをそのまま食べるのではなく、粉末にして何かに混ぜたりしていたという話だ。そして結局、すぐに廃れていった。普通にみんな、虫は食べたくなかったということだろう。
俺の感覚は正常だ、と自分に言い聞かせた。
歩き続けていると、ゴンタが時折、木の上に登ることがあった。
「ゴンタ、何をしているんだ?」
木から降りてきたゴンタに声をかける。
「ウエカラ、カワ、ミテタ」
「川?」
「ソウ。オオキナカワ、アブナイ。チイサイカワ、ワタル。ルートキメル」
どうやら上から川と地形を確認し、ルートを選定していたらしい。
言われてみれば今日ここまで、大きく深い川や流れの急な川に一度もぶつかっていない。全部ゴンタのおかげだったのだと、今更ながら気づいた。
「川の位置や流れが、雨のたびに変わるんだったな」
「ソウ。ダカラ、イッパイカクニスル。シラナイカワ、コワイ」
川が変わるなど、普通だったら大災害でしかない。
しかしこの土地で生き続けてきたゴブリンたちだからこそ、それを前提として生きる術を身につけている。
当たり前のようにやってのけるゴンタの姿に、改めて感心した。
「本当に頼りになるな、ゴンタ」
「アタリマエ!」
胸を張るゴンタの表情が、どこか誇らしそうで、思わず笑みがこぼれた。
「隣の集落には、どれくらいで着くかわかるのか?」
「タブン、ヨル、ニカイクライ」
「夜が二回……? 二日ってことか?」
「ソウ、ソレ」
二日もかかるのか……。
まあ確かにそれくらいの距離でなければ、俺がメイコたちのところで世話になっている間に、既に遭遇していてもおかしくない。
「あのゴブリンたち、さっさと行ってしまったけど、案内役じゃなかったのか」
「アイツラ、タンナルデンレイ。タブンオレタチムカッテルノ、サキニハナシニイッタ」
「なるほどな」
それからゴンタの言った通り、二日間森の中を進むことになった。
そして、三日目――。
太陽が頭上を過ぎて、気温が一段と高くなってきた。そろそろ休憩を提案しようとしたそのときのことだった。
「トマル、ケイスケ」
ゴンタが急に足を止め、低い声で言った。
これまで「気をつけて」とか「危ない」と注意することはあっても、ここまではっきりとした指示を出してきたのは初めてだった。
俺も立ち止まり、ゴンタの様子をうかがう。
「どうした?」
「アッチ、タブン、イル」
ゴンタが身を低くしながら、前方を指さした。俺も倣って草陰に身を潜める。
「いるって、何が?」
「ベツノ、ゴブリン」
別のゴブリン。ゴンタたちのグループではない、あの助けを求めてきた集落の群れか。
言われてみれば、風に乗って独特の匂いが漂ってきている気がする。
ここまでの旅路でゴブリンの気配にはある程度慣れてきた。
ゴンタの指す方向を凝視すると、遠くの茂みが不自然に揺れているのが見えた。やがてその中から、四体のゴブリンが姿を現した。
見た目はゴンタたちと同じだ。緑色の肌は虫よけを塗っているのだろう。
「色合いが少し濃いような気がするな……」
素材が違うのかもしれない。腰ミノの形も微妙に異なり、持っている武器も棍棒というより、骨のような素材のものが多かった。
メイコたちに慣れ親しんでいる俺は、その姿に少し安心感を覚えて、ホッと息を吐いた。
「マッテテ」
しかしゴンタの声は、いつもより硬かった。
俺とは違い、ゴンタは明らかに警戒している。その目が細く、鋭くなっている。
「わかった」
ゴンタは立ち上がると、一人で集団の方へと歩いていった。
どうやら俺がついていくのは得策でないらしい。俺はその場に身を潜め、じっと様子をうかがった。
ゴンタと向こうのゴブリンたちが、距離を保ちながら言葉を交わしている。
しかし遠すぎて、何を話しているのかは聞き取れない。
ただ雰囲気から、友好的な会話ではないことはわかった。
向こうの四体は、時折こちらの方角に視線を向けている。
その様子を観察しながら、俺は考えた。
これが助けを求めてきたゴブリンの集団なのか。それとも別の群れなのか。
どちらにしても、ゴンタが警戒しているという事実が引っかかった。
そのとき、背後で草がざわめく音がした。
「……ん?」
咄嗟に振り向こうとした、その瞬間。
ゴンタが話しているゴブリンと目が合った。四体の中の一体が、はっきりと俺を見ていた。少し遅れて、ゴンタがこちらを振り返る。
「ケイスケ!」
ゴンタが叫び声をあげる。
それと同時だった。
「ニンゲン、タオス!」
聞き取れたその言葉が意味することを理解するより早く、背後から何かが襲いかかってきた。
反射的に体を捻ろうとするが、間に合わない。
「くっ……!」
強烈な衝撃が頭部を直撃した。
視界が大きく揺れ、地面に倒れ込む。泥の冷たい感触が頬に広がる。
耳鳴りと朦朧とする意識の中で、ゴンタが全力でこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
その顔が、酷く歪んで見えた。何か叫んでいるが、聞き取れない。
目の前にゴブリンの足が見えた。
直後、もう一度、俺の頭に強い衝撃が加えられた。
俺の視界は、完全に暗闇に包まれた。
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