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悠久の放浪者 ~俺はいつの間にか異世界に転移した!?~  作者: 神田哲也(鉄骨)


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第六話「雨の降りしきる生活」

 雨が降り続けて二日。


 岩場の屋根代わりの張り出しを叩く雨音は、昨日より激しさを増していた。止む気配はまるでない。

 空は白みがかった灰色で、昼なのか夕方なのか判別もつかなかった。雨粒が岩の縁を伝い、細い滝のように地面へと落ちていく。その音が絶え間なく続いており、気を抜くと頭がぼんやりしてくる。


 そんな中、ゴンタはずぶ濡れになりながら外を駆け回り、薪を集め続けていた。


 その姿を岩陰から見ていると、呆れるより先に感心してしまう。雨具などあっても意味をなさないほどの降り方だというのに、彼は一切気にした様子がない。びしょ濡れのまま木々の間を器用に動き回り、乾いた枝を探し出す。その動きに無駄がない。


 戻ってくるたびに薪の束が増えていく。三度目に戻ってきたとき、ゴンタはびしょ濡れのまま俺の隣に腰を下ろし、何事もなかったかのように薪を整え始めた。


「お前、寒くないのか?」

「チョットサムイ。デモ、ウゴイテルト、アタタカイ」

「……そうか」


 俺はゴンタの横顔を見た。濡れた肌に雨粒が光っている。寒いとわかっていながら、それでも動き続けている。文句も言わず、ただ黙々と。


「ありがとうな、ゴンタ」


 ゴンタは一瞬手を止め、俺をちらりと見た。それからまた作業に戻りながら、短く言った。


「アタリマエ」


 その一言が、妙に胸に響いた。


 しばらくして、ゴンタが両手いっぱいに食料を抱えて戻ってきた。小さな果実、木の実、そして――。


「……これが試練か……!」


 鮮やかな緑色の胴体がプルプルと揺れている。あのイモムシだ。以前、三人がかりで勧めてきたのを全力で断ったやつである。しかし今の俺に、選択肢などなかった。

 この非常時だ、たとえどんな味だろうと口にするしかない。


 俺は意を決してイモムシをつまみ上げた。できるだけ味を感じないよう、目をつむり、鼻をつまんで、一気に口の中へ放り込む。


「……っ!?」


 噛んだ瞬間から舌にねっとりとしたクリーミーな食感と、ほんのり青臭い匂いが広がる。逃げ場がなく思わず吐き出しそうになったが、どうにか堪えて無理やり噛み砕く。すると、今度は濃厚な苦みが口いっぱいに広がった。涙目になりながらも、なんとか飲み込む。


 食べられなくはない……が、決して好んで食べるものではなかった。


 ゴンタはそんな俺をじっと見つめていたが、やがて満足そうに深く頷いた。


「ケイスケ、ツヨイ!」

「いや……ただの空腹に負けただけだ……」


 何度も水を飲んで口の中の感触を消そうとしたが、完全に消え去ってはくれなかった。これはなかなかのインパクトで、しばらくの間、何度も頭をよぎることになる予感しかしない。


 それを見ていたゴンスケが、嬉しそうに自分のイモムシを差し出してくる。


「いらん! 本当にいらん!」

「ギャ?」


 心底不思議そうな顔をするゴンスケ。ゴンザブロウも同じような表情でこちらを見ている。


「お前たちにとっては美味しいんだろうけど……俺には無理だ」

「ケイスケ、ナレル」


 ゴンタが真顔で言った。


「慣れたくない」


 ゴンタはまた不思議そうな顔をした。俺は深いため息をついた。


 食料は皆で持ち出した分がある程度残っていた。それに大雨から逃れてきた獣をゴブリンたちが仕留めてくれたおかげで、食事の心配はひとまずなかった。


 それから半日が過ぎたころ、ついに薪が十分に乾き、火を起こすことができた。


 炎が岩場の壁を橙色に染め、じんわりとした温かさが広がる。濡れた衣服も、ようやく乾き始めた。子供たちが炎の周りに集まり、小さな手を差し伸べて温かさを確かめている。


「頼りになるなあ……」


 呟くと、ゴンタは嬉しそうに胸を張った。


「アタリマエ!」

「すごいな、みんな」

「ヒ、ケイスケクレタ。サムクナイ、ケイスケノオカゲ!」

「それでもだよ」


 俺は苦笑しながら、改めて彼らを見渡した。この環境で生き抜くことが当たり前の彼らにとって、こういった作業は日常の一部なのだ。ゴブリンたちは、俺がいなくても十分に生きていける。むしろ俺のほうが、まだまだ足を引っ張っている側だと思い知らされる。


 炎の周りに集まったゴブリンたちは、思い思いに過ごしていた。子供たちは身を寄せ合って眠り、大人たちは小声で話したり、道具の手入れをしたりしている。ゴンスケは革紐を編み直し、ゴンザブロウは自分の名札を何度も撫でていた。


 メイコだけは少し離れた場所に座り、じっと炎を見つめていた。


 俺はそっと隣に腰を下ろした。


「メイコ、大丈夫か?」

「……ダイジョウブ」


 しかし、その目は炎から離れなかった。


「仲間のこと、考えてるか?」


 メイコは少し間を置いてから、静かに頷いた。


「ナクナッタ。イッパイ」

「……そうだな」

「デモ、イキテル。マダ、イキテル」


 彼女はそう言って、子供たちの方に目を向けた。その目に、何か揺るぎないものが宿っていた。

 俺はそれ以上何も言えなかった。ただ、隣に座り続けた。


 それから、ひとつのことが起きた。


 深夜のことだった。


 炎が小さくなり、岩場が静まり返ったころ、子供のゴブリンが一匹、突然泣き始めた。


「ギャアアアア……!」


 甲高い泣き声が岩場に響き渡る。他のゴブリンたちが一斉に目を覚まし、慌てた様子で周囲を見渡した。

 泣いているのは、集落でも一番小さな子供だった。メイコの末の子で、いつもゴンザブロウの後ろについて歩いている、小柄な個体だ。

 メイコが素早く駆け寄り、抱きしめながら何かを話しかける。しかし子供は泣き止まない。体を震わせながら、ただひたすらに泣き続けた。


 俺も起き上がり、様子を見た。


「どうしたんだ?」

「コワイ、ユメ、ミタラシイ」


 ゴンタが眠そうな目をこすりながら教えてくれた。


「悪夢か……」


 無理もない。慣れ親しんだ集落を失い、仲間が流され、見慣れない場所で雨音を聞きながら眠るのだ。子供が怖い夢を見ても当然だった。

 メイコはあやし続けているが、子供の泣き声は収まらない。他の子供たちも目を覚まし、もらい泣きしそうな雰囲気になってきた。

 俺は少し考えてから、立ち上がった。


「ちょっと待ってくれ」


 スマホを取り出し、オフラインでも使えるアプリを漁る。音楽プレイヤーだ。クラウドには繋がらないが、本体に保存していた曲ならまだ聴けるはずだ。

 何曲か入っていた。通勤中に聴いていたものや、昔好きだったもの。その中から、テンポが穏やかで柔らかい曲を選んで再生した。


 スマホのスピーカーから、細く、でも確かな音が流れ出した。


 子供の泣き声が、少し小さくなった。


 ゴブリンたちが一斉にスマホの方を向いた。目を丸くして、音の出所を確かめようとしている。ゴンザブロウなどは顔をスマホに近づけすぎて、俺に押し返される一幕もあった。


「ギャ……」


 泣いていた子供も、音に気づいて涙をこらえながらこちらを見ている。

 俺はスマホを掲げたまま、その子の前にゆっくりと近づいた。しゃがんで目線を合わせ、スマホを差し出す。子供はおそるおそる手を伸ばし、スマホの画面に触れた。


「コレ、ナニ?」


 ゴンタが後ろから覗き込みながら聞く。


「音楽だ。俺のいた場所では、こういう音を楽しんでいた」

「オンガク……」


 子供の泣き声は、いつの間にか完全に止んでいた。目はまだ赤いが、スマホの画面を不思議そうに見つめている。

 やがて一曲が終わると、周囲から「ギャ……」「ギュ……」という小さな声が漏れた。もっと聴きたい、という意思表示らしかった。


「寝ないといけないから、もう一曲だけな」


 もう一曲流すと、子供はそのままメイコの腕の中でうとうとし始めた。他のゴブリンたちも、再び横になっていく。

 炎が静かに揺れている。雨音は続いているが、さっきよりも穏やかに聞こえた。


「ケイスケ、スゴイ」


 ゴンタが小声で言った。


「大したことじゃない。ただの音楽だ」

「オンガク、ツヨイ」


 俺は苦笑しながら、スマホをポケットにしまった。音楽の力はすごいと改めて思った。今夜は使って良かった。


 ――さらに三日が過ぎた。


「まだ、止まないのか……」


 雨は依然として降り続けていた。空の色は変わらず、雨音も衰える気配がない。そのとき、ゴンタが険しい顔をして戻ってきた。


「どうした?」

「ナカマ、ナガサレタ」


 食料の調達に向かった三人ほどのグループが、氾濫した川に流されたらしい。俺はすぐに立ち上がった。


「救助に行かないと!」


 しかしゴンタは首を横に振る。


「モウ、ムリ」


 短い言葉だった。それだけで全てを語っていた。


「……どういうことだ? まだ生きているかもしれないだろう」

「カワ、ハヤイ。ミンナ、シッテル」


 ゴンタの目に、悲しみの色はあった。しかしそれ以上に、諦念とも違う、静かな確かさがあった。俺はそれ以上言葉が出なかった。

 しばらくして、メイコが俺の隣に来て座った。何も言わず、ただ隣にいる。その沈黙が、言葉よりも多くのことを伝えてくれた気がした。


「ヨク、アル」


 少しして、ゴンタが静かに言った。


「……そうか」

「デモ、ソノタビ、マタウマレル」


 ゴンタはそう言って、子供たちの方に目を向けた。昨夜、音楽で泣き止んだあの小さな子が、今日は別の子の手を引きながら歩いている。

 俺はその光景をじっと見つめた。


 繁殖力の強いゴブリンたちは、こうして何度も仲間を失いながら、その度に数を取り戻し、種を繋いできたのだろう。それは悲しいことではあるが、彼らにとっては生の一部として受け入れられていた。

 俺には、それをどう捉えればいいのかわからなかった。ただ、胸の奥に重いものが残った。


「……ゴンタ、お前たちは強いな」

「ケイスケモ、ツヨイ」


 ゴンタは真顔でそう言った。俺は苦笑するしかなかったが、悪い気分ではなかった。


 それから、俺はすっかり手持ち無沙汰になっていた。


 この降り続ける大雨の中では外へ出ることもできない。罠を作ったとしても設置する場所がない。火起こしも、今やゴブリンたちの方が俺より素早くできるようになっている。食事の支度など身の回りのことは、ゴブリンたちがやってくれる。

 もともと何故か崇められている俺が手を出そうとすると、恐縮されて逆に気を遣わせてしまうのだ。ゴンタたちだけは例外だが。

 だからといって、ただ座っているのも落ち着かない。


 俺はポケットからスマホを取り出した。まさに暇つぶしというやつだ。


「ネットも繋がらない、GPSも機能していない、か」


 アプリを開いても、やはりほとんどは機能しない。


「まあ、この世界にはない飲食チェーンのアプリなんて、機能するはずもない。いっそのこと整理していくか」


 独り言は雨の音に紛れて消えていく。


 メイコも皆への指示で忙しい様子だ。一人になると、どうにも独り言が増える。


 使えないアプリをひとつずつ削除していくことにした。全部いらないのかもしれないが、やることがないので丁寧に確認しながら作業を進めた。経路アプリ、ニュースアプリ、決済アプリ——どれも今の俺には何の役にも立たない。


 それでも辞書アプリだけは残した。これまでどれだけ助かったかわからない。昨夜の音楽アプリも、念のため残しておこうと思った。バッテリーが続く限り、使える場面があるかもしれない。


 さらに整理を続けていると、ある一つのアプリに目が留まった。


「……アペイロス、か」


 画面の中に、見覚えのあるアイコンが表示されていた。プロジェクトのメンバー向けに配布されていた専用アプリだ。管理者権限の確認や、システムへのアクセスに使うものだった。


 当然、ネットに繋がらないこの状況では起動しても意味がないはずだ。しかし俺は、なんとなく、そのアイコンをタップした。


 画面が切り替わる。ローディングの表示が出た。


「……え?」


 なぜ、動いている。


 ネットも繋がっていないはずなのに、アプリが起動しようとしている。オフライン環境では、すぐにネットワークが見つからないというエラー表示が出るはずなのに。


 画面の中で、見覚えのある認証画面が表示された。SBT認証。俺のIDが、自動で読み込まれていた。


 俺は固まったまま、画面を見つめる。

 雨音が、少し遠くなる。


「なんで……動いてるんだ?」


 独り言は、岩場の壁に吸い込まれて消えた。


 画面は静かに、何かを読み込み続けていた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!


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