第十八話「魔法と新しい命と」
それは、村に戻ってから二ヶ月ほど経った夜のことだった。
いつものように焚火の前に座り、メイコとリラに見守られながら魔法の練習をしていた。右手に魔力を集め、イメージを作る。
光の玉。小さくていい。ただ、そこに存在している光の玉。
これまで何十回と試みてきた。そのたびに手が熱くなるだけで終わった。今日もそうなるだろうと、半ば諦めながらやっていた。
しかし、今夜は違った。
手のひらの熱がなく、何かがすうっと腕を通り過ぎる感覚。
肺の中の空気がただ自然に出ていくようだった。
手のひらの先、空中に、淡い光が灯ったのだ。
「お、おおっ!」
思わず声が出た。直径十センチほどの、ぼんやりとした光の玉。蛍の光を何倍にも拡大したような、柔らかい白い光だ。
揺れていて、今にも消えそうだったが、確かにそこにある。
『やったねー!』
リラが俺の周りを勢いよく飛び回った。その動きにつられるように、光の玉がふわりと揺れた。
「スゴイ! ケイスケ!」
メイコも声を上げた。腕の中に小さな赤ちゃんゴブリンを抱えながら、それでも顔には満面の笑みを浮かべていた。
光の玉はその後三十秒ほどで消えてしまった。
だが、俺はしばらくの間、光が消えた空中をぼんやりと見つめていた。目の奥には確かにその残照が残っている。
「ついに、ついに使えた……」
『やっとだねー! 長かったねー!』
「そうだな。でも、そんなに長かったか?」
『長かったよー! 毎晩やって毎晩できなくて、ケイスケ悔しそうだったもんー』
「そんなに顔に出てたのか」
『すごく出てたよー。毎回終わった後、こうー、むーって顔してたもんー』
リラがむーという表情のつもりなのか、輪郭をぷるぷると振動させた。見た目は影なので何がどうなっているのかよくわからないが、なんとなく伝わった。
「むーはしてない」
『してたよー!』
「ケイスケ、マイニチ、ガンバッテタ」
メイコが静かにそう言った。腕の中の赤ちゃんゴブリンが、小さな手をぱたぱたと動かしていた。
その言葉が、思いのほか胸に染みた。
「……ありがとう、メイコ。リラも」
「ウン」
『えへへー!』
焚火の向こうで、ゴンタ、ゴンスケ、ゴンザブロウが顔を見合わせていた。ゴンタが代表するように言った。
「ケイスケ、ヤッタナ」
「ああ、やった」
「オレタチモウレシイ」
ゴンスケが「スゴイスゴイ!」と手を叩いた。ゴンザブロウは名札を胸に当てながら、静かに頷いていた。この三人の反応がそれぞれ違っていて、なんだか微笑ましかった。
――その赤ちゃんゴブリンが生まれたのは、少し前のことだった。
人間だと十月十日というが、ゴブリンの出産はずいぶん早かった。妊娠がわかってから三ヶ月も経たないうちに、メイコのお腹が大きくなり、あっという間に出産した。ゴンタが「メイコ、ウンダ!」と血相を変えて俺のところへ駆け込んできたときには、俺の方が慌てた。
「ゴンタ、落ち着け。メイコは?」
「ダイジョウブ! ゲンキ!」
「子供は?」
「ゴニン!」
「ごにん!?」
五人だった。多産だとは聞いていたが、改めて驚いた。しかもゴンタが興奮した顔で教えてくれたのは、五人のうち三人が雌だということだった。
「ミッツモ、メスガ!」
「それはすごいことなのか?」
「スゴイ! フツウハ、オスガオオイ!」
ゴブリンは通常、雄が多く生まれるのだという。確かにこの村でも、雌はメイコだけで、他は全員雄だ。それが今回は三人も雌が生まれた。
メイコも目を丸くしていた。今までにないことなのだと、そう言った。
そしてゴブリンたちは、これも俺のおかげだと言い始めた。
「ケイスケガ、キタカラ!」
「イイコトバカリ!」
俺は何もしていない。本当に何もしていない。確認のためリラにも聞いた。
「……リラ、何かしたか?」
『してないよー? 私もびっくりしたもん』
「そうだよな。俺だって、何もしてないし」
『不思議だねー』
「だなあ……」
二人して何もしていないのに、ゴブリンたちの俺への信仰は揺るがなかった。ケイスケが来たからいいことがある、という確信が彼らの中にある。それを否定することが、俺にはどうしてもできなかった。
『ケイスケ、本当に何もしてないの? なんかこう、知らないうちに影響とかあったりしない?』
「魔法すら使えない俺に、何かできるわけないだろ……」
『あー、だよねー。よくわかんないねー』
「お前が「よくわかんない」って言うと、なんか安心するな」
『えー、なんでー?』
「嘘をつかないから」
『えへへー』
リラは嬉しそうに揺れた。
そうこうしているうちに、メイコから名づけを頼まれた。
「ナマエ、ツケテ、ケイスケ」
ゴブリンたちにはもともと名前という文化がなかったのだという。だが、俺がメイコ、ゴンタ、ゴンスケ、ゴンザブロウと名付けてから、皆が名前を欲しがるようになってしまったらしい。それでも大人たちへの名づけはメイコが止めているようだった。メイコは賢い。
だが新しい命に対しては、別だった。
『へー! 名前! なんてつけるのー?』
リラが興奮して飛び回った。俺は少し考える時間をもらって、真剣に悩んだ。
ゴンタ、ゴンスケ、ゴンザブロウのときは正直かなり適当だった。あとで気になって改名するかと聞いたことがあるのだが、三人とも「ゼッタイコノナマエガイイ!」と言って首を縦に振らなかった。それが申し訳なくて、今回はちゃんと考えたかった。
ゴンタがそっと近づいてきて、俺の耳元でぼそりと言った。
「ケイスケ、オスニハ、ゴン、ツケテホシイ」
「お前の子供だから、そうしたいか」
「ウン!」
ゴンタがこんなにわかりやすく嬉しそうにしているのを見て、断れるはずがなかった。
「わかった。ゴンをつける」
「ホントカ!」
「本当だ」
ゴンタがぴょんと飛び跳ねた。こんなにはしゃいだゴンタを見るのは初めてだった。
『ゴンタ、うれしそうだねー』
「そうだな。父親になったんだしな」
リラが少し静かに揺れた。
『ケイスケも、うれしそうだよ』
「……そうかもしれない」
俺は自分でも気づかないうちに、笑っていたらしい。
ゴンスケが「メスノナマエハ?」と近づいてきた。
「女の子の名前か。メコ、メイコとかぶるしな……」
「メコハダメカ」
「メイコがいるから、紛らわしいだろ」
「ソウカ」
「そうだな……ミコ、メノ、マイ、はどうだ」
「ミコ……メノ……マイ……」
ゴンスケが繰り返しながら、顎に手を当てた。難しい顔をしている。
「どうだ、気に入らないか?」
「ウウン、イイオト。スキ」
「音が好きなのか」
「ゴブリン、オトデキメル。ナマエ、ヨブカラ、イイオトガイイ」
なるほど、ゴブリンにとって名前は音の問題でもあるのか。俺はそれを考えていなかったが、言われてみれば確かにそうだ。名前は呼ぶものだから、呼びやすく、聞き心地がいい方がいい。
ゴンザブロウが静かに近づいてきて、雄の二匹を覗き込んだ。
「コッチハ?」
「雄はゴンベイとゴンドンはどうだ」
「ゴンベイ、ゴンドン……」
ゴンザブロウがしばらく考えてから、名札をそっと触った。何かを確かめるような仕草だった。
「……イイ。ゴンガツク。ゴンタ、ヨロコブ」
「お前は自分の名前は気にならないのか」
「ゴンザブロウ、スキ。ケイスケ、ツケテクレタ」
ゴンザブロウが静かに言った。その言葉が、俺には少しだけ重く感じられた。
名前を告げると、メイコが深く頷いた。ゴンタは「ゴンベイ! ゴンドン!」と繰り返しながら、しばらくニコニコしていた。ゴンスケは「ミコ! メノ! マイ!」と声に出して確かめていた。ゴンザブロウは自分の名札を胸に当てながら、遠い目で何かを嚙みしめていた。
子供たちはまだ目も開いていなかったが、それでも名前をもらったことがわかるのか、ふにゃふにゃと口を動かして何か感情を表しているようだった。
魔法を使えた夜、俺はもうひとつ、整理していたことがあった。魔石のことだ。
以前、村に来たばかりの頃に魔石を飲み込んだことがある。あのときお腹の中にホワンとした温かみを感じたのだが、あれが魔力だったのだと今ならわかる。そしてスマホのステータス画面を確認すると、魔石を飲んだタイミングで属性の同期率が上がっていたことに気がついた。逆に言えば、同期率が上がるのは魔石を飲んだときだけだ。
リラに言わせれば魔石は魔素が凝縮されて結晶になったもの、だそうだ。
濃密な魔素が体に取り込まれたから、同期率が上がったのだろうか。
「リラ、同期率って、何だと思う?」
『んー、わかんないけど……ケイスケがこの世界に馴染んでいく感じ?』
「馴染んでいく、か」
『なんとなくそんな気がするだけだけどねー』
「でも、わかるような気がするな……。アペイロスがこの世界と繋がって、俺自身もこの世界に馴染んでいく、か」
『ケイスケ、もうこの世界のものだよー』
「そうか?」
『うん! だって、ゴブリン語しゃべれるし、魔法使えるし、村もあるし』
「……そりゃ確かにな」
俺は苦笑した。
魔法が使えるようになった。スキルが与えられた。そして管理者権限。この世界に来てから、俺はどんどんこの世界のものになっていっているような気がする。
ともかく、魔石を積極的に集めるべきかもしれない。同期率が何を意味するのかがわかったとき、それが高い方がいいに決まっているから。
焚火の前でそんなことを考えていると、隣に座ったメイコが静かに口を開いた。
メイコはミコをそっと抱き直してから、俺の顔を見た。
「ケイスケ、ヒガシ、ニンゲンノトコロ、イクトイイ」
俺は少し驚いて、メイコを見た。
「……いいのか?」
「ケイスケハ、モット、ヒロイトコロニイクベキ」
メイコはそう言ってから、腕の中のミコに目を落とした。
「ここ、ケイスケノウチ。イツデモカエレル」
俺はしばらく黙っていた。
いつでも帰れる。
その言葉が、思いのほか胸に響いた。追い出されるわけでもなく、背中を押されているわけでもなく、ただ帰る場所はここにあると、そう言ってくれている。
「……ありがとう、メイコ」
「ウン」
メイコはそれだけ言って、また焚火の方に目を向けた。炎が揺れている。その光の中で、ミコが小さな手をぱたぱたと動かしていた。
ミコの手にそっと人差し指を差し出すと、そっとそれをにぎにぎと握りしめるミコ。その小さなぬくもりが心を満たす。
『ケイスケ、そろそろ東に行くのー?』
リラがふわりと俺の前に浮いた。
「そうなるかもな」
『私も行くよー!』
「当然そうなると思ってた」
『えへへー』
ゴンタが焚火の向こうから「オレモイク」と当たり前のように言った。
俺は苦笑した。
「お前、子供が生まれたばかりだろ」
「ダイジョウブ。メイコツヨイ」
メイコが「ソウ、ツヨイ」と静かに同意した。なんだその夫婦漫才は。いや、夫婦じゃないけど。
「ソレニ、サスガニニンゲンノムライケナイ、ワカッテル」
「ゴンベイとゴンドン、育てなくていいのか」
「メイコトミンナニ、マカセル」
「メイコは女の子三人もいるんだぞ」
「メイコ、ツヨイ」
「二回目だ」
メイコが「ツヨイカラ、ダイジョウブ」とまた言った。
「お前らなあ……」
『なんか楽しいねー、ケイスケのまわり』
リラが言った。
俺も、なんとなくそう思った。
焚火の炎が、夜風に揺れる。東へ向かう日が、近づいている。
俺は手のひらを空に向けて、もう一度だけ試みた。
淡い光の玉が、静かに灯った。
今度は、さっきより少しだけ長く、消えなかった。
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