第十五話「帰還」
「さて、帰るか」
色々ありすぎた。
ゴブリンの群れに捕まって気を失って、暴行を受けて、ドラゴンが現れて暴れて、アペイロスがアップデートされて、管理者ログインして、リラを召喚した。箇条書きにすると改めてとんでもない密度だ。
だが今はとにかく、村へ帰ってメイコたちに無事を報告しなければならない。心配しているはずだ。というか、俺たちが戻らなかったら戻らなかったで、普通に村の運営を続けていそうな気もするが。……いや、メイコは探しに出てきそうな気がするな。
「行こう、ゴンタ」
「オウ!」
『私もいくー!』
リラが元気よく宣言して、ふわりと宙に浮いた。
こうして俺たちの帰り道が始まった。
歩き始めてすぐ、リラが飛び回りながら俺に話しかけてくる。
『ねえ、あれは何ー?』
リラが指さした先には、鮮やかな紫色の花が咲いていた。この世界に来てから何度か見かけたが、名前はわからない。
「あれは、花だな」
『へー! じゃああれはー?』
「あれは、虫だな。デカいな……」
リラが次に指さしたのは、木の幹にしがみついている巨大な甲虫だった。実物を見たことはないが、ヘラクレスオオカブトのような風格がある。立派な角を持ち、暗い緑の光沢がかっこいい。日本にいたら標本にして飾りたいくらいだ。
「でかい……」
思わず二度言ってしまった。それくらいでかかった。
『アレ、アブナイ。ササル』
ゴンタが真顔で注意を促した。
確かに角の先端は鋭く、あれに刺されたら笑えない痛さだろう。この世界の虫は何もかもスケールが違う。
「近づくなよ、リラ」
『わかったー!』
全然わかっていなさそうな返事をしながら、リラはもう次の何かを見つけて飛んでいた。落ち着きがない。
『じゃあじゃあ、あの動物はなにー?』
「動物?」
リラが今度指さした方向に、俺は目を向けた。
いた。
茂みの向こうに、大きな山猫がいた。肩までの高さが俺の腰くらいはある。毛並みは灰色と黒のまだら模様で、金色の目がこちらをじっと見ていた。尻尾がゆっくりと左右に揺れている。
あれは、狩りの前の動きだ。
「……ケイスケ。ウゴカナイデ」
ゴンタが低い声で言った。俺の腕をそっと掴み、自分の後ろに引いてくれる。
ゴンタがここまで警戒するということは、あれはかなりまずい相手らしい。俺は息を殺して、じっとその場に立ち尽くした。
山猫と俺の視線が交差した。
まずい。めちゃくちゃまずい。
「リラ、下がってくれ。静かに――」
『あれ? どうしたのー? あれが怖いのー?』
リラの声は相変わらず能天気だった。
「怖いから静かに――」
『怖いなら、えーい!』
止める間もなかった。
リラが小さな体に力を溜めたかと思うと、次の瞬間、眩い光が山猫に向かって放たれた。閃光、という言葉がぴったりの光だった。俺も思わず目を細めたくらいだ。
「ギニャッ!?」
山猫が悲鳴を上げた。目をやられた様子で、頭を激しく振りながら後退し、そのまま茂みの中へと消えていった。
しん、と静かになる。
しばらくの沈黙の後、リラがふわりと俺の目の前に浮かんできた。影の輪郭がなんとなく得意げに見える。
『へへーん! 私もやるでしょー?』
胸を張るリラ。見た目は影なので胸を張っているのかどうかよくわからないが、雰囲気でそれが伝わってくる。
「……ありがとう」
「アリガトウ、リラ」
俺とゴンタは顔を見合わせてから、素直に頭を下げた。
本当に助かった。あの山猫に襲われていたら、どうなっていたかわからない。
『えへへ、どういたしまして!』
リラが嬉しそうに回転した。
光の精霊、侮れない。見た目は手のひらサイズの影なのに、戦力としては普通に頼りになる。というか下手すると俺より強いんじゃないか。
「ゴンタ、リラって強いのか?」
「セイレイサマハ、ミナツヨイ。リラハ、トクベツツヨイキガスル」
「そうか……」
なんか、すごいの拾ってしまったな。
そんなこんなで道中は賑やかだった。
リラは歩みを止めるたびに『あれは何ー』『これは何ー』と質問を飛ばし続け、俺はその半分くらいしか答えられなかった。この世界の動植物はほとんどが見たことのないものだ。答えられないたびに『えー、知らないのー』とリラに言われるのが地味にダメージだった。
俺だって知りたいわ。
ゴンタは時々「アレハタベラレル」「アレハアブナイ」と的確な情報を提供してくれた。ゴンタの知識は生存に直結していて頼もしい限りだが、食べられるか危ないかの二択しかないのもゴンタらしかった。
行きとは違って、三日をかけて漸く辿り着いた。
村だ。
「戻ってきたな」
「オウ!」
『わあ! これが村ー! はじめてみるー!』
リラが興奮して飛び上がった。
村の入り口に差し掛かったとき、見張りのゴブリンが俺たちに気づき、大声で仲間を呼んだ。しばらくして、村の奥からメイコが駆けてきた。
「オカエリナサイ! ケイスケ、ゴンタ!」
メイコの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
やっぱり心配していてくれたんだな、と思うと、少しだけ胸が温かくなった。
「ただいま、メイコ。心配かけたな」
「ダイジョウブ、ワカッテタ!」
「……わかってたのか」
「ケイスケ、スゴイカラ!」
メイコは何の根拠があって言っているんだろうか。いや、ありがたいけど。
ゴンタが「オレモガンバッタゾ」と主張したが、メイコはすでに俺の隣に浮いているリラに気づいていた。
その瞬間だった。
メイコの表情が、ぴたりと止まった。
笑顔が消えた。目が見開かれた。そして、ゆっくりと、ゆっくりと、その場に膝をついた。
「……え?」
メイコだけではなかった。周囲に集まっていたゴブリンたちが、次々と同じように膝をついていく。まるで波が広がるように、村中のゴブリンたちがひれ伏していった。
シン、と静まり返る村。
「……まじか」
俺は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
それほどの存在なのか、リラは。
いや、待て。俺も最初にこういう扱いを受けたことがあった。ゴブリンたちにとって、精霊というのはそういう対象なのかもしれない。
……逆に俺が精霊と同じ扱いなのか?
リラはというと。
『わあ、みんなおじぎしてるー! えへへー!』
完全に喜んでいた。
しばらくして、メイコがおずおずと顔を上げた。そして恐る恐る、俺に向かって問いかけてくる。
「ケイスケ……アノセイレイサマハ……?」
「ああ、リラっていうんだ。俺の仲間になった」
俺がそう答えると、メイコたちの間にざわめきが広がった。
「ナカマ……ケイスケノ、ナカマ……」
「ナント、オソロシイ……」
「いや、怖がらないでくれ。大丈夫だから」
経緯を話した。AIを呼び出そうとしたら出てきたこと、精霊らしいこと、一緒に来ることになったこと。
できるだけわかりやすく説明したつもりだったが、メイコたちには「ケイスケガセイレイサマヲ……ヨビダシタ……」という部分だけが強烈に刺さったらしく、話し終わった瞬間、今度はまた俺に向かってひれ伏した。
「ちょ、やめてくれ」
「ケイスケサマ……!」
「さま付けもやめてくれ」
「カミサマ……!」
「神様はもっとやめてくれ!」
必死で声をかけ、なだめ、説得し、なんとかひれ伏すのをやめさせることに成功した頃には、俺はすっかり疲弊していた。
リラが俺の肩のあたりをふわふわと漂いながら、
『ケイスケって、やっぱりすごいんだねー』
「違う、誤解だ。あとやっぱりってなんだ!?」
『えー、でもみんなそう思ってるよー?』
「……マジか」
ゴンタが「ケイスケハカミサマ!」と便乗してきたので、俺はゴンタを睨んだ。ゴンタは笑っていた。
ひとしきり落ち着いた頃、俺はメイコに今回の一件を説明することにした。
夕食の準備が始まる前、メイコと俺は焚き火の前に向かい合った。ゴンタも隣に座っている。リラはそっと俺の影の中に潜んだ。ゴブリンたちが精霊に過剰反応するのを見て、自分から身を隠してくれたのだ。
「メイコ、東の集落のことを話す」
「……ハイ」
メイコが静かに頷いた。その目は真剣だった。
「助けを求めてきた二匹、覚えてるか」
「ウン。ヒガシノムレノ、モノ」
「あれは罠だった」
俺がそう言うと、メイコの目が細くなった。
「……ドウイウコト?」
「俺たちが東へ向かったとき、最初は別の集落のゴブリンが逃げてきているように見えた。でも実際は違った。あいつらは俺とゴンタをおびき寄せるために来たんだ。向こうの集落の連中が待ち構えていて、俺たちを捕まえた」
「ツカマエタ……」
「目的はこの村の雌。……メイコ、お前を得るためだ」
「ワタシ……」
「東の集落では、雌が死んでしまったらしくて、メイコを欲したんだ」
「ケイスケタチハ、ツカマッテ、ダイジョウブダッタ?」
「……いや、縛り上げられて、かなりひどい扱いを受けた」
「……ナグラレタ?」
「ああ。蹴られたりもしたな」
「カナリ、イタカッタ」
メイコが俺を見て、そのあとにゴンタを見た。その目に、何かが宿っている。ゴンタはまだ暴行の跡が強く残っている。本人は平気だと言うが、まだあざは残っているので痛むはずだ。
「コッチモ、ホウコク、アル」
メイコが静かに言った。
「ケイスケタチ、イッタアト、ベツノゴブリンキタ。ニヒキ」
「俺たちが行ったあと?」
コクリとメイコが首を縦に振る。
「タブン、オナジ」
「同じ? 東のゴブリンってことか?」
「ソウ。メスガシンダカラ、キテホシイ、イッテタ」
俺たちがあいつらから直接聞いた内容と同じ口実だ。どうやら二手に分かれて動いていたらしい。俺たちを東へ誘き出す役と、村に直接来る役と。
「モチロン、コトワッタ」
「そいつらは引いたのか?」
「ニンズウガゼンゼンチガウ。カナワナイトオモッタト、オモウ。スグニサッタ」
「なるほどな」
そいつらはあわよくばメイコを強引に攫うつもりだったのかもしれない。しかしこっちの村は、村こそ被害を大きく受けたが、人的被害は少なかった。
「ゴンスケ、ゴンザブロウモ、ケイカイサセテタカラ、ダイジョウブダッタ」
「その二匹がどこへ行ったかはわかるか?」
「ワカラナイ。キエタ」
消えた。俺たちが捕まっていた場所に合流したのか、それとも別の場所へ去ったのか。どちらにせよ、今となってはわからない。
どちらにせよ、東のゴブリンたちはリュウによって壊滅した。この森の中で身を寄せる場所が無くなってしまっては、生き抜くだけでもかなりきついことになるだろう。
メイコは黙っていた。
しばらくして、俺は続けた。
「俺たちが捕まってからは、正直かなりきつかった。ゴンタも一緒に縛られて、暴行を受けた。殺されるかと思ったよ」
「ケイスケ……」
「でも、リュウが現れて、助かった。あいつらは全滅した」
「リュウ……ガ」
メイコの目が大きく見開かれた。
「リュウニ、タスケラレタ?」
「助けられた、というか……正確にはわからない。リュウが現れて、向こうのゴブリンたちを蹂躙して、去っていった。俺たちには何もしなかった」
「リュウガ、カエッタ……」
メイコが何かを噛みしめるように呟いた。その声には、驚き以外の何かが混じっていた。俺には読み取れない何かが。
「メイコ、心当たりがあるのか?」
「……ウン」
メイコは姿勢を正して、俺を真っすぐ見据えて言った。
「リュウハ、ケイスケダカラ、タスケタ」
「俺、だから?」
「ソウ、リュウハワザワザジメンニオリテ、ゴブリンヲコロスコトナンテ、シナイ。リユウガナイト、シナイ」
「その理由が、俺ってことか?」
「ソウ。ケイスケ、トクベツ。ワタシタチ、ケイスケ、マッテタ」
「待ってた? どういうことだ」
メイコはしばらく言葉を選ぶように黙ってから、ゆっくりと話し始めた。
「ケイスケ、メザメタ、アノバショ。アソコハ、カミサマノ、バショ。ワタシタチ、ソコヲ、マモッテキタ」
「俺が目覚めたあの石室を、ずっと守ってきたのか?」
「ウン。ズット、マエカラ。オヤノ、オヤノ、マエカラ」
代々、守り続けてきた。そういうことらしい。
「そこから現れるものを待っていたということか」
「ソウ。アラワレタラ、タイセツニシナケレバナラナイ。ソレガ、ワタシタチノ、オキテ」
掟。村の掟として、その場所から現れるものを大切にするよう、代々伝えられてきた。
「……俺が、それなのか」
「ソウ」
メイコは迷いなく頷いた。
俺にはまだ実感がなかった。でも、ゴブリンたちが最初から俺に丁重に接してくれた理由が、これだったのかもしれない。ただの親切ではなく、守るべき存在として俺を認識していた。
「……俺には、わからない」
「……」
「俺はそんな特別な奴じゃないよ。たまたま、あそこで目覚めただけ……。そのはずだ」
「ケイスケ」
「すまん。特別だって扱ってくれるのは嬉しい。でもそうじゃないんだ、もっとみんなと同じ。普通に扱ってくれればそれでいいんだよ」
それだけで俺は嬉しいし、満足なんだ。
「……ケイスケノ、ソウイウトコ、スキ」
「……ありがとう、メイコ」
そういって、静かに微笑みあう。
そして、メイコは俺の手を握る。
「コヅクリ、スル?」
「……しない」
「ケイスケノ、タネ、ホシイ」
「しないぞ」
「……ソウ」
メイコは俺と寝ることが多かった。
正確には、俺が寝てると身を寄せてくるのだが。
彼女がそういったことを求めていたのはわかっていた。
だが、俺はそういうことをする気はなかった。
メイコがゴブリンだからとか、見た目がどうとかじゃない。
メイコは意外と可愛い。
背が低くて、少しふっくらしていて、顔立ちは少し濃いものの、十分に可愛いものだ。
年齢を直接聞いたことはないが、見た目は俺からすれば少女のようでもあるが、大人でもある。
単純に、無責任にそういったことをする気はないということだ。
それにしても、ここまで露骨にその話をされたのは初めてのことだった。
断られたことに対しても、どうにも「あわよくば」といった意図であったことは丸わかりで、あまり気にしている様子もない。
その態度に少し心が軽くなる。
「それにしても、他にもゴブリンの群れって、この森にあるのか?」
「アル。ココガミナミ。ヒガシトニシ、ソレニキタニ、ムレガアル」
「石室を囲むように、東西南北、か」
我ながら露骨な話題逸らしだったが、メイコの表情がゆっくりと変わっていった。
眉が寄る。目が細くなる。口元がきつく引き結ばれる。
「ヒガシノムレ……」
メイモが低い声で言った。
「ユルセナイ」
「……うん」
「アイツラハ、ナカマノフリヲシテ、ウラギッタ。ケイスケヲ、キズツケタ。ゴンタヲ、キズツケタ。ゴブリンノ、ハジ」
ゴンタも黙って俯いていた。
「メイコ、俺たちは無事だ。それに、もう東の群れはいない」
「ソレデモ!」
メイコが声を上げた。
俺は思わず黙った。メイコがこんな声を出すのを、初めて聞いた気がした。普段の穏やかさとは別の、もっと根本的な怒りのような何かだった。
少し間があってから、メイコは静かに息を吐いた。
「……ゴメン。ケイスケ、オドロカセタ」
「気にしないでくれ。怒るのは当然だ」
「ケイスケ、ゴンタ、ケガ、ノコッテル?」
「大体は回復した」
「オレモ、ダイジョウブ」
ゴンタが頷く。その返事を聞いて、メイコはゆっくりと息を吐いた。
「……ヨカッタ」
その一言は短かったが、俺にはその重さがわかった。
メイコはしばらく焚き火を見つめていた。炎が揺れる光の中、その横顔はいつも通りの穏やかさを少しずつ取り戻していくようだった。
「メイコ」
「ナニ?」
「村を守ってくれてありがとう。俺たちがいない間、ちゃんとやってくれてたんだろ」
「アタリマエ」
メイコは短く答えた。でも、口元が少しだけ和らいだ気がした。
その夜、俺はゴブリンたちにまた神様のような扱いをされながら、夕食をとった。
メイコが用意してくれたのは、焼いた肉と木の実だった。
食事が落ち着いた頃、リラが俺の影からそっと出てきた。
「リラ、出てきていいのか?」
『さっきみたいにはならないよー? みんな、もう慣れてきたもんー』
確かに、最初のひれ伏し騒動から時間が経っていた。ゴブリンたちはリラの存在に気づいているようだったが、さっきほど過剰には反応していない。ちらちらと見ては、また視線を外す。慣れようとしているらしかった。
「わかった。でも突然動くなよ、驚かせるから」
『わかったー!』
リラはそう言いながら、ふわりと俺の肩のあたりに漂った。
『これ、おいしそうー』
「食えないだろ」
『そうなんだよねー。においはわかるんだけど、たべるってのがよくわかんないんだよねー』
「精霊は食べないのか」
『うーん、食べるっていう精霊もいるらしいけど、私はよくわからないなー』
なるほど、精霊によっても違うのか。
ゴブリンたちの視線が温かくて、少し気恥ずかしかった。
でも、悪くなかった。
家に帰ってきた、という感じがした。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




