第十四話「リラ」
名前。名前か。
俺は目の前でゆらゆらと揺れる影を、あらためてじっくりと観察した。
小さい。大体二十センチほどの、人型の影。輪郭ははっきりせず、ゆらゆらとたゆたっている。顔の造作もよくわからないが、こちらをじっと見ていることはなんとなく伝わってくる。
この子は何の精霊なんだろう。
火とか水とか、そういうわかりやすい属性ではなさそうだ。全身が黒く、影のようにゆらめいている。強いて言うなら、闇とか影とか、そういった類のものだろうか。
「一旦落ち着くか……」
俺が独り言のように呟いたとき、ゴンタが「ケイスケ、オレ、チョットタベモノサガシテクル」と言いながら立ち上がった。
「すまん、頼めるか?」
「マカセロ!」
元気よく返事をして、ゴンタは茂みの中へと消えていく。
頼りになる。本当に頼りになる。
もしかして俺が考えに浸りたいのを察してくれたのかもしれない。こういうところが、ゴンタのいいところだ。
影、改め名前未定の存在は、ゴンタが消えた方向をじっと見てから、また俺の方へ視線を戻した。
『ゴンタ、どこいった?』
「食べ物を探しに行った」
『たべもの……?』
「そう。ご飯を集めてきてくれるんだ。頼りになるやつだろ」
『そう、なんだ』
なんとなく相槌を打ちながら、影はまたゆらゆらと揺れ始めた。どこか落ち着きのない動きだ。じっとしているのが苦手なのかもしれない。
俺は近くにあった大きめの岩を見つけ、腰を下ろした。表面がひんやりとしていて、少し心地よかった。
さて。名前だ。
スマホを開いて、辞書アプリを起動する。そして検索窓に「闇」と入力して、検索を押した。
結果は画面にすぐ表示された。
『暗闇や全く光がないこと、世間に知られないようにこっそりと処理すること、ひそかに堕胎すること……』
「……うん。良い意味ではないな」
『なに見てるの?』
影がするりと俺の手元に近づいてきた。スマホの画面を覗き込もうとしているようだが、当然読めるはずがない。
「辞書だよ。言葉の意味を調べるやつ」
『じしょ?』
「そう。これに知りたい言葉を入れると、意味が出てくる」
『すごい』
影が感心したように揺れた。
『ケイスケのそれ、ひかってる』
「光ってる? ああ、画面が光ってるのか」
『きれい』
「そうか」
スマホの画面を「きれい」と言われたのは初めてだった。まあ、この世界にはこういうものがないから、光るだけで珍しいのかもしれない。
気を取り直して、検索結果の続きを読む。
『類義語:暗晦、暗黒、暗闇……』
まあ、予想通りだ。闇なんて、ファンタジーでも悪役が好んで使うイメージが強い。魔王とか、邪悪な術師とか、そういった存在に使われる言葉だ。
最近だとその限りではないが、昔の作品では定番の設定だろう。
ちらりと目の前の影を見る。
……この子が悪いものだとは、どうしても思えないんだよな。
ゆらゆらと揺れながら、じっとこちらを見ている。その様子はどこか、迷子の子供が知らない人間を見つめているときのような、そういう雰囲気がある。
闇というよりは、やっぱり影という感じだ。でも影という言葉をそのまま名前にするのも、なんだか素っ気ない。
「ちなみに、君は何ができるんだ?」
話しながら考えようと思って、そう問いかけてみた。
『……?……』
黒い影が小首をかしげる。
やっぱり、自分の能力を言語化するのは難しいか。語彙がまだ少ないのかもしれないし、そもそもそういう概念を持っていないのかもしれない。
「たとえば、飛べる?」
『とんでる、よ?』
「そうだった」
見ての通りだ。
「光を出せる?」
『だせる』
「人を驚かせることはできる?」
『……たぶん?』
「たぶん、か」
なんとも頼りない答えだが、言語化できているだけまだいい。それにしても「たぶん」という言葉を使うあたり、自分でも完全には把握しきれていないのかもしれない。
「じゃあ、好きなものは?」
『すきなもの……』
影はしばらく考えてから、
『ケイスケ』
「……俺か?」
『うん』
間髪入れずに答えが返ってきた。なんというか、ストレートすぎて反応に困った。
「それは嬉しいが、ものを聞いてたんだよ」
『ものは、わからない』
「そうか、まあそうだよな」
生まれたばかりのようなものだ。好きなものを聞くのは少し酷だったかもしれない。
ただ、なんとなくこちらに懐いているのは感じる。召喚者だからなのか、それとも別の理由があるのか。スマホのシステムと繋がっているから、管理者権限を持つ俺に引き寄せられているのか。
まあ、今はそれより名前だ。
俺はあらためて考え始めた。
闇。暗闇。黒。夜。夜というのは安らぎでもある。
休息。リラックス……。
リラックス。
――リラ。
頭の中で、その言葉がカチリとはまったようだった。
悪くない。むしろ、いい。
目の前の影から感じるのは、闇という言葉が持つ禍々しいイメージとは全然違う。どちらかといえば静かで、穏やかで、こちらを安心させるような何かだ。夜の闇が持つ、あの落ち着いた感覚に近い。リラックスのリラ。それがこの子には合っている気がした。
「わかった、じゃあ――リラ、という名前はどうだろう?」
その瞬間だった。
影が、震えた。
ゆらゆらと揺れていたその輪郭が、大きく震動した。まるで光を浴びたように。あるいは、電流が走ったように。
『……リラ?』
か細い声が、頭の中に届いた。
「そう、リラ。それが君の名前だ」
『……リラ!』
「そう。リラ」
『リラ! リラ! リラ!』
次の瞬間、影はくるくると俺の周りを飛び回り始めた。
嬉しそうだった。それ以外の言葉が見つからないくらい、とにかく嬉しそうだった。小さな影がふわふわと舞い上がり、俺の頭の上を旋回して、また目の前に戻ってくる。その動きにつれて、影の輪郭がキラキラと光っているような気がした。さっきまでただ黒かったのに、今は淡い光を帯びているように見える。
『ありがとー! ケイスケ!』
「……ん?」
俺は思わず耳を、というか頭を傾けた。
言葉が、さっきより流暢になっている。さっきまでは単語をひとつひとつ拾うような、たどたどしい話し方だったのに。まるで、名前をもらったことで何かが開いたような。
「どういたしまして」
『あはははは! リラ! 私はリラ!』
高らかに笑いながら飛び回るリラを、俺はしばらく目で追っていた。が、あまりにくるくると動き回るので、途中から目で追うのを諦めた。
うん、明らかに成長している気がする。具体的には、小学生くらい?
「で、リラは何の精霊なんだ?」
飛び回るリラに向かって問いかける。
『私はねー、光の精霊なんだよー!』
「……は?」
予想外の返答に、俺は思わず間抜けな声を出した。
「光? 闇とか影の精霊じゃなくてか?」
見た目は完全に影だ。全身黒くて、輪郭もゆらゆらしていて、陽だまりの中で浮いているくせに影にしか見えない。どこをどう見ても光の精霊という感じがしない。
『あははは! 闇だって、影だって、光を操れれば作れるものでしょ? 光を増やすのも、減らすのも、同じなんだよ!』
「なるほど……」
言われてみれば、確かにそうだ。闇というのは光が届かない状態のことだ。光を自在に操れるなら、光を増やすことも、光を遮って闇を作ることも、どちらも同じ能力の表と裏ということになる。
『ケイスケ、わかったー?』
「わかった。理屈はわかった」
『えへへー』
リラが嬉しそうに揺れた。
それにさっきの魔法陣球もそうだった。あの光もリラと関係があるのかもしれない。スキルの同期率で光素だけ飛び抜けて高かったのも、今になって合点がいく気がした。
「じゃあ、その見た目は?」
『私は光るより、暗くするのが好きなだけだよー』
あっけらかんとした返答だった。
「好みの問題か」
『そうそう! 光を増やすのも、減らすのも、同じくらいできるけど、暗くする方がなんか落ち着くのー』
「落ち着くのか」
『うん! なんとなくー』
どちらもできるけれど、光を操って暗くする方が好き。だから見た目が影のようになっている。性格は明るくて賑やかで、正に光そのものといった感じなのに、見た目だけは影というのが、なんともちぐはぐで面白かった。
「変わった精霊だな」
『そう? ふつうだよー』
全然普通じゃないと思うけどな、と俺は心の中で突っ込んだ。
俺はため息をついてから、少し気になっていたことを聞いてみた。
「リラ、俺のスマホから呼び出されたって、自分でわかるか?」
『すまほ?』
「これだよ、これ」
スマホを見せると、リラがするりと近づいて、画面を覗き込んだ。
『ああ、これ! ここから出てきたよー』
「そうか。どういう感じだった?」
『んー……どこか違うところでふわふわしてたら、起こされた感じ?』
「寝てたのか」
『んー。寝てたみたいだけど、そうでもない感じー』
「どっちだよ。要するに、意識はあまりなかったってことか?」
『そうそう! そんな感じだよー!』
「そっか」
意識はなかった。
呼び出されるまではそれほど自我がなかったということか。俺が適当にリストを止めて呼び出すまで、リラはそういう状態だったのだろう。
「呼び出されて、どうだった?」
『びっくりした! でも、ケイスケがいたから良かったー』
「俺がいたから?」
『うん。なんか、安心したー』
管理者権限を持つ俺に、本能的に安心を感じたということかもしれない。あるいは、単純に最初に見た存在だから懐いているだけかも?
どちらにせよ、リラが俺に悪意を持っていないことは確かだった。
リラがまたくるくると回転しだした。
リラはその後もしばらく飛び回り続けた。俺の周りをぐるぐると旋回したり、近くの木の枝に止まったり、また飛び立ったり。とにかく落ち着きがない。名前をもらったことがよほど嬉しかったのだろう。見ているこちらも、なんとなく悪い気はしなかった。
そうこうしているうちに、茂みがざわりと揺れた。
「タダイマ! ケイスケ!」
ゴンタが戻ってきた。両手に抱えているのは、木の実の束、小さなウサギ、そして。
「……またそれか」
うねうねとした、あの幼虫だ。以前に一度食べた、あの白くてぶよぶよした生き物。一匹だけだが、それでも十分すぎる存在感を放っている。
「ゴンタ、それはゴンタが食べてくれ」
「エー、ウマイノニ!」
「いや、遠慮しとく」
木の実とウサギで十分だ。少なくとも今日は。
ゴンタが「ソウカー」と残念そうに言いながら幼虫を自分の分として確保していると、リラがすっと幼虫の方へ近づいていった。
そして俺の方を振り返り、
『ケイスケー、食べてみなよー? おもしろそうだよー?』
「おもしろそうはいらん」
『えー』
ゴンタが「リラ、ナカマ!」と嬉しそうにリラとハイタッチのような動作を交わしている。
「ちょっと待て、ゴンタ」
「ナニ?」
「お前、リラの声が聞こえてるのか?」
ゴンタはきょとんとした顔で首をかしげた。
「キコエナイヨ? デモ、ナントナクワカル」
「なんとなくわかる……」
ゴブリンの感覚ってそういうものなのか。それとも魔素とやらが関係しているのか。
まあ、細かいことはいいか。なんとなくわかるなら、それで十分かもしれない。
なんだその連帯感は、という気持ちは残ったままだったが。
俺は木の実を口に放り込みながら、ため息をついた。
それでも、不思議と悪い気はしなかった。
少し前まで、命の瀬戸際に立っていた。ドラゴンが現れて、ゴブリンが蹂躙されて、俺たちはただ生き残っただけだった。
それが今は、小さな精霊が飛び回り、ゴンタが幼虫を頬張り、俺が木の実をかじっている。
現金なものだ、と思う。
でも、これでいい。
「リラ、ひとつ聞いてもいいか?」
空中をふわふわしているリラに声をかけた。
『なにー?』
「俺たちと一緒に来るか?」
リラはぴたりと動きを止めた。
一瞬の沈黙のあと。
『……うん! 絶対行くー!』
また飛び回り始めた。
ゴンタが「ナカマ、フエタ!」と言って、齧りかけの幼虫を掲げた。
俺は苦笑しながら、空を見上げた。
木々の隙間から差し込む光が、やけに穏やかだった。
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