第十二話「アップデート」
『アップデートが完了しました』
転移前なら何の変哲もない通知。この場所では到底ありえないことだった。
「ケイスケ?」
俺はこの世界に転移してから、スマホがネットに繋がらないのを確認し、当然アップデートもできないものだと思っていた。GPSだってきかない。ネットを開こうとしてもページが見つからない。もちろんアプリを通しても何もダメだ。時間だって、適当に自分で設定したから大体の目安として使えているだけだ。
唯一使えたのは、ネットが繋がっていなくても利用できるオフラインのアプリのみ。……のはずだった。
アペイロスが同期を始めたのも、アプリのバグか何かだと思って気にしないようにと思い始めていたのだ。いや、正確には「気にしないように」しようとしていた。あれが何なのか考え始めると、答えが出ないまま不安だけが膨らんでいくような気がして、見ないふりをしていたのかもしれない。
それなのに。
「……ちょっと待ってくれ! ゴメン、ゴンタ。もう少しここで休んでもいいか?」
ゴンタにそう言って頼み込む。
こんなにもスマホが気になる状態じゃ、どうにも集中できない。
「ダイジョウブ、アト3ニチ、ナニモコナイ」
「いや、さすがに3日はいらないけどさ……」
ゴンタの言葉に安心しつつ、俺は再びスマホの画面に意識を戻した。
恐る恐る通知をタップすると、アップデートの詳細が表示される。
「まじか……」
そこには驚くべき情報が記載されていた。
『情報媒介の取り込みと、高濃度情報媒介との接触により一部同期完了』
よくわからない通知内容だった。
少なくとも、俺はこの通知をこれまで見たことはない。
よくわからない通知内容だった。少なくとも、俺はこの通知をこれまで見たことはない。
情報媒介。
その言葉が、頭の中で引っかかった。この世界で「情報媒介」と呼べるようなものに心当たりがある。魔石だ。あのウサギの体内から取り出された、緑色に輝く結晶。メイコが飲んだ瞬間に風を起こしてみせたあれだ。そして俺も、飲んだ。
つまり「情報媒介の取り込み」というのは、あの魔石を飲み込んだことを指しているのかもしれない。
だとすれば、「高濃度情報媒介との接触」というのは――。
昨夜のリュウだ。
俺のすぐそばまで近づいてきたあの漆黒の巨体。あれが魔素の塊であるなら、それは「高濃度の情報媒介」に他ならない。俺は縛られたまま地面に転がっていたから、距離はほぼゼロに近かった。
なるほど。魔石を飲んで「情報媒介」を体内に取り込み、さらに龍という「高濃度の情報媒介」と至近距離で接触した。その二つが組み合わさって、何かが動き出した――そういうことか。
「偶然じゃないのか、これ……」
呟きながら、通知の窓の下にある『OK』ボタンをタップする。すると、アペイロスの画面が表示され、自動で情報が開かれた。
【スキル】
・言語習得速度上昇(LV2)
・肉体再生速度上昇(LV2)
・肉体強度(LV1)
・魔素との同期(3%)
・風素との同期(3%)
・火素との同期(2%)
・水素との同期(2%)
・土素との同期(1%)
・光素との同期(15%)
それを見て、手が少し震えている。
「……ま、まじか、まじか!?」
声も震えた。
意味がわからない。いや、意味はわかる。わかるけども。
「でも……これが本当なら――」
確かに、ゴブリンの言葉を習得するのが妙に早いとは思っていた。単に俺の記憶力がいいのか、それともゴブリン語が単純だからなのかと考えていたが、どうやら違ったようだ。
肉体再生速度の上昇についても、今になって気づいたが、あれほどの暴行を受けたのに、体を動かせないようなケガはほとんど残っていない。痛みはあるが、昨夜より格段に楽になっている。
つまり、そういうことなのだろう。
「ありがとう、異世界!」
つい、そう叫んでしまった。それだけの情報が、俺には希望だった。
しかし、しばらくして冷静さが戻ってくる。
スキルの内容は喜ばしい。しかし気になることもあった。
魔素との同期が3パーセント。風素、火素、水素、土素……これはなんだろうか?
「魔法属性、か?」
この間魔石を飲みこんだことで、魔素を取り込んで、それがきっかけで他の属性との同期を始めているということか?
そして一つだけ、飛び抜けて高い数字がある。
光素との同期――15パーセント。
「それになんで光だけこんなに高いんだ……」
昨夜の龍を思い返す。あいつは全身が漆黒だった。どう見ても「光」とは縁遠そうな見た目だ。それなのに、接触したことで光素との同期率が跳ね上がった。
光を吸収するから黒く見えるのか。それとも光の属性を持つ存在だからこそ、光を纏わずに漆黒に見えるのか。あるいは俺の思い込みで、全く別の理由があるのか。
謎だ。考えれば考えるほど、わからなくなる。
とはいえ。
「よっしゃー!」
これは間違いなく俺にとってのチート能力の発現だ。ゲームみたいな、スキル画面。異世界生活に、思わぬ希望が見えてきた気がした。
「ケイスケ、ワラウ、ヨカッタ!」
俺がスマホの画面を見てニヤニヤしているのを、ゴンタがじっと見つめていた。そう言われて、俺は一気に恥ずかしくなった。顔を赤らめながら咳払いをする。
「いや、ちょっとな……」
さらにタップを進めると、見覚えのないアプリが画面に表示された。
「ステータス……?」
アプリには通知マークがついている。開いてみると、そこには俺の名前が表示されていた。
「真田 慧助」
久しぶりに見る自分のフルネーム。慧助。そういえば最近、ケイスケとしか呼ばれていない。自分の苗字すら、少し遠くなっていた気がする。
しかし、それよりも気になるのはその下に並ぶ謎の項目たちだった。
【ステータス】
・性別:男性
・年齢:0
・生年月日:12045年6月12日
・視覚:100%
・聴覚:100%
・味覚:100%
・触覚:100%
・知覚:100%
・精神:100%
・免疫:100%
・存在:100%
・魔力:100%
さらにその上には「同期率:100%」と書かれていた。
これは……俺とスマホの同期率ということか。何か俺の体に異常があれば、ここに反映されるのかもしれない。
「でも、年齢と生年月日がバグってるな……」
年齢の欄はゼロ。生年月日も桁がおかしなものになっている。
「俺は生まれたての赤ちゃんか?」
異世界に転移したことで、システムが何か誤作動でも起こしているのだろうか。まあ、俺が元気なのは体が証明しているし、細かいことは気にしないでおこう。
ひとつ前の画面に戻る。
落ち着け、俺。確かにまさか異世界チートがあるなんて思わなかったし、テンションが上がるのも仕方ない。でも今は冷静になれ。
今は安全と言われているこの場所も、いつまでそうとは限らない。あのゴブリンの群れみたいなやつらにまた出くわしたらどうする? リュウがもう一度助けに来てくれる保証なんてどこにもない。
そう思って画面を閉じようとした、その瞬間だった。
スマホが静かに、しかし確かに振動した。
画面の中央に、また新たな通知が浮かび上がる。これはアペイロスのものだ。
『管理者ログイン画面へようこそ』
「……は?」
管理者、ログイン?
思わず周囲を見回してしまう。もちろん、誰もいない。ゴンタが不思議そうにこちらを見ているだけだ。
恐る恐る画面をタップした。
そこに表示されたのは、シンプルな認証画面だった。
指紋認証。
顔認証。
そして――。
「遺伝子情報の読み込み……?」
三つ目の項目に、俺は目を細めた。指紋と顔は普通のスマホにもある機能だ。だが遺伝子とは何だ。どうやって読み込むんだ。
しばらく考えて、俺はふと自分の手を見た。
ゴブリンに暴行されたときの擦り傷が、まだ少し残っている。傷口には、乾きかけた血がこびりついていた。
……もしかして?
アペイロスのプロジェクトでは、個人の認証にSBT――ソウルバウンドトークンを使っていた。そのSBTは遺伝子情報と紐づけられていた。つまり俺の遺伝子情報は、すでにシステムに登録されているはずだ。
だとすれば、血液から遺伝子情報を読み取って認証するというのは理屈としては、あり得るけど。
「……まさかな」
半信半疑のまま、俺はその擦り傷をスマホの画面にそっと押し当てた。
ピッ。
短い電子音が鳴った。
『遺伝子認証完了』
『ログイン完了。管理者権限を確認しました』
「え、まじで……」
画面が切り替わる。
そこに広がったのは、見慣れているようで、見慣れていないメニュー画面だった。
見慣れているのは当然だ。これはアペイロス――俺が以前、プロジェクトとして関わっていたシステムの管理画面だ。
だが、見慣れていない項目が、いくつもあった。そして画面の隅に表示されていた所持トークン数を見て、俺は思わず固まった。
「∞……」
無限大のマーク。
しばらくの間、俺はその記号をただ眺め続けた。
トークンが無限大とは、どういう意味だ。かつてのアペイロスではトークンは通信リソースやAIの割り当てを意味するものだった。トークンを使用することで高速のネットワーク利用や、AIの利用ができ、またそのトークンを別の暗号資産に変換したり。とにかく重要なものだ。しかしそれが無限大ということは――このシステムが扱えるリソースが、もはや制限なしになっているということか。
あるいは、この世界における「何か」がリソースとして認識されていて、それが無尽蔵に存在しているということなのかもしれない。
「魔素」
その言葉をつぶやく。
この世界の魔素とやらが、アペイロスにとってのリソースになっているとしたら――いや、考えすぎかもしれない。まだ何もわからない。
ぶつぶつと独り言を言いながらメニューの項目を上から順番に眺めていく。ほとんどの項目はグレーアウトされていて、タップしても反応しない。操作できそうな項目は、ほんのわずかだった。
しばらく眺めたあと、俺は「呼び出し機能」という項目に指を止めた。
「これはいけそうだな」
タップすると、登録されているユーザーの一覧が表示される。
そこには俺がプロジェクトに携わっていたときに連絡を取り合っていた人たちの名前が登録されていた。
ディレクター、マネージャー、テックリーダーなどから、CEOやCTO、CIOなどまで。
「登録されているユーザーっていっても、地球のユーザーは軒並み繋がらない。当然といえば当然か」
リストをスクロールしていると、ハタノ、という名前が見えた。
「……ハタノ」
グレーアウトされている。呼び出せない。他のリストにあるユーザーも同じだ。
ハタノは生きているのか、死んでいるのか。コールドスリープに間に合ったのか、間に合わなかったのか。
俺は少しの間、その名前を見つめていた。
もしあのコールドスリープ装置に無事に入れていれば、ハタノもこの世界に来ているのか?
ふと、一覧の下の方に「AIの呼び出し」という項目が見えた。こちらはグレーアウトされていない。
「AI……」
登録されているユーザーは全員呼び出せないが、AIは呼び出せる。
アペイロスはもともと、分散型人工知能に通信管理を委ねるシステムだった。そのAIたちが、今もこのシステムの中に存在しているということか。
リストを開いた瞬間、俺は思わず目を細めた。
「なんだこれ……」
画面を埋め尽くす文字列は、どれもまともに読めるものではなかったからだ。
ひとつ例を挙げるなら、こんな具合だ。
『Ξ9▷ん☆ネ03◆ヴrИ░壱♯ぽ≠Ω』
適当にスクロールしてみるが、全部同じような表記だった。
英数字、記号、ひらがな、カタカナ、漢字が入り乱れ、規則性のかけらも見当たらない。全部で何件あるのかすら把握できないほどの量だ。
これがそれぞれのアドレスを示しているのかもしれないが、俺には解読する術がなかった。
「文字化けでもしてるのか、それとも仕様なのか……」
判断がつかない。ただ、呼び出せること自体は確かなようだった。
ゴンタが「ケイスケ、ハラヘッタ」と言いながらこちらを見てきた。
「わかった、今終わる」
俺はとりあえずリストをランダムにスクロールし、止まったところで指を離した。
画面に、ひとつの文字列が表示される。
『7△ξЙ◇ぬ★②ソΨ░哭♭ヲ∮☄ヅ▲ゑ∬』
その文字列をタップすると、『呼び出しを実行しますか?』という確認の窓が開かれる。
その下にある『決定』ボタンをタップするかどうか、一瞬だけ迷った。
「……まあ、いいか」
何か起きるかもしれない。でも、何も起きないかもしれない。でも、やってみないことには何もわからない。
俺は決定ボタンをタップした。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ちょっとでも楽しんでいただけたなら、何よりです!
もし「いいな」と思っていただけたら、
お気に入り登録や評価をポチッといただけると、とても励みになります!
コメントも大歓迎です。今後の執筆の原動力になりますので、
どんな一言でも気軽に残していただけたら嬉しいです。
これからも【悠久の放浪者】をどうぞよろしくお願いします!




