第3話 本筋へ行くぞ!
第3話 本筋へ行くぞ!
『涼太、いよいよ本筋に入るよ!』
「そうだな! いよいよ本筋に入るんだ!」
涼太は学校の校門前に立っていた。
目の前には大きな校門。
同じ制服を着た生徒たちが、三々五々、校内へと入っていく。
緊張した様子でネクタイを直している者。
友達と楽しそうに話している者。
スマホを見ながら歩いていて、ようやく本筋にたどり着いた主人公になど、まったく気づいていない者。
「ついに……」
涼太は大きく息を吸った。
「俺の高校生活が、ついに始まる!」
『その通り!』
聞き慣れた声が、すぐ隣から聞こえた。
涼太は固まった。
そして、ゆっくりと横を向く。
そこには、身長二メートルはありそうな、全身筋肉で、頭のてっぺんがまぶしく光るスキンヘッドの男が立っていた。
その男は、感極まったような顔で校門を見上げている。
「待て!」
涼太は一歩後ずさった。
「何でお前がここにいるんだよ!」
『僕も日本の学校生活を体験してみたくて~』
作者は筋肉質な大男の姿のまま、涼太の肩に腕を回し、甘えるように体を揺らした。
「何が甘えるようにだ! 早く離せ! これは俺の物語だぞ!」
『はいはい、分かったよ~。ケチだなあ』
「ケチじゃない! 普通の人間は二メートルのスキンヘッド筋肉男を連れて登校しないんだよ!」
『それは作者の外見の自由に対する差別だよ』
「お前のそれは外見の自由じゃない! 校門前の怪談だ!」
涼太はもがきながら、周囲を見回した。
幸い、他の生徒たちには作者の姿が見えていないらしい。
もし見えていたら、高校生活初日から「怪しい筋肉男を連れて入学した男」として、校内伝説になっていたところだ。
『はいはい、もうからかわないって』
筋肉スキンヘッドの男は、涼太の隣からゆっくりと姿を消した。
『それじゃあ、本筋開始!』
「本当にそうしてくれよ」
涼太は乱れた制服を整え、もう一度校門を見る。
鞄の肩ひもを握りしめ、一歩を踏み出した。
「よし」
「恋愛小説の舞台、ついに開幕だ」
『あ、そういえば、日本の高校って入学初日は何をするんだっけ?』
「そこ考えてないのかよ?」
『……』
『知るわけないじゃん! 僕、日本で生活したことないし! 台湾人だし!』
「今さらそれを言うなよ!?」
涼太は危うく校門前で膝から崩れ落ちるところだった。
「舞台を日本に設定しておいて、日本の高校の入学初日を知らないってどういうことだよ!」
『大体は分かるよ』
「大体?」
『生徒がいっぱいいて、みんな制服を着てて、それで青春が光り出す』
「お前の知識源、アニメのオープニングだけだろ!」
『アニメのオープニングを侮るなよ。情報量は多いんだぞ』
「それで、今からどうするんだよ?」
『問題ない』
作者の声が、急に自信満々になった。
涼太は嫌な予感がした。
「何をするつもりだ?」
『分からない時は、主人公に観察させればいい』
「それ、責任放棄って言うんだよ!」
涼太がツッコんだその時、校門の横に大きな掲示板が現れた。
そこには白い紙が何枚も貼られている。
周囲には生徒たちが集まり、みんな自分の名前を探していた。
「これは……」
『クラス分け表』
「さっきまで知らなかっただろ!」
『今思い出した』
「絶対いま調べただろ!」
『作者の行為を調べたなんて言わないでほしいな。これは創作補強だよ』
「言い方だけ立派だな!」
涼太は文句を言いながら、掲示板へと歩いていった。
周囲の生徒たちはそれぞれ、自分の名前を見つけてほっとしたり、紙を端から端まで見てだんだん焦ったりしている。
「まずはクラスを探すのか」
『そう』
「俺は何組なんだ?」
『自分で探して』
「作者だろ!」
『自分で探した方が、入学した感じが出るでしょ』
「ただ教えるのが面倒なだけだろ!」
涼太はため息をつき、掲示板の中から自分の名前を探し始めた。
一年一組。
一年二組。
一年三組。
視線を一行ずつ追っていく。
そして、ようやく一年二組の名簿に自分の名前を見つけた。
「あった」
涼太はその一行を指さした。
「一年二組、涼太」
『よし、主人公は無事にクラスを発見しました』
「その程度をクリア報告みたいに言うな!」
涼太はそのまま立ち去ろうとした。
しかし、ふと足が止まる。
彼の視線は、自分の名前の少し近くにある一つの名前に止まっていた。
そこには、一人の女子の名前があった。
明日奈。
ただ紙に印刷されているだけの文字なのに、なぜか心臓が一拍、遅れた気がした。
「……作者」
『ん?』
「この名前……」
『どうしたの?』
「ヒロインか?」
『知らない』
「また知らないのかよ!」
『名前がヒロインっぽいからって、その子がヒロインとは限らないでしょ』
「名前にヒロインっぽいとかあるのかよ!」
『あるよ。光ってる名前ってあるじゃん』
「じゃあ、この子は?」
『僕に聞かれても』
涼太はその名前を数秒見つめた。
周囲の生徒たちの声が、少しだけ遠くなった。
その女子がどんな顔をしているのか、涼太は知らない。
どんな性格なのかも知らない。
自分と何か関わりがあるのかどうかも、まったく分からない。
それでも、これは彼がこの世界で初めて見つけた、自分の物語に関わるかもしれない名前だった。
「……一年二組か」
涼太は小さくつぶやいた。
『どうしたの、緊張してる?』
「してない」
『耳、赤いよ』
「暑いだけだ!」
『今日の天気はさっき設定したばかりで、今は少し涼しいよ』
「黙れ!」
涼太は鞄の肩ひもを強く握りしめ、校内へと歩き出した。
靴箱。
廊下。
教室。
恋愛小説ではおなじみの光景が、今、本当に一つずつ目の前に現れていく。
そしてあの名前は、まだ始まっていない彼の高校生活に挟まれた、小さなしおりのようだった。
『さあ、涼太』
作者の声が耳元に響く。
『一年二組に行こう』
涼太は深く息を吸った。
「よし」
「今度こそ、本筋が始まるんだ」
『ところで、ヒロインの名前って何だっけ?』
「絶対見てなかっただろ!」
『……』
「見てなかったことを伏線っぽく書くな!」
「明日奈だよ!」
『明日奈か……よくある小説の名前だね。そういえば、日本の名前って名字が必要じゃなかった?』
「そうだよ! ていうか、何で俺には名字がないんだ!」
『……僕にも分からないな……』
「絶対考えてなかっただろ!!」
『思いついた! 相原涼太、早川明日奈。ほら、名字が追加されて世界観が少し完成したよ』
「最低限の設定を偉業みたいに言うな!」
『へへ~。さて、次は何をするべきかな? 日本の生徒って今何するんだろう。ちょっと考えさせて』
「適当すぎるだろ~」
『静かにして。今考えてるんだから……あ! 思いついた。上履きに履き替える!』
「分かったよ!」
『ところで、上履きって自分で買うの? それとも学校が用意してくれるの?』
「知るか! お前が知らないことを俺が知るわけないだろ!」
『それもそうだね』
「そこで納得するな!」
涼太は昇降口へ入った。
壁一面には靴箱が整然と並んでいて、それぞれの棚には生徒の名前が貼られていた。
彼はすぐに自分の場所を見つけた。
【一年二組 相原涼太】
「……」
涼太はその名札を数秒見つめた。
「本当に相原になってる」
『どう? 感動した?』
「いや、自分の人生が五秒で決められた気分だ」
『安心して。とても普通で、君にぴったりだよ』
「今、俺のことバカにしただろ?」
『してないよ。君のキャラ性を尊重しただけ』
「この野郎」
涼太は靴箱を開けた。
中には、綺麗な上履きが一足入っていた。
「待て。この靴、どこから出てきた?」
『学校が用意した』
「本当に?」
『たぶん』
「またたぶんかよ!」
『じゃあ今から君が靴を買いに行く話を書く? 本筋が死ぬよ』
「……そこは認める」
涼太は不本意ながら上履きに履き替え、廊下へと足を踏み入れた。
白い壁。
明るい窓。
遠くから聞こえてくる生徒たちの話し声。
今度こそ、彼は本当に学校の中へ入ったのだ。
「一年二組……」
涼太は廊下の先を見る。
「早川明日奈も、そこにいるんだよな?」
『たぶんね』
「毎回そんなに信用できない声で答えるのやめてくれない?」
『その方が緊張感あるでしょ』
「それは作者の無能って言うんだよ!」
『同じようなものだよ』
「どこが同じだ!」
涼太は深く息を吸い、一年二組の教室へ向かって歩き出した。
教室の前まで来て、まさに扉を開けようとした瞬間。
涼太の背後で、やたら派手な爆発エフェクトが炸裂した。
『どーん! 爆発爆発!』
「待て! やり直せ! 何で爆発するんだよ! しかも何で爆発音がお前の口なんだよ!」
『え~、爆発ってかっこよくない? それに予算不足だから、作者である僕が効果音を担当するしかないんだよ』
「かっこいいわけあるか! 俺たちは漫画じゃないんだから、読者には見えないだろ! しかも全然かっこよくない!」
『分かった分かった。爆発はなしで』
涼太は教室に入り、後ろの窓際の席を選んで座った。
『おお~。後ろの窓際。伝説の主人公席だね』
「何だよ、その言い方!」
『豆知識。日本の学園作品で後ろの窓際に座る人間は、大体主人公か変人だよ』
「俺はどっちだ?」
『今のところ変人』
「この野郎!」
『さあ、早く見てみよう。誰が明日奈かな? でも変態っぽくならないようにね』
「誰が変態だ! 俺は違う!」
前の席に座っていた男子が、ゆっくりと振り返った。
「あの……さっき、誰と話してたの?」
涼太は固まった。
『おめでとう。入学初日から社会的に死亡しました』
「黙れ!」
男子は少し沈黙した。
「……僕、まだ何も言ってないけど」
『わあ、さらに悪化した』
「全部お前のせいだあああ!」
『へへ、謝ってきなよ~』
「気まずすぎるだろ……」
涼太は立ち上がり、その男子に向かって小さく頭を下げた。
「ごめん。君に言ったわけじゃないんだ」
「大丈夫。僕は高橋蓮」
『おお~。第一号のお友達だね~』
「高橋くん、よろしく! 俺は相原涼太」
高橋蓮はうなずき、とても普通で、とても自然な、自然すぎて涼太が少しうらやましくなるような笑みを浮かべた。
「相原くん、さっきのって……自己紹介の練習?」
「え?」
涼太は一瞬固まった。
『彼、君に逃げ道を用意してくれてるよ。いい人だね』
「いや、さっきのは……」
涼太は思わず言いかけた。
作者と話していた。
だが、すぐに気づいた。
普通の人間は、入学初日に初対面のクラスメイトへ向かって「実は俺、自分が小説の主人公だって知っていて、隣に作者がいて、ずっと絡んでくるんだ」なんて言わない。
それは友達作りではない。
先生に保護者へ連絡される行為だ。
「俺は……ツッコミの練習をしてたんだ」
「ツッコミ?」
高橋蓮は目をぱちぱちさせた。
「うん、そう。俺、普段からツッコミが好きなんだ」
『理由が雑すぎる』
「黙れ!」
高橋蓮は沈黙した。
涼太も沈黙した。
教室で話していた数人の生徒たちも、静かにこちらを見ていた。
『おめでとう。二回目の社会的死亡です』
涼太の口元が引きつった。
「違う。君に黙れって言ったんじゃない!」
高橋蓮は自分を指さした。
「でも、今ここで君と話してるの、僕だけだよ」
「……」
涼太はうつむいた。
「ごめん」
高橋蓮は数秒だけ涼太を見て、それからふっと笑った。
「相原くんって、けっこう面白いね」
『おお、第一号のお友達確定』
「本当か?」
涼太は顔を上げた。
高橋蓮はうなずいた。
「うん。ちょっと変だけど」
「後半は言わなくてよかった」
「でも、嫌いじゃないよ」
高橋蓮は椅子を前へ戻しながら、自然な口調で言った。
「今日は入学初日だし、みんな緊張してるから。少しくらい変でも普通だよ」
涼太はその背中を見つめ、小さくつぶやいた。
「こいつ……いいやつだな」
『ほら、友達をあげたよ』
「これはお前がくれたのか? 俺には高橋くんが自力で生き抜いてくれたように見えるけど」
『それ以上言うと、彼を転校させるよ』
「申し訳ありません作者様。高橋くんはあなたの偉大なる恩賜です」
高橋蓮がもう一度振り返った。
「相原くん」
「ん?」
「今、また誰と話してたの?」
涼太は固まった。
『三回目』
「黙れええ!!」
『はい、一時停止~。今日の本筋はここまでだよ~。それじゃあ、また次回!!』
「待て! 俺のヒロイン、まだ出てきてないんだけど!」
『いや~、今日は文字数が多すぎるからね!』
「ダメだ。せめて明日奈を見せろ!」
『明日奈がヒロインとは限らないよ~。そんなに見たいの?』
「何だと?」
『はい、今日はここまで! みんな、またね~』
「この野郎!!!」
涼太の叫び声が教室に響いた。
次の瞬間。
教室中が静まり返った。
さっきまで話していたクラスメイトたちが、全員ゆっくりと後ろの窓際の席を見た。
涼太は固まった。
高橋蓮も固まった。
『わあ』
作者の声には、隠す気のない楽しさがにじんでいた。
『今回は社会的死亡じゃなくて、社会的火葬だね』
「黙れ……」
涼太は歯を食いしばり、小さな声で言った。
高橋蓮は涼太を見て、周囲のクラスメイトの表情を見て、最後にそっと椅子を少しだけ前へずらした。
「高橋くん、今ちょっと俺から離れなかった?」
「離れてないよ」
「離れた」
「相原くん。人は時に、現実を受け入れることも必要だよ」
「俺たち、まだ会ったばかりだよな!? 急に人生の師匠みたいなこと言うなよ!」
涼太がさらに反論しようとした、その時。
教室の前の扉が静かに開いた。
一人の少女が入ってきた。
彼女は鞄を抱え、黒い長い髪を肩に流し、制服をきちんと着こなしていた。
漫画のように花びらをまとっているわけでもない。
スローモーションになるわけでもない。
目が痛くなるほどのヒロインオーラがあるわけでもない。
ただ普通に、教室へ入ってきただけだった。
それなのに、涼太は一瞬、言葉を忘れた。
少女は教室を見回した。
どうやら自分の席を探しているらしい。
彼女の視線は黒板を通り、窓際を通り、最後に涼太の近くで止まった。
涼太は無意識に背筋を伸ばした。
『お?』
作者の声が、ふっと低くなった。
『来たみたいだね』
「誰が?」
涼太は小さな声で聞いた。
少女は窓際の前の方の席まで歩き、そこで足を止めた。
そして机の上の名札を見る。
【早川明日奈】
涼太の心臓が一拍、遅れた。
「……」
『……』
作者は黙っていた。
この時ばかりは、作者でさえすぐにはふざけなかった。
早川明日奈は鞄を席の横に置き、何かに気づいたように、ゆっくりと顔を上げた。
その視線が、ちょうど涼太とぶつかった。
涼太の頭の中が一瞬で真っ白になる。
『スキル発動』
「今発動するなよ!」
涼太は思わず椅子から立ち上がりそうになった。
早川明日奈はぱちりと瞬きをした。
高橋蓮がゆっくりと涼太の方を見る。
「相原くん」
「何だよ?」
「今……早川さんに何か変なこと叫ばなかった?」
「叫んでない!」
早川明日奈は二人を見て、二秒ほど黙った。
それから、礼儀正しく、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「あの……私のこと、知ってるんですか?」
涼太は口を開いた。
ただ、それだけの普通の一言だった。
それなのに、なぜだろう。
彼は、自分の物語が本当にこの瞬間から始まったような気がした。
『さて』
作者の声が再び響いた。
『今度こそ、ここまで』
「待て!」
涼太は勢いよく顔を上げた。
「せめて俺に一言返させろよ!」
『嫌だ』
「この野郎!」
『読者の皆さん、次回でお会いしましょう』
「作者ああああ!!」
ページが閉じる直前。
涼太が最後に見たのは、困惑した表情でこちらを見る早川明日奈。
そして、「もしかして友達選びを間違えたかもしれない」と顔に書かれた高橋蓮だった。




